暗い暗い夜の森に、男が一人いた。
男は背に負うケースを地面に置くと、ケースを広げ中に入ってたものを組み立て始める。
暗く手元もろくに見えていないはずなのに、男の手つきは淀み無く、数分もしない内にそれが完成する。
それは銃だった。長い銃身、安定性を高くするためのストックに頬当てや二脚(バイポット)、そして何よりも遠視レンズ(スコープ)が取り付けられた銃。
見る人が見ればすぐに分かるだろう…………それは、
弾倉を指で軽く探り、弾が入っていないことを確認した男は、それから二度、三度空撃ちする。
かちん、かちん、と撃鉄が空回る音。それを聞いてから男が懐からケースを取り出す。
布製のケースを開くと、中に入っていたのはずらりと並ぶ長細い弾。先端のほうが鋭錘になっているそれは、狙撃銃の弾だった。
弾倉に一発、弾を入れて装填。そして男が銃を構え、スコープを覗く。
暗い森の中は闇に覆われ、視界が確保できない。だがスコープを覗く男はお構いなしにその引き金を引く。
「××××」
呟きと共に放たれた弾丸。バァン、と夜の森に小さな銃声が短く響渡る。
それが正確に7キロ先にいた一匹の妖精を貫く。
男はそれを知ってか知らずか、けれどもう一発、弾をケースから取り出す。
「暗き世を守る射手よ」
そうして、男が謡う。
「××××、××××、耳を貸せ」
男が一言言葉を紡ぐたびに、弾が怪しく光る。
「今宵の魔術をし遂げるまで その力を貸したまえ」
続く言葉に男から闇が噴出る。
「七度、九度、三度の祝詞で この混ぜ物を鉛に清めたまえ」
男から発せられる闇が男の持つ弾丸へと吸い込まれていき。
「役立つ弾が仕上がるように ××××、××××、いざ来たりたまえ」
後に残ったのは、当初の金色の薬莢に包まれた弾ではなく…………どす黒くくすんだ色をしたライフル弾だった。
男は手に持つ真っ黒に染まった弾丸を見て、一つ頷き…………それを弾倉に入れ装填する。
銃を構え、態勢を安定させ、スコープを覗いて
そして…………………………。
* * *
「………………ん…………んぅ」
背中から声、と共にもぞもぞと動く感触。
起きたのか、と一度立ち止まってみる。
「起きたか?」
そっと声をかけると、背中から息を呑む気配。
「有栖…………? あれ、俺なんで…………」
「起きたなら降ろすぞ?」
そう言って膝を折り、背に負っていた悠希を降ろす。
地に足をつけると、少しふらりと体を揺らした悠希だったが、すぐに態勢を戻す。
「大丈夫か? お前、修験界の中で気絶してたんだぞ?」
そう言われ、自身が覚えている最後の記憶を思い出し…………。
「あ、そうか…………俺、あの武者みたいなやつと戦って」
「武者…………そうか、遮那王と戦ったんだな」
「有栖、あいつのこと知ってるのか?」
驚いた様子の悠希に、苦笑しつつ答えを返す。
「あいつはな、修験界を作ったやつがわざわざ呼び寄せた特別な悪魔なんだよ」
「特別? いや、それ以前に呼び寄せたって…………」
「悪魔を召喚する方法なんてそれこそ大昔からあるだろ、まあ、それはともかく。遮那王はな、修験界における試練なんだよ」
「試練?」
「とある階層以下で、同じ階層に一定時間留まってると出てくるやつでな。ある程度強そうなやつを見つけたら、腕試し、と称して戦いを挑んでくる」
自身のことを思い出しているのか、悠希がどこか納得したように頷く。
「ただ葛葉との契約で、追い詰めても殺しは禁止されてる。だから実力試しにちょうど良い相手なんだよ」
「いや、でも思いっきり殺しにかかってきたんだが」
「仲魔は、だろ。サマナー本人には精々当身だよ」
まあそれで気絶させられていれば後からやってきた悪魔に襲われる危険性もあるのだが。
「っていうか、知ってたなら教えてくれたって良いだろ?!」
俺が事前情報として知っていた、と言う事実にようやく気づいた悠希が声を上げる。
「……………………言っちゃなんだがさ、悠希、自分がサマナーだって言う実感が無かっただろ」
「は?」
「自分が悪魔を使役して戦う、なんて実感が無かっただろ」
「そんなことは無い…………とは言い切れないな」
そう呟く悠希だが、そんなもの当たり前なのだ。だいたい悠希がサマナーになったのはほんの数時間前の話なのだから。
「だからあいつと戦わせたんだよ、嫌でも実感できるだろうからな、サマナーって存在を、仲魔って存在を」
サマナーだけではダメなのだ。だからと言って、悪魔だけでもこれもダメなのだ。
サマナーと仲魔、両方が揃って初めてデビルサマナーなのだから。
「悠希、お前は遮那王との戦いで何か学べたか?」
あの遮那王に勝ったのだ、きっと何か思うところはあったのだろう、そう予想して。
だからそう問いかけた。
* * *
町外れの廃墟ビル。そこに響き渡る銃声。そこで二人の人間が戦っていた。
一人はメシア教特有のローブを目深に被った男。
そしてもう一人は、自身…………和泉だった。
当初は住宅街にいた二人だったが、いくらなんでも住宅街で戦うのは不味いと考えた和泉がこの場所まで戦いながら移動してきたのだ。
バンバンバンバンバンバン、バンバンバン
次々と撃たれる銃弾。時に直進し、時には兆弾しながら男へと吸い込まれるように飛んでいく弾丸を、けれど男は両の手に持った剣で容易く弾く。
ここに来るまでずっとこの繰り返しだっただけに、いい加減飽きてくる。
両手に銃を構え、男に向かって突進する。これまで距離を取って戦っていただけに、突然の方向転換に驚いたか、男が一瞬だけ隙を晒す。
爆発的な脚力でその一瞬の隙で男との間を詰め、その腹部に銃を当てる。
「超接近戦はお好みかしら?」
引き金を引く、と同時に男が体を捻り、銃弾を避けると共に回転する刃が私を狙う。
首を逸らした直後、鋼の刃が虚空を切り裂く。避けた、と思ったが皮一枚ほど、首筋に傷。
そして追撃とばかりにさらにもう一刀、刃が縦に振られる。
「それは悪手ね」
頭上にかざした右手の銃でその刀身を受け止め。
「一本もらうわよ」
刃の腹に左の銃の銃口を付き付け、引き金を引く。
パキィィン
銃口から火花と共に撃ち出された弾丸が男が右手に持つ剣の刀身を砕く。
さらに剣が吹き飛ばされた反動で男の右手が弾かれる。
無防備になった男の右半身へさらに銃撃を出そうとし、左からの攻撃を止める。
男の左手の剣が振るわれ、それを右手の銃で止める。
予想通りの動き、そして残った左の銃で男を撃とうとし、フードの奥、男のその双眸と目が合う。
その金色の瞳を見た瞬間、体が硬直する。
男が態勢を右拳を振りかぶり、自身に向かって振り下ろして…………直後、その硬直が解ける。
「っく!!」
咄嗟に左の銃でそれを受け止め…………猛スピードの自動車と正面衝突でもしたかのような衝撃に、吹き飛ばされ、地面に一度バウンドし、十数メートル後方まで転がる。
「…………っく…………あああ!!!」
叫び、即座に立ち上がる。
痛い。全身がバラバラになりそうな痛み。けれどそれを歯を食いしばって堪える。
大丈夫…………この程度、昔に比べれば…………。
痛みに硬直する体を無理矢理動かし、両手の銃を構える。
銃口から放たれた銃弾、だが男は残った片方の剣でそれをあっさりと切り裂く。
だがそれでいい、銃弾ほどの速度の物体を斬ったとなれば、斬る側にしてもある程度の反動がある。特に自身の銃は特別威力の大きなものなので、斬る方もかなりの反動を感じているだろう。
その僅かな時間があれば…………十全に動けるまでに回復する。
「…………右手良し、左手良し、右足良し、左足良し、首良し、頭良し、胸部良し、腹部良し、腰部良し」
自身の体を一箇所ずつ確かめていく。そうして全てのダメージが抜け切っていることを確認し。
「遊びは終わりにしましょう」
一歩、たった一歩踏み出すだけで男との距離を零へと変え。
男が行動するよりも早く、銃のグリップごと拳を叩きつけ、男の顎を跳ね上げる。
僅か数センチに過ぎないが、体が浮くほどの衝撃に、男が仰け反る。
脳が揺れ、一秒にも満たない思考の停止時間が生まれる。
その一秒で私は、両手を交差させ、その銃口を男の心臓部に突きつけ…………。
撃つ、撃つ、撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ
両方のマガジンが空っぽになるまで撃ち尽くした弾丸が、全て男の体を貫き、男の体から血が噴出す。
どばどば体内から溢れ、廃墟の床を流れていくその血液の量は明らかに致死レベルだった。
「あっけないものね、メシアン」
そう言い残し、その死体から流れ出る血を指に僅かに付着させ、一舐めする。
そしてすぐさま顔を顰め、ぺっ、と唾と共に吐き出すと、不快そうにその場から立ち去ろうと歩き出す。
「不味い…………所詮、気狂いどもの血ね、苦くて飲めたものじゃないわ」
「だったら…………自分の血でも飲んでいろ、ヴァンパイア」
聞こえた声は、後ろから。
背後から………………死んだはずの男の声が、聞こえた。
そうして、次の瞬間。
ずぶり、と背後から自身の心臓を刃が貫いた。
* * *
妖精の森の出口を抜ける、と同時に雰囲気が一転する。
どこか張り詰めていた空気が霧散したのを感じたか、悠希が先ほどまでよりも肩の力を抜いている。
「さて、ここで解散なわけだが…………明日からも毎日異界に通ってもらうから」
「はい?」
目が点になった悠希、まあ分からなくも無いのだが…………。
「理由はまあ色々あるんだが、サマナーとして早急にある程度の実力を付けて欲しい、ってのが最大の理由だ」
本当はそれは二番目の理由だが、それを隠して続ける。
「悠希はヤタガラス所属のサマナーになった。と、なればヤタガラスから時折、仕事が回されてくることになる。例え今は素人同然でも関係ない。なるべく適材適所に割り振られているが、それでも最低限のレベルってのはあるんだ。だから悠希にはその最低限のレベルってのになってもらいたい」
「具体的には?」
「修験界十階到達が今の目標ってところだな」
「因みに今日俺がいたのは?」
「地下三階」
修験界は一番上の零階から始まり、地下九十九階まである。基本的に新人サマナーの合格基準と言われるのが地下三階。今日悠希がいたところだ。地下三階で十分に戦っていけるのなら、新人サマナーとしては合格基準と言われている。
「あれで三階…………マジかよ」
「むしろサマナー一日目で三階まで到達してるほうがおかしいんだがな。普通サマナーになって一日目ってのはどうやっても交じり合わない非日常に戸惑うもんなんだがな」
少なくとも俺は、アリスと契約してからサマナーとして戦うことに慣れるまで一週間以上はかかった。それでも早いほうなのだが。
「戸惑いはする…………けどさ、有栖がいたからな。俺一人ならもっと戸惑ってたかもな」
そんな悠希の返答が少しだけ、こそばゆくて。
「そっか…………」
そう短く返すことしかできなかった。
全く…………変わらないものだ。
悪魔と関わって、非日常に交わって、悠希が、俺の日常の象徴が変わってしまったらどうしようかと、思っていたが。
なんのことは無い…………結局、悠希は悠希だった。ただ、そのことに安心していた。
「帰るか」
「んだな」
入り口に駐輪していた自転車へと近づく。
しん、と静まり返った森。見渡す限り何も無い道。そこに二人分の足音だけが響く。
そして…………その時、ふとCOMPの中から聞こえてくる声。
有栖!!!
どこか焦ったような、アリスの声に。
「どうした?」
見渡す限り、何もいないその光景に安心しきって。
「どうした? 有栖」
隣に悠希がいると言うのに。
森を抜け、ここはもう安全だと思って。
油断していた。
アリスが、何を言いたかったのか。
それを知るのは直後のこと。
俺の心臓を…………一発の銃弾が貫いた瞬間の話だった。
「…………か…………は…………」
やばい、と心が脳が全身が警告を発する。
「有栖!!!」
悠希が驚愕に目を見開き、叫ぶ。
けれどこの体は、その声を聞きながらも崩れ落ちていく。
「………………らん…………た……ん…………」
唯一の回復魔法を持つランタンを召喚しようとするが、俺の指はぴくりとも動かず。
「……………………くそ…………が」
そうして、視界が暗転していき。
俺の意識は闇に閉ざされた。
主人公もヒロインも心臓貫かれたし…………これで完結でいいかな?