和泉とガイア
和泉と言う少女は、とある別の少女を元にメシア教の一部の人間によって作られた人造存在である。
そしてそこから逃げ出した和泉がガイアに入ったのは、ある意味当然の帰結と言える。
そもガイアとは何か。
正式にはガイア教と言う。と言っても、メシア教と違い宗教と言うわけではない。だが宗教が絡んでいない、とも言わない。
これが正しい言い方なのか、所属している和泉自身にも分からないのだが、多数の宗教を組み合わせた多神教と言うのか、寄り合いと言った感じの組織である。
基本的に、メシア教と言う世界最大の一神教に駆逐されそうになった多数の宗教が手を取り合いメシア教に対抗するために作り上げた総合宗教団体、それがガイア教の大本だ。
故にその思想は基本的にメシア教に反した物からメシアと大差無いものまで幅広く、全員が全員必ずしも同じ思想を持っているわけではない。
混沌と自由、それがガイア教の掲げる唯一の共通の思想と言っても良いだろう。
混沌、有体に言ってそれは何でもあり、と言うことだ。
だからメシア教を受け入れられないならば、誰であろうと受け入れる。そうやってガイア教は加速度的に肥大化し、今や世界規模で見ればメシア教に対抗することのできる唯一と言っても過言では無い巨大な組織となった。
そして自由。ガイア教団には規律と言うものがほぼ無い。元々自然崇拝の宗教を下地にいくつも組み込んで作られた組織だけに、自由の意味を、つまり自然のままと置き換え、この世界で最も分かりやすい自然の掟である、弱肉強食こそを規律と謳う者たちばかりだ。
故にガイアは、メシアと違い、外だけでなく、内にまで敵を抱えている。ガイアにとって同じガイア教徒とは、同じ敵と戦う仲間でありながら、敵がいなくなればそのままお互いが次に争う敵となる。
何と言う無法者たちであろうか。
ガイア教には、身分の差はほぼ無い。それでも多少はある。
一つが一般の教徒。世界中に点在し、自由に生きている名前も知らないやつら。
一つが幹部。文字通り、ガイア教団の方向性や運営をある程度とは言え担う存在。世界中の各地域に数人ずつ存在しており、その権威の分だけ大きな実力もまた持つ。その辺りはガイアならではと言える。
そして最後の一つが教主。ガイア教団の教主、つまり。
ガイア教最強の存在にして、ガイア教の全ての意思を束ねる存在。
“あってはならないのだ”
教主は言った。
“全能の神など、この世界にはあってはならないのだよ”
呟き、告げ、そして嗤う。
河野和泉は初めて出会ったその時から、この教主がずっと嫌いだった。
* * *
午前四時四十四分。
目覚まし時計すら無くとも、けれど関係無い。
ぴたりと目を覚まし、少女、和泉は部屋に置かれた
「…………やな時間ね」
季節は夏。マンションの一室は、ちょうど朝日が差し込む方角を向いており、締め切ったカーテンの隙間から僅かな太陽の光が部屋の中を照らす。
内に潜む夜魔の影響か、どうにもそれが好きになれない和泉は、僅かに顔を歪めながら寝台を抜け出す。
寝巻き代わりにと来ていた、何の飾り気も無い青のティーシャツと長ズボンの古着をすっぱりと脱ぎ捨てながら洗面所を抜け、風呂場へと入る。
きゅっきゅっ、とコックを捻ると、古びて錆びも見えるコックが軋み、そうして和泉の頭上からシャワーが流れ出してくる。
きゅっきゅっ、とお湯のコックをさらに数度捻り、全身に熱いシャワーを浴びながら、風呂場に備えられた姿見を見る。
そこに和泉の姿は映っていなかった。
「……………………吸血鬼、ね」
吸血鬼は鏡に映らない。そんなものは実はただのフィクションのはずなのだが、それを多くの人間が信じればそれが真実となる。
悪魔とは、人の想像から創造されるのだから。
日光に弱いなども現代日本では有名な話ではあるが、元来太陽とは強大な退魔の象徴であり、中世では魔物が厭うとされていた。そこから想像された虚構が現実として伝わっただけのことであり、本来の吸血鬼としての伝承に太陽を浴びると灰になるなどと言う話は存在しない。
そも現代で言われる吸血鬼の特徴である、太陽に弱い、ニンニクに弱い、心臓に杭を打たれると死ぬ、などは吸血鬼に限らず、当時のヨーロッパに広く知れ渡っていた魔物全ての特徴であった。
それを吸血鬼にのみに限定してしまったのは、結局、人の思いなのだ。
別にそれ自体にどうこう言うつもりは無い。悪魔とは結局、そう言うものなのだ。
ただそれを自身に適用されてしまっているのはさすがに文句を付けたい。
特に太陽を浴びるだけで全身に倦怠感を覚えたり、ニンニクを始めとする匂いのきつい香草類などが苦手だったり、こうして鏡に映らなかったりと。
現代で生活するのに不便なことがやたらと多い。
特に最後の一つが困る。
河野和泉は自分の姿をほとんど見たことが無い。特殊な道具などがあると一応姿も映るのだが、そう言った類の…………本来映らないはずの物を映す道具など早々簡単に手に入るものでも無い。特に鏡など割れやすい上にかさ張るものを居場所をころころと変える自身が持ち運ぶのも不便である。
なので、そう言うのは全部有栖の家に預けてある。
……………………一応有栖の了承は取ってある。
元とは言え、あの家に住んでいたこともあるのだ、その頃に不便をしていた自身のために、有栖がもって来てくれた一枚の鏡。映らないはずの和泉の姿を映すその鏡は、和泉の宝物と呼んで差し支えない。
だから万一にも失くさないよう、壊さないよう、自身が知る限り一番安全な場所に置いてある。
シャワーと止め、くすりと笑う、と濡れた髪の先から雫が一筋、ぽつりと垂れる。
風呂場を出てすぐに体を拭い、服を着る。
さっきまでの古着ではない、言うなれば和泉なりの戦闘装束。
白だ、一言で言うならばそれに尽きる。
真っ白な、純白のゴシックドレス。
赤い瞳に、ドレスと同じ真っ白な髪に、その上にさらに白を重ねる。
ふむ、と唇に指を当て、数秒思考。
やがて一つ納得したように頷き。
「…………さて、行きましょうか」
少女が玄関の扉を開く。
少女が潜り、バタンと玄関が閉じられる。
そうして部屋の中には静寂が残った。
* * *
帝都東京。この地には実に多くの人間がいる。
ヤタガラスも、メシアも、ガイアも、その他多くの裏の世界にどっぷりと漬かり込んだ組織がひしめき合うこの地は、だからこそ逆に一種の均衡を生み出している。
どこか一方が突出すれば、その他大勢からよってたかって集中攻撃される、
否、もっと正確に言えば。
前葛葉キョウジが、だ。
葛葉キョウジ。それはヤタガラス以外の組織にとって、時にライドウよりも恐れられる名前である。
葛葉ライドウは、その知名度に反して滅多に人前に姿を出さない。何故ならば、守護者であるライドウは、事件が起きてから動き出す。それも帝都に危険を及ぼすような大きな事件が、だ。それ以外では普段は帝都内を転々としながら目についた事件を片っ端から
故にライドウと他組織が大きな衝突をすることは少ない。何故ならことを起せばライドウが現われると分かっているから。
こんな小さな島国の、その首都の守護者程度、と舐めた人間は多くいた。だがその全てがライドウによって降されてきた。
葛葉ライドウは、そしてライドウを含む四天王を揃えた葛葉の里は、そしてそれを擁するヤタガラスは、この日本と言う国において、間違いなくメシア、ガイアと対等に渡り合えるだけの力を持っている。
その事実を明治から平成にかけての数十年間でメシアも、ガイアも嫌と言うほど思い知らされてきた。
それでも尚、彼らがこの国に固執するのは、日本と言う国が非常に重要な霊地であるが故である。
そもガイア教と言う組織の成り立ちに多くの宗教が下地にあると言う話はしたと思うが、同じ組織内の宗教でもその力には大きな差がある。
例えば、アフリカ大陸に住む特定の住民たちの間のみに語られる伝承、それを崇拝する住民たち。その伝承によって語られる悪魔は存在する。伝承を語り継ぐことによって、存在させてしまっている。
例えば南アメリカの原住民たちの間に語り継がれる神話、アステカ神話やマヤ神話もそう、それらの神は存在する。神話として記録し、人の記憶に残した時点で存在させてしまっている。
例えばオーストラリアの原住民たちの間に語れる伝説、その存在は実在しない、だが存在する。伝説によって生み出された悪魔がそこには確かにある。
ヨーロッパに脈々と受け継がれた魔術があった、悪魔崇拝があった。
アラビアの砂漠の中に語られる伝承があった。紅海に代々伝わってきた伝説があった。
インドの民なら誰でも知っている神話があった。中国で延々と語られた伝承があった。
数多くの宗教、伝説、伝承、神話があり、それらを敬い、畏れ、崇拝する人たちがいた。
そしてそれらメシア教に追われた全ての人たちをガイアが受け入れていった。
中でも、日本の宗教は飛びぬけていた。
それは外来から由来した神の概念であった。それは国内で生まれた気風の中で発祥した神の概念であった。それは誰かが語り、騙った伝承によって生じた神の概念であった。
日本には八百万の神がいると言われる。だがその神全てを数えた人間などいない、居るはずもない。
八百万と言うのは数字ではない、ただ膨大な数を示す記号なのだから、実数は関係無い。
日本というのはとかく特殊な国だ。自国内で固有の概念を生み出しながら、他国からの概念をも取り込み、それらを融合させいくつもの新しい概念を生み出している。どんな概念をも取り込んでしまう混沌の地。
それがガイアにとって最も良い土壌を育んでいる。
そしてそこで生まれ育った宗教は他と比べても一段図抜けている。
だが逆に。
幸か不幸かは知らないが。
この国はメシアにとって良い地なのだ。
国民の気質として、真面目で穏やか、そして他者、特に上の存在には従順。
これほど扱いやすい…………信仰に染めやすい存在などいるだろうか。
そして秩序を大事にする傾向があり、秩序を理念とするメシアにとって優秀な信者となることは間違いない。
端的に言って。
日本はガイアの理念、混沌を最も示した地であるが故に、ガイア教の聖地と言っても過言では無かった。
日本がメシアの理念、秩序を社会的に重要視した地であるが故に、メシア教の理念が受け入れられやすい地であった。
単に神の強さを競うのならば、恐らくガイア教の中で日本という国の宗教はそれほどのものではないだろう。だが実際にそこにいるのは神ではない、それを崇拝するものたちである。そして古来よりいくつ物概念を混ぜこみ、それを練り上げ続けた日本の修験者たちは他の国のそれよりも一歩勝る。
故にガイア教の幹部と言うのは存外日本人が多い。
言ってみれば、精神的におかしい人間が多いということである。
今こうしてガイアに身をおき、そしてかつてメシアにいた和泉が断言しよう。
存在しないはずのものを、存在すると信じているのだ。そしてその信仰と言う名の
そんなものを、狂っていると言わずして何というのだ。
さて、話が脱線してしまったが、とにかく日本と言う地はガイア教にとってもメシア教にとっても
当然そこを自身たちの領域にしようと互いが手を出してきて。
そして葛葉ライドウに全て斬って落とされた。
幾度もその侵攻を防がれた両者は考えた、ライドウを敵に回してはいけないと。
だから間接的な支配を試みた。
例えば東京の土地の所有権を両教団が増やす、や、そもそも教団本部を設置する、などだ。
そこで出てきたのが葛葉キョウジだった。
メシア、ガイア双方にとって葛葉キョウジは間違いなく天災だった。
これによりいくつもの支部が壊滅、人員も減らされ、メシア教、ガイア教の日本進出は、葛葉ライドウ、キョウジ両名によって十年単位で遅らされたと言っても過言ではなかった。
そう、だが、だ。
葛葉キョウジが死んだ。
その報が裏世界を震撼させた。
葛葉ライドウが表の守護者だとすれば、葛葉キョウジは裏、誰も知らない、知られないままに人知れず他者の計画を潰す死神のような存在だ。
それが死んだ、となればこれまで静観を決め込んでいたいくつもの組織が動き出す。
当然ながらただ死んだだけではない、次のキョウジがすぐに決定され、その報もまた、すぐに裏の世界を駆け抜けた。
だが次代キョウジはまだ二十にも成らない少女であり、前キョウジと比べれば御しやすしと見た多くの組織はすでに動き出していた。
故に、河野和泉が動き出した。
教主の命を受け。
“ガイアの白死”が動き出した。
なんか執筆しようと思ったけど、何も思い浮かばなかったので、仕方ないのでメガテン書き出すと意外とすらすら出てくる不思議(