ガルパン×ゲート・シリーズ外伝 黒き小船の物語 CODE1903-1940   作:ボストーク

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皆様、こんばんわ~。
なんとなく久しぶりの深夜アップです。

さて、今回のエピソードは……サブタイはアレですが(笑)、実は内容的には間違ってなかったりします(えっ?

果たしてイタリア軍の本気とは?
パスタとトマトとアンチョビは出てくるのか……?




第07話 ”イタリアの本気を見るのです!(某駆逐艦娘風) CODE1940”

 

 

 

さて、本日もイタリア日和である。

1920年代、世界恐慌前にアメリカの大手石油資本(オイル・メジャー)の技術と資金を借りて、自国領リビアに大油田を発見したイタリア。

石油資本と正規契約と表沙汰にできない密約を交わし、現地合弁公社、”リビア総合石油公社”を立ち上げ、油田に石油精製施設(コンビナート)にパイプライン、備蓄基地に石油積出港としての大型タンカーが停泊できる港湾整備とやりたい放題。

世界恐慌に起因する大不況からの脱出を目指したバルケッタ・ムッソリーニとイタリアの国家の命運がかかった賭けは見事に勝ったようだ。

 

アメリカ主導のモータリゼーションの波は世界に波及し、不況脱出の鍵として国内産業の活性化の切り札として先進国……そう呼ばれるに値する工業力を持つ国は、こぞってその波に乗った。

モータリゼーションの集団サーフィンである。

 

一番活性化したのが軍の近代化、陸軍の自動車化や燃料を爆食いする航空機の大量導入なのだから、これも時代というものであろう。

 

そんな機械文明華やかかりし石油大量消費時代の到来にまるで合わせる様にイタリアは産油国の仲間入りを果したのだから、そりゃあ持てはやされる。

実は1935年の国連会議、”アビシニア危機(エチオピア問題)”当時、散々コケにされた英国側に賛同する勢力が少なかった理由の一つはイタリアが産油国だったからというのもあるのだ。

イタリアは先進国の中では珍しい産油国で、払うものさえ払えば嫌好を一時棚上げして石油を売ることで有名だったので、どの国も機嫌を損ねたくないのだろう。

例えば、再軍備に反対の立場を取るアメリカはイギリスがそそのかしたせいもあり、数多くの物資をドイツ相手に禁輸措置をしたが、その一つが石油であった。

しかし、イタリアは正規取引の適正価格でドイツに石油を売っていたのでドイツは痛くも痒くもない。

 

しかも密約でドイツに売った分は米国石油メジャーからスワップとして買い取るという契約(前出の密約の一つがそれ)が為されていたので、イタリアがドイツに売った分だけ儲かる石油メジャーのロビー活動とイタリア系移民のロビー活動の合わせ技で、米国政府はイギリスに何を言われようがイタリアに積極的圧力をかけることはできなかった。

 

 

 

***

 

 

 

さて「風が吹けば桶屋が儲かる」の理屈ではあるが、石油以外にもイタリアとアメリカ、ドイツにまつわるこんなエピソードがある。

 

この世界ではイタリアが原因で、”ある事故”が起きてない。

そう、史実の1937年5月6日に起きた『ヒンデンブルグ号の惨劇』だ。

事故原因は諸説あるが、巨大飛行船ヒンデンブルグ号が気嚢に爆発し易い水素ガスを詰めていたことは事実であり、それが何らかの理由で引火して大惨事を引き起こしたのも事実である。

それでなんで危なっかしい水素ガスなんかを詰めていたのかと言われると、理由の一つに「アメリカがドイツに対してヘリウムを禁輸していたから」というのがある。

実はヒンデンブルグ号は元々、不燃性で安全なヘリウムガスを気嚢に充填する予定だった。

当時、アメリカは世界で唯一と言っていい大規模ヘリウム産出国で、そこに禁輸されると飛行船に使うような規模の入手は不可能になってしまう。

 

そこで”この世界”ではイタリアが颯爽の登場である。

イタリア系移民にはオイルマネーを握らせ、ヘリウム業界と強い繋がりがある石油メジャー(そもそも大ヘリウム鉱脈が見つかったのは石油掘削のボーリング作業中)を動かし、しかもイタリア本国では某政府系企業が「冗談のような双胴式超巨大飛行船」の建造計画をでっち上げ、大量のヘリウムの輸入に成功する。

 

さてさて、当然のように計画は大失敗、企画していた飛行船製造会社は巨大赤字を出して倒産、出資していた政府は債務回収の為にアメリカから買い取ったヘリウムを国際競売にかけることになる。

無論、赤字は帳簿上のもので倒産も計画的なものだが、それは舞台裏を知る者しか知りえない事実だ。

その競売は無論、公正に行われ誰もが予想した通りにドイツが落札した。

 

かくてアメリカ(企業)はイタリアへのヘリウム売却で大儲け、イタリアは競売で値段を吊り上げ大儲け、ドイツは合法的に飛行船数隻は楽に建造できるヘリウムを入手できてウハウハという図式が完成した。

不幸なのはドイツのヘリウム購入を妨害しようとして競売に参加、競り負けたイギリスくらいか?

 

こうして”この世界”のヒンデンブルグ号の気嚢には計画通りヘリウムが詰まり、大西洋横断は無事に終えて1937年5月6日、ニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場に無事に着陸した。

 

しかし、それは飛行船という夢の乗り物の最後の栄光でもあった。

その後の航空機の爆発的発展により、「鈍重で巨大、やたらとコストのかかる」飛行船は時代から取り残されてしまった。

戦場はより高速化し、いつの間にか1隻の巨大飛行船より10機の爆撃機が価値のある時代になってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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シュナイダートロフィーといいエチオピア問題といい第一次大戦の戦後処理(ラッパロ条約)といい、イタリア人にとってイギリス人は「不倶戴天の敵」であった(フランス人もかつてそうだったが、今は降伏→敗戦国となったので溜飲を下げた)わけだが、英国人にとっても30年代を境にイギリス人にとってもイタリア人は「厄介な疫病神」となりつつあった。

 

 

 

英国人にとって最初の不幸は、イタリアが宣戦布告した最初の朝にやってきた。

宣戦布告は1940年7月7日午前零時になされたのだが……

 

当初、英国はイタリアが大規模な積極的攻勢をかけてくるとは思ってなかった。

1935年のアビシニア危機こそ一触即発だったが、第一次大戦以降は大きな戦争を経験してるとは言いかね、強いて言うなら1936年のスペイン内乱のときに新兵器の実験を兼ねて小規模な参戦をしたくらいだ。

 

だがイタリアは、ずっとこの時を待っていた。

準備自体は遥か以前から、第一次世界大戦の寝返りのときに約束した報酬を払わず善良なイタリア人を騙し誤魔化し、シュナイダートロフィーでは汚い手段で永久王者の座を自国の物にした。

ここ数十年、イタリア人に取りイギリス人は「腹繰りで嘘つきで不誠実な紳士気取りの悪党」であり、アビシニア危機で間違いなく英仏を「倒すべき敵」と捉えた。

 

そして7月7日早朝、カラブリア半島とシチリア島の空軍/海軍全ての航空基地から最低限の防衛に必要な機体を除く爆装できる全ての航空機が一斉に飛び立った。

 

目指す先は”マルタ島”。

そう史実のイタリアとドイツにとって鬼門のマルタ島であった。

 

 

 

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少し地理のおさらいになってしまうが、マルタ島とはイタリアのシチリア島の南93kmにある小島で、広さは246平方kmほど。参考までに書いておけば東京23区の広さは623平方kmくらいだ。

 

そして特筆すべきはこの島はナポレオンの失脚以後、英国人の拠点ということだろう。

そう、マルタ島はイタリアの目と鼻の先にありながら、英国地中海艦隊の二大拠点ジブラルタルとアレクサンドリアを結ぶ中継地であり、またイタリアとリビアの航路の真上にある……喉元に突きつけられたナイフだった。

史実ではイタリアどころか枢軸側の北アフリカ/地中海地域の敗北の大きな要因の一つが、このマルタに英軍が最後まで居座り続けたからとされるほどだった。

日本で言えば第二次大戦当時に対馬や佐渡島に米軍の巨大拠点があるようなものだといえばわかりやすいだろうか?

 

さて、何度か出てきたが”この世界”のイタリアにとりリビアの石油は生命線であり、国家の繁栄を約束するものであった。

であるのならば、必ずその海路を邪魔するマルタの英軍はいかなる手段を用いても駆逐すべき存在だった。

 

 

 

さて、話はそれるが史実では1930年に他界した偉大なイタリア軍人がいる。

名を”ジュリオ・ドゥーエ”。

1921年に発表された著作『制空』の中で、近い将来技術的に可能となる”戦略爆撃”の概念を世界で始めて記し、その恐ろしさと効果を語った。

彼の当時から見れば近未来の戦場の様子は多くの航空関係者に影響を与え航空機の爆発的な発展により、第二次世界大戦で現実となるのだが……

米軍の戦略爆撃機の重要性をといたミッチェルや日本を焼け野原に変えたルメーがその多大な影響を受けた人間だった。

 

さて、”この世界”では「ジュリアス・ドゥーエ」という名のイタリア王国の軍人が退役後に同じく『制空』を執筆し、大きな反響を呼んだ。

だが、彼は未だに存命で多くの弟子とも言えるイタリア軍人を輩出しながら、バルケッタ・ムッソリーニに乞われてイタリア空軍の重鎮、特に爆撃機関連の顧問として未だ名簿に名が記されていた。

 

彼の監修した今のイタリアの航空技術で製造できる理想に近い爆撃機、「3500kgの爆弾を搭載し3500kmを飛行する四発機」はようやくピアッジョ社で量産準備が整った段階で、未だ戦場に姿を現してはいない。

 

しかし、マルタへの爆撃は目標までの距離の近さゆえ、機数の集中投入で補うことが可能とされた。

 

 

 

***

 

 

 

史実のイタリアのマルタ島攻撃に関しては、その時にマルタ島で防空担当を行っていた兵士のこんなコメントが残っている。

 

『かれらの爆撃は延べで1250回ほどだったが、ほとんどは偵察をかねてのもので大きな被害はなかった。また彼らの()()()は及び腰で地上からの対空射撃ですぐに爆弾を放り出し、あらぬところに落ちた爆弾も小さく威力も低かった。彼らは総じて手際が悪く、島民はすぐに爆撃になれてしまい、普通の日常をおくっていた』

 

戦闘機で爆撃というのも考え物だが、史実のイタリア空軍は本気でマルタ島を攻略する気があるのかどうか疑いたくなるほど散発的な攻撃しかしなかったらしい。

 

しかし”この世界”のイタリア空軍は、いやイタリア王立軍全体は一味も二味も違った。

人間、豊かな生活に慣れれば、誰だってひもじい貧乏生活に逆戻りするのは何よりも恐れるものだ。

その辺りの心理を巧みにせっつき、恐怖心と表裏一体の士気を高めるのがバルケッタ・ムッソリーニという男であるが、マルタの英軍がいる限りリビアから入ってくるはずの石油は滞り、イタリアは干上がると彼は言い放った。

 

パパ・ムッソリーニもイタリア国王も軍関係者も財界も産業界も全てが異口同音に賛同の意を示した。

当然である。事実なのだから。

 

飯と酒と女がかかると妙に強いイタリア人、ついでに言えばサッカーの人数までなら強いといわれるイタリア人。

この時ばかりは本気になった。

貧乏生活は御免だし、幸い爆撃機の乗組員はどんなに多くてもサッカーチームまではいかない。

 

 

 

そしてこの時……後に【マルタ島大空襲】と呼ばれることになる空襲に参加したイタリア軍の機数は、なんと約600機!

その日の延べではなく、いくつかのグループに分かれて波状攻撃となったが、ただ一度の空襲に400機以上の爆撃機+爆撃仕様の海軍の飛行艇がシチリア島やカラブリア半島に設営された10ヶ所以上の空海軍基地から飛び立ち、それを200機の戦闘機が護衛する情況だった。

史実のイタリア軍ではありえない数の暴力である。

 

しかも戦闘機は当時のイタリア戦闘機としては最良の性能を持つ最新鋭の「MC.202”ファルゴーレ”」と戦闘爆撃機(ヤーボ)としての機能を持つレジアーネ社の新作「Re.2002”Ariete(アリエーテ)”」の二本立てで、爆撃機も比較的新しい双発/三発機に混じり、Jumo211Gのイタリア・ライセンス生産版であるイソッタ・フラスキーニ社の”アッソ211 RC.40G”を鼻先に搭載し鳴り物入りで登場したブレダ社の急降下爆撃機「Ba.201”Tuffetti(トゥフェッティ)”」も40機も参加し、初陣を飾ろうとしていた。

アリエーテは”雄羊”、トゥフェッティは”カイツブリ”をそれぞれ意味している。

 

 

 

ある意味、新型機祭りのこの空爆だが、同時にイタリア軍にとっては鬱憤を晴らすような新兵器祭りでもあった。

その中でも異彩を放っていた兵器がいくつかある。

 

一つは”集束型焼夷弾(クラスター・テルミット)”と”半徹甲焼夷弾(ピアシング・テルミット)”。

集束型焼夷弾はエレクトロン合金(マグネシウム)やアルミの粉末を用いたもので、この時点でドイツが対英戦に投入してたり、ソ連は”冬戦争”で世に言う『モロトフのパン籠』として投入している。

イタリア軍の使用目的は、軽防御の燃料庫や弾薬庫、食料庫や民間人居住区を焼き払うために使用したと思われる。

実はイタリア、史実でも第二次エチオピア戦争でも都市部に焼夷弾攻撃を行っていた。

 

半徹甲焼夷弾は500kg航空爆弾サイズで、その名の通り戦端に貫通体(ペネトレーター)を装備し、急降下爆撃で投下後は目標に激突すると遅延信管を作動させて内部に収められた炸薬と焼夷剤を炸裂させる代物だ。

これは急降下爆撃機による重防御目標へのピンポイント攻撃に対応するために開発されたもので、ドイツの電撃戦からヒントを得たと思われる。

初歩的なブンカーバスターともいえ、後には地下施設や防空壕への攻撃などにも用いられBa.201との組み合わせで猛威を振るうことになる。

 

そして”対人用拡散弾”も目新しい。

これはスペイン内乱の結果から通常爆弾の破片飛散効果では歩兵への効果は限定的と考えたイタリア軍が、「薄い弾殻の中に炸薬と小銃弾の弾頭を詰めたら?」と考え開発した兵器であり、爆弾倉から投下されるとパラシュートもしくは制動翼を展開して垂直に降下するように設計されており、着地すると同時に信管を作動させ水平方向に小銃弾をばら撒くように出来ている。

ちなみに弾頭に収められてる小銃弾頭は既に制式から外れたがとりあえず備蓄されていた旧式の6.5mm小銃弾(6.5mm×52 マンリッヘル-カルカノ弾)であり、廃物利用と言える。

言ってしまえば日本の三式弾の地上用対人バージョンのような航空爆弾であろう。

また三式弾同様に通常弾に加え曳航弾も混ぜられていたので、ある程度の焼夷効果は期待できる筈だった。

 

またソ連から技術供与されたと思われる”空対地ロケット弾(RS-82&132のライセンス生産品)”も見逃せないところだ。

弾頭は通常榴弾と差がなく空対地兵器としての洗練はまだまだだが、試験的に搭載したRe.2002部隊は高い対地制圧効果の片鱗を見せつけ、破片弾頭型/対人散弾型/焼夷弾型/成形炸薬弾型とバリエーションを増やしながら、以後のイタリア軍ヤーボのスタンダードウエポンとして発展してゆく。

 

そしてトピックスの最後を飾るのは”航空機雷”である。

単純にそれ自体がこの時代では目新しいものではないがイタリア軍が使うことが珍しいし、何より浮遊型/定置型/係留型など各種あり、接触だけでなく磁気信管を備えた複合信管型と言うのは着目点だろう。

特に海軍の水上機/飛行艇部隊が港湾部を中心に広範囲にばら撒き、じわじわとボディブローのようにマルタ島駐留艦隊を苦しめることになる。

加えてこの効果を更に増したのは、史実では緒戦で多く失われたイタリア潜水艦部隊が、この航空攻撃の混乱にまぎれて多くの機雷を敷設していったことだろう。

そうマルタ島の港は英軍が気付かぬ間に機雷封鎖されていたのだった。

被害の多くを大西洋で出したイタリア潜水艦は、”この世界”では地中海に閉じこもりながらUボートの群狼戦術(ウルフパック)を規範とした通商破壊作戦において静かに戦果をあげてゆく。

 

 

 

友好国や中立国から形振り構わずかき集めた技術を用いた兵器群は、史実とは比べ物にならない被害をマルタ島に……軍民問わず与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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空襲は、先ず朝日に身を隠しレーダー網を掻い潜るように低空から侵入してきた100機以上のRe.2002のロケット弾攻撃から始まったとされている。

イギリスが既にバトル・オブ・ブリテンの時点で濃密なレーダー防空網を敷いてることはドイツから聞き及んでいた。

だから切り込み隊の役割を与えられたRe.2002隊は、200kgの落下増槽(ドロップタンク)を胴体下に両翼には大量のロケット弾を携え、ドイツ譲りの2機編隊(ロッテ)を最小の戦闘単位として開戦前からの航空偵察や諜報員の事前調査で判明したレーダー網の要であるレーダーアンテナ施設、接近を察知して飛び立とうとしていた三ヶ所ある飛行場の滑走路上にある航空機、そして軽防御の対空火器に火矢を放ったのだ!

 

そうイタリアは20機程度のハリケーン戦闘機(より強力なスピットファイアは英国本土に優先配備され、まだマルタ島には回っていなかった)を中心とした合計70機程度のRAF(英国空軍)の航空機と、港に係留されていた10機前後の海軍の飛行艇しかいなかった。

 

Re.2002隊はロケット弾攻撃を終えると直ちに対空砲火の射程外である上空に退避、そのまま燃料の続く限り制空戦を続けた。

初期上昇力の鈍いハリケーンに対しRe.2002は、上空から位置エネルギーを速度に転換して喜んで挑みかかりロッテ戦術と一撃離脱で、1機1機確実に仕留めにかかった。

戦闘爆撃機としての役割を果したが、元々アリエーテは純戦闘機として設計された機体であり、制空戦闘機として用いても決して当時の水準で考えても脆弱な存在ではない。

日本で言う”鍾馗”のような戦い方に徹すれば、その高い降下速度と機外最大650kgの搭載量と30口径機銃までならほぼ文句ない対弾性を持つ頑強な機体構造と相俟って、手強い空の敵となったのだ。

 

さて彼らの攻撃に何の意味があるのか?

狙いは言うまでもなく”被害極小”、敵の目と防空戦の要である迎撃機と対空火器を潰すことは、後続の爆撃機隊の任務成否に大きく関わる問題だった。

 

 

 

***

 

 

 

初撃で防空能力に大きな痛手を負ったイギリスは、混乱冷め遣らぬうちに次の衝撃が襲った。

20機のMC.202に守られた40機のBa.201がマルタ島上空に現れ、奇跡的に空に上がれた極小数の防空戦闘機や随分と門数を減らした対空砲火を掻い潜り、ある程度の装甲板やベトンで覆われた飛行場や軍港の燃料タンクや弾薬庫に立て続けに急降下爆撃を敢行、前出の500kg半徹甲焼夷弾を投下する!

防御を食い破り遅延信管を作動させた焼夷弾はテルミット火災を派手に引き起こし、可燃物と爆発物を炎に飲み込み、より被害を拡大させた。

特に被害が酷かったのはバレッタの町に隣接したグランドハーバーに隣接した重油タンクで、着火したまま流れ出た重油が港に流れ込み始め、英国軍艦を燃やし始めたのだ。

慌てて出向を命じた英国地中海艦隊マルタ島派遣部隊の司令官だったが、

 

”ズヲォム!!”

 

「何事だっ!?」

 

港から逃げ出す船の先導していたリアンダー級軽巡洋艦が突然水柱を上げると、そのまま船体を傾かせたのだ。

 

「提督、おそらく敵潜水艦の魚雷攻撃ですっ!!」

 

「全艦に通達! 対潜警戒を密にし、港より脱出せよっ!!」

 

 

 

だが、ここで司令官は痛恨のミスを起こしてしまった。

軽巡洋艦が沈んだのは潜水艦からの魚雷ではない。英国のレーダー網が弱体化した隙に時代遅れだと一般には思われていたイタリア海軍の誇る飛行艇部隊と、この作戦の為にかき集められた潜水艦部隊がばら撒いた機雷だったのだ。

 

特に飛行艇部隊カント社の”Z.506水上爆撃機”と”Z.508爆撃飛行艇”は巧妙な動きをしており、港に近づいた折に「英海軍の放った濃密な対空砲火に驚き、慌てて爆弾を投棄して逃げ出した」ような退避行動をとっていた。

だからこそ、英国軍は気付けなかった。

英艦隊派レーダーこそ装備していたものの空母は艦隊になく、防空戦闘機を飛ばされなかったことも彼らには幸いしたのだろう。

 

グランドハーバーの出入り口には厳重な対潜警戒網が敷設されており、いくら”この世界”のイタリア潜水艦がUボートを参考に建造されているとはいえ、易々と入り込み魚雷を放つのは不可能なはずだが……重油タンクが破壊され油が流れ出て延焼、港から焼け出される異常事態が彼らから正常な思考力を奪っていた。

 

狭い港でしかも炎に巻かれながら対潜シフトを取りつつ脱出など、いかに錬度の高さを世界に誇るロイヤル・ネイビーといえど簡単な作業ではなかった。

 

 

 

***

 

 

 

そして本日の爆撃の花形、大編隊の爆撃機群がマルタ島上空を埋め尽くした……

彼らはまず港と飛行場、その周辺施設を通常爆弾と焼夷弾で修復の意味がないまでにめちゃくちゃに壊し燃やす。

残存の防空陣地に対人拡散爆弾の集中豪雨を降らせ、兵士を細切れにしながら対空砲の多くを使用不能にした。

無論、兵舎や食糧貯蔵庫も空爆の標的だった。

 

残存のレーダー施設はもちろんのこと、他にも軍だけでなく民間人にも必要な発電施設や変電施設、水道施設や貯水施設も攻撃対象に定められていた。

軍事施設だけでなくインフラ設備の破壊も、戦略爆撃の主目的なのだ。

ドゥーエ本人から教えを受けたバルケッタ・ムッソリーニは空軍と海軍の仕事を任せられる首脳部を勢ぞろいさせた作戦立案の会議にて、ドゥーエの教えが無駄ではなかったことを証明したのだ。

 

 

 

そして、最後はマルタ島最大の都市バレッタと人口が集中してるグランド・ハーバーの周辺三都市(スリー・シティーズ)にも、持ち帰るのは勿体無いとばかりに各種残存爆弾が降り注がせる。

戦略爆撃の側面の一つは、「恐怖攻撃」である。

つまり敵性国民の士気を挫き、戦争継続を断念させる心理攻撃だ。

 

紙と木で出来た当時の日本の街並みに比べれば、石灰岩の石造りの街に焼夷弾を落したところで効果は少ないと思う人もいるかもしれない。

だが、石造りの街でも可燃物はそこかしこにあり、例えば通常爆弾で破壊され中身を晒した家屋などは、瓦礫に押しつぶされた住人ごと簡単に松明にもなるだろう。

 

また街のそちこちが火災となり、水道設備と電力設備の破壊により消火活動もままならず、燃え盛る街の中で防空壕がピザ焼きの石窯となり、逃げ場もなく生きたまま蒸し焼きにされた住民はどれほどいたろうか?

 

 

 

かくてどこか聖書に描かれる審判的な波状空襲は膨大な物理的/人的被害と共に終わりを告げた。

だが、マルタ島に纏わる不幸と災厄はここに終わったわけではなかった。

むしろ「ここから始まった」と言えるだろう。

 

『魔女の大釜』は未だぐつぐつと音を立てて煮立っていたのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





皆様、御愛読ありがとうございました。
本気を出したイタリア軍の猛攻はいかがだったでしょうか?

それにしても女の子が出てこないエピソードが続くな~と(^^

アンチョビ「暇だぞ」

そういわないでくれって。
最初は北アフリカでみほ達が戦う相手がどういう連中なのか……史実とは大分情況と装備が異なるイタリア軍の触りだけでも書こうと思ったら、なんだか楽しくなってきちゃって(笑)

とりあえずこの外伝は外伝らしく時系列的にもフリースタイルで書いていこうと思っていますので、お付き合いいただければ幸いです。
それでは皆様、また次回にてお会いしましょう!



***



設定資料



Re.2002 ”Ariete(アリエーテ)

製造元:イタリア・レジアーネ社
エンジン:ピアッジョP.19 RC45”トゥルビーネ(旋風)”(1段2速軸駆動式過給器(スーパーチャージャー)中間冷却器(インタークーラー)付き空冷星型14気筒OHV、公称:1295馬力)
最高速:530km/h(高度6000m、戦闘重量)
航続距離:1100km(機内燃料のみ)
実用上昇限度: 10500 m
固定武装:MG131機関銃×4(13mmx64弾、毎分900発、機首×2+主翼×2。ライセンス生産品)、
プロペラ:ピアッジョ定速式3翅
特殊装備:防振処理空中無線機、30口径対応防弾装備一式
オプション:爆弾や落下増槽など機外搭載量合計650kg、RS-82&132空対地ロケット弾を主翼下に装備可能

備考
史実では原型飛行は1940年だが生産に手間取り配備は1942年からになってしまったイタリア軍の誇る戦闘爆撃機(ヤーボ)
”この世界”では史実と少々開発経緯が異なり、それが理由で配備が前倒しになっている。
史実より5年早くイタリアのオイルバブル景気の波に乗り、航空機メーカーのカプローニ社の子会社として発足したレジアーネ社は、30年代前半に単座戦闘機の開発に着手する。
完成したRe.2000は比較調査の結果、当時のイタリア空軍最新鋭戦闘機のマッキ社のMC.200やフィアット社のG.50戦闘機に及ばないと判断された。
この辺りのくだりは史実の川西と似ているが、Re.2000の基本設計は正しいと確信していたレジアーネ社は、性能不足はエンジンパワーに問題があると結論して当時、イタリアがライセンス生産契約を発表していたDB601エンジンをドイツより数基取り寄せ、それを用いた設計を始めた。
こうして完成したのが”Re.2001”の原型機で、性能的に申し分なかったが……待ったをかけたのが重工業連盟の会長で兵器調達の親玉であるバルケッタ・ムッソリーニと空軍の航空機調達最高責任者だったイタル・バルボアだった。
調査の結果、DB601はドイツ人らしく手の込んだ製造に手間のかかるエンジンで、調達速度を下方修正せねばならなくなったことをレジアーネ社に説明。
そしてこのような開発目標を提示した。

・水冷/空冷を請わずイタリア国内で製造と調達が可能な1000馬力超エンジンを主機とすること

・可能な限りRe.2001の性能を継承すること

・可能なら戦闘爆撃機(ヤーボ)の特性を持たせること

かなりの難題だった。
なにやらこの辺りの経緯は、今度は史実の飛燕→五式戦闘機の流れに似ている。
この難題にレジアーネ社は真っ向から取り組んだ。
僥倖だったのは、原型のRe.2001が元々、ライバルとして考えていたMC.202が制空戦闘機として特化しすぎたために不可能な大きな搭載量をセールスポイントとしていたことだ。
こうして開発は始まったのだが、もう一つ彼らに幸運が舞い込んだのだった。

イタリアがブレダ社のBa201急降下爆撃機を大量導入することが決まったために、当時は仮称だったRe.2002にイタリア機としては初のソ連からライセンス権を譲られたロケット弾装備の空対地制圧機としての栄誉が与えられたのだ。
ロケット弾搭載可能な改造はされた機体はあるが、「設計段階からロケット弾の装備と使用を前提」として設計されたのは、このRe.2002がイタリア初である。

レジアーネ社は、ヤーボの先駆者であるフォッケウルフ社と空対地ロケット弾のパイオニアであるソ連のイリューシン設計局にオイルマネーを背景に協力を仰ぎ、外貨獲得の好機を得た両者は快諾。
こうして1939年初頭にRe.2002の原型機が初飛行し、最高速が10km/hほど劣るだけでRe.2001譲りの良好な性能から即座に量産が決定され、1940年には大量生産が可能となっていた。
またエンジンの形式は原型と同じだが随所に変更点が見られ、燃料がイタリア標準航空燃料の100オクタン対応であり、またキャブレターではなく高圧燃料噴霧装置(ミスト・インジェクター)を用いた燃料供給装置型となっている。
また過給機は1段2速式に加え吸気温度を下げる過給機とエンジンの間に中間冷却機(インタークーラー)を搭載して高度対応性と出力を上昇させている。

また制式化に伴い与えられたペットネーム、イタリア語で牡羊座を意味する”Ariete(アリエーテ)”は、史実ではRe.2001に与えられたものだが”この世界”ではRe.2001が制式化前に計画変更され、Re.2002の開発計画にシフトしたためにこうなったらしい。

また1941年には、イタリアで相次いで1500馬力超級の空冷星型エンジンが量産可能となった為、Re.2002もこれらのエンジンに積み替え20mm航空機関砲を搭載するなど武装強化を含めた大規模なアップデートが行った”アリエーテ・ドゥーエ(2)”シリーズがロールアウトし、北アフリカの空で暴れ回りそのロケット弾攻撃で日英米連合軍を恐れさせることになる。






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