* 五月二十六日日曜日 *
手の中でからからと鳴る色のついた棒を弄ぶ。
「…………正直、高くついた気がするな」
一見ただの棒にしか見えないが、これでも国宝レベルの一品だ、と言っても、これが何なのか、知っている人間は少ないだろうが。
天津金木。
それがこれの正体。ヤタガラスの秘宝。時を越える回廊、アカラナ回廊に接続するための数少ない方法。
異世界から帰還した時、俺の家のポストに入っていた物の正体。
そして俺を過去に導いた物の正体。
あれは一体誰が入れたのだろう。
だからこそ、湧き上がる疑問だった。
基本的に天津金木はヤタガラスによって管理されている。簡単に持ち出されるようなものではない、今回はキョウジに頼んだが、キョウジですら恐らく無理を言って借りてきたのだろう。
俺がキョウジに頼んだのが、ロッポンギに行く途中の電話、あの時だ。
それから実際に届けられたのが今朝、かなりギリギリであったが、間に合って良かった。そしてそれだけの時間がかかったと言う事実が、今回のことが相当に無茶であったことを示している。
だから、高くついた、と言った。大きな借りが出来てしまった。
「これをポストに入れて、っと」
がたん、とポストが音を鳴らす。これで後は放っておけば過去の自分が回収してくれるだろう。
面倒だが過去、現在、未来の因果は繋がっている。
これをしなければ、過去に俺がこれを手に入れたと言う因果まで消え去ってしまう。
そうなれば俺は過去に戻れず、今いる俺自身と矛盾が起こってしまう。
恐らく、あの炎…………ルイが言っていた、過去を変えれば世界がそれを許さない、とはつまりそのことだ。
因果に矛盾を起すこと、それが恐らく俺が…………否、俺のみならず、
携帯を時間を確認する。はっきりとは覚えていないが、もう一時間前後ほどで異世界から自身が戻ってくる頃合だろう。
もうここに用は無い。だから次は…………。
「待ってろよ、和泉」
借りを返すために、動き出す。
「……………………」
だから気付かなかった、無言で空を…………紅い月を見上げる、アリスの姿を。
* * *
凡そ二、三週間ほど前の話だ。
今更言うまでも無い話だが、和泉…………河野和泉と言う少女の体には、夜魔ヴァンパイアと言う悪魔がかつての実験により融合させられている。
そのせいか、和泉の体は時折、人間の血液を欲することがある。
ある意味本能と呼べるそれは、さしもの和泉自身もどうにもならない。だからそう言う時は血を飲む。
当たり前だが、普通の人間を襲ってその生き血を啜ればただの通り魔、そしていずれは化生へと落ちていくだけだろう。
遥か昔ならばそうするしか無かっただろう、だが現代では血を手に入れるのはそれほど難しいことではない。
有体に言ってしまえば、注射機などで健康に害が出ない範囲で抜き取ることも出来るし、生き血に拘らなければ、病院などにある、輸血用血液を入手すればいいだけである。
少なくとも、和泉は人を襲って血を啜ったことなどほとんど無い、数少ないその相手も敵だったりで、普通の人間を襲って血を無理矢理奪ったことは一度たりとも無い。
だから、その話に和泉は関係無い。少なくとも和泉本人はそう思っていた。
だが吸血事件、そう呼ばれる事件において、二週間前にそれが悪魔、もしくは悪魔関係者の仕業と断定された。
真っ先に疑われたのは吸血鬼…………つまり、夜魔ヴァンパイアの仕業。
だが街にヴァンパイアが出現した痕跡らしきものは見つからなかった、だから次いで疑われたのが。
ヴァンパイアの因子を持つ和泉だった。
と言っても、和泉がそうであると知っている人間はそう多く無い。元々それほど人と関わり合いになるような性質でも無かったし、敵は多かったが、そのほとんどを屠っている以上、和泉と関わりが深い数人の人間以外、ほぼ知られていないと言っても良い。
だがそれでも少数ではあるが、知っている人間はいる以上、疑いの目は少なからず向けられた。
全く持って不快な話である。
だが少しだけ興味もあったのは事実だ。
吸血事件。被害者が血液の大半を失っていることと、被害者の体からマグネタイトが抜き取られていることから悪魔関連の事件と発覚したが、実際のところ、和泉の記憶にある限り、この街周辺で自身以外の吸血鬼の存在など聞いたことも見たことも無い。では一体、どこの誰がこんな事件を起したのか。
分からない、だが、だからこそ少しだけ興味が沸いていた。
そうして今、理解する。
この化け物だ。
ここ最近の事件は全てのこの化け物が引き起こしたことだ、と。
紅くて、黒くて、白い。
男だか女だから分からない、そんな怪物。
理解する、目の前の怪物が、自身より化け物として上位であることを。
ずきずきと痛む腹部の傷は、すでに吸血鬼の因子が修復を始めている。放っておけば治るだろう。
けれどダメだ、あまりにも致命的だ。
穿たれた体から、マグネタイトが奪われた。
最早戦える状態ではないと言っても等しい。
あと一撃で立っていられない、と言う状態から、あと一撃で死ぬ、と言うレベルまで達している。
「…………面倒なことをしてくれた」
こつ、こつと足音が近づいてくる。
同時にかけられた声には、やや怒りが混じっていた。
「逃げられたか…………また探させねばならん、面倒な」
その声には、探し当てればいつでも殺せる、そんな意味合いが含まれていることが理解できていて。
やっぱり、こいつはここでなんとかしなければならない。
そう思う。
最早自分は助からないだろう、そんなことは理解できる、否、最早そんなことどうでも良い。
だが自分がこのままここで死ねば、この怪物はまたいつか彼に牙を向ける。
「天」
だから。
これが最後で良い。
「命」
私のこの身も、命も、魂も、何もかも捧げても良い。
たった一度でいいから。
「滅」
お願い。
力を貸して。
「門」
瞬間、自身と、怪物が光りに包まれ。
それが自身がその時、最後に見た光景だった。
* * *
「オォォォォォォォォォォォ」
雄叫びにも似た唸り声を発しながら、破壊神が歩み寄ってくる。
「ヨシツネ、モコイ」
「鷹円弾」
「十文字斬り」
召喚された仲魔たちが前面に出て、破壊神の前進を止めようとする。
「オオオオォォォォォォォ」
デスバウンド
その手に持つ鉾から放たれた斬撃が仲魔たちを吹き飛ばす。
だがその直前に召し寄せと帰還によって仲魔たちを回収していたので、間一髪のところで全滅は免れる。
距離を開けていたのでこちらには余波が来ただけなのだが、その余波だけで思わず数歩押し下げられるほどの威力があった。
あんなの…………もし直撃すれば…………。
嫌な汗が滲み出るのを自覚する。だが臆してばかりもいられない。
「オルトロス、ツチグモ」
封魔管の内二本が光り、その栓が抜ける。
内から浮き上がるかのように出てきたその中は、緑色に発光する棒が刺さっていた。
瞬間、管から光が溢れる。そうして光が徐々に形を作っていき、片方は大きな犬のような獣の形に、もう片方は巨大な蜘蛛の形へと変わっていく。
「オルトロス、マハラギ! ツチグモ、マハジオ!」
炎が、電撃が破壊神へと直撃する。
だが、無意味だ。
「オオオオオオオオォォォォォォォォオォオォォォォォォォォ!!!」
まるで効いた様子も無く、破壊神の歩みは止まらない。
その右手の鉾が煌く。
デスバウンド
瞬間、鉾が放たれる。
「戻って!」
召し寄せによって、仲魔たちが手元に戻ってくる。
紙一重のところで攻撃を回避し、次の封魔管を抜く。
例えば在月有栖のようなたった一体で戦局を変えるような超高レベルの仲魔は、葛葉朔良には無い。
「ライホーくん、ヨシツネ」
封魔管から再度召喚されたヨシツネと、新しく昔の書生のような服装の雪だるま…………ジャックフロストが召喚される。
「ヨシツネ、タルカジャ、大暴れ。ライホーくん、絶対零度」
その隙を縫うようにライホーくんが腕に纏う冷気を突き出すと、氷のレーザーが荒れ狂い、破壊神を飲み込む。
例えば河野和泉のような独りで他を圧倒できるような本人の強さは、葛葉朔良には無い。
「サティ、アルラウネ、モコイ」
現れたのは全身が炎の包まれた黒い女の悪魔、そして全身を薔薇の蔦のようなもので絡め取られた裸の女、そして最初に召喚した土偶と人形を足して割ったような不可思議な形の悪魔。
「サティ、アギ・ラティ。アルラウネ、ブフ・ラティ。モコイ、鷹円弾」
サティから放たれる火炎魔法が、アルラウネから放たれる氷結魔法が、そしてモコイの投げるブーメランのようなソレが、次々と破壊神へとダメージを与えていく。
「…………っつ、七体同時は…………さすがにきついわね」
最近ようやく出来るようになった七体同時召喚、十四代目ライドウの為した八体と言う記録まであと一体と言ったところだが、仲魔の質が違いすぎて、やはり比べ物にならないだろうことは自覚している。
そう、葛葉朔良には武器が無い。
有栖のような強力な仲魔も無いし、和泉のような強固な力も持ち合わせいない。
唯一あるのは、複数同時召喚と言うオンリーワンではあるが、強大と言うには程遠い才。
後は少しばかり勘が冴えるだけであり、葛葉朔良とはその程度でしか無いと、自分で自覚している。
けれど、だからと言って、それを悲観しているわけではない。
昔はそれはそれはもがいて必死に力を求めた、だが今は違う。
複数同時召喚がオンリーワンでありながら、強大に程遠いのは、自身がその武器を磨かないからだ。
磨かれない武器は錆びついていく。自明の理であり、それを何時までも通じると思うなら、それはただの停滞であり、思考の停止である。この世界では真っ先に死んでいくタイプだ。
だから葛葉朔良は研磨を止めない。己が爪牙たちを研ぎ澄ましていく。
そして一つ、葛葉朔良の良いところを上げるなら。
自分を知っている、と言うことである。
自信過剰にもならない、かと言って卑屈に諦めたりもしない。
足りないならば足りないことを自覚するし、必要なら補おうともする。
今は平成の世だ、大正どころか、平安から続く
故に、こう言う物も使ったりする。
「来て…………みんな」
SUMMON OK?
電源は入れっぱなしにしていたので、後はプログラムを起動するだけで簡単にそれは行われる。
召喚、ホウオウ。
召喚、オベロン。
召喚、ラクシュミ。
今現在召喚された七体の悪魔たち。
そして今しがた加えられた三体の悪魔たち。
その数、合わせて十体。
「
これでようやく勝負になる。
それが葛葉朔良の正直な感想だった。
十体同時召喚による、多角飽和攻撃。そして相手の攻撃を召し寄せと帰還、そして再召喚でかわしながらの継戦。
このヒットアンドアウェイの戦法の要は、サマナーである自身だ。
つまり、あの破壊神を仲魔たちが倒しきるまでに自身が生きているかどうか、それが結局の問題点となるだろう。
レベル差が酷すぎて、与えられるダメージは微小だ。だがこれだけの数で連続して当て続ければ積み重なっていつかは倒せるだろうとは思っている。
だがそれがいつなのか、そしてそれまでこの状況を継続できるかどうかは、結局のところ運次第と言ったところか。
正直、相手のサマナーが命令し動かしてくるのなら、こんな戦いすぐに終わっていた。
だが、どうにもあの破壊神はあのサマナーの命令を聞かないらしい。
暴走していた。あのとんでもないレベルの破壊神が、サマナーの手綱を引きちぎって暴走していた。
故にその攻撃は単調なものとなる、恐らく攻撃スキル以外にもさまざまなスキルがあるはずなのだろうが、先ほどから攻撃一辺倒であり、その攻撃も近寄ってきて攻撃してくるものばかりで、遠距離攻撃など一切無い。
だが同時に、暴走しているからこそ、多少のダメージではびくともせず、いい当たりの攻撃が当たっても愚直に突っ込んでくる。つまり、仰け反らせることが出来ない。攻撃を喰らいながらカウンターを狙い続けるかのようなその行動に、正直恐怖を覚える。何故ならあっちとこっちではレベル差が酷すぎる。こちらの一撃とあちらの一撃は全く等価ではない。こちらの攻撃はいくつもいくつも積み重ねねばあの破壊神を揺らすことも出来ないのに、あの破壊神は一撃は、いとも容易くこちらの最強を砕くだろう。
博打を打つような戦法だが、それはお互い様だ。こんな無謀な戦いをしている自分も自分である。
だから後は、勝者と敗者を決めるだけである。
「負けるわけには行かない…………必ず勝つ」
左手でCOMPを強く握り締めながら、呟く。
紅い月に照らされた夜は、まだまだ終わりを告げない。