というわけで四章スタート。
因みに現在スタックは17話。
有栖と新月
* 五月十一日土曜日 *
半ドンなどと言うものは今の時代存在しない過去の産物なので土曜日は学生にとっては休日だ。
一人暮らしの場合、家のこともあり遊んでばかりもいられないのが現状なのだが、先日下校のついでに商店街を回って帰ったので、今日は珍しくやることのない時間に余裕のある日だった。
と言っても、今日は日常的な意味での用事はないが、もう一つの意味で用事のある日だった。
「……………………臭うか?」
椅子に腰掛け、マグカップに並々と注がれたコーヒーに口つけながら、俺の正面に座るアリスに尋ねる。
ちらり、と視線をやるとアリスは自身のカップに注がれたココアの熱を冷まそうと、ふう、ふう、と息を吹きかけ少しだけ口をつけ。
「あちっ」
びくり、と肩を震わせカップから口を離す。
それからカップを机に置き。
「うん、においがするよ…………こんやぐらいにくるかな?」
机の上に置かれた牛乳パックを傾け、カップの中へと注いでいく。
そうして適温にまで冷めたココアに口をつけ、今度はそのままカップを傾ける。
こくん、こくん、と二口分ほどのココアを飲むと、両手で持ったカップを机の上に置きなおす。
時刻はすでに午後八時過ぎ。
「そう言えば…………お前と会ったのもちょうど、このくらいの時間だったな」
思い出す、両親の顔と、そして生まれて初めて出会った死神の顔。
そして直後に世界を超えて再開した目の前の少女。
思い出し、想い出し、
鮮烈な恐怖、不条理への憤怒を、生への渇望を。
それは予感だった。
「……………………行くぞ、アリス」
机の上に置き座りにされたカップが二つ。
「そうね、いきましょう? 有栖」
場所は知らない。
「果たしに行こうか」
けれど、きっと出会える…………そんな予感。
「復讐を」
* 五月十二日日曜日 *
「なんか悪いな、付き合ってもらって」
「私は返す、問題ない」
門倉悠希はその日、修験界へと赴いていた。
ここ一週間毎日のように来ているのだが、今日に限ってはその隣にいるのは自身の親友ではなく、銀色の少女だった。
悠希は未だ、修験界に一人で挑むには未熟であると判断され、毎日有栖が同伴していたのだが、昨日突然親友から電話がかかってきて、曰く今日は来れないから代理を送る、とのこと。
そうして誰が来るのか緊張しながら森を抜け神社にまでやってきた悠希を待っていたのは、あの夜に出会った銀色の少女、ナトリだった。
数時間ほど、修験界へと挑んだ後、そこから出てきた悠希の第一声にナトリが淡々とした口調で返す。
「しっかし、有栖のやつ今日はどうしたんだろうな? 昨日突然来れないって電話してきたんだが」
「私は聞いた。用事があると、故に今日は悠希に同行して欲しいと」
用事とは何だろう? そんなことを考えつつ、ふと尋ねる。
「そう言えば、ナトリはこの後どうするんだ?」
「私は答える。特に用事も無い、適当に時間を潰したら父さんのところへ戻るつもりだと」
そんなナトリの言葉に、悠希が息を飲む。そして、ぐっと手を握り、恐る恐ると言った様子で告げる。
「なら、さ…………一緒に飯食いに行かないか?」
「私は許諾する。構わない」
「ホントか? なら街まで出ようぜ、この間有栖と一緒に行ったところ店があるんだが、オススメだぜ?」
「兄様と?」
「ああ」
興味深い、と一人ごちナトリが微笑む。
可愛いな、なんて…………今までにも何度か女子に対して抱いてきた感想だったが。
けれど、今まで抱いて来たものと、どこか違う。
例えば、幼馴染の詩織。幼馴染の贔屓目を抜きにしても相当な美人だと思う。
小、中学校時代にも何人もの男子から告白されていたので、この評価も間違いではないだろう。
けれど…………詩織が笑ったからってこんな風にはならない。
こんなにも
もしかしたら、そうなのかな、とは思っていた。
ただ今までそう言った経験が無いから、戸惑っていたが。
門倉悠希は、葛葉名取に…………。
「私は尋ねる、悠希はどこか具合が悪い?」
思考に渦に飲まれていると、かけられた声に急速に引き上げられる。
どこか不思議そうな、それでいて少し心配そうな、そんなナトリに表情にはっとなってすぐに答える。
「なんでもない、ちょっと考え事してただけだから、どこも悪くない」
「私は安堵する、良かった」
そう言って笑うナトリに、心臓の鼓動が止まらなくて。うるさいくらいに跳ねる胸の鼓動に、笑ってしまう。
認めないわけにはいかないだろう。
門倉悠希は、葛葉名取に恋をしたのだ、と。
* * *
ぶらぶらと二人並んで歩く、それだけで視線が集中し、どこか居心地の悪さを感じる。
大本の視線の先であるはずの隣の少女は、けれどまるでそんな道行く人々の視線など眼中に無いようで、平然としたいつも通りの無表情だった。
はて…………一体何を話せばいいのだろうか?
さきほどからどうにも沈黙が続いてしまう。
よくよく考えればまだ会うのは二度目なのだから分かりきったことではあるが、知らないことが多すぎる。
共通の話題、と言われれば恐らく悪魔絡みな話なのだろうが、自身は有栖のように深くその世界を知っているわけでも無ければ、そもそもこんな大通りでする話でもない。
ずっと黙って歩いているだけで退屈していないだろうか、何か気の利いたことでも言えればいいのだが生憎自身はそれほど女性の扱いに慣れた性格はしていない。かと言って有栖のように、男女平等に区別もなく扱えるほど達観した精神性もしていない。
ぐるぐると空回る思考。何か言おうと唇だけが動き、けれど声は出ない。
そんな自身に対し、ふとナトリが立ち止まる。
「ど、どうかしたか?」
突然の行動に驚く自身を他所に、ナトリが半分閉じた眼で自身を見つめる。
じぃ、と見つめ、見つめ、見つめて…………やがて眼を閉じ、呟く。
「私は再度問う。悠希は調子が良くない?」
「い、いや、悪くないけど」
「私は疑問に思う。どうにも様子がおかしい」
「え、あ…………いや」
ナトリのことが好きだと自覚してしまったからドキドキが止まらない、なんて言えるはずもなく。
かと言ってこのまま押し黙ったままと言うのもバツが悪い。
「あーそう、えっと…………女子とこうして街中歩くのって慣れてなくてな、ちょっと緊張してるんだよ」
実際のところ間違ってもいない。
厳密には詩織とならあるが、詩織の場合、幼馴染なのでノーカウントだ。やはり親しさよりも気安さが優先されてしまう部分があるし、詩織もそれで別に構わないと思っている節があるので、あまり女の子、と言った風には見たことが無い。
初めて会った時も二人で並んで歩いたが、あの時は夜遅く、周囲に誰もいなかったので逆に人目を気にする必要も無かったので緊張することも無かった。
まあ人目があったら不味いようなことをするのかと言われればノーなのだが、それでも自身は他人にどう思われようが関係ない、などとナトリのような剛毅な性格もしていない。
まあナトリがそう思っているかどうかは知らないが、ともかく人目を気にした様子がないのも確かであり、だからこそ自身の言っている意味が良く分からないのか首を傾げる。
「私は首を傾げる。一体どういう意味か?」
「いや、だかさ…………えっと、ナトリみたいな可愛い子と一緒に歩いてるとなんか緊張しちゃうというか」
しどろもどろで、つい本音が漏れる。それに気づき、心臓が止まるかと思った、その時。
「可愛い…………私が?」
別の意味で心臓が止まるかと思った。
ナトリが、少しだけ眼を丸くし…………それから、ほんの僅かだったが。
その頬を染め、ふい、と顔を背ける。
よくよく思い出せば、さきほどの一言もいつもと話し方が違う。
それは、自身の初めて見た…………ナトリの人間らしさ。
生々しさ、とでも言えばいいのだろうか。
ナトリ自身、無表情ではあるが、無愛想と言うわけではない。
話かければ答えるし、多少の表情の変化も見せる。
だが、本心は見せない、頑なに心を隠し、本音を曝け出すことは無い。
たった二度会っただけで何が分かるのか、と言われるかもしれないが。
好きな人のことだから、だからこそ分かってしまう。これは違う、本心ではない、と。
だから、それは…………悠希の初めて見たナトリの本心からの表情だった。
「………………………………」
「………………………………」
互いに赤くなった顔を背ける。
より深くなった沈黙、歩き続けたどり着いた目的の軽食店。
え…………この状況で二人で飯食うの?
嬉しさより気まずさの勝ったこの状況で?
「…………………………私は尋ねる、入らないの?」
「…………………………あ、ああ」
だ、誰か…………助けてください。
思わず現実逃避気味にそんなことを考えていたから。
だから、見過ごしていた。
ナトリの表情に翳が差していたのを。
だから、聞き逃していた。
「あと二週間…………どこまで…………」
細めた目で呟いたその言葉を。
* 五月十三日月曜日 *
吉原市に魔人襲来。
守役葛葉朔良がそれを知ったのは、全てが終わってからであった。
突然呼び立てられやってきた葛葉キョウジの
そこで聞かされた話の内容に、呆然としてしまう。
「魔人…………冗談でしょ?」
冗談ではない、そう分かってはいても咄嗟に否定してしまう。
それほどまでに、その話は信じがたいものであった。
実際、魔人と出会うということ自体があり得ない、と言ってしまえるくらいの確率であり。
さらにその魔人が黙示録の四騎士の一体であるなど…………誰が予想できるだろうか。
かつて十四代目葛葉ライドウも戦ったと言う凶悪な魔人。
凶兆の象徴たる悪魔だ。
「なんでそんなものが…………いえ、それより被害は?」
魔人は不意に現れ、災いを撒き散らして去っていく。それを防ぐのは難しい。
何故ならそれそのものが災害のようなものでしかないからだ。
その出現は誰にも予測できず、不意に現れその強大な力で人を襲う。
守護者からすれば厄介極まり無い相手。
だが自身の嫌な想像とは裏腹に葛葉キョウジは首を振る。
「ゼロ、だ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
それほどまでに突拍子の無い答えだった。
「…………ゼロ? 一人もいないって言うの?」
「ああ、現場にいたサマナー一名が戦闘し、これを打ち破っている」
「………………………………………………ちょっと待って」
今度こそ、何を言われたのか理解できなかった。
打ち破る、とはどういう意味だっただろうか?
倒す、と言うことだったはずだ。
魔人を? 四騎士の一体を?
「どうやって…………?」
「知るか…………魔人の現れた地は一時的に異界化する。それはお前も知っているだろう?」
「そう…………まあ、そうよね」
魔人が現れるとその周囲一体は異界化する。
そうして魔人と魔人が定めた対象以外は隔離されるのだ。
その中では魔人と対象が対峙することになる。
故に外部からは中の状況が分からない。
となれば、聞くことなど後一つだけだろう。
「なら…………魔人を倒したサマナーって言うのは、誰?」
「ふん…………お前なら予想も付いてるだろ?」
魔人は今の自身が死力を振りつくしても勝てないだろう強敵。
それをたった独り、単独で撃破したとなれば、相当のサマナーだ。
だがそんなサマナーがこの近辺にいただろうか?
一番の心当たりは目の前の男だが、雰囲気から察するにどうやら違うらしい。
そうなるともうあと一人しか思いつかない。
そしてその答えを自身の勘が正しいと告げている。
「まさかとは思うけど…………有栖?」
自身のその問いに。
「ああ…………そうだ」
キョウジが頷き。
「そして、その日以降やつの姿を見たものがいない」
そう続けた。
「…………どういうこと?」
有栖はどうなったのか、それを問いただそうとして。
「十二日後…………その時までに精々力をつけておくんだな、
自身の言葉を上書きするかのように、キョウジが一方的に告げ、視線を落とす。
それはもうこれ以上問答をするつもりが無いと言う意思表示だった。
「……………………分かった、失礼するわ」
有栖はどうなったのだ、十二日後とは一体何のことだ、聞きたいことはある、だがもうこの男は答えないだろう。
だが一つ分かることは。
葛葉ライドウ候補、と自身を呼んだ。
つまり、自身の立場上、動かざるを得ないだろう事態が起こると言うこと。
「……………………っ」
思わず舌打ちし、さっと身を翻し、部屋を出て行く。
「……………………」
後にはじっとその背を見つめる葛葉キョウジだけが残された。
* ■月■日■曜日 *
腕にかかる僅かな重み。
何かが俺の腕を掴んでいる?
腕に伝わる温度は、けれど冷たい。
微睡む意識の中、自身の腕に触れるそれに視線を移す。
まず見えたのは金色。
それが髪だと気づき、自身の腕を掴んでいるソレが人の形をしていることを認識し。
「…………アリ……ス?」
ようやくその少女の名が浮かんでくる。
ああ、そうだ…………アリスだ。俺の相棒。俺の半身。俺の…………
そこで、目が覚めた。
「っ?!」
思い出す、思い出す、思い出す。
五月十一日土曜日。
あの日に起こったこと。
そうだ、そうだ、そうだ。
「ジョーカー…………」
俺はあの時。
騒乱絵札の怪物と出合い。
そして…………
そして…………?
「何があった…………?」
それから。
「ここは…………どこだ?」
疑問。
見覚えのない、けれど見覚えのある、そんな景色。
見渡す限りの都会の風景。連なるビル群。賑わう人々。途切れることなく道路に並ぶ車。
都会を絵に描いたようなその光景を、けれど俺は確かに知っていた。
それは一体、どこでだっただろうか?
見知らぬビルの屋上。そこから見下ろす景色に、既視感を覚えならも立ち上がる。
足元で眠るアリスを見、左腕につけたCOMPの存在を確認し、一安心する。
そう、その時、俺自身混乱していたのもあった。
突然の状況、けれど自身の手札が残っていたことによる安堵。
だからこそ、そいつに気づけなかった。
「…………………………動くな」
かけられた声。けれど俺は振り向かなかった…………否、振り向けなかった。
首筋に感じる痛み、そこに突きつけられた刃物らしきそれのせいで、下手に動くことすらできず、動きを止める。
「悪魔を連れているということは、召喚師………………貴様、
「げったー…………? なんだそりゃ?」
自身のその言葉に、けれど首筋に突きつけられた刃物がさらに押し込まれる。
「欠片を渡せ、そうすれば命は保障する」
「………………欠片って何のだよ、つうか、そもそも」
アリス、心の中でそう呟く。その呟きは、マグネタイトパスを通り、確かに足元の少女へと届く。
「お前誰だよ」
マハムドオン…………アリスの周囲へ陣のようなものが現れる。
「やっちまえ、アリス」
カラン、と音を立て、俺の首筋の痛みが消える。振り返ると、一人の男が膝をついていた。その脇には一振りの刀が転がっている。先ほど俺に突きつけられていたのはこれだろう。
男の外見を言うなら最大の特徴はその黒い外套だろう。時代錯誤とも取れるその外套、そしてその下に見えるのは学生服、腰に刀の鞘、太腿に拳銃のホルスターが吊るされている。
けれどそれ以上に気になったのは胸の辺りに巻かれたベルト、そしてそこに差し込まれた数本の管。
「葛葉の召喚師?」
「ほう…………
「だからなんだよ、ゲッターとか欠片とか、意味分かんねえよ」
マハムドオン、生命力を著しく低下させる魔法だが、それを受けても男はすぐ様立ち上がってくる。
転がった刀を拾い、握りなおす。
「では改めて、二十一代目葛葉雷堂が尋ねよう、貴様…………何者だ?」
鋭くぎらぎらとした視線で俺を射抜き、男はそう言った。