鬼神西住   作:友爪

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西住みほの夢と、秋山優花里の夢。
西住みほの日常と、秋山優花里の非日常。


鬼神西住10

 荒涼たる大地には冷たく厳しい風が吹き、異郷からの来訪者を全く歓迎していないように思われた。

 荒れた大地を踏みしめて、戦車隊は進む。駆動音を響かせながら、ひたすら前へと向かって前進する。

 

 数ある戦車の先頭を走る一台……そのキューポラから半身を乗り出している者がいる。

 吹き荒ぶ風を身体一杯に受けて、それでもただ静かに笑っている女がいる。

 どこか自分の面影を持つ彼女は、短い黒髪を(なび)かせて、ただ前だけを見つめている。

 

 女が不意に手を大きく掲げた。戦車隊は一斉に停止をした。

 地平線の向こうに目をやると、見渡す限りの黒い影……敵の戦車の軍団が待ち構えている。

 戦況は絶望的、味方の軍は既に壊滅し、補給さえ十分ではない。今乗っているその戦車さえ、既に満身創痍の銃痕だらけだ。

 

 それでもあなたは笑うのか。

 

 彼女は、この全ての光景を愛おしむように、静かに笑っていた。

 私は不思議に思う。命すら保証できないこの状況で、あなたは何故そんなに穏やかなのだろうかと。何故そうやって、笑っていられるのかと。

 

「楽しいなぁ」

 

 彼女は心底愉快そうに独り言ちた。

 

「私の闘争は終わらない。誰かが続けるようとする限り、永遠に。私の次は子供が、子供の次は孫が、孫の次は曾孫が……なんて素晴らしいことだろう!」

 

 彼女は世界の全てを抱くように腕を広げ、哄笑した。

 

「私は生き続ける。そうさ」

 

 こちらを指でさして言う。

 

「西住の血の中で」

 

 ◆

 

 みほは、胸の高まりに、目が覚めた。

 時計を確認すると、まだ日も登らぬ時間であることが分かった。

 ベッドから起き上がる。こういう夢を見た時は、どうせもう眠れやしない。

 

 速やかにウェアに着替え、日課のランニングの為に外に出た。朝のひんやりとした空気と、潮の香りが心地いい。

 大きな交差点まで出ると、一旦立ち止まり、ポケットから折り畳まれた紙を取り出す。近所のコンビニで購入した、大洗女子学園の全体地図である。

 

 みほは転校する前に大洗女子学園の地形を調べたが、実際に歩いてみなければ分からないことの方が圧倒的に多い。現地事情の把握というのは、あらゆる事において重要である。

 

 みほは今日走るルートを決めると、地図をポケットに仕舞った。どんな細かいことも見逃さぬよう、周囲に意識を広げて、再び走り出した。

 注意を払いながらも、ペースは落とさない。むしろ身体が温まるにつれ、ぐんぐんとペースを上げていった。

 

 先に決めたルートの最後は、小さな公園に辿り着くように設定していた。ここで軽く体操をして、朝のランニングは終了するつもりであった。

 非常に暗い公園だった。灯が切れているようだった。今日は月明かりも出ていない。

 子供が遊ぶには少し危ないなと思っていると、公園の藪の方から声が聞こえた。

 耳をすませてみると乱暴な男の声が二つと、消え入りそうな女の声。それも「助けて……」と言っている気がする。

 

 みほは、特別何かを思うわけでもなく藪に入って行った。

 

 数分後。何度も何度もお礼を言う、服のはだけた女性に「早く帰った方がいい」とだけ伝えて、みほは藪から出た。

 その時、手に持っていた拳大の石も一緒に捨てた。

 後は予定通り、身体ほぐしの体操をして、さっさと家に帰った。

 

 まだまだ登校までには時間がある。みほはウェアーから制服に着替え、机に向かった。

 今日走ってみて気が付いたことを、それ用の地図に詳細に書き込んでゆく。こうすることで、絶対に忘れることがなくなるのだ。

 書き込み用の地図は既に文字で真っ黒になっていた。ほぼ大洗女子学園全体を網羅したと言って過言ではない。

 

 この習慣は、黒森峰女学院に在籍していた頃から続けている。また、寄港する港周辺の地図も必ず事前に手に入れて、分かる限りの情報を書き込んでいた。

 今や、ダンボール一杯分の地図が真っ黒になっている。

 その地図の全てが、みほの頭には入っているのだ。

 

 大洗女子学園の地図を眺めながら、みほは様々な状況を思案する。状況設定、試行、結論、考察……正調西住流は戦車だけではなく、環境全てを()()して戦闘を実行する。その為の労力を惜しみはしない。

 目を閉じれば、風景の全てが脳内で構築でき、それを現実と照らし合わせ、未来を予測できるようになるまでが本来前準備の段階なのだ。

 戦術やら腕やらは、その後である。

 

 みほが幾度目かの結論を得て考察を完了すると、登校するに良い時間になっていた。

 広げた地図を仕舞い、細かい身支度を手早く終わらせると、最後に一つの写真立てに面した。

 古ぼけた白黒の写真……みほがこの世で最も尊敬する人物の肖像だ。

 

「行って参ります、曾お祖母様」

 

 みほは、写真の中で穏やかに笑う彼女とそっくりな笑顔で笑うと、学生寮を出発した。

 今日は、大洗女子学園に来てから初めての戦車道の授業が始まる日だ。

 

 今日も西住みほの闘争が始まる。

 

 ◆

 

『大洗万歳! 西住殿万歳! 我等の戦車隊長!!』

 

 大地を割らんばかりの大歓声が響いている。道沿いに群衆という群衆が集まって、熱狂的に叫んでいるのだ。道路の向こうから戦車が現れると、その歓声は一層大きくなった。

 

 そうか、これは戦車の凱旋パレードだ。

 

 自らも群衆の中に居る秋山優花里はそう理解した。

 理解した途端、興奮が湧き上がってきた。優花里は人をかき分けかき分け、遂に戦車と対面するに至った。

 

 その時、対面した戦車から半身を乗り出して手を振る『彼女』と目が合った。

 西住みほ。

 優花里が、崇拝していると言って良いほど尊敬している戦車道のトップエースだ。

 

『大洗万歳! 西住殿万歳! 我等の戦車隊長!!』

 

 みほは優花里と目が合うと、にっこり笑った。そして、こちらに手を差し伸べた。

 それは「一緒に乗ろう」と言っているようだった。

 優花里は歓喜に打ち震えた。まるで夢のようだ。

 そして、遂に優花里はみほの手を取って、同じ戦車の上へ──

 

「西住殿万歳ぃ!!」

 

 そこで、目が覚めた。

 勿論、夢である。

 

 寝床から跳ね起きた優花里は、興奮の余韻も冷めやらず、掌を握ったり開いたり、部屋をうろうろして唐突に敬礼してみたり、傍から見れば奇行としか思えないような動作を一通りしてからようやく落ち着いた。

 

「なんと……いい夢でありました……」

 

 最後に独り言を言ってから、朝の食卓へ向かった。

 朝食を食べながらも、自室から持ち込んだ戦車模型を卓に置いて、にやにやしながら咀嚼していると、母親に「行儀が悪い」と叱られた。

 

 浮かれるのも仕方が無い、今日は戦車道の初授業の日なのだ。

 優花里は、この日をどれだけ待ちわびていただろうか。

 幼い頃から身も心も戦車に捧げてきた。ありとあらゆる戦車グッズを買い集め、戦車道の近況の情報収集も欠かさない。いつか戦車に乗る日の為に、筋力トレーニングだって行っていた。

 高校に進学する時は、戦車道を行っている学校に進学しようとまで考えたが、親元から離れるのは色々と不安があって断念した。

 それから優花里は、高校で戦車道をするのは諦めていたが、なんと今年度から復活するというのだ。その知らせを聞いた時は、天にも登る心地だった。

 

 優花里は身支度を整えて、何時もより早く家を出た。

 その時、秋山理容店のウィンドウガラスに貼られたポスターが目に入った。『大洗女子学園 戦車道復活!!』の文字がでかでかと強調されている。

 

 選択科目の願出期間が終了してからというもの、学園艦を挙げての戦車道の広報が始まっていた。

 そこら中に貼られているポスターを始め、学園艦新聞、ラジオ、果てはローカルTVに至るまで。そこで生活していれば、好みに関わらず戦車道について見聞きするような状態だった。

 

 この一連の流れを、優花里は、ある種誇らしい気持ちで眺めていた。

 自分が愛してやまないものを、世間全体が評価してくれている気分になったからだ。

 今や、戦車道以外の選択をした生徒達は「やっぱり戦車道にしておけば良かった」などと嘆く光景が日常茶飯事だ。

 そういう声を聞く度に、優花里は得意気になった。「私は昔から戦車の良さを知っていたんだ!」と大声で自慢したくなる。

 

 だが悲しいことに、その戦車一筋の姿勢のせいで、友達ができたことはなかった。

 しかし、寂しいと思ったことは(あまり)ない。

 優花里には心の支えとなる人がいた。

 

 西住みほ。

 

 由緒正しき西住流の戦車乗りだ。

 優花里にとって西住みほ選手というのは、まさにトップスターだった。自分と同じ歳ながら、その華麗で鮮やかな戦車道は優花里を魅了して止まなかった。

 加えて、見目麗しい微笑みと、カリスマ溢れる口上に、完全にノックアウトされた。

 彼女が掲載している雑誌は朝一で買いに行ったし、TV出演者するとなれば、それを録画して、画面に穴が開くほど見返した。

 当然ファンレターは何通も何通も送り、ある時、送り過ぎて辟易されてはいないだろうか……と自己嫌悪に陥る程の入れ込みだった。

 

 その西住みほが、なんと今年度、大洗女子学園に転校して来た。

 

 奇跡だと思った。

 インターネットでその情報を発見したとき、優花里は「ヒヤッホォォォウ!!」と奇声を上げて飛び上がった。飛んだり跳ねたり叫んだり、それで母親に怒られても興奮は冷めず、血圧が上がって鼻血を流して気絶して、ようやく正気に戻った。

 

 気絶から覚めた時、もしや夢ではなかろうかと疑ったが、学校で実際にみほを目にしてから疑いは彼方へ吹っ飛んだ。

 しばらくのうちは、近づくだけで血圧がインフレーションするので遠巻きに眺めるだけだった(それでも心臓に悪かったが)。

 学校に、みほに挨拶をして手を挙げさせる風潮が流行り出してから、ようやく廊下ですれ違うことが可能になった。

 

「おはようございますッ!!」

 

 と(声を裏返して)敬礼すると、みほは優しく微笑み、ひょいと手を挙げて「おはようございます」と答礼してくれた。

 周りには変な目で見られたが、そんなことがどうでもいい程の歓喜に包まれるのだった。

 西住殿は私の顔を覚えてくれているだろうか……想像すると沈黙の授業中でも顔がにやついて仕方が無かった。

 

 そして今日という日。

 戦車道の初授業で、同じ戦車乗りの()()として西住みほに謁見するのだ。

 

 人生最良の日とはこのことか。もう、胸の内をどう表現していいか分からない。

 知られざる期待を胸に秘め、秋山優花里は学校へ向かって前進した。

 




人間というのは、そう望めば犬にも奴隷にもなれる。そして困ったことに、当人はそれを誇りにすら思っている。

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