有栖とアリス   作:水代

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和泉と襲撃

 

 

 

 ぴちゃ、ぴちゃ

 

 あっ……ああ、あん……あぁぁぁぁ……

 

 ぴちゃ、ぴちゃ

 

 う……あぁぁ……あぁ……

 

 暗い室内で水音と女の嬌声が響いた。

 日の光も届かぬ閉ざされた地下の一室で、けれどそこは異様なほどの熱気で包まれていた。

 耳を澄ませば()()()()から聞こえる悲鳴染みた嬌声。

 暗く視界が聞きづらいその場所で、けれどやがて目がこなれてくれば見えてくるだろう。

 

 部屋の至る所で絡み合う男と女の姿を。

 

 まさしくそれは異様な光景だった。

 一糸まとわぬ男と女が幾人も、幾人も、まるでそれ以外何も知らないとでも言うかのように互いを貪り合い、舐め合い、繋がり合っていた。

 周りに人がいることなど気にもしない、否、時折だが近くに他の男女が来た時にはお互いのパートナーを入れ替えて性交を続ける。

 まさしく獣欲に満たされたその場で。

 

 ―――だからこそ一人佇み笑う女はさらに異様だった。

 

「ふふ……うふふふ……」

 

 白一色のワンピースを着た金糸の髪を腰まで伸ばした女は、けれどその獣欲に満ちた空間に一切交じり合わないほどに清らかで、けれどどこまでも目を惹き付けるほどに艶めかしかった。

 目の前で繰り広げられる獣の饗宴に、けれど混ざることも無く、かと言って侮蔑する様子も無く、ただとても楽しいと言わと、零れんばかりの笑みでもってその光景をただ見守っていた。

 

「良いわ……もっと、もっと曝け出しなさい。素直になれば良いのよ」

 

 楽しそうに女が笑う、嗤う、嗤う。

 

 そうして、女は。

 

 ―――『ミストレス』が口元に弧を描いた。

 

 

 * * *

 

 

 こつん、と靴が石畳を叩く。

 こつん、こつん、こつん、と音が重なり響き合い、狭い通路の中で反響し合う。

 灯りの一つも無い暗い暗い石造りの通路を男は不機嫌そうに歩く。

 手の中でかち、かち、と何度もライターの蓋を開いては閉め、開いては閉めを繰り返す。

 少し足早に音を立てながら歩くその姿が、どこか男が苛立っているようにも見えた。

 

 ―――異様な男であった。

 

 上は黒と白のチェック模様のTシャツと深紅の長袖のパーカー、下は黒の短パン。

 口に咥えた煙草が苛立たし気に何度も上下し、立ち上る紫煙はけれど虚空へと消えていく。

 それだけ見れば都心でもよく見かけるのだが。

 その手に黒い手袋をはめ、顔には白い仮面をつけていた。

 まるで表情の無い髑髏を模したような真っ白な仮面。

 首元には白のマフラーをぐるぐると巻き、頭部はパーカーについたフードを覆い。

 それでも隠しきれず肌が露出する箇所には包帯が巻かれており。

 服や仮面の上からすら巻かれた包帯が、男の性格的な粗雑さを語っていた。

 

 煙草の先端についた火が燃え、徐々に煙草が短くなっていく。

 

 そうして、歩き、歩き、歩き。

 

 すっかり短くなった煙草を通路の上に吐き出し、靴で踏みにじり。

 

「ふう……」

 

 口の中に溜まった紫煙を吐き出しながら、視線の先、赤い扉を見やり。

 

「入るゼェ」

 

 蹴るようにして扉を開き、かつん、かつん、と足を進めていく。

 そうして部屋の奥。

 男の視線の先、広い部屋にぽつん、と置かれた椅子に座ったソレを見つめると。

 

「ああ……よく来てくれました、『大悪竜』」

 

 ソレが振り返りながら男へと語りかけ。

 

「キミに一つ頼みがあるのですよ」

 

 男へと笑みを投げかけた。

 

 

 * * *

 

 

 月神アルテミスとの戦いは実にあっさりと終わっていた。

 

 レベルにして恐らく40を超えるだろう大物悪魔だったが、けれど対峙する和泉はレベル90を超える世界有数のペルソナ使いだ。

 当然ながら純粋なステータスで負けるはずも無く、必殺の弓もクロスの協力もあって苦も無く無力化し、あっさりと、至極あっさりと和泉はアルテミスを討ち果たしていた。

 ヤタガラスが来るよりも先の出来事であり、このことを知っているのは和泉本人を除けば協力者の響野十字と、相談を持ち掛けた在月有栖くらいのものだろう。

 だから、それ自体は良かったのだ……そう問題があるとすれば、その後の話であり。

 

 撃ち果たしたはずのアルテミスが光となり、そうして消え去った後の話。

 

 有栖へと相談しようとして、終ぞできなかった話。

 

「どうしたものかしらね」

 

 ベッドの上で眠る双子の兄妹を見つめながら嘆息する。

 背をもたれた椅子がきぃ、と軋む音を立てる。

 黒一色に染まった珈琲の入ったカップに口をつけ。

 

「……不味い」

 

 先日有栖の家で飲んだ珈琲はあんなにも美味しかったのに、と思うが最早同じ飲み物とは思えないほど酷い熱い泥水のようなそれをけれど一気に飲み干し。

 机の上に置いた数枚の書類を手に取り、もう一度眺める。

 それはついこの間双子が囚われていた地下研究施設から強奪してきた研究のレポートであり、そこにはそこに捕らえられていた双子についての記述があった。

 

 兄の名をロン。

 

 ()()()()()()()()()()()である少年。

 

 妹の名をアル。

 

 ()()()()()()()()()()()()である少女。

 

 一体どこで見つけてきたのか、転生者などこの裏の世界においてさえも希少性という意味では群を抜いている。

 転生者とは文字通り転生を為した()である。

 正確には神として祭られた悪魔の分霊が輪廻の輪に交じり込み、人として生まれ落ちた存在である。

 当然ながらその希少性は通常の異能者とは比べ物にならず、また引き継いだ力はそう多くないとは言え、元は神の力だ。その強さは押して知るべしと言ったところか。

 とは言え、生まれた時から転生を自覚する転生者はほぼ皆無であり、或いは自らが転生者であると一生気づくことも無く生涯を終える転生者も大半であると言われてる。

 そしてただでさえ希少な転生者の中でも、ほんの一握りの存在だけが前世を自覚しその力を操ることを可能とする。

 あの地下研究施設で行われていたのはつまり、自覚の無い転生者に自覚を促し、神の力を引き出そうとすること。

 とは言えそれはまだ前段階であり、そこからさらに何かを行おうとしていたのだろうが。

 

 問題は実験によって暴走した転生者から()()()()()が抜け落ちてしまったということだろうか。

 

 和泉が……正確に言えばガイアがあの地下研究施設の存在を嗅ぎ付けた元々の原因がそれだった。

 この帝都地下において大規模な活性マグネタイトの発露を感知したガイアは、同じものを感知しただろうヤタガラスに先駆けて地下研究施設の存在を突き止め、その襲撃を和泉に命じた。

 件の研究施設はすでにヤタガラスに差し押さえられているが、あらかたの資料や実験体であった双子などは和泉が回収し、研究員たちも大半は死んだだろうことから、未だに捜索の手は帝都内のあちらこちらへと伸びている。

 そして和泉にとってそれは逆に()()()な話であり、ヤタガラスの手から逃れることを理由に双子の研究資料をガイアへと送るに留め、和泉本人はガイアの本拠である上野に近づくことすら無かった。

 そう好都合な話なのだ、わざわざ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()程度には。

 

 和泉の襲撃から間を置かずして研究施設がヤタガラスに制圧された、ということは。

 逆に言えばガイアから研究施設の状態を確認することが難しい状態であり、後は和泉の報告と現物資料さえ送ればそれ以上の追究ができなくなるということでもある。

 殺害依頼をされた研究対象を匿っているのは当たり前だがガイア教の教主への背信であり。

 

 背信はバレなければ責任にはならないのだ。

 

 まあそもそも、ガイア教において信頼などという言葉は最も意味の無い物であり、次いで忠誠、連帯、責任感の順に並ぶ。

 ガイア教の秩序とは力であり、ガイア教の自由とは無法である。

 力で押さえつけた上下関係、弱者は強者に搾取され続ける一方的な共存。

 唯一共通するのは秩序(メシア)の敵である、という事実だけだ。

 

 だからこそ、そう、だからこそ。

 

 何度でも言うが。

 

 いかなる背信行為も発覚さえしなければ問題にはならない。

 

 逆に言えば。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ドォォォン、と。

 和泉の拠点としているマンションの入り口、玄関から轟音が響く。

「なっ?!」

 咄嗟、和泉が手元に置いた銃を手繰り寄せ、飛び出し。

 

「よォ……こんばんワ、死ネ」

 

 そこにいた男の姿を視認すると同時に。

 

 黒紫色の二つの光が同時に放たれ、さらなる爆音がマンションに響いた。

 

 

 * * *

 

 

 空より広大な地上の都市を見つめながら、ソレは考えていた。

 

「オォ……ナントケガラワシキマチカ」

 

 堕落した街、信仰無き人々、そして悪魔が暗躍する社会。

 その全てがソレにとって(けが)らわしく、そして(おぞ)ましい。

 その手に持った弓を天高く掲げる。

 

「オオ……オオ……ナントイウコトカ」

 

 悲しみすら漂わせながら、手の中の弓の感触にソレが呟く。

 ソレと同一にして別なる存在が消えていくのがソレには分かった。

 手の中の弓が震えている、震え、そして悲しみに泣いているのが分かる。

 

「アルテミスヨ……」

 

 神話において双子の妹とされた女神の名を呼びながら、ソレ……魔神アポロンは考えていた。

 この地上は穢れている。街は堕落し、かつてのソドムを思い出させるあり様を神は嘆いている。

 

「ジョウカゾ」

 

 正さねばならない、あるべき姿へと。

 人は、人の街は、もっと清く、そして高潔でならねばならない。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 だがそのための力が足りない。

 転生者として覚醒しようと、今のアポロンにはかつての力は無い。

 さらに言えば、今のアポロンは転生者の内から抜け出した力の末端でしかない。

 

「トリモドサネバナラナイ」

 

 力を、かつての栄光を。

 

 そのためには……。

 

 そのためならば……。

 

 

 * * *

 

 

 響野十字が異常に気付いたのは、あのベアパニックの日から一週間後のことだった。

 響野十字は所属的に言うとフリーだった。というか()()()()()()()ですらない。

 ただ特異な力があり、かつてそのせいで裏の事情に巻き込まれ、それを和泉に助けられた。

 そんな和泉の在り方に惹かれて和泉を助けていた。

 言わば、和泉の個人的な協力者のようなものだった。

 故に普段は学生として学校に通っているし、和泉から連絡をもらえば協力者として現場に駆け付けることもする。

 

 そんな和泉からもう一週間連絡が無い。

 

 普段ならばそこまで気にするほどのことでも無いだろう。

 結局和泉にとって十字は協力者であって、パートナーというわけではない。

 十字とて和泉が本当に大切な誰かがいることを知っているし、それで良いと思ってる。

 別に響野十字は河野和泉に恋慕しているわけではないのだ。

 その在り方を美しい、尊いと思い、そんな彼女の手助けをしているだけで、彼女の特別になりたいわけでも、パートナーになりたいわけでも無い。

 だから協力者……とは言えだ。

 

 和泉という少女はあれで本当にガイア教団の所属なのかと思うほどに義理堅い。

 本人は突き放したような言い方が多いからこそ助けられた直後は気づけないのだが、逆にそこで本当に突き放すような少女が何の見返りも無く人助けなどするか、という話であり。

 

 まあ話が逸れたが、少なくとも和泉という少女は一週間前の公園での件のように十字を使()()()事件に関しては後日に簡素ながらどうなったか、という報告をくれる。

 電話だったりメールだったり方法は違うが、最初の数日はまだガイアへと報告に言っているだろうから結果報告というのは無理だとしても、だいたい一週間以内には報告が来る。

 

 その和泉からもう一週間連絡が無い。

 

 それを異常だと十字は感じた。

 勿論、ガイア内部でごたついているだけの可能性はあるのだが。

 何と言えば良いのか、十字自身曖昧で言葉にできない感確なのだが、強いて言うならば。

 

 ()()()()()()()

 

 だから休日の朝から教えてもらった和泉の拠点の一つに足を運んでいるのだが。

 

「……なんだよ、これ」

 

 拠点の一つであるマンションの前までやってきて、足を止める。

 十字がやってくる前からすでにマンション前には人だかりができていた。

 何故? その理由はすぐに判明する。

 

「……和泉」

 

 上層階の一角、確かちょうど()()()()()()()()

 巨大な穴が開いていた。

 玄関らしき場所に大穴が空き、部屋の内側は見えないがどう見たって真っ当な状態ではないことだけは確かで。

 

 咄嗟に、駆けだした。

 

 階段を駆け上り、上へ、上へと昇って行き。

 

 そうして、和泉の部屋の前までやってきて。

 

「……っ」

 

 手が震えた。

 抉られたような壁の穴、そして崩れ落ちた玄関前の通路。

 すでに警察の手によって立ち入り禁止のテープが張られ、中は見えないが。

 

 明らかな異常の痕跡だけは、はっきりと残っていた。

 

 




というわけで今回の話で赤の章前半終了。
次回から後半に入っていくよ。

え? 短い?

本来一章ごとはこのくらいなんやで(四章がおかしかった

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