まだ蒸し暑い日が続く中、麗華達は当たり前の日々を送っていた。
とある午後の授業を受ける麗華達……体育の次の授業をクラスメイトは皆、眠そうな表情を浮かべて受けていた。眠そうに欠伸をする麗華は、ウトウトとしながら教師が書く黒板の字をノートに写していた。ふと、隣に座る大輔の方に目を向けると、彼は腹部を抑えながら机に伏せていた。
気になった彼女は、シャーペンで机を軽く叩き小声で声を掛けた。
「星崎、大丈夫?」
「……っぃ」
「え?」
「腹……」
そう言いながら、星崎は椅子から転げ落ちるようにして倒れた。
「星崎!?」
「何だ?今の音は?」
「星崎君が、いきなり倒れました!」
その言葉に、授業を中断して教師は慌てて彼の元に駆け付けた。大輔は腹を抑えながら、立とうとするが痛みからか上手く立つことが出来ないでいた。
「星崎、どうした?!
は、腹が痛いのか?!」
「だ……大丈…夫……です……
こん…なの……保、保健…室で…ね、寝て…れば」
「そんな苦しそうな声聞いて、ハイそうですかって言えるか!」
そう言いながら、麗華はどこかに電話を掛けた。
「もしもし、救急車お願いします。
場所は鈴海高校。腹部に激しい痛みを訴えて、蹲ってます」
電話で的確に話す麗華に、教師はポカーンとしていた。電話を切ると彼女の元に、大輔の周りを飛び回っていたニア達が心配そうな声を出しながら寄った。そんな三匹を麗華は順々に撫でていった。
数分後、救急車が到着し大輔は担架に乗せられて病院へ運ばれていった。
夕方……
「くっそー……傷口が痛む……」
病院のベッドに寝ている大輔は、腹部を押さえながら上半身だけ起こしていた。
「まさか盲腸だったとは……」
花瓶に花を生けながら、朝妃はそう呟いた。一緒に来ていた翼はプリント類に一枚一枚目を通すと、それをファイルに入れ大輔に渡した。
「今日貰ったプリントと、退院後に出す紙貰っといたから」
「悪ぃ……」
「まだ痛むの?」
「多少な……さっきよりはマシだけど」
「にしても……この病院確か、麗華の知り合いの病院だよね?」
「らしい……詳しいことは聞いてねぇ」
「全く、麗華ちゃんといい龍二君といい、救急隊員に意見言うね」
「二件かけて、二件ともダメとかおかしいでしょう?
この病院だったら、茂兄さんが一応担当医だからできると思って、ここにした」
「そのせいで僕はちょっと怒られちゃったよ、救急隊員に」
「そりゃあすみません」
病室に入ってきた茂は、安堵したような表情を浮かべながら大輔の前に立った。
「体調の方はどうかな?」
「傷口痛む程度で、その他は特に……」
「なら良かった。
十日は入院してもらうよ」
「え……マジ。
二・三日で退院できませんか?」
「駄目。お腹切ってる上に君、ちゃんと寝てないでしょ?」
「え?」
「君のその顔、明らかに寝不足だよね?
それに、体重。鈴海高校の健康診断を担当している病院に、君のカルテを取り寄せたけど……
どうすれば、こんなに減る訳?四月から6kgも」
「え?!そんなに!?」
「お前確か、健康診断の時の体重70kgは超えてたよな?!
身長5cmか6cm伸びたって」
「ウソ!?」
「高校生がここまで激やせるのは、少し不可解でね。
説明してくれるかな?大輔君」
「いや、あの……
そ、それは……」
「星崎、吐いたほうがいいよ。
茂兄さん、レベルが上がると脅しになってくるから」
「麗華ちゃん、少し黙ってもらえるかな?」
「はい……」
不気味にほほ笑む茂に詰め寄られ、大輔は冷や汗をかきながら目を反らそうと顔を横に向けた。だがすぐに、茂は彼の頭を鷲掴みにして自身の方に顔を向けさせた。無言の圧力に負け、大輔は降参し話した。
「なるほどねぇ。修学旅行の旅費を貯める為に、休みなく働き詰めだったと」
「夏休み稼ぐ予定が、クソ親父のせいで貯めるに貯められなかったし……」
「それで学校始まっても、学校とバイトと部活の両立だったってわけか」
「だから部活、週二で休んでたんだ。
田中さんが言ってたから、大輔が家庭事情でしばらく週二回休むって」
「俺等の学校、変に校則厳しいからな。どんな条件でも部活は絶対だし」
「それがどうかと思うんだけどね」
「兄貴の世代の時に、やらかしたからね」
「え?そうなの?」
「頭がいい学校って言っても、中途半端なのが多くて……
部活に入ってない子達が、次々に問題を起こす様になって。保護者にも言うんだけど、なんやかんや理由付けて学校側の責任だって言われるようになって。
その防止のために、部活は必須になったらしいよ。まぁ、詳しいことは知らないけど」
「マジか……」
「大輔君、君このままだと過労死するよ」
「……」
「まぁ、一応保護者には?」
「しないで下さい。あいつ等に面倒掛けるくらいなら、このまま」
彼の様子に首を傾げる茂に、麗華は事情を耳打ちした。茂はすぐに納得し、カルテに何かを書きながら、病室を出て行った。入れ違いに、年配の女性看護師が入ってきた。
「あれ?翠川さん」
「あら、麗華ちゃん。お久しぶり」
看護師の声に、窓の外を見ていた大輔はチラッと女性の方に目を向けた。白髪交じりの黒い髪を団子に結い、少し皴が出た顔に笑みを浮かべながら、麗華とその女性は話していた。
(……母さん?)
十五年前の微かな記憶が一瞬頭に過った。彼の目線に気付いたのか、看護師は大輔の方を向いた。
「あら?この子……」
「数時間前に、救急で運ばれた患者。
今さっき麻酔から覚めて……?」
不意に流れる涙……麗華は二人を交互に見た。看護師は慌てて涙を拭うと笑いながら言った。
「き、昨日夜勤だったからあくびが出ちゃったのね!
嫌だわぁ、仕事中なのに」
「翠川さーん!ちょっと!」
「あ、はい!今行きます!」
他の看護師に呼ばれて、翠川は病室を出て行った。不思議そうに朝妃は麗華の方に顔を向けながら話し掛けた。
「麗華、あの看護師さんと知り合い?」
「あぁ。
小さい頃、私がこの病院で入院してた時にお世話になった看護師さんなんだ。
小学校あがる前に、別の地区の病院に異動しちゃって」
「そうだったんだ……
あれ?麗華、入院してたの?!」
「体弱くてね。風邪拗らせて、肺炎にかかってそのまま入院。
まぁ、母親がこの病院の元院長だったから、別に害はなかったけど」
「え?!そうなの!?」
「あれ?言ってなかったっけ?
母親が女医だって」
「言ってない言ってない!」
「コラそこ!
面会時間、もう過ぎてますよ!」
看護師の怒鳴り声に、朝妃と翼はすぐに鞄を持ち帰り支度をした。
「じゃ、じゃあ私達はこれで」
「神崎、あと頼んだぜ」
「大野も、立花の事よろしくねぇ」
「テメェ!!」
「翼、早く!」
「あ、あぁ」
睨んでくる看護師を前に、二人は慌てて病室を出て行った。静かになった病室で、麗華はふと大輔の方を振り向いた。彼はボーっとした状態で、目に涙を貯めながら出入り口付近を見つめていた。
「星崎?どうかした?」
「……いや……何でもない」
「?」
非常階段……
人知れず、翠川は段に座り声を抑えて泣いていた。
(あんなに……あんなに大きくなって……
ごめんね……ごめんね、大輔……ごめんね)
体を震えさせながら、翠川は必死に声を抑えて泣いた。