――勝手なこと言わないで!
そう叫んだキヌの瞳は涙にぬれていた。
大切なものを踏みにじられた気がした。宝物につばを吐きかけられたような怒りと悲しさを感じていた。
「ひっく……」
嗚咽が零れる。
悔しい。
大切なものを馬鹿にされたことも、泣いているところをその相手に見られてしまったことも、悔しくてしょうがなかった。
それでもキヌは、言わなければならない。
これだけは。
彼女の矜持のために、絶対に言っておかねばならない。
「私は神様になれなかった」
三百年、地縛霊として過ごしてきた。神様になることはおろか、成仏すらできなかった自分。
移り変わる自然と時代の中にずっと取り残されていた。見ることは出来た。聞くことも出来たし、触ることだって出来た。
でも。
――感じることだけは出来なかった。
春の温かな日差しの中で咲き乱れる花々の匂いを感じることは出来なかった。
夏のひりつくような暑さに汗を流すことは出来なかった。
秋の紅葉した山景色を眺めることは山を吹き抜ける風を感じることは出来なかった。
冬の雪の冷たさに震えることだって出来なかった。
感じることが出来ないというのは、徐々に心を殺す毒だ。そこに立っている実感すら喪失させ、世界に自分一人だけが取り残されてしまう。
何のために存在しているのか。
いくら自問しても答えはでない。
「それでも、がんばっている人たちを見るのは心が暖かくなった」
思い出すのはとある女性の姿。凛とした頼もしい背中で皆を引っ張って街を、未来を切り開いていったそのまばゆいばかりの瞬間瞬間をしかと踏みしめて歩んでいた人の姿。
彼女がどれだけの人たちと夢と未来を背負って生きていたか、キヌは知っていた。
だからこそ許せなかった。
――人々が笑顔になる街づくり。
それはどこにでもありふれた陳腐な言葉かもしれない。例えば小さな町役場の入り口で錆付いたような看板に色あせた字で書かれた、誰も気にも留めず通り過ぎるような無意味な言葉かもしれない。
でもその言葉にはたくさんの人々の願いが込められていた。
ずっと昔。街が村であり、まだ未開の森だった頃。桑や鎌を持ち少しずつ人の住める場所にと開拓していた先人たちの想い。自分が雨露をしのげる家を作るために開墾した土地。自分の子供が食べるものに困らなくなるための畑を作った。その子供が大人になったとき、自分の子供が飢える事のないように、食べ物にあふれる山へ安全に行くための道を切り開いた。そうやって少しずつ人の住める土地は大きくなり、人と人との結びつきも大きくなって行った。
親から子へと脈々と受け継がれてきた想い。それをキヌは間近で見てきた。
そして、すごくあこがれていた。
「だから、それをそんな暖かな人たちが作った街を壊そうとするのだけは絶対に許せない!」
これだけは絶対に言っておかねばならなかった。
例え、相手が神であろうと。
例え、どこのどんな人たちがそれを許容しても。
自分だけは決して許さない。
膝をつかない。
頭をたれない。
神様になったって、全てが思い通りに行くとは思わないで。
「この想いだけは決して曲げません」
キッと荒脛御呂地神を見据えたキヌ。
「だ、だからなんだというのだ!」
荒脛御呂地神はキヌを睨み返した。
「知ったことか! 俺が知ったことか……たとえなんと言われようとも今更止めるわけが無かろうが。もうじき街は噴火に飲み込まれる。これは決定事項だ――がはっ」
「オーケー、もうしゃべんな」
忠夫の拳によって荒脛御呂地神は黙らされた。拳骨をするように打ち下ろされた拳によって脳天を打ち抜かれ、地面に頭から突っ込んだ。
「おキヌちゃん」
「……は、はい」
キヌは涙声で忠夫に返した。
お前にはもはや何も出来ないと言われたようで悔しかった。しかし。
「大丈夫だ」
忠夫の言葉に「え?」と口をぽっかりと開けた。
「心配すんな。噴火は起こさせない」
「……は、何を言うかと思えば! もはや噴火は目前まで迫っている。もはや地脈の流れを正常に戻したとしても破裂寸前の火山はどうしようも――ふがっ!」
「しゃべんな、つってんだろうが」
地面から頭を引っこ抜いて、言葉を上げた荒脛御呂地神の頭を踏み抜いて再び黙らせる。
それからもう一度キヌに向き直った。
「誰にも馬鹿になんてさせねえし、無駄にもさせねえ。おキヌちゃんの想いは俺が代わりに守る」
だから。
「ほら、泣く必要なんてないだろ」
手でキヌの涙を拭う。
キヌはほろほろと涙をこぼした。悔しくて流していた涙は暖かなものへと変わっていた。
「はい……っ」
おキヌは大きく俯いた。
「よし……おーいじいさん準備はいいかー!」
「おう、ばっちりだ」
忠夫が美木原に声をかけると、美木原は忠夫に向かって親指を立ててサムズアップ。いい笑顔だ。
美木原の足元には大きな穴が開いていた。
ただの穴ではない。その奥からは青白い光が立ち上っている。
それは地脈の中心へとつながる穴だ。もとよりこの洞窟にあった窪みのような小さな穴を地脈にアクセスできるように霊力によるトンネルを通したものだ。
「よし、じゃあ噴火を止めるとしましょうかね」
そう言って、忠夫はその穴に向かって歩いていく。その手に荒脛御呂地神の頭を掴んで、だ。
「ちょ、ちょっと待て、何をするつもりだ!」
ずるずると引きずられながら困惑気味に声を荒げる荒脛御呂地神。
忠夫は「ああん?」と毛虫でも見るような冷ややかな視線を荒脛御呂地神に向けた。
「んなの決まってんだろうが。自分のやったことの責任は自分でとってもらうぜ」
「ど、どういうことだ?」
「むかしっから噴火を収めるためにどうするか、ってのは相場が決まってんだろうが」
「ま、まさか」
顔を青くする荒脛御呂地神。
イヤァな予感、というか確信があった。
「そ、生贄だ。この場合おまえ」
「そ……っ」
「はっはっは、末端の末端とはいえ神の魂なら地脈を正常に戻した上で、火山を無理やり黙らせることだって訳ねえだろうさ」
「そんなの御免だぁっ!」
「お前に拒否権なんてないんだよ~? 安心しろよ、別に魂が消滅するとかじゃなくて地脈の底で眠りについてもうだけだからよ。な、安心だろ?」
「安心なわけあるかぁっ! つまりは悪霊として封印されていた頃に逆戻りってことだろうがっ!」
暴れる荒脛御呂地神の様子など意にも介さずずるずると封印穴に引きずっていく忠夫。
そして、荒脛御呂地神の頭をドッチボールのように掴んで、テイクバックの姿勢をとる。
「そーれ、逝ってこぉぉぉぉぉぉぉぉい!」
「ひやぁぁぁぁぁぁっ!」
そして封印穴目掛けて荒脛御呂地神を放り投げる忠夫。当然のことながらそこに神への畏敬の念などミジンコ一つ分の重量も無い。
「え、えー……」
これになんと言っていいのか分からないのがキヌだ。
これで火山の噴火は止まるらしいが、ちょっと、というかだいぶ刺激的な光景だった。まるで囚人を死刑台に無理やり立たせた刑務官のようだった。
しかし、どうもこれで終わりではないようだ。
「ふ、ふんぬぅぅぅ!」
「チィっ! このやろうまだ落ちていやがらねえのか!」
荒脛御呂地神はまだ封印穴の奥には落ちていなかった。穴の縁に手を引っ掛けてしがみついてる。しかし今現在荒脛御呂地神には、地脈による穴の奥へと引きずり込もうとする引力のような力が働いている。これは地縛霊をその地に縛り付ける力と似ている。地脈との相性の良さが裏目に働いているようだ。
「しぶといヤロウだ」
忠夫は足を振り上げる。
「おらぁっ、落ちろ!」
ガン、ガン、とひたすら足を鎚のごとく、やっとのことで自重を支えている荒脛御呂地神の手を目掛けて振り下ろす。
「ちょ、や、止め――っ」
荒脛御呂地神は必死で耐える。ここで手を離してしまえば封印の穴に向かって真っ逆さま。またしても地脈に封印されてしまう。
「ひぃーひぃー……」
精神肉体共に極限状態で過呼吸気味の荒脛御呂地神。
それをキセルを咥えながら静かに眺めていた美木原がふーと紫煙を吐く。キセルを裏返して、とんとんと柄を叩き、ちりちりに熱せられた灰を霊体にも効くようにわざわざ霊力でコーティングして荒脛御呂地神の手の上に落とした。
「熱ぅっ!」
「ほ~れ熱かろう。早く手を離したほうがお前のためじゃぞぉ~」
顎をしごきながら、美木原はニタ~と底意地の悪い薄ら笑いを浮かべた。
「…………え、え~と、と、止めたほうがいいのかなぁ」
キヌはなんだか壮絶ないじめの現場を目撃した気分だった。
ここまでいくとさすがに相手が哀れに思えてきた。
穴に落ちまいと必死に縁にしがみついている荒脛御呂地神を見下ろす二人の顔には邪悪な笑みが張り付いていた。
「ヘイヘイヘイ、ずいぶんがんばるじゃねえですか~?」
「ほんとしょうもないことばかりに根性みせるヤツじゃの~」
忠夫は踵で荒脛御呂地神の手をぐりぐりと踏みにじり、美木原はキセルの頭で荒脛御呂地神の頬をぐりぐりと捩っている。
「こ、この外道どもめええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ――――っ!」
私怨があるとはいえ、追い詰め方が陰険で野蛮だった。もはやどっちが悪か分からなくなる光景だ。
その時、地震によってぐらりと地面が大きく揺れた。
「へ?」
その調子っぱずれの声を上げたのは忠夫だった。
地震によって。
――封印の穴の縁にかかっていた忠夫の足元が崩落した。
もはや呪われているのではないのかと思うほどの運の悪さだ。
「んなぁっ!?」
荒脛御呂地神もろとも封印の穴に落ちそうになる忠夫。
「小僧!?」
「横島さん!?」
突然のことに驚き慌て、忠夫に向かって手を伸ばす美木原とキヌ。しかし伸ばした手は空を切った。あわや荒脛御呂地神と共に封印の穴に落ちそうになる忠夫。
「って、落ちるかぁっ!」
何とか穴の縁を掴んだ。
奇しくも先ほどまでの荒脛御呂地神と同じような体制になっていた。そしてその荒脛御呂地神はというと……。
「――て、テメェェェっ! なんで俺の足にしがみついていやがる!?」
「おとなしく落ちるわけ無いだろうが!」
忠夫の足にしがみついていた。その下には底のほうから青白い光が立ち上る封印穴。落ちるものかと死に物狂いだ。
グググ、と封印穴に引き寄せられる荒脛御呂地神の体。その引力はかなり強力なため、まるで何百キロの重りを足にくくりつけられているような錯覚を覚える忠夫。いくら霊力で筋力を増強させてるとはいえ……。
これは相当に堪える!
「悪あがきすんじゃねえ、静かに運命を受け入れろ!」
さっさと一人で落ちろ!
ぶんぶんと荒脛御呂地神がしがみついている足を揺らす。服についた虫を振り払うような動作だが、それしきのことで虫でも埃でもない荒脛御呂地神が手を離すことはない。
「一人で逝くものか、お前も道連れだ!」
彼は覚悟を決めていた。
もはや助かる道がないのなら、せめて一人くらいは道連れにしてやろうと破滅的な結論に達していた。
当然のことながら忠夫にとっては迷惑千万な話だった。
「ほんっとふざけんなよオマエ!? 誰が好き好んでむっさいひげ面のおっさんと一緒に封印されるかってんだ!」
「貴様の事情なぞ知ったことか!」
「このボケェっ! こんな鬼畜な行いしてテメエの良心は痛まねえのか!?」
「それこそ貴様が言えた立場かああああぁぁぁ――――っ!?」
罵り合う忠夫と荒脛御呂地神。
それを眺めながら美木原は。
「あーなんだかどこかで見た光景じゃの……」
思い出すのは先日のこと。女風呂を覗こうとして失敗して崖から転落しそうになった間際のことだ。ちょうどあの時もこんな風に、忠夫が落ちまいと崖に突き出ていた岩にしがみついており、その足に自分がしがみついていたのだ。
「おぬしひょっとして、とんでもなく悪い運を引き寄せる霊的な資質でもあるんじゃないかの?」
「腕組みして冷静に感想述べてねえで助けろやあああああぁぁぁ――――っ!」
正直そろそろ腕が限界だった。
山を登って、荒脛御呂地神と戦い、崖に落とされ川に流されて、また山を登って、また荒脛御呂地神と戦い――と、常人ならもはや寝込んでいそうなとんでもないハードワークの果てにすでに体が悲鳴を上げていた。体の強化にまわしている霊力もそろそろ尽きそうだ。風船から空気が抜けるように、だんだんと腕に力が入らなくなってきていた。
「横島さん、今すぐ引き上げますからね!」
忠夫を急いで引き上げようとキヌが穴に近づく。
しかし。
「ふん!」
邪魔をしたのは荒脛御呂地神だった。
地震に残された最後の力を使い、地面から蔦を発生させる。大蛇のようにいくつもの蔦がうねりながら封印穴の周りを檻のように囲ってしまった。
「な、なにこれ……っ ん、ん――! だ、だめ、通り抜けられない!」
キヌは蔦の檻を通り抜けようとするが出来ない。霊体を阻む神力が込められているようだった。
「お、おまえ……」
忠夫が「なんてことしてくれたんだ」と言わんばかりに攻め立てる視線を荒脛御呂地神に向ける。もはや力の一片も残されていない荒脛御呂地神は「ふ」と諦念のため息をもらした。
「残念だったな、これで助けはこない。あきらめて俺と一緒に地脈のそこで眠りに着くがいいさ……はーはっはっは!」
忠夫が言いたいのはそういうことじゃない。
「おまえ、その力があればここから脱出できたんじゃないのか……?」
「はーっはっは…………は?」
蔦をロープのように使えばこんな落とし穴のようなところからの脱出など簡単に出来ただろう。
「な」
その結論に思い至った荒脛御呂地神は顔を青くした。
目の前にぶらさがっていたお釈迦様の蜘蛛の糸に気づかなかったどころか自分でぶち切ってしまっていたのだ。
「なぜそれをもっと早く言わない!?」
「いや知らんけども!?」
忠夫はしがみついている荒脛御呂地神を引っぺがそうと蹴りまくる。しかし相手も必死なため一向に引き剥がせる気配は無い。
「ええい、離せぇ――っ!」
「嫌だ! 絶対に離すものか――っ!」
金色夜叉の貫一とお宮のようなやり取りたが、恋慕が絡んだあちらと違いこちらの内情は無残なくらいひどい。まさに蜘蛛の糸を争っての罪人道士の醜い争いそのものだった。
「まったく……なにを遊んでんのよ?」
ぼう、と煌々と輝く朱炎が洞窟を照らし出した。
炎は封印穴を囲っていた蔦をあっという間に燃やしつくし、踊りかかるように荒脛御呂地神に襲い掛かった。
「げ、げぇっ!」
もはや神力など残されておらず、忠夫の足にしがみつくので精一杯だった荒脛御呂地神に自分を包み込むように踊りかかってくる炎を防ぐ術は無かった。
炎の濁流に飲み込まれ、あっという間に封印穴へと飲み込まれていく。
「うわああああああああああああ――――――――っ!」
エコーを聞かせながら、荒脛御呂地神の声は徐々に封印穴の奥へと吸い込まれていき、やがて何も聞こえなくなった。
洞窟の縁に一つの小さな影が降り立った。
「よぉ」
そこに立っていたのは忠夫の妹であるタマモだった。
長い髪を後ろで9つに結わえたボリュームのある狐色の髪は、彼女が羽衣のように周囲に纏っている炎によく映えており、その超常の光景は彼女の幼いながらもどっか妖艶な美貌と相俟って幻想的な雰囲気を醸していた。
腕組みをしながらあきれたように忠夫を見下ろしている。
「ずいぶんぼろぼろじゃない。大丈夫なの?」
「おう。ま、色々あってさ」
穴からよじ登った忠夫を見て怪訝な顔を浮かべるタマモ。服はそこかしこが解れ破れており、忠夫の体中に細かな傷がついている。相変わらずぶっきらぼうな口調だが、そこに込められた不安と心配が入り混じった声色にうれしくなると同時にむずがゆくもなる。
そこにキヌが飛んできた。
「よ、横島さん! 大丈夫ですか?」
「おう、この通りぴんぴんしてるさ」
「ごめんなさい……私最後まで役に立てなくて……」
「そんなことねえさ。おキヌちゃんは自分の想いをしっかりとあのヤロウにぶつけただろ。神に向かってだ。立派なことだと思うぜ」
「横島さん…………ありがとうございます」
「ふ~ん」
タマモは興味深そうにキヌをじろじろと見つめていた。
「……えっと、どちら様でしょうか?」
困惑の表情を浮かべるキヌに忠夫が説明を入れた。
「あ、こいつ俺の妹」
「はへ~、そうなんですか……あ、私キヌって言うの、よろしくね」
小さい子に対しては敬語がなくなるらしいキヌがタマモに挨拶をする。
タマモは半目でキヌを見つめていた。いや、それはキヌ自身を見ていたというより、その奥にある忠夫とキヌの関係を思索しているようだ。
「……そういうこと、ね。ずいぶん可愛らしいガイドさんじゃないの」
「な、なに? なんかお前怒ってね?」
ガイド、というのは忠夫が最初の夜に山に入る際に言った言葉だった。
――頼りになるガイドがいるから心配要らない。
そんなふうに言った覚えがあるのだが、なんでわざわざそのときに使ったガイドという言い回しを持ってきたのか、いまいち分からない。
「べっつにー、怒ってなんかないわよー」
「嘘だ。おまえがそうやってそっぽをむいて語尾を伸ばしてしゃべるときは怒っている証拠だ」
「怒ってないって言ってんでしょ」
「やっぱ怒ってんじゃねえか」
ドスを利かせたタマモの声色に、子供の嘘を見透かす父親のように、しょうがないなぁとちょっと困ったような視線を向ける。そんなふうな目で見られるのが嫌なのか、タマモは今度は体ごと忠夫に背を向けた。
「ふん……」
面白くなさそうに鼻を鳴らすタマモ。
「あの、喧嘩はだめですよ?」
「あー、いいのいいの、こういうやり取りはいつものことだから」
キヌが仲裁に入ろうとが忠夫が腕を振って止める。
「おぬしら、その辺にしとけ」
美木原の言葉の終わりと共に、ひっきりなしに小刻みに揺れていた地面のゆれが収まった。
地脈の乱れも徐々に正常な流れへと戻っていくのを、感じた。
「ま、とにかくこれで仕舞いだな」
「ああ、終わりじゃ」
――しかし……。
美木原は気になることが一つあった。
地震。
ついさっきまでひっきりなしに起きていた地震だが、地脈を乱されただけにしては奇妙なことがあった。それは地震の規模と噴火までの時間的な短さだ。本来地脈というものは、いかに強大な力で操作したとしても、それだけで火山を噴火させるほどのエネルギーを即座に生み出すことは出来ない。
例えば一本の木の棒があるとする。両端を手で持って、徐々に、徐々に折り曲げていく。木の棒は力をかけられ少しずつたわんでいく、そして臨界点を超えたとき真っ二つに折れるだろう。地脈と火山の噴火の関係もこれに似ていた。本来の流れと全く違う流れを作り出そうとすると、地脈は元の流れに戻ろうとする。反発する力が徐々に高まっていき、限界を超え、行き場を失った力が噴火という形で外に漏れ出すのだ。
しかし今回の事例に限って言えばどうだ。
短い。
地脈を乱されてから噴火までの時間が、あまりに短すぎる。
もとより噴火間際だったところに最後の一押しとばかりに力を加えたため即座に噴火しそうになった、というのなら話はまだ分かる。しかし美木原の記憶が正しければ、御呂地岳とその周辺の山々はここ数百年ほど噴火の兆しは見せていなかったはずだ。
……となると。
美木原の頭に不気味な予感がよぎる。それは霊能力者特有の鋭い霊感が告げた予感。
まるで。
まるで地脈の乱れによる噴火を手助けしたものがあるかのような気がした。それは得体の知れない、なにか。
この地面の下。
ずっと。
ずっと、下の方で。
姿形も定かでないなにかが、こちらを見てけたたましく笑っているような錯覚を覚えた。
……背筋が凍った。
じゃり。
草履で地面を踏み撫でる。
その地面の下から無数のムカデのような虫が湧き出てきているような幻覚を見た。根拠も何も無い、ただの錯覚だ。潔癖症の人間が、少しでも汚れていると感じたものには触れることすら厭うような忌避感のようなものだ、と自分に言い聞かせる。
おぞましいと思うからおぞましいと感じてしまうのだ。
「まあ……考えすぎかの」
「おーい、じいさん早くこのしみったれた洞窟から出ようぜー。いつまた崩れるか分かんねえしよー」
「うむ、そうだな」
そう言って、一向は連れ立って洞窟を後にする。
そうして。
御呂地岳周辺の街や村を俄か騒がせた御呂地岳の噴火騒動は一応の収束を迎えた。
しかし死傷者こそ出なかったもののこの騒動による観光業への経済的な打撃は決して小さいものではない。突飛的に火山が噴火しそうになった温泉街。自然と客足は遠のくだろう。そこからどう立ち直っていくかはそこにすむ人々の努力にかかっている。
そして一週間ほどの時が流れた。
落ち着きを取り戻した人骨温泉郷に、横島忠夫と横島タマモの二人はいまだに留まっていた。商店街の福引きで当てたチケットの滞在期間はすでに過ぎていたが、忠夫の怪我が完治するまで面倒を見てくれるというところがあり、彼らはそこに身を寄せていた。
『氷室神社』
忠夫が街で命を助けた氷室早苗の実家である。
地脈の奥。
『あはは……――』
――美木原が感じた不気味な予感が、確かな脅威として顕在するのはこれより一年ほど後のことになる