楽器屋のあの雰囲気は行ったことのある者にしかわからない。
そこの空間は奇妙だ。未知との出会いへの期待と漠然とした興味と目的を持って歩く足取りは感覚のままに動く。行ったことのない本屋に初めて行く感覚と言ったらわかりやすいだろうか。
楽器屋だからと言って楽器しか置いていないわけではない。楽譜、楽器の本、そして大量にある多種多様の楽器の用品。その混沌とした品物は今かろうじてそこの場所に収まっているようだった。
「これさ、最高にあざといんだけど。」
チョロ松が指差すのはクラリネットのストラップであった。よくクラリネットが再現できていて、かわいいしかっこいい。しかし問題は値段だった。520円、高い。
僕が第二関節くらいしかない小さなストラップに520円も金を出すだなんてありえない。だがそれは普通のストラップでの話であって、クラリネットの形したストラップなら話が違う。
「ほんっとクソあざといわ。人の楽器への愛につけ込んだ悪徳商法じゃん。」
ブツブツ言っているチョロ松に一松がうんざり顔で言う。
「それ、ここに来るたびに言ってるよね。」
二人は定期的にリードを買いに学校の最寄駅付近にある楽器屋へ来ている。そのときは用のない他の兄弟は先へ家へ帰ってしまう。
「300円なら買ってやったんだけどなぁ……。」
(前来たときより50円上がってるし。これならあと5回ここに来たら買うだろうな。)
「一松はなんとも思わないの?」
「別に。そもそもそのシリーズにファゴット無いし。」
チョロ松が見るクラリネットのストラップの隣にはフルート、アルトサックス、トランペット、ホルン、トロンボーン、チューバ、コントラバス、スティックのストラップが吊り下げられていた。
前7つならともかく、ラストのスティックは誰が買うんだよ……と一松はこれを見るたびに毎回思うのだが、ツッコミの魔人はクラリネットに夢中なのでそれはツッコミが入らず中に浮いている状態だった。
「決めたああ!ドゥーーン!!お待たせシマシータ!」
十四松は二人に全力で駆け寄る。彼は普段チョロ松と一松がリードを買うときにはついてこないのだが、今日は珍しく二人と一緒に来ていた。
なぜかというと彼がスティックを折ったからだ。練習台相手にやっていたときにペキッとヒビが入る音がしたが彼は気にせずに続け、そして見事に先が折れ、虚しい音を立てて落ちた。
ここに来る途中でひたすら十四松が猫目でその現場の様子をリアルに語ってくれた。その話によると折れたのは「十四松三号」の方で、「十四松二号」の方じゃないらしい。一松には全く違いがわからないが。彼にはスティックに名前をつけるくらい重要なことであった。
「あ十四松、ちょうどいいわ。このストラップどう思う?」
「うーん……」
(え?悩んでる?迷わずにいらんって言うと思ってた。)
ちょっと考えたあとに十四松は「いらないや」と言い、「だって本物にはかなわないんだもん」と付け足した。
チョロ松はそれに感銘を受けたのか、深く「おおー」と声をあげその場を離れた。そのあとも
「あれ、今日は三人なんですね。」
商品のチェックをしている人から言われた。この人はこの店の店長で、よく彼らに話しかけてくる。
いかんせん、彼らの顔はあまり特徴がないにもかかわらず非常に覚えられやすい。それはただ単に見る機会が多いからであり、今もこうやって店長は三人の顔を一通り見る。つまり三回見たことになる。
「確か全員で六人でしたよね?」と聞く店長に十四松が大きく返事をする。
「うわぁ…全員揃ったらすごいんだろうな……。」
「同じ顔が6つ並ぶだけですよ。」
「ふふふ、まぁそうなんでしょうけど…。」
店長は手際よく袋に品物を入れて彼らに渡した。
「全員で経験したことのない吹奏楽部に入るなんて、とっても仲良しなんでしょうね。」
「いや、言うほど仲がいいわけでもないですし…。」
「そうですか……。ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております。」
店を出た先の空は紺色だった。