【プロローグ】
第一話 ごーすとぱにっく
【プロローグ】
『はーははははァァァァァァ――――っ! 食い物だ食い物だ! 全部、全部オレのものだァァァァァァァ――――っ!』
昼下がりのスーパーで、狂的とも言える笑い声が響いていた。
彼は人間の形をしていたが、人間ではない。体を形作っている輪郭は陽炎のように揺らめき、背後の景色が見えるように淡く透けている。
時折、彼のような者はいるのだ。死んだ者が成仏できずこの世を彷徨う……所謂、幽霊というやつだ。
『食い物、食い物、食い物くいものクイモノくいものォォォ! 誰にもわたさねえぇぇぇぞォォォォ!』
その悪霊は食べ物に対して執着を見せていた。スーパーの一角を我が物顔で占拠して、菓子や惣菜、鮮魚や青果といったスーパーの商品を山のように積み上げ、その上で歓喜の声を上げている。その姿はまるで迷宮の奥で宝物を見つけた強欲な商人だ。山ほどの食べ物を宝石や金貨よろしく引っ掴み天に掲げて顕示している。
それに困っているのは当然のことながらその店の従業員たちだ。
彼らは悪幽を遠巻きに眺めながら皆一様にどうしたらいいのか分からず困り果てていた。
「て、店長、どうしましょうか?」
「くっそ……あのバカ幽霊のせいで客が皆逃げちまったじゃないか」
「そりゃそうですよ。客が商品持っていこうとすると、それは俺様のものだとか言って襲いかかるんですから」
その悪霊は迷惑極まりないことに、スーパーの商品に触れる者に対して襲いかかってきた。客も、従業員も容赦なく。今のところ怪我人こそ出ていないが、悪霊が居座るスーパーなんて噂が広まったらこのスーパーの評判はガタ落ちだ。現に今店に客は一人もいない。皆逃げてしまった。
店長は忌々しそうに呟く。
「なんなんだあの幽霊は? 真昼間から、一体どこから現れやがったんだ?」
「それがどうやら集配センターからのトラックに紛れ込んでいたらしいです。今日品出しする商品のカートの辺りで、パートの木下さんがあの幽霊を見つけたのが最初らしいですから」
「集配センターのバカどもめ! 誰があんなモノ注文したってんだっ」
歯軋りする店長。若い従業員がモップを強く握り締め、店長にこう尋ねた。
「店長、俺こう見えても学生時代は剣道で全国大会に行ったことがあるんです。あんな霊なんか追い払ってみせます」
「やめとけやめとけ、霊なんて実体が無いものに普通の人間がかなうわけ無いだろ。それは警察を呼んだって同じことだ。鉄砲の弾だって素通りしちまうさ」
おまけにあの悪霊は念力、というかポルターガイストのような力を持っているらしく、触れてもいないのに食料品や飲料のペットボトルがびゅんびゅん空を舞っている。その気になれば辺りにある物をぶつけてくるだろうし、もしかしたら人間を壁に叩きつけるなんて真似も出来るかもしれない。
従業員が店長にこう提案した。
「店長、ゴーストスイーパーにあの霊の退治を依頼してはどうでしょうか?」
ゴーストスイーパー。それは霊を退治する専門家のことだ。
「……ゴーストスイーパか。しかしあの連中は高額な依頼料をふんだくると聞くぞ。正直な話、ウチはそれほど余裕があるわけではないぞ」
かといって。
店長は決断を迫られる。
このまま悪霊に居座られたのでは商売どころではない。ゴーストスイーパーに依頼すれば悪霊自体はどうにかなるだろうが、何百、何千万といった料金がかかる。下手すればスーパーの経営自体も傾きかねない。
頭を抱える店長。
と、そのときだ。
店の自動ドアが開いた。
一人の少年が店に入ってきた。おそらく中学生くらいだろうか。ジーンズに薄手のTシャツ、頭にはバンダナを巻いている。
その少年は悪霊の姿が視えていないのか、何事も無いかのように買い物かごを手に商品棚に向かっていく。
「お、お客様! いけません今は……っ!」
慌てて少年を止めようと大声を上げる店長。しかしそれがいけなかった。
店長の制止の声に気づいた悪霊の目が、少年に向けられた。少年が商品棚に並べられた缶ジュースを買い物かごに放り込んでいる姿を目にする。悪霊は愕然とした。何をやっているのだあいつは。ここにある食い物は全部自分のものなのだ。それを奪うというのか。
――許せん!
『オオオオオオオオオオォォォォォォォォ!』
激昂した悪霊は少年に向かっていく。空を飛ぶ姿はその半透明の青白い輪郭と相俟って、薄手のカーテンが風に弄ばれているようにも見えた。
『マテェェェエエエッ!』
少年の前に降り立つ悪霊。宙に浮いたまま少年を見下ろすその瞳は怒り狂っていた。
『オレの食い物を勝手に持っていくな、ブチ殺されたいのか!』
「へー、これ全部オマエのものなの?」
少年は悪霊にそう問いかけた。
従業員の間に緊張が走る。
何をしているんだ、早く逃げろ!
そう叫びたいが、叫べない。今のあの悪霊は爆発寸前の爆弾のように見えて、少しの刺激でも与えるのは危険に思えた。
しかし奇妙だ。悪霊と向き合っている少年に焦りや恐怖といったものが感じられない。自然体のままに見える。
『そうだ! 生前のオレは貧乏が原因でまともに食うことが出来なかった。だが霊となった今のオレを縛るものは何も無い。だから決めたんだ。世界中の食い物すべてをオレのものにするってなぁっ! 手始めにこのスーパーだ。ここの食い物は全てオレのものにすると決めたんだ!』
自分語りをはじめる悪霊。しかし言っていることは支離滅裂だ。そもそもの話、霊である彼に食すという行為は出来ない。当然だ。実体が無いのだから。
「縛るものは何も無いって……縛られてんだろうが、執念や執着ってやつに。いいからとっとと成仏しやがれ。店にも客にも俺にも迷惑だ」
小煩い猫を追い払うようにしっしっと手を振る。
『このクソガキが。迷惑だというな』」
負の情念が形になるかのように悪霊の体が黒々とした色を帯びる。
『力ずくで追い払ってみろ!』
覆いかぶさる津波のように、背丈を増した悪霊の巨躯が少年に襲い掛かかる。
――パン!
それは風船が破裂したような音だった。
瞬間。悪霊の胸にぽっかりと孔が開いていた。
狐のように細くつりあがっていた悪霊の瞳が丸々と見開かれる。目に映るのは扉をノックするように振りかざした拳で自身の胸を穿った少年の姿だった。
『お、オレの体が……っ』
実体の無い霊となった彼の体に干渉するには〝霊力〟と呼ばれる力が必要だ。人間なら誰しも持っている力だが、それを自在に扱えるのはほんの一握りしかいない。霊力を使い、人に仇なす悪霊を退治するスペシャリスト。それが。
『お、オマエ……ゴーストスイーパーかっ!』
少年はひらひらと手を振る。
「うんにゃ。ただの小喧しいお姫様の送迎係だ」
『ち、チクショオオオオオオオオオッ!』
胸に穿たれた孔が広がり、悪霊の体を二つに寸断した。断面から砂が崩れるようにさらさらと光の粒になって消滅する悪霊。断末魔の声を残し大気に雲散する。
店の従業員たちはその光景を呆然と見つめていた。
彼らの脳裏には激昂した悪霊が少年の体を引き裂く最悪の未来がよぎっていた。しかし結果はどうだ。中学生くらいにしか見えない幼い少年が、自分たち大人ですら手が出せなかった悪霊を瞬く間に消滅させてしまったのだ。
少年はそんな従業員たちの驚愕に気づいているのかいないのか、素知らぬ顔で買い物かごの中に商品を入れていく。そしてレジにやって来て、台の上にかごを置く。
「あ、会計お願いしまーす」
「い、いえ……どうぞそのまま、お持ちください」
店長が答える。顔が引き攣っている。まだうまく今までの状況が頭の中で整理出来ていないでいた。
「え、でも」
「いいんです。その、なんというか……お礼です。霊を退治してもらった」
「あ、そなの? なんかわるいね」
口ではそう言いつつもラッキーとばかりに足取り軽く買い物かごをサッカー台に持っていく。
「あ、袋もらってくよ」
レジ台の下から袋を一枚引き抜いて、商品をつめる。そして悠々とスーパーから出て行く少年。自動ドアが閉まる音が静かな店内に響く。
「ありがとうがざいましたー……」と条件反射でつい声を上げてしまうが、誰もが相も変わらずぽかんとした表情を浮かべている。
そのまま従業員全員が数秒ほど押し黙っていた。ゆっくり店内を見渡す。悪霊によって散らかされた大量の商品が床に散らばっている。あまりに劇的というか急転直下で終結してしまったため、さっきまでのさわぎがどこか夢心地に思えた。
店長が若い従業員に振り返り、困惑を隠せない表情で訊ねる。
「なんだったんだあの子?」
「さ、さあ?」
その従業員もわけが分からないというように答えた。
季節は夏。
むせるような濃い新緑の匂いと、身を焦がすような暑い日差しの下。
小学生くらいの少女が歩道の手すりに腰掛けていた。退屈そうに足をぶらぶらと揺らしている。
美しい面立ちの少女だ。パナマ帽の下からは狐色の髪の毛がのぞいている。真っ白なシャツに青色のジーンズといった涼しげな服装。陽炎に揺らぐ夏の大気の中でその美しい少女の姿はどこか幻じみていて、触れれば消えてしまいそうな儚ささえ感じられた。
「おーい、タマモ――っ」
少女――タマモが振り返る。道の向こうから少年が歩いてくる。ビニール袋を片手に、ゆらゆらと手を振っている。
少女は拗ねたようにため息をついた。
「おそいわよ、忠夫」
じと、と三白眼で睨みつける。
「へーへー、どうもすいませんねお姫様。どうぞご所望のつめたく冷えたジュースでごぜえます」
缶ジュース放り投げる。危なげなくキャッチするタマモ。ジュースの缶をじっと見つめてから。
「えー、アップルより、はちみつレモンがいいー」
「ねえよ。細かい文句言ってないでさっさと飲め」
プルタブを開けると、カシュッ、と涼しげな音が響く。缶を傾け、一気に飲み干し、渇いた喉を潤す。
「ぷはー、うっめえなぁ、おい」
「んぐんぐ、んー……、やっぱりどうせなら果汁百パーセントのほうがよかったわね」
「端からイチャモンつけるなオマエは……」
まあそれは置いておいて、と忠夫。
「やっと、目的地まで残り二十キロをきったな」
リュックから地図を取り出して広げる。目的地である人骨温泉郷には赤く丸がついており、そこにたどり着くまでのルートも赤く印がしてある。
「東京からここまでおよそ四百キロって所かしら。よくもまあ真夏に自転車でここまで来れたもんだと我が事ながら感心するわ」
タマモはちらりと傍らに止めてある自転車に目を向ける。それはホームセンターで売っているようなどこにでもありふれたママチャリだ。驚くことに、二人は三日かけてロードレーサーでもないただのママチャリで四百キロ近い道のりを走り通して来たのだ。
「我が事って、自転車漕いだのは全部俺だろうが」
胡乱な瞳をタマモに向ける忠夫。やれ速度が落ちているだの、やれ坂道もしっかり漕げだの、こいつは人をまるで馬車馬のようにあつかったのだ。
「マッピングしたのは私でしょ」
つんと澄ました顔でそんなことを言ってのける。
「どっちのほうが大変かなんて明白だろうが。体力使ってんのは俺だっつの」
「あんたに地図渡したら一年経ったって目的地にたどり着かないわよ」
「人を方向音痴みたいに言うな」
「紛うことなく方向音痴でしょうが」
顔をひっつけてにらみ合う二人。ぐいぐいと額でお互いの顔を押し合っている様は、カブトムシが角を突きつけあって相撲をとっているように見える。
それからしばらくして。
「……やめるか、暑いし」
「……そうね、暑いし」
東北地方とはいえ、夏が暑いのは当然だ。東京のようなじめっとした暑さでこそ無いが、照りつける強烈な日差しは容赦なく体力と気力を奪っていく。
降りそそぐ蝉の鳴き声を聞いていると余計に暑いと感じるのは不思議なものだと思う。
「さぁて、じゃあそろそろ行くか。あと二時間も走らせれば目的地に着くだろ」
自転車に跨る忠夫。
「あー、やっとちゃんとお風呂に入れてふかふかのお布団で眠れるのね」
感無量といったふうに呟くタマモ。
この三日間、ずっと野宿だったのだ。一日目は川の土手で、二日目は橋の下、三日目は寺の軒先。風呂は銭湯に一回入っただけだった。特に鼻が利くタマモにとっては風呂に入れないという事が我慢ならなかったらしく、道中文句垂れ続けていた。
――そもそもいくつか疑問がある。
幽霊やゴーストスイーパーとは。
兄妹に見えるような見えないようなこの二人の関係は一体なんなのか。
なぜたった二人で、それも自転車で、遠く離れた温泉郷に向かうのか。
それらを説明するためには、話を一週間ほど巻き戻すのが妥当だろう。
あらすじにも書いてありますが誤字・脱字・文法のおかしなところがあったらご指摘いただけるとうれしいです。