名前も声も知らない   作:はやめ

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第1話 本能を呼び覚ます焔

 

 

 聳え立つ壁は高い。

 あの地平線に沈んでいく夕日を掴み取ろうとしても、巨躯がそうはさせまいと邪魔をする。竜の鱗が逆光を浴びて、研ぎ澄まされた刃物のように光沢を帯びる。

 自分を暖めてくれる灯も、ほんの少し風が吹いただけで掻き消されてしまいそうなほどに弱り果てていた。肩で息をするのがやっとで、黄色い毛皮を赤黒く染めている。相手は全く涼しい顔をしているのに。

「そろそろ限界だろう」

 男は言う。だが、認めたくない一心で少年は抗うのだ。

「まだだ。終わりじゃない。まだ戦える!」

 何もして来ないのが、かえって癪に障る。否、その必要はないと分かっている。強者の余裕とは、つくづく恨めしいものだ。

「マフォクシー!」

 拳に力を入れて、少年は腹の底から声を絞り出す。共に戦っている、そんな気持ちを確かめ合うためにも。

 相棒はちらりと横目を流し、唸る。よし、まだ闘志は死んでいない。

 諦めるわけにはいかなかった。またとないこの時に、自分達の力を見せ付けるためにも。少年がここまで拘る理由は、戦っているポケモントレーナーにある。

「マジカル――」

「立派なマフォクシーだ。よく育てられているし、おやを信頼している。技も申し分なく鍛えられている。だが――」

「いきなり、なんですか」

「お前さん、何か大切なものを見落としているんじゃないのか?」

 サングラス越しに覗く男の眼光が、少年を射抜く。一瞬の内に心を見透かされるような気持ちがして、得体の知れない感情が体中から湧き上がってくる。

 マフォクシーは言われた通り、杖から炎を編み出そうとして、白目を剥き、そのまま身体を地に預ける。それは、例えばハイドロポンプを食らってスタジアムの壁に撃ち付けられた時や、メガトンパンチを頭部に容赦なく叩きつけられた時とはまた異なる感触だった。音も無く散ったマフォクシーが、二度と少年の声を聴いてくれない気がして、彼は震えが収まらなかった。

 少年は頭の中が空っぽになる。なりふり構わず駆け寄って、目を覚まさない相棒に語りかける。

「ねえ、マフォクシー! マフォクシー!!」

 髭面の男はすぐさまポケモンをボールに戻し、対照的に落ち着いた様子で、脈拍を確かめる。正常だった。内傷はそれほど案ずる状態でもないと聞かされ、少年は全身から力が抜けていく。それはいつものバトルが終わった時に感じる緊張感の虚脱とは少し異なるものであった。安堵する少年をよそに、男は優しく血を拭き取り始めるので、少年が思わず見上げる。男は黙ってタオルを差し出すと、少年はおずおずと見知らぬ人から物を渡された時のように丁重に受け取る。手荷物からキズぐすりを取り出すとそれを吹きつけ、包帯で傷口を巻いていく。

「マフォクシーはりゅうせいぐんを食らった時、既に限界だった。分かるか?」

 少年は頷くことしか出来なかった。

「勝ち負けよりも大事なことは、お前さん。いっぱいあるぞ」

 少年はマフォクシーに寄り添う。

「お前さん。何のためにポケモンバトルをしている?」

 答えられなかった。頭に浮かぶ模範解答はいくつかありながら、そのどれもが少年にとって本望から甚だ遠い位置にある価値観にすぎず、逆にそれを根こそぎ取り払ってしまった時、少年の中にあるものは空っぽな主張だけだ。考えてもみなかった、自分が何のためにポケモンバトルをしているかなど。それが当たり前でしかなかったから。

「分かりません……」

「そうか」

 男は否定するでもなく、よいしょと一声あげながら立ち上がる。

「しばらくマフォクシーを休ませた方が良い。ここからなら、ハコベタウンが近いだろう」

「あの」

「ん?」

「ありがとうございました……」

 少年は歯痒い思いを内に隠す。自分の腕がもっと常より誇れるものならば、こんな消え入るような礼ではなく、握手と共に友情すら分かち合うことは出来たはずだ。自分の至らなさが何よりも悔しい。

「お前さん。名は?」

「え……」

「名を聞いている」

「はい。アユ、ム。アユムです」

「アユムか。覚えておこう」

 少年アユムはその時、男が自分の名前をわざわざ尋ねた理由など分かるはずもなかった。彼は空虚だったからだ。自分が戦う理由すら、見つけられないでいたからだ。

 

 

 『  名前も声も知らない 第一話  』

 

 

 画面上に広がる神聖不可侵の領域で、砂塵が舞う。

 見る者を歓喜と興奮の渦に巻き込み、死闘を演じる者達は高らかに右手を掲げる。指示を出す合図だ。

 少年達は一瞬たりとも戦いの行方から目を逸らさないよう、瞬きをも禁じる制約を自らに課す。

 

 美しく大地を舞うようにして「マッハポケモン ガブリアス」を襲う氷の破片が、バトルフィールドを水晶色に染めて行く。目まぐるしく移り変わる展開。実況は思わず体を乗り出す。いかにこのポケモンバトルが多くの者に対し、意味を為すかという表れでもある。

 ガブリアスは閃光の如く鋭角を描きながら、予断を許さない速度で猛然と相手に挑みかかる。降り注ぐ霰にも臆さず、口から迸る炎熱でそれら全てを焼き払ってみせる。余波を被らないよう、素早く自分のポケモンを引き下げるために、腕を後方へと振る合図を送る。横目で指示を了解した「しんせつポケモン グレイシア」は、深追いを避けて間合いを取る。一連の闘技に対し、拍手が送られる。

『さすがです! チャンピオンのガブリアス、こおりタイプにも動じない。圧倒的な実力! これが王者の風格か!?』

『これを受けて、シン選手がどう立ち回るかですねえ。グレイシアは、まだ切り札を隠し持っているはずですよ』

 熱い実況に対し、相反する空気を纏うコメントを述べるのは解説者である。

『シン選手も承知の上でしょう。チャンピオン・ライゾウは、タイミングを窺っているようにも見えます』

『そうかもしれません。ライゾウは「グランドマスター」の異名を持つだけあり、力強い攻撃を主眼としたバトルをしますが、その裏では隙のない緻密なバトルを組み立てるゲームメイカーでもある』

 実況、解説が各自の考察を展開する中、まるで止まっていた時計の針が動き出したかのように、バトルは大きな転機を迎える。解説が予言した通り、四天王シンはグレイシアにある技を命じたのだ。

『おっと、これはシン選手……ふぶきか!?』

『良い判断ですね。これだけの霰が降り注ぐ状況下では、ガブリアスは吹雪を避けることが出来ません』

 グレイシアはこおりタイプのポケモンで、イーブイの進化系。小柄かつ細身の体躯には磨きがかけられ、見物者を魅了する。おさげが頭から流れ、氷上を自由闊達に舞う姫君をも連想させる。

 既にシンの支配下にあるフィールドでは、ガブリアスの体力を少しずつだが確実に蝕んでいく手筈が整っている。霰は風を手伝い、更なる雪を運び、敵の下へと届けるだろう。死のプレゼントとして。

 しかし、いかにグレイシアとてこおりタイプの大技であるふぶきを、そう何回も使うのは難しい。だからこそ、追い詰められる場面までシンは手の内を明かさない。一発逆転を狙い、ガブリアスを倒すための手段を隠し持つ。これがバトルの駆け引きである。

 グレイシアは息を大きく吸い込み、背筋を逸らせる。彼女の周辺が凍り付いていく。ブリザードが吹き荒れる。会場内で観戦に明け暮れる観客達がこぞって肌を震わせる。シンの瞳はグレイシアと同じく、遂に獲物を仕留めたという強烈な輝きを放つ。

 チャンピオンは挑戦者の高い壁として、絶対でなければならない。ライゾウは条件を満たす男だ。故に、一般のトレーナーならば戦闘の意志を奪われかねない必殺技に対して、髭を摩りながら、犬歯を剥き出しにする。

「ほう、お前さんもやるようになったな」

「グレイシア――ふぶき!」

 シンの叫びと共に、グレイシアが後退するほど、高出力の息吹が発せられる。

 まさか、それだけでは飽き足りない。ガブリアスを戦闘不能にするため、グレイシアは一世一代の賭けに打って出る。吹雪を発射する際、全身の体毛を凍らせるのがグレイシアの特徴である。凍て付いた毛は、相手を貫く武器となる。竜を穿つ鑓が伸びる。今、獲物を捉えた。ガブリアスは歯を食いしばる。動けない。会場は息を呑む。

『霰を降らせてからの吹雪! これは決まったか!?』

 チャンピオンは、天に拳を突き上げる。スタジアムを襲う極寒にも劣らぬ威風堂々とした声で命じる。

「ドラゴニス! アイアンヘッド!」

 ガブリアス、飛翔。衝撃のあまり、周りの大地が地割れを起こし、グレイシアの鑓はせり上がった岩肌に阻まれ、空の獲物を討つ。

 額に集中させたエネルギーが硬化現象を起こす。氷雪の世界を否定しながら、怒りの竜神が雌雄を決するために迫る。シンは悟る。

「吹雪の間に、エネルギーを溜めていたのか」

 グレイシアも大技を使ったことで、疲労が一気に機動性を削ぐ。肉を切らせて骨を断つとは、まさにこのことである。アイアンヘッドのエネルギーを蓄えたガブリアスは、スタジアムごとグレイシアを粉砕する。勝負あり。チャンピオン・ライゾウは、シンが吹雪で決着をつける企みを計算し、アイアンヘッドで迎え撃つ算段を立てていたのだ。 

 グレイシアは呻き声を残し、崩れ落ちる。それを敬意と共に見届けたガブリアスは黙って相手の下を去る。審判が手持ちポケモンを四匹残して、死闘を制したライゾウに赤旗を揚げる。

『グレイシア、戦闘不能! よって勝者、チャンピオン・ライゾウ!!』

 スタジアムには爆発的な歓声が沸く。スタンディングオベーションに異論はあるまい。

 爽やかな青を基調とした服装の男は、悔しさを押し殺しながらも、チャンピオンの方へと歩み寄る。二人は観客には聞こえない位置から何かを話し合う。一トレーナーとして、今のバトルを語り合っているのだろう。互いの健闘を称え合う握手で締めくくる。その場にいたら、思わず飲み込まれてしまいそうな声援が飛ぶ。

『これは文句無しの防衛でしょうね。チャンピオンリーグマスター兼グランドマスターといえば、ライゾウ。これを今後突き崩すことが出来るトレーナーが現れる、そんな未来にまずは期待しましょうか』

『そうですねえ、いずれはそんな子供が出て来るのでしょうか。いや、出て来なければ面白くありません! それでは、セイエイの皆さん。御視聴ありがとうございました』

 次世代への希望を込めた激励を送り、チャンピオン防衛戦は終了を告げる。

 

 街路のテレビ中継がポケスロンのCMに変わると、人だかりは少しずつまばらになっていく。子供達は先のバトルを自分の思うままに論評しながら、モンスターボールを力強く握り締める。シンとライゾウが見せたバトルは、時間と空間を超えて闘志を宿らせていくものだ。

 一人だけ立ち尽くす少年がいるのを見て、老人が親しげに声をかける。平凡な服装、長めの黒髪、柔らかい物腰の印象を与える。少年らしくあどけない横顔に少しだけ背伸びしたげな寂しさとプライドが見え隠れする。

「おや、君もトレーナーかね?」

 少年は周りの雑音や喧騒、和気藹々とした声までも掻き消すように集中を傾けている様子で、間近にいた老人にも気付くのは遅かった。

「あ。ごめんなさい」

「ああ、良いんじゃよ。悪かったね」

「そんなことは……。あ、ボクもトレーナーです……一応」

「トレーナーに一応も何もあるのかい?」

「なんていうか、トレーナーの資格があるのか、分からなくなっちゃって」

 次の言葉を紡ぐまで、少年と老人には隔たりが生じた。老人は何やら聞いてはいけないことに口を突っ込んでしまったと、気まずそうでまともに彼の眼を見ることも出来ない。少年は虚空を見上げ、それ以上は何も言わなかった。

 

 

 *

 

 

 燦々ときらめく日光は肌に強いがそれが心地良く、サイコソーダを一気に流し込めば、さぞかしこの気候を有意義に満喫出来るであろうと思われる。一目で都会と分かる建物が立ち並び、他愛もない喧騒が響き渡る。行き交う人々とポケモンは忙しそうだが、汗だくになりながらもやり応えのある仕事に取り込んでいるような充実の表情で通り過ぎていく。随所では子供達がスティールフラッグの練習に励むなど、外の世界の賑やかさと快活さを溢れんばかりに伝えて来る。ナップザックを降ろし、ベンチで一息、自販機で買ったミックスオレに溺れようとした――その時だ。

「見つけた見つけた見つけたーッ!」

「なんだ!?」

「ここで出会ったが百年目! あたしとバトルしろ!」

 アユムはこれまでの人生に対し、なるたけ誠実に生きる道を沿ってきたつもりだったので、見つけたという言葉に何か悪いことでもしたのだろうかという不穏で良からぬ気配を覚えたが、どうやら杞憂だったようである。彼めがけて自慢のポニーテールを不必要なほど振り乱しながら一挙に迫ってくる少女を見て、アユムは溜息をつく。いつの日か頭痛の種になりかねない。

「またキミか……」

「あれから、ポケモンは、育ったよな?」

 こちらの都合も考えず、息を切らしながらバトルを催促する男勝りな少女。言動と変わらず、不必要な装飾の一切を取り払ったさっぱりした外見で、白い素肌は健康的な瑞々しさ――まだ成熟を待つ段階の実――を思わせる。

 とある町の大会で打ち負かして以来、執拗に付き纏うようになってしまった。出会うたびにポケモンバトルを申し込まれるが、今の所九戦九勝を収めている。しかし、度重なる敗北にもめげず、この少女は何度も何度も真正面からぶつかってくる。時折その成長度合いに身震いすることもあった。負ければ嫌になる、そんな気持ちが彼女には存在しないのだろうかと、アユムは時折疑問に思わずにはいられない。

 あまりに驚きすぎたのか、河川に潜んでいたハスボーがますます沈んでしまう。声だけはやたら大きいので、生態系そのものに対する迷惑を起こしていないかどうかを一度検査する必要がある。

「ボクのポケモンは、今お休み中だよ」

「お休み? いくらあたしが怖いからって、言い訳は良くないよ」

 このポジティブシンキングはぜひとも見習いたいところである。こういう役回りは、普通は少年に降りかかる宿命だと思うのだが、この少女は自ら率先してバトル脳を演じてくれている。ありがたいことである。彼女がいる限り、戦闘の渇望に飢える人間が現れることはないだろう。闘技の未来に安堵しながら、少年は少女に手を振り、その場を後にしようと試みる。

「バトルから離れたいんだ。悪いけど、他をあたってくれるかい」

「シッポを巻いて逃げるのか、アユム!」

 逃げるという言葉は、いつでも不快な響きを持つものだ。

 今までの人生において、アユムが背を向けたものなどない。あらゆる困難に立ち向かい、自分の成果に収めてきた。家柄上、専らその成功はバトルに充てられた。アユムは一家の次男という重荷と期待を背負い、十歳になったら当たり前のようにポケモンを与えられ、旅に出た。長男のような立派なポケモントレーナーになる――そこには違和感などなかった。自分の人生は敷かれたレールをどれだけ忠実に守りながら歩くか、それに尽きると信じて疑わなかった。先代が敷いてきたレールは絶対である。いわば崖にかけられた丸太をどれだけ上手く渡るか。旅とはその程度のものだと思っている。

 これまでの日々ですら、勝利と栄光のために存在するのだ。それ以上の価値など、あるはずもない。だが、ある男はそれを明確に否定した。「一家」という絶対的な盾をいとも容易く貫いた後、問いかけてくるのだ。

 ――お前さん。何のためにポケモンバトルをしている?――

 家族のためだ。本当はそう言おうとした。だが、事実としては言えなかった。

 だからこそ、空虚で固めた城を壊され、空っぽの器だけが残った。それ以来だ、バトルに情熱を持てなくなったのは。アユムはモンスターボールを触ることが少なくなった。

 しかし、バトルを取り除けば、自分には一体何が残る? 今まで戦うために鍛えられ、教えを受けた。アユムは自分にしか分からない葛藤を経た後、まがいものの光を宿した瞳で彼女を見据える。今まで一戦も落としたことのないアユムにとって、目の前の少女を捻り潰すのは楽に想像出来る。少しなら、戦ってやってもいいか。そんな思考が頭をよぎる。

「分かったよ、ユウリ。バトルを受けよう」

「……そうこなくっちゃ!」

「でも、これでボクが勝ったら……悪いけど、これっきりにしてくれないかな」

「ふん。そういうことは、勝ってから言いなよね」

 暑さのせいか、ボールを握ると機械の冷たさがじんわりと手に広がる。中央のスイッチを押すと、持ち運びに適したサイズから、実用を検討された捕獲器具としての本領を発揮する、それがモンスターボールだ。ポケモンが光となって形を取る瞬間、赤と白のカプセルが二つに割れる。彼のボールから現れたのはマフォクシー。アユムが十歳の時に与えられた初心者用ほのおタイプ・フォッコの最終進化系である。今日までアユムやメンバーを支え続けたお姉さん的存在、ともいうべきチームのエースだ。

「待ってたぜ。そいつが出て来るのを……! 雪辱を果たせッ、ゴウカザル!」

 ユウリと呼ばれる少女は、待ち焦がれた好敵手に、彼女の相棒をぶつける。どこまで立ち向かえるかを試そうとしているようだ。頭から猛火を迸らせ、白い毛並みに身軽そうな体躯は、気合一閃、己を引き締める。ゴウカザルは足を床に滑らせ、今にも飛び出そうという格好。

「先攻をどうぞ」

「後悔するなよ? 今度のあたし達は一味違うぞ。なんたって、超必殺技を編み出して来たからな!」

「チョウ、必殺技って……」

 アユムはハッタリに苦笑交じりの適当な相槌で返す。向こうは面白くなさそうに喚いている。どれだけ粋がったところで、アユムがユウリを倒すのは、レパルダスがニャースを魅了するように簡単なことなのだ。

「目にもの見せてやれ!」

 爆発的なロケットスタート。マフォクシーは隠し持っていた杖を出し、まずは敵の牽制にかかる。

 ポケモンバトルでまず欠かせないのは、ポケモン自身の速さだ。敵の攻撃を回避し、自分の好機に繋げる。上級トレーナーになると、死角の取り合いは当たり前。正面からのぶつかり合いもなかなか味のあるものだが、勝敗がつく以上、いかに敵を出し抜き、確実に、効率良く敵を倒すかを考えるのも大事な要素だ。無論、全てのポケモンが先手の取り合いに長けているわけではないから、後手に回る者はまた別分野の戦いを究めることに終始する。ゴウカザルとマフォクシーの場合、躊躇せず前面に攻めていくことはアドバンテージの奪取に繋がる。

「その杖貰った!」

 ゴウカザルが自慢の素早さで、マフォクシーの杖に手を伸ばす。それだけではない。見よ、あの構えを。既に拳を繰り出す体勢だ。ゴウカザルの拳が顔面に突き刺さる。勢い良し。手ごたえあり。ユウリの顔が歓喜に満ちる――のは束の間だった。攻撃を食らったはずのマフォクシーは霧散してしまう。

「うっ、しまった!」

「サイコショックだ!」

 文字通りみがわりを張って、一時を凌いだマフォクシー。杖を振り、魔術師の如く解き放つ。念力の塊が獲物を捕捉。指揮者のように弾を一つずつ操る。ゴウカザルは回避に専念するあまり、後手に回ってしまう。だが、滑走と跳躍を巧みに使い分け、念力にも動じない。確かに、以前とは動きのキレが違う――アユムはあれからユウリとゴウカザルが相当な特訓を積んだのだろうと推測する。

「おい、あっちで何かやってるぜ」

「おお、マフォクシー対ゴウカザルだ!」

 これも大都の成せる業か。いつの間にか、ギャラリーがアユムとユウリを囲む巨大な円を作り上げる。アユムはなんとも億劫な気持ちだ。見ている分には楽なものである。好きなことを言って、自分の応援したい方を勝手にすれば良い。一度でもバトルフィールドに立った経験がある者は、あんなに他人事の如く構えていられるはずなどないのだ。そう、ポケモンバトルの過酷さを本当に知る者ならば。

「グロウパンチ!」

 しまった! 油断した。華奢なマフォクシーは杖を弾き飛ばされ、そのまま仰向けになる。いくら敵を軽く捻れるといえど、ジムバッジはお互いに八つだ。ポケモントレーナーの祭典・セイエイリーグは二カ月後に控えている。

「お客さんに良いところ見せようと思ったのか?」

 案の定、挑発が飛んでくる。見え透いた罠なので無視を決める。

 放っておいてもマフォクシーは起き上がるだろう。これしきでやられるように育てた覚えはない。調子に乗ったユウリは畳み掛ける。

「相手を休ませるな!」

「マジカルフレイムで迎え撃て!」

 再度グロウパンチを溜めながら、太陽を背に飛び上がるゴウカザル。アユムはまるで自分がバトルを観戦しているように、今の状況を分析する。

 グロウパンチを何度も使わせるのはまずい。その名の通り、拳をどんどん成長させていく恐ろしい技だからだ。まずは集中力と主導権を奪うことから始めよう。そのための威嚇はマジカルフレイムで十分だと見た。アユムはこのように判断する。

 火の輪が次々と発射され、ゴウカザルは身体を丸めながらこれをやり過ごす。以前覚えていたかえんぐるまを応用した回避方法――見事に一杯食わされる。ポケモンバトルは何が起こるか分からない。アユムは慢心に駆られ、それが頭から抜け落ちていた。

「サ、サイコショック!」

「グロウパンチで空に放ってインファイトで決めろ!」

 技を連結させて、こちらに反撃の隙を与えない策だ。アユムは二発目のグロウパンチを防ぐ術をマフォクシーに持たせることが出来ず、魔術師は天に打ち上げられる。ゴウカザルはそこから顔に、腹に、腕に、容赦なく槌の如き連撃を浴びせる。いくらマフォクシーが格闘術を制限する念力の使い手であるとはいえ、華奢な身体のことを鑑みれば、何度も攻撃を食らうことによりだんだん弱っていくのは自明の理だ。マフォクシーは雑巾のように大地へ打ち捨てられてしまう。

「マ、マフォクシー……」

「とどめだ!」

 頭の炎を噴き上げながら、咆えるゴウカザル。この時をどれだけ夢見たことかと言わんばかりに猛る。だが、ユウリは勝利を目前にしながら、眉を潜めている。

 アユムは必死に打開策を巡らす。このままでは間違いなく負ける。勝たなくては。一家に傷をつけるのが次男でどうする。どうすれば勝てる。最善手を。考えろ。導き出せ。ゴウカザルの勢いを止めるには。浮かばない。何も思いつかない。頭が真っ白だ。戦いの軌跡も記憶もリセットされてしまった。白紙のページをどれだけ捲ったところで白紙だ。このままでは駄目だ。負けてしまう。勝たなければ、勝つんだ。どうやって? 勝って、その後どうする? 駄目だ、考えを捨てるんだ。アユムは言い聞かせる。もう一人の自分を封じ込めようと躍起になる。ポケモンバトルが行われている最中、アユムは別の戦いを始めてしまった。勝って、何になる。そう思い出したら、最期だった。

「必殺技を見せる価値もないな……」

 ユウリはぼそりと呟きながら、次には大声を張り上げる。

「もう一度グロウ――」

 その時、ユウリの動きが固まる。アユムもまた思考を停止する。ゴウカザルとマフォクシーも例外ではない。観客が次々と指差し、口を手で覆う。

 焔が上がった。その軌跡を目で追うと、瞳ごと焼き焦がされてしまいそうな力を伴って。天を揺るがし突き上げる矢のような咆哮はそう長く続かない。桃色の爆発が弾け飛ぶ。自分達が操っていた炎がいかに矮小かを知らしめるような一時だった。胸が高鳴り、鼓動が収まらない。全身の血が暴れるように猛って、あれをもっと間近で見たいと叫び、欲している。

「今のは、何だ?」

「おい……アユムも見たよな」

「ユウリも?」

 周りの客はぽかんとしている。ゴウカザルとマフォクシーは炎の上がった方向を確かめるのに必死で、もはやバトルは成立していない。ユウリが頭をかきむしりながら叫ぶ。

「ああッもう! やめだやめだ!」

 ユウリの唐突な中止宣言に唖然とする観客。これ以上の激闘は望めないと知るや否や、散り散りになっていく。やがて二人と二匹だけが残った場で、気まずい沈黙が流れる。

「……あたしだって、本気なのに……」

 前髪に綺麗な瞳を隠して落ち込む彼女を見ていると、アユムは自分がトレーナーとしてやってはいけないことを犯したのではないかと感じる。真剣にバトルを挑んできた者に対して、本気も出さず、油断と共にあしらい、挙句の果てに醜態を晒すとは。今のバトル、兄が見たら一体なんと言うだろうか。想像するだけで身の毛がよだつ。

「ユウリ……」

「い、いや。なんでもないから。とにかく、さっきの原因を突き止めようよ」

 確かに彼らを襲った謎の現象は気がかりの種である。人間よりもポケモンの方が元々こういった感覚には鋭敏であり、マフォクシーとゴウカザルは先程まで戦っていたとは思えないほど息の合ったコンビネーションを見せる。とにかく、アユムとユウリは頷き合い、彼らを魅せた焔の眠る街路を駆け抜けていく。

 

 

 *

 

 

 消え入るような火の粉は、彼らを非日常が広がる庭へと誘う。ローズシティはただでさえ大迷宮と称されており、地図なしに探索するのは無謀の一言に尽きる。複雑な地形に加え、立ち並ぶ家々が今彼らをどこにいるのか惑わせるはたらきとして作用するのだ。だが、さすがはほのおタイプを代表する二匹というべきだろう。焦げた火の臭いには余程敏感なのか、一直線に道標を記し、トレーナーの二人を誘っていく様はなんとも勇ましく頼りがいがあるというものだ。彼らは鼻を揺らしては、どこか悔しそうに顔を歪める。まるで最初から勝ち目を失っていると言わんばかりに。

「あんな炎、見たことない」

「ボクもだよ」

 当然、発言こそしなかったが、アユムのマフォクシーでは一生かかっても出せないような炎に関して思い馳せる。それは桃色の竜が雲を破って昇る様を思わせた。緊迫と暗黙は、当のポケモン達が一番それを自覚していることを意味しているのかもしれない。

 何度目か分からない角を曲がった所で、ゴウカザルとマフォクシーは立ち止まる。何故そこで急ブレーキをかけるのか。間もなくその理由を知ることとなる。

「熱い……」

「こんな日に、なんなんだよ。もう」

 アユムは袖で汗を拭いながら、不平を零す。町を進むにつれ、衣服を脱ぎ捨てたくなるほど予兆はあったにせよ、日差しが送りつける自然の気温ではないようだ。一歩進もうとすると、ここからは聖者の領域だと主張するが如く、熱量の壁に阻まれる錯覚を味わう。ユウリが衣服の裾を引っ張って、注視を促す。

「見てみなよ、アユム」

 言われるがままに視線を向けるアユム。既にマフォクシーとゴウカザルは見入っている。風で運ばれてくる火の粉が入らないよう、目元を覆う。狭い路地にもかかわらず、炎のポケモンが炎の世界で対峙する。彼らに命令を下しているのは、二人のトレーナーだ。どうやらアユムとユウリが見たものは、ポケモンバトルによる攻撃が引き起こした余波の可能性が高い。

 一匹は、骸を被り、悪魔の尻尾を生やした、地獄からの使者。

 一匹は、気高い毛並みを靡かせ、桃色の火の粉で自らを権威付ける帝王。

 アユムには、二匹がそう見えた。

「初めて見るポケモンだ……」

 仮面の如き迫力を纏う顔には、敵の力量を計るような威厳が感じられる。間違いなく、先程の烈火は左側のポケモンから発せられたものだ。そして、たった一匹がこの状況を作り出していることに戦慄する。

 ポケモンから人間に視点を移動すると、やはりフィールドで火花を散らす二匹のように対照的だ。長髪に赤い衣装を纏った底知れない男。金髪にサングラスをかけ、見るからに野蛮そうな格好の男。この場において観戦者であるアユムとユウリは、固唾を呑んで戦いの行方を見逃すまいとする。

 息を切らしているのは黒い獣の方、あれは「ダークポケモン ヘルガー」だ。バトルの知識を教え込まれてきたアユムには当然識別も容易い。だが、もう一匹はまるで見覚えがない。アユムの中にある記憶という蔵書の至る箇所を探り当てようとしても、明確な答えには辿り着かない。

「アユム、あのポケモンはなんだ?」

「ボクにも分からない」

 ユウリが肩を叩き、指をさす。戦いが動いた。トレーナーの指示により、不気味な雄叫びが住宅街に響く。それは不吉と苦難の到来にも聞こえて、身体の芯から冷え込ませる。遠吠えの後、一直線に疾駆するヘルガー。足元の火の粉が舞い、茶色い巨体の足元に牙を突き立てる。深く食い込むそれは傷口をえぐるように突き刺さる。

「あのままじゃやられちゃうぞ!」

 ユウリが指示を出さないトレーナーを訝しむ。敵のポケモンもまた四足歩行、足を取られては勝ち目は薄い。アユムもユウリも、汗を拭いながらすっかり食い入る中、長髪の男が待ち望まれていた指示を発する。

「フレアドライブ」

 その技名を聞いて反応するユウリとゴウカザルを、アユムは見逃さなかった。

 冠のような角が輝き、全身が業火に包まれる。それは桃色に彩られた芸術。一閃、瞬く間に貫通。ヘルガーを壁にめり込ませ、炎を吸収するはずの身体は水が必要なほど焼け付いていた。足を狙った戦法など小細工でしかないと言わんばかりの、威風堂々とした突撃であった。

「もらいびが効いてない?」

「きっと炎が強すぎて、許容量を超えたんだ」

 それ以上に、ヘルガーと炎のポケモンには決定的な違いがあったように思われる。次元の違い――持てる力の差によって、無理矢理捻じ伏せたとでも言うべきか。ポケモンバトルのあらゆる工夫と努力を嘲笑う、絶対なる力。それをあのポケモンは骨身に感じさせる。戦いが終わると、少し周りの気温が下がったように思われる。

「よくやった」

「チッ」

「よく鍛えられているね。エンテイでなければ、やられていた」

 穏やかな調子で相手の賛辞まで述べる男に対し、サングラスの男は手も足も出なかったヘルガーを軽蔑するように見下す。ポケモンに惜しみない愛情を注ぐアユムとユウリにとって、気分の良い言動ではなかった。

「コイツはもう要らないな」

 今、なんと言った? アユムは耳を疑う。

 すると、男はヘルガーのものだと思われるモンスターボールを手から落とし、眉一つ動かさずに靴で思いっ切り踏み潰す。ヘルガーの居場所は砕け散った。破片だけがその場に残り、ヘルガーは弱々しく舌を出し、すがるような目でおやだった人間を見つめる。

「お前が負けるからだ。オレのチームには、完璧な奴以外は必要ない」

「ふっっざけんなよ!!」

「……あ?」

 アユムは顔に手をあてる。やってしまった、ユウリの悪い癖だ。男は自分の時間に水を差されて、大層機嫌を損ねたようである。

「誰だ、お前」

 ユウリは男を無視して、そのままヘルガーに駆け寄る。

「大丈夫か? 酷いトレーナーだな」

 沈み込むヘルガーを優しく撫でるユウリ。次には表情を一変させ、今までの熱気が嘘のような冷気を放つ。

「お前みたいなトレーナーの風上にも置けない奴は……あたしが許さない」

 やれやれ、こうなってしまっては、ユウリを止められる者はいないだろう。

 とんでもないことに首を突っ込んでしまったと思いつつ、アユムとマフォクシーは、彼女と同じく静かに腹の底で煮えたぎる感情を押し殺しながら、戦場へと向かうのだった。

 

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