夕方、レッドムーン事務所から帰ってきたブリちゃんは所長室に私を呼び出した。
「そこ、座って」
ブリちゃんが執務室の前のテーブルに着席させ、自分も対面に着席すると上半身を乗り出してきた。ブリちゃんは両の肘を机の上に乗せ、握った左の拳を右の手の平で包むようにしてから右手の指の背に顎を乗せたいつもカウンターで見慣れているの体勢になった。
ブリちゃんの顔から笑みが消えている。刺すような鋭い視線で射抜かれ、私は思わず身構えた。
「困ったことが起こったわ」
なんの前置きもなく、ブリちゃんは唐突にそう言った。
呼び出して「困ったこと」とは私の仕事のことだろうか。ブリちゃんの口から出る叱責の言葉を想像して血の気が引く。
しかし、よくよく考えると私は失敗らしい失敗をしていない。出した資料や報告書は全てブリちゃんが確認しているし、指摘や訂正があるものはちゃんとやっている。むしろひよむーの方が怒られる筈だ。
何より叱責するならまっすぐ私のいる部屋に入ってくるはずだ。となると、私のことじゃない?
いったいなんだろうと頭を捻った。ブリちゃんはそんな私を冷めた目で見てから、少し低い声で言った。
「デットヘッド監視塔を義勇兵団だけで攻撃することになった。あなたはこれからその準備に従事してもらうわ」
「・・・は?」
ぽかんと口を開け、何を言っているんだという顔で見つめる。ブリちゃんは右の人差し指を小さく左右に振って
「女の子がしていい顔じゃないわよ」
「はっ!?」
私は素早く手を動かして顎を持ち上げ、大きく開いた口を閉じた。
「んっ、ん。どういうことでしょうか?」
思わず出してしまったアホ面を取り作るようにブリちゃんに聞いた。ブリちゃんはくすりと笑って応じる。
「まぁ、そうでしょうね。今から詳しい話をするから、よく聞いて」
デットヘッド監視塔を攻撃するっていう重大なことに対して「よく聞いて」と念押しするのだから本当に大事な話に違いはなかった。
とはいえ。デットヘッド監視塔を辺境軍の力を借りずに義勇兵だけで攻撃するというのは、それは重大なことだ。しかし、そのことと私が庶務として活動することが感覚として上手く結びつかなかった。
「今回の作戦はそれぞれリバーサイド鉄骨要塞を辺境軍、デットヘッド監視塔を私たち義勇兵団がそれぞれ受け持つ。リバーサイド鉄骨要塞に関しては置いておいて、デットヘッド監視塔は大体1千人規模の砦よ。戦時にはそれ以上の人数が入ることはあるけど多くて1千5百程度と思ってちょうだい」
ブリちゃんはいったん言葉を切って、すぐに続けた。険しい表情で
「敵も黙って私たちが砦まで行くのを見ていないわ。移動中に野戦が入るはずよ。準備はここオルタナで行うから感づかれることはまずないからそうね、8百ぐらいで遅滞攻撃をしてこちらの足を止めて援軍を待つとかかしら」
ここまでで1千5百と8百。8百は1千5百から捻出されるだろうからある程度は無視できるが、こちらが囲むのが遅れたらさらに増える。
「そして義勇兵団は2千に届かない程度。オルタナを治めているガーラン辺境伯から私兵を借りて2千。それに周辺貴族から借りれそうだからもうちょっと増えるわね」
1千5百の砦を2千弱で?
城や砦を攻める場合、攻める側は少なくとも3倍の兵力が必要という兵法の常法に照らせば陥とすことなんて無理だ。ブリちゃんは私の考えていることを見透かしたように口を開いた。
「もちろん2千で1千5百の砦を普通のやり方ではまず無理ね。だからスピード勝負、準備もそこそこで強攻を敢行するわ」
消耗も覚悟の上で「強攻」するの?
強攻は城壁をよじ登る。梯子、雲梯をかけたりなんかして内部に入り込み、守備塔を占拠したり門を開いたりする攻め方だ。攻める側が内部に侵入できても敵の錬度や指揮が高い場合や、内部が迷路のような構造だと被害がどんどん大きくなる。なので普通は包囲をし、攻城兵器や火矢を使って破壊工作や内部の兵に攻撃を行う。そして、施設の破壊度、兵糧・物資の困窮度、士気の低下を確認し、頃合を見て総攻撃である強攻をかけるのだ。
「あなたにやって欲しいのは今回のに必要な兵糧・物資の準備。何か質問はある?」
「準備と言っても何を準備すればいいかわからないのですけど」
私の質問にブリちゃんは部屋の隅にある分厚い書類の束をドスンと机の上に乗せた。
「うっっ」
「前回の攻撃の際に作成した資料よ。これを見て」
書類の分厚さに思わず仰け反る私を無視してブリちゃんは説明を続ける。書類に目を落とすと小さなマスの中に、びっしりと細かな数字が書き込んであった。
「・・・はい」
「何か判らないことがあったら、聞いてね」
と言ってブリちゃんは部屋から出て行った。
今ごろ他のみんなは休日を満喫しているんだなっと思うと自分の境遇に嘆きたくなる。こんなことをしているより、外で体を動かしていたほうが何倍もいいと思った。
とはいえ、考えていても何も始まらない。決まってしまったことは覆らない。大きなため息をついた私は書類の束を持って部屋から出た。
朝から夕方まで書類と格闘する日が3日続き今日で4日目の朝となった。
その間、判らないことを聞いたり、ミスを何度も何度も指摘されたりして嫌気が差していた。このまま部屋の隅で書類仕事を続けていると体の先から腐敗が始まって全身腐ってしまうのじゃないか。そんなよくわからない恐怖に襲われた。
「鍛冶屋から破城槌の図面もらってきました」
そろそろ限界だから半日ぐらい休もうか?と思っているとドアを開けてヒロトが筒状に丸めた紙の束を持って入ってきた。はっきり言ってこれだけの仕事1人で処理するのは無理な話だ。書類を見るだけで1日が終了した時点で私はみんなに救援要請をした。みんな快く快諾してくれてそれぞれ関係各所に赴いて仕事をしてもらっている。できれば私もこんな所で仕事をするより陽の光浴びれる外での仕事をしたかった。
「破城槌のパーツですけどちょっと遅れそうです」
「どうして?」
「辺境軍の方でも製作の依頼が出て鉄が不足ぎみみたいです」
被っちゃったか。製鉄関係は製作に時間がかかるからできるだけ急いだのに。まぁ余裕を持って発注できたからちょっと位大丈夫か。んーと伸びをして分厚い書類の山を睨んだ私は気を取り直して書類の山の掘削作業を再開した。
ナナンカ防衛要塞線での戦いの後、レッドムーン事務所で庶務の手伝いを始めた以外に変わったことがある。それは私が1人で外にいる時によく起こる。そして今回はシェリーの酒場で夕食を取っている時に起こった。
「どうだいこの筋肉」
私の対面に座った男が両手を腰に当て上半身を強調させている。服の上からでもわかる分厚い胸板を時折ピクピクっと動かして私に猛烈にアピールをしている。私はその様子を焦点の合っていない目で見ていた。
「嬢ちゃんのパーティーは女性ばかりだから俺のような力持ちは必要だろう。少しの期間でもいいんだ、入れてくれないか」
「その・・・ちょっと無理」
クランへのお誘いと私のパーティーに入りたい人が私に声をかけてくる。少し前の私だったらとっても嬉しいことだったのだが私に向けられるいやらしい視線に気づいたり、何故かやたらとパーティーの交遊関係を聞いてくるということが多かったため、嬉しいという感情はもうほとんどない。さっきの男はそういうのがないから、まだでましな方で再考の余地は・・・ないわね。だって筋肉しかアピールしてなかったもの。
男は自分の席に戻ったのか周りの男連中に「お前にハーレムは早えぇ」やら「筋肉見せたときの顔見たか」と私の顔マネをしてからかって酒の肴にしている。せめてそういうのは私の見えない所でやって欲しい。
「はぁ」とため息をついて自分の食事に目を落とす。今日のメインは鳥のから揚げ。大きめの鶏肉がカラッと揚げられていて食欲がそそる。そそるはずだった。
「何か・・・うん」
大きめのから揚げを見ているとあの筋肉を思い出してしまう。これだと決めたのにあれを見てしまってから揚げの気分じゃなくなった。むしろ少し気持ち悪い。私は隣の席で飲んでいた集団にから揚げをパスをした。パスの際、「筋肉が・・・」と言うと爆笑された。
誰でもいいから入れたらなくなるのだろうけどもうすぐデットヘッド監視塔の攻撃が始まる。チームワークが欠けている状態ではメンバーに危険な目に合わせてしまうかもしれない。不完全な6人よりも完全な5人。6人目はこれが終わってからだ。
「じゃあ、どうすんだよ!このままでいいのかよ!」
サラダを齧りつつ代わりのメインを選びなおしていると懐かしい声が聞こえてきた。かなりの大声だったので何人かが声の方を向いている。
声の主はランタ、席にはマナト達がいる。ユート達はいない。
ランタはマナトと言い合って1人で出て行ってしまった。マナト達はランタを視線で追う。その過程でユメが私を見つけて手を振ってきた。私は食べ物を持って席へ移動した。
「久しぶり」
「元気やった~?」
マナト達も元気そうだ。だけどランタの様子おかしかった。どうしたんだろう。
「ランタどうしたの?」
「あ、うん。ちょっとね」
言葉を濁される。喧嘩別れみたいなのを見られてどうしたのと聞かれたら言いづらいのは当然だ。久しぶりの再開なのにギクシャクして上手く会話が噛み合わなかった。
後日、デットヘッド監視塔の攻撃の参加リストにランタの名前だけ見つけた。そしてその翌日、マナト達の名前が追加された。おそらく、今回のに参加するかどうかについて口論をしていたようだ。一緒の場所に名前が書かれたということは仲直りはできたみたいだ。
そういえば私たちのパーティーて、口論や喧嘩ってしたことないなぁ。
「私たちのパーティーって上手くやってるのかなぁ」
「どうしたの急に」
「前にマナト達と会ったんだけど・・・」
一緒の部屋で仕事をしていたメリイが作業の手を止めて私の話を聞く。そして口を開いた。
「パーティーの雰囲気はリーダーによって決まると思う。それと私が見た範囲ではリーダーには大きく分けて2つのタイプがいると思う」
「2つ?」
「独裁者タイプと、議長タイプ。名前は適当だから、あまり気にしないで」
メリイは口を止めて少し考えるそぶりをする。
「独裁者タイプはレンジみたいな感じで、有無を言わせず他人を従えさせる実力がある。そういうパーティーはその人の思い通りに動くから喧嘩なんてまず起きない。起きたとしても起こした人が制裁されたりしてパーティからいられなくなる」
レンジが独裁者かぁ、確かにそうかも。あのロンでさえレンジに付き従ってるし。マナトはレンジと違うから議長タイプ?
「議長タイプは意見を取りまとめるのが上手い人。シオリの近くにいる人だとマナトがわかりやすいわね。このパーティーはメンバーが好き勝手してもリーダーが丸く治める。今回はランタが参加したいと駄々をこねて、マナトが他のみんなを説得して参加したんじゃないのかしら」
なるほど、議長タイプのパーティーは喧嘩が起きたりするってことか。んっ?でもそれって
「私たちのパーティーって喧嘩起きたことがないよね。私って独裁者タイプ?」
「あなたが勝手に危険な所に突っ込んでいって大怪我して、怒られる以外は何もないから独裁者タイプじゃないかしら」
「うっ」とたじろぐ。大怪我したのは2回ぐらいだから・・・
「大きく分けてだからレンジやマナトみたいな典型的なタイプもいれば、独裁者タイプと議長タイプの両方の要素を持っているリーダーもいる。状況次第で使い分けたりとか」
色々なタイプがあるんだなぁ。
「メリイは私のパーティーどう?」
「どうって聞かなくても判るでしょ。他のみんなもちゃんとついてきてくれてるし、気にする必要もないわ。シオリはシオリのままでいて」
取りあえずは満足してくれていてうれしい。でも、面と言われてちょっと恥ずかしい。メリイも少し恥ずかしそうだ。恥ずかしさを取り払うようにお互い何も言わずに作業を再開した。