「葛葉…………ライドウ?」
男を見る、視る、観る。男は確かに言った…………二十一代目葛葉ライドウ、と。
「いつの間に二十一代目葛葉ライドウは決定されたんだよ」
そんな俺の言葉に男が眉をしかめる。だがしかめたいのはこちらである。二十一代目葛葉ライドウが襲名されたなどと言う話は聞いていない。そんなビッグニュースが出回らないはずが無い、何故なら葛葉ライドウとはその名単体ですでに抑止力なのだから。
葛葉最強、帝都の守護者……etc。
呼び方は色々あるが、全ての共通するのは強いと言うこと。
メシア教だろうがガイア教だろうが、それ以外だろうが関係ない。
ただそこにいるだけで抑止力となりうる、誰しもその存在を無視できない存在。
それこそが代々帝都の守護者に受け継がれる名、葛葉ライドウである。
つまり、誰もがその存在を注視しているのだ。誰もが次代葛葉ライドウには警戒を払っていたのだ。
だが今の今まで二十一代目などと言う話は知らなかった。
ありえない、キョウジなら理由があれば隠すかもしれないが、朔良が俺に隠す理由が無い。
と言うか俺の知る限り、選別があったことすら聞かない。
つまりどう考えても嘘なのである、二十一代目葛葉ライドウなどと言うのは。
だが、だがである…………ここで目の前の男が嘘を付くメリットが全く無いのだ。
可能性としてあり得るのはライドウの名を出すことによる示威くらいのもの、だが。それはあり得ないと言える。理由はいたって簡単、明瞭だ。
この男は掛け値なしに強い。
それが分かる、それが分かってしまう。自身の意思とは関係の無いところが原因で否応なしに強敵とばかり戦い続けてきたからこそ、わかってしまう。
戦えば死ぬ。勝てるか勝てないかは別として、間違いなく死ぬ。
これほどまでに強い人間が、ライドウの威を借りる、と言うのは少し考えにくい。
何か特別な理由があるのか、などと言うのも考えるが…………。
何よりも真っ直ぐとこちらを見つめてくるその瞳は、自信に満ちており、何も疚しいところなどは無い、と語っているようであり…………。
俺が見た限りでは、嘘ではない、と感じている。だが俺の知識はそれは嘘だ、と告げる。
「俺の知る限り二十一代目葛葉ライドウが襲名された、なんて話聞いたこと無いんだが。さて、じゃあアンタは一体何時それを襲名した?」
戯言を、と男が俺の疑問をばっさりと斬って捨てる。
「己が雷堂を襲名したのはすでに二年も前のこと…………知らぬ存ぜぬは通せぬ。それを問う貴様は何者だ? この帝都で何をしようとしている?」
刀をこちらに向け、男がギロリとした目つきで睨む。男の視線に射抜かれ、僅かに身が竦む。これでも修羅場には慣れているつもりだったが、その眼力には怯まされた。それだけで分かることがある。相手の男のほうが体内に蓄積された活性マグネタイトの量が桁違いに多い。
恐れたのではない、恐れさせられた。デビルサマナーである以上仲魔次第ではあるが、もしかすれば勝負にすらないかもしれない。
と言っても、そもそも戦う必要がないのだから、関係ないのだが。
「俺の名は有栖だ…………信じられないかもしれないが、魔人と戦ってたら事故に巻き込まれて気を失ってな、気づいたらここにいた」
そう答えると、男の眉間に皺が寄る。まあそうだろう、胡散臭すぎる内容であるし、そもそも魔人と戦っていたなど普通のサマナーなら信じない。
だが……………………。
「…………なるほど、理解した」
男は太刀を納めた。そのことに俺は目を見開く。
「信じたのか?」
「己を知らぬと言うその言葉に嘘は無いようだ。さらに魔人襲来の報などこの帝都で己の耳に入らぬわけがあるまいし…………何より先ほど回廊が繋がったのをこちらでも確認した。とすれば筋は通っている、その事故とやらで貴様が回廊を通ってきたのだとすれば、だがな」
「回廊…………なんだそれ?」
俺の言葉に、男が一瞬黙る…………が、すぐに口を開いて。
「アカラナ回廊…………ソレはそう呼ばれている」
そう、告げた。
* * *
アカラナ回廊。
ズルヴァーン教にて無限なる時間と称される神ズルワーン・アカラナの名を冠した
なるほど、その回廊を通ったと言うのなら、この不可思議な謎にも答えが出る。
つまり、ここは異世界なのだ。
平行世界と言ってもいいのかもしれない。
だから葛葉ライドウは葛葉雷堂であり、こちらの世界の葛葉雷堂はすでに二十一代目を襲名している。
襲名者は目の前の男。つまりそれだけの話であった。
だからこそ、分からないこともある。
「俺はその回廊に入った覚えがないぞ?」
「アカラナ回廊へ入る方法はいくつかある…………出口を選ばないのならば入り口と出口を繋げて無理矢理押し出せば良い。アカラナ回廊に距離などと言う概念は無意味だ。気を失ってその瞬間を見ていなかった、と考えれば辻褄も合う」
そう言われれば頷くしかない。気を失っている間のことなど誰にも分からないのだから。
「だが入る方法に比べ、回廊から出る方法は限られる、否、出口が限られている。ここはその一つ。時の宮代に繋がる場所だ」
「こんなビルの屋上が?」
「このビルは己の活動拠点だからな、監視の意味でも都合が良い」
なるほど、と俺は頷く。だいたいの話は飲み込めた、だとするなら…………。
「どうやったら俺は元の世界に帰ることができる?」
「ふむ………………天津金木と呼ばれる秘宝を使うことにより、再び回廊への道を開くことができる」
「…………天津金木? それはどこにある?」
「無い」
その言葉に、は? と間の抜けた声が漏れる。
「無いって、どういうことだよ」
「言葉のままだ…………正確にはもう無い」
眉目をひそめ、男に暗に続きを促すと、男が一つ頷き口を開く。
「大正の時代、まだ葛葉雷堂が十四代目だった頃の話だ。今の貴様と同じようにその頃にも一人の異世界人がやってきた。十四代目葛葉ライドウ、そうもう一つの世界のライドウだ。雷堂はライドウへ同じように天津金木を集めるように指示し、天津金木の力を使いライドウを術にて元の世界へと送り返した。その時、天津金木はライドウと共にもう一つの世界へと移送されていてな、以来戻ってくることは無い…………まあつまりそういう事だ」
どこかバツが悪そうな、それでいて呆れているような表情で男がそう言う。と言うか聞いた覚えがある。その話は…………十四代目の逸話の一つとして、異世界へと飛んだことがあると。そこで出会ったもう一つの世界のライドウの話。朔良から確かにそんな話を聞いた覚えが。
「………………他に何か方法は?」
「さあな…………少なくとも己には心当たりは無い」
そうか、そう呟きどうしたものかと考える、その直後、雷堂が言葉を紡ぐ。
「
「何?」
驚き、雷堂を見る。けれど雷堂はどこか難しい表情をして、こちらを見ていた。その表情の意味は今の俺には分かりそうには無いが、あまり良い感じはしない。
もしや、何か難のあることなのだろうか、だが今の俺には他に手がかりも無い。
続きを促すと、どこか躊躇った様子で男が口を開く。
「この地、神出雲のサツジンキと呼ばれる男。篠月天満…………やつなら世界を超える理の一つや二つ、持っていてもおかしくはない」
そうして告げられた名前、篠月天満と言う名に…………俺の思考が止まった。
* * *
篠月有栖。今更ながらそれが俺の前世での名前だった。
どこにでもいる普通の男。中庸な普通の人生を送り、二十の時にアリスと出会い、死んだ。
まあそれは今は置いておこう。問題はその家族だ。
物心付いた時には既に両親はいなかった。そう言う意味では来世のほうがマシなのかもしれない。
まあとにかく、親の顔と言うのは知らない、見たことも無かった。代わりに俺には一人の兄がいた。
親の代わりに俺を育て上げてくれたたった一人の家族。
その兄の名を篠月天満と言う。
曰く、サツジンキと呼ばれる男。
俺の知る兄は、いわゆる完璧だった。恐ろしいほどに人間として完成されていた。
何をやっても人並以上…………否、あらゆる人間を凌駕する。稀代の傑物、それが周囲の兄への評価であった。
曰く、シリアルキラー。
けれど、俺にとってはたった一人の家族であり、たった一人の肉親であり、たった一人の拠り所であった。
あの日、アリスに出会うまでは。
神出雲市の南端の町。その町にあるとある一軒家。
それが俺が生前住んでいた家、篠月家。
記憶の通りそのままに佇む一般的な家。その目の前で俺は立ち止まる、このチャイムを押して、俺は一体どんな顔で兄に会えばいいのだろうか?
篠月有栖は十年前に死んだと言うのに、この世界に篠月有栖はもう存在していないと言うのに。
今更どんな顔をして会えばいいのだろうか? そんな俺の戸惑いを嘲笑うかのように玄関の扉が開く。
そうして玄関から出てきた中肉中背の黒髪の男…………篠月天満は俺を見て、ニィ、と笑う。
「そんなところに突っ立ってないで、入ればいいだろ?」
そう俺に声をかけ、家の中へと入っていく。一瞬どうするか考えたが、ここで逃げてもどうにもならないと諦めて玄関へと足を進める。
「…………………………ただいま」
呟くその言葉に、けれどどこか違和感を感じながら。
「随分と…………面白いことになってるな、お前も…………俺も」
篠月家の玄関から伸びた廊下の真正面の居間、そこに篠月天満はいた。
居間の適当な椅子に腰掛けると、目の前の机へコーヒーの注がれたマグカップが置かれる。
「…………兄貴、俺は…………」
一体何を言おうとしたのか、自分でも良く分からない。けれど、何かを言いかけ、けれど何も言えないままに止める。
「構わないよ…………お前はお前の物語を始めた、それだけの話だ。だからこそ俺も俺の物語を
「…………なんだそりゃ」
相変わらず何を言っているのか良く分からない、がそれがどこか懐かしい。
それから天満…………兄が俺の左腕に巻かれたCOMPを見て笑う。
「スペルビア…………それにルクシリアか。随分と面白い仲魔を連れてるな。いや、俺の弟なら必然なのかもしれないが」
独り言のように呟いたそれは、けれど看過できない言葉があった。
「仲魔って…………やっぱり兄貴は、サマナーなのか?」
俺の問いに、けれど兄貴は笑うだけで何も答えない。
と、その時。
チリン、と音がして、トテトテとソイツが歩いてやってくる。
「…………やあお帰り、マオ」
ニャーオ、と一匹の猫がやってき、俺を一瞥した後兄の下へと向かう。
俺も覚えている、兄が昔どこからか拾ってきた猫、マオだ。
兄がマオの頭を数度撫でる、とマオは一つ鳴いてどこかへ走りだす。
「やれやれ…………こっちが珍しいと言ってももう十年以上なのに、あいつは」
独り呟き、やれやれ、と言った様子でそれを見ている兄。
頬杖突いて、少しだけその光景を懐かしむ。
ああそうだ…………俺も昔はここにいたのだ。そんなことを思いながら。
けれど、それは結局、昔の話だ。今の俺には、俺だけの今があって、今の兄には、兄だけの今がある。
楽しかった、嬉しかった、懐かしかった。
けれど、だから、でも、そうして。
「兄貴…………頼みがあるんだが」
縋ってばかりいられないのだ、いつまでも兄に背負ってもらってばかりいられないのだ。
だから、そろそろ自分の足で立とう。
こうして少し立ち止まって十分に休んだだろ?
だから戻ろう…………俺の世界に。
* * *
「世界を渡る方法はいくつかある」
片手に持った持ったソレを弄びながら、兄はそう言う。
「その中で最も現実的なものがアカラナ回廊だろうな…………有栖がこちらに来たのは確実にそれだろう」
けれどそれは今使うことはできない、だとすれば…………。
「最も非現実的で、けれど最も簡単な方法がある」
兄がそう言い、宙に投げたソレ…………台所から持ってきた包丁を手に納め…………その切っ先をこちらへ向ける。ただの包丁のはず、だがその刃先が僅かだが空間に刺さっている。
「理を崩し、空間を断ち切り、世界と世界を繋ぐ…………これができるのならいつでも、どこでも世界を移動できる。けれど普通は無理な方法だ」
当たり前である。そんなことできるのなら神にすら相当する。だが目の前の現実は変わらない。押し込んだ包丁の切っ先がずぶずぶと空間へと深く嵌っていく。
「常人には無理だろうな…………けれど、俺には可能だ」
何故?
「何故…………ねえ。それはお前の物語じゃない。それを知るのは俺の物語だ。だから、お前はお前の物語を再び始めるんだ」
俺の…………物語。
「そう、お前の生きる道、歩いてきた軌跡。それらが連なって一つの物語を紡ぐ。それはお前の生きた証となる。それこそが人の生きる意味となる」
よく分かんねえよ兄貴。
「そうか…………まあいいさ。精々頑張れ、俺に言えることがあるとするならそれだけだ」
ああ、頑張るさ…………負けられない理由もあるし、負けたくない事情もあるからな。
「そうだな………………最後に少しだけ言っておくか」
何を?
「人を救えるのは人だけだ…………神でもない、悪魔でもない。人だけが人を本当の意味で救うことができる。俺はそう信じている」
…………昔もそんなこと言ってたな。
「ああ、俺はお前をそう育ててきた。救える人を救えるように、助けたい人を助けることができるように」
…………ああ、そうだな、俺は兄貴に育てられてきた。
「だから、お前が救いたいと思える人を救え。そして同じだけお前も救ってもらえ…………それが人間のあり方と言うものだ」
…………覚えておく。
「ああ…………それと…………いや、これ以上は無粋か」
…………そう、か。
「そうだな…………」
兄貴…………。
「有栖…………」
じゃあな。
「またな」
一閃。
振り抜かれた刃。
虚空が割れる。
これが最後だ。俺は兄の顔を見て、それから互いに笑い合う。
正直、一体兄は何者なのか、とかその他にもいろいろと聞きたいことがあるのだが。
それは、俺の物語では無いらしいので。
なんとなく理解する。
「アリス」
俺の物語はきっと。
「有栖」
こいつと一緒に行く道を指すのだろう。
「「ただいま」」
そうして、俺は、元の世界への帰還を果たした。