長い廊下を歩く二人の人影がある。一人はこの館のメイド長を務める咲夜、もう一人はこの館のバトラーを務めるアルトリウスである。この紅魔館で働いてアルトリウスは大体一ヶ月になる。一ヶ月間ずっとこの紅魔館の紅い世界で働いていれば流石に目が慣れた。刺々しく感じた紅色も、今ではまったく苦にはならない。
そんな中を二人が歩き向かおうとしてい場所は食堂である。先程図書館の中でアルトリウスが自らの世界について語っている時、何時もは時間通りに食堂に来るアルトリウスが来ていないので咲夜が図書館まで呼びに来て今に至る。
「そういえば、咲夜。先程私を呼びに来た時、驚いていたようだったが何かあったのか?」
ふと、アルトリウスは自分を呼びに来た時の咲夜を思い出した。扉の開く音に気づいて、語るのを一旦止めてそちらの方へ向くとそこには少し面食らったような顔の咲夜がいたのだ。
「ああ、あれね。何時もは本ばかり読んでて他に余り興味をもたないパチュリー様が熱心に貴方の話してることに耳を傾けていたから、意外だったのよ。」
「なるほど、そういうことだったのか。」
咲夜答えにアルトリウスは納得する。
──しかし、一日の殆どを本を読むことに費やすパチュリーが私の世界に興味を持つとは…そんなに興味深い話だったのだろうか。私の思っている以上に私の世界は興味が惹かれるものなのか?私にとってはこの幻想郷と言う世界の方が心惹かれるのだがね。
パチュリーにとってはこの幻想郷という世界が普通であってアルトリウスの世界は異なるものである。それは知識欲旺盛なパチュリーにとって知識を得ようと掻き立てられるものなのだろう。それとは反対にアルトリウスは幻想郷に関心が湧いた。この世界に生きて争いというものが美鈴の組手だけ、争いの少ない幻想郷に安らげる所があるのかと思うところがあるのだろう。
しかしアルトリウスの行く先に争いがないということはあるのだろうか。生まれた頃より戦いの渦中にいたアルトリウスだ、否応なしに運命は彼に戦いを強いるのではないのか、そんなことは誰にも分からぬことだが。
「あゝそうだ。」
「何かしら?」
咲夜は隣を歩くアルトリウスに視線は移さず返事をする。
「今日の夕食は何が出るのだろうか。」
「それは食堂についてからのお楽しみよ。今ここで言ったら面白味がないじゃない。」
アルトリウスは一瞬だけ悄気たような声を出すが、その後直ぐに明るい声に変わる。
「そうか…なら心躍らせて待つとしようか。」
「貴方、何時も食事の時、凄く楽しそうに食べるわよね。」
「あゝ!食事と聞くだけで楽しみで足が地に着かない思いになるよ。」
アルトリウスは玩具を待つ子供の様に言った。
「本当に食べることが好きなのね。」
どこか呆れたような少し嬉しそうな声で咲夜は言う。やはり料理をつくる側として、ここまで楽しみに待ってくれるというのは嬉しいものがあるのだろう。
「勿論だ。食事の時、仲間と共に酒を飲み、語り、騒いでいる時が一番安らげる時間だったからな。」
そう言うアルトリウスの声は少し寂しげで、昔を思い出すように優しかった。
──一歩外に出れば常に生と死の鬩ぎ合い。夜、寝ている時でも油断はできず、夢の中で私の殺した者達が血まみれの姿で私を囲む。思えば私の安らげる時などその時にしか無かったのだな。
咲夜が横目でアルトリウスを見ると、アルトリウスの顔は憂いを帯びていて、それでも嬉しそうに口元だけは笑顔だった。深く聞いてはいけないように咲夜は感じ、それ以上をアルトリウスに聞くことはなかった。
二人が無言のまま歩いて数分、彫刻を施された食堂の扉の前に着いた。
「毎回思うのだが、ここにしても王宮にしても何故こうも装飾に凝るのだろうな。」
「装飾に凝れるのは、その者の威厳と権力などを見せつけるためでしょうね。」
「食事は美味しく楽しいのだが、綺羅びやかに飾られている所に居るとどうも落ち着かない」
「貴方、騎士だったんでしょう?なら慣れなさい。」
それだけ咲夜は言って扉を開ける。扉は大きく作られているので、身長の大きいアルトリウスが身を屈めなくてすむのだが、アルトリウスにとって装飾に飾られた空間は居心地が悪いようだった。
「私は城下町の酒場のような和気藹々としている所の方が落ち着けるのだがな…。」
そのようなことをボソリとアルトリウスは言ったが、それに答える者はいない。咲夜は何時の間にか消えていた。料理を作りに行ったのだろう。
「今日は少し遅かったのね。」
食堂の中央に置かれている長テーブルの一番奥から幼い声が聞こえる。この紅魔館の主、レミリア・スカーレットだ。
「少し私の世界の話しをパチュリー達にしていたら遅くなった。」
「次からは遅れちゃ駄目よ。咲夜の料理がどれだけ早くても貴方が来ないとそれだけ咲夜の料理を食べるまで時間が掛かるんだから。」
「済まなかった。次からは気をつける。」
主からの窘めをくらい、謝罪の言葉だけ述べる。
「貴方、反省していないでしょ。」
「反省はしているさ。謝罪の言葉を述べるくらいには。」
「そう、ならいいわ…。ん?謝罪の言葉を述べただけだと反省したことにはならないんじゃないの?」
「何を言っているんだ?謝罪をしているのだから、それすなわち反省をしているということだろう。」
「あれ?そうなの?」
「そうだ。」
「それだったらいいわ。」
レミリアはアルトリウスの言葉にどこか釈然としないまま納得する。アルトリウス自身は全くと言って反省していない。レミリアは巧く言いくるめられたのだ。
「お待たせしました。」
調理場のある方から料理を乗せたワゴンを押して咲夜がやって来る。
「今日は珍しく市場に魚が出回っていたので御魚料理です。」
「あら、何の魚なの?」
「ヒラメと言うお魚ですよ。」
「ほぉ、珍しいな。何時もと料理の形式が違う。何だったか、和食というものだったか?」
「ええ、今日は何時もの料理とは違って和食よ。前に説明したと思うけど、食べるのは初めてよね。」
「あゝ、食事が終わった後レシピを教えてくれないか?」
「わかったわ。」
「じゃあ今日の献立の名前だけ先に教えておくけど、ヒラメの煮付けに、昆布じめヒラメの丼。あとはヒラメの皮で作った酢の物と……。」
咲夜はテキパキと三人分の料理を並べ、ワゴンと一緒に調理室の方へ向かった。基本、食堂で食べるのは三人。アルトリウスとレミリアと咲夜。パチュリー達は基本図書館から移動することはなく、料理は食べたくなったらたまに来るといった形だ。
咲夜は一旦アルトリウスとレミリアの食事を並べて、門番の美鈴の所に料理を持っていく。そして咲夜が戻ってきてから三人で食事を始めるのだ。本来なら美鈴に料理を持って行き、戻ってくるまでに時間が掛かるのだが、そこは咲夜の能力により、問題ない。
「それでは食べましょうか。」
咲夜が席につく。
『頂きます。』
三人揃って言い、食事に手を付ける。和食だということで、何時もはナイフ、フォーク、スプーンで料理を食べるが、今日は箸を使う。レミリアだけがなかなか箸を巧く使えずに、箸で摘んだ料理を持ち上げては落とすを繰り返していた。
「うー…咲夜!スプーンとフォーク!」
「はい、ただいま。」
とうとう箸を使えず、料理に有附ないことに業を煮やし、箸を使うことを放棄する。
「だいたい何でアルトリウスが箸を使えるのよ。」
箸を使えないことへの苛立ちをアルトリウスに向ける。
「いや、料理の説明を聞くときにな。最初は巧く使えなかったが、この先和食を作る時、箸を使えないといけないということで練習したんだ。」
「練習熱心なことね。」
ぶつくさと言うレミリアの前のテーブルに咲夜がスプーンとフォークを置いた。
「有難う。」
先程までの苛つきが嘘のように消え、美味しそうに料理に手を付けた。
「ところでアルトリウス、貴方、料理の腕は上がったのかしら?」
ふと思いついたレミリアがアルトリウスに聞く。
「ふむ、刃物扱いには慣れているつもりだったが、なかなか上手くいかないものだな。」
と、言うのも、アルトリウスはこの紅魔館に転生してから初めて食事をとった時、元の世界とは大分違う料理に驚きを示し、食した所、こんなにも美味しいものが作れるものなのかと感銘を受けたのが始まりである。それを切っ掛けにアルトリウスが咲夜に料理を習いたいと言ったのだ。掃除洗濯、果てには草花の手入れなど、大分騎士とは離れた事をしているが、本人が楽しんでやっていることなので咲夜もレミリアも何も言わない。内心、それは騎士としてどうなのか、と、思っているのは二人の胸の内だけにしまっておく。
「でも、最初の頃よりかは大分上達したのではと思っている。」
「そうなの?咲夜。」
「ええ、最初の右も左も分からない様な頃から比べると大分上達はしましたね。基礎が出来てきたので後は応用をきかせていく様に出来れば合格点ですね。」
「へぇ、結構頑張っているのね。咲夜から合格点を貰ったら、貴方の料理、私に食べさせなさい。」
「了解した。」
その後の会話はなく、黙々と食べ進めていく。
余談だがアルトリウスの料理の量は二人に比べて大分多くしている。最初こそ、遠慮して二人と同じ量だけ食べていたのだが、ある時、咲夜が、「まだおかわりあるけど食べる?」の一言に、おかわりが尽きるまで食べたのだから直ぐに大食いであることがバレた。
それからというもの、アルトリウスの量は大分多めにしている。それでもおかわりがあれば食べるのだが。
『ご馳走様でした。』
三人の食器の中が空になり、終わりの挨拶をする。これもアルトリウスは最初知らなかったことだが、咲夜がアルトリウスに説明すると、「食材を食すことに感謝の意を示すのか。それはいいな」と、教えてもらったその日から使い始めた。
「何か手伝うことはあるか?」
「ないわね。片付けは私がするから、貴方は何時も通りそこで休んでいなさい。」
そう言い終わった時には咲夜の姿もテーブルに乗っていた食器も一緒に消えてしまった。
──便利な能力だが…これでいきなり後に現れたりされると、心臓が跳ね上がる…。何度やられても慣れることがないから困る…。
そんなことを思っていると、レミリアの方からカチャカチャと音がする。見るとそこにはカップに紅茶を入れる咲夜と、早く飲みたそうにしているレミリアがいた。レミリアの紅茶を入れ終わると次はアルトリウスの分も咲夜は入れてくれる。
アルトリウスは有難うと咲夜に言い、紅茶を口に含む。こぁの淹れる紅茶とは茶葉が違うようで、こちらの紅茶は香りが柔らかく飲みやすい。こぁの淹れた紅茶は少し刺激的が香りで、飲む者を選ぶような紅茶だった。アルトリウスはその紅茶を気に入っている。
「咲夜、今日のレシピを教えてくれないか?」
「ええ、いいわよ。」
アルトリウスは胸ポケットに入れてある手帳と万年筆を取り出した。アルトリウスが料理を教えて貰いたいと頼んだ時に、咲夜から「言ったことを忘れないように、これに記しておきなさい。」と、渡されたものだ。
「今日の献立は全部ヒラメの料理なんだけど、そうね、ヒラメの捌き方から教えていくわね。
まずヒラメの鱗を取っていくの。魚自体が大きいから包丁で鱗を取るよりかは、流水で流しながら、金たわしを使って取ると楽ね。
次にエラにそって切り目を入れて、内臓ごと頭を引き抜くの。
そうしたら次は捌いていくんだけど、ヒラメの真ん中に白い線があるから、そこから骨に少し当たる程度に包丁で切れ目を入れいくの。
次に背鰭と臀鰭付け根ぎりぎりに包丁を入れていくんだけど、直ぐ骨に当たるから軽く切れ目が付く程度で大丈夫ね。それを反対側もするの。
切り目を入れたら、魚の中央に引いた切れ目から包丁を入れるの。中骨にあたるから、そのまま刃先を当てながら身の方へ刃を進めていくの。背鰭と臀鰭付け根に切れ目が届いたら後は簡単に身が外せるわね。それを反対側も同じようにすると、五枚下ろしの完成ね。この時、身にえんがわっていうのが付いているのだけれど、それは皮を引くと簡単に外すことができるわ。
理解、できたかしら?」
「あゝ、大体は理解できたが、やはり実物を一回捌いてみなければ完全には、な。」
「ま、そういうものでしょう。こんどヒラメが出回ったら貴方に捌かせるわ。」
「了解した。」
「ねぇちょっと~。その後献立のレシピを教えていくんでしょ~。その前に私寝るから咲夜、準備お願い~。」
眠たそうにレミリアは言う。若干口をとがらせて、眠そうな瞼を手で擦る。
「はい、わかりました。レミリア様?目をこ擦っちゃいけませんよ。」
「う~早く~。」
「はいはい。じゃあ続きは後で教えるわ。」
「あゝ、待っているよ。」
咲夜はレミリアを連れて食堂を出る。残るのはアルトリウスとテーブルの上に置いてある紅茶だけである。
「やはり何時まで経ってもこれだけは慣れないな。」
レミリアの紅茶から漂う匂い。それは僅かだがアルトリウスにはわかる。数多の戦場で嫌でも浴びることになるのだ。
「血の臭いだけは。」
アルトリウスとレミリアの使われている茶葉は同じものだ。しかし、アルトリウスとレミリアの紅茶とでは決定的な違いがある。レミリアの紅茶には血が混じっているのだ。
アルトリウスはレミリアが何なのかは知らない。こちらに危害を加えてくるわけでもなく、衣食住を提供してもらっている身であるため、こちらから深く問う気もない。レミリアの背中から生える翼が何のものかもよくはわかっていないが、この幻想郷には沢山の幻想となったものが集う場所だと聞いた。彼女もまたその一人なのだろうと、アルトリウスは深く考えないことにしたのだ。アルトリウスのみに危険がないとは言い切れないが、それでもアルトリウスは今の平穏な暮らしの中、それを乱そうとは思わなかった。
「しかしレミリアは長い年月生きているとは言うが、まだ心は幼いな。」
「あら、それが可愛いんじゃない。」
「……咲夜、いきなり後ろに立つのは止めてくれないか?一度止まった心臓がまた止まりそうだ。」
「あらごめんなさい。じゃ、説明の続き、始めましょうか。」
「頼むよ。」
咲夜は事細かに献立のレシピを説明していき、アルトリウスはそれに質問をする。それに咲夜が答え、夜は更けていく。
アルトリウスは咲夜の言う一字一句を忘れないように、自らの手帳に記していった。