爆風が聞こえてから、砲撃音はピタリとやんだ。
ソナーにも何も映っていない。
勇次郎は船の外に出て、最後の爆音が聞こえた方向をジッと見つめた。
厳慈たちも、なんとか船に乗せ、あとは名無しを待つだけだった。
「勇次郎、ナナは……」
春江は言いづらそうに、勇次郎に近寄った。
「帰ってくる。絶対にだ」
勇次郎はそれだけ言って、水平線の彼方を見つめた。
少しすると、太陽が昇ってきた。勇次郎は名無しと出会った日、涙を見せた日を思い出す。
その時、太陽を背中に何かがこちらに向かってきているのが見えた。
「あれは……」
厳慈の言葉に、皆が黙り込んだ。
「あぁ。あれは」
勇次郎がその言葉を受け継いだ。その姿を見間違うことはない。
水平線の向こうから、少女が一人、こちらに向かってきていた。
「なっちゃんだ!」
勇次郎は、安堵の言葉と共に、海に飛び込んだ。
「勇次郎さん! 私は大丈夫ですから……」
名無しは泳いでこちらに向かってきた勇次郎に手を振った。
しかし、そこで名無しはガクッと膝から崩れ落ちた。全身から力が抜けていくのが分かった。
勇次郎もまた、名無しのボロボロの姿で、疲労困憊なことを察し、泳ぐ速度を上げた。
「なっちゃん!」
名無しを再び光が包んで、それが消えた後、名無しの身体から、鉄の装備は消えていた。
そのまま海に沈んでいきそうになった名無しを、勇次郎が救い上げた。
「勇次郎さん……」
「今度は、大切な人を助けられた」
勇次郎は、名無しを強く抱きしめた。
****
名無しが目を覚ました時、そこは船の上だった。
「なっちゃん、気づいたか」
勇次郎や、他の漁師が名無しを取り囲んでおり、目を覚ました名無しに気づいて皆一様に安堵する。
「みんな、なっちゃんのおかげだ」
厳慈がそう言うと、皆が一斉に頷いた。
「私は……」
声を発しようとすると、喉に何かが詰まったように大きく咳き込んだ。
「無理して喋らなくていい」
勇次郎がそれを制した。
咳が止むと、名無しはそれでも話そうとしたが、無理だと悟って頷いた。
「もうすぐ村に着く。そしたら家に帰って、ゆっくり休もう」
笑顔で語りかける勇次郎に、名無しは笑顔で答えた。
村に着いたら、話すつもりだった。
名無しがどういう存在で、どんな名前かということを。
「見えたぞー!」
漁師の一人が大声を上げ、船の先に村が見えてきた。
そこには多くの人々が待っていた。
「おーい! おーい!」
漁師が大きく手を振った。
「待て。……人数が『多すぎ』じゃねぇか?」
厳慈の言う通り、港には、漁師を差し引いたとしても、村の人口をはるかに凌駕する人数が集まっていた。
その多くは、白い軍服を着ていた。
「海軍……か?」
港に近づけば近づくほど、その異様な光景がはっきりとした。
村民の二倍近い人数で、海軍が港に立っていた。
「どういうことだ、これは……」
厳慈の呟きに答えられる者はなく、ただ不気味な雰囲気が漂っていた。
港に船が付くと、漁師がまず降りた。
漁師が一人降りるたびに、その家族が駆け寄り、熱い抱擁を交わす。
漁師が全員降りた後、最後に名無しと勇次郎と春江、そして厳慈が降りると、月子と冴子が駆け寄った。
名無しは勇次郎と春江の肩を借りて立つのがやっとだった。
「父ちゃん!」
「帰るって言ったろ。朝飯の準備はできてんのか?」
厳慈がおどけると、冴子は呆れ顔を見せて、厳慈に抱き付いた。
「これで、全員か」
軍服の襟もとに、いくつかのバッジを付けた海軍が現れた。
黒ぶちの眼鏡の奥では、瞳孔が小さく見える鋭い眼が光っていた。
「俺は海軍支部の少将、黒岩礼二。お前が、敵艦を『一人』で撃退したという少女か?」
黒岩と名乗った海兵は、ゴツゴツとした指を春江に向けた。
「違うよ。あたい達を助けてくれたのは、この子だ」
春江は疲労困憊の名無しを顎で指した。
「ふん、その小娘か」
黒岩は、どこか小ばかにした態度で笑った。
「では、『それ』をこちらに寄越せ」
黒岩の眼は笑っていないのに、口角だけがつりあがる、とても不気味な笑みを浮かべた。
「あんたが何言ってるのか分からねぇんだが」
勇次郎が黒岩に噛みつく。
「ふん、それは国の財産だ。本来ならそれを無断で所持、使用した貴様らには、重い罰が下るはずだが、今回は『それ』をこちらに手渡せば不問にしてやろう」
黒岩は答えになっていない答えをベラベラと口にした。勇次郎の眉間の皺が徐々に深くなっていく。
「お前、なっちゃんを渡せとか、いきなりわけのわかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ」
勇次郎は怒りを込めた視線を黒岩に向けた。
「貴様、誰に向かって口をきいてる」
黒岩がツカツカと勇次郎に近づいた。
「なんだ、ウッ」
黒岩の拳が勇次郎のみぞおちを抉った。
とっさのことに、勇次郎は反応できずその場に崩れ落ちた。
「てめぇ! 俺の息子に何しやがる!」
厳慈が黒岩に詰め寄ると、黒岩は胸元からあるものを取り出す。
「動かないでください。死体の処理は面倒ですから」
意地の悪い笑みを浮かべる黒岩の手には、黒光りする拳銃が握られていた。
「てめぇ……」
勇次郎は黒岩を見上げた。
「貴様も見たのだろう? この娘が兵装を身に纏い、敵を撃つさまを」
黒岩は首をコキッと鳴らした。
「この娘は人間ではない」
その言葉に村の人間がざわめいた。
「これは、数年前から日本各地で生まれている『艦娘』というものだ。その正体は、かつての大戦で跋扈した軍艦の魂を受け継ぐ者。同時期に、日本近海の海域で、『深海凄艦』と呼ばれる敵が現れた。おかげで外交、貿易ルートは狭くなる一方だ。それを倒せるのが、『艦娘』だけなのだよ」
「それじゃ、さっき俺達を襲ったのは……」
「そう。『深海凄艦』だ。なぜ現れたのかは知らんが、本部から連絡が入っていた。それを撃退したと聞いてピンときたよ。『艦娘』は国が管理する決まりだ。だから、『それ』は我々が預かるぞ」
黒岩は、春江の肩に身を寄せていた名無しに手を伸ばした。
「待てよ!」
勇次郎の声が港に響いた。
「俺が気になってんのはそこじゃねぇんだよ」
フラフラとした足取りで立ち上がった。
「お前、さっきからなっちゃんのこと、『それ』とか『これ』とか呼んでよぉ……」
そのまま、黒岩の首元を掴んで叫ぶ。
「なっちゃんは『物』じゃねぇ! 俺の家族だ! お前に渡すつもりはねぇ!」
黒岩は顔をしかめて、勇次郎を突き放した。
「うるせぇなぁ」
倒れ込んだ勇次郎を、黒岩が踏みつけた。
「お前! 調子に! 乗ってんじゃ! ねぇぞ!」
黒岩は何度も勇次郎を踏みつける。
その手に持つ拳銃のせいで、だれも黒岩に近づくことはできない。
「やめて……ください……」
名無しが勇次郎に手を伸ばした。
黒岩がそれを見ると、嫌な笑みを浮かべた。
「いいかげんむさくるしい海軍ってのも飽きてたんだよ。こいつを俺の女にする」
勇次郎に言い聞かせるように、黒岩はささやいた。
「平常時は雌、非常時は武器。これが本当の都合のいい女ってやつだな」
黒岩がそう言った瞬間、勇次郎の中の何かが切れた音がした。
黒岩の足を掴み、胸元に引き寄せた。
バランスを崩した黒岩が、踏みつけを辞めた隙に、勇次郎は素早く立ち上がり、拳を固めた。
「なっちゃんは、俺が護る!」
その一言と共に飛び出した拳は、黒岩の顔にクリーンヒットし、黒岩は後ろ吹っ飛んだ。
その黒岩に、部下の海兵が数人駆け寄った。皆腰に軍刀を下げ、胸元から拳銃がはみ出ている。
「いってぇなぁ……。てめぇら」
黒岩が部下に憎しみを込めた命令を下す。
「あの男をハチの巣にすんぞ」
そう言って立ち上がり、拳銃を構えた。
命令を聞いた部下も、少しの戸惑いも見せず同じように構えた。
「勇次郎!」
「勇次郎さん!」
名無しと春江の悲鳴が共鳴する。
「じゃあな、馬鹿な漁師さん。己の不運を呪え」
引き金がゆっくりと引かれ、発砲音が港に木霊した。