ガルパン×ゲート・シリーズ外伝 黒き小船の物語 CODE1903-1940 作:ボストーク
今回のエピソードは……ちらっと第15話に話題に出てきた、あの戦いです。
史実とあまりに違う結果により、いよいよ戦争が未知のルート分岐に入った……のかもしれません。
1940年10月初旬の【ダカール沖海戦】において英国はバトル・オブ・ブリテン後、初の敗北を喫した。
メルセルケビール海戦での英国の諸行を忘れてなかったヴィシーフランスと、それを”黒のケッタ”の二つ名に相応しい腹黒い方法で支援したイタリアの変則ツー・プラトン攻撃で、ダカール占領を狙った自由フランス輸送船団を護衛艦隊ごと海の藻屑に変えるという戦術で、戦術的にはともかく戦略的な勝利をもぎ取ったのだ。
その為、
最も集中攻撃を受けた自由フランス軍はともかく、空母航空隊に関しては被害甚大……というか正しい意味で全滅であり、
「我が国にも、そろそろ勝てる艦上戦闘機が欲しいものだ……」
と提督が呟いたとか呟かなかったとか……
彼は本国に「このままでは必敗が続く」として、彼らが知る中でとりあえずは『
ちなみに英国人にとって世界最強の戦闘機は、スピットファイアーなのだろう。多分。
だが、その要請は政府からは予算不足、航空産業からは「海軍版のハリケーンやスピットファイアを製作中」とそれぞれの理由で断られる。
結局、彼らは翌41年に米国からレンドリースされた”
***
そもそも英国、その前のダンケルク包囲撤退戦やマルタ島を巡る攻防、カラブリア沖海戦で大敗を喰らっているのだ。
正直、メルセルケビールで一方的に叩いたヴィシーフランス海軍にしてやられたのは痛かった。
イタリア海軍相手に戦ったときもそうだったが、「勝てるはずの相手に負ける」というのは、思いのほか精神的影響が大きい。
ぶっちゃけてしまえば、英国は焦っていたのだ。
今は国内向け、国民向けに「明確な勝利」が切実に欲しかった。
バトル・オブ・ブリテンでとりあえずは収まっていた「チャーチルに対する戦争指導の不満と不安」が再び再燃しだしたのだ。
無理もないといえば無理もない。
特に最近では「バトル・オブ・ブリテンに勝てたのは、海の向こうからやってきた日本艦隊と日米の支援のおかげ」という風潮が広まってしまえば、チャーチル率いる挙国一致内閣の支持率が急降下爆撃並みの下降曲線を描いても不思議はなかった。
更に悪いことは重なるもので、バトル・オブ・ブリテンの末期に行ったドイツ本土への昼間爆撃で日本の空母航空隊が消耗し、やむなくバトル・オブ・ブリテン終結後に英国はドイツ本土に対する夜間爆撃に切り替え、比較的上手くいってたのだが……
それ自体に10月の半ばから国際的な非難が集まりつつある。
裏で
結局、効果的であるが故にドイツの「民間人を狙ったあまりに卑怯卑劣な戦争」と感情面や情緒面を煽ったプロパガンダの前に、夜間爆撃を英国は中止せざる得ないことになった。
誰だって寝てる最中に焼夷弾で焼け出されたくはないのだ。
敵対国の非難決議や中立国からの苦言はまだしも、同盟国である日本や支援国である米国で、”英国の非道な所業”に対するデモ行進や集会が頻発してる情況では、英国もいた仕方のないところだ。
「戦争は政治の延長に過ぎない」とはよくぞ言ったもので、議会制民主主義の元祖である英国は、市民の意見を無視できず必然的に政策決定に多大な影響が出る現状を痛いほど理解していた。
例えば日本は、純粋な防衛戦だったバトル・オブ・ブリテンには非常に乗り気だったが、夜間爆撃以降はやや英国支援に消極的……というか民意の手前、「再考の余地あり」というスタンスをとらなければならなくなっていた。
無論、英国とてその「英国支援の消極化要求」の裏側にある日本政府や国民の見え隠れしている本音は見えていた。
なんといっても同盟国だ。その辺りには余念がない。
結局のところの日本人は、
『地球上の戦争に関わりたくない』
のだろう。
何の前触れもなく『門』が出現し、そこから現れた正体不明の人外勢力……後の『特地』勢力に帝都が蹂躙され、一部が占拠されるという当時の常識では考えにくい情況によって、日本は大陸や半島の全ての権益を放棄せざる得ず、覇権主義国家としての未来を閉ざされた。
30年代中盤に人外共を『門』の向こう側に追い返すことには成功したが、未だ尽きることのない頭痛の種であるという。
100万に満たぬ常備兵力の国家が、常時1個軍に該当する戦力を張り付かせないとならないのはまさに苦痛だろう。
『門』を壊さず、そんな面倒で不安定な土地に未だかかわりを持ち続けてるのは、いくばくかの資源と地球上では機を逃した新たな土地を手に入れるためだろうと各国は判断していた。
日本は狭く、無資源であるというのは先進国の人間なら常識と思っていた。
このような数奇というより奇怪な近代史を歩む日本が地球上の争いに関わりたがらないのは必然であり、むしろ本能的なものだ。
もっとも、そうはさせないための楔が日米同盟であり日英同盟であるのだが。
***
以上の様な条件を踏まえた上、英国が欲するのが”判り易い勝利”である。
ダカールで戦術的にはともかく戦略的には負け、ドイツを叩きのめせる有効な手段であるはずの夜間爆撃は政治的理由で中止された。
現状で日本からこれ以上の戦力を引き出すのは難しい。
彼らが出してるのは英国本土に展開してる戦力だけではないのだ。
レパルスとプリンス・オブ・ウェールズを護衛艦艇ごと東洋艦隊から引き抜いてアレクサンドリアに向かわせたために、やせ細ったシンガポールには日本の伊勢&日向の2隻の航空戦艦を代替で駐留させてもらってる。
砲力を削った代わりに水上機母艦としての機能を持たせ、大きな索敵能力や哨戒半径を持つ2隻の船は、まさに東南アジアの哨戒活動には最適だろう。
更に日本はノーフォークを母港とする契約をアメリカと結び、そこに残る金剛型戦艦2隻と現在英国にいる同型の空母、赤城と加賀に保用艦艇を駐留させ、長期支援を前提とした体勢……ノーフォークを安全な後方基地にしてローテーションで入れ替えるという方針を打ち出している。
つまり「一度に今以上の戦力増強は無理だが、約束を違える気はない」ということだろう。
同盟の契約不履行など当たり前な欧州情勢に慣れ親しんだ英国に取り、日本の態度は新鮮で健気に映ったに違いない。
国際社会において健気というのは誉め言葉になるかは微妙なところだが……
ともかく日本は既に英国支援の為に4隻の巡洋戦艦、2隻の航空戦艦、4隻の正規空母を動かしているのだ。
しかも昨今、満州コモンウェルスの国境で大規模な軍事衝突が米ソの間に勃発、そこに日本の陸空軍も借り出されているらしい。
おそらく、これで日本は満州から簡単に足抜け出来なくなる。
英国の見立てでは、米国は日本との更なる同盟強化を狙っている……少なくとも英国にのみ優先的に日本という
その証拠に、「ドイツの被支配国が持つ東南アジア植民地に対する取り扱い」で日米が何やら怪しい会合を繰り広げてるようだし……
日本は今のところのらりくらりとかわしているようだが、米国への膨大な借款がある以上、いずれ米国の思うままに動かねばならなくなるだろうというのが大方の見解だ。
日本という国家は近代化と国際社会への登場が遅かったせいか、同盟や契約の不履行を極端に恐れる傾向があるのだ。
さて、話を戻そう。
日本からのこれ以上の戦力抽出は現状では望めず、かといって米国も
派兵とまでは言わないが、本格的な軍事力の供給も来年の”レンドリース法”施行まで期待できないだろう。
となれば……英国は、単独でどうにかなりそうな標的を探し始めた。
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一体、何をどう考えたら英国はイタリア海軍の本拠地と言える”タラント”を空襲しようとしたのか?
後年に出てきた資料によれば、英国は明らかにイタリアの哨戒能力を過小評価していたようだ。
ただ、イタリアが
実はイタリアのレーダー技術が急速に伸びるのはドイツやフランスからの技術流入との融合と、拿捕した船の曳航やらサルベージやらした英国艦船から引き上げたシステムを解析してから……つまり、これからであった。
実際、マルタ島では既に浮きドックを使った浅い港湾に着底し焼け焦げた英国艦の解体ショーがとっくに始まっており、外部との連絡が取れない……電波を発信すれば、すぐにイタリア機が飛んできて爆撃され、物理的に特殊潜航艇で近づこうにも、イタリアの海防艦や魚雷艇がうようよしてる情況では迂闊に近づけなかったマルタ島に残留
それに彼らは通告されていたのだ。
「イタリア軍の全ての行動を僅かでも邪魔するようなことがあれば、大規模空爆を再開する」
と……
そして、マルタ島大空襲の後にイタリア軍は実際に
まだ解体持ち出し作業が始まろうとしていた頃、生き残っていた英国
史実のイタリアなら見過ごしたかもしれないが、”この世界”のイタリア海軍は夜間警備の手を抜くような真似はしなかった。
作業を行ってる最中は、サーチライトをつけた魚雷艇が常に警戒していた。
そして傾いて無残な屍を晒す英国巡洋艦の上で銃撃戦が起き……翌朝には80機の爆撃機がマルタ島上空に飛来した。
闇市のような市場も、焼け残った都市部も、先祖の偉業を今に伝える文化遺産もまとめて焼夷弾の雨が降り注いだ。
鶏舎も牛舎も中の家畜ごとローストされた。
食料庫も穀物庫も貯水池にも爆弾が落ちた。
そして爆撃を終えた後、イタリア軍はビラをばら撒いた。
それは昨夜の破壊工作と銃撃戦の顛末を詳細に綴ったものであり、最後はこう締めくくられていた。
『紳士協定が英国人の手により破られた。今回の爆撃は紳士協定が破られた場合の罰則として事前に通告していたものであり、侮られ一方的に協定を破られたイタリア人からの返答である。英国人はマルタ島の住民の安全など考えていない』
マルタ島の民間人から英国兵に向けられたのは怨嗟の目だ。
補給物資もなく有効な武器も破壊しつくされた彼らには、もはや島民が事実上人質に取られてる情況では何も出来なかった。
無抵抗こそ島民を守る最良の手段とはなんとも皮肉だった。
これでイタリア人が上陸してくればまだ手の打ちようが合ったかもしれないが、彼らは不用意に上陸するような真似はしなかった。
いや、それどころか降伏勧告すらしてこなかった。
こちらが上空の”定期便”と呼ばれるイタリアの偵察機に白旗を振り降伏の意思を示しても、何の返答もなかった。
そう……イタリア人たちは、英国がマルタ島の放棄を公式に発表するまで、マルタ島の降伏を受け入れる気など最初からなかったのだ。
***
イタリアの技術強奪はともかくとして……マルタ島の話が出たついでに書くと、史実の【タラント空襲】において、マルタ島から飛び立った偵察機が重要な役割を果した。
そう英国アレキサンドリア艦隊が、夜襲にも関わらずあそこまで精密に攻撃できたのは、この偵察で精密な事前調査が出来たからだった。
しかし、”この世界”でそれは行われることはない。
上記のような情況のマルタ島に、飛行可能な機体など1機たりとも残っていなかった。
それでも英国はチャンスがあると思っていた。
イタリアはレーダー関連の技術が弱く、史実と同様に夜間爆撃ならどうにかなると信じていた。
実は英国、実際にタラントに停泊しているイタリア艦艇に与えるダメージは、二の次だった。
『イタリア海軍の本拠地であるタラントを空襲したという事実』こそが重要なのであり、イタリア人にタラントは安全な港などではないと思い知らせ、なおかつ明確な英国の勝利を宣言できることこそ重要なのだった。
つまりタラント空襲……英国の名づけた作戦名『
確かに戦争は政治の一手段に過ぎないのだが……だが、「政治が作戦面まで深入りし過ぎた」事例が上手くいくことは少ないことは多くの歴史的事例が証明していた。
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さて、どんな世界にも間の悪い者はいる。
例えばそう、1940年の11月初旬にアレクサンドリアを出港したクィーン・エリザベス級1番艦”クィーン・エリザベス”と同級4番艦”バーラム”、そして今やアレクサンドリアを母港とする唯一の空母となった”グローリアス”を中核とする艦隊だ。
まず彼らは出港してすぐにイタリアが地中海のあちこちに通商破壊の為に放っていた潜水艦の警戒網に発見された。
これがすぐに通報されるのだが……
問題なのはそれを拾った艦隊だ。
敵艦隊出港の報は中継艦を通じてイタリア軍全体がすぐに知ることになったが、その中で敵艦隊に比較的近い位置にいたのが、”第1空母機動部隊”だ。
イタリア海軍が1940年11月現在、4隻の”アクィラ”級正規空母を保有していることは既に何度か述べている。
他にもナポリを母港とする練習空母の”ガッビアーノ”があるが、これは大きさ的にも艦齢的にも戦力として数えるのは酷だろう。
何より現在、4隻同時建造中の「どうやら計画当初より大きく重くなりそうな」目算が立ってる装甲空母の艦上機パイロットの養成に忙しい。
通称”アルバトロ”級装甲空母と呼ばれるそれらは、計画通りにいけば42年には次々と竣工し、43年前半には全艦就役/戦力化したいのであまり時間的余裕はない。
フランスからの戦艦4隻購入(リシュリュー級×2、
とはいえ、相手は(イタリアから言わせれば)海軍力チートの日英米である。
世界の海で戦うわけではなく、基本的に地中海中央部の制海権を守れれば……最悪、リビアからイタリア本国への海路と周辺の海を守れればいいのだが、どうにも心許無い。
そこで装甲空母とはまた別に戦時生産型のアクィラ級の設計を簡易化したような空母も計画しているらしい。
またイタリアはヴィシーフランスに対し、計画が中断していたジョッフル級航空母艦2隻の建造を援助しているようだ。
おそらくだが、今頃は軍艦を中心としたフランス造船業界は未曾有の建造ラッシュ&好景気に沸いてるだろう。
まあ、その株主やら社主やらがイタリア資本なのはお約束だが。
とはいえ資本がイタリアでも社長まではフランス人であることは大半で、目で見える形にイタリア人が威張り散らすような真似はないため、取り合えず今のところ大きな反発はないようだ。
イタリア人はイタリア人で、「サボタージュなんて詰まらない真似はしないで、納期と品質さえ守ってくれれば文句はないしうるさいことは言わないよ」と言わんばかりのスタンスなので、確かにあまり軋轢はおこらないだろう。
***
さて、そのアクィラ級だがネームシップを含む頭から3隻、1番艦”アクィラ”、2番艦”ファルコ”、3番艦”スパルヴィエロ”は既に実戦を潜り抜けていた。
そう……カラブリア沖海戦の中、詳細が未だ公表されていないジブラルタル艦隊のアーク・ロイヤルを撃沈したときのそれだ。
何気に人類史上初の『空母機動部隊同士の殴り合い』だったりするのだが、今のところそれを指摘する人間はいない。
だが、バトル・オブ・ブリテンのど真ん中の頃、ついにイタリア海軍が待ちに待った4番艦の”アストーレ”が就役した。
なんで心待ちにしていたのかと言えば、これでようやく「空母2隻を中核とする2個機動部隊」が編成できるようになったのだ。
イタリア海軍の計画では、ナポリを母港として英国ジブラルタル艦隊に攻撃されやすいサルデーニャ島やシチリア島を含むイタリアの西の海”ティレニア海”を守護するために1個機動部隊、そしてアレキサンドリア艦隊に対抗しリビアへの航路を守るためにタラントに1個機動部隊を駐留させようとしていた。
イタリア海軍は実戦参加の実績も考慮し1~3番艦も一定の水準に達したと判断したが、8月に就役したばかりの4番艦アストーレは錬度が足りないとして、しばしの洋上訓練が命じられたのだ。
そこで2、3番艦で即戦力の1個機動部隊”第2空母機動部隊”を編成し、いつ未だ強力な戦力を有したジブラルタル艦隊が攻め寄せるかわからないティレニア海に面したナポリに配置。
そしてもっとも錬度の高い1番艦アクィラを旗艦兼教導艦として、アストーレは”第1空母機動部隊”として洋上訓練を継続していた。
***
イタリア海軍には、”アレキサンドル・ダ・ザラ”中将という名物提督がいる。
何しろ中佐のときにイタリア最初の空母ガッビアーノの艦長を務め、手探り状態で用兵を探り、イタリアの艦上機乗りの腕前と気質から、航空魚雷攻撃を諦めるように当時既に飛行機屋の元締めっぽかったバルケッタ・ムッソリーニに提言したのもこの男だった。
さて、イタリア海軍最上位の空母エキスパートと周囲から認識してるザラが、3隻の空母を用いてティレニア海においての大規模演習の総監督を命じられていたのは自然なことだし、当時の上級少将という地位から考えても妥当な人選だった。
実は第06話”イタリアン・チートはオイルの香り”にて、空母3隻の出港シーンがあったが、あの時はザラ提督にもただの大規模演習としか知らされておらず、彼は公式には提督ではなくただの監督だった。
だが、演習中にこう入電があったのだ。
『敵艦隊、サルデーニャ島に接近しつつあり。貴官に臨時機動部隊提督を命じる。可能ならば基地航空隊と共同して迎撃せよ』
ザラに躊躇はなかった。
基地の長距離哨戒機により
ならば、航空攻撃隊発艦可能位置に行き、攻撃隊を出すだけの簡単なお仕事だ。
結果としてアーク・ロイヤルはその他の船と共に沈み、H部隊は大慌ててジブラルタルに逃げ帰った。
ザラは中将に出世し、イタリア海軍第1空母機動部隊の公式な提督の座に着いた。
***
さて、今は地中海を進む彼の元にはいくつか面白い船があった。
ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦2隻に、最新のモガドール級大型駆逐艦2隻だ。
名前からわかるようにどちらも本来はフランスの船だが、原油を代金にイタリアが一括購入したものらしい。
イタリアは、ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦の発展改良型であるド・グラース級軽巡洋艦とモガドール級大型駆逐艦を大層気に入ったようで、戦艦と合わせて前者を8隻、後者を16隻すでに発注していた。
戦争が始まれば艦艇の大量消費が始まるので当然と言えば当然だろう。
フランスの大西洋側のドックは危なくて使えないので、今は地中海側の建造ドックのみ使用可能なためにとても慌しい情況だが、建造ドック拡張や増設の為の融資をイタリア資本の銀行が出すとなるならば、気合を入れないわけにはいかない。
フランスは元来、輸出品目のトップに兵器を持ってくるような国であり、「買い手の委細を問わず、売れるなら売る」というスタンスなのだ。
実際、上記の4隻の軽巡洋艦と駆逐艦をイタリアに即日売却したのも、商品サンプルとしての意味もあったようだ。
イタリアのカピターニ・ロマーニ級軽巡洋艦は、そもそもフランスの大型駆逐艦に対抗するために建造され、そしてこの第1空母機動部隊にも配備されているのだから、並んで地中海を走る姿は酷い皮肉だ。
とりあえずザラ提督の機動部隊の洋上航海訓練は、慣れないフランス艦の乗員慣熟訓練を兼ねて執り行われているようだ。
戦力としては正規空母2隻に軽巡洋艦4隻、駆逐艦10隻とそう悪いものではなかったが、どうにも戦艦2隻まで備えた敵艦隊と正面から殺り合うにはちと厳しい。
(本来なら、タラントの戦艦部隊と連携するのが王道なんだが……)
だが、現状では出港できてるかはわからない。
「では、足止めの時間稼ぎくらいはしようではないか」
と即断即決。
この果断さと勇猛さが良くも悪くも彼の持ち味だった。
ザラ提督はHe118RM急降下爆撃機に爆装ではなく、左右の主翼に200リットル増槽2基を搭載させ、2機1組の8部隊を長距離偵察に出したのだった。
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時は1940年11月11日13時47分、天気は晴天。
タラント沖南205海里(約380km)にてアレキサンドリア艦隊を発見したのは、アストーレより発艦した偵察隊の一つだった。
この時期、イタリアはまだ航空機に搭載可能な水上捜索レーダーの開発を完了してなかった。
しかし、年がら年中晴れの地中海では目視による捜索がかなり有効だった。
イタリア機の接近を最初に捉えたのは、英国艦のレーダーだった。
艦隊に警報が鳴り響き、インターセプターとして飛行甲板に待機していた複葉艦上戦闘機”シーグラディエーター”が緊急発進を始める。
史実と違い空母はイラストリアスからグローリアスに変わっているが、実は空母としての航空機搭載能力はむしろ古いグローリアスの方が勝っていた。
イラストリアスはかなり無理をして41機の搭載だったが、グローリアスは普通に48機の搭載が可能であった。
その内訳は、シーグラディエーター12機に複葉艦上攻撃機のソードフィッシュが36機だ。
実際、もしこの36機が英国の行動計画どおりにタラントに夜襲をかけたら、史実以上に悲惨な被害が出たかもしれない。
何しろ史実のタラント空襲に投じられたソードフィッシュは21機、その1.5倍が殴りかかるのだから。
だが、”この世界”はそうはならなかった。
史実には存在しない筈の有力なイタリア海軍の空母機動部隊が地中海に遊弋し、その飛行甲板には胴体の下には遅延信管が組み込まれた半徹甲構造の250kg航空爆弾を、主翼の下には100リットル増槽2個とRS-132ロケット弾8発を鈴なりに下げた急降下爆撃機隊が待機していたのだから。
***
偵察機は飛んできた
He118RMに限らず増槽装着可能なイタリア機は全て増槽が取り付けられた場合には二重設計の電気スイッチが入り、自動的に増槽側の燃料が機内燃料より先に使うように設定されている。
なので、いきなり増槽は満タンなのに機内燃料が空っぽとか、増槽を切り離したら燃料切れで墜落という事態はない安心設計だ。
というかそんな安全装置を(しかも正副の二重で)組み込まないと心配なのだろう。色々な意味で。
さて飛んできた2機のシーグラディエーターの最高速度はせいぜい高度6000mで414 km/h。複葉機の中では高速だ。
しかし、対してHe118RMの最高速は、重くて空気抵抗の大きな500kg爆弾を胴体下に懸架した状態で同高度で408km/hが出せる。
正直、荷物が付いてない現状なら追いかけっこをしたとしても引けは取らない。
「イタリア機なめんなっ!」
「機長、
「イタリアの工場で作られればイタリア機だっつーの!」
とこんな会話があったとかなかったとか。
ただしこの偵察機、僚機共々逃げながらもしっかりと位置は通報し続け、敵機をひきつけたお陰で増槽を吊り下げたままのまだ燃料に余力のある他の偵察隊が、無事に味方の先導をこなせたといいう。
***
アクィラ級空母の搭載数は普通60機。常用55機+予備5機の計算だが、今回はその予備も戦力に数える総力出撃だ。
艦隊直上防空の為にHe112RM戦闘機が予備から抽出された分も含む16機が残され、残りは全て出撃となった。
ただし、こちらも既に16機を偵察隊に出しているので、航空兵力圧倒的有利というほどではない。
なのでいつぞやの戦いのように空母と戦艦を中心に置いた輪形陣、それを構成する全ての護衛艦を沈めるのは無理だ。
では、どうするか?
「取り合えず、侵入路に位置する船を沈めよう」
だった。
エンジン不調で引き返した者を除いても総勢80機を越える大編隊。
英国軍のレーダーによほど遠距離から捉えられたのか、あるいは海の戦いに慣れた英国人らしくイタリア航空部隊の襲来を予期して迎撃機を上げていたのか不明だが、最初の出迎えは10機のシーグラディエーターだった。
「その勇気と歓迎に感謝する」
とある戦闘機パイロットはそう呟き、獰猛な笑みを浮かべながら増槽をリリースした。
***
シーグラディエーターは健闘したと思う。
だが、相手は文字通り世代が違うHe112RMである。
最高速度で100Km/h以上違い、その上狭い空母に着艦する技量が求められるため、一般的に艦上機乗りの方が陸上機乗りより腕がいい。
しかも英国機10機に対してこちらは20機の戦闘機だ。
最初から勝負になるわけがなかった。
大体、
グローリアスから慌てた様子でソードフィッシュが飛び立ってるが、迎撃任務に当てるというより空中避難させているというほうが正解ではないだろうか?
必殺の航空魚雷を搭載しない点から見ても、イタリア艦隊が発見されたとは考えにくい。
シーグラディエーターを喰い終えたHe112RMは、今度は飛び上がったソードフィッシュに標的を定めた。
どのみち対艦攻撃に関してはやることがないので当然の判断だろう。
ソードフィッシュを上げたのは、もしかしたら悪判断なのかもしれない。
だが、空母が沈められれば艦上機もパイロットもただでは済まないので判断が難しいところだ。
さて、いよいよ増槽を切り離した急降下爆撃機隊の出番だ。
ただし、空母への進撃路を切り開く役目が与えられた第一陣は急降下ではなく、海面高度ギリギリとは言わないまでもかなりの低空を高速水平飛行していた。
そう、最近は新たなイタリア機名物になりつつある
先陣隊は目標との相対距離4kmになろうかというときに徐にロケット弾の発射スイッチを押す!
白煙を棚引かせながら発射母機を遥かに勝る速度で飛び行く火矢は、かなりの数が巡洋艦ないし駆逐艦に命中し、レーダーや対空火器といった無防御あるいは軽防御部分を中心に被害をばら撒いた。
だが、He118RMはまだ機体を引き起こさない。
ロケット弾命中後も更に水平飛行で加速し、
「ヒャホォォォーーーッ!!」
そして極めて対空弾幕の薄くなった標的から100~150mの位置で投弾する!
***
普通の低空水平爆撃なら、標的からやや遠すぎるような気がしないでもないが……
だが、驚いたことに投下された爆弾は”水面を跳ねる”ように直進、全てではないにしろ敵艦に命中したのだ。
そう、勘のいい読者諸兄なら既にお気づきだろう。
彼らが行ったのは”
理屈は簡単で、川や池でやる小石一つあればできる手軽な遊び、”水切り石”と同じことを航空機と爆弾を使ってやるようなもぼである。
諸説あるが……実は史実でもスキップボミングを最初に行ったのはイタリア人、イタリア空軍第97飛行大隊指揮官「ジーゼッペイ・チェインニ」少佐とする資料がある。
ちなみに上で『汚物は消毒』的な雄叫びを上げていた人物こそ、「ジョゼッペ・チュインニ」少佐で、”この世界”におけるスキップボミングの発案者にして先駆者ということになっている。
所属はもちろんイタリア海軍航空隊で、爆撃技術指導教官に任命されてるぐらいだから腕もいい。
ちなみにアンツィオ遊撃旅団の航空隊に妹がいるらしいが……いずれ登場するだろうか?
パイロット的にも魚雷の性能的にもイタリア海軍は、航空魚雷による攻撃を対艦戦術として選択できない。
スキップボミングはその代替案だが、ただこの攻撃にも欠点はある。
魚雷攻撃に加えて速度や高度に対する制約は少ないが、更に肉薄する必要があるのだ。
当然ながら敵艦の対空砲火を喰らうリスクは高まる。
そして、そのリスクを低減するための事前攻撃こそが、先ほどのロケット弾だったというわけだ。
ロケット弾とスキップボミングによる二段攻撃……これが魚雷を選択できないイタリアの回答だった。
***
さて、スキップボミングにより数隻の輪形陣の外堀が崩され、開かれた進撃路から今度こそ空母めがけて急降下爆撃隊が殺到する!
本来ならザラ提督としては追撃をかけたいところだが、残念ながら最後の帰還機が飛行甲板に着艦したのは既に夕刻になってからだ。
今のイタリア海軍には夜間索敵/爆撃を行う能力はないし、砲戦を仕掛けようにも火力で劣り距離もあるので、追いつけたとしても深夜だ。
それにレーダー能力に優れた英国海軍に夜戦を仕掛けるのは、些か無謀だった。
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タラントから出撃したヴィットリオ・ヴェネト級戦艦ヴィットリオ・ヴェネトとインペロを中核とした艦隊も該当海域に向かっていたが、結局英国アレキサンドリア艦隊は捕捉することは出来なかった。
ザラ提督も昨日と同じく偵察隊を飛ばしたが、ついぞ発見することは叶わなかった様だ。
どうやら空母が撃沈されたことにより作戦実行不可能と撤退を判断、夜陰に紛れイタリアの哨戒圏から脱出されてしまったらしい。
こうして史実とはまったく異なる様相を呈したタラントを巡る戦いは終幕を迎えた。
史実ではなかったイタリアの空母機動部隊により進撃を阻まれ、英国の『ジャジメント作戦』は失敗に終わる。
あるいはもしマルタ島から偵察機を飛ばせ、タラント港に空母2隻がいないことが確認できていたのなら、このような半ば奇襲じみた攻撃は受けなかったかもしれない。
しかし結果はどこまでも非情だ。
そして、英国は改めて思い知らされてしまう。
自分達が、東地中海の制海権を失いつつあるということを……
だが、その認識があまりに甘い見積もりだったと察するには、まだしばらく時間が必要だった。
皆様、御愛読ありがとうございました。
史実のタラント空襲の代替イベントはいかがだったでしょうか?
これで英国は、ジブラルタルのイラストリアスを除き地中海の空母兵力を喪失しました。
インド洋から2隻の戦艦と共に空母1隻がアレキサンドリアに向かってますが、まだ時間はかかりそうです。
果たして英国はそれまで色々な意味で持つでしょうか?
もしかしたら……
それでは皆様、また次回にてお会いしましょう!
***
設定資料
主砲:75mmDa75/32榴弾砲(75mm、32口径長)
機銃:ブレダMG38×2(7.92mmx57弾、主砲同軸、車体上面防盾付旋回銃座)
エンジン:フィアットSPA 15TBM40(水冷V型8気筒ガソリン、250馬力)
車体重量:16.9t
装甲厚:60mm(正面、傾斜/二重装甲)
サスペンション:トーションバー式
変速機:シンクロメッシュ機構内蔵前進5段/後進1段
操向装置:クラッチ・ブレーキ
最高速:40km/h
装備:小型車載無線機、ザウコップ型防盾、全溶接構造車体、発煙筒発射機×8、S-マイン発射筒×4、自動消火装置、エンジンルーム/戦闘室間防火隔壁
乗員:定員4名
備考
史実では第二次大戦中のイタリア戦闘車両もっとも成功した装甲戦闘車両と言われたda75/18自走砲の”この世界”版である。
というかスペック的にも名称的にも完全に史実のda75/32の強化版なのだが、登場時期や立ち位置的にはda75/18というややこしいセモヴェンテである。
実は”この世界”のda75/18、試作自走砲としての開発は史実よりかなり早く、中身は大分古臭い……というかオリジナルのちょい劣化版のような車両が、既に30年代中期に完成していて、スペイン内乱の終わりのほうに試験投入されていた。
だが浮き彫りになったのは……まだ技術的に未熟なディーゼルエンジンをはじめ全般的に信頼性の低い走行装置、被弾したら車内に割れた破片が跳ね回る旧態依然としたリベット止めの装甲、ショットトラップを誘発する内蔵型防盾など史実のda75/18と同じ種類の大量の駄目出しをされた。
また、主砲も火力/射程不足を理由であり、da75/18は結局先行試作型の少数生産で終わることになる。
その洗い出された欠点を是正するように開発された改良モデルが、このda75/32というわけであった。
da75/18にせよda75/32にせよ大きく史実より変わらぬように見えるが、上記の欠点を踏まえてかなり改良されているようで……
・エンジンを複雑でまだ当時は信頼性の低かった国産ディーゼルではなく、火炎瓶などに対する安全性は高くないが、作り慣れてるゆえに信頼性が高く高出力のガソリンエンジンに変更。炎上しやすくなった弱点は自動消火装置と防火隔壁で是正。
・C.V.33の項でも触れたが国策で溶接技術(特に電気溶接)の向上に注力していたので、da75/32でも全溶接構造を採用。
・防盾は友好国ドイツより最新トレンドを取り入れ、ショットトラップが起こりにくく耐弾性の高い
というようなものだ。
さらにオリジナルとは異なる改良点としては、防御力の上昇と戦闘室の拡大が挙げられる。
まず正面装甲が1cm厚くなっただけでなく、傾斜構造を取り入れていることが大きい。
また、車体の上に砲塔が乗っかってるように見えるオリジナルと違い、車体と戦闘室が一体化するような造り……明らかにドイツのⅢ号突撃砲の影響を受けた構造になってることも大きな変更点だろう。
その為、内部容積を削る傾斜装甲を採用してるにもかかわらず戦闘室を大きく取れ、オリジナルの乗員3名から4名に拡大し、改善すべき点の一つだった装填手が兼任故の砲発射速度の遅さが是正されている。
というより車高を低く抑えコンパクトに作ろうとするあまりda75/18の戦闘室が狭くなりすぎ、三人しか乗れないので装填手は兼任にせねばならないわ砲の拡張性は低いわで評価が低かったために、防御力を引き上げながら戦闘室を大きく取れるような設計にした結果このようなデザインに行き着いたのだろう。
これにより車長が無線手と兼任なだけで、操縦手/砲手/装填手が独立でき、カタログスペックに現れない形での戦力強化に繋がっている。
また容積的余力は乗員が一人増えただけに留まらず、搭載砲弾数も65発と約1.5倍になった。
表記的にも判るとおり、主砲は特に射程距離不足が指定されていたので、Da75/18(1934年式18口径75mm山砲)ではなく、より新しく長砲身のDa75/32(1937年式32口径75mm榴弾砲)となっている。
これにより砲口初速は425m/s → 610m/sに上昇しており、徹甲弾を用いれば装甲が垂直な場合は射距離500mで91mm、射距離1000mで80mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することができた為、成形炸薬弾が作られる前の時代でも有効な対戦車自走砲としてのスペックを有していた。
またda75/18は戦闘室前面やや右寄りに砲がオフセット搭載されていたが、このda75/32は車体中心軸に、オリジナルと同じくジンバル式砲架を介して車体に搭載されていたため左右20度の砲指向が可能となっている。
このあたりの機構は米国のM3中戦車の主砲と似ているのかもしれない。
また仰角は主砲俯仰角-12度~+22度だったda75/18より大きくとれるようになり、主砲の性能と合わせ曲射砲撃の最大射程は1.5倍ほどにもなり、他国の同族と比べて大きく見劣りするものではなくなっていた。
何よりオリジナルと異なるのは、実はベースとなってる車体だ。
表記的には『M13/40中戦車と車体コンポーネントの多くを共用化し、平行開発された』となっているが、またしてもややこしいのがこのM13/40中戦車自体、史実のM15/42中戦車と同等以上の戦車なので、ベースからしてオリジナルより車体が大きいのだ。
また da75/32を語る上で忘れてはならないのが、対人装備の充実だろう。
何しろ主砲同軸機銃に加え車体上面の車長用ハッチには防盾付きの旋回機銃が増設され、戦闘室の四隅には
これは完全に事実上の固定砲塔を有する故に死角が大きく、歩兵に接近されることを恐れた処置である。
この時代、まだ個人携行可能な対戦車兵器は対装甲小銃くらいしかなかったが、ガソリンエンジン仕様のda75/32は原始的な火炎瓶も十分に脅威であり、そのためにこれだけの対人装備に加えて、おそらくフランス戦車の影響を受けたと思われる自動消火装置やエンジンルームと戦闘室の間の防火隔壁を採用したのだろう。
da75/18に比べるなら2.5tも重くなってしまった車重だが、それを補うべく大排気量のより強力なエンジン(史実のda149/40相当)が用意されると同時に、M13/40中戦車と同じく最新のシンクロメッシュ機構を一部のギアに取り入れた変速機やトーションバー式サスペンションを採用し、史実のいかなる第二次世界大戦の
高い機動力と無線機搭載による有機的運用、この時代の各国一線級の自走砲に劣らない射程と発射速度を手に入れたことにより、da75/32は純粋な自走砲としてだけでなく有効な対戦車砲や歩兵直協の突撃砲としてまで幅広く活躍し、特に大戦前半の北アフリカではイタリア機甲師団の花形の一つとして活躍するのだった。
また自走砲と対戦車自走砲の兼用モデルはこのda75/32が最後であり、以後のモデルは綺麗に枝分かれしてゆくことになる。