ガルパン×ゲート・シリーズ外伝 黒き小船の物語 CODE1903-1940 作:ボストーク
本日も深夜アップとなりました(^^
さて、今回のエピソードは……ズバリ、”ロイヤル・ネービーの受難”です。
どうやら”この世界”のイタリア人は、随分と熱心に戦争をするようですよ?
さて再び1940年7月7日のマルタ島である。
無論、600機の空爆が終わった後の。
いくらマルタ島がイタリア本国から近いといったところでシチリアから90km以上は離れている。
そしてイタリアの航空機は、他の欧州諸国の航空機同様に航続距離は長くはない。
なので永遠にも思えた空襲は、実は開始から2時間少々で最後のイタリア機がマルタ島上空から去っていったのだった。
実はこの【第一次マルタ島爆撃】の際、【
その中の一人が、ダックスフントのパーソナルマークがチャーミングな”エーリカ・ハルトマン”だ。
彼女はMC.202に混じり、たった1機だけ
「酷い有様だったよー。こう敵地上空を飛んでるじゃん? でも敵の迎撃機どころか連絡機一つも上がってこないんだよ。対空射撃もまばらで、撃ってくる砲を見つけたら対人爆弾を積んだ爆撃機が喜んで飛んでいってお礼参りとばかりに爆弾落して悠々と帰っていくんだよ。迎撃機なんてどこを見てもいないから、編隊を組まなくても鈍足な爆撃機が普通に帰投できるんだよねー」
と当時の様子を振り返る。
***
さて、ここは爆撃後のグランドハーバーである。
地上レーダー施設は黙示録的な意味で破壊の限りを尽くされたが、水上艦搭載のそれは全てではないが無事であり、敵機の接近を知らせ続けたが……
「くそっ!」
破壊されたタンクから引火した重油が流れ出し、炎と朦々と上がる黒煙の中で敵機を撃墜するなど神業だ。
しかも艦隊は敵潜水艦の魚雷攻撃を警戒して対潜シフトの真っ最中、敵爆撃機は艦隊なぞ最初から眼中にないように念入りに港湾施設の破壊を続けている。
この情況で撃墜しろというのが無理な話だ。
この対空機銃にかじりついていた水兵は、水に浮かぶ船なのに焼け出されるという数奇な状態の自分達の艦隊が、もはやマルタ島を母港にすることはなく、ジブラルタルかアレクサンドリアに逃げ出すことになると思った。
どっちも1000マイル(1600km以上)離れた場所にあり、きっとイタリア軍の艦隊に追い立てられての苦難の航海になると覚悟を決めていた。
だが、彼の予想は大きく外れることになる。
彼らは予想より長くマルタ島に留まることになるのだ。
もっともそれは軍艦としての体裁を為しているかどうかは問題ではなく、また生死も問わないのであるが……
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爆発が港入り口に張られた防潜網の中で起きてることに気付いたのはとある艦隊参謀だった。
彼はイギリス人らしくホームズ張りの冴えを見せた頭脳で結論を出し、艦隊司令官に伝える。
「
と。
とまあこうしてイタリア人の第1の罠は見破られていた。
この提督、中々優秀な男だったようで、即断即決を心情としていた。
「対潜警戒解除! 蝕雷に警戒しつつ港より脱出する!」
これはこれで提督としては悪くない。
判断に迷い手をこまねいていれば、対価を命で支払うことになるのが戦場だ。
「危ないところでしたね。飛行艇部隊の接近をもう少し許せば、こちらの艦隊が機雷に囲まれるところでした」
何やら少々誤解があるようだが(イタリア海軍の飛行艇部隊はわざわざ誤解させるための退避行動だったのだが……)、言ってる事自体は間違ってはいない。
「まったくだな。それにしても連中はなんでわざわざ航空機雷なぞを?」
「これは憶測ですが、水上爆撃機にしても爆撃飛行艇にしても大柄で運動性が悪いので肉薄する対艦爆撃には向きませんし、イタリア海軍の航空魚雷の性能はお世辞にも誉められたものではありません。その辺りが関係してるのではないでしょうか?」
残念ながら事実である。
イタリア海軍飛行艇部隊の主役だったZ.506水上爆撃機とZ.508爆撃飛行艇は発展著しい最新鋭の陸上爆撃機に比べれば運動性も速度も劣り、史実ではまっとうな連合国軍艦には効果が低かった航空魚雷は、この世界でも未だ満足たる性能には至ってない。
もっともこれは友好国であるドイツやソ連も似たり寄ったりの情況であり、イタリアに限った話ではないが。
これに対応する策というか戦術も既にイタリアでは実践されてるのだが、それはまた別の機会にでも。
ともかく、いくらバルケッタ・ムッソリーニでも友好国にもない技術を使ってチート兵器……どこぞの島国で開発され、”この世界”では益々チートっぷりに磨きがかかっている”
その代わりと言ってはなんだが『第二次マルタ包囲戦』を立案したイタリアにおける
***
”ズヴォム!!”
「今度は何だっ!? 機雷か!? 魚雷かっ!?」
提督が威厳のある大きな声で問うと、
「おそらく機雷です。航跡は確認できませんでした。それに爆発地点が防潜網の外側であることと駆逐艦を一発で轟沈させる威力から考えて、航空機搭載型機雷ではなく潜水艦設置型かもしれません」
提督もさることながらこの参謀、中々に優秀である。
やはり世界の海軍史に燦然と名を輝かせる
ケッタがこの光景を見れば、「我が国の海軍が『人材は豊富で困ってない』と言えるようになるのにあと何年かかることやら」とぼやくかもしれない。
「味な真似を……イタリア人はいつから機雷を敷設できるような高性能潜水艦を用意できるようになったんだ?」
すると参謀は少し考え、
「おそらくここ10年かと。有り余る
本当に優秀な参謀である。
彼の言葉は正鵠を射ていた。
史実と大幅に違うイタリア潜水艦のラインナップは、30年代にドイツで計画/開発された
大きく分けて5タイプで、
UボートII型原型→排水量300t基準級。イタリアの長い海岸線を守る為に整備された沿岸型潜水艦、沿岸防衛用の”潜水魚雷艇”として整備された。原型同様に航続距離は短い。
UボートVII型原型→排水量800t基準級。通商破壊作戦用の量産型潜水艦。対軍艦用の533mm魚雷ではなく軽防御の船舶用に魚雷を小型化し搭載本数を増やした450mm魚雷搭載モデルもある。
史実のアデュア級やアルゴ級に該当する。
UボートIX型原型→排水量1100t基準級。外洋航行可能な汎用型で魚雷だけではなく機雷敷設も可能な万能潜水艦。史実のグリエルモ・マルコーニ級やマルチェロ級、アルキメーデ級に該当する。
UボートX型原型→排水量1800t基準級。機雷敷設に特化した大型艦。潜水機能のある機雷敷設艦という位置づけで、潜水艦としての戦闘や運用には向いていない。
UボートXIV型原型→排水量1700t基準級。いわゆる
将来的には「第二次大戦型Uボートの完成形」と言われるXXI型や「理想的な沿岸型潜水艇」と評されるXXIII型をベースとした潜水艦も登場するかもしれないが、それはまだまだ未来の話だ。
港の出入り口に潜行しながら大空襲のドサクサに紛れて機雷を敷設したのは、上記の1800t基準級の潜水敷設艦4隻と20隻の1100t基準級汎用潜水艦だった。
「全艦隊に通達! 機雷警戒を継続しながら可能な限り迅速に港湾の外に脱出し、沖合いにて陣形を立て直す!」
その命令は
防潜網の内側で機雷、防潜網から出ようとすれば機雷となれば、それにのみ集中するのは当然だろう。
司令官の経験からすれば、既に周辺にはイタリアの潜水艦はいないはずだった。
彼らは機雷を敷設すれば用は済んだとばかりもう逃げ出したはずだった……
***
「ほう……対潜シフトをといての出港か。まさか
「港に火付けされて、出口の外と内に機雷を仕掛けられたら無理もありませんけどね。それにおそらく、『勝ち戦でも逃げ出しかねない悪名高きイタリア海軍』が未だ港の外、目と鼻の先で居座っているとは思ってないでしょう」
そう答える副長に髭面の艦長は苦笑し。
「君も言うな? 確かに我々は”レパント海戦(1571年)”以降目立った勝利はないがな」
「だからこそ海戦常勝のジョンブルに付入る隙があるというものです」
ここはグランド・ハーバー沖約10kmの水中だ。
正確には前出の1100t基準級汎用潜水艦の初期シリーズ、別命アルキメーデ級の1隻”ガリレオ・ガリレイ”の艦橋だった。
そう、1100t基準級は汎用潜水艦の名に相応しく、機雷と魚雷の併搭載が出来たのだ。
つまり、20隻の1100t基準級は機雷を敷設した後、一斉射分だけ搭載した魚雷を撃つ目標を待ち受けるべく浅く静かに潜行していた。
艦長が見ていたのは潜望鏡、つまりガリレオ・ガリレイは潜望鏡深度にいたのだ。
本来、この距離なら史実より前倒しで配備されていた初期型の
艦長は潜望鏡を収納し緩潜行の後にを命じた。
敵の航走音が聞こえてくる……
対潜陣形を取らずどこか調律の取れていない印象で、機雷を警戒して速度もゆっくりしたもので下手なダンスステップのようなおかしな航跡を描いていた。
確かに高速航行で蝕雷したら目も当てられないが……
「酔っ払いの下手なステップの足元に、そろそろ一発食らわせてやるか……”G7”よぉーい」
艦長の命令の元、水雷長が指示を出し手早くだが静かに割り出された諸元が入力され、魚雷の深度と射角が算出され、
「放てっ!」
ガリレオ・ガリレイから4本の”G7e型魚雷”、電気推進式の魚雷が解き放たれた!
***
さて、そもそも”G7魚雷”シリーズは、第一次大戦で敗戦し他の数々の兵器同様に魚雷の開発が禁じられたドイツが1、920年代にスウェーデンに設立した覆面企業を隠れ蓑に開発が始められた魚雷……というのが史実である。
しかし、”この世界”では少々様相が違っており、ファシスト党が政権を奪取する前後を境に『イタリア海軍の次期主力魚雷開発計画』の参加企業として、第一次大戦後に生まれたイタリアの機械工学系
特にイタリアが産油国となってからは開発資金の多くはイタリア軍をトンネルにイタリア政府が出していたのだ。
こうしてG7魚雷は晴れてイタリアでもドイツと同時期に制式化されている。
またG7魚雷には他国の同時期の魚雷と同じように圧縮空気を酸化剤に用いた用いたG7a型と
30ノットで射程12500m、40ノットで7500m、最速44ノットで5000mと日本の酸素魚雷を除けば他国の同族と比べても遜色のないG7aだが、圧縮空気仕様の魚雷に付き物の欠点である「水に溶けない窒素が白い雷跡を残し、発射位置を暴露してしまう」という欠点は変わらなかった。
一方、電気推進のG7eは最速の30ノットで5000m/20ノットで7500mと大きく性能で劣ったが、反面一切の航跡を残さず非常に隠密性に優れていた。
今回の任務の性質上、必要なのは敵にこちらの意図を悟らせないことと正体を暴露しないことが最優先とされたために選択されたのは、低性能を承知で電気推進のG7eだった。
そして合計20隻の潜水艦から80発発射された魚雷は、衝撃に弱く温度により性能が敏感に高低する鉛電池を主電源に使う
***
イタリア製のG7魚雷シリーズは、オリジナル同様に接触信管に加えて艦底爆発を狙った磁気信管を併装していた。
史実のドイツでは、この磁気信管と深度維持装置に欠陥が多く、誤作動による不発や自沈の多さから”魚雷クライシス”などと呼ばれ、魚雷試験局(TVA)の技術者数名を職務怠慢の容疑で軍法会議にかけられる事態に発展している。だが、”この世界”ではイタリアで開発段階の試射でこの欠点は判明していて、既に量産型からは是正されている。
グランドハーバーの防潜網から機雷を警戒してゆっくりと抜けてきた英国艦に誰にも気付かれないまま襲い掛かった60本の電気推進魚雷は、直撃や近接あるいは艦底爆発を引き起こし、瞬く間に9隻の大小英国艦船を血祭りに上げた!
無誘導時代の魚雷にしては驚異的な命中率だが、狭い港湾に向けて20隻の潜水艦が凹レンズのような陣形で半包囲から集中して放ったのだから順当な結果なのかもしれない。
無論、G7e魚雷を放ち終えた1100t基準級は既に水中航行で退避行動に移っていて、英国人が航空機を飛ばせない現状から鑑みてマルタ島沖合い20kmで浮上航行に切り替え、悠々と各母港へ帰港に入った。
しかし、潜水艦は去っても英国人にとって更なる不幸は続いた。
機雷攻撃が続いたために無航跡の電気推進魚雷攻撃を機雷によるものと誤認した英国艦隊はイタリア人が敷設した機雷水域の広さと密度に驚きながらなおも機雷警戒を継続しながら沖合いに脱出しようともがいていた。
だが撃沈、あるいは座礁し半ば座礁した船が障害物となり、彼らの運動を制限し動きを更に緩慢なものに変えている。
だが、ここで英国海軍史上稀に見る最悪の報告が上がってきたのだ……
「敵艦隊、水平線上に見ゆっ!!」
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そう、”彼ら”はやってきたのだ。
最新鋭と言っていいヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の1番艦”ヴィットリオ・ヴェネト”と2番艦”リットリオ”を主軸に、重巡洋艦トレント級2隻とザラ級2隻を従えた水上打撃部隊が……
この時、グランドハーバー周辺は正しく地獄の様相を呈していた。
空爆でめちゃくちゃに破壊された燃料タンクから漏れ出した重油火災は広、がる一方で鎮火の見込みはなく、港内で蝕雷で沈んだり損傷した艦船から漏れ出た燃料がそれに加わり更に激しく燃え上がっていた。
防潜網の外側にも潜水艦によって敷き詰められた機雷とその穴を埋めるように放たれた電気魚雷の追い討ちにより、事実上港湾の入り口は閉鎖されたに等しかった。
あえて艦船を狙わない港湾施設への空爆に始まり、港内部への航空機雷の散布と防潜網の外側……港湾出入り口付近の潜水艦による機雷敷設、そしてそれを突破しようとした英艦隊への魚雷の一斉射……
度重なる英軍への執拗な攻撃も、ついにクライマックスを迎えようとしていた。
戦艦2、重巡4、軽巡4、駆逐艦16からなる艦隊……
総じて【第二次マルタ包囲戦】と呼ばれる戦いの中で、最も派手と言われる戦いが幕開ける。
最早狭い港湾で身動き取れなくなっていた英国艦隊に、イタリア艦隊は18門の38cm砲と32門の20.3cm砲が容赦なく一斉に火を吹いた!
***
それは華々しい海戦というよりむしろ、
「池で呑気に泳ぐカモの群れに散弾銃を打ち込むようなもの」
と評される様相だった。
防御が厚いがその図体ゆえに動きが制限され鈍い巡洋艦以上の大型艦が、真っ先に狙われた。
この時、マルタ島には英国地中海艦隊から分派された2隻のリヴェンジ級戦艦、1番艦の”リヴェンジ”と4番艦の”ロイヤル・サブリン”がいたが、このような情況ではその戦闘力を生かされるわけはなかった。
背後が火の海、前方が機雷の海となれば、狭い港内と大きな図体ゆえに著しく動きが制限される。
加えて速度と装甲に任せて下手に強行突破しようものなら、どれだけ蝕雷するかわからない。
例え上手くいって港の外に突破できたとしても、戦艦や重巡の砲撃に加えて嚮導型軽巡洋艦に率いられた水雷戦隊が喜び勇んで殴りかかってくるだろう。
実際、港から統率が取れぬまま脱出した運用く小型艦船が、敵の水雷戦隊の集中砲火を浴び各個撃破されてるではないか!
「ぐうっ!!」
思わず英国司令官の顔が苦悶に歪む。
敵戦艦の砲弾に捉えられる前についに蝕雷、水中衝撃波で舵が損傷し思うように動けなくなってしまったのだ。
そして、その瞬間を待っていたようについにイタリア製の砲弾に挟叉されてしまったのだった……
***
「よく燃えてるな」
38cmと20.3cmの砲弾をいたるところに浴び、既に主砲の発射が不可能なほど船体を傾かせてるマルタ島艦隊旗艦”リヴェンジ”のブリッジで艦隊司令官が呟いた。
「我が艦も大量の
「参謀、総員に退艦の命令を」
その言葉は最後まで語られることはなかった。
いかなる偶然か?
まだ分厚いヴァイタルパートに守られたCICなど誰も思いつかなかったこの時代、昼戦艦橋に飛び込んできた38cm徹甲榴弾により、彼らをまとめてこの世の苦しみから解放したのだから……
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1940年7月7日、この日英国地中海艦隊マルタ島分遣隊は、文字通りに壊滅した。
不思議なことにイタリア艦隊は港に入ってこようとはせず、ただ弾薬庫が空になるまで徹底的で執拗な砲撃を繰り返し、港湾内や周辺を
退艦に成功した英国海軍乗組員は、近づいてこないイタリア人に降伏することもできず、救命ボートに乗り込み、港のまだ燃えてない埠頭につけて陸上へ避難した。
生き残った彼らの見てる前で港湾全体に広がった重油火災がかつての威容を思い出せぬほど破壊の限りを尽くされた船たちを焙り、燃料や砲弾を誘爆させ、更なる無残な姿に変えていった……
マルタ島艦隊の中で一番幸運だった艦は、間違いなく港から脱出してイタリア艦に追撃され投降した艦であろう。
この海域にはマルタ島攻略艦隊でなく、当然のように残党狩りを目的とした後詰めの部隊も存在していて、広域哨戒の任務を負った飛行艇部隊と追跡の為に水雷戦隊を中核とした高速艦隊が網を張っていたのだ。
結果、撃沈を免れ拿捕された船で一番排水量が大きかったものが、大破ぎりぎりの中破判定で20ノットまでしか出せなくなっていたカウンティ級(ノーフォーク級)重巡洋艦の”ドーセットシャー ”だった。
マルタ島に配備されていた他三隻の重巡は全て破壊されていたのだから間違いなく幸運だろう。
他に1隻の軽巡と3隻の駆逐艦が洋上で拿捕されるが、無傷の船は皆無で全てが小破以上の判定であり、大破判定を受けた船は曳航の必要なしと処分されたようだ。
あれだけ完璧な機雷封鎖と包囲の中で傷だらけになりながらも逃げ出せたロイヤル・ネイビーの実力を誉めるべきか、あるいは突破されたイタリア海軍の実力を嘆くべき(もっとも逃げ出さずに正面から撃ち合える分、史実に比べればずっとマシな情況だが)か微妙なところだ。
しかし、一つだけはっきり言えることがある……そう、誰の目にも明らかなほど「イギリスは
***
残存施設の徹底破壊のためだろうか?
この日の午後にも最初の爆撃の半分の300機規模の空襲が行われ、マルタ島の軍事拠点としての機能は完全に失われた。
いや、それどころか水道/電気を筆頭にあらゆるインフラも破壊され、島の生活は1565年の『第一次マルタ包囲戦』の頃まで逆行したといっても過言ではなかった。
いや、軍民を問わない食料保管庫は言うに及ばず、収穫前の畑や牧草地にまで焼夷弾がばら撒かれたのだから余計に情況は悪いだろう。
だが、この日の夜にバルケッタ・ムッソリーニは奇妙な放送を行った。
『延べ1000機を投入した空爆と、守備艦隊の壊滅にも関わらず未だ抵抗の意思を鈍らせない英軍マルタ島守備部隊とマルタ島島民に、敵ながら心よりの敬意を表する』
と……
これには少々、事実の齟齬がある。
いや、「嘘ではないが真実を述べてはいない」と言ったところだろうか?
そう、バルケッタ・ムッソリーニ……いや、イタリア政府は一度もマルタ島に対し
うっかりということもありえるのだが……
無論、この場合はわざとだ。
何故、港から奪取した英国艦船だけ拿捕対象としたのか?
何故、イタリア海軍は執拗な砲撃を行い、空軍は港湾施設を全壊させたのに港の制圧は行っていないのか?
何故、ケッタは簡単に出来るはずのマルタ島の制圧を行わず、
全ては、この先の戦いに答えがあるのだろうか……?
皆様、御愛読ありがとうございました。
シリーズ初となる海戦ステージ(?)は如何だったでしょうか?
えっ? 戦車の戦いばっかり書いてたから、海の戦いを書きたかったダケデハナイデスヨ?(汗
どうやら”この世界”では、下手に同盟を結んでないせいで逆に独伊関係は上手くいってるようです。
単にイタリアがオイルとオイルマネーで幅を利かせてるだけって気もしますが(^^
多分、”この世界”のイタリア軍は「イギリス人と
次回はケッタがマルタ島を
それでは皆様、また次回にてお会いしましょう!
***
設定資料
Ba.201”
製造元:イタリア・ブレダ社
エンジン:イソッタ・フラスキーニ アッソ211 RC.40G(1段2速
最高速:485km/h(高度4000m、爆装時)
航続距離:1350km(機内燃料のみ)
実用上昇限度: 8500m
固定武装:MG131機関銃×2(13mmx64弾、毎分900発、機首×2)、MG81機関銃×1(7.92mmx57弾、毎分1400-1600発、後部座席旋回銃。ライセンス生産品)
プロペラ:ピアッジョ定速式3翅
乗員:2名
射爆照準器:
特殊装備:防振処理空中無線機、30口径対応防弾装備一式、ダイブブレーキ兼用スプリット・フラップ、翼内燃料タンク
爆弾搭載量:500kg爆弾×1 or 250kg爆弾×2、
オプション:落下式増槽
備考
イタリア初の国産制式化急降下爆撃機。
史実の同名の急降下爆撃機とは大分開発経緯が異なり、そうであるが故に形状は似ているがオリジナルとの変更点が多い機体でもある。
また原型機は開発時期が遅かったせいもあり、試作機どまりだったが”この世界”のイタリア空軍では優先生産機に認定されている。
また制式化に伴い、イタリア語でカイツブリを意味する”
そもそもイタリアが急降下爆撃機を着目したのは、友好国であるドイツが”
その使い勝手に満足したイタリア空軍は、早速国産の急降下爆撃機を計画する。
色々と要求性能の意見が出されたが、結局まとめられたのは……
・完成度の高いスツーカを規範とすること
・スツーカでの数少ない不満点である速度と航続距離の上昇を図る
・現在、集中量産指定されている機体の採用エンジン以外のイタリア国産の航空機用エンジンを用いる
だった。
オリジナルは、一人乗りで爆弾は機内搭載だったが”この世界”のBa.201では以上のような要求性能から二人乗りの爆弾機外搭載は最初から決定していた。
加えて、飛行速度上昇の為に抵抗の多い固定脚をやめて引き込み脚にし、航続距離延伸の為に爆弾を機内搭載にしなかったために二人乗りながら余裕のある胴体内タンクと主翼付け根のタンクを備えることが出来、A型のスツーカに較べ150km/h以上の優速と350kmの航続距離の延長を実現した。
エンジンは既にイタリアがライセンス生産権を獲得していたJu87/88の採用で実績のあるJumo211シリーズのライセンス品であるイソッタ・フラスキーニ社のアッソ211シリーズ、中でも各部の設計変更でエンジン強度が上がり耐久性の高いJumo211Gベースのアッソ211 RC.40Gが選択された。
アッソ211 RC.40Gのオリジナルとの相違点は、まず100オクタン燃料仕様であることとリビアや砂漠地帯での使用を前提に
付け加えると、後部座席に据え付けられた自衛用の旋回機銃が最新のMG81と豪華な仕様である。
本来なら連装にしたかったらしいが、生産数が足りずに断念し単装に妥協したらしい。
開発要求の時点から「イタリア版の進化型スツーカを作る」とコンセプトがはっきりしていたのと、あえて技術的な冒険を避けたのが功を奏して開発は速いペースで進み、1938年後半に原型機が飛び、1939年後半には最初の量産型の製造が始まっている。
また爆弾を投下後は時速500km/hを軽く越えるスピードを出せたために北アフリカでは英軍の迎撃機を振り切り帰投した報告が数多くされている。
また特筆すべきは射爆照準機にJu87と同じ型の
エンジンをより高出力な物に換装し、更なる高速化と搭載量の増大、ロケット弾の標準装備化をはじめとする武装/装甲強化を施した発展型の”Ba.201C”なども開発され、