帝都台東区上野。
東京都のほぼ中心に位置する地域であり、有名なもので言えば動物園などだろうか。
人の往来も多いそんな上野の街の外れ。
往来の賑やかさから隔離されたかのようにその周囲は静けさに満ちていた。
門の端に掲げられた看板に黒墨で恐らく名前だろう文字が書かれていたが、すでに墨も剥げてかすれてしまったそれを読むことはできず。
故にそこにそれがあることすら世間一般の人間は知らないだろう無銘の寺院はけれど確かにそこに存在した。
寺を囲む壁はすっかり剥げて、ところどころぼろぼろと崩れてしまっている部分もあり、建物そのものも屋根に穴が開いていたり、瓦が落ちていたり、壁も木目が腐っていたり、障子が破れていたりとあちらこちら廃れた部分が見える。
「行きたくねえなあ」
寺院の目の前にある雑木林の木陰から寺院を見つめ、嘆息する。
ほとんどの人間が知らないだろうが、あの寂れた寺院こそがガイア教の日本における中心的拠点だった。
ぶっちゃけヤタガラスの人間すら知らない。当然メシア教だって知らない。というかガイア教の人間だって一部を除けば知らない。
じゃあなんでそんなところ俺が知っているのかと言えば、和泉に教えてもらったからだ。
ガイア教の本拠地。そう考えるだけで気乗りしない。
メシアンどもを狂信者とするならば、ガイアーズは無法者だ。
どちらも面倒な存在だが、ガイアーズの場合何をするか分かったものでは無い、という意味で特に面倒くさい。
メシアンは極論を言えばメシア教の思想のために行動するためある程度一貫性のようなものがあるのだが、ガイアーズの場合、本当に個々人で好き勝手やっているせいで目的も見えなければ行動を予測するのも難しい。
そんな相手に喧嘩を売るような真似は出来るだけしたくないのだが、ナトリからの依頼とそして和泉が行方不明という二つの理由がありそれもできないジレンマだった。
ため息を零しながら魔人となって人間離れした視力で様子を伺う。
ぱっと見、確かにただの寂れ、廃れた寺院だ。
だがそんなのは表層。
本拠地は
とは言え、本拠地だけあって見えはしないだけで寺院のあちらこちらに悪魔の目が光っている。
まともに侵入すれば一発で見つかって無数の悪魔たちが襲い掛かってくる上に侵入したのが一発でバレて地下からガイアーズたちがわらわらと出てくるのは目に見えていた。
「まずは様子見から始めるか」
だからまともにやりあってはいけない。
こちらの戦力は自分を含めて極めて少数なのだから。
「十字……いや、
「オッケー。了解」
半分ほど人間を止めたせいか異常に高くなった視力の俺と違い、あくまで人間並みでしかない十字では寺院の様子を細かく見ることはできないようで、目を凝らしはしてもはっきりとは見えず手持無沙汰になっていた。
そんな十字に声をかければすぐに頷き、意識を切り替えていた。
「取り合えず、お前だ、こい……ミズチ」
SUMMON
COMPの召喚プログラムを起動すると同時に、電子メッセージが表示され光と共に半透明な水色の蛇が現れる。
「うん? 僕を呼ぶだなんて、久々だね、サマナー」
長い間に現世に居たことですっかり染まってしまった龍神は悪魔にしては珍しく穏やかな口調で自身に語り掛ける。
「そんなに前でも無いだろ……ちょくちょくレベリングしてるしな」
「うんうん、お陰で僕も大分力が戻って来たよ」
この人間臭い龍神は寄りにも寄って自分を祭る巫女に自分の力を全て譲渡するなどという悪魔としては本末転倒なことをやらかしているのだが、いくつかヤタガラスから紹介された異界を回ってレベルも取り戻してきている。
とは言え全盛期にはまだ遠いのだが、純粋な戦力としてはそれほど期待もしていないので問題ない。
「それで……
「ん? どういう意味で?」
「この森から、あの寺院の地下……できれば誰もいない場所まで、跳べるか?」
地脈というものがある。
例えば地下を走る水の流れのことなどを指す言葉ではあるが別の意味合いでも使われることもある。
主に風水などに関係する言葉であり、別の言い方をするならば。
大地の下を流れ、世界中を駆け巡る不可視の力の奔流。
それは人にとっても悪魔にとっても非常に重要な存在であり、同時にとても危険な代物でもある。
だからこそ、吉原高校の旧校舎の異界のように、それを管理する存在がわざわざいるほどの物であり。
メシア教、そしてガイア教がそんな重要なものを無視するはずが無い。
視界の中の寺院、そこは龍脈と龍脈が交差する一種のパワースポットであることはすでに分かっている。
当然だが龍脈に干渉しようとすることは、世界に対する干渉と同等だ。
相応の準備、時間、手間をかけてその力の一端を扱うことができる、という程度の代物であり何の準備も無くこれに干渉することはほぼ不可能に近い。
本来は。
ミズチはそれができる。
何十年、何百年、下手をすれば千年以上の時を龍脈に干渉されながら龍神としての信仰を得て竜宮を築いてきたミズチならば、何の準備も無く、僅かながら龍脈に干渉することが可能となる。
僅かと言えど、規模は世界を巡る血管である。その僅かで引きおこせることは並のサマナーができることの規模など容易く超える。
龍脈を伝っての移動はその一つである。
足元を流れる巨大な力の奔流に乗って、龍脈の上を一瞬にして転移する。
ただし以前はそれが使えなかった、単純なミズチのレベル不足もあったが、それ以前の問題として。
「今ならできるよな?」
「だねー。サマナーが人間止めてくれたからできるよ」
ミズチだけなら何の問題も無いだろう……仲魔たちならば、まあ少々面倒はあれど可能だろう。
だが以前の場合、自分が問題となって、この手段は使えずにいた。
大前提として、人間の体は肉体と魂で構成されている。
肉体と魂を繋ぐのに霊力……まあマグネタイトのような繋ぎもあるのだが、それはともかくとして。
地脈、というか龍脈というのは物質的には存在しない力の流れだ。
それを伝って移動するというのは簡単に言えば
至極当然だが肉体を情報として分解し、それを再構築する、というひと手間の間に、普通の人間は死ぬ。というか普通の人間じゃなくても死ぬ。言ってみれば魂と体を分離させるのだから、その時点で死ぬ。
半人半魔、魔人という一種の悪魔となり、体の代替としてマグネタイトを使える今だからこそ可能な荒業である。
とは言え半分は人間なのだ……マグネタイトで肉を代替するのは良いが、転移後に処置しないとそのまま悪魔化する危険性がある。
悪魔はマグネタイトを生み出せない。
だからこそ人間を襲っているのだから、当然の理である。
もう半分人間を止めているとしても、残り半分が今の仲魔たちとの契約を形作っているのだから、そこは慎重になる必要がある。
特にCOMPでなく、直接契約を交わしているアリス……あとはルイもだが、この二人に対してどんな影響が出るか分からない。
「ルイ……ね」
最近少しだけ変わってきたように思う。
ほんの少しだけ、違うようにも見える。
ルイは特殊な悪魔だ。自分と直接契約している点もそうだし、何より肉体を持っている。
故にCOMPには入れることはできず、家で待たせているが直接の契約はしているので召喚ならいつでも可能だ。
受け取った時はごたごたしていてろくに育てることもしていなかったが、最近はミズチと平行してレベルを上げているので多少戦えるようにはなっている。
さすがは大魔王の分霊、というべきか。
アナライズで見るステータスの伸びと耐性は凄まじい。正直特異点悪魔と同レベル、否、それ以上かもしれないほどに。
だが大魔王曰くの『変化の無い存在』だ。
何も覚えない、技も、能力も、何も無い、ただ圧倒的なステータスと耐性を持っただけのただの強い悪魔。
唯一覚えているのはただ相手に向かってぶつかることと一番弱い万能魔法だけ。
強くは……なっている、だが変化は無い。上手く表現しづらいのだが、ただ強くなっているだけ、という感じで成長している、という感じがない。
果たしてルイに変化と言うものが訪れるのはいつになるのだろうか。
なんて考えて見る。
なまじ人の形をしていて、なまじ人と同じ体で、なまじ人と同じく暖かいから。
ふとした瞬間、悪魔だということを忘れそうになる。
アリスとはまた違う、不可思議な存在だった。
* * *
意識を集中させ、探らせる。
龍脈の上にある物ならば何がどこにあるか、など凡その把握はできる、とはミズチの談でありその能力でもって寺院の地下の構造を地図にしていく。
「オートマッピングあるから楽だな」
COMPの追加機能の一つ、仲魔や自分で探索した範囲をそのままマッピングしてくれる機能だ。
仲魔の感知や知覚から逆算してマップを作り出すため直接その場に赴く必要も無いのが便利だった。
と言っても普段こんなもの異界を歩く時にくらいにしか使わないが、ガイアの本拠ともなれば、最早異界に行くのと大して違いなど無かった。
大雑把に言って、地下施設は迷宮のようだった。
まるで、というか恐らく何らかの方法で地下を掘って、そのまま
規則性というものが無く、寺院の地下を中心として蜘蛛の巣のように穴が広がったような構造をしている。
というかこの規模……寺院の地下などあっさりと超えて下手すれば上野一帯にまで広がっているのではないだろうか。
ここまで無秩序に掘って落盤しないのか、などということも考えたが悪魔などという超常存在がいるのに、そんな物理的な話意味が無いなとも思う。
「これは……やばいな」
個人でこの範囲を調べるのはほぼ不可能だ。
町一つ分以上の広さな上に、中は敵の領域でありどこに何があるかも大雑把にしか分からない。
「人数は……どうだ?」
後は中にどれだけの敵がいるか、ということだが。
ガイア教の本拠地……ともなれば、相応の人数はいそうなものだ。
もし中が敵だらけ、となると侵入することすら難しくなる。
と、思っていたのだが。
「うーん? 全然いない……全部で、二十人くらい?」
「……何?」
二十人、と言われると一見多そうにも見えるが。
「あの寺院の地下だけでか?」
「いや、地下全域……少なくとも、龍脈の上にある場所はだいたい感知できるよ」
龍脈というのは俺には見えないため範囲は大雑把になるが、それでも旧校舎での封印の規模を考えればかなり巨大なものであるということは分かる。
というか龍脈に干渉してこのマップを作っている以上はミズチの索敵範囲はイコールでこのマップと同等ということになる。
それはつまり上野の地下全域に巡らされた拠点にたった二十人程度しか人がいないということになるが。
「いくらなんでも少なすぎるだろ」
仮にもガイアの本拠地である。
少なくともメシアの本拠地である品川には凡そ千人以上の信徒と百を超えるテンプルナイトが常駐している。
「いや、でも逆にあり得るのか?」
秩序を重んじるメシアと違い、ガイアはとにかく自由だ。
そもそも人を集めて拠点に閉じ込めても統率など取れるはずも無いし無秩序に……下手をすれば仲間割れを起こす可能性も高い。
仲間割れで済めばいいのだが……どうも和泉から聞くガイアーズの様子からするとそのまま殺し合いでもしそうな雰囲気すらある。
まあメシアもガイアも方向性こそ違えど同じ異常者……キチガイ集団なのでさもありなんと言ったところか。
となると、少数というのは逆にそういうことなのかもしれない。
カーストの下のほうのガイアーズは普段から地上へと赴きそれぞれ好き勝手に動き。
カースト上位者……つまり幹部たちだけが本拠にいる。
ガイア教にとって上下関係とは即ちそのまま強さに置き換えられる。
否、本質的にはガイアのみならず悪魔との関わる裏世界の全てが弱肉強食によって成り立っていると言って過言ではない。
つまるところ、今この拠点に潜んでいる者たちは、それだけの実力者たちであろうことは明白であり。
その全員が和泉と同等……或いはそれ以上の強者だということを示していた。
因みに今のルイちゃんのステータス。
魔王 “空虚なる魔姫”ルイ
LV28 HP980/980 MP367/367
力52 魔64 体37 速41 運48
耐性:物理、核熱、水撃、地変、疾風、神経
無効:火炎、氷結、電撃、衝撃、精神
反射:破魔、呪殺
吸収:万能
突撃、メギド
備考:空虚なる魔姫 あらゆる要素を抜き去っていった、空っぽの大魔王の分霊。
幼女 この悪魔を連れているとロリコンのレッテルを貼られることは間違いない。
大魔王 こんな形でも歴とした大魔王の分霊、低級な悪魔はほぼ全て出会うだけで恐怖する。
ルイ 有栖が彼女に与えた名前。
ステータスだけ見ればレベル帯としては破格。
そして耐性見れば最早上位悪魔よりも酷い。
……だがイマジン的に見ればそんな大した耐性でも無いのが困りもの(
魔力に耐性ないからね(
そしてスキルが突撃(幼女アタック、相手は死ぬ)とメギドしかない。ステータス高いだけの雑魚としか言いようが無い状況……今はね?