有栖とアリス   作:水代

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閑話 ある雨の日 -a rainy day-

 走る。

 呼吸を乱すほどに全力で。

 乱れる髪が鬱陶しいと思いながら、もそれを整える時間すらも惜しく。

 走って、走って、走って…………逃げる。

 怖かった。

 迫り来る追っ手が。

 怖かった。

 自分のやったことが。

 怖かった。

 自分が自分で無くなることが。

 

「はぁ…………はぁ…………はぁ…………」

 

 息を整える。

 常人ではあり得ぬ速度で走りぬき、ようやく足を止めた。

 否。

 止めざるを得なかった。

 最初から無理だと言うことは分かっていた。

 この街でメシア教から逃げることなどできるはず無いと、分かっていた。

 それでも。

 

 あのままあの暗い檻で飼い殺しにされるよりは、あの狭い部屋で実験台にされるよりはずっとマシだと思っていた。

 

 雨が降っている。

 

 ざあざあと。

 

 明けない夜は無く。

 

 止まない雨は無い。

 

 そう思っていた。

 

 いつしか、この地獄のような人生にも救いがあるのだと、そう思っていた。

 だから、機せずして訪れたチャンスに逃げた…………その結果がこれだった。

 果たして何がいけなかったのか。

 あの時、自身の罪と向き合って逃げ出さず、立ち向かえば違ったのか。

 否、それも無理だろう。何せあそこにしてみれば自身など研究材料の一体に過ぎない。

 少々の力ではあっさり取り押さえられて終わりだろう。

 だとすれば…………だとすれば、一体どうすれば自分はあの地獄から抜け出すことができると言うのか。

 メシアの人間はいつも言っている。

 

 神が救ってくれる。

 

 だったら救って見せろ、あんな地獄にいる他の人間共々私たちを救え。

 

 慟哭する。

 

 だが彼らは嗤う。

 

 お前たちは神の尊い犠牲となるのだ、と。

 

 ならば捨てる。そんな神など捨てる。

 

 ただ、誰でも良い。

 

 この地獄から救ってくれるのなら。

 

 私は誰にでも縋る。藁でも掴んでみせる。

 

 泣き、啼き、哭く。

 

 そして。

 

 

 

 

「こんにちわ」

 

 少女がそこにいた。

 傘を差していてよく見えないが、随分と小柄な少女だ。

 突然現れた少女の姿に、追っ手たちが一瞬動揺し…………。

 

「あのねー?」

 

 死んでくれる?

 

 少女がそう呟いた瞬間。

 

 心臓が鷲掴みにされたような感覚に一瞬陥る。

 

「………………ぁ…………ぁぁぁぁあぁぁぁぁ!?!!!!?」

 

 震える、恐怖に震え、崩れ落ち、膝を付く。

 視線の先には倒れ伏し、動かない追っ手たち。

 死んでいる。

 それが分かった、外傷など無くとも、顔すら見えないのに。

 

 死に憑かれている。

 

 表現するならそんな言葉だろう。

 恐怖する。ここで自身も死ぬのだろうか、一瞬そんなことを考え、恐怖する。

 てくてく、と可愛らしい歩き方で少女がやってくる。

 そして、だからこそ恐ろしい。

 一瞬で追っ手たちを殺し、顔色一つ変えずこちらにやってくる少女が。

 その身から強大な死の気配を漂わせる少女が。

 

「あはは…………あははは」

 

 少女が嗤う。怖い。その手が。怖い怖い怖い。自身へと伸ばされ。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 恐怖のあまり息することを忘れる。直後に訪れる自身の死を明確に見せられ…………。

 

「おい、何してんだ」

 

 聞こえた声に少女の手がピタリと止まる。

 手が引かれ、少女が振り返る。止まっていた息を吹き返し、ほっと安堵したのも束の間、今度は誰が来たのかと自身の視線を向け。

「無闇に殺すなって言っただろ、アリス」

「はーい」

 そこに傘を差し、頭を掻きながら呆れた視線を少女に向ける自身と同じくらいの年頃の少年がいた。

「そっちのアンタも大丈夫か?」

「…………………………私?」

 気遣われるような声。そんな感情を向けられたことが無く、一瞬自身への言葉だと気づかなかった。

「ああ、アリスがやらかしたみたいだが…………生きてるな」

「えー…………ちゃんとこのひとははずしたよ?」

「お前今こいつに何しようとしてた?」

 さらりと恐ろしいことを言われた。もしかして先ほどの胸の苦しみは、自身が死に掛けた証拠だったのだろうか。

「まあいいか、生きてるし」

 でしょ? と頷く少女、とあっさり流す少年。

 助けてもらった、と言う考えは浮かばなかった。と言うか殺されかけたんじゃないだろうか、と言う思いのほうが強かった。そして同時に思う。録でも無いやつらだ、と。

 

 

 

 目を覚ます。

「………………………………」

 寝ぼけた脳で見ていた夢を思い出す。

 懐かしい、そんな思いがこみ上げる。

 

 ざあ…………ざあ…………

 

 ふと聞こえた音。窓から見える景色は雨を降る街。

 なるほど…………先日久々に彼に会った上にこの雨で思い出してしまったのか、と納得する。

「本当に…………懐かしいわね」

 初めて彼と出会った時、印象は正直悪かった。

 けれどたった数時間。共に行動した彼の印象は真逆になった。

 結局、私が掴むべき藁は自分自身なのだと。

 それを教えてくれたのは、彼だった。

 

 きっと勘違いしている。

 

 彼は自分の気持ちには嘘は吐かないが、人の気持ちには嘘ばかりついているから。

 だから彼は人の気持ちに鈍感なのだ。見ようとしない、誤魔化しているばかり。

 だから本当の物が見えなくなっている。だから本当を突きつけない限り彼は気づこうとしない。

 だからきっと、勘違いしているのだ。

 立ち上がったのは私自身。

 動いたのは彼と一緒。

 

 けれど…………救い上げてくれたのは彼なのだ。

 

 あの地獄から、あの悪夢から、拾い上げて、救い出してくれたのは。

 

 明けない夜に光が差した。

 

 止まない雨雲の切れ目から光が差した。

 

 なるほど…………天から堕とされた自身のペルソナと同じだ。

 

 私はあそこから堕ちた。落とされた。

 

 けれどもう私は拾い上げられた。救い出された。

 

 だから。

 

 今度は救う側に立つ。

 

 神様なんてあやふやなものじゃない。

 

 人のために走り、人のために戦い、人を助け出し、救い出す。

 

 かつて私がされたように。かつて私が願ったように。

 

 メシアの法で助けられない命があるのなら。

 自身がガイアの自由を持って助ける。

 

「救われぬ者に救いの手を」

 

 一つ呟き、机の上で整備していた二丁の巨大な拳銃を腰に差し…………雨の降る街へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

「ちぇー、つまんねえぜ」

 純和風のお屋敷、その縁側に二人の子供が座っている。

 その傍らの少年が口を尖らせる。

「せっかくひさびさにあそべる日だってのに、雨かよ」

「しかたないわよ、天気にもんく言っても」

 隣で無関心そうな態度の少女がそう零す。

「つってもなあ…………このやしきなんにもないぜ?」

「だったらここでお茶でも飲んでればいいわよ、ああ、おいしい」

 湯飲みに入った緑茶を啜りながら呟く少女の態度に少年が不平を漏らす。

「おい守り役。しっかりしろよ、その調子で何かあったらどうすんだ」

「うっさい宗家。どうせこんな外れのやしきになにかあるわけないでしょ」

「宗家なんて言ってもどうせ俺は一番下だしな、家をつぐなんてことあるわけない」

「だったら私もしょせんぶんけの下っ端よ」

「おいおい、十四代目のかけいが何言ってんだ」

「そのじゅうよんだいめ以降もうちかららいどうが出ることはなかった。つまりそう言うことよ」

 雰囲気こそ子供のそれではあったが、話している内容はとても子供のソレではなかった。

 だがあまりにも自然な態度に二人にとってこれが日常なのだと言うことは簡単に伺えた。

「しかし守り役。おまえも俺なんかの守りについてたいへんだな」

「そう思うならもうちょっととっぴなこうどうはつつしんでほしいわね」

「…………ったく、かわいげもへったくれもねえな」

「あら、私にかわいげをもとめているの?」

 全然、と少年が答えると少女が、でしょ? と返す。

「んで、お前どうする気だ?」

「なにがよ?」

「二十一代目のはなしだよ」

 少年の言葉に少女がやる気無く答える。

「パス」

「ったくお前は…………んでも、このまんまじゃ俺と結婚コースだぜ?」

「いいんじゃない? 別に誰でもいいし」

「なんで一生のことなのにそんなやる気ないんだよお前」

「役立たずは役立たずとくっついてろってことでしょ。一応十四代目の家系ではあっても私は所詮あんたの守り役程度。あと二、三代くらい血を重ねてそれでも役立たずなら放逐でもされるかもしれないわね」

 少女の回答に少年が苦笑する。

「あいかわらずずけずけと言うな。まあそのとおりなんだが。役立たずはこれ以上血を広めるな、ってことだろうな、実際」

 少年と少女の立場とはそれほど危ういのだ、と少年は言外に零している。

 けれど少女にとってそんなことは分かりきったことだ。

「お前はやればできるんだから、やればいいじゃねえかよ」

「いやよ、めんどくさい」

「それは遠まわしな告白か?」

「あーはいはい、そうね」

 全く感情の篭ってない肯定。俺がこいつに押し付けられたのか、こいつが俺に押し付けられたのか。と内心で零しながら少年は空を見る。

「雨だな」

「雨ね」

「遊べないな」

「茶でも啜ってなさい」

「ループって怖いよな」

「そうね」

「ところでよ」

「何?」

「あれなんだ?」

 少年が指差す先。

 そこに黒い何かがあった。

「………………………………は?」

 瞬間、少女が飛び跳ね、少年の襟首を掴んで縁側から飛び退る。

「お、おい」

「黙ってなさい!」

 直後、黒が広がる。球形に広がる黒は、少年たちのいた縁側を飲み込み、さらに屋敷すら飲み込もうとする。

「っく、遅かった」

 少女が呟き、直後、黒に飲み込まれる。

 

 それが異界化という現象だと知ったのは数日後のことであった。

 

 

 目が死んでいるとよく言われた。

 感情が無いのではないかとも何度も言われた。

 人形、と言われたこともある。

 けれどそれは違う。

 別に感情が無いわけではない。ただ限り無く触れ幅が小さいのだ。

 例え目の前で何が起ころうと、あっそう、とその一言で済ませてしまえるくらいに。

 それが何故かは自分でも知らない。ただそれすらもどうでも良いと思ってしまう。

 人形ではないが、傍から見ていて人形のようだ、と言われるのも頷けてしまう。

 

 けれど。

 

 人が死ぬのは嫌だった。

 誰かが泣くのは嫌だった。

 目の前で他人が傷つく…………それがたまらなく嫌だった。

 ゴウトはそれを十四代目と似ていると称したが自分のソレはそんな立派なものではない。

 ただ、自身と重ね合わせてしまう、あの頃を思い出してしまう。

 他人が傷つくとまるで自身が傷ついていた過去を思い出し、自身の心までもが痛んだ。

 他人の命が散っていく光景に過去を思い出し、その時の痛みがフラッシュバックした。

 結局のところ。

 

 イタミが嫌いだった。

 

 心の痛み、体の痛み、精神の痛み。

 

 何もかもが嫌いだ。

 

 薄い感情の中でそれだけがはっきりと根付いている。

 

 否。

 

 焼きついている。

 

 実を言えばあの少年の守り役であることは楽だった。

 見捨てられた人間同士。襲われることも無く。何か言われることも無い。

 ただ淡々と過ぎて行く日常と平穏。

 あの時間は好きだった。ただ縁側に少年と座ってお茶を啜っているだけの時間。

 けれど、見てしまった。

 あの時、見てしまったのだ。

 

 自身が傷つくことも厭わず、他人を守ろうとする背中を。

 

 届かないと分かっている、けれどそれでも届かせようとする背中を。 

 

 前者の少年を有栖と言い。

 

 後者の男をライドウと言った。

 

 知ってしまった。十四代目の再来と言われる最強の葛葉の思いを。

 彼もまた届かないと分かっていながらそれでも手を伸ばし続けていた。

 十四代目と同じ目線へ、と。

 鬼を斬り、仏を斬り、神を斬り。

 それでも届かないその先へと。

 

 気づいてしまった。自身の思いに。

 ただ自分は諦めていただけだと。

 生きることに希望を見ていなかった。

 ただ死にたくないから生きていた。

 そんな自身の思いに気づき。

 

 けれど魅せられたその背中に憧れと言う感情を貰った。

 

 さて、それはどっちの背中だったのか。

 

 守ってくれたのは有栖。助けてくれたのはライドウ。

 

 さて…………私は一体どちらに憧れたのか。

 

 その答えを…………私は胸の内に秘めた。

 

 




今回は閑話です。まだ本編が途中なんだけど。先に一話だけ入れておきたかった。
多分これがあるとないとでキャラへの印象が変わりそうだし。
これを知ってる前提でここから先の話を読んで欲しい、と思ってます。

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