有栖とアリス   作:水代

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有栖と後日

 

「それで……お前の要件は?」

「あら、ただちょっと遊びに来ただけ、そう言わなかったかしら?」

 

 ソファーに身を沈めながら問いかければ、くすり、と笑って和泉がそう返す。

 はぁ、と嘆息しながら珈琲の入ったカップへと口をつけ……まだ熱いそれに舌打ちしながら離す。

 二度、三度、息を吹きかけ冷ましながら再び口に含み、胃の中に熱い物が流れていく感覚に体がぽかぽかとし、ほっと一息吐き出す。

 それを見て和泉がくすくすと笑い。

 

「なんだよ」

「いえ、別に。ふふ、可愛いなって思っただけよ」

 

 あのな、と半眼になって和泉を見やりながら、口を開く。

 

「どうせ先日の件だろ……聞いてやるから早く話せ」

 そんな自分の言葉に、あらあら、と頬に指を当てながら困ったと言った風に目を閉じる。

「せっかちね、有栖くん」

「別に急かしてるわけじゃないが……それでも多少気にはなってるからな」

 

 先日の件。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ここ数日テレビをつければニュースがずっと続いている。

「さすがに『ヤタガラス』も突然過ぎて隠蔽が間に合わなかったな」

 急だったこともあるが、何よりも規模が大きすぎた。

 何せ被害者が百を超える、その大半が死傷者に数えられ、生き残った人間のほうが少ないほどだ。

 十人、二十人ぽっと消えていなくなることは裏の世界ならしょっちゅうだが、さすがに百人を超えるとなるとそちら側でも珍しい規模の話であり、表の世界からすればまさに大惨事だ。

 小規模の事件ならば『ヤタガラス』ならばまとめて囲ってもみ消すだけの力はあれど、これほどまでに大規模な事件、無理にもみ消そうとすればどうやっても異常に気付かれてしまう。

 特にこのご時世、ネット一つで情報が拡散する時代だ。

 

 実際、ネットの掲示板でも情報が錯綜しており、無理にこれを消すことはできないし、やればそこに『何かある』と表の人間に教えるようなものであり。

 

 故に、何かあった。

 それをこちら側から提示し、そちらに衆目の注意を集めた。

 つまりそれがベアパニック。

 筋書では動物園に搬送中の熊が脱走した、ということになっており、実際そういう筋書きでニュース番組などでは報道されている。

 大半の人間がそれをそういう事件として認識しているが、一部の人間は当然ながら動物園への搬送に何故数十、或いは百にも届きそうな数の熊が暴れたのだ、という矛盾を指摘する人間もいるが。

 そもそも誰も正確な数など把握していないのだ、被害者の数も、加害者の数も、だ。

 あの日公園周辺にいた人間の数など誰も数えていないし、公式的な発表では被害者数は()()()ということになっている。実際にはその数の何倍もの被害者がいたとしても、都内の公園周辺に一斉に拡散した熊に誰が襲われたか襲われていないのか、など誰も数えていないし、数えられるはずも無い。

 だから最終的に現場を即座に立ち入り禁止にし、死体の数さえ誤魔化せばほとんど人間がそれを知ることなく。

 

 結果的に表の世界には都内で起きた悲惨な事件、の一言で一連の事件は片づけられた。

 

 とは言え、裏の世界においては真実の欠片がいくつも飛散しており。

 

「やっぱアルテミスで合ってたか?」

「ええ……弓を持った女。確かに有栖くんの言った通りだったわ」

 

 俺の場合、和泉という当事者から話を聞いた分、さらに、だ。

 

「しっかし、夜ならともかく、真昼から公園が異界化してアルテミスが現れるとか、その公園ってのはそんなやばい霊地だったのか?」

「いいえ……そんなこと無いわよ」

「だったら、何で?」

 

 女神/地母神アルテミス。

 ギリシャの狩猟と貞潔の神であり、この遠く日本においてもその名を知る人間というのは多い。

 表の人間の創作では良く出てくる名前でもあり、認知されているというのは概念体たる悪魔にとってとても重要なことだ。

 オリュンポス十二神の一柱であり、後にセレーネと同一視されたことで月の女神とされ、ヘカテーと同一視されたことで闇の神ともされている。

 元がどうだったか、というのは実のところ関係ない。

 伝承と逸話を元に概念を持って悪魔が生み出される以上、元がどうだったか、ではなく今どう思われているかが最も重要となる。

 故に、アルテミスは月の女神であり、狩猟の神であり、闇の神であり、森の神であり、純潔の神であり、山野の神であり、『遠矢射る』の称号を持つ疫病と死をもたらす神でもある。

 処女神とされるが、本質的には地母神の名が示す通り、繁殖と繁栄を司る者であり、特に野山の動物たちの生殖を司っている。

 動物の中でも熊と関わりが深い神とされており、今回のベアパニックを引き起こしたのはそういう経緯あってのことだろうと思うのだが。

 

「何で、だよな、ホント」

 当然の話だが、悪魔とは何の理由も無く発生しないし、高レベルの悪魔ならば意味も無く暴れるような真似はしない。

 そもそもの話、アルテミスほどの高レベル悪魔が発生するならば予兆のようなものがあるはずであり、それを『ヤタガラス』ひいては『葛葉』が見逃すはずも無い。

 だからこそ、『ヤタガラス』と『葛葉』にとって、今回のことは本当に不意打ちだったのだ

 

 『ヤタガラス』と『葛葉』の警戒をすり抜けて、都内でこれだけの騒ぎを起こせる悪魔が誕生する?

 

 否、だ。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 となれば答えは二つ。

 誰かが意図的に起こしたか、それとも()()()()()()()()()()かだ。

 だが後者ならばそれを『ヤタガラス』が気づけなかったという時点で隠されていたということであり、結局のところ誰かが意図的に起こした自体ということに違いは無い。

 

「お前は知っているのか? 和泉」

 

 自分のそんな問いに、和泉が一瞬黙し。

 

「まだ、確信は無いけど……といったところかしら」

 

 視線を僅かに逸らしながら何か考えるように虚空を見つめながら呟いたその一言に、そうか、とだけ返す。

 言わないならば、言えないことなのか、言わなくても良いことなのか、それとも言いたくないことなのか。

 まあどれにしたって無理矢理問い詰めるような真似はすまいと思う。

 目の前の少女の性質が善であることを知っている、ならば俺はそれを信じる。

 

「珈琲飲むか?」

 

 中身の無くなったカップを片手に立ち上がり、振り返りながら和泉に問う。

 頷く和泉に了解を伝え、台所に戻って珈琲を淹れて戻る。

 カップを和泉に渡し、和泉がそれを口につけ。

 

「はぁ……」

「お前だって同じことしてんじゃねえか」

 

 ほっと息を吐いた和泉を横目に呟き、自身もまたカップを傾ける。

 余り熱いのは苦手なので少しだけミルクを入れて冷ましたそれが喉を通り、胃に落ちて体を温める。

 

「良いじゃない……有栖くんの淹れてくれた珈琲美味しいんだもの」

「……そりゃどうも」

 

 少しだけ照れる。そんな自分の心情を察したかのように和泉がくすりと笑う。

 ついこの前までの激動の日々を忘れそうになるほどの穏やかな時間に、嘆息し、そうして苦笑した。

 

 

 * * *

 

 

 今更な話ではあるがアリスは悪魔である。

 悪魔にとって生きる……と言っていいのか分からないが、とにかくエネルギー源となるのはマグネタイトであり、基本的には同じ人間から摂取するか、悪魔を殺して奪うしか入手方法はない。

 だからと言って普通の食べ物が食べられないのかと言われればそんなことも無く。

 

「ふーふー……はー、おいしー」

 

 熱々の珈琲にたっぷりとミルクと砂糖を入れ、それを息を吹きかけ冷ましながら飲み、ほっと一息吐くアリスの姿を見せられると、本当にただの少女でしかなく、これが人間ではない悪魔であるなんて少し信じられない話だった。

 椅子に座りながら自身の淹れた珈琲をゆっくりと飲むその姿を見やりながら、視線をさらに移せば。

 

「……ん」

 

 こくり、こくり、と飲むというより舐めるようにカップを傾けるルイの姿があった。

 最近になって少しずつ情動が大きくなりつつある悪魔の少女は、さてこれからどうなっていくのだろうと考えさせられ。

 

「ま……なんでも良いか」

 

 呟きながら自らもまた珈琲の入ったカップを傾ける。

 砂糖の入っていないそれは、口に含めば強い苦みと僅かなミルクの甘味が感じられる。

 そうして友人知人も帰ってすっかり静まり返った室内を見ていると、どうしても考えさせられる。

 

「これからどうすべき、だろうな」

 

 上月詩織、葛葉咲良、河野和泉。

 今日来た友人たちの顔を見ていると余計にそう思わずにはいられない。

 

 自身、在月有栖はフリーのサマナーだ。

 

 ヤタガラスにサマナーとして登録はされているし、依頼を回してもらうこともあったが、それでも本質的にはどこの組織にも所属しておらず、基本的に誰から依頼を受けようと自由だったし、国家に害を為すようなことをしない限りヤタガラスだってそこは目溢しされていた。

 つまりこの日本にいる大半のサマナーと同じ立場の人間であり、葛葉キョウジとの繋がりによってややヤタガラス、というか葛葉寄りである、というだけの中途半端な立場にある。

 今までならばそれでも良かったのだ、ただのフリーサマナーとしてヤタガラスがキョウジから回される依頼をこなし、金を稼ぎ、強さを磨き、日々を暮らす。

 

 けれどそれももうダメだろうと簡単に予想できる。

 

 有体に言えば。

 

 ―――()()()()()()()

 

 (いち)サマナーが持つ戦力として考えるには余りにも過剰な力を、今の自分は持っている。

 

 あの怪物(ジョーカー)を、不死の神霊(ノーライフキング)を殺すほどの力が今の自分にはあり。

 

 それがどの勢力にも属していないのだ。

 

 しかも神霊が現世に出現し、しかも倒されたなどという一大ニュースが隠蔽できるはずも無く、DDSネット(裏世界事情専用ネットワーク)などでも騒がれている。

 さらにそれを倒したサマナーについての言及があるのは当然の話であり、当時自分と和泉しかあの場に居なかったため自分の素性にまで話が及んでいる様子は無いが、その手の人間が本気で調べれば、自身にそういう技能は無いため隠しようがない。

 

 今はまだ静観している連中も、いつかはこちらへと手を出してくるだろう。

 裏世界における戦力の均衡は奇跡的なバランスによって保たれている。

 特にこの日本における勢力図は凄まじく繊細であり。

 

 どの組織に入ったとしても均衡が大きく崩れる。

 

 それは確実な話であり。

 

 ()()()()()()()()()()()という選択肢が取れないのが辛いところだった。

 

 恐らく他の組織との非干渉を貫き、このままフリーサマナーを続ければ色々な組織が自身を取り込もうと手を出してくるだろう。

 それを振り払いながら日々を暮らすだけでも一苦労であるし。

 宙ぶらりんを続けるほどに業を煮やした連中が自身の周辺の人間に手を出す可能性は増していく。

 

 悠希に詩織。

 

 自分の周りには、確かに急所と成り得るものが転がっており。

 それを守るには個人の力だけではどうやっても無理がある。

 

 長い物には巻かれろとは言うが、結局方法など二つしか無いのだ。

 

 どこかの勢力に属するか。

 

 或いは、自ら勢力を打ち立てるか。

 

 とは言え後者はどう考えても現実的では無い。

 だから実質的には一択なのだ。

 

 問題はどこに属するか。

 

 候補は主に三つ。

 

 メシア教。

 

 ヤタガラス。

 

 ガイア教。

 

 この日本の地における最大勢力の三つの組織。

 所属するならばこれ以外にあり得ないだろう。

 

 とは言え、どの組織もメリットデメリットがある。

 

 例えばメシア教。

 

 属性的に言えばLow。

 つまり法と秩序を尊ぶ人間の集まりだ。

 社会的地位もある人間も多く、最も表社会に適合した組織と言える。

 世界最大派閥の宗教としての一面もあるため、その力は世界有数と言えるほどの絶大さがある。

 だが法と秩序を尊ぶということは、ルールに縛られるということだ。

 やりたくないと思うようなことだろうと、メシア教に属した以上はやらねばならなくなる。

 例えそれは自身の信念に反するようなことだろうと、だ。

 

 逆にガイア教。

 

 属性的にはChaos。

 つまり混沌と自由を掲げる集団だ。

 アングラな場所で根深く浸透しており、社会の裏側に強い影響力を持つ組織でもある。

 メシア教の不倶戴天の敵であり、最大の脅威である。

 裏世界において、メシアと勢力を二分する組織であり、強さという一点をどこよりも重視したここならば相当自由にやれるだろう。

 だがガイアに属することはメシアを確実に敵に回す行為である。さらに言うならば、秩序を守る側のヤタガラスからの印象も確実に悪化する。

 さらに言うならば、ガイア教内部の人間すら味方と呼べない、自由とは名ばかりの暴力と無秩序の集団だ、より一層非日常に置かれることは間違いが無い。

 

 最後にヤタガラス。

 

 属性的にはNeutral。

 この日本において、表社会に最も力を持つ国家機関であり、立場的に言えば中立を掲げている。

 問題はこの中立が凄まじく意味が難しいということか。

 どちらの敵でも無い、という意味の中立ではなく、どちらの味方でも無い、という意味の中立のため、メシア教とガイア教、どちらとも積極的には敵対せずとも、いざという時どちらとも敵対するのがヤタガラスだ。

 護国鎮護の役割上、放置すれば社会に大きな影響を与えるような出来事には何でも介入するし、今まで以上に多忙になることは間違い無いだろう。

 間違いなく、他のどの組織よりも安定はあるだろうが、敵は増えるだろう選択肢だ。

 

 どの組織を選んでも面倒にしかならないが、これ以外に選択肢があるのかと言われればそれもまた別の話であり。

 

「……選ぶ、しか無いんだよなあ」

 

 思考し、嘆息し、カップを傾け残った珈琲を押し流した。

 

 




キミはキミの大切な日常を守るために決断を迫られている。

だがどれを選んでも待っているのは面倒ばかりな、糞みたいな話である。

さあ、キミは一体どれを選ぶんだい?

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