「―様、ご主人様っ!!」
崩れ落ちた少年の体を、女性は懸命に抱き寄せる。
熾天の檻。宙に座する巨大な観測機械。
その中枢で、今、一つの勝敗が決まろうとしていた。
女性に抱かれた少年は、力なく女性を見上げ、ぼんやりと笑う。
「…っ、キャスター」
「喋らないで下さいまし!!今、今治療をっ…」
自身の魔力をもってすれば可能なのではと、女性は少年の体へと意識を向ける。
しかし。
「あっ…」
ノイズに飲まれ、侵食されていく体は最早その半分も原型を止めてはいなかった。
崩れる。彼を、少年を構成している霊子が跡形もなく崩れていく。
虚構世界であるこの場において、人は肉の体を持たない。データに換算されたその存在は、一度崩れて分解されれば何も残らない。
消える?彼がこんなところで?
女性の頭を消失の二文字が埋め尽くす。
私だ。私のせいだ。私のせいで彼が…。
「キャスター」
停止した女性の意識が、少年の声によって呼び戻される。ああ、彼は、彼は今どんな表情で私を見ているのだろうか。怒りだろうか?憎しみだろうか?
「ごめん、…キャスター」
俺のせいだ、と少年は力なく笑っていた。いつもと変わらない優しい笑顔で、申し訳なさそうに眉根を下げていた。その表情に、憎しみや怒りは欠片も見つからない。
あまりにも少年らしい。その女性が知る少年のまま、彼はどこまでも彼女を思っていた。
「何故、ご主人様が謝るのですっ…。わ、悪いのは私なのですよ!!?」
いっそ詰ってくれた方が気が楽だったろう。
少年を守りきれなかった。その事実が女性にのしかかる。
少年の采配に間違いはなかった。それ故にマスターへの配慮を一瞬忘れた、自分にこそ落ち度があるのだ。
「…キャス…ター…、泣…な」
半分以上崩れた腕を上げて、少年は女性の目元を拭った。
「…あ」
女性の目からいつの間にか流れ落ちた涙を拭うとほぼ同時に、少年の腕が消える。
ノイズは最早全身に廻り、喋ることすら困難な状態である。
そこで少しだけ、初めて表情を僅かに歪ませた少年は小さく言葉をこぼした。
「……と…け、こ………」
聴かせるつもりでは無かったのだろうそれは、意図せず、キャスターの耳に届いてしまう。
「あ、あぁあああ」
女性は少年を抱く力を強めた。より一層の後悔が彼女の心を埋め尽くす。
離すものかと加えられた力に反して、少年の体は急速に崩れていく。喉も消え去った彼は言葉も発せられない。
少年は最後まで彼女を責めなかった。自分の責任だと言って消えた。
マスターの戦闘不能により敗者と断じられた女性は、自身もまたノイズにまみれ分解されながらも思う。
嫌だ。
こんな結末、認められない。
正々堂々とした勝負の結果、敗北には死を、これがこの聖杯戦争のルール。
分かっている。負けたのはこちらだ。故にこれは当然の成り行きで、何も間違ってなんかいないのだ。
自分はこのまままた眠りに付けばいい。また、次のマスターと出逢えばいい。
負けたことを、この結果を、認められないなんて只の愚か者だ。わがままなのだ。
ああ、でも。
ダメだ。
どうしてもダメだ。
どうしても認められない。
彼が、彼が生きていられないこの世界、
彼ガ居ナイコノ世界ナンテ。
◇◇◇
「…い、おい、起きろ」
『起きてくださ~い!ご主人様!』
「起きろってば」
『起きてくださいってば!』
「…ん、……ター?」
「おい、まだ寝ぼけてんのか?」
「…ん?あ、おはよう」
目を開けると、目の前にはクラスメイトの少年。赤茶色のような独特な色の髪を持つ少年は、呆れたように笑う。
「おいおい、もう12時だぞ」
「…え?本当に?」
「嘘ついてどうすんだよ」
「ずっと寝てた?」
「1時限目からな」
「うわあ」
我ながら凄いなと呆れる。授業中も休み時間も関係なくぶっ通しで寝られるとは、なかなかの神経の太さではなかろうか。
「タイガーがお怒りだったぞ?後で呼び出されるだろうから、覚悟しておけよ?」
「ふ、藤村先生か…。分かった」
どうやら自分の睡眠は、先生にもバレているらしい。まあ、堂々と机に突っ伏して寝ていたら気づかない方がおかしいのだが。
「タイガーが起こしても起きないって、お前どんだけなんだ?何、寝不足?」
「いや、昨日は普通にぐっすり寝たけど」
「ほー、じゃあよっぽどいい夢を見てたのかもな」
「え?」
「やけに幸せそうな顔で寝てたからさ、周りが起こすのを躊躇うくらいに」
「そ、そうなのか?」
「そうそう。で、実際のところどうだったんだ?いい夢だったか?」
「え?えーと、そうだなあ」
薄ぼんやりと霞みがかったような記憶を探る。先ほどの夢は急速に薄れて、内容はほとんど思い出せない。
しかし、幸せな夢とは違う気がした。
「……欠けた夢…」
「なんて?」
「いや、なんでもない。普通の夢だったと思う。それより、なんの用事だったんだ?」
周りが起こすのを躊躇うくらい熟睡していたらしい俺を起こしたということは何らかの用があるのだろう。俺の問いに、クラスメイトはああ、と思い出したように笑う。
「一成からの伝言。お前の弁当は預かっているから、生徒会室まで取りに来られたし、だってよ」
「……あれ?」
俺は慌てて自分のカバンを確認する。そこには、普段ならあるはずの弁当が無かった。
「…朝、持っていくの忘れていたみたいだ」
余裕を持って家を出たのに、うっかり忘れていたらしい。
どうして柳洞一成が俺の弁当について知っているのかというと、俺が一成の実家、柳洞寺に下宿させてもらっている身であり、一成の母親には厚意で弁当まで作ってもらっているからである。
しかし、そんな大事なものを忘れているとは。後で謝らなければ。
申し訳なさに項垂れつつ、席を立ち上がる。
「伝言ありがとう。今から取りに行ってくる」
「お、そうか?俺も生徒会室に用事があるから一緒に行こうぜ」
「あれ、生徒会の役員だっけ?」
そういえば、このクラスメイトとは何度か話したことがあるだけで殆ど交友は無かった。知っているのは顔ぐらいなもので、委員会どころか名前すら知らない。
「いんや、違う。違うけど、一成に備品の整備頼まれててさ」
「ほうほう。備品の整備かあ、凄いな」
なる程、彼が噂のブラウニーか。顔を見たことが無かった為知らなかったが、有名人は意外とすぐ近くにいたらしい。
そういえば、彼の名前は何て言うのだろう。
クラスメイトに対して余りにもひどいかも知れないが、俺は極限られた人数の名前しか把握していない。というか、俺の交友関係は非常に狭い。
「えっと、…」
流石に正直に名前を教えてくれとも言い難く、上手く聞き出せないかと逡巡していると、彼は不思議そうに俺を見た後ああ、と納得したように頷いた。
「衛宮士郎。俺の名前は衛宮士郎だ」
そう言ってにっと笑う彼に対して気まずさを覚える。気を悪くしたような素振りを見せないところ、彼はかなり寛大な心を持っているようだ。
「俺は岸波白野。えーと、今更だけどよろしく。」
誤字脱字、その他間違っているところや変なところがあれば教えていただけると幸いです。
不定期更新。むしろ続かない可能性大。