ガルパン×ゲート・シリーズ外伝 黒き小船の物語 CODE1903-1940 作:ボストーク
今回のエピソードは、最初はバトル・オブ・ブリテンの顛末と今後の影響。
そしてメインはと言えば……なにやら色々動き出しそうですよ?
バトル・オブ・ブリテンは、主に
ゼロ戦と初遭遇した翌日の8月9日には、400機の混成爆撃機隊に限界の200機のHe100D-1を付け、更には沿岸部のレーダーサイトや高射砲群に
これはゼロ戦ばかり乗せるという特異な編成を行う2隻の日本空母のせいばかりではない。
同じく日本人が持ち込んだ初期型スピットファイア準拠の九七式重局地戦闘機や現行型スピットファイア準拠の英国仕様の
二日連続で大損害を出した
8月10日、11日はその方針転換の為に奇妙な空白の時間となった。
そして翌12日未明、ドイツ空軍は初の夜間爆撃を敢行する。
この時、夜戦を想定されていないゼロ戦は迎撃に飛び立てずにいて、ドイツ軍首脳部はあの恐るべき日本の空母機(この時点でドイツはあの奇妙な方向から奇襲をかけてくる日本機が艦上機だと判断していた)が夜戦能力がない確信を得たようだ。
だが、ここで一つのジレンマに行き当たる。
当時、夜間爆撃はどの国でもまだ確立した戦術ではなく、下手をしなくとも明後日の方向に飛んで見当違いの場所を爆撃する可能性が多分にあった。
敵の戦闘機は襲ってこないかもしれないが、こちらも護衛戦闘機をつけられないリスク(この頃のドイツはまだ本格的な夜戦を配備していない)もある。
正直、
またこの時……正確には8月15日より英国の報復も始まっていた。
そう、英国爆撃隊による主に大西洋に面した独仏軍事施設や軍需工場に対する昼間攻撃だ。
そしてドイツが夜間爆撃に切り替えたために出番が少なくなり航続距離が長く空母を基地とするゼロ戦隊は、まさにうってつけの
無論、ゼロ戦隊も消耗したがそれ以上に英国空軍爆撃機隊も消耗した。
何よりドイツの爆撃隊により連日、軍需工業地帯に夜間爆撃を喰らっているのだ。
ドイツ爆撃機のペイロードがさほど大きくないせいもあり、1回あたりの被害はさほど大きくなくともダメージは蓄積され、ボディブローのようにじわじわと利いてくる。
英国の優れた点があるとすれば、ドイツより格段に優れた防空システムを既に確立しており、30年代のドイツの再軍備から再戦を覚悟していたせいか40年としては世界最高の防空網を形成していたことと、日本からの最初ほど大規模ではないものの継続的な支援があったこと、レンドリース法施行前に米国よりの緊急
例えば、海外でのライセンス生産マーリンエンジンで最も生産数が多いのは、三菱でも川崎でもなく米パッカード社で、米国からの輸送船には医療品に食料品、武器弾薬に加えて大量のパッカード・マーリンエンジンやAN/M2航空機関銃を含むM2重機関銃が満載されていた。
***
いつ終わるか判らぬ
先に根をあげたのは、ドイツだった。
消耗が大きい割には今一つ効果が上がらぬ(とドイツは判断していた)夜間爆撃の中止を命じたのが8月30日で、翌31日には【
この史実よりも2ヶ月も速いバトル・オブ・ブリテンの終結は、結果として史実より低いドイツ機の損失につながり、撃墜スコアも最終的には英独イーブンとなった。
以後、ドイツは昼夜の制空/防空戦闘機やより効率的な夜間を含む大規模爆撃が可能な大型機の開発に勤しみ、祖国の守りを固めてゆく方針を定め、またソ連との大規模な技術的譲渡を取引材料に関係を深め、現ドイツの西ポーランドのみならずソ連支配地域にも工場を分化する手配を進めることになる。
失敗は人を強くするというが、どうやら人の集団である国家も時には同じことが言えるらしい。
またドイツはソ連と協議し、戦略方針を対英戦からヴァルカン半島とゆくゆくは中東/中近東への侵出に大幅転換をする。
要するに足場を固めてから次のチャンスを待つということだろう。
それにしても……ウェリントン・チャーチルは高らかに勝利宣言を出したが、果たして”
少なくともこの時に英国は、「ドイツ空軍は近距離航空支援主体の戦術空軍であり、英国本土を本格的に焦土にする戦略能力はない」と結論付けてしまった。
だが、ヘルマン・ゲーリングが実権を握っていた史実のルフトバッフェならいざ知らず、その判断は早計だったように思えてならない。
実際、ドイツはこの時の戦訓を生かし、余剰となった初期生産分や工場の製造ラインに乗っていたBf110をテストベッドに、夜間戦闘機やそれを用いるシステムの本格的な開発を開始すると同時に、ソ連のスパイにより
また昼間迎撃強化手段の一環として、レシプロ機を大きく凌駕するジェット機の開発優先順序が一気に引き上げられた
また、それまでは優先順序の低かったFw200の後継機に、戦略爆撃機を兼ねた長距離哨戒機であるMe264を指名。また来るべき決戦に備えた戦略爆撃機にJu390を指定し、開発の加速を求めた。
特にBf110を巡る不祥事でレシプロ戦闘機市場から干されたメッサーシュミット社にとって大型機で1機辺りのマージンが望めるMe264と、後のMe262につながる大量発注が望めるジェット戦闘機の開発は社運をかけたプロジェクトになった。
何しろこの先、確実にFw190シリーズとHe100シリーズに喰われるレシプロ単座戦闘機市場において、Bf109シリーズの発展改良だけでは社の存続は危ない。
もっとも社運をかけて死に物狂いなのは、何もメッサーシュミット社に限った話ではない。
ユンカース社は別の意味で悲鳴を上げていて、既存のJu87/88の発展改良型の生産に加えて先ほどの通りJu390という巨人機の製造まで請け負う羽目になり、それこそ西ポーランドやソ連からの租借地に新工場を立ち上げるしかなかった。
ハインケル社は、He111爆撃機の製造中止と開発が難航しそうなHe177の開発中止が言い渡され、その代わりにHe100D-1の増産と
ハインケル社は、いよいよ爆撃機メーカーから戦闘機メーカーに本格的なトラバーユである。
他の企業だって余力は無い。
フォッケウルフ社は
そして残る大手であるドルニエ社は、Do217の評判が良かったのとHe111の生産中止とHe177の開発中止のあおりを受け、Do217やその改良型の増産と本格的な発展型の開発を命じられた。
これでDo335のような大戦末期を飾る重戦闘爆撃機を開発/量産できたのだからドルニエの底力恐るべきといったところか?
もっとも恐るべきはこれらの開発計画を取り仕切ったミルヒやシュペーアかもしれないが。
かくもバトル・オブ・ブリテンの敗北はヒトラーを含むドイツ上層部に大きな衝撃を与え、国家としての戦略方針も空軍の航空機開発方針も大きく変更されることになる。
付け加えれば、ドイツは軍事同盟を締結しない従来路線は継承するが、工場増設の土地を租借するソ連やエンジン供給を受けたイタリア、さらに主にイタリアのオイルとオイルマネーによる後押しで急速に工業力を復興させつつあるヴィシーフランスと更なる緊密な連携を取る路線へと国家戦略を切り替えさせる。
この決して小さくない敗北により、ドイツは『単独での戦争の限界』を思い知ったのだろう。
正直に言えば……この敗北こそが、史実ではありえない第二次世界大戦の迷走と混沌を生み出す要因の一つとなったのだった。
***
もっとも大きな影響を受けたのはドイツ空軍だけではなく、日本空海軍もそうだ。
バトル・オブ・ブリテンの終了直前、英国が夜間爆撃に切り替えたときを見計らって補給に戻った2隻の空母は九九式艦上爆撃機や九七式艦上攻撃機を併載する”本来の編成”に戻し、英国空母部隊共々軍港ヴィルヘルムスハーフェンを空爆作戦に参加(この時九七式艦攻は、本来の雷撃任務ではなく水平爆撃機として主に使用された)したのだが……制空権を一時的に掌握したにもかかわらず、港湾施設や修理の為に入渠していた艦船ごとドックを破壊するなど大きな戦果と引き換えに、それに見合うだけの損耗を受けたのだ。
英国ほどでないにしてもドイツの防空網は中々に秀逸で、統制された対空砲火の恐ろしさをまざまざと見せ付けられた。
事実、その損耗の大きさや航続距離の問題で英国機が参加できないなどの理由で、本丸でありより重防御が予想される軍港キールへの空母機動部隊攻撃は見送られる結果となった。
「現時点でキールへの効果的な空爆を行うなら、最低でも航空機70機以上搭載可能な正規空母が4杯と対潜/対空能力の高い護衛艦群、何より敵をアウトレンジできる新型の航空機と対地制圧用の効果的な兵器が必要」
それが日英の結論だった。
また防空システム以外にも常に優速な敵戦闘機や、潜水艦の猛威なども大きな戦訓となった。
大型艦は損傷はすれど撃沈こそなかったものの、ドイツ自慢のUボートの攻撃で軽巡以下の船や輸送船には相応の被害が出ており、日本海軍は改めて対潜戦術の重要性と潜水艦の威力を思い知らされたのだ。
日英米はこれらの浮き彫りになった脅威に対抗するための研究を、共同して当たることを改めて確約した。
ドイツは確かにバトル・オブ・ブリテンでは敗北したかもしれないが、戦争全体を見ればドイツが受けたダメージはまだ小さいものに過ぎなかった。
英国は、8月31日のドイツの『イングランド航空戦』終結宣言を受けて、それを守勢から攻勢への転換点と判断。
爆撃機だけでなく護衛機の損耗の大きい昼間爆撃から夜間爆撃に戦術を切り替えるのだが……それが思わぬ結果を招くことになる。
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さて、部隊は再び1940年11月のリビアに戻る。
アルベイダにあるアンツィオ遊撃旅団本部では、なんとなく井戸端と付けたくなる雰囲気だけど、実は旅団上層部による会議が行われていた。
ちなみに旅団長の”アンチョビ”こと”アンジェリカ・チョリビーナ”の階級は大佐待遇でけっこう偉い。
「おーい。どうやらかなりの緊急事態っぽいよ?」
会議中に伝令が慌てた感じで飛び込んできて、ある理由からエジプトの英軍の一部の間で『ピンナップの女神』と崇められている旅団副長にして航空隊の総指揮官”フェデリカ・N・ドッリオ”に電文を手渡した
それを一読するなりドッリオが切り出したのが上の台詞で、
「アンチョビ、良い報告と悪い報告があるんだけど……どっちを先に聞きたい?」
するとアンチョビは即答で、
「悪いほうからだ。私は嫌なことは先に済ますタチでな」
「了解」
ドッリオは咳払いすると、
「バドリオ将軍が失脚したわ。即時解任……事実上、身柄を拘束されて本国に強制送還。問答無用に軍法会議にかけられるみたいね?」
「即時解任に軍法会議っ!? 確かに有能とはいえない将軍だが……一体何をやらかしたんだっ!?」
素で驚くアンチョビ。いやアンチョビだけでなく会議室に集まった面々も一様に驚きを隠せない。
それはそうだろう。
なにしろピエモント・バドリオ大将は、今イタリア軍が絶賛実行中のエチオピア侵攻作戦のトップときてる。
そう簡単に解任されたり、更迭されたり、ましてやいきなり軍法会議にかけられるなんてことはそうそうない地位と階級だ。
だが、ドッリオは普段の彼女からは考えられない重苦しい口調で、
「……どうやら戦果芳しくない戦線に、毒ガスを使おうとしたみたいね」
「「「「「「なっ!?」」」」」」
その場にいた全員が絶句した。
「ちょっと待て! それは立派なハーグ陸戦規定違反だっ!! それ以前にいつの間にエチオピア攻略軍は、毒ガスなんて装備してたんだっ!? 確かに我が国にも万が一に備え備蓄はあるが……それは軍の特殊施設に厳重に封印されてるはずだっ!」
明らかに狼狽するアンチョビだが、
「そりゃ腐っても将軍だもの。ちょっとした裏技を使えば、軍の施設なら大抵の場所の鍵は開けさせられるんじゃない? どうやら周囲に知らせず自分の子飼い達を使って秘密裏にエチオピアに運び込んでたみたいね」
ドッリオは苦虫を噛み潰したような顔になる。
彼女には似合わない表情だが、まっとうなイタリア軍人なら無理もない。
はっきり言えばイタリア軍の国際的な恥さらしもいいとこだ。
「それと本人は、『以前、エチオピア人はハーグ陸戦規定違反の
「呆れたな……私ですら、もう少しまともな言い訳をするぞ」
激情に任せて机を叩いて立ち上がってみたものの、一軍を率いる将の言い訳としてはあまりに稚拙な言葉にアンチョビは力なく再び椅子に腰を落した。
それはそうだろう。
1935年、【アビシニア危機】に関する国際連盟臨時公聴会において、ハーグ陸戦規定違反のダムダム弾を使用していたエチオピアとそれを擁護する形となったイギリス・フランス・ポーランド・トルコ・スペインからなる”五国委員会”を国際的な場で糾弾したのは、他ならぬ現”
五国委員会は、国連会議の場でエチオピアのダムダム弾の没収を約束したが、それが不完全な物だったらしい。
おそらくは表向きは回収されたことになったが、エチオピアが素直に全てを渡すはずもなく、隠し持っていたのだろうが……
確かにハーグ条約を無視してダムダム弾を「未だに軍用に保有し、あまつさえ戦場で使用した」エチオピアも、その回収を撤退しなかった五国委員会も国際的に非難されるべき立場であるし、それがイタリアのエチオピア侵攻の大義名分にもなってはいるが、毒ガスの使用は論外だ。
まずハーグ条約無視を論拠にエチオピアと五国委員会を批難したイタリアが、今度は自らが条約違反を行おうとするなどあってはならないことだ。
言い方を変えればバドリオ将軍は、ケッタの顔に分厚く泥を塗ったようなもので、そりゃあ即時解任で本国に強制送還、軍法会議のフルコースまっしぐらだろう。
厳密に言えば民間人居住地域に対する無差別爆撃もハーグ条約違反なのだが、ソ連は早くも冬戦争でフィンランド相手にやってるし、イタリアはマルタに、英国はついこの間まで夜間爆撃で都市爆撃をやっていたが……バトル・オブ・ブリテンの終結後にドイツがゲッベルス宣伝相を中心に徹底的にプロパガンダに利用し、独ソ伊仏(ヴィシーフランス)だけでなく中立国まで巻き込んだ大規模なキャンペーンの結果、各国に存在するマスコミに多い潜在的左翼や共産主義者の煽動もあり世界中から非難を浴びて現在は中止に追い込まれていた。
英国は「イタリアもソ連も民間人への無差別爆撃はやっている」と主張していたが、二国が行ったのはいずれも昼間爆撃であり、
『誰もが平和に寝静まる夜、スヤスヤと眠る幼子の頭上に焼夷弾を落とし、母親ごと焼き殺す非道な振る舞いを平然とするのは英国だけ』
「乳児を庇うように抱きかかえたまま焼死」し、半ば炭化した母親のセンセーショナルで象徴的な写真の流布と共に世界中に配信されたドイツの主張の方が確実に国際世論に受け入れられていたのだ。
『夜間爆撃はまぎれもなく敵国の軍事的効果を狙った攻撃ではなく、敵性国民の
これは効果覿面だった。
いくら英国が手段を選ばないと言っても、同盟国である日本や最大支援国である米国で市民達が「英国の非道な行為を糾弾する」ための市民集会やデモ行進が各地で行われ(無論、その影には赤色勢力の影が見え隠れしていたが……)、国内世論でも英国支援の見直しを求める風潮が広がってしまっては、『どれほど有効な反撃手段』だとしても見直すしかなかった。
そう、この時点では米国を含む世界の大半の国が戦争の当事国ではなく、それゆえに
***
ともかくいずれにせよ、都市への無差別爆撃は敵味方問わずに言い訳できないレベルで行っているので今更感はあるのだが、今のところハーグ条約締結後に使用例が公式にはない毒ガスとなれば、一般市民の反応からして話は別だ。
「毒ガスは……もう使われてしまったんですか?」
冷静に言葉を降るのは、アンチョビの副官の一人であり
「いえ。幸いにして毒ガスの使用命令を出した途端に身柄を拘束されたようよ? 毒ガスもその時に押収されたみたいね」
「未然に防がれたのは幸いだが、どうにもタイミングが良すぎるな……ずっと張られてたということか?」
確かにアンチョビの言うとおり、まさに動かぬ証拠だけでなく”撤回できぬ発言”が出た瞬間に捕縛されたというのだから、あまりにタイミングが良すぎる。
「おそらくだけど……軍情報部に前々からマークされてたんじゃないかな? 保管庫から毒ガス引っ張り出した時点で、かなり危ない橋を渡ってる筈だし」
「バドリオ将軍が失脚したのはいいとしても……後任は誰なんです?」
とそこが気になるカルパッチョ。
まあ東アフリカ情勢とリビアは密接にリンクしてるのでそれも当然か?
「現在、司令官代行してるのは”グリモア・ナージ”参謀長よ。多分だけど、序列的にはこのまま繰り上がりで東アフリカ総軍司令官に就任するんじゃないかな?」
「ああ、ナージ将軍なら安心だな」
ほっと安堵の溜息を漏らすアンチョビである。
ナージ将軍は開戦初頭、機甲部隊や航空部隊を含む比較的少数の精鋭部隊を率いてソマリランドで唯一イタリアが掌握できてなかった英領ソマリランドに侵攻、瞬く間に敵を殲滅し占領してしまったのだ。
彼の活躍により元々持っていた伊領ソマリランド、フランスの降伏によりイタリアに併合(実質的には売却に近い)された仏領ソマリランドに加え英領ソマリランドを確保したことにより、イタリアはついにソマリア全域の掌握に成功した。
これが叩き台になり、現在のエチオピア侵攻に繋がっていた。
「バドリオ将軍、どうなるんだろうなぁ」
ちょっと気になる程度の口調(つまりは他人事モード)で呟いたのはペパロニだったが、
「毒ガスが使われて……無差別住民虐殺が行われた後だったら、バドリオ将軍だけでなく加担した子飼い達共々戦争犯罪者として銃殺刑は免れないところだろうけど……」
「えー」
「ただ、今回は既に命令出した後とはいえ未遂で終わったしね。とは言っても無許可の毒ガスの持ち出しに使用未遂だから……今は国際司法裁判所は国連共々機能停止してるから、国内でのみの処罰。軍法会議で戦争犯罪認定で有罪、不名誉除隊の上に軍籍剥奪+公職から永久追放処分くらいじゃない? まあバドリオ将軍は、軍人年金は諦めたほうがいいわね。今回の件で協力した子飼い達も軽くて予備役編入は免れないだろうし」
「まあ、妥当なところだな。重くしすぎて”殿下”にまで責が及んでは元も子もない」
そうウンウンと頷くアンチョビにペパロニは不思議そうな顔で、
「姐さん、なんでそこでケッタの旦那が出てくるんです?」
するとアンチョビは慈愛に満ちた瞳でペパロニを見ると、
「ペパロニ……世の中には”任命責任”という言葉があるのだぞ?」
***
「ところで良いニュースの方はなんだ?」
悪いニュースのインパクトが強すぎて忘れそうになったが……そう言えば良いニュースもあったなぁと思い出すアンチョビに、ドッリオは今度は微笑みを浮かべた。
「本日、マルタ島沖を哨戒中だった”アレキサンドル・ダ・ザラ”中将率いる『空母特別機動任務艦隊』が、タラントへ向かおうとした敵地中海艦隊を発見。生憎、戦艦は取り逃がしたようだけど……
”””わっ!!”””
アンチョビだけでなく個人差はあれど全員の歓声が会議室に広がった!
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1940年11月&タラントというキーワードなら……史実なら間違いなく思い浮かぶのなら【タラント空襲】、英国で言う『
概要から言えば、1940年11月11日から12日にかけて史実では6隻の戦艦に守られた最新鋭装甲空母イラストリアスから発艦した21機のソードフィッシュ艦上攻撃機により主力艦隊が居座るイタリア最大の軍港タラントに向けて敢行された夜間空襲で、英艦隊の接近に気付かず夜襲を受けると思ってなかったイタリア艦隊は散々な被害を受けた。
そう、僅か21機の
オマケに英国側の被害は、ソードフィッシュが2機だけという有様だった。
しかし、最も深刻な被害はイタリア海軍が受けた精神的ショックで、彼らは奇襲攻撃を受けたことに狼狽し過剰反応、イタリア海軍の主力を奥地にあるため攻撃は受けにくいがその分、地中海へのアクセスが悪いナポリに移動させてしまう。
元々、燃料や準備不足で積極的行動の取れないイタリア海軍だったが、この判断で完全に消極的艦隊行動しかとれなくなり、海軍としては半ば死んだも同然となったのだった。
だが、”この世界”はまったく様相、そして前提条件が異なっていた。
イタリアの宣戦布告直後の地中海における空母はジブラルタルにアーク・ロイヤル、アレキサンドリアにイーグルは同じだったが、もう1隻の空母があったのだ。
史実では1940年4月のドイツのノルウェー侵攻に伴い本国に呼び戻された、元々は地中海艦隊所属でアレキサンドリアを母港としていたグローリアスだ。
だが、”この世界”においてはドイツはノルウェーに侵攻しておらず(第13話参照)、当然のようにグローリアスはアレキサンドリアにいた。
第07話~11話で描かれた、イタリア宣戦布告直後の7月のマルタ島攻撃やカラブリア沖海戦に参加してなかったのは、予備兵力の確保というより機関不調などの別の問題があったからのようだ。
そしてグローリアスが参加できなかったこの一連の戦いにおいて、英国は戦艦4隻(リヴェンジ/ロイヤル・サブリン/ウォースパイト/マレーヤ)、何より虎の子だったアーク・ロイヤルとイーグルの2隻の空母を双方とも喪失するという憂き目を見た。
ただ、日本艦隊の到着と日米からの物資援助で英国は当初は悪かった被撃墜率をイーブンに戻し、ドイツは不気味にな昇曲線を描く損耗率に恐れをなし史実よりも2ヶ月も早く8月一杯でバトル・オブ・ブリテンを中止せざる得なくなり、前出の通り英国は勝利宣言をする。
他にも史実と異なる不気味な兆候はあった。
ほぼ同時に勃発した比較的近海で起きた
イタリアにおいてさえ、『航空機の集中攻撃にて空母アーク・ロイヤルを撃沈せり』と簡潔に発表されているだけである。
ただ『空母演習艦隊』を率いていたアレキサンドル・ダ・ザラという提督が、「一連の戦闘において功ありと認められる」として上級少将から中将へと昇進したことが地味に軍報に掲載されただけだった。
英国側も戦艦の損傷はせいぜい中破どまりで、甚大な被害を受けたのは空母と重巡洋艦以下の艦艇であり、事実上の壊滅したアレクサンドリア艦隊と船団護衛艦隊に比べれば、まだ軽微と言える情況だったのだ。
だからこそ彼らは、重視していなかった……いや気付いてなかったのかもしれない。
アーク・ロイヤルを本当に沈めたのが、サルデーニャ島のカリャリ基地を飛び立った空軍機と
英国人は、未だ史実には決して登場しないイタリア空母部隊の実力を知らずにいた。
***
人には、必ず驕り昂ぶりがある。
カラブリア沖海戦で惨敗したもののその後、イタリア海軍は
これにもアクィラ級空母の最後の1隻の就役とか、4隻体制になった空母を中核とした艦隊の再編とか、二直制の海軍パイロットの機種転換訓練とか色々裏事情があるのだが……
ともかく英国はせっかくの勝利の後に追い討ちをかけてこないイタリア海軍を、「機があるのにそれを生かせる実力と体制と戦意がない海軍と政府」と判断した。
まあ実際、イタリア海軍も政府もこの時、公的に「戦時体制に移行するための諸々の手続きと7月の数々の海戦で損傷した艦艇の修理のために時間が必要」とコメントし、それがあながち嘘というわけでもなく……積極的な艦隊戦力の展開を行っていなかったのも事実だ。
ダンケルク包囲戦やカラブリア沖海戦の敗北を払拭したい英国は、ドイツが事対英戦に関してはしばらくアクティブに出れず、またイタリアも積極的な攻勢をかけてこなかったせいもあり過剰なまでに「英国の窮地よりの脱却」、バトル・オブ・ブリテンの勝利を喧伝していた。
更に当時はまだ世論の反発がなく、ドイツに対する夜間爆撃が相応の成功を収めていた時期だ。
国際世論で大きな非難が出るのは10月の半ばも過ぎた頃なのだから、バトル・オブ・ブリテン直後は絶好調だったのだろう。
更にはジブラルタル艦隊限定でテンションが上がる決定が、9月に入ってすぐに下された。
沈んだアーク・ロイヤルに代わり、滅多に沈むことはないと太鼓判を押された最新鋭正規
これにH部隊司令部は狂喜乱舞した。アーク・ロイヤルの喪失以後、流石にエアカバー無しでは大胆な作戦が取れなくなっていたH部隊が、再び西地中海の覇者としての威厳と行動を取り戻せると誰もが信じて疑わなかった。
加えて朗報はアレクサンドリアにも届いた。
英国は東洋艦隊に配備予定だったキングジョージⅤ世級戦艦2番艦”プリンス・オブ・ウェールズ”とレナウン級巡洋戦艦2番艦”レパルス”が喜望峰周りで回航され、インド洋で空母”ハーミーズ”と合流してアレクサンドリアに配備されることが決定したのだ。
危険が少ないシンガポールより、酷く目減りしてしまったアレクサンドリア艦隊の補強を優先した結果だろう。
7月の戦いで戦艦戦力が磨り減ったアレクサンドリアは、ジブラルタルと同じくあるいはそれ以上に狂喜する。
アレクサンドリアに現在配備されているのはクィーン・エリザベス級の1番艦”クィーン・エリザベス”と戦闘直後に穴埋めの為にジブラルタルから回してもらった同級4番艦の”バーラム”のみで、内心では常にイタリア海軍の強襲に怯えていたのだ。
本来なら紅海のインド洋側の入り口であるソマリランドをイタリアに掌握されてる以上、警戒すべき事柄なのだが……だが、イタリア東アフリカ総軍の司令官であるバドリオはことさら海には無理解かつ無能で、航空機による効果的な艦船攻撃はおろか紅海の機雷封鎖さえ思いつかない愚物なため、英国人にとっては戦艦2隻+空母1隻のアレクサンドリア到着はいつ到着するのかという時間の問題だけで、到着自体は規定路線もしくは予定調和だったのだ。
確かに僅かの間に失った主力艦を即座に補完し、戦前と変わらずイタリアを圧倒できるだけの(できる筈の)海軍力を地中海という海域に展開できるロイヤル・ネイビーの底力は大したものなのだが……不思議とそれはどこか歪んで見えた。
だが、彼らの勝利に浸れる時間は終わる。
9月下旬、まだ英国が勝利者を気取れたこの時……本国よりH部隊にある命令が下るのだ。
曰く……
『ダカールに停泊する未完成の
英国は、再び「メルセルケビール海戦の浅慮」を繰り返そうとしていた……
それが後のタラント沖の英国の悲劇、後世の【タラント沖海戦】やその後の英仏のあり方にどれほどの悪影響を与えるかもまだ理解できないまま。
皆様、御愛読ありがとうございました。
イタリアで毒ガスと言えばバドリオ将軍(笑)なエピソードは如何だったでしょうか?
実は今回の一件、ある伏線になっていたりしますが、果たしてそこまで物語を続けられるのでしょうか?(^^
何しろアフリカの後だしな~。
それにしても……バトル・オブ・ブリテンで負けたことで、
というかドイツ自体も国家戦略を大きく方針転換したみたいです。
そして本土上空を守りきった英国は……なんだか茨の道の予感?
それでは皆様、また次回にてお会いしましょう!
***
設定資料
He112RM (RM=イタリア語の”
製造元:ハインケル・イタリアーノSPA社(ハインケルのイタリア現地法人)
エンジン:フィアットA35/210H(1段2速
最高速:520km/h(高度6000m、戦闘重量)
降下制限速度:810km/h
航続距離:1150km(機内燃料のみ)
実用上昇限度: 9900m
固定武装:MG-FF機関砲×2(20mmx80弾、毎分540発、主翼)、MG17機関銃×2(7.92mmx57弾、毎分1100発、機首×2)
プロペラ:可変ピッチ・定速式3翅
照準機:Revi12C(ライセンス生産品)
特殊装備:防振処理空中無線機、防弾装備一式(30口径級弾対応。パイロット背面防弾板、セルフシーリング・タンク、防弾ガラスなど)、楕円主翼、主翼折畳機構、着艦フック、内側開閉主脚、カタパルト射出対応装備、簡易式航法装置、無線ビーコン誘導装置、電波高度計、推力式排気管
オプション:200リットル落下式増槽×1(胴体下)
備考
1940年現在におけるイタリア海軍の主力戦闘機。
最新のHe100RMは諸事情のため生産が遅れ、40年に生産された先行量産型は少数で、本格的な量産型は41年からのプロペラ同軸機関銃をMGFFからライセンス生産が開始されたMG151に換装、それに合わせて照準機をRevi16規格に変更するなど改良が行われたHe100RM-Aから。
1930年代中期、再軍備に伴い行われた主力戦闘機コンペティションにおいてBf109に敗れたHe112、その最終試作型であるV9あるいはドイツ軍には制式採用されずに輸出用に製造されたHe112Bがベースとなっている。
1920年代後半、イタリアは同告発の空母”ガッビアーノ(イタリア語の鴎)”の建造に成功し、フランスのベアルン級空母の対抗としたが、1930年代に入るとリビアの油田開発により得た潤沢な資金を用いて、より強力な仮想敵国イギリスの空母群に対抗できる大型正規空母”アクィラ”級の4隻同時建造を始めた。
しかし、肝心な艦上機の開発が遅々として進まなかったのだ。
実は当時のイタリア航空産業はオイルマネー・バブルによる新開発ラッシュで、まったくと言ってよいほど余力がなかったのだ。
そこでイタリア海軍とその後ろ盾であるバルケッタ・ムッソリーニ(彼はエアレースに出たこともあるほどの飛行艇乗りで、海軍とも縁が深い)が目を付けたのが、当時は反ナチ的な立ち位置で冷や飯ぐらいだったハインケル社の最新鋭試作戦闘機He112V9だった。
実は最終試作型のV9(Bはその量産型)は、性能的には当時のBf109に勝っていたのだが、ドイツ空軍省が「ようやく生産が軌道に乗ってきたBf109の生産枠を縮小する可能性が大」として採用しなかった経緯がある。
もっともこれはメッサーシュミット社とナチ党の政治的癒着が絡んだ話でもある。
そこでイタリア政府は、オイルとオイルマネーを武器にハインケル社と交渉、艦上機……イタリア
当初100機程度の輸出しか見込めなかったハインケル社は大喜びし、イタリアに現地法人のハインケル・イタリアーノSPAまで立ち上げる熱の入れようだった。
もっともこれはドイツが当時保有してなかった空母で積極的な離発着訓練を行うという建前と、ドイツ本国で製造すればナチ党やメッサーシュミット社がどんな横槍をいれてくるかわからないのでイタリア政府庇護下で開発を進めたいという本音があったようだ。
基本的な構成は、He100Bをベースに空母という厳しい離発着環境に対応するために足回りの強化を前提に、安定性と強度を高めるために
また機体素材に強度アップと軽量化を図るために米軍機に広く採用されていたAl‐Cu‐Mg系の”超ジュラルミン”を大々的に用いている。Bf109よりも贅沢な素材の使い方をしてるのが皮肉だ。
これに空母の離発着に必要なカタパルトやアレスティング・ワイヤーを使うために必要な装備と、指標のない海上を飛ぶために充実した航法機材を加えた機体と言っていい。
またキャノピーも離発艦を容易にするために視界の広いものに交換され、着座位置も変更されていて視界は大幅に改善されているようだ。
無論、このような改造を行ったので、空気抵抗と重量は増加しているが、これをイタリア製のオリジナルより強力なエンジンに換装することで対応している。
原型機は685馬力のJumo210Eaというエンジンだったが、最初は世界初の燃料噴射装置搭載の航空エンジンであるJumo210G(700馬力)、更にその改良型のJumo210Ga(730馬力)が選択された。
元々、これらのエンジンもドイツの航空燃料よりオクタン価の高い、30年代末より使われ始めたイタリアの
これらのエンジンは当初フィアット社がライセンス生産していたが、性能向上を目論みフィアット社はレース用エンジンのASシリーズで培ったノウハウと技術を用いて改良を試みる。
まず1気筒あたり吸気1/排気1の2バルブ構造だった物を、熱効率を上げるために吸気バルブを追加し吸気2/排気1の3バルブヘッドとし、また排気バルブに耐熱性の高いナトリウム封入バルブを採用し、気筒内温度の更なる上昇を図った。
また潤滑系にドライサンプ機構を、液冷冷却部分に加圧装置を導入し更なる耐熱強度を上昇させている。
また、過給機はより大型の2速式のものが採用されると同時に、中間冷却機を過給機とエンジンの間に追加することにより更なる効率の向上を図っている。
またGシリーズの特徴でもある燃料噴射装置も原型のチェックバルブから燃料を滴下させる初歩的なものではなく、マレッリ社と共同開発した高圧ラインからインジェクターにより霧化噴射するタイプに改められている。
これらの改造により、フィアット社の”A35/210H”エンジンは、Jumo210系エンジンでは最強の公称895馬力という高出力を得た
ほとんど別のエンジンのような手の入れよう……魔改造だが、既存の技術やイタリアで量産可能な部品を用いることで製造性や重量や製造コストの極端な悪化は招いていない。
また、これらの改造で習得できた技術は、後のDB605のライセンス生産に大いに生きることになる。
いや、そもそも高性能なDB605のライセンス生産引き受け元にフィアット社が選ばれたのは、この技術蓄積の高さが理由の一つであった。
原型機より200馬力以上の高出力を得たHe100RMの性能は、イタリア海軍を大いに喜ばせた。
この機体としての素性のよさと強武装と相まって、開戦当初は旧式機が多かった英国艦上機を圧倒し、まさに史実のゼロ戦級の活躍と強さを見せ付けた。
41年には英国もシーハリケーンを艦上機として投入してきたが、性能的にはまだ勝っていた。
イタリア艦上戦闘機は、He100RM-A→G55RMシリーズとより性能を引き上げながら発展してゆき、終戦までその力を衰えさせることはなかった。
特に英海軍は、シーファングやシーフューリーの登場まで、常に性能勝負で後塵を浴びていたといわれている。
まあ、これは英海軍の”間の悪さ”もある。He100RM-Aは艦上機として今一つ煮えきれない部分があるマーリンエンジンのシーファイアやマートレット(英海軍版ワイルドキャット&FM2)に性能的に上回っていたし、