* 五月十一日土曜日 *
――――――――悪魔を召喚できる場を貸してくれ。
そう頼んだ俺の言葉に、二つ返事で承諾を返した春壱が貸してくれたのが。
「まさか、異界一つとはなあ」
葛葉の里で管理されている異界の一つだった。
異界丸々一つ、貸し出すとは、さすが葛葉としか言いようが無い。
ここまで剛毅なことができるのは、日本では他にヤタガラスくらいだろう。
さて、やることは至って単純だ。
先ほども言った通り、悪魔を召喚する。
いつかの旅行の時もやったことだが、召喚陣自体は悪魔全書と言うCOMPのソフトウェアの中に入っている。
だから必要なのは、媒体とマグネタイトだけだ。
そして俺の召喚する悪魔にとって、恐らく媒体なり得るだろうものはすでに持っている。
「アリス、頼んだ」
何を隠そう、目の前の
俺には目的がある。
あの怪物、ジョーカーに勝つと言う目的が。
そしてそのために見つけたのが、異世界中に散ったアリスの魂の統合、と言う方法。
本来悪魔が活性マグの取得以外でその強さを増すことは滅多に無い。
何故なら世界ごとにおける悪魔の強さと言うのは、基準がある。どんな悪魔も、同じ悪魔であるならば現界する際の強さは常に一定となる。それはその世界での環境や、悪魔の言われの多さなどに比例すると言われている。
だから滅多なことでは、悪魔の強さとは簡単に変わらない。強いて言うならば変異させるくらいだが。アリスは例外だ。
何せ元の強さを割った状態が現状なのだ、だからこそ、魂を統合することは、変異するので、突如強くなるのでもない。
だがそのためには、異世界中に飛び散ったアリスの魂を見つけ出す必要がある。
アカラナ回廊を使えばそれも叶うかもしれない。ズルワーン・アカラナの名を冠するあの回廊は時間だけでなく、空間を超越し、平行世界にまでアクセスが可能となる。
だが今の俺にはあの回廊に接続するために方法が無い。あの不可思議な棒は気づけば消え去っていた。
あれが何なのかは分からない、だが大よその察しはついている。
それはともかく、他の方法を知らない以上、これは無理だろうと思っている。
だがだからと言って諦めるわけにはいかない。
だからこそ、俺はもう一つの方法を探り当てる。
それがこれから行う召喚である。
――――アリスを悪魔と化した悪魔に直接聞く。
名前はすでに分かっている。
魔王ベリアル…………アリス曰くの赤おじさん。
堕天使ネビロス…………アリス曰くの黒おじさん。
このどちらかを呼び出し、そしてアリスの魂について聞く。
そのために召喚陣はすでに作成してあるし、その媒体としてアリスを使う。
アリスと縁故のある悪魔と言えば最早その二体しか無いだろう。余計なものを引き当てにくい上に、どちらが来ても目的は達成できる。
「アリス、行くぞ、準備はいいか?」
「だいじょーぶ」
アリスが召喚陣の傍に立ち、それから、そっと口を開く。
「
短く、端的な言葉。
それでも、言葉自体に意味は無くとも、呼びかけた、と言う事実は残る。
それに反応して、召喚陣が鈍く輝く。
ごご、ごごごご、と低い地響きのような音を立てながら、召喚陣の中央から何かが現れる。
それはまるで爬虫類のような異形だった。
三叉矛を手に持ち、その全身は橙がかった赤の鱗に包まれている。
「我が名はベリアル、我を呼ぶ者は誰ぞ」
すっと、足を一歩踏み出した、それだけのはずなのに、ずどん、とと言う重低音が響く。
これが…………魔王。その威容に驚きはするが、けれど以前であった時は、今以上の凄みがあったため、萎縮はしなかった。
けれど、ベリアルのその視線を俺を認める。瞬間細められた目に、ごくり、と喉がなった。
けれど、自身の傍に立った少女へと視線が向くと…………その雰囲気が一変する。
「おお…………アリス」
少女、アリスの姿を認めると同時、その異形の顔が傍目からも分かるくらいに、破顔した。
「ふふ…………またあったわね、赤おじさん」
一方の少女、アリスはいつもの調子を崩さず、笑う。
「また出会えるとはな…………先日にあのような別れをしたから心配していたのだぞ」
再びアリスに会いに行くために、新しく分霊を用意しようとしいたのだぞ、と言うその言葉を聞いて、思わず俺の頬が引きつる。
こんな超高レベル悪魔の分霊が帝都にやってくれば大事間違い無しである。先に召喚しておいて良かった、と内心で呟いた。
「さあ、おじさんと一緒に帰ろう。黒おじさんも待っている」
そう言って手を差し伸べるベリアルに、アリスは。
「だーめ」
そう言ってあっさりと切って捨てた。
「どうして?」
「ふふ、だってさまなーが…………有栖がいるもの」
その言葉に、ベリアルがぎろり、とこちらを見つめる。
見つめて、見つめて…………その目を大きく開かれていく。非常に分かりやすく驚愕していた。
どうして? そんな自身の内心の問いを他所にベリアルが何かを呟く。
「…………まさか…………はずが…………もしや……………………の…………」
やがて言葉を止め、こちらを見つめるベリアル。
実際に、ベリアルと対峙するのはこれで二度目である。
一度目は以前に王と対峙する直前。あの時はアリスにしか目が行ってなかったため、ベリアルからすればこちらをまともに見るのは初めて、と言うことになるのだろうが…………。
どうにも様子がおかしい。それも、アリスではなく俺を見てからだったように感じる。
「…………それで、何の用だ、人間」
やがて、気を取り直したらしいベリアルが、こちらに向けてそう尋ねてくる。
その視線に込められた感情が、先ほどとは違うような気がしていたが、けれどそれが具体的にどういった類の感情かまでは推し量れない。その辺りはさすがに悪魔、と言うことだろうか。生きている時間が違いすぎる。
けれども。
「アリスの魂を探している」
告げた一言に、一瞬で空気が変わった。
「……………………何故知っている」
発せられた言葉は、今までで一番低い音だった。
明らかに視線が変わった。先ほどまでの何とも区別がつき難い物から、はっきりとした警戒の視線へと。
「知ってるよな? 知らないわけ無いよな? アリスを悪魔にしたあんたたちが、探さないはずないよな?」
そんな俺の言葉に、ベリアルが一瞬、目の前のアリスへと視線を向け…………。
「……………………………………ロッポンギと呼ばれる地へ来い」
たっぷり数秒、沈黙を保ち、それから苦悩を押し殺したかのような声でそう呟いた。
「死者の塔でお前たちを待とう」
呟きと共に、その姿が崩れ落ちていく。
帰還しようとしている、そう理解はしていたが、留めはしなかった。
だんまり、と言うのは無いとは思っていたが、最悪ここで戦闘する可能性も考えていただけに、この結果は悪くないと言える。
そうしてベリアルが完全に世界から消え去り。
「アリス」
「ええ、有栖」
俺たちは。
「行くぞ」
「いきましょう」
召喚陣に背を向けた。
* * *
昔ならともかく、いくら隠れ里に近い葛葉の里とて、近代化に合わせてそれなりのハイテク化を遂げていく。
それでも守るべき一線のようなものはあるらしいが、移動手段くらいはその範囲内だ。
葛葉の里から車で一時間。一番近くの駅にたどり着き、送ってくれた運転手に礼を言ってさらに電車に乗って三十分。そこで新幹線へと乗り換えて一路東京へと戻ってくる。
戻ってきた東京の相変わらずの雑多さに、辟易しながら都内を走る電車を乗り継ぎ、六本木を目指す。
「………………もしもし」
『なんだ、お前か…………何か用か?』
次の乗り換え電車を待つ間の五分にも満たない僅かな時間。
だが電話をかけ、用件を話す程度には十分だった。
「ああ、割と重要なことだ」
『…………話せ』
ホームの端の人の居ないところを選んでかけたので、周囲に人は居ない。
それでももう一度見回し、誰も居ないことを確認して、電話に向けて呟く。
「十五日後に絵札が動く」
『……………………具体的には?』
「吉原市一帯の異界化。ただ確認できた限りでは一般人の巻き添えは無かった、異界は…………なんつうか、紅い月の出た夜、と言う感じだったな。中は吉原市の町並みそのものだったから、恐らく異界としの独自性はあの月だけだろうな。それと異界内では死霊の騎士みたいなのが跋扈していたな、倒すと自爆して仲魔を呼んでた」
それは一つの賭けだ。
と言っても勝算は高い賭けだったが。
未来を変えれば俺は消滅する。
それがアカラナ回廊を使った人間のルール。
だがあの炎は俺を観測者と言った。
観測者が観測した未来は確定される。
だが逆を言えば。
未来で俺が知らないことは変えられる。
あの時、異界内で和泉以外の存在に出会うことは無かった。
だからこそ、俺が知らなかっただけで別の誰かがあそこに居たかもしれないし、居なかったかもしれない。
そう言う仮定が立てることができる。
だからこそ、事前にキョウジに連絡をしても、恐らく未来は変わらない。
と言うよりも、現段階では確定されていない部分なのではないだろうか、と予測できる。
それでも、リスキーではある。もしこの仮定が間違えば、俺は消滅するかもしれないのだから。
だがその僅かなリスクを冒してでも、キョウジに連絡を取る意味は大きかった。
『確認した絵札のやつらは?』
「俺の知る限りでは一人だけ……………………ジョーカー、と名乗る男だ」
その言葉に、電話の向こうからの反応が途切れる。
恐らく思考に没頭しているのだろうと予想し、相手からの反応を待つ。
『程度は?』
「異界のか? それとも、ジョーカーのか?」
『両方だ』
「異界のほうは死霊騎士以外にも異形がいたが、どれも大したことは無い。レベル20か30程度だろうな。問題はジョーカーだ…………はっきり言うが、現状どうやっても勝ち目が見えない」
『それほどか?』
「ああ…………しかも、何故かは知らないが、俺にご執心らしい」
月の血…………それが何のことかは知らないが、少なくともやつは俺をそれだと思っているらしい。
少なくとも、やつは諦めないだろう。何のためにこんなことをしたのかは知らないが、例え十五日先を逃げても俺を殺そうとどこまでもやってくるだろう。
俺にできるのは二つだけだ。
元を断つか、目の前を断つか。
つまり、やつが俺に執心する理由を断つか、やつ自身を断つかの二択だ。
だがやつが俺の何を目当てにしているのか分からない以上、選択肢は一つだ。
「今からやつを何とかするための手段を手に入れに行く、しばらく連絡つかなくなるかもしれない」
『……………………なるほどな、了解だ』
「それと…………一つ頼みがある」
『…………ほう、言ってみろ』
一呼吸置き。
「――――――――――――」
告げた言葉は、けれど目の前を過ぎった電車の音にかき消される。
だが、電話の向こうには届いたらしく。
『…………………………………………何?』
怪訝な声が返ってきた。
『どういうつもり…………いや、何をするつもりだ』
「必要なんだ…………頼む、キョウジ」
そう言って、電話の向こうの反応を待つ。
電話の主、葛葉キョウジはしばしの間、沈黙を保ち…………やがて。
『良いだろう、掛け合っておいてやる』
そう返した。
「ああ、恩に着る…………できれば、二週間以内に頼む」
『…………分かった、用意しておこう」
用件は終わった、そう思い、電話を切ろうとして…………。
『有栖』
キョウジが、俺の名を呼んだ。
「どうした? 何かまだあったか?」
そう尋ねた俺の言葉に、けれど珍しく何かを言いよどんだような様子で。
『……………………いや、何でもない。報告受け取った、切るぞ』
そう告げて電話を切った。
「…………なんだったんだ?」
首を傾げ、頭を悩ませる。
けれどそんな俺の思考を打ち壊すように、ちょうど目的の電車はやってくる。
ガラン、と開いた電車のドアから次々と人が降りてくる。
そうして入れ替わりに入っていく人たちを見つめながら。
「おっと、俺も急がないとな」
人の波に混ざって電車へと入っていく。
その頃には、先ほどのキョウジへの違和感など、すっかり頭の中から消え去っていた。
そこにどういう意味があったのかすら、知らずに。
* * *
「けっこう遅くなったな」
電車を乗り換えること都度3回。葛葉の里から数えると片手じゃ足りない程度の回数電車を乗り継ぎ、ようやく六本木にたどり着く。地下を通ったり、地上に出たりで、いまいち時間の経過が実感しづらいが、思ったよりも長かったらしく、朝に葛葉の里を出て、今はもうすっかり夕暮れだ。
まあ朝と言っても、ベリアルの召喚などで時間を潰してしまっていたので、凡そ昼前と考えればそれほど長かった、と言うわけでも無いだろうが。
ただ、これから悪魔と逢うのに、黄昏時と言うのは少しばかり具合が悪い。
しかもさらに時間をかければ直に逢魔時へと至る。そうなればさらに具合が悪い。
「…………戦いにならなきゃいいんだがな」
けれど。葛葉の里でマグネタイトを補充させてもらったのは、それも避けられないだろうな、と言う予想から来るものだ。
一本、駅から抜け出、街へと足を踏み入れる。
そうして、すぐに気付く。
風に乗って運ばれる微かな臭い。
「……………………死臭か」
そうしてベリアルが告げた死者の塔と言う言葉。
「…………具体的な場所を言わなかったのは、これが分かっていたからか」
一歩でも街に踏み入れば、デビルサマナーなら容易に気付く異常性。
「分かるよな、アリス」
COMPの中のアリスへ向けて、呟くと。
――――うん、おじさんたちのけはいがするよ
COMPの中から届いた声に、一つ目を閉じる。
とくん、と心臓の鼓動が聞こえる。
雑踏、人の声、信号機の鳴らす電子音、車の音。
街のあちこちから聞こえる、人の営みの音。
だからこそ、分かる、そこに混じる異常の気配が。
「あっちか…………」
目指すはあの街の中から突き出たビル。
「行くか」
一つ呟き、足を踏み出した。
ぐああああああああああああああああああ。
伏線にしようと思ってた部分、まさか消し忘れてそのままにしてた。
ちょっと修正しました。見てしまった人は見なかったことにしてください(