障子によって濾過された朝日が淡く室内を満たしていた。
時計の針が指し示す時間は朝七時。
人骨温泉スパーガーデンというホテルの一室。畳敷きの和室に布団が二つ並んでいる。そのうちの一つ、小さな丸まりの布団からのっそりと少女が起き上がった。
寝乱れた髪と衣服。普段後ろで九つにまとめている髪は解かれており、所々に寝癖が跳ねている。浴衣の帯はしっかりと巻かれているが、襟の左右の合わせ目がかなり際どく肌蹴ており、真っ白な胸元と内腿が覗いていた。
少女――タマモは寝起きで焦点の定まらない瞳を、うつらうつらとさ迷わせていた。
くあ、と可愛らしく欠伸。乱れた浴衣を直し、寝ぼけ眼のまま、洗面所によたよたと歩いていく。
洗面所の水道の蛇口をひねると勢いよく水が出てきた。流れ落ちる水をしばらくの間ボーと眺めてから、両手で掬い取って顔を洗う。
冷たい水に、徐々に意識は覚醒してきた。水の雫で服をぬらさないように顔を俯かせたまま、伸ばした手をさ迷わせ、洗面所に備え付けられたタオルを掴む。顔を拭うと、ずいぶんとすっきりとした気持ちになった。
乱れた髪を櫛で梳かし、ヘアバンドで髪を結わえる。一房、二房、三房……。口にヘアバンドを咥え、鏡で髪全体のバランスを整えながら一房ずつまとめていく。
髪を整え終えたタマモは、洗面所を見回した。
擂鉢のような形の洗面器に、大きな鏡。陶器製の洗面台の上には元々備え付けられている使い捨ての歯ブラシや石鹸、櫛やタオル、ティッシュ箱などがある。
タマモはそれらをじっと見つめてから。
――そうだ、これにしよう。
タマモが手に取ったのは、使い捨ての歯ブラシだ。
洗面所を出て、未だ布団に包まって寝こけている忠夫の元に戻る。
障子を開け放つと、眠ったままの忠夫はわずかに顔をしかめ、朝日から目を背けるように布団の中にもぐりこんだ。
タマモは使い捨て歯ブラシの袋を開け、ブラシの上にチューブから歯磨き粉を押し出した。
にやりと笑う。
その笑いはそのまんまイタズラをたくらむ子供のそれだ。
寝ている忠夫の傍らにしゃがみこみ、歯ブラシを忠夫の口の中に突っ込む。まるで母親が幼子の歯を磨くように、前後左右に動かす。
しゃこ、しゃこ、しゃこ、しゃこ……。
静かなホテルの一室に、歯を磨く音だけが規則的に響いていた。
しゃこ、しゃこ、しゃこ、しゃこ……――。
少女が寝ている少年の口に歯ブラシをつっこんで能動的に歯を磨いている光景。
……シュール極まりない光景だった。
やがて。
口の中が泡立てられた唾液と歯磨き粉で一杯になった頃。ようやっと忠夫は違和感で目を覚ます。
「ふ、ふご……、ぐ、ぶおはぁっ!」
マグマを滾らせる火山の噴火口のように、口から鼻から歯磨き粉を吐き出した。
――な、何が起こった!?
寝起きのまどろみなど一気にすっとばし、即効覚醒状態。
目に入ったのは、歯ブラシを持ったまま畳の上に突っ伏してケタケタ笑うタマモの姿。この瞬間全てを理解した。
――また、おまえか!?
言いたいことはたくさんあったが、今はとりあえず。
揺り起こした上半身の反動だけで、布団から飛び起きる忠夫。そのまま洗面所にばたばたと慌しく一直線に走っていく。
ジャー、と叩きつけるような水音が洗面所から聞こえる。
しばらくして。
「オラァ! 毎朝毎朝のことながら、よう飽きもせんと訳のわからん起こし方してくれやがるなぁっ!?」
洗面所から忠夫が怒鳴りながら飛び出してきた。
タマモはにっこりと笑顔を浮かべた。
「おはよ、目は覚めた?」
「ああ、覚めたともさっ!」
こんな寝起きのドッキリハプニング聞いたこと無い。
「大体、お前はっ、ゲッホッゴホッ、オエ……!」
口の奥からは飲み込んでしまった歯磨き粉の風味がふわりと上ってきて、鼻の奥からは海でおぼれたようなツーンとした痛み。気持ち悪いことこの上ない。
咳き込む忠夫を、タマモは眉根をひそめ心配そうに見つめる。
「大丈夫? 水、飲む?」
「ゲホゲホッ……っ、やかましいわ!」
あいも変わらない騒がしい様子で温泉旅行二日目の朝は始まった。
「それで、今日はどうするの?」
朝食の席でタマモが今日の予定を尋ねてきた。
人骨温泉スパーガーデンの朝食はバイキング形式だった。宿泊客はホテルの一階にあるレストランでそれぞれ決められた時間内に好きに食べられる。頼めばルームサービスもあるようだが、多くの客はここで朝食をとるらしい。周囲のテーブルには老若男女とわずたくさんの人たちが思い思いの食事を楽しんでいた。
タマモが持ってきた皿にはサンドイッチや、サラダ、スクランブルエッグなどがこじんまりと盛り付けられている。対して忠夫のほうはというと、サンドイッチや大盛りサラダの他にもウインナーが十本ほどに、卵料理各種が一つの皿にこれでもかと乗せられている。ロールパンがピラミッドのように積み重なっており、おわんいっぱいのご飯に、冷奴、ほうれん草のおひたし、おしんこなど、和洋関係なくバイキングに並んでいる料理がほとんど全種類節操なく並んでいる。大人でもとても食べられないような量だが、この少年はこのぐらいの量ならぺろりと平らげてしまうのだ。
忠夫は口に入れた料理を咀嚼し終えてから、タマモの質問に答えた。
「とりあえずは、前から予定していた通りここの近くにあるっつう高原に行こうぜ」
「悪霊探しは? 昨日見つかんなかったんでしょ」
「とりあえず高原で昼飯食ってからこっちに戻ってきて、それからだな」
「ふ~ん。じゃあ、せっかくだから今日は私も悪霊探しに付き合うわよ」
「おいおい、さすがにそれは……」
タマモの提案を拒否しようとする忠夫。それはそうだ。相手は人に害なす悪霊。相応の危険が付きまとう状況にわざわざ妹を引っ張ってこようとは思わない。
「あら、反対する理由がどこにあるのかしら? 霊に対しての索敵だったらあんたより私のほうが得意よ?」
それに、とタマモが続ける。
「あんた私がその辺の霊にどうこうされるなんて思うわけ?」
「そりゃそうだけどよ」
タマモの霊的害意に対する対応能力は忠夫もよく知るところだ。見た目で判断すると、とてもそうは見えない幼子の姿だが、その戦闘力は高い。
「じゃあ、異論ないでしょ。あんたは昨日の続きで山の中の捜索、私は街周辺を探してみるわ。はい、決定」
強引に取りまとめたタマモは食事を再開する。これ以上論ずる必要は無いといった頑なな様子だ。
こりゃあもう何を言っても無駄そうだ、と忠夫は食事は再開した。
食事を終えた二人が高原に向かうバスに乗るために、出かける準備をしてホテルから出た時のことだ。
「なんだありゃ?」
「さあ?」
ホテルの前の通りに人だかりが出来ていた。興味を引かれた二人は近づいてみる。どうやらテレビの撮影らしい。カメラマンとリポーターらしき男女。そしてもう一人。
「お?」
忠夫はまじまじとカメラを向けられている老人を見つめる。
間違いない。
「昨日のじいさんじゃねえか」
「ん、知り合いなの?」
「……ん、んんっ、うーん、ちょっとな」
目をそらし、だいぶ曖昧な感じで答える忠夫。
ちょっとばかり後ろ暗い知り合いだ。
それは昨晩、露天風呂で忠夫と一緒に女風呂を覗こうとした老人である。弁柄色の和服に身を包んでおり、下駄を履いている。ここまでならどこにでもいる普通の温泉客なのだが、普通と括るには奇妙な物を身に着けていた。梵語が書かれた長く白い布を首からマフラーのように棚引かせている。手甲をつけ、その上からは数珠を巻いていた。そして彼の服装からもう一段周囲から浮き立たせているのが、サングラスである。和装に、流線型のシャープなデザインのサングラス。ミスマッチで怪しげな印象がある。
「はい、それではこちら凄腕のゴーストスイーパー美木原GSです」
「うむ、私が美木原だ」
レポーターの紹介に鷹揚にうなづく老人。
「は? ゴーストスイーパー? あのスケベジジイが?」
こう言ってはなんだが、とてもそうは見えなかった。
どうやら昨日タマモの話の中に出てきた自治体から悪霊の調査を依頼されたゴーストスイーパとやらがあの老人だったらしい。
――そういえば、仕事でここに来ているって言ってたなあ。
忠夫は昨日の老人との会話を思い出していた。
一方、タマモのほうはというと、ジトッと胡乱な視線を忠夫に向けていた。先ほど忠夫が不用意に発した一言が原因だった。
「……スケベジジイね、そう、なるほどね」
忠夫と老人の関係について察しがついたようだった。
女風呂の覗きの件に関しては、そのとき風呂に入っていたタマモには忠夫が覗きに来ていたという事には気づいていたが、もう一人のほうの見知らぬ気配については分からなかった。
なるほどなるほど、そういうことね。
「呆れて声も出ないわ。あんなおじいさんと一緒に覗きなんて」
「うおっほん! まあ、その話はもういいじゃねえかよ」
わざとらしく咳払いする忠夫。
そんな中でも、テレビの取材はやはり悪霊の件に関してらしい。数日前から起こる不可思議な事件の数々について特集を組んでいたらしく、そこで突然片田舎の街に現れた著名なゴーストスイーパーに事件との何らかの関係を見出し突撃取材をしているようだった。
地方の自治体としては、霊障で怪我人も出ているなどとは喧伝してほしくないらしく情報規制がひかれているようだった。確かにこのあたりの温泉街にとって観光業は街の財政の生命線と呼べるものだろう。悪霊が出る温泉街などとつまらないケチをつけられてはたまったものではない。
「美木原GSがいらっしゃるということは一連の怪事件はやはり霊障ということなのでしょうか?」
レポーターがマイクを向けて尋ねると、美木原はある意味とんでもなくすっとぼけた返答を返した。
「何を言っているのか分からんね。私はただ温泉を楽しみに来ただけだが?」
――そんな怪しげな格好をした温泉客がいるか!?
路地の薄暗がりの中で占いやまじないの商売でもしていそうな格好で、いけしゃあしゃあとそんなことをのたまった。
これにはさすがにレポーターも忠夫の内心で上げたツッコミと同じことを考えたらしく、頬が盛大に引きつっていた。
「い、いえ、その美木原GSのその格好を見ますと、どう考えても」
「これは普段着だ」
あくまで普段着、と。
そう断言する美木原。あそこまで胸を張って言われると、本当にそうなのではと思ってしまう。
それからレポーターは少しでも美木原から情報を引き出そうと話を振るが、一向に成果は上がらない。のらりくらりと話を受け流す美木原。
おそらく情報の拡散を防ぎたい自治体から口止め料でももらっているのだろう。
やがてレポーターはあきらめたらしく、カメラマンともどもすごすごと撤退していった。
「よ、じいさん」
「げ」
忠夫の顔を見るなり、嫌そうに呻く美木原。
「んだよ、その〝げ〟ってのは」
「……誰かの? わしはおぬしなぞとんと見覚えが無いのだが」
そっぽ向いて、そらっとぼける美木原。
「昨日、温泉で」
「ぬおおおおおお――っ! やめんかぁっ! ちゃんと覚えとるわ!」
衆人観衆の前で女風呂を覗こうとしたなどという話をされて噂が広がろうものなら今まで築き上げてきたゴーストスイーパーとしての名声に傷がつきかねない。慌てて忠夫の言葉を大声で遮る美木原。
忠夫はやにやと意地の悪い笑いを浮かべている。
「そうそう、人間素直が一番だぜ?」
――こ、こいつ……っ。
額に青筋を浮かべながら唸る。
「ところでじいさんゴーストスイーパーなんだって?」
「ふん、聞いとったのか。そうじゃよ、結構テレビにも露出していたのだが知らんのか?」
「全然」
「いちいち癪に障る小僧じゃな」
それより、と忠夫は美木原に指を突きつけた。宣言する。
「あの悪霊は俺の獲物だ。あんたにやれはしねえぜ」
美木原はその言葉にぽかんと表情を惚けさせた。忠夫の言葉の意味することを頭の中で咀嚼する。
「それは、なにか? おぬしが霊を退治すると」
「そうだ」
「おぬしはゴーストスイーパーというわけではあるまい。年齢的にも」
訝しげに問いける美木原。ゴーストスイーパーの資格を手に入れるための試験には原則的に年齢制限がある。目の前のまだ幼い容貌をした少年が、規定の基準に達しているとは思えない。
「おう、資格はまだ持ってないぜ」
「じゃあ、関わるな。命落としても知らんぞ」
それは大人としてもプロとしても当然の勧告だ。
「というか、暗に悪霊退治でこの街に来たって今ので認めたようなものだよな」
「う、ぬ……、いいからおぬしはここでおとなしく温泉にでもつかっとれ! プロの現場に素人がしゃしゃりでてくるでない!」
「は、見た目で判断すると痛い目見るぜ?」
顔を突きつけあってにらみ合う二人。
そんな二人を遠巻きに眺めながら、なにやっているんだか、とため息をつくタマモ。ふと気づくことがあった。
「あら、猫だわ」
タマモがそんなことを言った。
忠夫が足元を見下ろすと、そこには一匹の猫がいた。白と黒のブチ猫だ。くりくりとした愛らしい瞳でこちらを見上げている。
「ん? おうオセロ、おまえどこに行ってたんじゃ?」
「にゃーん」
オセロ。
美木原は猫を抱き上げて、名前を呼んだ。
「なんだ、その猫じいさんのか?」
「そうじゃ、わしの家族じゃ」
そういえば、昨日聞いた話では嫁はいないと言っていた。
「オセロっつうのか?」
「うむ、白と黒の毛並みだからオセロじゃ」
「また安直な名前だな。おーい、オセロー」
忠夫は美木原が抱きかかえたオセロの背中を撫でようとする。美木原は鼻を鳴らして「止めておけ」と忠告してきた。
「オセロはわしにしかなつかん。引っかかれるのが関の山……なにぃっ!?」
「おうおう、なんだ人懐っこいじゃねえか。ほれほれここがいいんか」
驚愕の表情を浮かべる美木原。忠夫はオセロの背中を撫でた後、耳の後や、あごの先っぽ、を人差し指で掻いてやる。
オセロは気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らしている。
体質なのかは分からないが、忠夫は昔から妙に動物に好かれやすかった。
「ほーれほれ……、ん? どうしたよじいさん?」
美木原はわなわなと震えていた。頬には汗がびっしり。呼吸も荒い。傍目から見ると今にも倒れるのではないかと思えるほど顔が真っ青だ。
「おいホントに大丈夫か? 今にも死にそうなツラしてよ」
「け、けけけけけけけけ……――っ」
「おいタマモ大変だ。このじいさん急に笑い出したぞ。統合失調症かもしれん」
「多分笑っているわけじゃないと思うんだけど」
突然の美木原の奇行に戸惑う忠夫。
「け」
それから美木原は爆発したように。
「決闘じゃあああああああああああああ――――――っ!」
叫んだ。
「はぁ? あんたなに言ってんだ?」
「うるさい!決闘じゃ、決闘! よくもオセロをかどわかしてくれたのうっ?」
「かどわかすってなんだ、かどわかすって?」
「オセロは今までわしにしかなつかんかったんじゃ!」
それなのに! と悪夢を振り払うように頭を振る。
「わしから家族を、オセロを奪おうななどと万死に値する! 許さん、決して許さん! オセロは決しておまえのような青二才にやるわけにはいかん!」
「娘の連れてきた彼氏を追い返す父親か!?」
「やかましいわ!」
これはやばい。
完全に周りが見えていない。よっぽどオセロのことをかわいがっているらしく、オセロが懐いた(美木原主観)忠夫をまるで親の敵に対するような厭悪な表情を向けてくる。
「決闘じゃ! 例の悪霊を先に倒したほうが勝ちということでよいな!?」
「あんたさっきと言っていることが違うぞ?」
さっきまでは悪霊には危ないから近づくなと言っていたはずだった。それなのにこの変わりよう。
「うるさい! わしが勝ったら今後一切オセロには近づかんでもらおうか」
「いや、別に近づくなっつうんなら近づかんけども」
「なんじゃとぉぉぉっ!? それは貴様オセロを弄ぶだけ弄んで飽きたらポイということか!? この鬼畜外道めが!」
「人聞き悪いな、オイ!? あんたさっきから言っていること滅茶苦茶だぞ!」
まあこれならこれでいいかと忠夫は思う。どっちみちあの悪霊を退治することを他の霊能者に譲るわけにはいかない。同業者に遅れをとったと師匠に知られようものなら、修行が足りないとか言われて拷問もかくやというくらいの地獄の修行を受けることになりかねない。
「まあいいぜ、その勝負は乗った。それで俺が勝ったらじいさんは何してくれんだい……何を賭ける?」
向こうはこちらが負けたときの条件を提示してきた。つまりこちらが勝負に勝った場合は何らかの条件を飲み、もしくは物品を賭ける心積もりということなのだろう。それなら一応確認しておかねば損だ。
「く……、そのときは、わしも男じゃ」
つう、とサングラスの奥から涙が頬を伝った。男泣き。魂の慟哭だった。
「おまえとオセロの仲を認めよう!」
「いらねえっつってんだよ!」
どうも美木原の頭の中では猫のオセロに交際を申し込む間男(忠夫)という構図になっているらしい。娘のように大事にしていた猫が初めて自分以外に心を開いた相手。心情的にはそんなもんなのだろう。
「そうじゃねえ、そうじゃねえんだよ……、他にほら、あるだろ? こういう勝負事のときに賭けるものってもんがよぉ」
にじり寄る忠夫。上に向けた人差し指と親指で輪を作るジェスチャー。何を要求しているかは確定的だった。
「やめなさいこのバカ」
タマモが流麗な足刀蹴りによって問答無用で黙らされた。
「つおっ、おま……っ、交渉の邪魔すんじゃねえよ」
「あんたはチンピラか。金銭を要求するなんて優雅さのかけらもないわよ」
「優雅じゃ腹は膨れねえ……ん、そうだ」
それなら、と思いつくものがあった。
「おい、じいさん。それなら俺が買った場合に要求するものは、ここから東京までの電車の切符だ。もちろん二人ぶんな」
「……ああっ!」
ぽんと手を打つタマモ。
そうか、そういえばここに来るまでに乗ってきた自転車はスクラップ行きになってしまった。なによりもう一度あの道のりを自転車で帰るのは忠夫はともかくタマモには少々辛いものがあった。
渡りに船というやつだ。もしくは一石二鳥。直接の金銭のやりとりとあまり変わらない気もするが、各々の捉え方の違いというやつだろう。
「ふん、そんなものでいいなら用意しようではないか! もちろんわしに勝ったらの話だがな!」
――よし、言質はとった。
「は、油断して足元すくわれんじゃねえぞ」
「おうおう小童が嘶きおるわ!」
「ほえ面かかせてやるからな。よし、じゃあタマモ!」
タマモの手を引いて歩き出す忠夫。
……向かう先は。
「さっそく高原に遊びに行くぜ!」
「って、なんじゃそりゃあ!? 最初に喧嘩ふっかけてきたのはおぬしじゃろうが、勝負はどうした勝負は!? いきなりそんなんあるかぁ!?」
「うっせ、こっちのほうが先約なんだよ!」
ますますヒートアップしていく二人の様子を尻目にタマモは静かにため息をついた。
「なんでこういちいちバカ騒ぎになるのやら。一体どうすれば穏やかな温泉旅行になるのかしら?」
ゴーストスイーパーの卵、横島忠夫。
その妹、横島タマモ。
神になれなかった地縛霊の少女、キヌ。
老練のゴーストスイーパー、美木原。
猿の親子を引き裂く原因となった、一週間前の大地震。
そして、未だ目的が分からない謎の悪霊。
物語を紡ぐための糸はこれで全てだ。
これらの糸が絡み合い、御呂地岳とその周辺の街に、未曾有の大事件を引き起こす切欠になることを知るものは……。
まだ、いない。