名前も声も知らない   作:はやめ

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第4話 叫べアユム! 咆えろマフォクシー! 灼熱メガシンカバトル!!

 

 

 雑踏に分け入り、肩を押し出して進んでいくのにも溜息が伴う。「ローズシティ ポケモンバトルトーナメント」はまもなく開催に向けて、より一層の盛り上がりを見せている。人気がないよりかは当然褒められるべき盛況具合なのだが、それにしても露店を進むのがやっとの状態では、人波というものに辟易するのも無理はない。

 短く刈った赤髪、今は静かになった情熱をたたえた瞳、祭りを堪能しに来たと言わんばかりの軽装。横には彼より一回り大きい、立派な双翼を携え、首に神秘的な石を下げた橙色のドラゴン――ひとたび風を起こせば空に筋を描いて飛んで行きそうな力強さを感じさせるポケモン――が、客の多さに参って息を切らしていた。

「お、おい! あれって」

「もしかして」

「間違いない!」

 青年は周りの視線が急激に自分へと収束していくのを肌身に感じる。思い上がりではなく、心当たりを生むだけのことを以前成し遂げたからだ。

「どもっ! こんちは! カチヌキファミリーです! どうもどうも! あざっす! ご贔屓に!」

 ところが尊大な態度の一切を見せず、あたかも客の訪れによって成り立っている市場の店員の如く、ぺこぺこと四方八方に頭を下げ始める。この調子では、いつ会場に辿り着くかも分からない。そんな様子に痺れを切らしたのか、青年の頭を手でひょいと摘みあげると、残った火の粉を散らすように翼を広げたリザードンが飛び立った。人々が宇宙から隕石が飛来した時のようにぽかんと口を開け、はたまた誰かは指を差して写真を撮っている。余程の有名人が現れたという騒ぎだった。

 大空へと連れて行かれた青年は、足をばたつかせるわけでもない。ただ、本当に呑気な調子で呟く。

「あ、最初からこうすればよかったカンジ?」

 リザードンは呆れたように首を縦に振る。

 

 

 『  名前も声も知らない 第四話  』

 

 

 外の五月蝿さが嘘のように、ポケモンセンターは水を打った静寂の中にあった。夕方ぐらいになると、一通りのトレーニングを終えて疲弊したポケモンを運んでくるトレーナーが増えるから、ジョーイなどにとっては昼時の丁度良い、束の間の休暇を満喫出来る時間帯である。ロビーでは新聞や雑誌を広げ、大会の熱狂とは遠い世界に生きる者もいる。そこへ、神聖な泉にそこら辺の砂利道で拾った小石を投げ込んだかのようなはた迷惑な存在が静寂を打ち破る。青年とリザードンはどたどたとやかましい足音を躍らせながら、受付を覗き込む。

「すんません! あの、参加登録で――」

「はい。参加登録ですか?」

「じゃなくて! ええと、確認したいことが」

「なんでしょうか?」

「ア、ア……アユム。アユムってヤツは、登録されてますか」

「少々お待ちくださいね」

「はい、ありがとうございます……あっ、騒がしくしてすんません」

 青年は次の動作に移るまでに一寸の間を置くことがない。絶え間ない音楽が流れ続けるような存在だった。主人と打って変わって、リザードンはどっしりと構えている。

 すると、自動ドアの開く微かな音が青年の耳に届く。振り向けば、ナップザックを背負った金髪の少年がいる。カメラを仕舞っており、旅の者らしい橙色を基調とした軽快な服装である。

 まるで以前から友達であるかのように、青年は親しげに手を振る。馴れ馴れしいと言われてしまえば否定は出来ない。

「よう、トレーナー。キミも参加者か?」

 声をかけられた少年は、一瞬戸惑いながらも返事をしてくれた。

「そうですけど」

「そうかそうか! オレさ、大会見に来たんだ。楽しみにしてるからな!」

「は、はあ……。失礼ですが、どなたですか?」

「すみません。アユムさんという方は、申請を行われたトレーナーさん達の一覧にはいらっしゃらないようです」

 少年の質問は空しくも事務員の回答によって遮られてしまった。アユムが参加登録していないと知るや否や、青年は更に身を乗り出す。自らデータを洗いざらい調べ出しかねない勢いだ。

「本当ですか!?」

「間違いありません」

「あの、ボクの質問に」

「あの野郎ッ……! 行くぞリザードン!」

 リザードンはこの百八十度転回ならぬ三百六十度の方針転換に余程慣れているのか、青年に黙って付いて行く。リザードンは通りすがりがてら、軽く頭を下げる。出来たポケモンである。一方で少年は青年を引き留めようとしたが、憤った様子の青年を止めることは出来なかった。再びポケモンセンターには静けさが戻る。

「あの、名前……」

 少年の問いに答えてくれる者はいなかった。溜息をつくと、金髪の少年は先刻の悲劇を忘れるべく、気を取り直して申請へと歩み出る。事務の者が対応に出た。

「ローズシティポケモンバトルトーナメントに参加希望です」

「はい。それでは、トレーナーカードをお見せください」

 少年はナップザックからトレーナーカードを取り出す。ポケモントレーナーはみなこのカードを身分証明書として所持することが義務付けられている。主に記されているのは出身地や年齢など、基本的なプロフィールばかりだ。カードを電子機器が読み込むと、次々と画面上に文字列が並べられていく。

「カノコタウンの……シューティー様でお間違いありませんね」

「はい」

「それでは、申請者一覧にあなたの名前を更新しました。大会、頑張ってくださいね」

「ありがとうございます」

 礼儀正しく、カードを貰い受けたシューティーは頭を下げる。すると、今度は十二時のニュースと称したセイエイの報道番組が始まった。なんとなく、アナウンサーが淡々と事務的な口調で記事を読み上げるのをぼんやりと見ていた。

『カロス地方のミアレシティにて、プラターヌ研究所から、研究用ポケモンであるガブリアスが突如脱出し、暴走するという事件が発生しました。ガブリアスはサウスサイドストリートにて車などに向かって突進、破壊した後、プリズムタワーに登りましたが、怪我人は幸いおらず、大事には至らなかった模様です』

 シューティーは、海の海のそのまた海を越えたカロス地方を思い馳せるようにニュースを聞いていた。彼はイッシュのカノコタウン出身であり、カロスはしばしば交流のある国柄であるため、他人事には思えない部分もあるのだろう。

『なおこの事件に際して、暴走したガブリアスに向かって「自分達は敵ではない」と語りかける、ピカチュウとケロマツを連れた少年が収束に活躍しました』

 そこまで聞いて、シューティーは怪訝そうに眉を寄せる。案の定、モニターにはプリズムタワーでガブリアスと対話する少年の姿が映し出される。シューティーはどこか固く気取って構えた表情を一挙に崩した。

「サトシ!?」

 その名を聞いて、ロビーに座っていた紫髪の少年――シンジが、シューティーを見た後、視線をポケモンセンター中央のテレビに注ぐ。画面上にもかかわらず突き刺すような強い眼差しだった。そして、口元に柔らかな笑みを張り付ける。

『彼は落下しそうになったガブリアスをケロマツで止めた後、ピカチュウを助けようとしてタワーから飛び降り、メガバシャーモに命を救われたとのことです。また、ガブリアスが暴走した原因について、プラターヌ博士は「ロケット団と名乗る集団の仕業である」と述べている模様です。それでは、次のニュースをお伝えします――』

 シューティーはしばらく唖然としていたところ、不意に声をかけられて更に驚く。

「そいつを知っているのか」

「キミは?」

「オレは、トバリシティのシンジだ」

「カノコタウンのシューティー。サトシとは、イッシュ地方で何回か戦った」

 それを聞くと、シンジは火が点いたように質問を浴びせる。

「戦っただと!? それはイッシュリーグか」

「あ、ああ。ボクは予備選落ちだけどね」

「あいつが勝ったのか」

 厳しい追及をするシンジに対し、シューティーはあからさまな不快感を見せる。初対面の少年にあれやこれやと腹を探られるのは面白くないのだろう。彼の気持ちを代弁すれば、一刻も早くポケモンのコンディション調整にとりかかりたいはずである。勝った、という言葉をやけに強調するシンジが気に食わないのか、シューティーはわざとらしく話を自分の有利な方向に捻じ曲げる。

「確かにサトシは強い。でも、ボクが勝ったこともある」

「あいつに勝ったのか」

「……さっきから、なんなのキミは。いきなり話しかけて来たかと思えば、勝った負けたって。そんなことはどうでもいいだろ」

 これ以上話すことはないと告げるように、シューティーは踵を返す。

「待て。お前にバトルを申し込む」

「……は?」

「あいつとはシンオウで競い合った。そう簡単に負けるようなトレーナーじゃない」

 シンジがサトシという少年を語る様子は、本来サトシを知っているはずのシューティーに、お前は何も彼のことを理解していないのだと突きつけるような憎らしい含みをもっていた。シューティーは凄味を利かせた不敵な表情で、彼の挑戦状を受理する。

「いいよ。ボクも腕ならしをしたいと思っていたところだからね」

 

 

 *

 

 

 都市の喧騒からは程よく離れた場所――まだ大自然の息吹が辛うじて根ざす文明の切れ端に、アユムとユウリ、そしてヘルガーはいた。いつもユウリとポケモン達の特訓を眺め、必要とあらば飲み物を買ってきてやる召使いのような生活を繰り返していた。アユムはそれにどこか心地良さすら覚え始めており、ユウリが頑張るのだから自分の出る幕などないだろうと、ひたすら楽な方へと思考を展開させていくようになった。

 ゴウカザルのフレアドライブはまだ不完全――シンジの呟きを漏らさず聞いていたアユムは、そのことをユウリに伝えてみた。彼女はすっかりフレアドライブが完璧で保証された必殺技だと疑わなかったため、大層打ちのめされたようだった。しかし、逆境をバネに変えるのは彼女の長所である。ユウリとゴウカザルはすぐさま再特訓を誓い、炎をもっと自由に操るためのイメージトレーニングすら始めていた。岩を難なく破壊するゴウカザル。得意気に振り向くが、ユウリは首を横に振る。

「まだだ。今よりもっと強力なフレアドライブじゃなきゃ、大会には通用しない」

 シンジと戦って以来、ユウリにはとある変化が生じた。それは、強さの希求だ。

 それがいいことなのかどうか、アユムには分からなかった。ライゾウは、勝敗だけがポケモンバトルの全てではないと言い切った。ユウリは今、我武者羅に強くなろうとしている。続けざまの連敗が彼女を奮い立たせたというのは過言ではないだろう。だが、アユムはどこか違和感を拭えないでいた。ユウリは強くなることに、先急いでいるような気がする。

「アユム、どうだった!?」

 きらきらした顔でこちらを見るユウリ。人生を余すことなく楽しむような視線が眩しすぎる。アユムはおいしいみずを揺らしながら、曖昧に返事をする。

「うん、いいんじゃない?」

「ったく。今度はちゃんと見とけよ!」

 ユウリは少しむくれてみせると、すぐに笑みを取り戻し、再びゴウカザルに指示を出す。何故ユウリは、あんなにも輝いているのだろう――ふと、雑念がよぎる。

 ゴウカザルは傍から見れば、申し分ないほどのフレアドライブを決めた。ユウリは難しそうな数学の問題を解くように考え込む。

「いいフレアドライブじゃん。まだ物足りないのか?」

 その場に聞いたことのない声が飛んできて、思わず表情を強張らせるユウリ。度重なる敗北の重石が彼女に積み重なり、次なるバトルを挑まれるかもしれないという糸の張った緊張を生み出すのだ。青年はバトルという世界からは離れたような者の穏やかな態度で、気楽に話しかける。

「よう!」

「に、兄さん!?」

「お前の!?」

 青年テルマが声をかけ、アユムが取り乱し、ユウリがまじまじと確認する。テルマは彼らの反応に腹を抱えて笑い出す。リザードンはアユムに親指を立てて挨拶する。アユムは苦笑交じりに手を振り返す。

「申し遅れました、お嬢さん。ショウブタウン・カチヌキファミリー長男のテルマです。そして、こちらは私のパートナー・リザードン」

 テルマは急に紳士的な動作で、取り繕った声色を用意する。リザードンはもはや何も突っ込むまいと堪えている。

「あっ……。イリマタウンのユウリで、パートナーのゴウカザルです」

 アユムが思わず吹き出す。これほどしおらしくなったユウリは貴重だ。しかも敬語がたどたどしくて仕方ない。

「なんだよ!」

「そういう風にもなれるんだなーと思ってさ」

「そういう風ってなんだ!」

 ユウリが恥ずかしさに顔を赤らめていると、テルマはアユムに耳打ちする。

「……彼女か?」

「ち、ちちちちち違う! 絶対違う!!」

 アユムの首から天辺にかけて、お湯に数時間浸したような沸騰具合になる。その反応っぷりに、またテルマは腹を抱えて笑い出す。なかなか性格の悪い男である。こうやってアユムはいつもテルマにからかわれるのが日常茶飯事だったため、リザードンは止めようとも思わない。

「兄さん、急にどうしたの? まさか大会に」

「ああ。オレもしばらくぶりにな……!」

 アユムは思わずごくりと唾を呑む。滲み出る貫禄は、カチヌキファミリーの長男、ポケモンリーグベスト16の為せる偉業だ。普段はとても真面目とは言い難いが、ポケモンを愛する心は人一倍。世間はテルマがセイエイを救う一員となったものだから必要以上に持ち上げたが、実績と実力が結びつくとは限らない。極限のプレッシャーの中で、よくぞ確かな結果を残したと、壁にぶち当たったアユムだからこそ、心から尊敬の念を抱いている。それにしても、テルマまでもが出場するとすれば、一体全体トーナメントはどれだけ盛り上がるだろう。

「ってのは、ウソだ」

 アユムは漫画よろしく、ずっこけたい気持ちに駆られた。

「すまん、嬢ちゃん。こいつを少し借りてもいいか?」

 軽い調子で言うテルマに対し、ユウリもあっけらかんとしている。

「大丈夫ですよ。ちゃんと返してもらえれば」

「ボクはどういう扱いなの!」

「モノだな」

「そんな!?」

「分かってるよ。野郎といるより、女の子と一緒にいる方が楽しいだろ? すぐに帰してやるからよ。ヘルガーも付いて来い!」

 ヘルガーは珍しく警戒心を解いたようだが、アユムとしては何やら嫌な予感がする。テルマが約束を守った覚えなど、今までにないからだ。彼は「約束は破るもの」という恐ろしい持論の下に、幾度もアユムを困らせて来た。ひっくり返せば、それだけ兄と弟は一緒の時間を長く過ごしたということでもある。

 男友達を連れ添うようにテルマはアユムの肩に腕を回し、これから息の臭い親父共が宴会に行く勢いである。ユウリが苦笑交じりに特訓へ戻ろうとした際、彼は飽くなき強さを求めた者の一人として、ユウリを見ずに述べる。

「強さは焦って手に入るものじゃない。焦るな。それよりも今は、ポケモン達といる時間を大切にするんだ」

 アユムは思わず兄を見る。彼がユウリとゴウカザルに対面したのは、今回が初めてのはずだ。彼はユウリの中で渦巻き始めた欲求をも、一瞬で見透かしてしまった。その洞察力はどこかライゾウに似ていて、改めてポケモントレーナーとしてのテルマを恐ろしいと思った。

 

 

 *

 

 

 シューティーとシンジは、風が髪を撫でる高原で対峙する。雲がまばらに散った、丁度良い天気だ。早くも秋の訪れを感じさせるように少しくすんだ緑の草原が、今にも激戦の場へと変わろうとしている。

「バトルは一対一。どちらか先が戦闘不能になった方の負けだ」

「大会前に余計な傷を残したくないからね。一対一は好都合だよ」

 シンジはモンスターボールを握り締め、サトシを打ち負かしたという存在を見据える。掛け声も一層強まる気がした。

「ペンドラー、バトルスタンバイ!」

「いけっ、バイバニラ!」

 シンジのボールからは、巨大な角を突き出し、毒の棘で身を護る「メガムカデポケモン ペンドラー」。シューティーのボールからは、二つのソフトクリームをそのまま合体させたような「ブリザードポケモン バイバニラ」が現れた。

「メガホーン!」

 いきなりむしタイプきっての大技・メガホーンを指示するシンジ。一気にバトルを自分のものにしようという魂胆と迫力を感じさせる。角を利用した刺突。ペンドラーは長い身体を屈めると、目にも止まらぬ速さで突進を繰り出す。バイバニラは周りに白い霧を振り撒くと、ペンドラーは独り白銀の世界に取り残される。

「メガホーンは命中率が低い技だ。攻撃を焦ったね」

 シューティーは余裕の笑みを張り付けると、バイバニラに次なる指示を与える。ペンドラーは首を左右に振り、バイバニラの位置を懸命に捕捉しようとするが、もう遅い。これでアドバンテージはシューティーが得たことになる。

「つららばり!」

「ハードローラー!」

 ペンドラーは驚くべき柔軟さで身体を丸め、降り注ぐ氷柱の追撃をかわしていく。草原を駆け抜ける閃光のようだ。カーブを描き、ブレーキやアクセルを駆使して、バイバニラの罠を完全に振り切る。視界が開けた! そして、標的に強烈な毒をお見舞いする。バイバニラは青ざめた顔になるが、これしきのこととばかり奮起する。

「負けるな、こっちもふぶきで応戦だ!」

「いわなだれ!」

 シューティーは身を翻し、勢いよく指示を決める。バイバニラは頭上の角から雪崩のようなブリザードを発射。ペンドラーは辺りの地盤を破壊し、こちらも岩の雪崩を起こす。ふぶきを防ぐ盾にしようという狙いだ。だが、それだけでこおりタイプきっての必殺技を凌げるとは限らない。シューティーがそう高を括るが、シンジは想像の上を行ってみせた。

「ハードローラー! その場で回転しろ!」

「なにっ!?」

 ペンドラーは火花を散らすが如く、その場で砂嵐吹き荒れる爆転を始める。岩雪崩が風圧によって持ち上げられ、それは竜巻を引き起こした。吹雪は濁色の暴力に掻き消され、岩石がバイバニラを容赦なく襲う。敵の攻撃を防ぎながら、自らも反撃に転じる。まさに、カウンターシールドというべき戦法。これにはシューティーも歯噛みする。

「メガホーン! 岩ごと貫け!」

 岩壁に封じられたバイバニラ。ペンドラーによる審判の時を待つ。だが、シューティーはすぐに体制を立て直し、不敵に叫ぶ。

「ラスターカノン!」

 岩の隙間から漏れる光は不吉の象徴。銀色の光線がペンドラーの加速を押し止める。ペンドラーはすぐさま身体を丸め、叢を削り取る光線の襲来に備える。バイバニラは自分を閉じ込めていた監獄を破るように戦場へと舞い戻った。前進するペンドラーに対し、ラスターカノンは横薙ぎの一閃を掃うようにして繰り出されることから、ペンドラーはブレーキを強いられる。度重なる激しい技の応酬に、双方とも体力の疲弊は激しい。

 シンジは目を細め、一言送る。相手への惜しみない賛辞。

「やるな」

「……キミたちもね!」

 シンジとシューティー。最初は不穏を漂わせていた両者の空気は、いつの間にか熱を帯びたものとなっていた。ペンドラーとバイバニラも、互いに健闘を称える眼差しを送り合う。

 だが、これはバトルだ。雌雄は決さねばならない。物事にはけじめが必要なのだ。

 たまたま通りかかった少女とポケモンの目にも、その激闘は焼き付いていた。

 

 

 *

 

 

 アユムは人気のない岩場に連れ出された。紅い空が似合いそうな殺伐とした場所だ。野生ポケモンも洞窟などに籠っているようで、あまり生命の鼓動を感じない。てっきり、観光にでも連行されるのかと思っていたアユムは、物言わぬ兄に戸惑いを隠せない。先程までは愛想のよかったリザードンも、何故だかそっぽを向いている。

「あの……兄さん。こんな所で何してるの?」

 テルマは岩肌を触ると、静かに耳を傾ける。水脈の滴る音。ズバット達が会話する際に発せられる超音波。ゴローン達が移動する振動。世界と己を一つにすることによって、命の声はいくらでも体内に語りかけてくる。

「何してるの、か」

「兄さん?」

「アユム。お前こそ何してるんだ?」

 アユムは撃ち抜かれたような錯覚を覚えた。そして、テルマはこの一言を告げたいがために自分をここまで連れて来たのだということも、瞬間的に悟る。

「お前、カグラさんに勝ったそうだな」

 カグラというのは、シオラシティのジムリーダー。ポケモンリーグ前最後の関門たるシオラジムを束ねる男だ。アブソルをパートナーにしていたことは記憶に新しい。

「ポケモンリーグは二カ月後だぞ」

「そ、それは……」

 アユムの中で、走馬灯のように旅の記憶が蘇る。

 

 最後のジムリーダーを倒し、空虚な喜びに浸ったあの日――アユムは偶然かはたまた運命の悪戯か、チャンピオンと出会った。ポケモンタワーでの礼拝を済ませたライゾウに、バトルを申し込んだのだ。思えば、アユムはバトルのことにしか気が回らなかった。ライゾウはタワー内に溢れるポケモン達の嘆息と慟哭に耳を傾けていたようだが、アユムの頭の中は早く参拝を終わらせて、ライゾウに自分を認めて欲しいという想いでいっぱいだった。ライゾウは渋い顔をすることもなく、快く承知してくれた。だが、ポケモントレーナーの親父は既にアユムという人間を試すような形相をしていた。

 バトルは最初の一撃を食らった時点で負けが確定したようなものだった。否、そもそも勝負として成立したかどうか、前提から疑ってかからねばならない。ガブリアスが飛翔すれば、マフォクシーは怯む。ガブリアスが接近すれば、マフォクシーは杖を落とす。天空から降り注ぐ爆発は、悪夢でも見ているような光景だった。マフォクシーは傷だらけの身体を引きずりながら、落とした杖を拾おうと、暗中模索していた。ガブリアスは地上に足をつけず、大空から高みの見物を決め込んでいた。

 戦う以前の問題である。それをアユムは、強者と戦う際に湧き出す恐怖に過ぎないと思っていた。違う。マフォクシーは、カグラとの死闘で既に体力的な限界を迎えていたのだ。勝利の思い出が、マフォクシーへの思いやりを綺麗さっぱりと忘れさせた。

 ポケモンリーグを残り二カ月に控えたアユムにとって、チャンピオンは少しでも手の届く存在だと思っていたが、そんなものは幻想でしかなかったのだ。チャンピオンどころか、四天王と互角に戦うことさえ、夢のまた夢、そのまた夢のまた夢なのだと知った。分かってしまってから、アユムの中で何かが消え失せて行った。マフォクシーはライゾウの応急処置によって事なきを得たが、一週間はポケモンセンターで安静にしなければならないとジョーイに告げられた。アユムはその時初めて、自分が強さを手にしたのではなく、強さに焦がれるあまり、ポケモンへの愛情を忘れた愚かなトレーナーであることを知った。

 

「確かにライゾウさんが言いそうなことだ」

 テルマは一部始終を腕組みして、あくまで平静を崩さずに聞いていた。相手の苦しみを自分も分かち合おうとするユウリとはいかにも対照的である。フレンドリーかつ何事にも吹き出す笑い上戸としての姿は既になく、厳しい指導者が生徒の弁解をどう許すかという尋問のような光景がそこにあった。

「お前はポケモンバトルの意味を見つけたのか?」

「そ、それは……」

「それは?」

「まだ、です」

「そうか」

 テルマは少し顔を俯け、心底残念そうにする。

「お前はポケモンバトルの意味を見つけられず、傷ついた心を癒すためにポケモンを意味なく連れ回し、挙句の果てには他のトレーナーが強くなっていく様をただ眺めていた。なるほど、これがお前の旅か」

 アユムは拳を握る。元々意地の悪い兄ではあったが、これまでの自分を形作った過程まで侮辱されるのは我慢ならない。テルマはアユムの反応を冷たく見下し、更に辛辣な言葉を浴びせる。

「お前はこの旅で何も見つけられなかった。それが分かっただけよかったじゃないか」

「よかった……?」

 爪が皮膚に食い込む。

「驚きだな。悔しいと思う気持ちがまだあるのか」

「当たり前だ……!」

「なら、何故立ち上がろうとしない」

 図星を突かれ、アユムは答えに詰まる。

「お前にとって、セイエイの旅はなんだったんだ?」

 旅。アユムにとっての、旅。考えたこともなかった。アユムは完全に旅を甘く見ていたのだ。ただ設置された障害物を乗り越えていくだけで、敷かれたレールをなぞるだけの旅には何もなかった。テルマはアユムと違い、沢山のものを見ている。ポケモンと共に在るということが、どういうことかをテルマは知っている。

「兄さんはいいよね」

「なに?」

「色々なものを見られて。きっと、楽しかっただろうね」

 こんなこと、本当は言いたくないはずなのに、気付いたら口から出ていた。

「楽しいことばかりじゃなかった!」

 テルマはアユムを非難した時よりも遥かに強い感情を剥き出しにする。しばらくアユムは呆然として、言葉も出なかった。

「考えてみろ。『実験』とか言って、湖に毒を撒いて沢山のポケモンが殺されるところを。伝説のポケモンを呼び出すためだかなんだか知らねえけどよ。頭のネジが吹っ飛んだ奴しかいなかった。オレはそいつらを許せなくてぶっ潰しに行ったんだ。そしたら、今度は変に持ち上げられてよ。世界を救ったとかなんとか、くだらねえ! おまけにリーグで負けたら色々言われて。やってられるか!」

 アユムはこんなテルマを見たことはなかった。喋っていく内に次々と弱音が零れ落ちて、瞳が潤んでいくのだ。確かに兄が知らない所で壮絶な戦いに身を投じていたことを風の噂で小耳にこそ挟んでいたが、こうして直に聞くと人間の底知れない悪意を身に染みて感じる。彼もまた、色々なものを見て来た。それは綺麗なものばかりだけではなく、穢れたものも、たくさん。

「悪い。お前に言うことじゃなかった」

「いや……ボクの方こそ、ごめん」

 気まずくなった空気を打開すべく、テルマが本題に戻る。

「アユム、本当言うとな。オレは家族のためとか、そういうの鬱陶しくて仕方なかったんだ」

「えっ!?」

 誰よりも家族への貢献を忘れなかったテルマの発言とは思えない。

「オレは、何よりオレのために、そしてポケモン達のために戦った。他の誰のためでもない。だから外野ばかりが騒ぎ立てるあの時のリーグは、本当に面白くなかった」

 テルマは続ける。

「ホクトの奴に負けた時は、何もかも失った気がしたよ。でも、オレは一度こうなるべきだった。笑え。オレはお前が思っているほど、強い人間じゃない」

「兄さん……」

「だが、アユム! お前はオレみたくなるな。オレなんて、踏み潰して越えて行け」

 アユムは谷から落とされたように驚く。

「それとも。お前はこのままうずくまっている方が好きか?」

 テルマはリザードンの方を一瞥し、兄弟を裂くように割り込ませる。リザードンは既に心得ているようだった。

「アユム、お前はここで止まっていい器じゃない。この場でリザードンを倒してみせろ」

 それは非情な宣戦布告だった。アユムは今度こそ本当の意図を悟る。単にアユムを焚きつけるのではなく、テルマはアユムとポケモンバトルをするためにこの場へ連れて来たのだ。アユムは顔を背け、弱音を吐く。

「でも、ボクは」

「お前はポケモンに聞いたのか」

「えっ?」

「お前はポケモンの声を聞いたのか?」

「それは……」

 リザードンが歴戦の勇者を思わせる力強さで迫る。目の前に戦うべき相手がいるならば、すぐにでも炎を吐き、翼を震わせるだろう。

「オレがお前の本気を目覚めさせてやる。さあ、来い。アユム!」

 アユムはモンスターボールを手に取り、中央のスイッチを静かに押す。ボールからは、まだ生き永らえた闘志の灯を宿すアユムの相棒・マフォクシーが現れた。リザードンを見て、次にアユムを見るが、主人は黙ったままだ。

「ヘルガー。見ててくれ」

 捨てられたポケモンは、もう一度信じたいと思った人間に向かって、こくりと頷く。

 

 

 *

 

 

 特訓の間に挟む、ほんの少しの休憩のつもりだった。ユウリは今、目の前で行われているバトルに釘付けになっている。ペンドラーが全力疾走し、バイバニラが作り出す氷の鑓から逃れている。先程よりもペンドラーは速度を上げている――錯覚ではなく。これはペンドラーの生まれ持った能力がそうさせるのだ。

「なるほど。かそく、か」

「そうだ。バイバニラの動きは封じた」

「だったら、活路を開くまでだ。バイバニラ、ふぶき!」

 バイバニラはフィールドに氷の抜け道を彫刻する。凹凸の激しかった道が、みるみる内になだらかなスケートリンクへと変わっていく。その上を滑るバイバニラは、まさに氷上を庭とする選手のよう。ペンドラーも相手の誘いに乗り、バトルは円を描きながら、氷のスタジアムでのハイライトを迎える。

「フィールドにどくびし!」

「つららばりで打ち消せ!」

 両者、まさに互角。ユウリの瞳にはそう映る。派手な技の応酬だけに注視していれば、それも無理はない。だが、アユムならばこの局面はシンジに分があると判断するに違いない。何故なら、バイバニラは毒によって体力を奪われ、だんだん呼吸が浅くなっているからだ。残る力を振り絞って、バイバニラは氷柱でペンドラーを撃ち抜こうとする。ペンドラーは地盤に角を突き刺し、疑似的な「ゆきなだれ」で攻撃を相殺する。シューティーは思わず顔を歪めた。フィールドには無数の毒が散りばめられている。地上に叩きつけられれば、無事では済まされないだろう。勝負を決めるならば、好機は今しかない。

「ラスターカノン!」

「ハードローラー!」

 風のような速さで突破する。攻撃に転じるまでの差は明白。ペンドラーはラスターカノンの下を潜り抜け、シンジも腕を振る。

「メガホーン!」

 ペンドラーが丸めた身体を戻し、アッパー攻撃が繰り出された。バイバニラは死角からの一撃をもらい、そのまま上空まで大きく吹き飛ぶ。そして、後は落下してくる様を見届けるだけだった。どくびしの串刺しになるバイバニラは可哀想でもあるが、戦いである以上手加減は相手への冒涜に値する。シンジは全力をもってシューティーを迎え撃ったのだ。

 シューティーはすぐさま戦闘不能になったバイバニラに駆け寄る。

「よくがんばったね。ゆっくり休んでくれ」

 シンジがペンドラーを戻し、シューティーに歩み寄る。

「キミのペンドラー、強いね」

「お前のバイバニラも、よく育てられている」

 彼らはポケモンバトルを通して、培ってきたものがお互いに本物だということを確かめ合って、その上で相手を認めたのだ。シューティーが敗北を素直に受け入れ、手を差し出す。シンジは一瞬ぽかんとするが、握手を拒むことはなかった。あまり慣れていないのか、ぎこちない調子ではあったが。

 

 

 *

 

 

「サイコショック!」

「滑空でかわせ!」

 アユムとテルマ、兄弟対決の火蓋が切って落とされた。荒削りの岩肌が覗くバトルフィールドは、山奥を修行場とするリザードンにはうってつけだ。そういった部分も含めて、テルマはここでアユムにバトルを申し込むことを選んだのだろう。弟を極限の状況に追い込むことで、本当の力を開花させようとしている。鬼にも似た所業だが、全てはアユムを復活させるため。

 魔術師が解き放つ念力を、リザードンは易々と回避していく。地を滑るような戦い方だ。リザードンはマフォクシーの肩に爪を食い込ませながら、相手を後退させる。

「ドラゴンクロー!!」

 テルマが指示。しかし、アユムは咄嗟の防御術を唱える。

「シャドーボール! 打ち上げろ!」

 マフォクシーは片腕の杖から、暗黒の塊を撃ち出す。それは重力を伴って、リザードンの背中に直撃。相手は呻き声をあげ、マフォクシーは解放される。

「怯むな! 尻尾でマフォクシーを打て!」

「あの岩に向かって飛ぶんだ!」

 近場の岩を利用し、リザードンの追撃をやり過ごす。しかし、さすがは鍛えられたテルマのポケモンというべきか。ただ尻尾を振っただけにもかかわらず、粉々に砕けちり、マフォクシーは少し遅れをとる。

「マジカルフレイム!」

「はがねのつばさァ!」

 リザードンは翼を金属のように硬化させ、火の輪をくぐり猛然と立ち向かう。マフォクシーはそこに念力を加えて、輪で体躯を締め付けるように縮小させる。爆発を受けながらも、一撃を当ててきたのは見事の一言に尽きる。宙に舞うマフォクシーを捕え、テルマは遥か上空を指す。

「リザードン、飛べ!」

「まずい、逃げるんだ!」

「遅い! ちきゅうなげ!」

 マフォクシーは身体を掴まれ、身動きが取れない。リザードンは空に円を描く。文字通り地球のように綺麗な曲線を。そして、加速を付けた上で一気に叩き落とす。相手を絶望に叩き込む大技、それがちきゅうなげだ。

「地上に向かってシャドーボール!」

「ならば叩き落とすまで!」

 マフォクシーが凍て付く空の寒さに耐えながら、杖を振り乱す。リザードンは降下と同時にシャドーボールで巻き添えを狙ったアユムの策略を免れるため、マフォクシーだけを放り投げた。地盤にひびが入る。黒い爆発が辺りを取り巻き、勝負は決したかに思われた。

「マ、マフォクシー……」

 マフォクシーは杖を失い、立ち上がれないでいる。リザードンはテルマの下に戻った。相手も傷を負っていない訳ではない。勝ち目がないわけではない。だが、聳え立つ壁が今のアユムにとっては、雲を貫く塔のように高く思われるのだ。

「その程度か。お前とポケモン達が培ってきたものは!」

「まだだ! まだ、戦え……」

 アユムは一つの光景に囚われる。記憶の底から引きずり出されるリフレイン。以前にも、こんなことがあった。ライゾウとのポケモンバトルだ。傷だらけのマフォクシーを立たせようとして、その後マフォクシーは戦えなくなった。もう一度、自分は同じ過ちを繰り返そうというのか?

「どうした。バトルはまだ終わっていないぞ」

「マフォクシー……」

 アユムはマフォクシーを見る。やはり、戦いを強いるのは酷な気がしてならない。マフォクシーを傷つけるぐらいなら、このまま一生負け犬でもいいのではないか。そんな囁きがアユムを誘惑する。すると、テルマは追い打ちをかける。

「お前はいいトレーナーだよ。でもな。お前のバトルは、まだまだ独りよがりなんだ」

「独りよがり……?」

「お前に必要なのは、マフォクシーの声を聞くことだ」

 アユムはマフォクシーを見つめる。今にも瞳を閉じそうなほど衰弱した自分の相棒。確かにアユムはチームを引っ張るエースとして、マフォクシーを頼りにしてきた。だが、本当の意味でマフォクシーに寄り添っていると言えるだろうか。

 ライゾウとバトルした時もそうだった。マフォクシーがまだ戦えると決めつけて、彼女の悲鳴に耳を傾けようとはしなかった。いつも判断を行ってきたのはアユムだ。トレーナーとポケモン、その関係性には違いない。勝負の世界に生きる者として、時にはポケモンに非情ともいえる決断を下さねばならない時もある。だが、トレーナーとポケモンの心が完全に通っていなければ、元より信頼などは育まれないのだ。

「マフォクシー。まだ、戦う?」

 マフォクシーの手がぴくりと動く。あの光景がすぐさま蘇ってきて、出来ることなら彼女を重圧から解放してやりたいという想いに駆られる。

「ボクは、キミに命じることしか出来ない……。でも、キミが戦いたいといえばそうするし、やめたいなら無理強いはしないよ」

 今度は右手が意識を取り戻した。杖を探り当てようとしているのだ。

「怖くないのか」

 アユムはいつの間にか、テルマではなくマフォクシーと会話していた。彼女の言葉はアユムには通じないが、彼女はきちんとアユムの言葉を聞いていた。こうしてみると、ポケモンと人間とは、実に奇妙な関係性である。同じ言語を介した意思疎通が最初から出来れば、こんなすれ違いも起こらないのかもしれない。

「ボクは、キミを傷つけてしまうことが怖かった」

 マフォクシーは必死にアユムを見ようと、目線を動かしている。テルマとリザードンは水を差さず、彼らの対話を五感で感じ取っている。

「キミは傷つくことが怖くないのか。逃げたいと思ったことはないのか!?」

 マフォクシーは地べたに手を付きながら、杖を探す。あった。岩と岩の隙間に挟まっている。それを取ろうとして手を伸ばすと、視界がくぐもっていく。ちっぽけな木の枝に触れたいだけなのに――。ふと、温かな感触が彼女を包み込む。アユムが杖を握らせていた。

「はい」

 マフォクシーは杖を何度も握り、手に馴染む位置を確かめる。そして、アユムを真っ直ぐに見て、首を横に振る。アユムの問いに対する答えはノー。つまり、マフォクシーはポケモンバトルを嫌っているわけではない。アユムは健気な相棒に感極まって、感情が溢れ出しそうになる。

「どうして……そこまで」

「やっぱり馬鹿だな、アユム。そんなもん決まってんだろ? マフォクシーやお前のポケモン達は、お前のことがスキなんだよ」

 テルマの言葉を受け、マフォクシーが頷く。アユムは手で涙を拭いながら、何度も頷いた。

「こんなボクに、付いて来てくれるのかい?」

 マフォクシーはまた、頷いた。今までよりも一番深く。そして、彼女をヴェールが覆うように、焔がすっと燃え上がる。

「アユム。それはもうかだ」

「もうか……」

 もうかは、以前ユウリのゴウカザルが発動した特性だ。それを今、マフォクシーも発現させている。それを見て、テルマはリザードンを優しく撫でてやる。

「どれだけポケモンが強くても、トレーナーだけが優秀でも。ポケモンバトルで頂点を究めることは出来ない。トレーナーとポケモンを繋ぐものが欠けていれば、それは独りと同じことだ」

 アユムはマフォクシーに今一度問いかける。死を賭して戦おうとする覚悟を無駄にしないためにも。戦うことの恐れは、戦うことでしか乗り越えることは出来ないのだ。

「ねえマフォクシー。最後まで、頑張ってみようか」

 マフォクシーは鮮やかに杖を振る。それは一方通行の押し付けではなく、アユムとマフォクシーが対話を重ねた上での結論と合意に相違ない。

 アユムはテルマとリザードンを見る。テルマは満足そうに笑みを浮かべた。二人きりになってから、ようやく彼は顔を綻ばせた。

「さあ、行くぞ!」

「来いッ!」

「容赦はしない! オレ達を越えて行け!」

 リザードンが咆え、バトルの再開となった。だが、次の瞬間には目を疑うことになる。

 テルマは腕にはめたリングの石に手を添え、リザードンの首に下げられたメガストーンと呼応させているではないか。意味するところ、メガシンカでマフォクシーと戦うということだ。一体どうしてこの兄は、アユムという弟を鍛えるためにここまで心を鬼にしようというのか。

「メガシンカ!?」

「臆したか? いいかアユム。大切なのは、心の持ちようだ。それを忘れるな」

 リザードンは激しい光に包まれ、たちまち皮膚を青黒く塗り替えていく。口から火を迸らせ、身体は刺々しさを増して、蒼炎の竜へと生まれ変わる。

 メガリザードンX。

 進化を超える進化――メガシンカを目の当たりにする彼ら。

 こんな相手に、勝てるのか? まずそう思う。否、エンテイから感じられた絶対的な力を、まだメガリザードンの威圧感は超え切れていない。テルマはアユムを勝たせることが目的なのだ。その上で彼はリザードンの本気を引き出している。だが、マフォクシーのもうかに対抗してのメガシンカ。ハンデが大きすぎる。壁を越えろとは、まさによく言ったものだ。

「咆えろリザードン!」

「みがわり!」

 リザードンは口から青白い炎を仄かに覗かせたかと思えば、辺り一帯を焼き払う。身代わりが間に合っていなければ、焼け野原でマフォクシーが生き延びることは出来なかった、そう思わせる破壊力だ。

「はがねのつばさッ!」

「行くぞマフォクシー! マジカルフレイム!」

「甘い! その手は見切った!」

 相手の速度も飛躍的な上昇度だ。メガシンカのエネルギーのせいか、大地までもが震動している。否、これは武者震いだ。アユムの中に眠りながらも居場所を失っていた闘志が、彼の中でのたうち回り、外の世界へと飛び出そうとしている。

 マフォクシーは、最大出力のマジカルフレイムでメガリザードンを締め付けるのではなく、輪を次々と繰る。リザードンの進路を阻み、杖の魔法で攪乱しようという作戦だ。だが、所詮これも時間稼ぎ。リザードンに致命傷を与えるにはやはり、直接攻撃に出るしかない。

 リザードンが森羅万象をまとめて焼き払う青い炎を吐く。マフォクシーは身代わりでまたもやり過ごす。盾にすることに罪悪感を覚えるぐらい、身代わりは焼け焦げて霧散する。

「いつまで時間稼ぎが通用するかな?」

「シャドーボール連射!」

 マフォクシーは己の魔術の全てをリザードンに体感させようとする。リザードンははがねのつばさでこれらを打ち落とし、咆哮と共に地を滑る。

「来る!」

「ドラゴンクロォォーッ!!」

「マフォクシー、行くよッ! マジカルフレイム!」

 リザードンは竜の爪を硬化させ、獲物を引き裂かんとする。マフォクシーは自分がまともに立っていられないほどの炎を発射した。少しでも気を抜けば、自分が気を失ってしまいそうである。マジカルフレイムは火の輪の形をとるが、そこから凝縮させた炎の爆発にも転じうる技だ。リザードンは頭を打つような爆発に耐えながらも、恐らく零距離まで飛んできて、爪を振り上げる――と思い、アユムはマフォクシーを後ろに回り込ませた。それが仇となった。

「相手は背後だ、尻尾を打て!」

 リザードンは予備動作なしに、尻尾でマフォクシーを吹き飛ばす。杖もとうとう手から零れ落ちて、万事休す。アユムは歯軋りする。ここまで来たのだ、なんとしてもマフォクシーを勝利に導いてやりたい。それは己の傲慢ではなく、彼女と共に誓った約束でもあるのだ。

「これで終わりだ! ブラストバーン!!」

 リザードンは天空に舞い上がり、空間を割るような灼熱を全身から呼び覚ます。地獄の訪れだ。焔は大地を噛み砕き、地割れから蒸気が噴き上げ、空は青一色に染まる。テルマとリザードンが遠くに見える。あの頂まで上り詰めてやるんだ――アユムもマフォクシーも、諦めてなどいなかった。今や勝つことしか、見ていなかった。全てのポケモントレーナーが欲しがる貪欲さに、かっこ悪くても食らいついていた。マフォクシーは杖を失い、自分の指でみがわりの輪郭を描く。飛びそうな意識の中で、最後の望みに全てを託しながら。

「頼む……!」

 アユムは手を組んだ。ブラストバーンの余波で何も見えない。ユウリとシンジのバトルの時もそうだったな、と思い返す。後はポケモンを信じるしかない。さんざん迷惑をかけた。それでも見放さず、自分を好きだと言ってくれる、パートナーのマフォクシーを。信じようじゃないか。

 

 マフォクシーはなお、立っている。最後の術は間に合った。そして、己の命を対価として生み出したみがわりから放たれる猛火は、最終進化だろうがメガシンカだろうが、有無を言わさず燃やし尽くすだろう。準備は整った。アユムはマフォクシーに無理をさせることを選んだ。答えは簡単だ――彼女がそれを望んだから。

 リザードンは攻撃の反動で動けない。切札における最大のリスクだ。

 今だ! アユムは自分が何を言っているかも分からないほど叫んでいた。テルマが技を命じる。リザードンに勝って欲しいという想いを彼もまた抱いているのだ。これは己の意地とプライドがぶつかり合うポケモンバトルだった。どちらが負けて勝つかなど二の次、力と力の見せ合い。マフォクシーは己の手で炎を生み出し、そして撃ち出す。

「マジカルフレイム!!」

 リザードンを丸ごと飲み込むような炎が、勝負を決した。その時、テルマは本当に悔しそうな顔をしていたのだった。

 

 

 *

 

 

「シンジって、本当に強いんだな!」

 ユウリが嬉々とした様子で語る。誰でも先程の二人のバトルを見れば、そうなるだろう。シューティーはバトル終了から目を輝かせて質問を浴びせて来るユウリにたじたじの様子だ。シンジはあくまでも真面目な表情を崩さずに、インタビュー時のような模範的解答を返す。

「オレは、自分のポケモンを少しでも完璧に近付けようとしているだけだ」

「またまた! 謙遜するなあ」

「……ねえ。彼らもキミの知り合い?」

「えっ?」

 言われて、後ろを振り返る。いつの間にか日は暮れていた。そして、その夕日に被さる二つの人影と、三つの異なる形をした影。ユウリは目を見開く。今までとは明らかに違う決意を滲ませた顔つきのアユムとマフォクシー、ヘルガーが力強い足取りでこちらに向かって来るからだ。

 シンジ達と合流するや否や、テルマはいつもの調子でアユムの背中を叩く。

「待たせたな。利子をつけて、こいつは返すよ」

「アユム、お前……」

 アユムは軽く焦げた痕を指で拭いながら、晴れやかに笑う。

「ユウリ。ボクはトーナメントに出場するよ」

「ほ、本当か!? 本当に本当に本当なんだな!?」

 ユウリがアユムの手を取ってぶんぶん振り回すので、アユムは身体全身が揺れて、次の日には寝込むのではないかと思ってしまう。

「ああ。コイツはもう大丈夫だ」

 シンジが興味ありげな視線でテルマを見る。テルマはおどけて手を振る。

「おいおい、恥ずかしいな。そんな目で見ないでくれよう」

 シンジは何も言わず、目を瞑る。察したような表情だ。

 アユム、ユウリ、テルマ、シューティー、シンジ。マフォクシー、ヘルガー、リザードン、ゴウカザル。役者は一同に介し、数の多さに思わずシューティーが苦笑する。

「なんだか随分、賑やかになったねえ」

「楽しいからいいじゃん!」

 ユウリの無邪気な微笑みを見ていると、シューティーも自然と肯定してしまう。

「まあ、それもそうだね」

 

 あれからというものの、テルマはマフォクシー達の治療をしてくれた。聞けば、実はアユムに勝たせる気はなくて、絶対に勝ってやろうと意気込んでいたようである。これにはアユムも呆れるしかなかった。普通は逆ではないか? 色々な意味で、改めて兄の恐ろしさを再認識したアユムである。しかも、治療しながらぶつぶつと不平を垂れるのだから、潔さの欠片もない。

 四年もブランクが空いてるんだから、勝てて当然だと言われたのにはアユムもたまげた。

 テルマはマフォクシーに薬を塗りながら、胡坐をかいて座り込むアユムに歯を見せて語る。

「アユム。楽しかったろ?」

「……うん!」

 どこまでが本気で、どこまでが嘘なのやら。しかし、一つ確かなことがある。それは、アユムのためにテルマがひと肌脱いだ――兄弟の繋がりの強さだ。

「ボクは、ポケモンを苦しめているんじゃないかと思ってた」

「そうだな。でもバトルなんてのはな、何も考えず、ただ思いに任せて叫べばいい。それでいいんだ」

「だね!」

 ふと、ホクトのことを思い出す。能力の秀でたポケモンだけを残すという彼のやり方は、やはりアユムと相成れるものではない。自分達の強さを証明するならば、ホクトとの戦いに赴くべきは――。

「今度は……ヘルガー。キミとも一緒に戦いたいな」

 ヘルガーはしばらく目を見開きながら、顔を寄せてアユムの頬を舐めた。

「あははっ。くすぐったいよ」

「アユム。ポケモンバトルの意味は、お前自身にしか見つけられない」

 包帯を巻きながら、テルマが言う。

「見つけ出せ。お前のポケモンバトルを」

「……分かった」

「よし! これで治療完了。後はポケモンセンターに診てもらうこったな」

「兄さん。色々ありがとう」

「よせよ。お前とオレの仲だろ? それよりも、これ以降腑抜けたバトルしでかしたらぶっ飛ばすからな」

 テルマが言うと、冗談が冗談に聞こえないので困る。アユムは若干苦笑いの取れない顔で、口角を引きつらせていた。

 

 時は戻って、トレーナー達の集まる草原。彼らは世界を赤く照らす夕日に、それぞれの想いをのせていた。まるで誓いを述べ合うように。

「トーナメントに出るなら、容赦はしないからね」

 シューティーが生意気に言い放つ。アユムもまた彼の宣戦布告を受けて立つ姿勢を見せる。

「勿論。シューティーとのバトルも、楽しみにしてるよ」

 それだけ言うと、シューティーは満足したのか黙り込む。

「一週間後には――あたし達が鎬を削り合うんだな」

 ユウリの呟きを受けて、アユム、シンジ、シューティーの三者が表情を引き締めた。

「ボク達はライバルとして、全力で戦うだけさ」

「……そうだなっ!」

 彼らはそれぞれの思惑をもって、トーナメントに挑むことを決意した。

 アユム。ユウリ。ホクト。シンジ。シューティー。タクト。

 時は満ちた。そして、ここから全てが始まる。そう、名前も声も知らなかった者同士はこうして集い、少年少女のサーガが幕を開けたのだ。

 

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