有栖とアリス   作:水代

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二週間執筆してなかったので、リハビリがてら書いてみた。
合計12000字。短編とはなんだったのだろうか。
14日にテスト終わって執筆始めたので、終わったのこんな時間になりましたが、バレンタイン特別編です。


IF編 有栖とバレンタイン

 

 * 共通ルート *

 

 

 ざわざわした人の声。

 学校の廊下を歩けば、廊下から教室からいつもと同じ、いやそれ以上にざわめく声。

 少しだけ眉をしかめ、けれど黙って歩き、廊下端にある教室までたどり着く。

 ガラリ、と教室を扉を開くとより一層大きくなって聞こえるざわめきに、また眉をしかめる。

 自身の席に鞄を下ろし、椅子に座る、と同時に二人の人間がこちらにやってくる。

「おはよ、有栖」

 一人は自身の幼馴染の少女、詩織。

「はよっす、有栖」

 もう一人もまた自身の幼馴染の少年、悠希。

 二人の姿に、ひそめた眉を緩めて挨拶を返す。

「ああ、おはよう…………しかし、今日は一段と騒がしいな」

 いつも三割増しざわついた教室を見てそんな言葉を零すと、悠希が何故か呆れたような表情でため息を吐く。

 まるでどうしようも無い、と言った様子で右手で顔を押さえて、諭すかのような声音で呟く。

「あのな、有栖…………今日が何の日か知ってるか?」

 その問いに数秒考え、二月十四日、と答える。

 それがどうかしたのか、と目で訴えてみると、今度は口に出して「どうしようも無いな」と呟く。

「あのな、二月十四日と言えば世間様ではバレンタインって言うんだよ」

 悠希のその言葉に、ようやく合点がいった。

「つまりチョコレートももらっただのもらってないだの、そんなアホみたいなことをみんな言ってるのかよ」

「アホみたいって…………あのなあ、お前だって去年もらっただろ…………ていうか、詩織が毎年くれてるだろ、少しはありがたいって思えよ」

 そう言われれば確かに去年、と言うか毎年もらっていることを思い出す。

「つってもなあ…………知ってるだろ、俺はこういう煩いのは嫌いなんだ」

 雑踏や喧騒と言った他人のせいで自分が不快になるのが最悪的に嫌いだ。

 もう前世からずっとなので、こればかりは性分だ。

「そりゃ知ってるが…………まあ今日ぐらいは我慢しろって」

 そう言ってもな、と内心の不機嫌を隠そうともしない俺を見て、詩織がくすりと笑う。

「悠希、無理だよ、だって有栖だもん」

「……………………まあ、そうか」

 そんな詩織の言った一言に、何故か同意する悠希。いや、待てどういうことだ。

 問いただそうとした途端に、教室のドアが開いて教師が入ってくる。

「おっと、もうホームルームが始まるな」

「戻らないとね」

 俺が何か言うよりも早く二人がそれぞれの席に戻っていき、教室のざわめきも教師の登場に収まっていく。

 一気に静まり返った教室。頬杖つきながらため息を一つ。

「やれやれ…………面倒くさい」

 

 バレンタインねえ…………。

 

 どうりで朝からアリスが楽しそうだと思った。

 

 あいつ、また詩織のチョコに期待してんだろうな。

 

 やれやれ、もう一度そう呟き。

 

 面倒くせえ。

 

 もう一度呟いた。

 

 

 

 

 * 詩織ルート *

 

 

「じゃあな」

 放課後。人もまばらになった教室。

 気だるそうに目を細め、荷物をまとめ、帰り支度を済ませた有栖がそう言って声をかけてくる。

「え、あ…………有栖!」

 思わず呼び止める、当たり前ではあるが、有栖が立ち止まり、どうした? と尋ねてくる。

 鞄の中に手が伸びる。そこに入れたものに手が触れ、けれどそこで止まる。

「…………………………えっと、その」

 言葉が出ない、手が動かない。どうしよう、どうしよう、としているうちに有栖が首を傾げ。

「用が無いなら帰るぞ?」

 有栖がそう言って教室を出て行く。今度は呼び止める言葉は出ず、その後ろ姿をただ見ていることしかできなかった。

「…………詩織」

 名前を呼ばれ、振り返ったそこにジト目の悠希がいた。

「毎年毎年、有栖だけじゃなく、俺にまで義理チョコくれるのはいいんだがさ…………」

 悠希が鞄に入れた私の手を掴み、引っ張る。手の中には一つのチョコレート。

 有栖や悠希に渡した義理チョコとは明らかに大きさの違う、それ。

 悠希がため息を吐き、私の頭に手を置く。

「毎年毎年有栖のために本命作って…………お前、いつ渡すんだよ」

 手の中のチョコを見る。悠希に言われた通り、有栖に渡すために毎年作って、けれど毎年渡しそびれたそれ。

「なあ詩織…………」

 少しだけ苦々しい表情で悠希が自身へ告げる。

 

「お前、このままじゃ…………有栖とられちまうぞ?」

 

 ずきん、と胸が痛む。想像するだけで嫌だ。

 だがこの一年で知った有栖の交友関係を考えれば、それもあり得ない話ではない。

 ずきん、ずきんと痛む胸を抑える。

 こみ上げる思いはたった一つだった。

 

 やだよ…………そんなの、絶対嫌だ。

 

 体を突き上げる衝動のままに走りだす。

 チョコレートの入った鞄を胸に抱え、放課後の廊下を走る。

 走って、走って、走って…………そうして、正門を出たところでようやく追いつく。

「有栖!!」

 張り上げた声は下校中の生徒たちの間を通り抜け、目的の人物へと届く。

「………………詩織?」

 立ち止まり、振り返る。そうして、有栖の顔を見た瞬間、唐突に熱が冷める。

 同時に湧き上がるのは…………恐怖。

 そう、怖いのだ。もし受け取ってもらえなかったら、そうしたらこの居心地の良い関係は崩れ去る。

 一緒にいられるこの時間が崩れ去ってしまうのだ。

 そう思ってしまったら、怖くて怖くて今までずっと尻込みしてきたのだ。

「どうした? やっぱ何か用だったのか?」

 有栖がそう尋ねてくる。その表情はどこか不思議そうで…………ああ、今まで自分の行動を考えればそれは当然だろう。

「あの…………その、ね」

 けれど自分は答えることができない。恐怖に心が苛まれ、チョコを渡す、その程度のことができないのだ。

 震える。どうして、なんで自分はこんなにも意気地がないのだろう、悠希に発破までかけてもらって、ここまで有栖を追いかけてきておいて、どうして最後の最後、こんな簡単なこともできないのだろう。

 それは悔しさだったのだろうか、涙すら出そうで。

 

 その時、ぽん、と頭の上に手を置かれた。

 

「どうした、詩織?」

 優しい声で、有栖がそう尋ねる。

 ああ、本当に、有栖も悠希もさすが長い付き合いだ…………行動が良く似ている。

 けれど、同じように手を当てられていても、やはり有栖は違うのだ。

 頭に熱が宿る。それはきっと有栖から伝わる温かさだろう。

 ふと思い出すのは悠希の一言。

 

 …………お前、いつ渡すんだよ

 

 本当に…………いつになったら私は彼にこの気持ちを渡すことができるのか。

 それは、今しかないだろう。今、この時しかないだろう。

 ここで勇気を出せなければ、きっと私は一生この気持ちを伝えることはできない。

 

 お前、このままじゃ…………有栖とられちまうぞ?

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!

 とられる、なんて私のものではないのだから、完全な言いがかり。

 だとしても、有栖が例え他の女の子を好きになるのだとしても。

 勝負すらさせてもらえずに負けるなんて、絶対に嫌だ。

 

 だったら、もう、今やるしかない。

 

 吹っ切れたように、自然と私の手は鞄からそれを出していた。

「あのね、有栖…………これ、受け取って欲しいの」

 私が差し出したそれを、有栖が目を丸くしながら見る。

「あのね、有栖…………私、有栖のことが」

 言おう、伝えてしまう、そう思った、その時。

「詩織」

 有栖がそれを止める。

 その人差し指を私の唇にあて。

「これは受け取っておく。けど、その続きはまだ聞けない」

 その言葉に、目の前が真っ暗になったような、世界が崩れ落ちたような錯覚を覚える。

 ああ、つまり…………これは。

 結論を出そうとした、その時。

「ああ、勘違いしてくれるなよ?」

 またも、有栖が結論を止める。

「まだ色々と面倒ごとがあってな…………けど、もうすぐそれも片付く予定だ、だから」

 だから?

 

「その時、その続き、聞かせてくれ…………今度は、止めないから」

 

 ぶるり、と身震いする。

 呼吸を忘れていた。

 けれども、こくり、こくり、となんとか頭を縦に振り…………。

 

「ちゃんと答えは用意しとく」

 

 最後に自身の耳元でそう呟き、有栖は去っていく。

 先ほどと同じように、けれど先ほどと違って、またしても自身はその背を見送ることしかできなかった。

 けれど、さすがに今度ばかりは追いかけることはできそうにない。

 すっかり力の抜けた体。ぺたん、と正門前に座り込み、呆然とする。

 

「お疲れ」

 

 そして、その後ろから悠希がやってくる。

 リアクションに困ったような苦笑いをしながら、私の肩をぽんぽん、と叩く。

 

「ようやく渡せたな。立てるか? 取り合えず今日は帰ろうぜ」

 

 悠希に手を貸してもらい、立ち上がる。

 未だ、思考が上手く働かないまま、悠希の後ろ姿を追いかけながらただついていく。

 

「…………きっとさ、変わらないと思う」

 

 帰り道の途中、悠希がふと言葉を漏らす。

 ようやく戻ってきた冷静さ。思考。さきほどのことをずっと頭の中で考えていた、ちょうどそんな時の悠希の言葉。

 

「今だから言えるけど…………もし、有栖が詩織を受け入れても、そうじゃなくても。きっと俺たちは変わらないと思う」

 

 だって、今までずっとそうだっただろ? 暗にそう問いかけてくる悠希。

 

「今更…………だよね」

「今だから、だよ」

 

 きっとそれはそうなのだろう。

 保障を得て動く、それはきっと大事なことなのだろうけれど。

 

 何の保障も無い時に動くからこそ、証明されることだってある。

 

 きっと、そういうことだ。

 だから今更であり、今だからなのだ。

 

「有栖は…………どうなんだろう」

 

 そんな自身の問いに、悠希はくすり、と笑う。

 

「さあね…………そんなのはお前ら二人で結論を出してくれ」

「ひどいなあ、幼馴染なのに」

「俺はさ、ナトリがチョコくれるのかどうか気になってそれどころじゃないんだ」

 

 互いに笑いあう。

 有栖が受け入れてくれるかどうか、それはわからない。

 

 けどきっと大丈夫。

 

 どういう結論になろうが、きっと変わらない。

 

 私と、有栖と、悠希と。

 

 きっと三人はずっと一緒で、ずっとこのままなのだから。

 

 だから…………大丈夫。

 

 そう信じて。

 

 私は笑った。

 

 

 まだ下校中の生徒もちらほらといる正門前でとんでもなく恥ずかしいことをしていたことに気づき、翌日思わず学校を休んでしまったことは…………まあ蛇足だろう。

 

 

 

 

 * 朔良ルート *

 

 

「さーくらちゃん」

 朝。いつもより騒がしい学校の廊下。教室に入って自分の席に着くと、すぐに友人の少女がやってくる。

 その手にあるのは何かの包み。首を傾げる私に友人が、はい、と言ってそれを渡してくる。

「何かしらこれ?」

 顔を上げて、友人を見ると何故か首を傾げられていた。

「何って、友チョコだよ?」

 友チョコ? チョコ…………チョコレート? あの甘いお菓子か、と記憶の中で思い起こす。けれど何故これを自身に渡すのだろうか?

 そんな自身の疑問が表情に出ていたのか、友人があれ? と言った顔をした後、はっ、と気づいたようになる。

「あーそっか…………もしかして朔良ちゃん、バレンタイン知らない?」

「バレンタイン?」

「そう、バレンタイン。乙女にあるまじきことだけど、でも朔良ちゃんそう言うのあんま興味なさそうだから知らないか」

「それくらい知ってるわよ…………セントバレンタインって西方教会のある地方の行事でしょ?」

 確かローマの史実を由来とした、男女の愛を誓う日だったと記憶している。

 そんな自身の答えに、けれど友人はため息を吐く。と言うか、バレンタインと乙女と何の関係があるのだろうか? そんな自身に疑問に答えるように、友人が口を開く。

「いや、元はそうかもしれないけど、っていうかそんな詳しいこと私も知らないけど、ていうかなんで朔良ちゃんってそんなこと知ってるのか、まあ色々言いたいことはあるけど、日本じゃ違うよ」

 はて、日本では違う? そう言えばバレンタイと言えば基本的に男性が女性に花を送るのが様式だったと記憶しているが、何故かざわついているのは女子生徒のほうで、机に上に並べられているのはラッピングされた…………あれはチョコレートだろうか?

「日本だとバレンタインは女の子が気になってる男の子にチョコを渡す日なんだよ」

「ふーん…………海外とは逆なのね」

「で…………朔良ちゃんは渡したりしないの?」

「何を?」

「だから、チョコ…………いるんでしょ? 好きな男子」

 友人がそう言った瞬間、ガタッ、と同じクラスの男子が数名ほど体を揺らしていたが、一体どうしたのだろうか?

 まあそれは置いておいて、何故知っているのだろうか?

「そりゃあ朔良ちゃんのことですから」

 問うてみると、そんな答えが返ってくることに多少恐ろしさを感じつつ。

「それにしても…………チョコレートねえ」

「チョコじゃなくて、マシュマロとか、お菓子みたいな甘いものならなんでもいいみたいだけどね、最近は」

 好きな人…………と言うか恋人は果たしてそう言ったものが好きなのだろうか?

 隣でバレンタイについて語っている友人を他所に、ふとそんなことを考えた。

 

「バレンタイン…………?」

「そう、バレンタイン。日本だと女が男にチョコ渡すんだって今日初めて聞いたけど、有栖は欲しい?」

 別に、と面倒臭そうに呟く自身の恋人に、まあそうよね、と返す。

「しかしバレンタインか…………だから朝から煩かったんだな」

「そう言うってことは、有栖はチョコレートをもらわなかったのね」

 ちょっとだけ意外、と言えば意外だった。あの幼馴染の少女はきっと有栖に送るのだろうと思っていたから。

「ああ、詩織のことか?」

 察しの良い恋人はすぐにそのことに気づいたらしい。

「毎年もらってたが、今年は…………まあ多分、気を使ったんだろうな。お前に」

「別に構わないのだけれどもね……………………私は有栖さえ傍にいてくれるのならそれで良いわ」

 まあ世に言うバレンタインも、けれど自分たちにはあまり縁の無い話らしい。

「なんと言うか…………お前はストレートだよな」

「別に他人に恥じるようなことじゃないもの」

「だからってなあ…………」

 くすり、と笑って有栖へ向き直る。

 全く、ひどい話だ。

 人形とまで呼ばれていた自身に、熱を与えたのは…………感情を灯したのは有栖でもある、と言うのに。

 だから、そんなひどい恋人に。

 少しだけ、悪戯してやろうと、思いつき。

 

「有栖」

 

 その名を呼ぶ。

 

「どうした?」

 

 名を呼ばれ、顔を上げた彼に。

 

「っ」

「!?」

 

 その手を引き寄せ、唇を重ねる。

 

 一秒、二秒、二人の影が重なっていたのはそんな短い時間。

 

 やがて二人の影が分かれて…………。

 

「…………チョコレートは無いけど、代わりに、ね」

 そう言って悪戯っぽく微笑む。。

「代わりに…………じゃねえよ、たく」

 いつも通りのぶっきらぼうに、けれど羞恥に赤くなった頬をこちらに見せないように顔を背けながら。

「たく…………」

 口では文句を言いながら、けれど決して自身の握る手を振りほどこうとはしない。

「甘いものなら代わりになるらしいわよ」

 だからこれである。甘いの意味が物理的か、精神的かの大きな違いはあるが。

「別に嫌とは言わねえよ…………ただあんま不意打ちするな」

 少しだけ嫌そうに、彼が言う。彼にしては少し珍しいその表情に、どうして? と尋ねる。

「……………………感情が抑えられなくなるだろ」

 顔を赤らめ、ぼそり、と言う彼のそんな言葉に、思わず胸が苦しくなる。

「…………あら、そうなの」

 それが嬉しくて、苦しくて。けれど、この苦しさは嫌じゃない。

 

 ねえ、有栖

 

 なんだよ

 

 愛してるわ

 

 ………………ああ、俺もだ

 

 なんだか今日は素直ね

 

 …………ヴァレンタインだから、だろ

 

 年に一度の男女が愛を誓うあう日、ね

 

 悪かないだろ、一年に一度くらい

 

 私は別に毎日でもいいのだけれどね

 

 バカヤロウ…………口から出せば軽くなるだろ

 

 案外ロマンチストね

 

 ………………かもな

 

 

 

 彼の言葉ではないが。

 

 こんな日も悪くない。

 

 

 

 

 * 和泉ルート *

 

 

 トントン、とまな板の上の具材を刻んでいく。

「~♪」

 軽快な音程の鼻歌を交えながら、水の入った鍋を火にかけ、刻んだ具材を入れていくと冷蔵庫を開ける。

「ん~…………卵、卵…………もう残り少ないわねえ」

 また買出しに行かないといけないわねえ、と愚痴りながら残り少ない卵と牛乳を取り出す。

 確かまだ食パンが残っていたはずだ、と戸棚を漁る。残り少なくなった小麦は虫が沸かないうちに食べないと、とかこの間買った乾燥わかめここにあったのか、とかそんなことを思っていると、目的の食パンを見つける。

「うん、ちょうど三枚…………フレンチトーストでもしましょうか」

 余った一枚は彼と同じ名前の彼女にでも食べてもらえばいいだろう。子供らしい外見だけあって、感性は子供そのものだ。きっと喜んで食べてくれるだろう。

 砂糖と牛乳、それから卵を混ぜ合わせたものにバニラオイルを数滴垂らしたものに食パンを浸す。

「あら? 牛乳が少し余ったわね」

 朝食に出すには少なく、けれどついでと言ってフレンチトーストに入れれるには多い中途半端な量。

 さて、どうしたものか、と考えて視線をやった先にはぐつぐつと煮える鍋。

「…………そうね、パンに味噌汁と言うもの変な話だし」

 鍋に牛乳を入れる。それから調味料置きにある固形ブイヨンを一つ、二つと落とし蓋をする。

 冷蔵庫の中の昨日の余り物を見て、後はこれらを出せばいいか、と思考する。

 

「よし、終わりね」

 フレンチトーストは食べる前に焼けばいいし、鍋はしばらく弱火で煮れば良い。

 と、なればこれでひとまず朝食を作るのは終了と言うことで良いだろう。

 エプロンを脱ぎ、キッチンの入り口に掛けておく。

 リビングの椅子に座り、ポッドの中にお湯が入っているのを確認して、コーヒーを淹れる。

 カップに入ったコーヒーに口をつけながら、テレビのリモコンを取り、スイッチを入れる。

 テレビに映ったニュースでは、ニュースキャスターが今日のニュースを読み上げている。

「並べて世はことも無し、と言ったところかしら」

 全く持って世の中は平和であり、これから惨劇が起こるなど思わせもしない。

 まあ別にこの先に惨劇が起こるなどと確定しているわけでもないのだが。

「職業病と言えるのかしら、こういうのって」

 あらゆる物事を悲観的に見てしまう。それは日常の裏に潜んだ悲劇を知っているからこそであり、だからこそ、このまま平和であり続けて欲しいと願う。

 と、そんなことを考えながらニュースを見ていると。

 

『それでは本日の特集です。バレンタインを迎えた今日二月十四日。お菓子業界はチョコレートの価格競争を…………』

 

 ふと流れたそんなニュース。

 聞きなれない言葉に、首を傾げる。

「バレンタインって何かしら?」

 バレンタインだと、チョコレートが安くなるらしい。タイムセールの一種のようなものだろうか?

 はて、昔どこかで聞いた覚えがあるような?

 首をかしげつつ、ニュースを見続け…………。

「ああ、思い出したわ」

 ようやく昔の記憶と結びつく。

 二、三年前に過去に自身が助けてきた少女からチョコレートをもらったことがあったが、その時に教えてもらった覚えがある。

「確か好きな人にチョコを送る日だって………………」

 

 ………………好きな人に?

 

 

『有栖くん、はい、バレンタインのチョコレート』

『ありがとう、和泉。愛してるぜ』

 

 

 ……………………。

 

 ………………………………。

 

 …………………………………………。

 

 

「…………無いわね」

 うんうん、と頷く。想像だとしてもこれは無い。

 多分、彼のことだからこう言うイベントごとは興味ないような気がする。

 まあ私には関係ないわね、そう思いテレビを消そうとして。

 

『日ごろお世話になっている人に、感謝の気持ちをこめて、チョコを送ってみてはどうでしょうか?』

 

 ちょうどそんなCMが流れる。バレンタインと言うだけあって、こんな早朝からご苦労なことだ。

 まあ、それはさておき。

「感謝……………………感謝ね」

 日ごろかどうかは知らないが、感謝。

 そう言う意味なら恐らく彼も受け取るだろう。きっと、そうか…………ありがとよ、などとぶっきらぼうな言い方をしながら。

 自身への懸想は流すくせに、好意はちゃんと受け取るのが彼だから。

 正直、感謝の気持ち、なんてレベルで表せるようなものじゃないのだが、それでも自身の感謝の万分の一でも彼に示せるなら、きっとそれは意味があることだろうから。

「そうとなったら、有栖くんが学校に行ってる間に買ってこようかしらね」

 まあその前に、二階に眠る彼と彼女を起こすのが先だろうが。

 

 

「さて…………何を作ろうかしら?」

 スーパーの袋に入った何種類ものチョコレートを見て思考する。

 と言っても、調理ならともかく、製菓などしたことが無いのであまり難しいものは無理だが。

 携帯を使って簡単なレシピを調べる。

「あら、単純にチョコレートだけじゃなくてもいいのね」

 チョコレート単体ではなく、チョコ菓子と言ったラインナップを見て独りごちる。

 その中でも簡単そうなものを一つ選び、レシピを開く。

「あら、これなら私でも作れそうね」

 牛乳、それにバニラオイル…………今朝使って買い足したものばかりだ。

 手早くレシピ通りに材料を揃え、調理していく。

 調理自体はそれほど手間もなく終わっていく。

「後はこれを冷やして終わりね」

 冷蔵庫へ今作ったばかりのソレを納め、ようやく一息。

 と、同時に苦笑が漏れる。

 

 これを渡したら一体彼はどんな顔をするのだろうか?

 きっとまずはストレートな意味で捉えて、面倒そうな表情をするのだろう。

 そうしたら感謝の気持ちだと言ってやるのだ、きっと自身の誤解に気づいて顔をしかめる。

 そうね…………そうしたら今度は不意打ち気味に愛でも囁いてみよう。

 きっと油断しているから、面白い反応が見れるはずだ。

 そう思ったら自然と笑いがこみ上げてくる。

 

「…………本当、夢みたいね」

 

 こんな楽しい日々が送れるだなんて、去年までならまず考えられなかったことだ。

 それもこれも、全部彼のお陰である。

「ありがとう、有栖くん」

 こんなんじゃダメだ、と思ってしまう。

 彼には感謝すべきことが多すぎるのに、この上まだ増え続けているのだ。

 もう自分は彼に一生頭が上がらないだろうな、と思う、と言うか、思っているし、現状すでに頭が上がらない。

 ああ、やっぱりこの程度じゃ感謝の気持ちの欠片にもならない。

 

「やっぱりキスでもしようかしら」

 

 目を閉じ、苦笑する。

 きっとまた苦々しい顔をしてくれるのだろう。

 全く、乙女の唇をなんだと思っているのか。

 

 それでも構わないと思っている自分は、きっともう心の底から彼に惚れてしまっているのだろう。

 

 この身も、心も、全て捧げてよいと思っていい程度には。

 

 ああ、やっぱり責任の一つでも取ってわないと。自分をここまで惚れさせたのだから。

 そんな戯言を頭の中で考えながら。

 

「有栖くん、早く帰ってこないかしら」

 

 ぽつり、そう呟いた。

 

 

 

 * アリスルート *

 

 

「…………アリス?」

 朝起きると、布団の上にアリスがまたがっていた。

「えへへー」

 こちらを見下ろして何故か嬉しそうに笑っていた。

 俺が起き上がろうとすると、すぐに抑えつけられる。

 さすがに悪魔の力に体を押し戻され、押し倒されたような体勢になる。

「アリス? えっと、どうした?」

 寝起きの頭がこんがらがって、上手く思考がまとまらない。

 と言うか一体朝から何なのだ?

 状況の推移を見守ることにする、まあアリスがまたじゃれてるだけだろう、そんな風に楽観視して俺は二度寝することにする。

 

「有栖」

 

 っと、名を呼ばれる、一体なんだ、と薄く目を開いた瞬間。

 

 ちゅっ、と唇に柔らかな感触。

 

 目を見開く。目と鼻の先、互いの顔が触れ合うほどの距離にあるアリスの顔。

 

 っと、直後、口の中に何かが押し込まれる。

 

 自身の舌が押し込まれたそれに触れた瞬間感じたのは苦味と甘味。

 

「ん!? んー!! んん!」

 

 無理矢理押し込まれたそれを、なんとか食べようと苦心し、ようやく飲み込む。

 

「けほっ、けほっ…………アリス、いきなりなんだ!?」

 

 さすがにここまでされて、楽観視はしていられない。強引にでもアリスを引き剥がす。

 さきほどまで悪魔の怪力で自身の抑えていたアリスだったが、あっけなく引き剥がすことができた。

 そして先ほど人を窒息で殺しかけたとは思えないほどの良い笑顔で、こう言う。

 

「えへへ、はっぴーばれんたいん、だよ? 有栖」

 

 は? と、そんな間抜けた声が口から漏れる。

 そうして、今しがた自身が口に入れられたものが、チョコレートだと言うことに気づく。

 それからバレンタインと言う言葉に、今日が二月十四日であることに気づく。

「バレンタイン…………そういや、もうそんな時期か」

 正直どうでもいいと思うのだが、と言うかアリスは一体どこでそんなものの存在を知ったのだろうか?

「お前どこでバレンタインなんて聞きつけたんだ?」

 そんな俺のジト目の問いに、アリスは笑いながら答える。と言うかいい加減布団の上から降りろ。

「あのねー、きのーいかいにいったときだよー」

「あの時か」

 

 遡ること一日。

 吉原の西の町、比良野の高層ビルに突如発生した異界。

 ビルの調査の依頼が仲介屋から回ってきたせいで、急遽向かうこととなった。

 調査で分かったのは、そこが夜魔リリスとその子供である夜魔リリムたちの異界であると言うこと。

 リリスと言えばレベル70の強力な悪魔だが、まあ()()()()()()()にとって見れば大した敵でも無い。

 と言っても絶対に討伐までは俺の仕事ではない。今回はあくまで調査だったので半ばで引き返してきたのだが…………。

 その途中、自然のものか、それとも罠だったのか分からないが、空間の歪みにより、アリスとはぐれると言うことがあった。

 まあアリスは元々高レベル悪魔で、あの異界内ではリリス以外では相手にもならないから大丈夫だし、俺もアリス以外の仲魔がまだCOMPにいたのでさして問題も無く合流できたのだが…………。

 

「はぐれる間に余計な知識拾ってきやがって…………」

 どうりで合流した時、妙な表情してると思った。今回のことを企んでいたのか。

「…………………………いや、待て」

 今更ながら、先ほど食わされたチョコレート。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 だって、俺の家にはチョコレートの買い置きなんて無かったはずなのに。

 そんなことを、考えた…………瞬間。

 

 どくん

 

 心臓の鼓動が強まる。

 頬が蒸気してくる。

 呼吸が荒くなり。

 自身の中である衝動が強くなる。

 

「おま……え…………さっきの…………チョコ……レート…………どこで、手に入れた…………?」

 

 途切れ途切れの言葉で、アリスに尋ねる。

 自身の中で暴れまわる衝動に必死で抗いながら、けれど視線はつい目の前の少女を見てしまう。

 自身のそんな様子とは裏腹にアリスは目を細め、笑いながら告げる。

 

「えー? ちょこれーと? あのねー、リリムとサキュバスがいっしょにつくってたのをくれたの」

 

 そらあかん、思わずそんな言葉が喉まででかかったが、あまりにも自分のキャラじゃなさ過ぎるのでなんとか留める。

「つうか…………なんてもの、食わせやがる…………」

 この疼きはそう言うことか。と言うか、なんでリリムとサキュバスがチョコレート作ってんだ。

 あとお前、くれたじゃなくて全員ぶち倒して奪ってきたの間違いだろ。

 つうか先ほどの話と合わせるとリリムとサキュバスが一緒になってバレンタインのチョコレート作ってたのかよ。何してんだお前ら、と言いたいが今正直それどころではない。

「アリ……ス…………起きるから…………もう、戻れ」

 必死に衝動を堪えながら、アリスにそう告げる、だがアリスは不満そうな表情で首を振る。

「やだ」

 端的に言葉を返し、再度俺の両手を抑え、そのまま倒れ掛かってくる。

 俺の両手を掴み、しなだれかかるようにして体を預けるその様は、まるで抱き合っているようであり…………。

「ねえ有栖…………なんだかからだがあついの」

 ふふ、と笑みを浮かべながらそう呟くアリス。その表情はどこか蠱惑的であり、自身の中の衝動が荒らぶる。

 そっとアリスの顔が降りてくる。その小さな口が俺の耳元でそっと囁く。

「ねえ…………しよ?」

 

 その言葉に、確信する。

 

 こいつ…………確信犯か!!

 

 だがもう遅い、致命的なまでに遅い。

 

 あのチョコレートを食べてしまった時点で、もう手遅れだったのだ。

 

 そんなこと、今更ながらに気づいて。

 

「この…………悪魔…………」

 

 呟く声に力は無く。

 

 内より弾ける衝動に。

 

 俺の理性は容易く溶かされていった。

 

 

 

 




一つ注意事項。これはあくまでIFであり、確定した未来ではありません。
作者の思いつきなど今後の展開次第ではこんなことにはならないかもしれませんし、なるかもしれません。
あくまでこう言う可能性の未来もある、と言うだけなので、本編とは切り離して考えてください。

え? アリスルートの続き? 見たいならR18で書くかもしれない。見たい?




おまけ 

 * 悠希と名取 *


「昨日バレンタインだったのに…………名取、チョコレートくれなかった」
 朝、学校に来た途端の親友の第一声がこれである。俺は一体、どんな顔をすればいいのだろう。
「もしかして俺、名取に嫌われてるのかな? 義理チョコすらくれないって…………」
 正直、知らん。と言いたいが、けっこう本気で落ち込んでいるのでフォローしてやることにする。
「あのな、悠希…………お前、忘れてるかもしれないけど、名取って日本人じゃない上に外国育ちだからな? 日本みたいなバレンタインの風習は無いんだよ」
 その言葉に目を見開き、呆然とする悠希。その考えに今まで至らなかったらしい。

 ふと携帯を取り出し、今朝届いたばかりのメールを開く。

『私は問う、今日一日待ってみたが何も送られなかった、私は悠希に好かれていないのだろうか』

 良く似た二人だ。
 最初はどうかと思ったが、案外仲良くやれているようで何より。
「そうだな…………お前のほうから何か渡してみたらどうだ? 花とかが主流だぜ?」
「でももうバレンタイン過ぎちまったぞ?」
「別に構いやしないだろ、お前らが良いなら。大事なのはお互いの気持ちだろ?」
「そうか…………そうだよな、よし、なら今日の帰りに名取に送ってみるわ」
 ああ、その意気だ。と悠希を励ましながら、携帯でメールを打つ。

『日本じゃバレンタインってのは女が男にチョコレートを送るんもんだ。今日にでも贈ってみたらどうだ? なに、一日くらい遅れたって悠希は気にしないだろ』

 送信して一分もしない内に返事が来る。

『私は感謝する。早速今日、悠希に送ってみることにする』

 苦笑する。
 とっとと付き合っちまえばいいのにな、こいつら。なんて思いながら。

 頑張れよ、内心で二人へ向けて呟き。

 そうして俺は、自身の席へと向かった。



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