「悠希………………?」
そう、その姿は確かに自身の親友たる少年であった。
けれど信じられなかったのは、その少年が従えている存在があったからだ。
門倉悠希は一般人のはずだった。そう、少なくとも二週間と少し前までは確かに一般人のはずだったのだ。
詩織と同じ、旅行先で悪魔絡みの事件に巻き込まれただけの、それだけのはずだったのだ。
自身の従える存在を詩織が見て取ったのに気づき、頬をかくその姿は、けれどいつも通りの彼であり。
「……………………悠希?」
結局、彼の名前を呟くことしかできず、彼もまた、何か言いかけようと自身の名を呼び。
「あー…………詩織、えっとだな…………」
けれど、何を言っていいのか、何と言えばいいのか分からず、口をつぐんだ。
詩織にとって悠希とは、有栖と同じ大切な大切な親友であり、有栖よりも前に仲良くなった幼馴染でもあり、先の事件で共に巻き込まれた一般人であるはずだった。
だからこそ、理解できなかった。彼が何故、悪魔を従えているのか。
それは知らないからである、
否、知らされなかったのだ。
これ以上自分の親友たちが深みにはまっていくのを見たくなかった有栖が。知らせることをしなかった。
だからこその驚きであり、それは有栖の配慮であるし、短慮なのかもしれない。
だがそれは無理も無いだろう、そもこんな状況になるとは、有栖自身思いもしなかったのだから。
そしてこんな状況にでもならなければ、悠希が召喚師になったと言う事実は永劫表にでなかったかもしれない。
かもしれないだけで、けれどきっといつかはこうなっていただろう。
結局、そう言う運命でしかないのだから。
カツン、と。足音が聞こえた。
詩織はびくり、と驚き足音のほうへと振り向く。
悠希は即座に銃を構え、いつでもジコクテンを動かせるように、身構える。
暗い闇の中からやがて、目視できる程度まで近づいてきたその人物を見て、二人が眉根を潜める。
「やあ、こんな良い夜に出会うなんて、なんて運命的だろうね」
聞こえた声に、それでようやく確信を持つ。
知っている相手だ。それほど詳しく知っているわけでは無いが、少なくとも何度かは出会っている相手だ。
以前と変わらない、キザったらしい口調でソイツはこちらにやってくる。
一歩、また一歩とこちらへと近づいてきて。
互いの距離が数メートル、と言ったところで足を止めた。
「こんばんわ、詩織さん」
ソイツ…………クラスメートだったはずの男子生徒、西野がいて。
「いや、それともこう言ったほうが良いかい? …………聖女様」
そう言った。
* * *
「こうして対峙するのはこれで三度目か」
一度目は引き分けた。
「そうだな…………もう二回もお前を逃したのか」
二度目は流れた。
「逃した? 勘違いするな、俺がお前たちを見逃したんだ」
そうして、三度目は…………。
「ほざけ、今度は逃がさん、ここで死んでいけ」
「寝ぼけるな、貴様こそここで死んでいけ」
今度は…………。
死闘である。
「アンズー、カーリー、クラマテング」
「ウリエル、スルト、モト」
SUMMON OK?
召喚主の呼び声に答え、召喚されるのは三対の悪魔。
一体はアンズー。バビロニア神話に登場する守護獣で、ライオンの頭を持った鷲の姿をした魔獣にして聖獣。
一体はカーリー。インド神話に登場する女神で、破壊神『シヴァ』の神妃でもある地母神。
一体はクラマテング。日本の英雄伝の中に登場する大天狗で、かの源義経に剣術を授けたとされる幻魔。
三体はキョウジを守るかのようにその傍に立ち、キョウジを囲む。
一体はウリエル。聖書に登場する熾天使で、その名は神の火、神の光を意味する大天使。
一体はスルト。北欧神話に登場する巨人で、黒の名を冠するムスペルたちの魔王。
一体はモト。ウガリット神話に登場する神で、死の名を持つ冥界そのものである死神。
三体が王の眼前に立ち、後はもう命令を待つだけだと、言わんばかりに王を振り返る。
キョウジが苦笑する。王が苦笑する。
そうして、その命は同時に発せられた。
「「殺せ」」
瞬間、互いが動き出し。
結界が大きく揺れた。
* * *
一体こいつは何を言っているのだろうか?
「聖…………女…………?」
詩織も同じ感想を抱いたのか、不思議そうに首を傾げる。
「ああ…………知らないのも無理は無い。今のキミは
ニィ、と口元を吊り上げ、西野が言葉を続ける。
「だが、知らないならそれで何も問題は無い。メシアの予言の聖女様、僕と共に来てもらいましょうか」
一歩、西野が足を進める。
良く分からない、だが危険だ、そう感じた。
そもそも、だ。こんな場所にいる時点で…………異界なんぞにいる時点で、まともであるはずがない。
だから、それは当然の選択だった。
「
自身の発した言葉と共に、ジコクテンが自身の前へと歩み出し、その刃を西野へ向ける。
自分へ向けられたその刃に、その時になって初めて西野がこちらへ
ぞくり、と背筋が凍った。
それは強いて言うなら本能的な恐怖。
言い換えれば、見ただけで分かるほど圧倒的な何かがそこにあった。
「………………………………何だい、キミ?」
たっぷりと沈黙を取り、やがて西野が紡いだ言葉がそれだった。
詩織へ向けるそれとは全く違う視線。
何の感情も入っていない、まるで道端に転がる石ころでも見つめているような、感慨も何も無い視線。
誰、ではなく、何、と聞いたのはこの男の中で、自身が正しく石ころと等価であるからだと理解させられる。
問いかけている…………だが、答えなど聞いていない。そう言った様子であり。
「まあいいか…………どの道、邪魔だ」
それが正しいと言わんばかりに、答えを聞くことも無く、一方的にそう告げ。
「グライ」
西野がかざした手から一瞬、黒い何かが見えたと思った瞬間。
「っが!!」
真上から押しつぶされるような感覚に、思わず膝を突く。
「悠希?!」
突然の自身の様子に、詩織が悲鳴染みた声を上げるが、それに答える余裕は俺には無かった。
「召喚師殿!」
自身がサマナーの様子に、ジコクテンが驚き、その元凶であるだろう西野へと向けた刃を振り上げ…………。
「邪魔だ…………グライバ!」
かざされたもう一方の手から、また黒い何かが一瞬放たれ、直後、ジコクテンが膝を突く。
良く見れば、薄く黒い膜のようなものが自身とジコクテンを覆っている。暗い暗い夜闇に紛れて気づくのに遅れたが、これが今自身を押さえつけている圧力の原因だろう。
だが問題は、だ。人間の自身ならともかく、悪魔であるはずのジコクテンすら抑え付けて動かさせないこの力。
ジコクテンは並の悪魔なら一蹴できるほどレベル不相応な力を持つ悪魔だ。そのジコクテンすら押さえ込めるほどの力を相手が持っていると言うことはつまり。
つまり、それはそのまま自身とヤツとの力の差を現していた。
勝てないかもしれない、脳裏にそんな可能性が過ぎる。
瞬間、決断は終っていた。
「キクリヒメ!!!」
SUMMON OK?
デジタル文字がCOMPに表記されると同時、COMPが一瞬光る。
光が収まると同時に現れたのは黒い肌の、赤い着物を着た女。
地母神キクリヒメ、自身の二体目の仲魔である。
「キクリヒメ、ブフーラ!」
召喚とほぼ同時に発せられた言葉に従い、キクリヒメが氷結魔法を西野へと向けて発する。
「っち、うざったい」
その行動に西野が面倒臭そうに自身へ向けていた手をキクリヒメへと向ける。
「これで沈め…………グラダイン」
ジコクテンを縫い付けたそれよりも、さらに爆発的なMAGを感じ取れる。その強大な力に、宙を浮いていたキクリヒメが一瞬で地面に
それは西野としてはただの優先順位だったのだろう。サマナーとは言えただの人間である自身よりも悪魔であるキクリヒメを優先して処理しようとした、それだけの話だったのだろう。
だが、こちらの読み通り、どうやらあの魔法はこちらへ腕をかざし続けないと持続しないらしい。
つまり、使役する側である悠希が動けるようになった、その意味は小さいようで大きい。
取った行動は簡単である。
即ち。
「詩織!!」
「えっ」
目の前で繰り広げられた光景に呆然としていた詩織の手を取り、走りだす…………西野とは逆の方向へと。
即ち、逃亡である。勝てないかもしれない、そう感じ取った瞬間、悠希の脳裏に浮かんだのは、有栖の言葉。
勝てないかもしれない相手と一々まともにぶつかるな、逃げたって良い、本腰を入れて戦うのは勝てる算段がついてからだ。
それこそが、悪魔や異能者と戦い生き残るためのコツ。
相手の情報を集め、対策を立て、終始戦闘の主導権を握る。それこそが、悪魔との戦いにおいて最も大切だ。
場当たり的に敵と戦って勝利するなど、よっぽどの強者か、もしくはどんな状況も想定して、いくつもの手を用意しているような用意周到な者しかできない。
そして情報を入手するのだって、知識が必要だ。相手が一体何をしているのか、何を企んでいるのか、その可能性を模索するための知識。そして情報が出揃うまで生き残るための知恵と力と仲魔。
残念ながら今自身にそんなものが無いことは、十二分に理解している。だから、逃げるのだ、敵う相手では無い、と。
最も、自身の力量と、他者の力量の差を曖昧ながらも理解し、そして不利と見た瞬間、即座に逃げ出せる。そんな決断を下せるサマナーと言うものは実は少ないのだが、悠希自身、サマナーのイメージが有栖で固定されているため、そんな事実には気づいていない。
「…………逃がさないよ、聖女様は置いていってもらおうか」
西野がそう呟き、かざした両手を戻し、さきほどよりもさらに莫大な量のMAGを練り始める。
やばい、本能がそう叫んだ。そして、自身の理性は自身でも驚くほど冷静に走りながら懐から取り出した球体を、地面に向かって叩きつけた。
ばふん、と言う音がし、白っぽい煙のようなものが球体を叩きつけた地面から発生する。
「何っ!?」
煙の向こうで、西野の声が聞こえる…………だが、追撃は無い。ならば、とCOMPを操作する。
仲魔をCOMP内に収容し、そして…………。
「走れ詩織! とにかく逃げるぞ!!」
「ま、待って…………悠希、速い」
息絶え絶えな詩織を、けれどそれでも無理矢理引っ張って走る。
またアレと出会っては今度は逃がしてもらえない。最初から全力で殺しに来る。それが分かっているから、もう出会わないように、走って、走って、走って。
たどり着いたのは、詩織の家から少し遠い場所にある、とある公園。
ふう、ふう、と息を荒くし呼吸を整える詩織に対し、悠希は息切れ一つしていない。
単純に言って、体内に貯蔵したMAGが身体を強化しているせいなのだが、そんなことを知らない詩織は。
「悠希、何時の間に、そんなに体力、つけたの…………?」
そう不思議がっていた。まあそれはさて置いて。
「これから…………どうすべきかな?」
考える。空を見上げれば紅い月が薄闇の空にぽっかりと浮かんでいる。
明らかな異常だ。ここはあの修験場と同じ、異界と言うやつなのだろう。
と、なればもうこの異界内のどこに悪魔が出てきてもおかしくない。戦闘能力の無い詩織を一人にはできないし、そもそも西野がいる、自分だけではアレは対処しきれない。自身の最強であるジコクテンを片腕で封じてしまう相手だ、勝てるか分からない、などと言ったがはっきり言って無理だろう。
だから足りない力を補うためにも、仲間がいる。それもできるだけ強い仲間が。
「…………有栖」
そうして、やはり最初に浮かぶのは有栖だった。サマナーとして初心者から抜け出してきた、と自分では思っている。そうして、だからこそ分かる、有栖の強さと言うものが。
実際、今の自分からすれば有栖も有栖の仲魔も化け物染みている。どうやってあれほどの仲魔を揃えてたのだ、と思うほどに。それに、有栖は自身よりもよほどこう言った荒事に対する経験が豊富だ。自身はともかく高レベルの悪魔や異能者と戦った経験がゼロに等しい。その経験の差は大きいだろう。
だが、問題は…………有栖が今どこにいるのか、と言うことだ。
実を言えば。
二週間ほど有栖と連絡が取れなくなっている。
二週間ほど前に有栖から今日は一緒に異界に行けない、とそう連絡があったその日からずっと、有栖との連絡が取れなくなっていた。
「さて……………………本当にどうしたもんかな」
考え、考え、考え。
その時。
「私は呟く、見つけた」
声が聞こえた。ここ二週間、ずっと聞いていた声。二週間前はちょっと気まずい雰囲気になったが、それ以降はずっと仲良く(多分)やってきた少女の声。
「……………………ナトリ?」
肩から腰へと流れるような長い長い、透き通った銀糸の髪。
何時見ても着ている真っ黒なゴシック調のドレス。
月の光を受けてなのか、それとも元々だったのか、僅かに赤みを帯びた両の瞳。
いつもと違う、その右手に持った鋭いナイフ。
葛葉ナトリがそこにいた。