* ?月??日?曜日 *
いつかも感じたような、二つに分かれていたものが一つに引っ付いたような、そんな感覚。
上下を揺さぶるような、分かたれた体が元に戻っていくような、そんな不思議な感覚。
そして直後、足の裏に感じるしっかりとした感覚。
地に足が着いていることを理解すると同時に、周囲を見渡す。
「………………ここ、どこかで」
朝焼けが差す緑に囲まれた山の奥、と言った感じの場所。先ほどまで真夜中だったのに、時間を跳んだのだと言うことをさすがに実感させられる。
さらに見渡すと、遠くのほうに民家らしき建物がぽつりぽつりと見えることから、人里離れた場所、と言うわけでも無いらしい。
がさり、と一歩踏み出せば地面に落ちた葉を踏みつけ音を立てる。
さて、一体ここはどこだろう?
そんな疑問を抱く、と瞬間。
「…………在月有栖」
名を呼ばれる。
咄嗟に地を蹴る。聞こえた声は背後から、だから正面に飛び、そして即座に振り返り…………。
そこに黒い猫がいた。
「……………………猫?」
黒猫がこちらをじっと見つめたまま動かない。まさかこの猫が今俺の名を呼んだと言うのだろうか。
そんな馬鹿な、なんて…………言えたら楽なのだろうが。
知っている、俺は知っている。言葉を話す猫の存在を。そう言ったものが存在する場所を。
「業斗童子…………そうか、ここは…………」
葛葉の里か。
呟いた声に、猫が目を細めた。
* * *
ついて来い。黒猫はその一言と共に、反転し歩き出す。
理由も告げないまま、唐突なことだったが、それでも俺はついていく。少なくとも、業斗童子は敵ではない。
それに聞きたいこともあった。
今が一体何年何月何日なのか。
アカラナ回廊を通ったことにより時間移動しているのは確実。
そしてあの炎の言によれば、ここは過去であるらしい。
だとすれば、一体どれほど時間を遡ったのか、それを知りたい。
山の中をしばらく歩いて、たどり着いたのは里から少し離れた場所にある一軒家。
瓦ではない、茅葺き屋根と言う現代に似つかわしくない様式のその家は、まるでタイムスリップして遥か昔に迷い込んでしまったかのような錯覚すら覚えさせられる。
いや、タイムスリップしたのは事実なのだが。
道中に会話は無かった、そもそも会話する気が無いのか、口を閉ざしたまま開かない黒猫に何を聞いても無駄だと悟ったのだ。
そもそも業斗童子が何故あんなところにいたのか、そしてついて来い、とは言ったどういうことなのか。
聞きたいことなどいくらでもあるが、それも答える気が無いのでは結局、黙ってついていくしか選択は無かった。
家の中はやはり現代とは思えないほどに古びていた。木ではなく土が敷き詰められた土間に、同じく土を使った壁。本当にここは現代なのだろうか、いや、そもそも過去に行く、とだけ言われただけであってあの炎は今から行く先が現代であるとは言わなかった。もしや本当に百年単位で逆行してしまったのか。
だが先ほど俺の名を呼んだこの業斗は少なくとも俺のことを知っているらしい。
俺が葛葉の里に来たのは、十一だったか二だったの頃にキョウジに連れられて来た一度だけである。
つまり、俺のことを知っている以上、それ以降だと思う…………否、思いたい。
土間をとてとてと歩き、居間との境となる段差をひょいと飛び越えた黒猫が、居間に設置された囲炉裏の傍に寄って行き、置かれた座布団に乗っかってようやく足を止める。
その様子を見ていた俺に、くいくい、と首を動かす。どうやら反対側にある座布団に座れと言うことらしい。
あまりにも違いすぎる生活様式に戸惑いながらも、土間で靴を脱いで居間へと上がる。
囲炉裏には火が点されており周囲を暖めているが、正直熱いとは思わなかった。どうやら山の中だけあってか、それとも単に季節が違うのか、中々冷える場所らしい。
座布団に腰を落ち着けると同時、こちらを見つめていた業斗が喉を震わせる。
「在月有栖」
そうして、俺の名を呼ぶ。
「預かり物だ」
端的な、言ってしまえば言葉足らずな言い方。
けれど目の前の黒猫はそんなことお構いなしに視線を反らす…………俺の後ろに。
視線を追って振り返る。と、同時に黒猫が呟く。
「棚の右の最上段の箱だ」
取って来い、と言うことらしい。立ち上がり、言われた通り、後ろにある大きな棚の右側の最上段を開く。
そこにある箱を見た瞬間、とくん、と心臓が跳ねた。
「……………………………………開いても、いいのか?」
振り返り、確認すれば猫がこくん、と頷く。
手が震える、何かが
この箱の中に。
そんな予感めいたものがあった。
箱を封ずる紐を解き、震える手でそっと箱を開く。
「!!!」
『!!!』
驚愕したのは俺、そして…………COMPの中に戻っていたアリス。
開いた瞬間、箱からあふれ出した気配に、思わず体が震える。
中に入っていたのは…………短い杖のような何か。
禍々しい、けれどどこか心地よい気配を放つ短杖。
「な…………んだよ…………これ…………」
そんな俺の疑問に、黒猫がそっと口を開く。
「死気の杖…………そう呼ばれている」
それが何なのか、ほとんど本能的に理解していた。
「アリス」
「「はーい」」
呟いた声に、返って来た声は…………
名を呼ぶと共に、少女が現れる。
その姿は…………二つ。
アリスが…………二人。
「あら…………?」
「ふふふ」
鏡写しのように現れた二人の少女。
お互いの顔を見合わせ、そうして微笑む。
「こんにちわ、
「ええ、こんにちわ、
斯くして、少女と少女は出会う。
* * *
アリスと言う悪魔について、以前少しだけ語ったことがあるかと思う。
アリスは元は人間の少女だった。だが幼くして死んだ少女を二体の悪魔が彼女を復活させた。
簡単に言えばそう言う存在だ。
だが人間が悪魔になるということはそう簡単なことではない。特に元がただの少女でありアリスは悪魔の体に耐えられず魂が四散。それは時空を超え、あらゆる世界へと散っていった。
そうして散った魂の一つが俺の仲魔であるアリスであり、そして目の前のいる少女でもある。
つまりはそう言うことである。
「ふふ」
「ふふふ」
互いを見て笑いあう少女たち。寸分違わず瓜二つなその二人に、どこか不気味なものすら感じる。
「ねえ、今は楽しい?」
そうして少女が…………俺の仲魔ではないほうのアリスが、俺の仲魔のアリスにそう尋ねる。
「ええ、とっても」
嬉しそうに、楽しそうに答えるアリスに、少女がどこか羨ましそうに指を咥える。
そんな少女に、アリスが告げる。
「いっしょにいきましょ? ねえ、私」
そう告げ、手を差し出すアリスに、少女が少し戸惑い…………やがて笑う。
「そう…………そうね、私も連れて行って、私」
そう言って、アリスの手を取った…………瞬間。
ふっと、アリスが消えた。
正確には俺の仲魔ではないほうのアリスが。
視線を残ったアリスにやる。自身の胸に手を当て、目を閉じている少女が何を考えているのか、俺には分からない。
分からないが…………。
「いきましょう? さまなー」
そう言って笑うアリスに、どことなく安堵している自分がいた。
* * *
魔人 アリス
LV85 HP930/930 MP730/730
力78 魔96 体60 速73 運88
耐性:火炎、氷結、電撃、衝撃
吸収:呪殺
エナジードレイン 死んでくれる? ネクロマ メギドラ
メギドラオン マハムドオン コンセントレイト 食いしばり
備考:ファイの時報
「なんじゃこりゃ」
預かり物、とやらをもらい、もう一人のアリスと出会ってから一時間ほど後のこと。
業斗童子は目の前の起きたことに何も言わず。
「しばしここで待て」
とだけ告げて去っていった。さて、どうするか、と考えながら何気なくCOMPを弄っていると、アリスの召喚に必要なMAGコストが高くなっていることに気付き、アナライズしてみた結果…………これである。
以前の情報が更新されているので、比較はできないが、レベルが少し上がっている。全体的にステータスも伸びている。それから耐性にも変化がある。特に、弱点が全て消えて、さらに弱点であったはずの火炎が耐性に変わっているのは大きい。
さらにスキルも一部変化している。
特に。
「ファイの時報?」
見たことも聞いたことも無いスキルである。いや、そもそも備考って何だとか、これ本当にスキルなのか、とか言いたいことはあるが。
「…………これ、もしかして」
あの時、アリスの片方が消えた。それも俺の仲魔のアリスに触れて、だ。
アリスと言う存在の始まりを考えるにあれはどう考えても。
「吸収した…………いや、統合した、と言うことか?」
元は同じ魂なのだ、統合しても何もおかしなことではないかもしれない。そもそも魂がバラバラになるということ自体が不可思議なのだが。
しかし無数に分裂したアリスの魂を一つ吸収しただけで、ここまで変わるのか。
もし他多数の魂を統合すれば…………もしかすれば。
「ジョーカーにも勝てる…………か?」
正直な話。
過去にまで逃げてきておきながら、俺はまだあのジョーカーへの対処法を見つけれていない。
その手がかりすらも、だ。
あの圧倒的なまでの暴威にどうやって立ち向かえばいいのか、まるで分からない。
こちらの切り札であるジャアクフロストですらあっさりと倒されそうな気配がある。
だから、これは可能性である。
「…………だが、賭けてみるだけの価値はある」
問題は俺にあとどれだけの時間が残されているか、だが。
* * *
「よお」
ともすると、馴れ馴れしいとすら思われるような気軽さで、声を上げた少年を見やる。
業斗が出て行ってから数時間。いい加減退屈していた俺が様子を見ようと居間を立った時、少年はやってきた。
一見すると少女とも見間違うばかりの長く白い髪を靡かせながら、今時珍しいとさえ言える、黄緑色の着物を着た少年が何の迷いも無く、この家の敷居を跨ぐと居間へと上がってきた。
「久々だな、恩人」
恩人、と俺を呼ぶ少年の言葉に、ようやく目の前の少年が誰か、理解する。
「…………ああ、お前だったのか。春壱」
俺の言葉に、にぃ、と少年が笑う。
葛葉春壱。
かつての葛葉朔良の守護対象であり。
初めて葛葉の里に来た時に、異界化に巻き込まれ、俺が助けた。
葛葉宗家の少年である。
「どうしてここに?」
「業斗に連れられてな」
そう言って視線を向けた先には先ほどの黒猫の姿。
悠々と座布団の上で丸くなって眠るその姿は猫そのものだが、けれどその中身が別物であることを俺は知っている。
そもそも、業斗童子とは何なのか、と言う話になるので大幅に割愛するが。
業斗童子とは“罪を犯しその償いのために死後も葛葉に仕える元葛葉の里の人間”の総称である。
目の前のくつろいでいる猫は、見た目どおりの猫であるが、その中身…………魂は人間のものである。
故に異能者に対してだけではあるが、言葉を交わすこともできるし、人間のように考えて動くこともできる。
その業斗が彼をここに連れてきた、と言うことはそれ相応の理由があったということであり。
「それで、逆に問いたいんだが…………なんでここにいるんだ?」
無断で葛葉の里に入った俺に対する事情聴取をするためだと、今になって気付いた。
「――――と、まあそう言うわけだ。別にここに来ようと思ってきたわけじゃない」
今までの経緯を簡単にだが説明する。勿論、未来で何が起こったか、と言うのは詳しくは語らない。うっかり流出して情報が漏れればどんな影響があるか分からないからだ。
あくまで話せる部分だけ、ではあるが、面倒くさがりながら聡明な少年だ、凡その事情を察したのか一つ頷く。
「あい分かった、そう言う事情ならまあ良いだろう。そもそも葛葉キョウジが一度は無断で連れてきてしまっているしな。一度来てしまった以上、もう一度も対して変わらんだろうさ」
そう言って寛容に笑う少年にほっとする。
葛葉の里と言うのは存外排他的である。元々排斥された集団と言うだけあって、余所者にやや厳しい部分がある。
と同時に、葛葉宗家と分家の力が強く、両家が是と言えば里全体が何事も是とする傾向にある。
だからこそ、宗家の人間である少年がそう言ってくれたのは安心材料であった。
「ああ、それと一つ尋ねたいことがあるんだが」
そんな自身に前置きに、なんだ? と首を傾げ。
「今日は何月何日だ?」
「は…………? 何を言って…………って、アカラナ回廊を通ったんだったな」
自身の質問の意図にすぐに気付いたのか、春壱が一つ頷き。
「五月十一日だよ」
その答えに、頭の中で思考を巡らせる。
俺が異世界へ飛ぶ日か。つまりそれは魔人と戦闘する日であり、初めてジョーカーと接敵する日でもある。
異世界から帰ってくるまでの空白の二週間、それが俺に与えられた時間。
数秒考え、そうして口を開く。
「春壱、頼みがあるんだが」
「ん、なんだ? 恩人、言ってみろ」
春壱は元々宗家と言っても端っこのほうの、いわゆる爪弾きにあっていた人間だった。
朔良と同じ、里の中にあって、余り物のような扱いを受けていた人間だ。
だが最近はそうでも無くなってきているとこっちにやってきた朔良から聞いている。
だからこそ、ダメで元々、と言った程度でも頼んでみる価値はあった。
「あのな――――――――」