ヨコシマ・ぱにっく!   作:御伽草子

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【10】

 

 

 

 

 

 

 ――八十年前、冬。

 

 深々と、雪が降り積もっていた。

 昨日から降り続いている雪によって、すでにどこが道か分からなくなっていた。それでも木々に覆われた細々とした隘路を歩けるのは目印があるからだ。木の枝にくくりつけられた赤い布は白雪の中によく映えた。布から布へと歩いていく。遠くで木の枝が折れて雪が落ちる音が聞こえた。それに驚いた山鳥が鳴き声を上げて雪空へと羽ばたいていった。

 吐いた息は白く凍えていた。

 藁で編んで作られた蓑を纏っていたが、凍みるような風の冷たさまではなかなか防いではくれない。頭にはほっかむりの上に編み笠、背負子を背負い、足にはかんじき。雪が降り頻る山道を歩くのは慣れているつもりだが、今日はいつも以上に雪が濃い。手を翳す。木綿の手袋の上に落ちてきた雪は一粒一粒が大きくて水分を含んでいた。これは着雪が厄介だ。なにより雪崩を引き起こしやすい。

 

「早く帰らねばな」

 

 今年で一三になる彼女は、病気で倒れ付している両親の変わりに山二つ超えたところにある町の市場に出向き、帰って来たところだった。越冬の準備のための物々交換をしてきたのだ。背負子には乾物などの保存食が積まれていた。

 もうじき村に帰り着く。木々が乱雑に立ち並ぶ代わり映えのしないような景色でも違いというのは分かるものだ。

 一歩一歩しっかりと踏みしめながら、白雪の上にかんじきのまん丸とした足跡をつけながら歩いていく。雪の上にひょっこりと丸い石頭が覗いているが目に入った。村の近くの山道でそっとたたずんでいる一体のお地蔵様だ。ここまで来たらもう半刻も歩けば村にたどり着くだろう。

 

「あ~、お地蔵様も寒そうにしてるだなぁ」

 

 雪に半分埋もれたお地蔵様を掘り出して、頭の上に積もった雪を払ってやる。ついでに自分がかぶっていた編み笠を頭にのせて、しっかりと顎紐もひっかけてやる。雪もこれで少しは防げるだろう。

 

「さ、これでいいべ。御伽噺みたいにお礼を持ってきてくれとはいわねえがら、おらを無事に村さ帰えしてくれよ」

 

 ぱんぱんと拍手を打つ。

 やわらかに微笑んでいるお地蔵様の顔も心なしかいつもより優しく笑っていた気がした。

 地面に下ろしていた背負子を背負いなおして再び歩き出す。良い事をしたという充足感でいくらか足取りも軽い。

しばらくすると、谷の合間にかかる吊橋が見えてきた。縄と板で組まれた吊橋は山奥にひっそりと存在する村へと続く道だ。この吊橋以外の経路となると、一度谷底まで下りて反対側の山に登る大回りの道しかない。そっちは大八車を引いていたり大荷物を持っていたりして吊橋を通るのが困難な時くらいしか通る機会のない道だ。

 吊橋の板と板の合間から、谷底が見える。わずかな風にも不安定に揺れる吊橋は、慣れていない者なら身が竦んで一歩も動けないだろう。しかし彼女にとっては幼い頃から幾度となく通っている吊橋だ。雪が降っていようが風が吹いていようが歩くのに必要以上の恐れなどない。ぎしぎしと左に右に揺れる吊橋。風が吹いているときは足を止めて、風がやむのを待つ。

 吊橋も半場まで差し掛かったとき。

 突風が吹いた。

 いっそう揺れの大きい橋の真ん中、雪の積もった板の上で、足が滑った。勾欄を掴んでいたため転倒することはなかったが、大きく多々良を踏んだ。

 バキ、と足元から渇いた音がした。

 

「わ、わわわっ!」

 

 板が腐っていたらしく、よろけた拍子に板を踏み抜いてしまった。ぐらりと上体が大きく揺れた。吊橋の中央に突然落とし穴が開いてしまったようなものだ。落とされる先は深い谷底。

 

 ――いかん!

 

 谷底に吸い込まれるように落下する体。

 しかし運が良かった。彼女の体一つなら足場になっている板と板の間から谷底へと落下してしまうところだったが、背負子がうまい具合に引っかかってくれたため落ちることはなかった。

 ほ、と息をつく。

 

「……しっかし、これどうしたもんだべか」

 

 それでも危険な状態であることに変わりはない。

 踏み抜いた足場があった橋の隙間から、腰から下が吊橋の下部から宙ぶらりんとぶら下がっている。自力で抜け出すことは出来なくはないが、一つの踏み板が腐っていたということは他の踏み板も腐っていると考えたほうがいいだろう。あまり過度な刺激は与えたくない、さもなくば今度こそ谷底へと落ちてしまうかもしれない。かといってあいも変わらず空からは雪が降り続けており、当分止みそうにない。このままジッとしていたら凍死してしまう。

 

「これはあんまりだべ、お地蔵様」

 

 先ほど親切にしたお地蔵様についつい恨み言の一つでも言いたくなってしまう。もう少しばかりご利益があってもいいんじゃなかろうか。

 

「あの……大丈夫?」

「へ?」

 

 突然声をかけられたことに驚いた。ここは人一人が通るのがやっとな幅の狭い橋の上だ。尚且つこんな大雪の日にそうそう人が通るとは思えない。

 そもそもだ。声は真横から聞こえた。吊橋の真横。すなわち足場も何もない、谷間からだ。恐る恐る声のしたほうを振り向く。

 するとそこに。

 女の子がいた。年の頃は一四、五といったところか。巫女装束を身に纏い、宙に浮いている。おまけに少女の周囲には鬼火が浮いていた。おどろおどろしさこそないが、それはまさしく……。

 

「あ、あああああ……」

 

 少女を指差した指先がぷるぷると震えていた。

 

「あの、どうしたん――」

「まさか幽霊だべか!?」

「え、あ、うん、そうだけど」

 

 にべも無く肯定された。

 

「ひ、ひええええええ――っ! おらの肝なんか食ってもうんまくねえぞっ! あっちいけ、あっち!」

「え、ええっ!? 幽霊はそもそも肝なんか食べないわ! 強いて言うなら人間の精気とか」

「精気!? やっぱり食うつもりか!」

「私は食べない! だ、だめ、そんなに暴れたら……っ」

 

 メキッ。

 じたばたと足を動かしているとその振動で踏み板が砕けた。彼女の体を支えていた、文字通りの生命線といえる踏み板が壊れた。

 

「ぎゃ、ぎゃああああ――っ」

「あぶな――い!」

 

 谷底へと落ちる、その寸でのところで幽霊がその手を掴んだ。

 ぱらぱらと砕けた板が谷底の暗闇の中へ吸い込まれるように消えていく。それをぞっとした想いで眺めてから、その視線を幽霊へと向けた。

 

「お、おい幽霊、どうしてわたすを助けてくれただ?」

 

 幽霊はその問いかけにちょっと困ったように眉を寄せた。

 

「どうしてと言われても……えっと、どうしてかな?」

 

 逆に問い返された始末だ。

 

 ――あ、この子は良い子だ。

 

 そう確信した。

 空をふわふわと蒲公英の綿毛のように浮くという稀有な体験をしつつ、村側の崖先へと運んでもらった。

 そして「驚かしてごめんね」と言って去ろうとする幽霊の背に声を投げかけた。

 

「ちょっと待った、あんた名前は?」

「え?」

「名前だ、名前。幽霊だって名前くらいあるだろ?」

「キヌ、だけど」

「そいじゃあ、おキヌちゃんて呼ぶな」

「あ、あの、私のこと怖かったんじゃないの?」

 

 そう言って首をコテンとかしげるキヌ。その仕草がまるで小動物のように可愛らしくて、つい噴出してしまう。たしかに幽霊には違いないが、これを怖がれというのは些か無理がある。

 

「ぷ、くくく……っ」

「え、なんで笑われているの」

「いや御免、なんでもねえべ。それと命の恩人を邪険にするような不義理なことなんてしねえだ。わたすはムロエっていうだ、よろしくなおキヌちゃん」

 

 差し出した手を、キヌはちょっと驚いたように目を丸くしてから、戸惑いがちにおずおずとその手を握り返してきた。

 

 ――それが後に村を温泉郷として栄えさせたムロエと、幽霊の少女キヌとの始めての出会いだった。

 

 そして、この二人の奇妙な友人関係はここから始まることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【10】

 

 

 

 

 

 

 

 

「いけ!」

 

 荒脛御呂地神が手を翳すと、岸壁の間から這い出てきた木の蔓のようなものが鞭のように忠夫に襲い掛かる。

 四方八方から襲い掛かる鞭を避ける忠夫。その動きは後ろどころか体中に目がついているのではないかと思えるほど、死角からの攻撃でさえ完全に捉えている動きだった。

 

「おぉぉぉぉぉぉぉ――――――っ!

 

 霊力を纏った拳が荒脛御呂地神を殴り飛ばした。

 

「ぐ、がぁっ」

 

 殴られた頬を押さえながら御呂地神は戦慄していた。

 なぜだ。

 なぜこの人間の力は神たるこの身を脅かすのだ。

 わけが分からなかった。確かに今の自分の力は、霊だった頃とは比べ物にならないほど向上している。自然を操る超常の力はまさに天変地異そのもの。ただの人間の力など炉辺の石のように簡単に蹴散らせるはずだ。

 それ、なのに。

 

「なんで自分がぶっとばされてんのか分からねえってツラだな」

 

 く、と荒脛御呂地神が息を呑んだ。

 さらに追撃を加える忠夫。彼の扱う格闘技全般は師匠直伝のものだ。師曰く、自分は斉天大聖孫悟空の直弟子などとのたまっていたが真偽のほどは定かでない。

 忠夫は攻撃の手を緩めず、語り始める。

 

「人間、霊、神、魔。それぞれその身に蓄えられる力は大きく違うもんさ。人間と神じゃあどうしたって覆せねえほどの力の差がある」

「それなら、なぜだ……!」

「おいおい、自分で考えずに人に答えを聞いてばっかじゃあテストじゃ0点だぜ?」

 

 学校のテストで0点及び赤点の常習者が自分のことを棚にあげて、そんなことをのたまった。

 

「曲がりなりにも山の神になったお前の力の器は霊だった頃に比べて格段にでかくなっている。だけど霊から神に昇格したって器の中身まで一気に満たされるわけじゃねえ」

 

 例えばコップ一杯が水が霊の器と中身だとして、そこにいくら水を注ごうとしてもそれ以上は入らない。だが神族や魔族の器というのは大きさの桁が違う。それこそバスタブやプールくらいの容量がある。そこに力って水が並々と満たされれば、人間なぞ物量だけで押し切れるだろう。

 

「お前気づいているか、今のお前の器の中には、力なんてほとんど残ってねえって事によ」

「……っ」

 

 ハッとそれに気づく荒脛御呂地神。

 確かにそうかもしれない。霊の頃に比べて力をとどめておける器が比べ物にならないくらい広がったのを感じた。それに伴い一度に引き出せる力も大きく上昇した。だが器のほうにばかり気をとられていたが中身のほうはどうだ。神になった瞬間に感じた、自分の中で荒れ狂う轟々たる力のうねり。それが今はずいぶん弱弱しくなっている。

 

「今頃気づいたみてえだな。いくら器がでかくなったってそこに力が満たされなきゃ意味がねえ」

 

 今の荒脛御呂地神は例えるなら霊の頃に満たされていたコップ一杯の水を、プールの中に注ぎ変えただけの状態なのだ。

 おまけに、地脈の操作なんぞという大それた力を使っているのだ。いくら力の補充に適した霊穴の上にいるとて、力の消費は著しく大きい。

 

「いくら一度に引き出せる力が大きくなったって、引き出すための中身がそもそも無いんじゃあ話になんねえんだ、よ!」

「ぬ、ぐぅっ!」

 

 右、左と繰り出した拳を、交差させた腕でガードされたとみるや、脊椎反射でもしているのかと思うような素早さで頭突きを見舞う。鼻の下――人中に頭突きをぶち込まれた荒脛御呂地神は大きくのけぞり、一瞬意識を白濁させた。荒脛御呂地神は追撃が来ることを予想して反撃を仕掛ける。バックステップで距離をとることも出来たがそれは悪手だ。箭疾歩という高速の一撃を繰り出せる忠夫にとって、間合いはそれほど意味を持たない。

 風を切り裂く銅剣の突き。

 鳩尾に向かって矢のように放たれた刺突を忠夫は手の甲で弾いた。一瞬の隙を見極める集中力と、厳しい修行の中で培われた動体視力と反射神経の成せる業だ。

 神とて近接格闘の技術では素人同然。忠夫に分があった。

 忠夫はそこから一歩踏み込むと同時に、全体重を乗せた一撃――背中から相手を押し出すようにぶつかる、八極拳でいうところの鉄山靠をもって荒脛御呂地神を大きく吹き飛ばした。放電したように弾けた霊力がその一撃に込められた霊的破壊力を物語っている。

 

「ぐがぁ、はっ」

 

 吹き飛ばされ、膝をつく御呂地神。猛烈なラッシュにかなりのダメージが蓄積されていた。そして最後に放たれた鉄山靠は並みの悪霊や妖怪なら一撃で消し飛ぶほどの力が込められていた。

 

 ――強い。

 

 荒脛御呂地神はそれを痛感していた。

 侮っていた。

 荒脛御呂地神自身の力が枯渇寸前という事もあるが、敵対する忠夫の霊力も前に相対した時とは比べ物にならないほど上昇している。理由は分からない。ただその二つの要素が重なり自分を打ち滅ぼさんと敵意を持って追い詰めてきている。

 

 ――やむをえない。

 

 撤退。

 荒脛御呂地神が選択するのは〝逃げ〟の一手だ。

 霊穴から離れると地脈の操作に支障をきたすが、致し方ない。もはや火山の噴火は目前まで迫っている。放っておいてもまもなく周辺の町や村は火砕流に飲み込まれるだろう。

 目的は果たされたと言っていい。

 

「……口惜しいが君の言うとおりのようだよ。たしかに今この身には力がほとんど残っていない。だからここは退かせてもらう」

 

 荒脛御呂地神が下から上に腕を振り上げる動作をする。ぐらりと地面が大きく揺れ、地面に大きな亀裂が生まれた。

 

「あん?」

 

 忠夫は足元に亀裂が走るのを訝しげに見つめた。亀裂の奥から音が聞こえる。ヤカンの吹き出し口から水蒸気が迸る音に似ている。

 ふわりと前髪が揺れた。

 ここは洞窟の奥深くで風など吹こうはずもない。熱気を伴った風は足元の亀裂から吹いてくる。

 

「――げっ」

 

 とっさにその場から飛びのく。一瞬遅れて亀裂から間欠泉が噴出した。噴火間際の御呂地岳の地熱によって熱せられた地下水が数百度という高温で勢い激しく立ち上ってくる。

 

「横島さん!」

 

 キヌは岩陰から身を乗り出して忠夫の安否を確認しようとする。

 洞窟内に吹きすさぶ熱風と水蒸気によって視認はできないが声が聞こえた。

 

「あちちちちっ、てめえこの往生際が悪いぞ!」

 

 降りかかる熱湯からちょこまかと逃げ回りながら罵声を飛ばす忠夫。

 荒脛御呂地神はこれが好機と、湯煙にまぎれてその洞窟から退避しようとする。霊体であるその体なら洞窟の壁をすり抜け、外に出ることなど造作も無いことだった。

 しかし。

 

「そうは問屋が下ろさねえってんだ! じいさん!」

「おうともさ!」

 

 忠夫の誰何の声に、まるで祭りの掛け声のように威勢の良い返事が返ってきた。

 バチバチと洞窟の壁に紫電が走る。それはまるで洞窟中に無数に枝分かれする血脈が走るような光景だった。

 

 ――なんだ?

 

 突然の出来事に警戒の色を滲ませながら、荒脛御呂地神はそのまま洞窟の壁をすり抜けようとするが、出来なかった。霊体であれば物理的な干渉は受けないはずなのに、壁を通り抜けることが出来ない。

 

「てめえが逃げ出すことも想定の内なんだよ」

 

 徐々に勢いが収まる間欠泉の水しぶきの向こうで忠夫の影が揺らめいた。

 ごきごきと拳を鳴らせながら、歯をむき出しにして獰猛に笑っていた。そして忠夫の横には、もう一つの人影があった。

 

 ――美木原。

 

 和服にサングラスと言った奇抜な出立ちの老ゴーストスイーパーだ。しかしなんだか様子が可笑しい。ゆらりゆらりと大きく上体を揺らしながら肩で風を切って歩いている。それは出来の悪いマリオネットが不恰好に歩かされているようだ。動きだけを見ていると何がしたいのかいまいち分からない。しかしその憤怒に煮えたぎった表情を見れば、それが怒りのあまり落ち着いたスムーズな動きが出来ていないのだというのがよく分かった。

 

「こんのどぐされが、あ、おぉ? てめ、よくも、やってくれったな、ちょっとツラかせや、ああん? ちょ、ちょっちょま、、ぜ、あ、どつくぞっ、ごらぁぁっ!」

 

 何をさっぱり言っているのか分からない。言語中枢がバーストを起こしている。

 とにかく怒っているというニュアンスだけはなんとなく伝わった。

 忠夫は横で見得を切ってがなりたてている美木原を親指で指差し、こう言った。

 

「見ろこのジジイの姿を。お前に飼い猫を盾にされたのが相当ご立腹らしく、今すぐにお前を八つ裂きにして鳥のえさにしてやりてえんだと」

 

 ……内容はまるでマフィアの報復行為だった。

 忠夫と美木原が合流したのはこの洞窟に忠夫が突入するつい直前のことだった。忠夫とは別ルートで御呂地岳を再び登ってきた美木原は復讐に燃えていた。まだ悪霊と呼ばれていた頃の荒脛御呂地神に飼い猫であるオセロを盾にされたため、言いなりになるがままキヌの中に眠っていた神の力をヤツに譲渡してしまった。それによって周辺の街や人々が噴火という脅威にさらされているのだ。なんとしても荒脛御呂地神を止めねばならない。例え自身の命と引き換えにしても、だ。それにくわえ、ヤツには大きなかりがあった。オセロという自分にとっては家族であり本当の息子のように可愛がっていた飼い猫を傷つけられた恨みだ。取り憑かれていたオセロは衰弱してしまっていた。命に別状こそ無かったが、弱弱しく地面に横たわっていたオセロの姿を思い出すたび心臓が凍り付いてしまったかのような息苦しさを覚える。横たわったままのオセロが自分に言うのだ。

 

 ――パパ、僕の敵をとって。

 

 無論幻聴である。

 

 ――おう、やってやるともさ!

 

 弱ったオセロを自らが形代で作った式神に安全な場所まで運ばせ、家族を傷つけたあんちくしょうを地獄に叩き落すべく霊波をたどって洞窟の前までやってきたところで忠夫と合流した。

 これはお互いの出来ることとなすべきことを確認した上での共闘。

 洞窟の壁に手をついたまま固まっている荒脛御呂地神を見据えたまま、忠夫は種明かしを始めた。

 

「このじいさんは俺とは正反対で、霊に対する直接的な攻撃よりも結界なんかの技術的な力が得意なんだと。だから俺がお前をぶちのめしているうちに、いざってときにお前が逃げられないようにひっそりと洞窟に潜伏して結界を張るための準備をしていたのさ」

 

 ――結界。

 

 そうか、これは結界か!

 荒脛御呂地神はこの洞窟全体を覆う違和感の正体に気づいた。

 

「だぼらぁっ! ちょっちょまぁ!」

「落ち着けじいさん。さっきからちょいちょい言ってる〝ちょっちょま〟ってなんだ?」

 

 今にも敵に飛び掛りそうな美木原をどうどうとなだめる。

 忠夫が荒脛御呂地神に向かって一歩踏み出す。

 

「答えな。なんで噴火なんぞを起こそうとするんだ」

 

 お前の目的は一体なんだ、と詰問する。

 

「……言ってどうなるというんだ?」

「別に。言いたくないってんなら別にいいぜ」

 

 それなら問答無用で退治するだけだ。

 戦意を滾らせ、拳を握り締めて更に一歩踏み出す。

 

 

 許せなかった。

 

 

「あ?」

 

 何事かを呟いた荒脛御呂地神。

 忠夫は歩みを止めて訝しげに問い返した。

 

「許せなかった。街の連中やそこにやってくる観光客どもが」

「許せねえ、だ? 一体お前どんな未練を残してこの世に残ってたんだ?」

 

 荒脛御呂地神は苦々しい思い出だとばかりに顔を歪ませながら答えた。

 

「400年前。それが私の生きていた時代だ」

「400年前? あー、うん、そうだあれだ…………鎌倉時代くらい?」

「全然違うわバカモノ。安土桃山時代、慶弔の頃じゃ」

「いや知ってから。その……ボケてみただけだから。あれだろ、えっと……ノブナガ?」

「考えて思いついたのが織田信長だけか。ゴーストスイーパーを目指すなら最低限の歴史くらい知っておいたほうがいいぞ」

「うっせ。目の前の霊ぶんなぐればそれで解決だろが。つうか何時の間にちょっちょまから人間に復帰したんだよじいさん」

 

 いつのまにやら正気を取り戻したらしい美木原が鷹揚に腕組みをして忠夫の横でふんぞり返っていた。美木原はふん、と面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「ちょっちょま言うな。なに、ちょいとあやつがここまで大それたことをした動機とやらに興味があってな。さて、聞かせてもらおうではないか」

 

 サングラスの奥の瞳が怜悧な鋭さを帯びて、荒脛御呂地神に問いかける。

 とてもさっきまで、ちょっちょま言ってたのと同一人物だと思えない。

 

「元々は……!」

 

 激したように感情を吐露する荒脛御呂地神。

 

 

 

「元々はここにある温泉は俺が掘り当てたものだったんだ!」

 

 

 

「は?」

「へ?」

 

 突然何を言い出すかと思えば、本当に何を言い出した?

 想定外の角度から飛んできた話のジャブに、素っ頓狂な声を上げる忠夫と美木原。荒脛御呂地神はまるで慟哭するように頭を振り乱しながら叫んだ。ついでに地が出ているのか自称も私から俺に戻っている。

 

「ここにある温泉の全ては俺が掘り当てたものだったんだ。それなのに……それなのに!」

「ヘイ、ちょっと待て」

 

 と、忠夫が話しに待ったをかける。無表情だ。

 美木原が問いかける。こちらも無表情だった。

 

「話を推論するに、だ。お主はひょっとして、まさかと思うが、自分が掘り当てた温泉に他人が入っているのが気に入らない……と?」

「そうだ」

 

 胸を張って俯く荒脛御呂地神。

 美木原の推論を忠夫が続ける。ぷるぷる震える指先を荒脛御呂地神に向ける。

 

「で、だ。おまえひょっとして、いっそのこと火山を噴火させちまえば他の人間はいなくなるし温泉独り占めできてハッピー♪ とかいうのが今回の騒動起こした発端じゃねえだろうな?」

「はっぴー、とやらが何かは分からないが、まあそんな感じだ」

 

 そんな感じらしい。

 

 ――鳴動する地盤に今まさに噴火しようとする御呂地岳。古来より人は自然の猛威と戦ってきた。気まぐれに巻き起こる天災によってたくさんの人たちが命を飲み込まれ、たくさんの人たちの心に消えることの無い傷を刻み付けてきた。幾星霜と繰り返されてきた自然の猛威。地震、豪雨、津波、雪崩、土砂崩れ、そして火山の噴火。現代にも山岳信仰というものがあるように、遥か昔より山は崇拝の対象であった。山が噴火した時は、山の神がお怒りだといって生贄を捧げる風習もあったほどだ。そして今まさに神の怒りによって起ころうとしている火山の噴火。しかし大災害を引き起こそうとしている山の神の怒りの理由が。

 

 ……そんな感じらしい。

 

 まさかと思ったバカバカしい推論を肯定されたことにぽかんと口を開ける忠夫と美木原。

 呆然として、ぶるぶると瘧の様に震え。

 それから。

 

「「しょ……っ」」

 

 喉の奥から迸る想い。

 

 

 

「「しょうもねえええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――――っ!!」」

 

 

 

 それは心の底からの絶叫だった。

 脱力感で膝から崩れ落ちそうになる体を必死に奮い立たせる美木原。

 

「つまりは何か、温泉に他の人間入らせたくないという狭量でひねくれた、みみっちい理由が騒動の原因じゃというのか?」

「狭量? みみっちい? くっくっく……しょせん俗人には神たる私の高尚な想いは理解できまいて。はーっはっはっはっは!」

「やかましいわ! いまさら貫禄つけて笑ったって威厳もへったくれもねえんだよ!」

 

 脱力感で腰砕けに倒れそうになったのを気力でこらえた忠夫が怒声を飛ばす。

 

「ふん、温泉を掘り当てた私を崇め奉りもしない厚顔無恥な輩に分けてやる温泉などない」

「何様じゃ、このうすらとんかち!?」

「神様だ。そもそも俺が温泉を掘り当てた喜びのあまり飛び跳ねていたら足を滑らせすっ転んで死んだのをいいことに、あの悪逆非道な村の連中は横からのうのうと現れて俺の温泉を横取りしおってからに!」

「純然たるバカかお前は!?」

 

 この火山地帯ならどこ掘っても温泉は出ると思う。自分の土地でもないのに、最初に見つけたからって独占権を主張するのはお門違いも甚だしい。

 

「尚且つだ! 未練を残した俺が霊となった後、温泉を盗られた腹いせにちょっとばかり村中の人間が苦しみもがきますように願いを込めて祟ったら、旅の道士に俺を洞窟の奥底に封じるなどという不当な扱い!」

「当然じゃ、ボケぇっ!」

「つい先日の地震によって洞窟の一部が崩落した。そのおかげで封印が破れてくれなければ、俺は今も眠ったままだった」

「未来永劫眠ってりゃよかったのに――ん、地震?」

 

 地震といって思い出すのは昨日の夜に出会った猿の霊達だ。そういえば彼らも地震による被害で命を落としたのだ。

 

「とにかくだ!」

 

 荒脛御呂地神が吼える。

 

「ここの温泉は俺の物だ! それを後から来た連中が好き勝手に弄繰り回した。今のこの土地の惨状はどうだ! わけの分からん建物ばかりどかどかと建てやがって、人が掘った温泉を金儲けの道具にしておいて人々が笑顔になる街づくりだと? たわけたことをぬかしおって!」

 

 ――人々が笑顔になる街づくり。

 

 それは街の入り口のアーチに掲げられていたスローガンだった。

 

 

 

「勝手なこと言わないでください!」

 

 

 

 凛とした声が洞窟に響いた。

 

「……おキヌちゃん?」

 

 普段の彼女からは考えられない声量と鋭い叫び声。驚いた忠夫が振り向くと、今まで岩陰に隠れていたキヌが岩の上に浮きながら肩をこわばらせていた。彼女はキッと鋭い目線で荒脛御呂地神を睨みつけている。

 えも言われぬ迫力に、荒脛御呂地神はキヌの瞳から目を離せなくなった。それは強い意志のこもった瞳だった。

 

「あなたは何も知らないじゃないですか」

 

 キヌの声色には相手を攻め立てるような強い響きが込められていた。

 

「この街をつくった人たちが、どんな想いで、どんな苦労をしながら、どれだけの時間をかけてこの街をつくったのか知らないくせに」

 キヌはぎゅっと拳を握りこんだ。

 

 

 

 キヌは知っていた。

 ずっとそばで見てきたから。

 大切な……。

 大切な、友達の後姿。

 だからこそ許せなかった。友達の想いを踏みにじるような言葉が。

 ――温泉が金儲けの道具。

 そう言われたことが、許せなかった。

 ――人々が笑顔になる街づくり。

 その願いを馬鹿にされたことが許せなかった。

 

 

 

 ありったけの想いをぶつけるように、力を振り絞るように強くまぶたを閉じて。

 

「それなのに、勝手なこと言わないで!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女と一緒にいた時間はキヌが過ごしてきた三百年の時の流れの中からすると、本当に、ほんのわずかな時間だったけれど。

 それはとても小さくて、とても大きな。

 色あせずに輝く大切な思い出だった。

 

 

 

 

 

 

 

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