ソレが嗤う。
「きひっ」
ソレは見下ろす。そこに広がるのは逃げ惑うヒトとそれを追い回すバケモノ、真昼間から繰り広げられる大惨事。
「みぃーつけたぁ」
嗤う、嗤う、嗤う。
蜘蛛のように毎日網を張って待っていたがかかったのは標的とは違う雑魚ばかり。
まあ最後の最後で最上級の獲物がかかったのだが、活きが良すぎて逃げられた。正確には逃がしたのだが。
アレはアレで良かったのだが、あのまま殺しあっていては本来の目的が達せられない。
だがあそこで網を張っていてもまた戦うことになる、さてそれでは同じことの繰り返し、そもそもあそこでは標的は来ないらしい、では次はどこに網を張ろうか?
そう考えていた矢先のこれだ…………運が良い。
「きひっ……きひひっ……きひひひひひっ!!」
するすると水中を這う蛇へと狙いを定め…………。
「羅刹斬」
剣撃を解き放った。
* * *
市立青海水族館。
その名を見て顔が青ざめる。
「小夜か…………アイツならここのことを知っている、アイツに会ってここにことを知ったとすれば」
あの二人がここに来る理由としては十分過ぎる。やることも無く退屈していた二人だ、吉原市には無い水族館など面白がってくるのではないだろうか?
ぱっと外から見た限りでは中の様子が見えない。窓は黒く彩られ、序々にだが壁も黒く染まってきている。
「異界化の進行が早い…………くそ、入り口が開かねえ!?」
入り口の扉を押したり引いたりしてみるが、びくともしない…………だがここまで近づけば分かる、中に人がいる。中は見えないくせに、声だけは響いてくる…………悲鳴が聞こえる。
「アリス、構わない…………ふっ飛ばせ!!!」
「メギドラオン!!」
召喚したアリスの放つメギドラオンが、入り口に直撃し…………一時的にだが異界に穴を開ける。
「まだ未完成で助かったな…………」
完全に異界化していたら、この程度では入れなかっただろう、急いだお陰か、俺が入る程度の穴は開けられた。
「…………なんだこりゃ」
真っ黒な闇が渦巻く入り口を潜ると、そこは胸の辺りまで水に浸かった建物内だった。
「…………って、おい、アリス、大丈夫か?!」
悪魔が酸素運動するのか謎だが、俺の半分ほどしか背の無いアリスは完全に水に沈んでいたので、慌てて引き上げる。
「ぷはー…………なあにここ?」
「水族館…………つってもなんだこりゃ」
どうしようも無いので、アリスを肩車する。COMPに戻せば良い話だが、どこに敵のいるか分からない異界内、しかも俺自身かなり行動に制限のかけられたこの状況で自由に攻撃できる悪魔の一体は出しておきたい。
広い館内を見渡す。ここから行けるのは右か左か正面かの三方向。階段などはここには無いようだった。
「館内案内とか無いのか…………?」
入り口ならあるだろう、と思い探すとすぐ傍にそれらしきものがある。
「左が行き止まり、右から関係者用の通路に入れて、正面からは二階に行ける…………なるほど」
思考する。あいつらが仮にこれに巻き込まれていたらどうするだろうか?
水位が上がってくる…………そんな状況で考えることは。
「上か…………?」
二階を目指すことだろうか? だとすれば、正面?
「…………ここで考えているよりは行って見るか」
そう考え、正面の通路へと足を向けようとした…………瞬間。
ずどぉぉぉん、ざぱぁぁぁぁぁぁん
轟音、そして水飛沫の音。
聞こえたのは………………。
「右?!」
振り向いた瞬間、ソレが飛び出してくる。
「きひっ」
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!
巨大な透明な蛇の怪物、そして昨日撃退したばかりの魔人。
「………………あ…………あああ!」
だがそんなことはどうでもいい、その蛇の口元、蛇に足を咥えられて引きずられるその姿は…………。
「悠希!!!!!!!」
俺の友人に、他ならなかった。
助けなければいけない。
それは分かっている。
だがどうやって?
こんな動きづらい場所でどうやってあの魔人を相手にする?
水の中を動き回るあの蛇をどうやって相手にする?
動きづらいと言えばあの魔人も同じ、と一瞬思ったが…………水の上を走っていた。
「バケモノどもめ…………」
とにかく、こんな状況では勝負にならない。どんな攻撃をされても避けることもできない。水の中から接近されれば攻撃も当たるか微妙だ。
数瞬の思考。逃げない、絶対に助ける。それだけは絶対に決めている。
ならば…………。
「フロスト!!!」
雪の妖精を召喚する。そして、懐に入れた予備のマグネタイト全てを注ぎ込み、命ずる。
「やれ!!!」
「マハブフダイン!!!」
凍る、氷る、凍っていく。胸の辺りまであった水が全て…………氷っていく。
「っ?!」
シャァァァァ
ようやくこちらを認識したらしい、魔人と蛇が驚いた様子を見せ、その身を氷らされるより早く宙に飛ぶ。
「砕け!」
「ヒー…………ホー!」
フロストが振り上げた拳を、氷に叩きつける。
ピキピキ…………ズドォォォン
氷が割れ、砕けた氷が足元に散らばる。次の水が入ってくる様子は無い。どうやら水族館全域の水が凍ったらしい。まあマグネタイトバッテリー一本分ほどのマグネタイトを使ったのだから、その程度なってくれないと困るのだが。
さて…………これでようやく戦える。予備バッテリーが無くなったせいで、もう後が無いが、それでもようやくまともに戦えるのだ。
「まずは…………お前だ」
走る。蛇のバケモノに向かって。
こちらに気づいた魔人が一度引き、蛇の怪物はこちらに向かってくる。
「そいつを…………放せ!!!」
「メギドラ!!!」
アリスの魔法が蛇の喉元辺りに直撃する。一瞬よろめいた蛇だったが、すぐに体勢を立て直す。
「フロストォォォ!!!」
「ヒーホー! フロストパンチだホー!」
フロストの抉るような拳がよろめいて隙のできた蛇の横っ面を殴り飛ばす。
「さっさと放せ!!!」
最悪足の一本千切れても回復魔法で治せる。だが失った命は簡単には戻せない。特に死んでから時間が経ってしまったらもう絶対に戻らない。見たところまだ悠希は辛うじてだが生きている、今ならまだどうにでもなる!!!
「だから…………邪魔だああああああああ!!!」
装填した銃弾を放つ。魔弾タスラム…………神話の中でバロールと言う神を殺した神殺しの名を冠された魔弾。
一発限りの特別製だ。さすがの怪物でもこれは耐えられなかったらしい、魔弾に目を貫かれ、咆哮を上げる。
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
その拍子に咥えられた悠希が落ちてくるので、滑り込むようにしてキャッチする。
「…………よし、まだ生きてる。何とかなる、フロスト!」
「りょーかいだホー!」
冷気を纏った拳をフックをするように真横に薙ぎ…………俺たちの前に氷の壁を作り出す。
「よし、逃げるぞ」
「了解だホー」
「はーい」
「分かったホ」
冷たくなった悠希の体を抱えたまま…………俺たちは二階を目指して正面の通路を走って逃げた。
高さ一メートルを超える氷の道をフロストが砕きながら前進する。そして正面の通路を抜け、別のフロアにたどり着くと、フロアの端に氷に埋もれて半ば隠れてしまっている階段を見つける。
「あっちだ、フロスト」
「了解だホー」
後ろを振り返るが、追ってくる様子は無い。悪魔同士でまだやり合っているのだろう。
あの蛇は悠希を追ってやってくるかと思ったが、さすがにあの魔人を無視することは出来なかったらしい。
「階段だな…………って、シャッターが降りてるな」
火災時の防火シャッターが何で降りているのだろう? と思いつつ、近づいてみれば何故か凹んでしまい、歪んでしまっている。
「フロスト、ついでに破っちまえ」
「ヒーホー!」
フロストの拳がトドメとなり、シャッターが吹き飛ぶ。
さらに階段を登ると、二階にたどり着く。
二階の階段の途中にあった案内図にさらっと目を通し簡単にだが把握する。
この先のフロアから繋がっているのは右の関係者用通路か下のほうの一階から吹き抜けのあるフロア。
階段を登り切り、取り合えず悠希を床に降ろす。
「ランタン…………頼む」
「ディアラハンだホ」
回復魔法の光が悠希を包み込む。正直、この魔法でダメならリカームかサマリカームでも使わないといけないのだが、そうなると一度異界から脱出してカラスの連中を呼ぶことになる。もしくわ…………道具を使うか、だが。
「起きろ! 悠希!!」
「…………………………………………っ」
呼びかける声に対して微かに反応する。
そして悠希の喉から聞こえるごぼり、と言う音。水を飲んでいる、とすぐに気づきすぐに人口呼吸で息を吹き込んでやる。それから心臓の辺りを何度か強く押してやる。
何度か繰り返すと、悠希が咳き込み始め、うつぶせにして背中を叩くと水を吐き出す。
「ランタン、もう一回だ」
「分かったホー、メディアラハンだホ」
さらにもう一度回復魔法を使用すると、何度と無く悠希が咳き込み、やがて肩で荒く息をする。
「あり…………す?」
焦点の合わない目でこちらを見ながら、そう呟く悠希に、ようやく安堵の息を漏らす。
「悠希、死に掛けのところに悪いんだが、詩織は? 小夜もいるのか?」
悠希の顔を両手で掴み目を合わせながら問うと、悠希が掠れたような声で返す。
「ひじょう…………かい……だん……」
「非常階段だな、分かった、後のことは任せて、お前は安心して休め」
そう言ってやると、悠希がふっと微笑んで目を閉じる。
疲れきって眠っているようだ。
ディア系の回復魔法は、簡単に言えば修復だ。傷や病気などの壊れた部分を治す。だが体力や気力と言ったものは治ったりしない。
逆にリカームなどの蘇生魔法と言われるのは、生命活性だ。どんな人間にでも感情があるならばマグネタイトがある。だから活性マグネタイトの活動を活発化させ、生命力とでもいうものを充実させるのがリカーム系の魔法だ。死んでから魂が抜け出すより早くこれを使えば生命力が戻り、死人ですら生き返る。だから蘇生魔法。
俺は蘇生系魔法の使える仲魔は持っていない。だから、これ以上悠希をどうにかするのは無理だ。一応もう体は全快しているので、後は凍死などしないように気をつければ時間経過が目を覚ますだろう。
ただここでそれをするわけにもいかない。詩織と、後はいるならば小夜も確保しておかなければいけない。
「っち…………どうやってもバレるな」
あの二人に…………悪魔の存在がバレる。二人ともあの蛇のバケモノは見てしまっただろう。悠希を見つけた時から察するにあの蛇に襲われていたのだろうし、今さら俺のことがバレなくてもヤタガラスの連中に保護してもらう必要がある。そうなればどの道、俺のこともバレる…………か。
あまり考えたく事実、ではあるが…………今は二人が無事だったことを喜ぼう。
複雑な内心を隠しながら、俺は悠希を背負い、非常階段目指して歩いた。
「悠希が!! 悠希が!!!」
「ダメですよ、詩織さん! 危険ですって!!」
「でも!!!」
どうすれば良いのだろうか…………石動小夜は泣きたかった。
自分たちを逃がすために目の前で一人の少年が怪物に引きずられていった。
助けたい、と思う。
だがどうやって? と考えてしまう。
あの化物相手にか弱い女子二人で何ができる?
「悠希いいいいいい!!!!」
今出来るのは、今にも飛び出そうとする一人の少女を止めることだけだった。
行けばあの怪物に殺される、それが分かっていて少女を見捨てることなどできるはずも無かった。
「ダメですよ!! 詩織さんまであの怪物に殺されたら、悠希さんが体を張って助けてくれた意味がなくなります!!」
「…………う、わあああああああ、ああああああああああああああああ!!!」
泣きじゃくる少女に、どうしたものかと戸惑う。
なんでこんなことになったのだろう…………。
一体どうすれば良いのだろう…………?
「こんな時、どうにかできる力があれば良いのに…………」
欲しい?
小声で呟いた言葉に、どこからか返事が返ってくる。
「…………え?」
欲しいかい? 力が?
「欲しいです、私たちを助けてくれたあの人を助ける力が」
守るための力、ね…………なるほど、良い心だ。
くすり、と笑うその声が…………自身の中から聞こえていることに気づき。
ならばあげよう、僕の力を…………だから、僕を止めてあげて。
呟いた声がか細くなり、消えていくと同時に…………。
どくん、と心臓が跳ねた。
これは対価だ…………キミが僕に捧げてくれた物に対する、ね。
だから関係ないって言ったし。
悠希が死ぬと予想した人は一体何人いるのだろうか?
水代基本的にハッピーエンド好きだから殺さないよ? 悠希にはちゃんと役割振ってあるし。
ところで透明な、水の体を持った蛇って、メガテニストなら何の悪魔か分かりますよね?