ヨコシマ・ぱにっく!   作:御伽草子

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【12】

 

 

 

 

 

 

 御呂地岳の周辺の街や村を騒がせた噴火騒動が収束して一週間。

 朝八時。

 

「メシもう一杯おかわり!」

「何杯食うつもりだ! あんたに遠慮って言葉はないだか!?」

 

 茶碗を突き出した回数は本日五回目である。

 

「まあまあいいじゃないか早苗。ほら忠夫くんは男の子なんだからいっぱい食べるなきゃだめだぞ」

「お、ありがとよ親父さん。いやおふくろさんのメシがうまいからついつい食いすぎちまうんだよ」

「あらうまいこと言うでねえか。ほら焼き魚もう一匹余ってるから食え食え」

「まったく……居候三拝目にはそっと出し、って言葉を知らねえだか。五杯目になっても欠片も慎ましさがないでねえか」

 

 氷室早苗は文句を言いつつも、忠夫から茶碗を受け取りお櫃からご飯をよそってやる。

 忠夫とタマモ、早苗とその両親の五人は同じ卓を囲って朝食をとっていた。献立は白米に味噌汁、焼き魚と冷奴だ。

 

「はぁ」

 

 タマモは卓につき箸をくわえながら大きくため息をついた。

 早苗の両親と談笑している忠夫の姿を、呆れ半分感心半分といった微妙な心境で見ていた。

 なぜこいつはこうも誰彼かまわず馴れ馴れしく接することができるのか、人見知りの気があるタマモには理解できない。

 忠夫は誰が相手だろうが心が常に開けっぴろげで萎縮や気後れといった気持ちが微塵も無い。礼儀や形式を重んずる人たちには徹底的に受けが悪い反面、相手の本音や地を引き出して、歳の離れた相手でもいつのまにやら仲良くなってしまっている。

 うらやましいという気持ちが無いわけではないが、タマモは自分ではそこまで人を信じきることができないことを理解している。それは生涯変わることはないだろうし、変えてはいけない生き方だ。自分の正体は早々人に知られてはいけない。知られれば無用の争いを引き起こす引き金になりかねない。自分はそれほどまでに危険視される存在なのだ。

 

「お、タマモ。どしたい、そんなぼーとして。寝不足か?」

 

 考えごとにふけっていたら、それに気づいた忠夫が訝しげに尋ねてきた。

 

「ちがうわよ」

「じゃあちゃんとメシ食わねえといけねえよ」

「そうだべ。忠夫くんもタマモちゃんも育ち盛りなんだからいっぱい食わねえといけねえぞ? それとも何か嫌いなもんでもあっただか?」

 

 早苗の母は、タマモのコップが空なのに気づき、麦茶を注いでくれた。

 

「ありがとうございます。いえ、ご飯とってもおいしいです」

 

 恐縮そうにお礼を言うタマモ。

 早苗はしゃもじを片手に持ちながら、横に座るタマモの世話をかいがいしくやいていた。

 

「ご飯のおかわりはいるか? どんどん食わねえとおっきくならないだぞ」

「お、わりいな。おかわり」

「あんたには聞いてねえ! てかもう食っただか、早すぎんべ!」

 

 ずうずうしくも、六杯目を要求してきた忠夫のお茶碗を持つ手を撥ね退けるようにしゃもじでぺしっと叩く早苗。

 

「まったく。それでタマモ、おかわりは?」

「ううん、もういいわ。ありがと」

「そっか、じゃあ冷蔵庫にプリンがあるから後で食べな」

 

 それから早苗はタマモの髪に人房ぴょこんと飛び出た寝癖を発見すると手櫛でそっととかしてやる。

 

「後で髪の毛の手入れの仕方ちゃんと教えてやるからな。どうせこのボンクラのことだから、そっちのほうは無関心だべ」

「おぅーい、そのボンクラって誰のことだ。まさかこの超エリート紳士のことじゃねえだろうな」

「あんた以外に誰がいるだ」

 

 この一週間のうちに忠夫と早苗の二人は遠慮なく軽口を叩き合うようになっていた。忠夫の誰に対しても遠慮のない物言いと、早苗の気が強い性格が噛み合った結果だろう。

 

「ていうか、早苗ちゃんよぉ」

 

 忠夫は早苗のことを早苗ちゃんと呼んでいた。

 当初は早苗と呼び捨てにしていたのだが、早苗本人が恋人でもない異性に呼び捨てにされるのはいかん、という意見によってちゃんづけになった。ちなみに早苗本人はさんづけを所望したのだが、忠夫本人がそんなしゃちほこばった呼称はイヤだと拒否したため、お互いの意見をすり合わせて今のちゃんづけに落ち着くという経緯があった。

 

「なんだべ、ボンクラ?」

「ボンクラはやめい。それよかタマモのことえらく気にかけるじゃねえか」

 

 早苗はふっと笑った。

 

「そりゃそうだべ、タマモはめんこいしな。わたすは昔からこんな妹がほしくってな」

「だってよ親父さん。がんばんな」

「ふむ、参ったなこりゃ」

「きゃ……っ」

 

 腕組みして唸る父と、頬を染める母。

 

「ひ、と、の、親に、何をたきつけているだ!」

 

 テーブルをはさんで対面に座る忠夫の襟首をつかんでがっくんがっくん揺する早苗。

 親の情事の話ほど聞きたくないものはない。妹はほしいとは思うが、親にそのままずばり「妹つくって」とねだれるほど彼女は純真でも子供でもない。

 

「早苗ちゃんが妹ほしいっつったんだろうが。つくってもらえばいいじゃん」

 

 ………こいつは純真とか子供とかいう以前にただのバカだという結論に早苗は達した。

 子供の作り方、早苗がそれを言うのを嫌がる理由、いたたまれなさ、それら諸々を全て理解したその上であえて爆発物を放り込んできたのだ。もはや嫌がらせ以外の何物でもない。

 

「ほら早苗、そろそろ止めなさい。ご飯が冷めちまうだ」

「そうだぜ、メシ食っているときに暴れるのはいただけねえな」

 

 父の言葉を追従するかのように早苗の行為を注意してきた忠夫。まるで学校の先生のような物言いを放つ元凶の姿に、こいつこのまま締め落としてやろうかと早苗は思ったが、ご飯時に暴れるのはたしかにいただけないと理性による静止に従った。

 その代わり忠夫のデリカシーの無い言動を見かねたタマモが忠夫の尻を抓り「ぎゃっ」と忠夫が悲鳴を上げて飛び上がった。ナイス! とタマモに向かって親指を立てる早苗に、ひらひらと手をふるタマモの姿がそこにあった。

 

「ところで忠夫くん。今日帰るってのは本気か?」

 

 早苗の父の問いかけに、忠夫はうなづいた。

 

「もうずいぶん世話になっちまったしさ。俺の怪我も良くなったし、そろそろ帰らねえと」

「そうねー。家あんまり空けておくわけにもいかないしね」

 

 二人は今日東京に帰る予定でいた。

 元々の旅行の予定より一週間も多く滞在しているのだ。庭の草むしりやごみ捨てやら、懸念がいくつかある。

 

「忠夫は帰っていいぞ。タマモはあと一週間くらい滞在したらどうだ? せっかくだから観光地なんかの案内してやるぞ」

「俺はってなんだ? さみしいこと言うなよ、泣くぞ」

「泣け」

 

 忠夫と早苗のやり取りを見ながら早苗の母はほほえましそうに目を細めた。

 

「残念だな。気難しい早苗ともこんなに仲良くなったのに」

 

 早苗はその言葉に反論しようとするが、「んふふー」とにんまり笑っている母親の生温かい顔を見て口をつぐんだ。藪をつついたら余計なものまで出てきそうだ。この世に生を受けて十数年、いまだ母親には口で勝てる気がしない。

 

「まあ帰りの電車は午後だから、午前中はしっかりと御勤めさせてもうらうぜ!」

「そんなの気にしなくていいのに」

「いやいやそうは言うがおふくろさん。タダメシ食わせてもらってんだ、このくらいしないとバチがあたるぜ」

 

 御勤め。

 忠夫は氷室家に逗留するようになってから、雑用の手伝いをしていた。

 忠夫達は金銭に全く余裕が無く、滞在の費用も払うことができない。早苗の両親達は、忠夫たち兄弟に娘の命を助けられたこともありお金など必要ないと言ったのだが、はいそうですかと日がな一日ごろごろしているのは気が咎めた。そのため自分達ができることを考えた結果、忠夫は古くなった神社の修繕やらの雑用、タマモは早苗の巫女の仕事の手伝いをしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【12】

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を食べ終えた後。

 忠夫は早苗の父から借りた作務衣に、タマモは早苗が幼い頃に着ていた巫女装束に袖を通した。

 忠夫の今日の作業の予定は雨漏りの修繕だ。本来神社などの建物の修繕は宮大工の仕事だが、今回雨漏りしているのは神社の横に立てられた蔵の屋根だ。木製の梯子を屋根にかけ、ひょいひょいと軽快な調子で上っていく。

 

「おーい忠夫ー! 大丈夫かー!?」

 

 巫女装束に着替えた早苗が蔵を見上げて声を張り上げると「おーう!」と返事が返ってきた。

 雨漏りをしている個所を見つけた忠夫が屋根の上からひょっこりと顔を出す。首からは拡声器を下げている。

 屋根の上からだと下まで声が届きにくいため、言葉を交し合うのにこれがあると便利なのだ。

 忠夫は拡声器のスイッチを入れる。指でマイクの部分をとんとんと指で叩きながらボリュームを調節する。

 

『あーあー、テステス、マイクのテスト中……一度これ言ってみたかったんだよ』

「どうでもいいだ! それよかなんとかなりそうかーっ?」

『おう、瓦にヒビが入ってら。これなら手持ちの道具でなんとかなりそうだ』

 

 拡声器を通した忠夫の声は若干音割れをしていたが聞き取る分には十分問題が無かった。

 

「それなら頼むだ! 足さ滑って落ちちまわねえように気いつけるだぞー!」

『おう、まかせとけー』

「それじゃあわたすはタマモと一緒に境内の掃除と参拝客の相手してるだ! 何かあればその拡声器を使って呼ぶだ!」

『あいよー』 

 

 そうして早苗は社務所までやってくると、ちょうど中からタマモが出てきた。小さな巫女さんだ。なぜだか異常なほどに似合っていた。朱塗りのおぼんの上に御守りが載っている。こう言ってはなんだが、神社の規模の割にずいぶん御守りの数が多いように見える。元々この氷室神社は片田舎にあるということもあり、参拝客は歳を召した老人が時折顔を見せるくらいだ。例えその参拝客全員が御守りをお受けしたとしてもとしてもその十分の一にも満たないだろう。

 

「ねえ、早苗。やっぱりちょっとこの御守りの数多くない?」

「なに言っているだ。昨日やその前のこと考えればこれくらい用意してたって足りないかもしれないだ」

 

 タマモは昨日のことを思い出し、顔をしかめた。

 余談だが、タマモは早苗のことを呼び捨てにしていた。早苗は相手が年下でも同性なら呼び捨てされても抵抗が無いらしく特に敬称をつけなくても「べつにいいだ」とすんなり許可をしていた。

 

「昨日って……あいつらまた来るのかしら?」

 

 本当に嫌そうにそんなことを言うタマモ。来てほしくないと言わんばかりの表情だ。期間限定とはいえ、神職に携わる者としてはまずいのかも知れないが、今回に限って言えばタマモのこの反応はしょうがないのかもしれない。

 

「……そう言っているうちに、ほら来ただ」

「げ」

 

 早苗が参道を見やると鳥居の向こうから幾人もの参拝客が歩いてきた。

 ぞろぞろと、若い男が列をなしている。参拝客の大多数が近所のお年寄りという氷室神社としてはそれは非常に珍しい光景だった。

 

「やあタマモちゃん、今日も来たよ!」

「早苗さんは今日もキレイですね!」

「タマモちゃんはほんとに巫女服が似合うね!」

 

 などと、男達は口々にはやし立てる。

 上っ面だけの世辞に囲まれ、早苗とタマモの二人は『はあ』とため息をついた。

 この参拝客たちは神社へのお参りではなく、巫女をしているこの二人が目当てで訪れるものがほとんどだった。きっかけを上げるならば、タマモの美少女コンテストだろう。コンテスト自体は途中で中止となってしまったが、優勝の本命の一人とも思えた横島タマモが神社で巫女をしていると噂がいつのまにか広まっており、本物の美少女巫女二人がいる神社として一部の男達が足しげく通うようになっていたのだった。

 タマモはうざったそうに、シッシッと手を振る。

 

「ほら邪魔よ。退いた退いた」

「見せ物じゃないだ。神社に来たのならまずはお参りでもせんかい」

 

 愛想なんて振り撒いていられるか、とでも言わんばかりのしかめっ面だ。

 しかし男達は巫女二人からつっけんどんな態度を突きつけられてもめげる様子は無かった。

 

「くぅ~、いいねその態度!」

「クールな巫女さんかー。なんかこうグッとくるなぁ」

 

 なんて事を口にする始末。

 実際の人間を目の前にしてコミュニケーションをしていると言うより、テレビの向こう側のアニメキャラでも批評しているかのような態度だった。

 さすがにこれにムカッと来たのが早苗だ。

 罵倒の一つでもしてやろうと口を開きかけた時。

 

『――誰の妹に色目使ってやがんだっ! なにがグッとくるだ、ふざけんなよ! 頭蓋勝ち割るぞコラァッ!』

「って、いいからあんたは黙って屋根の修理しとれ! ていうか、よくそこから聞きとれただな、どういう耳しとるだ!?」

 

 屋根の上からひょこっと顔を出して拡声器でがなりたてる忠夫を、早苗が怒鳴りつける。早苗からは忠夫の姿は豆粒ほどの大きさにしか見えないのにも関わらず、こちらの会話を聞きとがめている辺り本当に地獄耳だ。

 

「な、なんだアレ……?」

 

 タマモや早苗目当ての参拝客が恐れおののいたように、声の聞こえてきた蔵のほうを見遣る。

 

「妹って言ってたけどタマモちゃんのお兄さんとか」

「え、それなら僕の妹にならないかい?」

 するとまた蝉の鳴き声をかき消すような、拡声器を通した爆音が響く。

 

『――ざっけんなテメエぇぇぇぇぇっ、聞こえてんだよ、呪殺するぞ!』

「口を慎めえええええぇぇぇぇぇっ! 参拝客に向かって呪殺を宣告するとか、いったいどんな神社だウチは!?」

 

 忠夫が参拝客を過激に罵り、早苗がそんな忠夫に向かってがなりたてる。地鳴りのような姦しい蝉の鳴き声がBGMで、池にきらきらと反射する陽光がスポットライトの明かり。本来静謐な雰囲気のはずの神社がまるでライブハウスのような喧しさを見せ始めたと時。

 

「はいはい、ちょっとゴメンよ」

「あれ、食堂のおばちゃんでねえか。珍しいなこんな朝早くにお参りなんて」

 

 人並みを掻き分けて早苗の前に現れたのは御呂地岳の麓の街で食堂を営んでいるトシエだった。

 

「いんや、今日はちょっと他に用事があってな」

 

 トシエはタマモに向き直った。

 

「こんにちは」

「はい、こんにちは。今日帰るんだってな」

「ええ」

「ありゃ、なんだ二人は知り合いか?」

 

 早苗がそこはかとなく親しげに話すタマモとトシエの姿を見て首をかしげた。早苗自身は神社の娘という事もあり、麓の街の人間とは寄り合いなどで何かと接点があるが、観光客であるタマモが街の人間と親しげに話しているのはなんとなく違和感がある。

 

「ああ、まあいろいろあってな」

 

 そうトシエが答えると、タマモがげんなりとした顔をした。

 

「ええ、本、当、に……いろいろあってね」

 

 思い出すのは美少女コンテストへ出場したことだ。思い出すと赤面モノのステージ。語尾に〝コン〟だ。思い出しただけで地面をのた打ち回りたくなる。

 

「まあ、それは置いといて、ちぃっとばかりタマモちゃん借りていっていいかい早苗ちゃん」

「ん、そりゃあかまわねえだが……」

 

 早苗はちらりと参拝客に視線を這わせる。

 

「えぇー、タマモちゃん行っちゃうのー」

「もっとゆっくりお話しようよー」

 

 などと文句を垂れている。

 するとそこへ。

 

「なら俺とお話しようぜ」

 

 指の骨をぽきぽきと鳴らしながら忠夫が現れた。顔にはサディスティックな笑みを浮かべ、すでに臨戦態勢を整えている。どう見ても口頭での〝お話〟をするつもりが無い。

 異様な迫力に参拝客の男たちが顔を引きつらせ後ずさった。

 

「て、おい、屋根どうした、屋根の修理は」

「もうすませた」

 

 早苗の問いに簡潔に答えを返し、男たちに向かって一歩踏み出す。

 

「さ、神社に来たらまずはお参りだ。おら、そこ逃げんじゃねえ! 着いて来い!」

 

 男たちの首根っこを掴んで賽銭箱の前に引っ張っていく忠夫。

 早苗はその様子を横目で見ながらタマモに向かって「今のうちに行くだ」とトシエのほうに顎で視線を促す、

 

「わたすはあのアホタレがやりすぎないように見張っているから、ゆっくり話してくるといいだ。おばちゃん、タマモのこと頼んだぞ」

「ああ、まかしとくだ!」

 

 どんと胸を叩くトシエ。恰幅のよさと彼女自身の明朗な受け答えもあってなかなか様になっている。

 

「じゃ、行ってくるわね。早苗、あの馬鹿の相手よろしくね」

「まかしとけ」

 

 早苗は手に持っていた竹箒を胸の前でぎゅっと握り締めた。

 その竹箒で何をするつもりかと野暮なことを聞くつもりは無い。

 そうして連れ立って、神社を後にするタマモとトシエの背後から、忠夫と早苗の騒がしいやり取りが聞こえてきた。

 

 ――あ? 金がねえだ? 嘘つけ、ジャンプしてみろやジャンプ。

 ――くおらぁぁぁっ! 賽銭をカツアゲすんなぁっ!

 ――おいそこのおまえ! 五円てなんだ五円て? しみったれたことしてねえでどーんと札を出せ札を。なんなら財布ごと置いてってもいいんだぜ。

 ――強盗かおまえは!? ウチの神社をいったいどうしたいだ!

 ――ヘイストップだ早苗ちゃん。それは人を叩くもんじゃないぞ。

 

 それからばたばたと地面を走る音が聞こえ、スパーンと竹が打ち鳴らされる小気味の良い音と蛙がつぶされたような悲鳴が聞こえた。

 背後から聞こえる姦しいやり取りに、トシエはくっくっく、と忍び笑いをもらした。

 

「いやー、面白いなおまえさんの兄ちゃんは。見ててあきないべ」

「傍にいると大変よ。次から次へと騒動を引き起こすんだから」

「退屈しなくていいでねえか」

「限度があるわ」

 

 はあ、と深くため息をつくタマモの姿にトシエは生暖かい視線を向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 御呂地岳の噴火騒動の折、トシエと商店街に店を構える店主たちは頑なに避難をしようとしないムロエの説得をしていた。しかしムロエの意思は硬く、一向に自分の家から動こうとしない。

 

 ――おらのことはいいから、おまえさんたちははよ逃げろ。

 

 この一点張りだ。

 逃げろ、などと。

 自分たちだけ逃げることことなどできようはずも無い。彼らは皆、若かりし頃のトシエに引っ張られてこの街を開拓していったものたちだ。恩人ともいえるムロエ一人を今まさに火山の噴火に飲み込まれるかもしれない場所に置いて逃げられる事などできようはずもない。

 この場に留まる覚悟を決めようかと決意を固めたときだ。ひっきりなしに起きていた地震が収まっていたことに気づいたのは。

 あれよあれよというまに、事態は収束していた。

 

「ほんとなんだったんだろな。あれだけ騒いでいたのに、今じゃ本当に噴火の兆しがあったことさえ怪しいんだと」

 

 あの噴火騒動について公式機関からの発表はいまいち釈然としないものだった。

 曰く、噴火を予兆する計器の故障、だ。

 専門家が現地に入って調べてみたところ、噴火の兆しがあった証拠が一つも見つからなかった。しかし実際に数度にわたる大きな地震があったことは確かだったため、報道機関各社が政府はひょっとして何か重要な真実を隠しているのではないかと、陰謀論を掲げて勘繰りを入れているらしい。

 

「ははは……」

 

 真実を知るタマモとしては笑うしかない。

 まさかどっかの悪霊が神の力を手に入れて、温泉を独り占めしたいなどという極々個人的な理由から噴火を起こそうとしていました、などと馬鹿馬鹿しくて言う事はできなかった。

 

「地震で壊れた建物の修繕費や怪我人の治療費なんかもどっかからえらい額の寄付があったらしくてな」

 

 その寄付金の出所もタマモは知っている。

 美木原。

 忠夫と共に今回の事件の元凶である荒脛御呂地神を地脈に封印したゴーストスイーパーである。理由はどうあれ悪霊に神の力を与えてしまった美木原は今回の件に責任を感じ、出来うる限りの援助をしていた。事件の内容については事が大きすぎるため、一般に公表することが出来ないなどの諸々の事情があり、名前を伏せての資金的な援助だ。

 美木原当人としては、今回の事件の責任をとって……というわけではないが、ゴーストスイーパーの引退も考えているらしい。本人もずいぶん高齢であるし、「もうそろそろ潮時じゃろうて」と寂しげに語っていた。しかし事件後も忠夫と橋にも棒にも引っかからないような議論(女子の体操服はブルマーに入れるべきか入れないべきか、等々)を熱く交し合っている(肉体言語あり)姿を見るとまだまだ当分は現役でいられるだろう。

 美木原は一度自宅に帰ったが、これからもちょくちょく街の様子を見に来るつもりらしい。

 

「まあ、それは置いといて、だ」

 

 トシエは本題を切り出した。

 

「今日東京に帰るってホントだべか?」

「ああ、うん、そうなのよ。あんまり神社でお世話になっているのも申し訳ないし、家を長い間空けておくわけにもいかないし」

「そっかぁ……そりゃ残念だな。もうちっと騒ぎが落ち着いたら街を案内してやりたかったんだけれども」

 

 本当に残念そうにトシエは言った。今現在、この街は少々騒がしいことになっている。

先に述べたように、地震と噴火の真実を調べようとして多くの報道機関が、街に訪れていた。おまけに噴火騒動による観光業の被害も大きいため、商店街などで店を構えるトシエたちにとっては気の休まらない時間が続いていた。そんな中でわざわざ時間をとって会いに来てくれたことをタマモはうれしく感じていた。

 

「帰る前にトシエさんには一言挨拶してから帰ろうと思ってたんだけど、先を越されちゃったわね」

「はっはっは、そいつは悪いことをしたね。でもせっかくだから街を出る前にウチの食堂に顔出していくといいだ。ご飯おごってやるからな」

 

 必ず、と約束して二人はいったん別れた。

 タマモは去っていくトシエの背中を見ながら、考えていた。

 

 ――私ってああいう裏表の無いタイプに弱いのかしら。

 

 人間嫌いの気がある自分が、こんなにも短期間で屈託無く話せるようになるなんて珍しいと自覚していた。思えば、早苗もそうだ。言いたいことがあれば明け透けなくズバズバとぶつけてくる。

 思えば元々家族とその周辺の人たち以外と接することがほとんど無いのだ。今回の旅行で新たな自分を垣間見たことは大きな収穫だと思った。

 

 ――ほら、まただ。

 

 大きな収穫などと、どこか客観的に自分を見てしまっている。怒っても、笑っても、感動しても、心の動きに無意識のうちにブレーキをかけて心に常に冷静な部分を残している。皆が楽しんだり悲しんでいる輪の中から一歩引いてその出来事を観察している自分がいる。そんなタマモの様子を感じ取った人によっては、心が冷たいという印象を受け倦厭される理由にもなるだろう。タマモ自身、そんな自分をしょうがないと肯定する反面、あまり好きではない。

 でも、だからこそ。

 忠夫や早苗、トシエといった目の前のことに全力でぶつかっていく性質の人たちに無意識のうちに惹かれているのかもしれない。

 

「……なんてね」

 

 照れくさくって笑いをこぼして、タマモは大きく伸びをした。

 太陽のまぶしさに目をしかめる。雲ひとつ浮かんでいない青空が自分を見下ろしていた。

 

 ――さあ、今日もまた暑くなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、世話になりました」

「お世話になりました」

 

 忠夫とタマモの二人はそろって頭を下げた。

 忠夫は白のインナーに半袖ジャケットといったシンプルな服装で、タマモはパナマ帽をかぶり白のシャツに青色のジーンズを合わせた旅行にやってきた当日と同じ服装をしていた。彼らが立っている横には旅行に持ってきた荷物が詰まったリュックサックが置いてある。

 二人は予定よりずいぶん長くなってしまった旅行に区切りをつけ、今帰路につこうとしていた。

 場所は氷室家の玄関前。目の前には氷室家の人たちが並んでいる。

 出発間際まで忠夫とタマモの二人は神社などの雑用などを出来うる限り済ませていた。長いこと宿泊させてくれた氷室家の人々に対する恩返しとしてはささやかな事かもしれないが、感謝の気持ちを出来るだけ形として伝えたかった。

 

「こちらこそ君たちには本当に世話になった」

「早苗のことも含めてな」

 

 早苗の両親も忠夫たちにむかって頭を深々と下げた。

 

「改めて言わしてほしいだ。ありがとう、早苗を助けてくれて」

「おぅ、照れくさいからやめてくれよ」

 

 忠夫は黙りこくっている早苗に視線を向けた。

 早苗はなんと声をかければいいのか分からず視線を右往左往していた。助けられたことに改めて礼を言うのは照れくさいけども、このまま黙って送り出すのも道理に欠ける。何かをしゃべろうと口をもごもごさせている早苗。

 

「う~~~~~っ」

 

 ついに頭を抱えて唸りだした。

 忠夫はリュックサックから小さな木箱を取り出し、掌に収まるくらいのそれを早苗に向かって軽く放り渡す。

 

「と、とと……、なんだこれ?」

 

 早苗は両手に収まった木箱を訝しげに覗き込む。

 

「開けてみな」

 

 そう忠夫が言うので箱を開けてみる。

 中に納まっていたのは風鈴だ。水を表現した青色の流線の上に金魚が踊るように描かれている。それはちょうど街に来た当日に屋台で買った風鈴だった。

 忠夫は照れくさそうに頬をかいた。

 

「今、持っているもんていったらそれくらいしかねえんだけどよ。世話になった感謝の気持ちだ。よかったらもらってくれよ」

「あ……」

 

 それから早苗は忠夫が作ってくれた流れに乗るように。

 

「こっちこそ助けてくれてありがとう」

 

 一気に言い切った。

 言い切った後、やっぱり照れくさくなってそっぽを向いてしまったが。

 

「タマモもまた遊びに来いよ」

「ええ」

「俺は?」

「知らん。好きにしたらええ」

 

 最後までこんな調子だった。

 

「じゃあな――――っ」

 

 振り返って手を大きく振りながら去っていく忠夫。タマモもその横で一度歩みを止めて大きくお辞儀をしてから小走りで忠夫に駆け寄っていく。

 氷室夫妻も二人の姿が見えなくなるまで手を振っていた。早苗もつられるように手を振っていた。

 

「寂しくなるな」

 

 ぽつりと父がこぼした言葉がいやに大きく聞こえた。

 大きな存在感があった二人だ。騒がしかった日常にぽかんと開いた大きな穴はしばらくの間は埋まることはないだろう。

 しかし、早苗には予感があった。

 

 ――なんとなく、またそう遠くないうちにあの二人とは会う機会が訪れるような気がしていた。

 

 根拠も何もないただの勘だが、この勘は不思議と当たるような気がした。

 二人の背中を見ながら、早苗は紐をつまんで風鈴に描かれた金魚を眺めていた。 

 そういえば部屋に風鈴が一つほしいと思っていたところだ。

 

「ま、ありがたくもらっとくだ」

 

 風に吹かれた風鈴が、チリン、と夏の空の下で涼やか音色を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まだやることがあるんだ。でっかいのが一つ」

 

 氷室神社から街に向かって歩いていた忠夫が突然そんなことを言い出した。

 

「ん、どうしたのよ?」

「わりいけどちょっと先に行っててくんね? ほらあの食堂に寄るって約束してたんだろ。あそこで待っててくれ」

「それはいいけど……」

「おう、じゃ、また後でな」

「ちょっと忠夫っ……、行っちゃった。一体なんなのよ?」

 

 ――あ、そっか。

 

「ひょっとしてあの子のところに……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 山々を見渡す丘の上。

 夏草の上に座っている巫女装束姿の幽霊であるキヌと小さな小猿がいた。

 そっと眠っている小猿の頭をなでるキヌ。

 両親をなくし、怪我をした小猿の世話をするようになって一週間ほどが経っていた。小猿の怪我の経過は順調でもう野生に戻れる頃だろう。

 キヌは小猿の寝顔を見ながら思い悩んでいた。

 御山の噴火騒動の後、忠夫に言われた言葉がキヌの中でぐるぐると回っていた。

 

 ――おキヌちゃんはさ、これからどうしたい?

 ――どうしたいって……どういうことですか?

 

 言葉の真意を考えあぐねたキヌが訊ね返すと、忠夫はこう答えた。

 

 ――成仏なら俺がさせられると思う。

 

 前置きとして忠夫が話した成仏という単語にキヌのもはやないはずの心臓が飛び跳ねた。成仏。それは三百年以上もの間、幽霊としてこの世に縛られ続けていた自分がずっと求めていたものだった。この呪縛からの開放。永遠に続くかと思えた時の牢獄からやっと開放される。そう思っていた。

 だからこそ。

 

 ――だけどさ、よかったら×××××しないか?

 

 忠夫が続けて出してきた提案に、自分はまだ答えを出せないでいる

 

「どうすればいいのかな……?」

 

 答えは一つしかないと思っていた。だけどそこに新たに提示されたもう一つの答え。

 自分は一体どうしたいのだろうか……?

 

「おキヌちゃん」

「え?」

 

 誰何の声に振り向いて、キヌは目を剥いた。

 

「ムロエ……ちゃん?」

「久しぶりだな……おキヌちゃん」

 

 齢をとった。顔に刻まれた皺は深く、彼女の過ごした年月を静かに語っているような相貌だ。折れ曲がった腰に重い足取りに、以前の矍鑠とした雰囲気は無い。

 しかしそれは確かにキヌの知っているムロエだった。

 

「あ……っ」

 

 キヌの心にたくさんの激情が渦巻く。

 懐かしいという気持ち。

 会えてうれしいという気持ち。

 会いたくなかったという気持ち。

 年老いてしまった彼女に対する置いていかれてしまったという気持ち。

 ムロエが過ごした時間。

 キヌの止まっていた時間。

 

 

 

 彼女と、喧嘩別れしてから。

 もう会うことはできないとあきらめてしまっていた。

 もう会えないと、何度後悔の涙を流しただろうか。

 

 

 

 もう、七十年程になるだろうか。

 彼女に最後に会ったのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 


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