コンクール目前に迫った日、チョロ松たちコンクールメンバー外は外でマーチングの練習をしていた。
その練習内容はひたすら歩く。それだけ。
マーチングでは行進の歩幅は62.5cmと決まっている。これは8歩で5mになる歩幅だ。全員がきちんとこの歩幅で歩けないとマーチングにならない。
中庭のコンクリートの地面に印をつけ、そこに人を歩かせ、少しでもズレていたらすぐに指摘の繰り返し。
無論、絶対に下を向いて歩いてはいけない。斜め30度上を見ながら、感覚で62.5cmを歩かなくてはいけない。それができるようになるには、歩けるようになるまでひたすら歩くしかない。
「アンタは常に気持ち大きめに歩かないとみんなとズレるよ!」
「はい!」
「▲○!もっと足あげて歩け!」
「はい!」
「そこの前から5番目にいる松!アンタは足あげすぎ!」
「あい!」
歩き練習を始めて一時間半経過。次は回れ右の練習。これが面白いように揃わない。
「体の軸安定させる!フラフラしない!」
ちなみに今指示を出してるのは別名幽霊顧問の中村先生だ。この人はコンクールのオーディションの日まで一年生たちに存在が知られてないレベルで幽霊だったが、最近マーチング練習をするようになってからはよく顔を出すようになってきた。というより、熱の入り方からして中村先生はマーチングの指導のために吹奏楽顧問になったんじゃないのかと一年生たちの間で噂になっている。
そして次は気をつけの練習。
人によってあるいは地域によって気をつけのポージングが若干違っていたりする。それをきっちり矯正する。
ただジーッと立っている部員たちの肌を真夏の太陽が焦がす。
(マーチング練習って10月上旬までずっと続くんだよね……、暑くて敵わないんだけど!)
トド松は確信する。今年の夏は長い、と。
「というわけでマーチングやるんだってー。さーパーカス会議だよー。」
「先輩なんで棒読みなんですか?」
「いい質問だねー、十四松くん。なぜならマーチングのパーカスは悩みどころが座奏と比べて倍だからだよー。さぁ、サクサク決めていこう。」
マーチングに参加するパーカスの一、二年生9人は円型に座って話をする。
「とりあえず最初に改めて報告することは、私がドラムメジャーに決まったこと。」
「え?ホナミ先輩が!?コンマスじゃないんですか?」
「マジすか!?マジすか!?」
「先生から指名を受けたんだけど、コンマスじゃない理由は管楽器パートの人数を削りたくないからだと思うのよ。たとえパーカスが9人のままでも、それだけいると暇する人が出てくるだろうし。」
ドラムメジャーというのはマーチングの指揮者だ。一人だけ違う格好をし、ステッキを持ち全体をまとめる役職だ。ちなみにそのドラムメジャーが楽器を持つことはない。
「じゃあ残り8人ってことになるけど、大丈夫?」
「多分大丈夫。ドラム、マレット、ティンパニー、大きめのパーカッションで四人でピット。スネア、バスドラ、シンバル、グロッケンで四人でバッテリーでいいでしょ。」
ピットというのは行進に参加せずに前方で演奏するパーカッションのこと。バッテリーは行進に参加して演奏するパーカッションのこと。
「それでいいんじゃないかな。考えてきてくれてありがと、ホナミ。」
「ちなみにマーチング用スネアにはハイハットシンバルとライトシンバルがついてるよ。で、マーチング用バスドラの方にはクラッシュシンバルがついてる。一応この二つで類似ドラムができると言われればできる。」
「じゃあバッテリーやりたい人!」
「ハイッ!ハイッ!ハーイッ!!」
「せっかくのマーチングならやりたいです。」
「じゃあ俺もやりたいです。」
「スネアならやってもいいよ。」
「あっさり決まったね。じゃあ楽器振り分けはバッテリーとピットごとで決めておいて。」
十四松はバッテリーのバスドラ担当になった。先輩の一人がシンバルやったら?と提案したがホナミ先輩に低い声でやめてと言われた。それを十四松本人は知らない。
「右足出して左足出して両足ジャンプして右左左右!」
今日もひたすらマーチング練習。揃わなかったら場合によっては自主練コース入りとなる。
「あぁもう!やる気あるの!?無いならさっさと帰って!」
「「あります!」」
「あ!?」
「「ありますッ!!」」
「あるんだったら態度で示して!口先なんかアテにならんわ!!」
「「ハイッ!!」」
どこの運動部だよ。
チョロ松は汗を拭い、ペットボトルの水を飲み干し、湯気が上がりそうなくらない暑い顔をうちわで扇ぐ。
暑い、帰りたい。だけど帰ったら間違いなくどやされる。名指しで怒鳴られる(僕らの場合は6分の1の確率でしか名指しされないけど)あのドS顧問に何させられるか分からない。…こんなことするために吹奏楽入ったわけじゃないんだけど。
「午後から柔道部が練習無いらしいから格技場で午後は練習します。」
うん、そうしてくれ。誰か死んじゃう。
そして安らかな昼の休みは終わり、格技場でまた悪夢が始まる。
外じゃないだけまだマシだったが。
「午前にやった足の動きをやります!全員20人ごとに一列に並んで!」
「「ハイッ!!」」
指示通りに並ぶと丁度朝会のような状態になる。この状態でやると前から見ると誰がズレているのかが真横で並ぶよりもよく分かる。
「やってて自分がズレてるなとか分からない!?気持ち次第で全然違うんだけど!!」
「「ハイッ!!」」
もう根性じゃん。
「ていうか、なんで周りの人間もそれを本人に指摘しないの!?そんな気遣いいらないんだけど!!気になったことがあったら先輩後輩問わず、お互いに注意し合うように!」
「「ハイッ!!」」
ごめん。自分のことに精一杯で、周り見てる余裕無いんだ。
「おそ松!足!」
「はいぃ!」
先生、そいつトド松です。
ていうかあいつ5回目の注意だぞ。他の部員なら、「個人練習してこい!」って言われるレベルなのに。
楽器を持ってないから同一人物判定が出来ない分、そういうのも軽い。先生も迂闊に「何回目だと思ってんの!?」とも言いうことができない。
6つ子でよかったわ〜。
一松たち、カラーガードパートはこれ以外にもカラーガードを振る練習をしなくてはいけない。
人数は10人。ダブルリードの4人と、バスクラの二人と、コントラバスの二人と、他のパートから引っ張ってきた二人。
人数が少ないもんだからより細かく目が通る通る……。
「旗は常になびかせるように!クシャッとさせない!」
「旗を持つときの角度がズレてる!静止状態でズレててどうすんの!?」
「一松!腕が下がってる!」
何が嫌かって、カラーガードは6つ子の中で俺しかいないから逃げられないんだよ。
「腕が疲れたなんて言わせないから!!」
腕が疲れました。
「返事は!」
「はい」
旗を振るために吹奏楽に入ったわけじゃないんだけど。…まぁファゴット吹くために吹奏楽入ったわけでもないし。
ハタ坊なら喜んでこれやるんじゃないの?
ていうかあのアンタどんだけタフなんだよ。あの調子で指導ずっとやってるなら部員よりも消費カロリー多いんじゃね?そろそろあの先公、倒れてくれないかな。
その日のマーチングの動きの練習が終わったのは午後5時だった。しかしまだ部活自体は終わらない。
まだまだ日は沈まない。
まだ日が沈まない廊下の角をチョロ松がふらふらと曲がると、コンクールの個人練しているセイヤがいた。
「はぁ〜疲れた。僕今年の夏を熱中症で倒れずに終われる気がしないよ〜。なんなんだよあの副顧問!」
セイヤは一瞬だけ不思議そうな顔をした。おそらく楽器を持っていないため話しかけてきたやつが、チョロ松なのかそれ以外なのかが分からなかったのだろう。そして「たぶん僕にこんな風に話しかけてくる6つ子は同パートのチョロ松以外いないよね」という消去法を一瞬でしたのだろう。
「ヘェ〜、大変だったね。僕も今日は大変だったよ。」
「何言ってんだよ。明日はまたコンクールメンバーも合わせてマーチングするんだからな。マジで今日の暑さはヤバかったわ。」
チョロ松は続ける。
「そういえばさ、最近主顧問の武水もよく来るようになったよね。今更だけど。」
「あ〜うん、そうだな。オーディション終わったあたりからほぼ毎日来るようになったな。」
「先輩たちも今年のドライババァは違うとか言ってたし、あいつ本気になったのかな。」
「かもね〜。僕らは去年のババァ知らないけど。」
チョロ松はペットボトルの水を飲む、するとカラになった。
「ホール練習のときのを見ててもなんか本当に全国行ってくれる気がしてきたな〜。願望混じってるけど。」
彼はご機嫌にペットボトルを指先で回転させる。セイヤはクラリネットからリードを抜き取り、諦めの混じった声を出した。
「でもさ、そう言われていた野球部が県大会ベスト4落ちじゃん。」
「まぁ…あの野球部だし……。ていうか、セイヤのその言い方はまた吹部が地区銀で終わると思ってるの?ホール練習のやつ、あれは間違えなく県大会行く演奏だったよ。いや、支部にも行ける演奏だったよ。もっと自信持ったらどうなんだよ。」
「チョロ松。」
「何。」
「僕らが全国に出れる確率は0.55%だよ。」
「は…?」
「合奏中にこっそり計算してたんだ。」
よく指揮者の真ん前でそんなことしてたな、…ってそういうことじゃない。
0.55%?1パーセントも無いの?
「ちなみに夏の甲子園に出れる確率は1パーセントくらいらしいよ。」
「……。」
「ポケモンで色違いが出る確率よりは高いけど……高いと思う?低いと思う?」
「低いね。」
風が校舎の日陰に立っている木の緑を撫でた。
「……だけど、低いほうが楽しいよ。だから宝くじが売れるんだろ?」
「そうなんだよ。ソコがミソなんだよなぁ〜。」
なぜかセイヤは嬉しそうに言った。
「あとそれは全国統計であくまで確率だけの話だろ。赤塚の吹奏楽部が0.55%だなんて絶対にありえないから、本当に。たとえ全国に行けなくても地区で終わるのはありえないから。なんで急に弱気になってるの。今までずっと自信家だったのに。」
「弱気になんかなってないよ、そんな風に見える?ふと思っただけだよ。」
セイヤはリードを指で折った。二人はクラリネットの練習部屋に戻った。そこの教室のゴミ箱にチョロ松のペットボトルが投げ込まれ、隣のゴミ箱にセイヤの折れたリードが投げ込まれた。関係の無い生徒から見たら、アイスの棒が折れているように見えるだろう。