ガルパン×ゲート・シリーズ外伝 黒き小船の物語 CODE1903-1940 作:ボストーク
今回のエピソードは……前半がイタリア軍が史実ではありえないほどアクティブな行動に出たりして、後半は物語開始の約20年前の話になります。
まだ少年と呼べる次代のケッタが出会ったのは?
1940年10月、北アフリカ
この日もまたリビアーエジプト国境線で、イタリア/イギリス両軍がにらみ合っていた。
上空には両軍の戦闘機が互いに国境を越えないように注意しながら舞い、後方から聞こえる重砲の砲声はあくまで敵軍を攻撃するものではなく、両軍の間に落して弾着の正確さをを確認する……と見せかけて互いを威嚇するものであった。
そう、それ以上の意味など無い筈だったが……
今日も今日とてアンチョビ姐さん、右手にチーズと生ハムを挟んだパニーノ左手にカプチーノで前線をパラソルの下から監視中……という名目で朝食を楽しんでいた。
「アンチョビ姐さぁーん」
とステンレス製のポット片手にやってくるのは、毎度御馴染み副官の一人であるペパロニだった。
どうやら気を利かせてカプチーノのお代わりでも持ってきたのだろう。
「カプチーノのお代わりもってきましたぁー」
案の上の言葉にアンチョビはにっこり微笑み、
「うむ。ごくろう」
と残りを飲み干しカップを突き出す。
いつもどおりの「ドゥーチェの砂漠の朝の風景」だったが……
「そう言えば、カルパッチョの奴が至急姐さんに伝えて欲しいことがあるとか言ってたっけ?」
「あん? なんだそれは?」
「あっ、確か本国から変な通信が入ったんですよ。『ピッツァ・マルゲリータが石窯で焼き上がった』って。なんだって朝飯の話なんか通信で流したのかな? あっ、もしかして軍上層部の連中、軍用通信でデリバリー頼んだとか?」
「ぶほっ!?」
アンチョビ、思わず飲んでカプチーノをものの見事に口から水鉄砲状態。
「うわっ!? 汚っ!? 姐さん、何をやってるんすかっ!?」
心配するペパロニにアンチョビはケホケホと咳き込みながら、
「阿呆かっ! それは最重要機密通信の暗号符丁だっ!!」
「へっ?」
「旅団司令部には話を通してたろうがっ!? 何で忘れるかな……もういい!」
アンチョビは足代わりに使ってるCV33豆戦車に乗り込み、
「こうしちゃおれん! ペパロニ、すぐに旅団司令部へ戻るぞっ!」
「あ、姐さん、一体何がなんだか……」
するとアンチョビは後ろ……国境の向こう側にいるはずの英軍を見やりながらニヤリと笑い、
「これからほどなく英国似非紳士どもの間抜け面が見られるってことだ! 我々も忙しくなるぞっ!」
「姐さん、ちょっと待ってくださいってば!!」
「さっさとお前も乗らぬかっ!!」
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さて、皆さんはピッツァ・マルゲリータというのは御存知だろうか?
ナポリの代表的なピザで、バジル/モッツァレラチーズ/トマトソースをのみを使った極めてシンプルなピザで、名前の由来はイタリア王妃”マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ”が、このピザを初めて見たときに、
『バジリコ(バジル)の緑、モッツァレラチーズの白、トマトソースの赤がまるでイタリアの国旗を表しているようだわ』
と大層お気に召し、自分の名前を関したと伝えられている。
つまり、暗号符丁のピッツァ・マルゲリータというのはイタリアもしくはイタリア軍のことで、石窯は「イタリア人がピッツァには欠かせない石窯を作った場所」という意味で「イタリアの本国以外の支配地域や植民地」を指し、「焼き上がった」は「準備完了」の意味を成す。
つまり『ピッツァ・マルゲリータが石窯で焼き上がった』とは……
「植民地と支配地域に展開するイタリア軍が侵攻準備を完了した」
という意味となる。
***
1940年11月11日、パパ・ムッソリーニこと
『諸君! 5年前、事もあろうに我がイタリアが未文明国に文化を齎す神聖なる行為! 奴隷制度を残しハーグ陸戦規定違反を犯した戦争犯罪国に正義の鉄槌を邪魔をした存在がいた!! 言うまでも無く五国委員会だ! しかし、かつての烏合の衆! 五国委員会とやら今の落ちぶれた姿を見るがいいっ!!』
『ポーランドは我が友好国ドイツとソ連によって東西に分割され国家は形骸化した! フランスは首脳部が国民を放り出し逃亡! 残ったのはドイツの傀儡政権のみ! スペインは内戦で疲弊し! トルコは昔日の面影すらないほど衰退に衰退を重ねた! そしてイギリスは日本人の手を借りようやく国土を防衛したようだが、逆に言えば既に単独では本国を守れないほどに衰弱しているっ! そう、イタリアを卑劣な手段で邪魔した五人の悪漢は力を失ったのだっ!! これぞ天罰覿面というものであろうっ!!』
『五国に昔日の力は無い! あえて言おう……国家の燃えカスであるとっ!!』
『しかし、愛すべきイタリアの民よ! 覚えているだろう! 五年前、彼らはその力も無いのにエチオピアを統治するとイタリアに! 我らがイタリアに約束したのだ! だが、それがどうだ!? 今やエチオピアどころか本国すらも碌に守れぬ体たらくではないかっ!!』
『しかし、我らイタリアは寛容な民である! 彼らに正義を執行する力が無いのなら、ただ力なき無様さを、その惨めさを笑ってやろうではないか!! そして落ちぶれた悪漢どもの横槍により果たせなかった正義を、力持つ我らが今こそ行おうではないかっ!!』
『我はここに宣言する! 五国委員会はエチオピアを統治するすでに力を失った!! 約束はもはや果たされることは無い……それにより国際的道義に則り、エチオピアに宣戦布告する!!』
***
「あはははははははっ!!」
自国の首領をイタリア色丸出しの旅団長室で聞いていたアンチョビは、腹を抱えて笑っていた。
「これほどの傑作は無い! ああっ、”殿下”はもしかしたらこうなることを最初から読んでらしたのかもな……うん。殿下ならありえるのが怖いな」
「アンチョビ姐さん、何がそんなにおかしいんですか?」
「ん? ああ、ペパロニには判らんか?」
「さっぱり」
頭上に”???”を浮かべそうなペパロニにアンチョビはフフンと鼻を鳴らして、
「いいだろう。説明してやる。ペパロニ、まず最初に聞くが……何故我々がリビアまで来ている?」
「そりゃあ。ドイツがヴァルカン半島攻めるから、その邪魔になるエジプトの英軍を牽制してくれってことでしょ? ケッタの旦那もラジオでそう公言してたし」
「そのとおりだ。よく覚えてたな? ペパロニ、偉いぞ」
頭を撫でられデヘデヘとだらしなく頬を緩ませるペパロニだった。
何はともあれ幸せな娘である。
「だが、殿下の公式発言の中で注目すべきは『在エジプト英国軍の牽制』この一点に尽きる。そしてこれは二重の意味を持ってたんだ」
「へっ?」
「ドイツのヴァルカン半島攻略支援のためのリビアへの派兵。これは間違いじゃない。だがもう一つ……リビア/エジプトの国境に英軍を集めておく。すると南への監視の目はどうなると思う? そしてエジプトの南は英埃領スーダン(英国とエジプトの共同管理地)で、その東はなんて国があった」
「あっ!?」
「そういうことだ。我々に目が向いてる間に本国は、エリトリアとソマリランドに兵力を集結させたのだろうな。そして英国に察知されないために大半の兵力が
もう少し補足するならアスカリの比率は総戦力の2/3に達し、イタリアは本国軍を英国に察知されないようにこの日の為に少しずつ増強していたのだ。
おそらく5年もの時間をかけて。
「さて……英国軍はどうするのだろうな? マルタ島の占領は我がイタリアは行ってはおらぬが、緒戦の攻撃でもはや軍港としては使い物にならん。幾重もの機雷封鎖と潜水艦による通商破壊、連日の空爆と艦砲射撃……さあ、どう出る?」
ドゥーチェ・アンチョビは人の悪い笑みを浮かべていた。
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さて、どうやら”この世界”のイタリア海軍は、アンチョビの言い回しからすると万事「
例えば対英戦の緒戦も緒戦、遭遇戦の雰囲気だった”カラブリア沖海戦”も史実と大分様相が違うようである。
それに第一、イタリア王立海軍の編成も規模も史実と違いすぎる。
1940年時点で、古いコンテ・ディ・カブール級戦艦やカイオ・ドゥイリオ級戦艦などの古株戦艦が全て廃艦となり陰も形もイタリアの港には無く、代わりに史実より幾分航続距離の伸びた最新のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦が4隻まとめて就役してるのだ。
それだけではない。史実では未完扱いだった空母”アクィラ”が、貨物船からの改装空母ではなく最初から”アクィラ級正規空母”としてこの世に誕生し、1番艦”アクィラ(鷲)”をはじめ2番艦”ファルコ(鷹)”、3番艦”スパルヴィエロ(ハイタカ)”という姉妹艦すらも生れ、既に実戦を経験している。
そして末妹の4番艦”アストーレ(大鷹)”も41年には就役しようとしていた。
元々、イタリアはワシントン海軍軍縮条約の頃から6万tの空母建造枠が認められており、1920年代にはケッタの主導で空母の習作と言える14000t級空母”ガッビアーノ(鴎)”を建造することになった。
ガッビアーノは世界初の空母、英国の”ハーミーズ”を参考に巨大な
ただ、このガッビアーノはいくつかの画期的と言える機能を試験的に導入されていた。
例えば、航空機射出装置はハインケル式圧搾空気型カタパルトを搭載されていたことも特筆できるだろう。
ガッビアーノは空母建造技術の習得のため時間を長くかけジェノヴァで建造され、空母の実用化に関してイタリアは10年遅れてしまったが、同時に世界に先駆け空母とカタパルトという鉄板の組み合わせを、実験的にも実現させていたのだ。
世界恐慌の影響もあり、ガッビアーノは同型艦が作られることは無く、各種実験/練習空母として永らえることになるのだが……
しかし、【アビシニア危機】の収拾が付いた1935年の末……経済的回復と、英仏の敵対的外交を理由にイタリアは建造枠内で3隻の空母の同時建造を発表する。
それはヴィットリオ・ヴェネト級戦艦と並びイタリアが公式に、英仏に対し「圧倒的軍事力を背景とした砲艦外交に屈しない」と明確なメッセージを送った瞬間でもあった。
それが上記のアクィラ級1~3番艦の建造である。
1936年の第二次ロンドン海軍軍縮条約で英国はイタリアの戦艦/空母建造計画を潰そうとしたが、そもそも再軍備を始めたドイツやソ連が入ってない海軍軍縮条約は無意味であるとイタリアはまず主張し、同時にイタリアは「ガッビアーノが艦籍名簿から外れた今となっては、条約に決められた6万tの空母建造枠を遵守している」とも主張した。
その意見は正当性は国際社会にも受け入れられるものであり、結局、条約締結期限日とされた1937年4月1日までに各国の意見はまとまらず、史実のエスカレータ条項に順ずる条件のみが決まり第二次ロンドン海軍軍縮条約は有名無実化(新型艦建造に消極的だった日本の「英米比6割の艦船保有」だけは確約させられたようだが……)してしまったのだ。
また1939年にドイツとソ連のポーランド侵攻を契機に国際連盟は事実上の機能停止となり、本格的な無条約時代の到来となった。
それを待っていたようにイタリアはアクィラ級正規空母4番艦”アストーレ”の建造にGOサインを出した。
更にはかねてより”試案”として出されていたより大型の新型装甲空母”アルバトロ級正規空母”の建造を承認したのだった。
このように史実のイタリア海軍に比べ、”この世界”のイタリア海軍は真反対と呼べるような情況にあった。
その差異を語るには、やはり一人の男のエピソードを語るべきだろう。
そう、イタリアを生まれ変わらせた男の一人であり、イタリアにおいて軍と付く物には多かれ少なかれ常に影が見え隠れする”バルケッタ・ムッソリーニ”の物語を……
***
ケッタことバルケッタ・ムッソリーニと海と空の関わりを書くには、どこまで遡るのが適切だろうか?
彼のバルケッタという名前自体、イタリア語で”小船”を示す言葉であるが……彼が自らの意思で関わろうとした最初の海と空は、イタリアの東の海……”アドリア海”だった。
ケッタが最初にアドリア海を訪れたのは、記録では1921年の夏……父の仕事、ファシスト党の立ち上げ準備とその政治活動のサポートの合間を縫って取った最初の長期休暇だったという。
とにかくイタリアにとっても酷い時代だったと言える。
イタリア王国は第一次世界大戦の戦勝国だったが、敗戦と変わらぬ「名誉なき戦勝」と評された。
そもそもイタリア王国は世界大戦勃発当初は、ドイツ/オーストリア・ハンガリー/イタリアという三国同盟側にいたのだ。ただしオーストリアと領土問題を抱えていたイタリアは「同盟は防衛目的のためのもの」として、仏伊協商を理由に中立を宣言してしばし静観していた。
それが1915年の”ロンドン秘密協定”によって「連合国側に入り戦勝国となった暁には、普墺戦争の際にオーストリアから回収できなかった、南ティロル地方、トレンティーノ地方、トリエステ、イストリア地方、フィウーメ、ダルマツィア地方などの地域……いわゆる”未回収のイタリア”が返還する」という約束がなされた。
であるからこそ、長年の懸念事項だったオーストリアとの領土問題の解決を参戦条件にイタリアは連合国に寝返ったのだ。
しかし、いざ戦争が終わってみれば約束は十分に果たされず、戦後に高まった民族自決の機運を理由にダルマツィアは返還されず、紆余曲折の後にフィウーメは自由都市にされた。
これでは「裏切り者の汚名まで着たのに約束が違う」、「傷つけられた勝利」、「講和会議の敗戦国」と国民達がいきり立つのも無理はなかった。
しかも世界大戦への参戦はイタリアに取り重すぎる負担となり、戦後のインフレーションにより貧民層は不満を爆発させ、北部のトリノ、ミラノといった工業都市で労働者の工場占拠などが頻発した。
また南部は南部で農村労働者、小作人などの暴動が日常化し、イタリア全土で有産階級の危機感を強めさせることになる。
しかも最悪なことに、この不穏な情勢がお得意の『階級闘争』の好機と捉えたのが旧来の議会主義を軽視しだしたパパ・ムッソリーニの古巣であるイタリア社会党だった。
イタリア社会党は、前出の農村地帯で小作人の地主や資産家に対する暴動や略奪を指導したり、社会党系の労働組合に参加しない者を集団で
***
ムッソリーニは戦後のイタリア社会党のあり方に、
『思想としての社会主義は既に死に絶え、悪意としての社会主義のみが残っていた』
と回想している。
これは何もムッソリーニ一人の感想ではなく、資本家に対する暴力的行為の煽動はしても、階級闘争をお題目にしているのにも関わらず、馴れ合い野党としての腐敗から革命や抜本的改革への意欲自体は乏しかった。
当時のイタリア社会党は、まるで21世紀のどこかの島国の野党連合のようであったようだ。
何しろ分派したイタリア共産党の重鎮、トリアッティからも「新しい社会への一歩ではなく、ただの無意味な暴力行使だと人々に受け取られている」と評されたほどだ。
そんな時代にムッソリーニが立ち上げたのが、ファシスト党の母体になる”Fasci Italiani di Combattimento(イタリア戦闘者ファッシ)”となる集団だった。
イタリア社会党に幻滅していたムッソリーニは、「階級闘争ではなく階級協調を」というスローガンのもとに活動を始める。
社会主義を語る暴徒を駆逐するための組織であり、そのための暴力はいとわない性質があったが、それだけでファッショを語るのは片手落ちというものだ。
例えばムッソリーニは近代共和制的な視点から、王権の縮小、貴族院の廃止、女性参政権、政教分離なども主張していた。
つまり議会制民主主義に代表されるような現代的な政治的展望もきっちり持っていたのだ。
父親の政治的活動に合流したケッタは、銃や刃物を使うような事態より「階級協調」という政治的調停と宥和において手腕を発揮した。
彼が最も多用した武器は「弁舌」、手段は「対話」であり「交渉」だった。
前にも書いたがケッタは、対立する両者の妥協点を見つけるのが非常に上手く、抜群の政治的バランス感覚を持っていた。
実際、彼がムッソリーニに「雇用側に対する労働者の団体交渉権の明文化」などを盛り込んだいくつかの提案を行ったのは、この頃だといわれている。
しかし、彼が暴力沙汰が苦手だったかと言えば……
資料を読む限りそうでもないようだ。
実際、「交渉テーブルにも着かず、自分勝手な意見だけを振りかざし、論戦より実力行使を望む輩」には一切容赦せず、「なら、お前達が唯一理解できる言語を使ってやろう」と流血沙汰は珍しくなかったようだ。
***
そんなケッタがアドリア海で訪れた場所は、まだ小さな古城を改装して営業を始めたばかりのアドリア海の小島にあるホテル【
ここは後にケッタが愛すべき女達を引きつれ、あるいは一人でふらりと何度も訪れるお気に入りの場所となるのだが……それはまた別の話。
そしてまだ常連客がさほどいなかったこの頃、ケッタは戦争未亡人であり店の
「マダム、店で一番良い奴を」
愛機となった推進式プロペラで複葉の戦闘飛行艇”サボイアS.21
「かしこまりましたわ」
上等な食事とワイン……ディーヴァの歌声にしばらくは無かった心の平穏に居心地の良さを感じながら、ケッタは余韻を楽しむように宿泊手続きを取る。
「一番上等の部屋を。料金は五日分前払いだ。滞在が伸びるようならまた払う」
「うふふ。お客様、ありがとうございます」
そう微笑む彼女に、
「ところでマダム……人を探しているんだ。知っていたら教えて欲しい」
「私、それほど人脈があるほうではないですが……お役に立てるのでしたら」
「ああ。名前は”マルチェロ・ファゴット”元王立空軍大尉。終戦と同時に退役し、故郷に戻ったと聞いている」
「……お客様のような若い方から、その名前を聞くなんて意外ね?」
「そうかな? ファゴット大尉は有名だろ? イタリアの飛行艇乗りで知らない奴の方が珍しい」
ジリオーラは少し顔を顰めるような表情で、
「お客様は世界大戦に従軍された言い張るには、若すぎる気がするのですが?」
多少、言葉に棘が混じってしまうのはまだ彼女も若いゆえか?
「お察しのとおりさ。終戦のとき、俺はまだ学生だった」
「見たところ真新しい戦闘艇に乗ってきたようだけど……”大戦の英雄”と腕試しがご所望かしら? だったら残念だけど、」
「勘違いしないで欲しいな。マダム」
ケッタは途中で言葉を遮り、
「俺はつまらない虚栄心や自尊心を満足させたい為にわざわざアドリア海に来たんじゃない」
ケッタは真摯な瞳で告げた。
「俺が知る限り、最高の飛行艇乗りの顔を見に来ただけさ」
皆様、御愛読ありがとうございました。
実はイタリア海軍が史実と正反対っぽいエピソードは如何だったでしょうか?
きっとケッタは、「せめて海軍予算と給料分くらい働け。じゃないと官給の食事とワインの質を下げるぞ?」とか言ってたりして(^^
冗談はさておき、ケッタはイタリアの重工業界と軍部をかなり掌握してれうみたいです。
その経緯もエピソードに盛り込んでみたいなと。
それにしても史実と違ってエジプト英軍の紳士たちは苦労するだろうな~と。
下からはイタリア軍がエチオピア攻めてるから援軍出さないわけにも行かないし、対峙しているドゥ―チェは優秀だしで。
次回はどの時代を書くかわかりませんが、楽しみにしていただければ嬉しいです。
それでは皆様、また次回にてお会いしましょう!
***
設定資料
アクィラ級正規空母
全長:255m
基準排水量:19990t
最大出力:151000馬力(ソーニクロフト式重油専焼水管缶×8+ベルッツォ式ギヤード・タービン×4)
最大速力:30ノット
航続距離:18ノットで6500海里
武装:オットー・メララM1938/13.5cm45口径長単装両用砲×8
アンサルドM1935/9cm50口径長単装高角砲×8(後にアンサルドM1939/6.5cm64口径長単装高角砲×12に変更)
ブレダM35/20mm65口径長6連装機関砲×22(後にブレダM1939/37mm54口径長連装機関砲×8を追加)
搭載航空機数:60機(常用55機+予備5機)
装甲防御:弾薬庫/燃料タンク/航空機格納庫天井に厚さ80mmの装甲
船体装備:バルバス・バウ、オーバーハング飛行甲板、飛行甲板エレベータ×1、サイドエレベータ+装甲シャッター×1、改良型ハインケル式圧搾空気カタパルト×2、電気溶接工法の導入、二段式航空機格納庫、シフト配置機関、多重水密区画外殻式分散防御構造船体
同級艦:、1番艦”アクィラ(鷲)”、2番艦”ファルコ(鷹)”、3番艦”スパルヴィエロ(ハイタカ)”、4番艦”アストーレ(大鷹)”
備考
イタリア初の”量産型正規空母シリーズ”である。
1928年竣工のイタリア初の空母”ガッビアーノ(鴎)”の建造データや運用実績をフィードバックされて設計/建造された。
まず船体は第一次世界大戦の戦時賠償獲得艦である撃たれ強さで名を馳せたドイツの装甲艦シリーズを参考に設計された。
「装甲板の厚さや硬さにだけに頼るのではなく、構造的に撃たれ強くする」という多重水密区画の分散防御の発想はイタリアにとっては大変ありがたく、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦をはじめ同時代の積極的に導入されている。
また工期短縮のためにこの時代のイタリア艦としては珍しく全面的に電気溶接工法が取り入れられ、更に建造の早期化に加え建艦コスト削減の為にカピターニ・ロマーニ級軽巡洋艦にも採用されていたソーニクロフト式重油専焼水管缶とベルッツォ式ギヤード・タービンを採用し、それらのユニットを防御力の高いシフト型の機関配置を取り入れている。
史実と違う点として艦首形状は抵抗の少ないバルバス・バウを、舵は新型のマリーナ型舵を導入することで、機動性向上に一役買ってるようだ。
カタパルトはガッビアーノで試験搭載されたタイプの発展型で、出力と圧搾空気の充填時間が短縮されている。
アクィラが建造された時代はまだ空母用の蒸気カタパルトは実用化しておらず、当時主流だった油圧カタパルトと比べるなら、特に性能が見劣りするというわけではなかったようだ。
むしろ、高圧の圧搾空気を扱う技術に長けていたからこそ、イタリア海軍は次のアルバトロ級で英米海軍に遅れることなく蒸気カタパルトを導入できたと考えるべきであろう。
また、”フリッツ”などで知られる巨大高出力蒸気ハンマーの開発を既に成功させていたドイツは同時期(30年代後半)に空母用ではないが大型水上機及び飛行艇を射出するタイプの蒸気カタパルトの開発に成功しており、その技術もイタリアに流れたと推察される。
空母として直接戦闘力となる航空機運用能力だが、史実のアクィラは航空機を天井に吊るすなどの無理をして、どうにか最大51機の機体を格納していたが、”この世界”のアクィラは設計元になったガッビアーノが単段式格納庫だったのに対し、二段式格納庫として設計され運用可能機数を一気に増強させている。
また自衛用防御火器は、防空メインで対水上戦がほぼ考慮されていないことがわかる。
これはアクィラ級が正規空母として建造された船らしく「航空機で敵をアウトレンジで攻撃する」ことを前提に設計されたため、敵の攻撃も航空機による攻撃であると割り切ったためであろう。
また増えた航空機搭載数に対応するため、従来型の飛行甲板のエレベータだけでなく初の試みとなるサイドエレベータ+装甲ハッチを導入している。
次期主力空母であるアルバトロ級は英国に倣い甲板を83mm厚の防弾鋼板とした装甲空母化されるため、防御力を高めるために甲板エレベータを廃止し、オール・サイドエレベーター+装甲ハッチとされるのだが、その時に大いに参考になったのがこのアクィラ級の運用データだった。
また、アレスティングワイヤーの搭載は当然にしてもどういう手段かは謎だが、日本の開発した”着艦指導燈”型の着艦誘導装置をガッビアーノでテストした上に導入してるようだ。
基準排水量は19990tと何やらバーゲンセールで見かけるような苦しい数字だが、これはイタリアが条約上限6万tの中で是が非でも3隻の空母を建造したかったが為に割り出された数字である。
総括すれば同世代の先達たる英国の”アーク・ロイヤル”の影響を多分に受けながら、新しい技術と旧来の技術を織り交ぜ定められた排水量の中で比較的よくまとまった空母と言える。