机の上に両手で頬杖を突きながら台所に立つその後ろ姿を眺める。
そうしてアリスがその姿を眺めている間にも、とんとん、とリズミカルな包丁の音を立てながら次々と具材を切っては鍋の中へと放り込んでいき、用意した分全てを鍋に投入し蓋を閉めると、有栖がほっと一つ吐きながら調理用のエプロンを外しながら台所から戻ってくる。
そうして背後からずっと視線を向けてくるアリスを一瞥し、ニコニコと笑みを返す少女に肩を竦めながら近くにあった椅子を寄せてきて座る。
「何が面白いんだ?」
「べつにー?」
尋ねてみても答えを濁すアリスに、あっそう、と短く返し上着の胸ポケットにしまった携帯型のCOMPを取り出すとそのまま視線を落とす。
「…………」
「…………」
ことこと、という台所で鍋が煮える音だけが聞こえるその場で、けれど会話の無さも気にもせず。
「何やってるのあの二人……?」
「えーっと……何だろう?」
「いつものことよ、気にするほどでもないわ」
沈黙を貫く二人の様子にリビングからこっそり見ていた葛葉咲良が疑問を浮かべ。
つい最近悪魔、という存在をしったばかりの上月詩織が首を傾げ。
過去同居していたこともある河野和泉からすれば見知った光景であった。
そもそも何故この三人がこの場……在月有栖の家にいるのかと言われれば。
全く持って偶然の話であり。
―――過日の神霊との戦いの一見で事情聴取に来たのが葛葉咲良であり。
―――先日ようやく退院したのでお見舞いの礼を持ってきたのが上月詩織であり。
―――近くを通りかかってついでに時間もあったから遊びにきたのが河野和泉であった。
つまり三者三様の理由で、全く示し合わせたわけでも無く見事に集まってしまっている。
むしろ葛葉咲良と河野和泉は所属する組織の関係上、敵対すらあり得るのだが。
「まあ有栖の家でそんな無茶しないわよ」
「有栖くんに迷惑かけるようなことしないわよ」
という極めて個人的な理由で平穏が保たれているのは言うまでもない話だった。
そしてそれら全員をまとめてリビングに通した家主にも問題が無くも無いとは思わなくも無い話である。
* * *
「うーん……有栖くん、また料理上手になってるわね」
「適当に煮こんだだけの男料理だぞ?」
「あら、わたしサマナーのりょうりすきよ? おとーふおいしー」
「そいつはどうも」
「えっと……アリス、ちゃん? こっちも、ありす、なの?」
「ああ、まあアリスだな。あとちゃん付けするほど若く……」
「有栖?」
「あ、いや、なんでもない」
「悪魔の見た目なんて一番アテにならないわよ……概念一つで簡単に変わるんだから」
「そういうもの、なのかな? でもやっぱり、ほら……見た目って大事だと思わない?」
「有栖くんってば、アリスと一緒に歩いてたら時々通報されるものね」
「うるせえ……だいたいそんな時に限ってお前も調子に乗りやがるし」
「あら? なんのことか、アリスわかんないわ? おしえてくださる? おにーさま」
「誰がお前の兄だ……お前みたいな物騒な妹いらねえよ」
鍋というのは日本の伝統的な料理だ。
同じ釜の飯を食うという言葉もあるが、食卓を囲むというのは団欒という意味ではとても大きな意味を持っている。
「和泉は肉食わねえなら豆腐でも食うか? 煮卵もあるぞ」
「あら、本当? いただくわね」
「このおとーふはわたしのよ? もしたべたら……ころすわ」
「っ……お前、たかが飯に何魔力出してんだよ、あ、詩織大丈夫か?」
「あ……う、うんちょっと寒気がしただけ……でも、うん、本当に人間じゃないんだね」
「だから悪魔なんて信用しちゃダメなのよ……その餅入り巾着は渡さないわ」
「おもちはわたしのよ……ぶをわきまえなさい」
「何のだよ……喧嘩になるから最初から多めに入れてるよ、分けて食え」
「あはは……なんだか有栖、お母さんみたいだね」
「誰がだよ……てか、母親なあ。もう死んで六年近く経つのか」
「あーうちもそれくらいだね」
「母親……生まれて三年で捨てられたから覚えてないわね」
「そもそも母親……いるのかしら?」
「てかここにいるやつら全員両親いなくね?」
「私はまだ両方いるわよ……一方的に捨てておいてライドウ候補になった途端に擦り寄ってくるような屑だったけど」
「どっちみちまともじゃないわね、それ」
まあだからと言ってこの人数はちょっと騒がしい、というレベルでは無いのだが。
というか明るい団欒のはずが何故か話の方向性が不幸自慢みたいになってきているのは何故なのか。
「この話題終了……というかもっと食え、もっと食え。まだまだあるから」
「っていうより、本当にいっぱいね……有栖、どれだけ作ったのよ?」
「これ……十人分くらいは無いかな?」
「確かに久々に見たわね、この大鍋……前に私が見たのってカレーを一週間分くらい作りためてた時だったけど」
「カレーを一週間分?! なんでまたそんなに大量に」
「あーもしかして、中学校くらいの時に有栖が悠希と私の三人でカレーパーティーした時の……」
「言うな……あれは俺の黒歴史だったんだ」
「あのころまいにちカレーでさすがにあきあきだったわ」
「仕方ないだろ……福引でカレーセット十人前とか当たったんだから」
「何それ?」
「あー……偶に吉原の商店街良く分かんない景品で福引やってるよね」
「この家に住んでた頃少しだけ見たわね……もやし一月分とか誰が欲しいのかしら」
「それ消費するより先に腐るんじゃないの?」
「そもそも一か月分って一体何を基準にしてるんだろうね?」
「偶にあるよね、アイス一か月分とか、油一年分とか」
「マグネタイト一年分とかな」
「それ何か違わない? というか何それ」
「前にキョウジに連れていかれた会合で悪魔が売り込みしてたんだよ……自分と契約したらマグネタイト一年分もついてくる、って」
「何それ……どんな悪魔よ」
「ノッカー」
「いらないじゃない」
「うふふ……わたしのおともだちにしてあげてもいいのに」
「そんなことしたらあの場で戦争始まってたぞ……ガイアのやつらもいたしな」
「はっ? 有栖くん、今何かすごいこと言わなかった?」
「葛葉キョウジ……いや、立場的に私が言えることじゃないけど、何やってるのよ……ナトリに聞いておかないと」
「ナトリちゃん……って、悠希が最近会ってる子、だよね?」
「ナトリも何か、悠希に対して少し変だよな」
「……有栖、それ本気で言ってる?」
「えっと、有栖……さすがに私でも分かるよ?」
「ふふ……有栖くんだもの」
「有栖だしねー?」
「なんだよお前ら……しかもアリスまで」
なんて会話をしながらも、時は進んでいき。
それから……それから。
えっと……それから?
それから。
―――どうなったんだっけ?
* * *
「本当に良かったの?」
「良いぞ……どうせそう遠いわけでも無いしな」
見慣れた街並みを眺め、歩きなれた道を歩きながら、詩織と二人並ぶ。
「それに、咲良と和泉はまだ用事があるみたいだしな」
あの二人……特に咲良は葛葉という組織を重視しているため、気軽にうちに来る、ということをほぼしない。
俺自身そう気にしたことも無いが、それでもやはり俺はフリーのサマナーであり、咲良はライドウの候補なのだ。
友人であることを含めても、どうしても一線引いた関係を築いてしまうのは仕方の無いことと言える。
とは言え、咲良自身そう性格が悪いわけでも無い、むしろ実直とも言える分、まだ付き合い安いと言える。
和泉の場合、所属している組織が組織だけにとことん個人主義であり、そして河野和泉個人だけを見るならばその性質はむしろ善であるとすら言える。
まあだからこそ、自らの立場を弁えて気軽に来ることをしないのは和泉も同じなのだが。
逆に言えば、口実があれば何かとやってくる。
そしてそれはやってきた時はだいたい何がしか用事がある、ということでもあり。
「まあそっちはそっちの話だ……気にしなくてもいいさ」
「うん……そう、なんだろうけど、ね」
上月詩織はサマナーではない、どころかバスターでも無い。
悪魔に一切関わりの無い人間であり、ついこの間まで悪魔と出会ったことすら無かったはずの人間だ。
だからこそ、余計に気になってしまうのだろう。
降ってわいた悪魔という存在、そしてそれから始まる繋がりの数々。
「詩織」
「うぇ……え、っと。何?」
だからこそ、釘は刺しておかねばならない。
「余り関わるな」
「……っ」
はっきりとした拒絶の言葉に詩織が息を飲む。
本来こちらの世界に関わるような人間じゃないのだ、詩織は。
日の当たる場所に居られるのならば、人間それが一番良いに決まっている。
こちら側は
それは決して巻き込んではならない暗い世界だ。
日の光を欲し、足掻く人間などいくらでもいて。
それでも最早一度身をつければ闇は二度とその手を離してはくれない。
「お前は
自分と違い、生と死をかけた場所を駆け抜ける必要など、目の前の友人には無いのだから。
「…………」
声が出ず、言葉に詰まる詩織と共に住宅街を抜けていき。
すぐ北に進めば高級住宅街。つまり詩織の住んでいる地域となる。
信号と横断歩道を挟んで向かい。そのすぐ近くが詩織の家であり、ここまでくれば良いか、と立ち止まる。
「じゃあな、詩織」
少しだけ重くなった雰囲気から逃げるように隣の少女に背を向け。
「有栖」
名を呼ばれ、呼び止められる。
「私は……有栖を信じてる、だから有栖がそう言うなら、そうする」
少女の言葉に、ほっと一息吐……こうとして。
「
続けられた言葉に、息が止まった。
「有栖も、ちゃんと
―――声が出なかった。
* * *
「少しの間、葛葉の里に戻ることになったわ」
詩織と別れ、自宅に戻ってくると玄関先で咲良とばったり出会った。
どうやらそろそろ時間なので帰るつもりだったらしい。
ついでに送っていくか? と尋ねた自分の言葉に首を振り、返って来た言葉がそれだった。
「葛葉の里に?」
元々キョウジに連れられて数度行ったことはある、それに加えてつい先日、アカラナ回廊を通って戻って来る時にも。
ただ部外者の自分と違い、この町で役割を持っているはずの咲良が戻ると言う事にはそれなりに意味がある。
「キョウジの件か」
「そうね……確かに葛葉キョウジは次代に継がれた、ただそれでも決して混乱が無いわけでも無いから」
次代葛葉キョウジ葛葉ナトリ……それはキョウジとそれなりに近かった自分もまた知る事実ではあるが、随分前から決定されていた話だったらしい。
その実力でもってして有名に変えてはいるが、本来葛葉キョウジの名とは四天王と違い汚名に近い。
故にこそ、葛葉四天王のように襲名に際する問題というのは限りなく少ない。
それは裏を返せば葛葉キョウジという名前自体について回る利点が少ないということであり、それを引き継いだナトリはこれからその力のみでキョウジの集めてきた悪意、害意、敵意と戦っていかねばならないということでもある。
「まあアイツに関してはそう心配はいらないだろ」
「そうね……あの葛葉キョウジが次代にと指名した存在なのだから」
汚名とは言え、歴代葛葉キョウジを見れば分かる。葛葉キョウジの名を受け継ぐということはそれだけぶっ飛んでいるのだと。
特に人格、精神性に問題のある人間も多く、反面実力は里でも飛びぬけて優れている者ばかりであった。
元よりライドウのような人格、性格まで考慮されるような名ではないのだが、不思議とキョウジの名を継ぐ人間というのは人格的に問題が多い。
「もし咲良がライドウになるなら、ナトリとの接触の機会は増えるだろうから言っとくが……アイツも決してまとも、とは言わんぞ」
葛葉ナトリは精神異常者だ。それは自分も知っている事実である。
元よりそういう環境で生まれ育ってきた。だからこそナトリにとっては異常こそが正常なのだ。
そしてキョウジがそれを一切矯正することなく、ただ隠すことと取り繕うことを教えて生まれたが今のナトリという少女だ。
「知っている……というより分かっている、というべきかしら」
とは言え歴代のキョウジについて葛葉出身の分、自分よりも詳しいだろう咲良からしたら葛葉キョウジが一癖も二癖もある難物であることなど当然の事実であり。
「それすら下して見せる……絶対最強、ライドウを継ごうとするなら、その程度は前提に過ぎないわ」
自らの無力さを知りながらも、それでも、と咲良は吼える。
「ライドウになる……そう決めた。ならもう、前に向かって進むしかないのよ」
尻込みする暇も、足を止める時間も無いのだ。
葛葉咲良はそう吼えた。
超久々の投稿。ぶっちゃけ、大分前に設定の一部が電子の海へと消えていったせいで、展開とか全く覚えてないので、リハビリ変わりの日常編。
と思ってたけど、前回、前々回と繋げれそうなのでこのまま続編として書く。
多分あと5話以内で赤の章半分終了。
補足:ナトリが次代キョウジというのは前から知ってたと昔書いてたので修正。