ヨコシマ・ぱにっく!   作:御伽草子

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【09】

 

 

 

 

 ――なんで、こんなことになってるのかしら?

 

 横島タマモは今、窮地に立たされていた。

 見渡す限りの人、人、人。

 周囲は異常な熱気にあふれていた。

 タマモは彼らの視線を一身に浴びていた。彼女が立っているのは青空の下に設けられた特設ステージのど真ん中だった。広さは学校の教室一つ分くらいはあるだろうか。地上から1.5メートルほどの高さの土台は地元の工業高の生徒の手作りらしく、客側から見えるステージの側面の部分に大きくその高校の名前が製作協力者として書かれていた。ステージの頭上には日よけのサンシェードが張られており、背後の書割はベニヤ板にひまわりなどの夏を象徴するようなものを描いた手作り感満際のものだった。

 視線。

 幾十、幾百もの好奇の視線を向けられているタマモは、圧力に押されるように思わず一歩引き下がった。視線が夏の紫外線のように容赦なく全身を貫いてくる。

 

 ――これじゃまるで見世物じゃない。

 

 いや、この催しの趣旨を考えるとまさに見世物そのものなのだ。

 情けないやら恥ずかしいやらで今すぐこの場を逃げ出したくなるが、そういうわけにもいかない事情がある。

 そもそもの話、タマモは自分の性格というものをよく分かっているつもりだ。群れることを嫌い、誰も彼にも心を開くわけではない。周囲を客観的に見つめ、俯瞰的に物事を判断するところは見ようによっては冷たい性格だと思われるところだ。例外はあるといえ基本的なスタンスは、どこに行ってもどんな状況でも対して変わることはない。自分からバカ騒ぎの輪に入ることはないし、むしろそんなバカ騒ぎを傍で見て小バカにするような性分だと思っている。

 それが、なぜ。

 

『さあ、御呂地杯美少女コンテスト。いよいよ最後のトリ、飛び入り参加の、横島タマモちゃんだー!』

 

 マイク越しの司会の声が響く。特設ステージの横断幕にはでかでかと『美少女コンテスト』の文字が躍っていた。

 

 ――なぜ、こんなことになってしまっているのか。

 

『ワァァァァァァァ――――――っ!』

 

 観客たちの歓声が周囲を埋め尽くす。突然現れたとびきりの美少女の登場に周囲のボルテージが上がる中、その当人であるタマモだけが死んだ魚のような目をしていた。花柄のサマードレスに麦藁帽子と言った服装で整った顔立ちと相俟って深窓の令嬢といった言葉がしっくりくる。しかし目だけが死んでいる。蝉の鳴き声や観客たちの歓声が耳鳴りのようにどこか遠くで聞こえていた。

 悪霊探しをしていたタマモがなぜ美少女コンテストなどというものに出ることになったかというと、話は二時間ほど前までさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【09】

 

 

 

 

 

 

 

 

 牧場から帰ってきたタマモは街を散策をしていた。

 悪霊がどこにいるかは分からない。可能性から言うと霊山である御呂地岳周辺がもっとも高い。しかし昨日の件もある。街に悪霊がでてきて、また人々に危害を及ぼす可能性が十二分にある以上、街での悪霊捜索もしなければならない。そのため御呂地岳での捜索は忠夫に任せ、タマモは街周辺の捜索をしていた。

 タマモがやってきたのは商店街だった。

 人通りは少ない。もっともそれは普段都会の商店街を歩いているタマモの感覚からするものであって、街の規模からすると十分多いといえる。行きかう人々は地元の住民が多いように思える。その理由として、学校が夏休みらしい小さな子供が集団で歩いていたり、買い物かごを手に提げた主婦が歩いているからだ。

 二車線の道路の両端に様々な店が立ち並び、色とりどりの幟旗が風に棚引いている様は壮観でさえあった。歩いているとふいに声がかけられた。

 

「おんや、あんた一人かい?」

 

 タマモが声のしたほうに振り向くと、そこに立っていたのは恰幅のいいおばさんだった。パーマをかけているらしいボリュームのあるふわふわした髪で、頭には迷彩柄のバンダナを巻いている。

 

 ――誰だったかしら?

 

 首をかしげるタマモ。この街に知り合いなどいるはずがない。ひょっとして小学生くらいの女の子が一人で歩いていることを不審に思ったおせっかいなおばさんかもしれない。

 

「ははは、急に声さかけられたもんだから驚いちまっただか。ほれ覚えてねえか、昨日ウチの食堂でメシさたらふく食っていたでねえか」

「あ」

 

 そういえば。

 どこかで見たことあるような気がしたら、昨日街についたばかりの忠夫とタマモの二人が入った食堂のおばさんだった。

 

「昨日はどうも」

 

 軽く会釈する。人なれしていないタマモの少しばかり無愛想な態度だったが、食堂のおばさんは気にすることなく快活に笑った。

 

「今日はあの若い兄ちゃんは一緒でねえだか? 昨日ごはんを七杯もおかわりした、えっらい気持ちいい食いっぷりの兄ちゃんは」

「は、ははは」

 

 昨日の忠夫の姿を思い出して羞恥で目を背けるタマモ。ご飯のおかわりが無料だからといって調子に乗って食べまくる姿は横で座っていて相当に恥ずかしかった。

 

「ちょっと今、別々に行動してから私一人だけ……です」

 

 使い慣れない敬語を使うタマモ。ここに忠夫がいればしゃちほこばったタマモの初々しい姿に腹を抱えて大爆笑していたかもしれない。いや、むしろ忠夫がいたら会話は忠夫に任せてタマモは忠夫の背中に隠れているかもしれない。人見知り、というとちょっと違うかもしれないが、タマモは基本的に初対面の相手に対しては結構な距離をとる傾向にあった。まるでなかなか人になつかない野良猫のようだ、というのはタマモを評した忠夫の言葉だった。

 食堂のおばさんは「あれま」と目を丸くした。

 

「こんなめんこい子さ、一人にするなんてしょうがない兄ちゃんだな。悪いやつに誘拐されっちまうかもしれねえのに」

「いや、私は大丈夫……です、から」

 

 一般人なら大人が複数で襲い掛かってきても返り討ちにする自身があるからこその言葉だ。しかし小学生くらいの外見のタマモがそう言っても普通の人なら、小さな子供が背伸びをしているだけの言葉に聞こえる。事実、このおばさんもそうだった。

 

「う~ん、とはいってもなぁ。お、そうだ、わたす今日食堂のほうが休みでちょうど暇してたからな、よかったらこの街案内してやるぞ」

「いえ、結構です」

 

 本当にいらない世話だった。目の前のおばさんが善意から言ってくれているのは分かる。タマモは色々あった、かつての経験から人の悪意というものに非常に敏感だ。そのタマモの勘が目の前の人物から微塵も悪意を感じられないのだから、本当に悪意はないのだろう。小さな子供が一人でいることを放っておけない面倒見のいい人なのだろう。

 個人的には人のそういった善意に触れられるのはうれしいことだったが、今回は状況が状況だ。凶悪かもしれない悪霊探しに霊力を扱えない普通の人たちを巻き込むことなど出来ようはずもない。

 しかしおばさんは豪快に笑いながら、タマモの肩をばんばんと叩いた。

 

「子供が遠慮するものでねえぞ、どれおばさんが昼メシでもおごってやるかな」

 

 ――人の話聞きなさいよ。

 

 そう言ってやりたかったが言えなかった。

 どうも自分はこういった純粋な善意で接してくる相手は苦手だと再認識した。

 まあ、それでも街の地理に疎いタマモにとっては渡りに船な申し出だ。このまま当てもなくさ迷うよりは、人が集まるような場所を教えてもって後は適当に理由をつけてこの人から離れればいいかと思った。

 食堂のおばさんは自分の名前をトシエと名乗った。

 トシエに引っ張られるまま街を案内されるタマモ。トシエは商店街にずいぶん顔が利くらしく、店の前を通りかかるたびに店員たちが話しかけてくる。やれ、景気はどうだい、や今日は仕事休みかい、この間生まれた子猫たちはどうしている、とか。私生活から仕事のことまでその内容は様々だが、トシエが商店街の人たちに一目置かれているということはよく分かった。

 

「さ、まずは腹ごしらえだ。ここの茶屋の団子はとってもうまいんだ。たんと食うといいだ」

 

 そう言ってトシエはニカっと笑った。人懐っこい笑いだった。タマモは先ほどまでトシエと親しげに会話をしていた商店街の人たちの顔を思い出す。なるほど、こういう子供のように屈託なく笑う人だからこそ、たくさんの人たちに慕われているのだな、と思った。

 

 ――もう少し、近づいてもいいかもしれない。

 

「ありがとう」

「お?」

 

 トシエは少し目を丸くした。それからうれしそうに、本当にうれしそうに声を上げて笑った。

 

「わっはっは、今までぶすぅとしてたから怒っているのかと思っただども、こんなふうにめんこい笑い見せてもらったら、もっとがんばって街を案内せねばな!」

「え、あ」

 

 思わず自分の頬を撫でるタマモ。

 

 ――笑っていた?

 

 自分でもそれは珍しいことだと思った。

 こんなふうに会って間もない相手に笑いかけるほど愛想のいい性格ではなかったはずだが。

 タマモはなんとなく気恥ずかしくなり頬をわずかに染めていた。

 視線を迷わせ周囲を見回してみる。

 目の前にはトシエにつれてこられた茶屋がある。左右に開かれた格子戸から覗く店内はやや薄暗いが落ち着いた風情の佇まいだ。店の脇にちょこんと置かれた鮮やかな朱色の野点傘に、緋毛氈をひいた縁台。時代劇なんかで旅人が立ち寄る峠の茶屋を様式美のままに再現したような概観の建物だ。

 縁台の上に座るとお茶が運ばれてきた。そのまま三色団子というのを注文する。

 トシエはお茶をすすりながらタマモに話を振ってきた。

 

「それで、タマモちゃんはどっから来たんだ?」

「東京からです」

「ほへー、東京からかい。親御さんと一緒にだか?」

「二人だけです」

「てことはあの食いっぷりのいい兄ちゃんと一緒にかい。バスとか電車で来ただか」

 

 ――いいえ、自転車です。

 

「…………」

 

 自転車。それもジャンクの部品をかき集めて作ったママチャリで数百キロの道を数日かけてやってきた。

 アホそのものである。

 

「タマモちゃん?」

「まあ、そんなものです」

 

 適当にはぐらかしておく。

 そこで注文していた団子がきた。串に刺さった三つの団子は上からそれぞれ、赤色、白色、緑色だった。緑はおそらく抹茶で、白は普通の団子、すると赤色はなんだろうか。

 タマモはトシエに顔を向ける。すると期待に満ちた視線でこちらを見ていた。早く食べて感想を聞かせてほしいと視線が語っていた。

 食べてみる。

 

 ――あ、おいしい……。

 

 噛むたびにほんのりとした甘さが口の中に広がっていく。スーパーなどで買う団子とはどこか違う。こういった情緒あふれる茶屋で食べるという事もおいしさの秘密の一つなのかもしれないが、なんというか、甘さに深みのようなものがある気がする。

 団子を口に入れて目を見開いたタマモの様子に、トシエはタマモがこの団子を気に入ってくれたのだということを確信した。イタズラが成功した子供のようににんまりと笑う。

 

「ははは、気に入ってくれたようでよかっただよ」

 

 トシエの言葉に、タマモは自分が一心不乱に団子を食べていたことに気づいた。

 

「この三食団子ってのはな本来は花見の時なんかに食べるものなんだ」

 

 気恥ずかしくなって黙りこくってしまったタマモニに、トシエは三色団子の由来を語りだした。

 

「赤は春をあらわす蕾、白は冬をあらわす白酒、緑は夏をあらわす草木。そこには秋がないから飽きないっていう言葉遊びだ」

 

 へー、とタマモは手にした団子を見ながら感心していた。今、自分の手の中にある団子は一番上の赤色の団子だけを食べてしまっている。つまり今の自分の団子には秋にくわえて春もない。夏と冬。暑い時期と寒い時期の両極端しかないことになってしまう。

 

「いやねえ、体壊しちゃいそうだわ」

 

 なんて益体も無いことを考えていた。

 そんなタマモの様子を見ていたトシエがまた声を上げて笑っていた。

 団子を食べた後、トシエに連れられて商店街を歩いていた。

 ちなみにここに来るまでに悪霊の気配はない。やっぱり街にはいないのか、とも思ったが、少しだけ気になることがあった。

 それはまるで匂いが風に乗って遠くまで運ばれるように、嫌な気配というか背筋がぞわりとするような感覚がどこかから漂ってきた。ほんの一瞬の違和感だったが、どうも気になる。違和感の発生源の場所までは特定できなかったので、今はこうやって歩き回ることしか出来ない。

 トシエに手を引かれて入ったのはこじんまりとしたみやげ物屋だった。

 地元の地産品を主に取り扱っている店のようで、デパートなどのみやげ物コーナーで見かけるようなおしゃれな包装紙のお菓子なんかはあまり見当たらない。その分の幅を取っているのは酒や漬物、熊の置物やこけしや掛け軸などだ。

 タマモの感性からするとシブイものばかりだった。

 タマモが何くれとなくあたりを見回していると。

 

「あい、ごめんくださいよ」

 

 一人の老女がみやげ物屋へ入ってきた。

 

「あ、ムロエさん」

 

 トシエはその老女とも知り合いらしい。

 ムロエと呼ばれた老女は、もう九十を超えているのではないかという老体だった。えびのように折れ曲がった腰に、手と顔に深い皺が刻まれている。唐草模様のモンペをはいており、背中には大きな風呂敷包みを背負っている。

 

「おんやぁ、どなただい?」

 

 ムロエは糸のように細い眼をトシエに向けた。トシエはそれに対して少し寂しそうな表情を浮かべてから、頭二つ分くらい低いムロエの顔に自分の目線を合わせた。

 

「トシエですよ。ト・シ・エ」

「あー、そうかい、トシエさんかい」

 

 うんうんと頷くムロエ。

 それから親しげに何事かを話していた。しかし話しているのはトシエのほうだけで、ムロエはというと本当に聞こえているのかいまいち要領を得ないような曖昧な感じでうなづいているだけだった。

 やがて、店の奥から店主らしき女性が出てきた。

 

「あら、ムロエさん。今日もありがとうございます」

「おーう、今日もぎょうさん持ってきたぞ」

 

 ムロエは背負っていた風呂敷包みをレジ台の上に広げた。

 

 ――こけし?

 

 中から出てきたのは大小さまざまのこけしだった。大きな丸い顔に円筒形の体。顔には目を細めて笑っている子供の顔が描かれている。体に描かれている絵は様々だ。花をあしらったものがあれば、そのまま和服を着ているようなものもある。

 

「わー、素敵。いつもありがとうなムロエさん」

 

 ムロエは店員の言葉に「うん」と一回頷いただけだった。

 

「ほいだらまた来るでの」

 

 そう言って、店から立ち去ろうとして。

 ふとタマモに目を留めた。

 

「おじょうちゃん、こけしは好きかいな?」

「……え、ええ」

 

 ふいに話を振られて、タマモはとっさに頷いた。

 

「じゃあこれやるだ」

 

 するとムロエはポケットから小さなこけしを取り出してタマモに渡してきた。

 受け取るタマモ。それは先ほどのこけしと同じようなデザインだった。胴体に描かれている絵は松竹梅。

 それからムロエは今度は振り返ることなく、店を立ち去っていった。

 ムロエの姿が見えなくなると、さっきまで笑顔で対応していた店員はため息をついた。

 

「まいっただなぁ、こんなにいっぱいこけしばっか持ってこられても売り切れねえだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 こけしというのは縁起物らしい。

 時に子供のおもちゃとして、時に神様への信仰の一つとして、東北地方で古くから作られてきたという。

 

「ムロエさん。最近痴呆がひどくなってきててな」

 

 ぽつぽつと歩きながら、トシエは先ほどのムロエについて話し始めた。

 元々小さな村にすぎなかったこの場所を一つの観光地とした立役者がムロエだという。

 戦争で旦那と子供を亡くしてからも彼女はずっとがんばり続けていた。男尊女卑の風潮が強かった次代に、女だてらに先陣を切って街を開拓するための指示を飛ばしていたムロエの姿はトシエの脳裏に深く焼きついているという。

 

「わたしはなずぅとあの人に憧れてここまで来ただ。厳つい男たちがみーんなムロエさんだけには一目置いていた。この人についていけば間違いない、この人ならきっとやってくれる。そんなふうに皆に信頼される不思議な魅力の人だ。今この街が人骨温泉郷なんて呼ばれているのもムロエさんのおかげだ」

 

 そして街が一つの観光地として確立して、遠方からもお客が来るようになってくると自分の役目は終わったとばかりに隠居して、ずっとこけしを作り続けているらしい。

 

「そんとき、私はなんだか悲しくなっちまってなあ。旦那と子供を亡くしているムロエだんにとってこけしを作り続けていることの意味は一体なんだろうって、考えるたびにどうしようもなくもの悲しい気持ちになっちまうだ。こけしを作り続けるムロエさんの姿がまるで何かに祈るように、ひたすら救いを求めるよう見えちまう」

 

 そう言ってトシエは力なく笑った。

 タマモはこけしを眺める。

 

「それは」

 

 こけしは笑っているはずなのに、どこか悲しげな表情に見えてしまう。

 

「それはきっと……」

「あーやめやめ、へんなこと言って悪かっただな」

 

 タマモの言葉を遮るように、トシエは明るい調子で言葉をかぶせてきた。タマモもそのときのトシエの気持ちを察してこれ以上言葉を続けることはしなかった。

 

「そういえば、タマモちゃん。今、そこの広場でイベントやっているらしいけれども出てみんか?」

「イベント?」

「ちょっとした大会だ。タマモちゃんなら優勝できるでねえか?」

「イヤよ、そんなの。見世物になる気はないわ」

「そっかそっか、じゃあしょうがねえだな」

「なによ、なんで笑っているの?」

 

 タマモが訝しんだように、トシエはなぜだか笑っていた。

 

「タマモちゃん。いつの間にか敬語がなくなっているだな」

「あ」

 

 今気づいたというように目を丸くするタマモ。トシエと話していくうちに少しずつ敬語が取れていったようだ。

 どうやらトシエはタマモが自分に心を許してくれたことがうれしくてたまらないらしい。

 

「こ、これは」

「これは?」

 

 言葉に詰まったタマモ。

 

「……知らない」

 

 追い詰められて視線をそらした。

 トシエは笑っている。本当によく笑う人だとタマモは思った。

 

「――――っ!?」

 

 タマモは弾かれたように視線をそちらに向けた。

 気配がする。

 霊の気配。それも飛び切りタチの悪いものだ。

 タマモの視線が向けられたのは、トシエが先ほどイベントをやっていると話した人ごみの向こうだった。

 確認したくてもあの人並みを抜けるのは容易なことではないだろう。

 

「タマモちゃん、どうしただ?」

「ちょっとお願いがあるんだけど……」

 

 タマモはトシエに頼んで肩車をしてもらった。タマモとしてはこれはだいぶ恥ずかしい行為なのだが、今回は状況が状況だから止むを得ない。

 男性を含めても見ても身長の高いトシエの肩に跨ると、人並みの向こうまで見渡せた。

 人々の頭の向こうにはステージのようなものがあった。

 目に異能の力を循環させる。

 

 ――視力を強化。

 

 神経などの感覚的なものの強化はタマモの得意とするところだった。

 見えた。

 ステージの中央。『優勝商品・副賞』と張り紙が書かれた台座の上に、それはあった。

 一見何の変哲もない壷だ。しかしそこから立ち上る気配は禍々しい。本当にタチが悪い。あれはおそらく呪いの類だ。おそらく、あれは。

 

「蠱毒、かしらね」

 

 蠱毒とは器の中に多数の虫を一緒くたに入れて互いに食い合わせ、最後に生き残った一匹を使って呪術を行うという呪いの手段だった。

 

 ――なんであんなものが優勝商品になってんのよ。

 

 忌々しげに舌打つタマモ。蠱毒なんて大概の場合、人を呪殺するためのものだ。

 その時、マイクを握った司会らしき男がちょうどその壷の説明をしているところだった。

 

『~~~というわけでして、これがその優勝商品の副賞である壷であります。なんと! この壷は何でも願いが叶うという伝説がありまして――』

「はあっ!?」

 

 その説明を聞いて仰天とした声を上げるタマモ。

 

「どうしただタマモちゃん。急に変な声だして」

「い、いえなんでもないわ」

 

 なんでも願いが叶う?

 なんだその冗談は。

 おそらく伝聞で伝えられるうちに本来の情報がゆがめられ、なんでも願いが叶う壷、なんてことになったのではないだろうか。なんでも願いが叶うというのは誇大な表現であるが間違っていない。ただ、願いをかなえるための手段が極めてブラックな手法だという話だ。しかしそれもちゃんとした霊能力者が正式な手順を踏んで、という前提条件がある。素人が下手に手を出そうものなら何が起こるかわからない。

 どちらにしろ。

 

「厄介ね」

 

 放っておくわけには行かないだろう。

 

「トシエさん。私ならこの大会に優勝できるかもっていったわね」

 

 そうトシエに訊ねるタマモ。優勝者に事情を話して壷を譲ってもらうという方法もなくはないが、見た目小学生のタマモがその壷は呪いの壷だから自分に渡せ、と言っても信じてくれるとは思えない。一番確実に手に入れるには自分がその壷を受け取る正式な権利を得ること、すなわち優勝するのが手っ取り早い。

 本当は面倒くさい。

 心底、面倒くさいが、これで誰かが死んだりした日には目覚めが悪いことこの上ない。

 トシエに頼んで大会へのエントリーを済ませたタマモ。後に悔やむことなのだが、これが悪かったと思う。自分でどんな大会なのかと確認しておけばよかったと後悔するのだ。 ただ、この時のタマモは。

 

 ――私なら優勝できる……。

 

 トシエの言葉を思い出して。

 はて、と首をかしげる。

 

「油揚げの味比べの大会とかかしら?」

 

 などと素っ頓狂なことを考えていた。

 こういう詰めを誤るところは忠夫に似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本当に。

 本当に、何でこんなことに……。

 周囲の視線にさらされながら、逃げることもできずタマモは内心で頭を抱えていた。

 5人の審査員の評価合計は100点満点中98点。相当の高評価だ。

 審査員と観客の前で何か特技をしろ、などと頭が中が真っ白のときに言われてとっさに反応できる人間が何人いるだろうか。そこでおろおろとしたり、何もできなかったりしたら審査の減点の対象になりかねない。

 だからタマモは考える暇もなく、やった。

 とっさに、考えもなく。

 やって……しまった。

 

「よ、よろしくお願いします、コン」

 

 ……語尾に、コン。

 コン、である。

 手首を内側に折り曲げて。

 しなを作って。

 語尾に、コン。

 結論だけ述べるなら。

 

 ――――死にたくなった。

 

 そもそも自分はこういうこと言うタイプだっただろうか。いやむしろ自分の人格ってどういうのだったかしら、とゲシュタルト崩壊が起きそうな思考を延々とめぐらせ、自分の今までの人生を振り返り始めたあたりで『98』という点数が出てきた。内心で審査員に「このロリコンどもめ」と罵りながらも、今はこの結果を素直に喜ぶことにした。

 これでやっと終われると思ったタマモ。今までの最高得点は確か96点だった。これで優勝――。

 

『では二次審査に進みます。』

「まだあるの!?」

 

 タマモの悲鳴じみた絶叫が上がった。

 もはやすでに心が折れそうだというのに、これ以上何をさせるつもりだ。

 

『第二次審査は水着審査です』

 

 会場の男たちから歓声が上がった。

 

「ここ山なのに水着に着替える必要ある!?」

 

 タマモからの当然の疑問だった。

 

『ミスコンといったら水着審査。異論は認めません』

 

 そうだそうだ、と野次が飛ぶ。

 男どものこの連帯感は一体なんだ。そもそも水着なんぞ持ってきていない。

 

 ――もう一切合財燃やしつくしてしまおうかしら。

 

 怒りが沸点を超えそうになり思考がかなり危ない方向に傾きかけたとき。

 異変が起きた。

 まるでトランポリンのようにタマモの体がステージから跳ねた。

 

「え」

 

 一瞬何が起きたか分からなかった。

 それが地震だと気づいたのは会場の人々が立っていられず地面に伏せっているところを見たときだ。

 会場中から悲鳴が上がった。

 揺れが収まるまでどれくらいかかったのだろうか。数秒かもしれないし数十秒かもしれない。縦揺れが横揺れに変わり、やがて揺れは止まった。

 体感にして震度7か8ほどだった。

 

『み、みなさん落ち着いてください。揺れは収まりました。落ち着いて!』

 

 ざわめく会場。何か一つでも弾みがあれば恐慌でも起きそうな張り詰めた会場を司会の男性が必死で落ち着くように声をかけた。

 

 ――しかし最悪のタイミングでその放送が流れることになる。

 

 街中のスピーカーから最初に聞こえたのはサイレンの音だった。

 

『ただいま、御呂地岳の噴火警報が発表されました。テレビ・ラジオの情報に注意し、避難してください。くりかえします……』

 

 噴火。

 その言葉に会場中の人々の視線が御呂地岳に向かう。

 近い。それこそ目の前に聳え立っているような山だ。それが噴火したとなると、この辺り一体は。

 火砕流に飲まれる。

 

「う」

 

 暴発は当然だった。

 

「うわあああああああ――――っ!」

 

 一人が逃げ出すと皆弾かれるように駆け出した。

 足音が地鳴りのように周囲に鳴り響く。

 

『お、落ち着いてください! 皆さん係員の誘導に従ってください』

 

 司会の男が叫ぶがそんなことお構いなしだ。一刻も早くここから離れようと会場はパニック状態だ。繰り返し流れる噴火警報のサイレンの音がよりいっそう焦燥感を煽っている。

 

 ――何が起こっているのよ。

 

 タマモは冷静に今の状況を分析しようとしていた。

 地震。それは分かった。

 噴火の危険性。それも分かった。

 しかし、なんだこの足元から立ち上ってくる気持ち悪さは。

 

 ――足元、地面の遥か下、地脈? まさか……っ。

 

 タマモは意識を集中して足元の気配をより鋭敏に捉えようとする。

 間違いない。これは。

 

「な、なによこの地脈の流れ、滅茶苦茶じゃない!」

 

 地脈とは地面の下を流れるこの星の血脈のようなものだ。今、この辺り一体の地脈の流れがミキサーにかけられたようにぐちゃぐちゃにかき回されている。

 こんなこと普通じゃありえない。

 なんらかの強大な力が介入しない限り、ありえることではない。更にタマモは意識を地脈の中に溶け込ませるように集中する。より感覚を鋭く、センサーのように。

 見つけた!

 地脈の流れに介入している大きな力。

 これは、神力?

 いや、そうだけど少し違和感がある。

 どこかで感じた気配が神力に入り混じっている。

 タマモはより鋭敏に感覚を研ぎ澄ませる。並みの霊能力者がタマモの行っていることを知ったら腰を抜かすかもしれない。地脈という自然の大いなる力を事細かに分析するなどとてつもない技術と設備が本来は必要だというのに。タマモはそれをたった一人で行っている。ありえない光景だった。

 しかしタマモにはそのありえないことを実行できるだけの力があった。より正確に言うなら〝適正〟とも言うべきものだ。

 それはタマモという存在そのものに関係することなのだが、それはこの場では割愛する。

 

「……そういうことっ」

 

 タマモは気づいた。

 その神力にタマモたちが追っている悪霊の気配が混じっていることを。もうだいぶ神力の中で交じり合い、だいぶ薄くなってきているが、神力の根源にあるのはあの悪霊の忌々しい気配はだった。

 それでもまだ状況としては分からない部分はある。

 なぜ悪霊が神の力を得ているのか、忠夫は一体どうしたのか、なぜ神の力を得た悪霊は火山を噴火させようとしているのか。

 

「タマモちゃん!」

 

 いつの間にかステージの袖までトシエがやって来ていた。

 

「何してるだ、ほら早く逃げるぞ!」

 

 トシエが手を差し出してくる。その表情には深い焦りの色が浮かんでいた。反面タマモは少しうれしくなった。それだけ焦っていても自分のことを気にかけてくれるということに。

 タマモはステージを降りて、トシエの手を握った。

 

「よし、行くぞ!」

「ええ、分かったわ」

 

 駆け出しながらタマモは背後に視線を向けた。

 ステージの上、すでにそこには司会の男もミスコンのほかの出場者の女性たちもいなくなっている。

 唯一つ、異変ともいうべきことが起こっている。

 壷が割れていた。

 蠱毒を閉じ込めた壷が粉々に、割れていた。地震の影響で床に叩きつけられたせいだ。

 割れた壷からおどろおどろしい黒い煙のようなものが立ち上っている。壷に封じられていた蠱毒だ。使いようによっては何十人もの人間を死に至らしめるような強力な呪いだ。それこそプロのゴーストスイーパーが本腰を入れて退治に乗り出さなければいけないような怨念の集約ともいえるおぞましい力。

 それが。

 一閃。

 タマモが中空に指を閃かせた。

 その瞬間。

 ごう、と蠱毒は突然現れた炎に巻かれた。

 一瞬の出来事だった。誰も気づかず、誰にも被害が出ないまま、蠱毒はタマモの手によって焼き尽くされた。

 プロのゴーストスイーパーでも手こずるような相手を、苦もなく葬ったタマモはそっと呟いた。

 

「悪く思わないでね」

「ん、タマモちゃん。何か言っただか?」

「いいえ、何も。それで、これからどうするの?」

 そう言いながらタマモの手を引いて走るトシエ。道行くほかの人たちも半場パニック状態でスピーカーから流れる避難所へと向かっている。

 さっきまであんなに穏やかだった街の景色が今はまるで戦時中でもあるかのようなあわただしさだ。あの緩やかに流れていた時間が壊されてしまったようで、タマモはひどく切ない気持ちになっていた。

 トシエは息を切らしながらタマモの質問に答えた。

 

「ムロエさんのところに行くだ」

「って、さっきのこけしのおばあちゃんよね」

「そうだ。ムロエさんは足を悪くしちまってるから、様子を見に行かねば。悪いけどちいっとばかり付き合ってくれるだか?」

「ええ、いいわよ」

 

 ――今はちょっと考えたいこともあるしね。

 

 タマモは御呂地岳へとその視線を向けた。

 おそらく全ての元凶である悪霊――いや今は悪神か、そいつはあそこにいる。御呂地岳には地脈の収束点である点穴がある場所だ。地脈を操るというならそこがもっとも効率よく操れる場所だろう。

 と、すると……。

 

「ムロエさん!」

 

 いつの間にやらムロエの家に着いていたようだ。タマモの思考はそこでいったん中断される。

 ムロエの家は普通の平屋建ての一軒家だった。

 ガラス戸をやや乱暴に開くトシエ。

 

「ムロエさん! まだ家の中にいるかー!」

 

 声をかけるが返事がない。

 

「いない、みたいね」

「ひょっとしてもう誰かが先に来てムロエさんを非難させてくれたんだろうか」

 

 そんなことを言い合っていると。

 

「おんや、そこにいるのは誰だ?」

 

 背後から声が聞こえた。

 

「む、ムロエさん! 何しているだ!?」

 

 振り返るとムロエが立っていた。相変わらずえびのように折れ曲がった腰。頭にはタオルを巻いており、クワを背負っている。

 

「なにって畑仕事だぁ」

「な、なに言っているだ! 今は早く……」

「わたすはどこにもいがね。たとえ御山の火に飲み込まれようとだ」

「え」

 

 トシエの困惑したような声が上がる。

 分かっている。ムロエは現状を理解したうえで、この街に残ろうと言っているのか。

 

「一体、なに言って――」

「わたすはな、この街を自分の子供のように思っている」

 

 その一言に、全てが込められていた。

 

「…………そうか」

 

 トシエが思い出すのは幼い頃に見たムロエの姿だった。いつだって全員の先陣を切って、街を開拓していった勇ましい姿。子供を一度失っているムロエにとって、二度目は耐え難いものがあるのだろう。

 ムロエはそれだけ言うと家の中へと入っていった。

 取り残されたトシエとタマモ。

 

「タマモちゃん、ちょっと先に行っててくれるか。兄ちゃんも探さないといけねえべさ」

「……あなたはどうするの?」

「ムロエさんのこと、もうちょっと説得してみるだ」

「一人で?」

 

 タマモが訊ねた。ムロエがそれに頷こうとしたとき。

 

「俺たちも一緒だ」

 

 そう言いながら現れたのは白髪の老人だった。その後ろにも何人ものお年寄りたちが立っていた。

 

「商店街のみんな……」

 

 皆、街にゆかりの深い商店街のお年寄りたちだ。

 

「俺たちもムロエさんには深い恩がある。放ってはおけないべ」

「それに俺たちにとってもこの街は子供みたいなもんだべさ。ほっぽって自分たちだけ逃げる気にはなんねえさ」

 

 彼らも全員、ここに残るという。皆、自分たちが開拓したこのまちにかける思いは並々ならぬものだった。

 そこにあるのは決意と覚悟。

 皆、最悪の場合はこの街と運命を共にする気だ。

 

 ――なら、わたしに出来ることは。

 

「トシエさん。私ちょっと行ってくるわ」

「そうだな、タマモちゃんは早く避難して――」

「そうじゃなくて」

 

 ――あいつならきっとあそこにいる。

 

 タマモが見つめるのは御呂地岳。そしてそこに向かっているはずの少年の姿だった。

 

「ちょっとバカの手伝いに、ね」

 

 保証も確証もない思いだったが。

 あいつはずぼらで大雑把な男だ。

 飄々としていてマイペース。

 だけど無駄にバイタリティーがあって。

 一度こうと決めたら最後までやり抜くど根性。

 あのバカなら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドオン!

 荒脛御呂地神は突然の爆発音にも動じることなく、前を見据えた。

 暗い洞窟の中。今までそこはただの岩の壁だった。しかし今、そこには大きな穴が開いていた。舞い上がる粉塵とその向こうに一人の少年が悠然とこちらに向かって歩いてくる。

 

「よう」

 

 横島忠夫。

 半日も立たないほど前に自分が殺したと思っていた少年である。

 しかし別段生きていたことに驚くわけではない。そういうこともあるだろう。些細なことだ。

 驚くべきことがあるとするなら、あれほど圧倒的な力を見せ付けられて尚、自分に立ち向かってくる蛮勇だろう。

 

「またお前か。よくよく命を無駄にするのが好きなのだな」

 

 小バカにしたように笑う御呂地神。何度挑んでこようが結果は同じだという思いだった。

 

「おキヌちゃんは無事なんだろうな?」

 

 静かに告げられた一言。

 忠夫の視線は地面に横たわったままのキヌに向けられていた。

 

「ああ、この女か。無事だともさ。俺が神力を扱うのに手こずったときの保険だったがな。曲がりなりにも何百年もの間、神力をその身に宿していた女だ。最悪、こいつの魂を贄にすれば地脈を乱して噴火を促すことはできる。そう思った」

 

 もっとも、と続ける。

 

「俺は神の力を自在に使えるようになった。だから、もうこの女は」

 

 ――必要ない。

 

 荒脛御呂地神が腰から銅剣を引き抜き、振り上げる。目掛けるのはキヌの首。たとえ幽霊であっても同じ霊体から繰り出される一撃は、生身の人間が受けたのと同様の効果がある。それで成仏できるなら救いはあるかもしれないが、最悪体をバラバラにされたまま成仏も出来ず永遠に苦しみ続けることになる。

 荒脛御呂地神の剣がキヌ目掛けて振り下ろされようとした瞬間。

 

 ――忠夫の拳が荒脛御呂地神のこめかみを打ち抜いた。

 

「は、が……っ?」

 

 荒脛御呂地神は何をされたのか分からなかった。

 箭疾歩。そこから繰り出される超スピードの一撃はすでに見切っていた。もちろん忠夫が箭疾歩を使って距離をつめ、キヌの首を落とそうとしていた自分に攻撃を加えてくることも予想していた。むしろそれが狙いだった。突っ込んできた忠夫を、振り上げた剣でそのままたたっ斬る。あの程度のスピード相手ならそれが十分可能だった。

 ……そのはずなのに。

 荒脛御呂地神はこめかみを打ち抜かれ、大きく後方に吹き飛ばされた。

 粉塵を撒き散らしながら、周囲の岩にぶつかりピンボールのようにはねる荒脛御呂地神を冷ややかに見据えながら、忠夫はキヌはそっと抱き起こした。ゆっくりと霊力を送り込むと、それが気付けになり、キヌはゆっくりと目を覚ました。

 

「よこ、しま……さん?」

「ああ、ごめんな。来るのが遅れた」

「……よかった」

「へ?」

「よかった」

 

 キヌはぽろぽろと涙をこぼしていた。

 

「私のせいで死んじゃったかと思いました」

「…………悪くない。おキヌちゃんは悪くないさ」

 

 ぎゅうっとしがみついくるキヌの頭をそっと撫でる忠夫。

 と、そこへ。

 尋常ならざる殺気が向けられた。

 

「立てるかいおキヌちゃん」

「は、はい」

「じゃあちょっと下がっていてくれ」

 

 キヌはまだ覚束ない様子で宙に浮くと、そのまま背後の岩壁へと隠れた。

 

「調子に」

 

 荒脛御呂地神。その声は激しい怒りに震えていた。

 

「調子にのるな!」

 

 洞窟内に吹き荒れる突風。

 岩壁に叩きつけられれば命などないだろう暴風の中を。

 

「があっ」

 

 再び箭疾歩からの一撃で顔面を穿たれのけぞる御呂地神。そこから忠夫の猛烈なラッシュ。掌底打ちから刀足蹴り、膝、肘のコンビネーション。左膝蹴りで御呂地神の顎を打ち上げ、無防備になった腹に今度は右回し蹴りを叩き込んだ。蹴り飛ばされ、岩壁に叩きつけられる。

 荒脛御呂地神がぶつかり、砕けた岩壁がその衝撃のすさまじさを語っていた。

 

 ――な、なんだコイツ……!?

 

 御呂地神は激しく困惑していた。

 忠夫から感じ取れるのは先ほどまでとは比べ物にならない圧倒的な霊格だった。

 このわずかな時間で別人とも思えるほどの霊力が上昇している。忠夫からほとばしる霊力が力強く洞窟内で渦を巻いていた。

 

「俺は確かに言ったぜ」

 

 正体不明の恐怖に頬に汗を滲ませる御呂地神。

 

「忘れたならもう一度言ってやる」

 

 忠夫は親指を下に向けて、歯をむき出して笑った。

 

「テメエは俺がぶっつぶす」

 

 

 

 

 

 

 

 

 横島忠夫なら最後はきっと何とかしてくれる。

 

 そう、思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 


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