鬼神西住   作:友爪

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風紀委員会は学生を取り締まる権利を正式に与えられている組織である。


鬼神西住11

 風紀委員の朝は早い。

 お日様がようやく顔を出すと同時に起床し、こうと定めたルーチンに従いばっちりと身支度を済ませ、生徒の誰よりも早く登校する。

 そして『風紀』と銘された腕章に手を通し、校門前に集合である。

 

 何時もの通り、一番乗りで集合した園みどり子は、朝の空気を大きく吸い込んだ。この瑞々しい空気を吸うと、身も心も引き締まる心地だ。

 風紀委員の仲間がやって来るまで、少しの間一人になる。この僅かな時間に、色々と考え事を巡らせるのがみどり子の日課であり、また、お気に入りの時間であった。

 

 今日も変わらない、平凡な朝だ。

 

 みどり子は「うん」と大きく頷いた。

 平凡な日常というのは尊いものだ。定められた服装、規則通りの素早い行動、スケジュール通りの生活……どれもこれもが素晴らしい。

 それらに則って生きるというのは、とても気持ちが良いものだ。

 

 聞くところによると、世の同世代というのは、代わり映えのない日常を良しとしない者が大勢居るという。

 だがみどり子は、そんな事を思ったことは唯の一度も無かった。規律に沿って生活するということが、世の正しい風紀を作り上げるのだと信じていたし、それから外れるのは破壊的だとすら思っていた。

 だから、道を外れる生徒(なかま)を見放して置くことなど、みどり子の正義感が許さなかった。その為に、風紀委員長にまでなったのだ。

 

 我ながら、器用な性格ではないと思う。良かれと思ってやっていることが「余計なお節介」だと邪険にされる事など、日常茶飯事だ。もう少し上手くやれないものだろうか……そう自問したこともある。

 けれども、それは無理だと分かった。何故なら、その愚直さこそが自分の芯であり、あらゆる行動力の源であることに気が付いたからだ。これを変えることは、何よりみどり子自身が許さない。

 

 結局、それでよいのだ。

 疎まれ邪魔にされ邪険に扱われるのは風紀委員の宿命だ。その()()()()()()で社会風紀に少しでも貢献できるのなら、僅かでも救われる生徒が居るのなら、それで上等だろう。

 それが自分の覚悟であり、誇り(プライド)だ。

 

 決意も新たに、背筋を伸ばした。「よーし!」と気合の拳を掲げると、丁度風紀委員の学友がやって来るのに気が付いた。

 みどり子はにんまりする。あの子たちは共に風紀を取り締まる仲間だ。一般生徒に嫌われようとも、あの娘たちは私の頑張りを分かってくれているだろう。

 

 それでよい。誇るべき仕事があって、理解者が少しいるというのは、それだけで幸せである。

 

 理想とすべき目標があるなら、尚更良い。

 

 ◆

 

 みほは、何時も遅くもなく早くもない時間に登校する。

 通学路の途中にあるパン屋から漂う良い香りの誘惑に負け、二、三個のパンを朝ご飯の足しにしてしまうのも何時もの日常だ(おかげで店主とは顔なじみである)。そこかしこに掲示されている戦車道宣伝ポスターを横目に、校門に着く前にはすっかりパンを食べ切ってしまう。

 その道中、沢山の生徒から「おはよう」と挨拶される。みほは一々手を挙げて返礼した。

 場合によっては、話しかけられることもある。有名人の転校生に、興味があるのだろう。みほは何時もの通り、にこやかに()()()する。すると、相手は決まって良い気分になって、一日を頑張ろうという意気込みが湧いてくる。

 そういう登校風景も、もはや通例だ。

 

 校門にまで辿り着くと、やはり風紀委員の三名が立っていて生徒の身嗜みの乱れなどを、とやかく注意していた。

 そして、みほが近づいて来ることに気がつくと、三人は一糸乱れぬ動作で片手を挙げた。まるで敬礼だ。

 みほも慣れた様子で応じた。少し前から、これが朝のやり取りとして定着していた。

 

『おはようございます、西住さん』

 

 三人は異口同音にそう言った。

 

「おはようございます。今日も頑張っていますね」

「ありがとう。でも、これが私達の仕事だから、苦にはならないわ」

「それが頑張っていることだと思いますよ?」

「ええ……その、ありがとうっ」

 

 みほが労いの言葉をかけると、園みどり子が代表で答えた。残りの二人は、尊敬というか、憧れというか……そんな目でみほを見ていた。

 微笑みかけてあげると、赤面してさっと顔を逸らすのがいじらしい。

 

 朝のやり取りが定着する頃から、みほは風紀委員に目をつけられていた(と言っては語弊があるかもしれないが)。

 

 

 転校して初めて登校した際、みどり子はみほに声をかけた。風紀委員はタブレットで登校者を管理しているから、それでみほが転校生だということに気が付いたのだろう。

 

「転校生の娘ね。前の学校ではどうだったか知らないけれど、大洗女子学園では風紀委員(わたしたち)が風紀を取り締まっているから、よろしくね」

 

 初対面でぶっきらぼうな態度を取られたみほは、それを気にかける様子もなく「よろしくお願いします」と笑顔で頭を下げてから、握手のための手を差し出した。みどり子はちょっと驚いた顔をしたものの、快くみほの手を取った。

 

 みどり子は基本的に風紀委員として初対面にあっては、多少高圧的に出る。これは風紀委員の威厳を誇示する為の態度であって、これを受けた者は、大抵萎縮するものだ。

 けれど穏やかそうな転校生は、その様子を微塵も見せなかった。それが意外だったのだ。

 相当鈍いのか、それとも胆力が大きいのかは、その時は分からなかった。

 

 それから風紀委員は転校生のことを、注意深く観察していた。みほが特別というわけではなく、新しい生徒の素行を観察するのは仕事の一環である。

 みほの素行は感嘆すべきものだった。

 素行優良、学業優秀、それだけでも褒めたいところだが、更にみほは人間的に著しく出来ていた。

 

 困った人を見かけては助け、大変そうだったり悲しそうにしている人の機微を見抜き気にかける。それが学校のみならず、一般公衆でもその振る舞いは変わらない。

 その結果、不利益を被ることになってしまっても、ただ静かに笑うのだ。そして、何度その様な目にあっても行いは続けられる。

 真の()()がそこにあった。

 

 個々の調査を持ち寄ってこの結果に達した時、全員に感激の波が押し寄せた。

 風紀委員とは、理想の姿へ生徒を導くことが責務である。理想に近付くために、会員自らも厳しい規則に則って生活をしている。

 ある意味、風紀委員会とは求道者の集団と言っていいだろう。それについて、彼女達自身、神聖視をしている面もある。

 その追い求める理想と、新参者の転校生……西住みほとを比べた時、そこにどれだけの差があっただろう。

 

 想像力の限り、西住みほは全く理想の体現者であった。

 

 結果から結論を導いた時、風紀委員達は、無言で握手を交わしあった。感情を口にすれば、途端にそれが俗なものになってしまう気がした。

 それで十分だ。それだけで、思いが伝わるのが風紀委員の絆であるから。

 

 みどり子は、みほと話がしてみたくなった(それはみどり子だけではない)。理想の人物が同じ学校に通っているのだから、その感情は当たり前である。

 滅多に使うことのない風紀委員長権限を行使して、みどり子はみほを風紀委員会室に呼び出した。もちろん教育的指導目的ではなく、()()()()()の為である。

 

 放課後。みほは一分のずれもなく、時間きっかりに現れた。

 相変わらず緊張している様子もない。いきなり呼び出されて、怖がっているのではないかと心配していたから、救われた気分になった。

 客人に椅子を勧めて、お茶や茶請けなどを出すと、みどり子と風紀委員代表二名の、計三人でみほと対面した。

 転校生に接触するだけの目的にしては、相当不器用なやり方だった。少なくとも女子高生らしくは全然なかった。

 

「その……西住さん、今回は、その……ええと…」

 

 会話の滑り出しまで不器用だった。

 それもその筈だ。そもそも呼び出した明確な理由などないのだから。

 普段生徒を怒ってばかりなので、こういう場でなんと話してよいのか分からない。

 

「私は、何かしてしまったのでしょうか?」

 

 みほが怪訝そうに首を傾げる。

 

「ち、違う! 西住さんの生活態度は素晴らしいわ! そうじゃなくて、今日は、その……」

 

 暫しもごもごと言い訳を考えてから、みどり子は意を決した様に言った。

 

「あなたと、お話がしたいと思って……」

 

 結局、正直に言ってしまった。別にやましいことを考えているのではない。ならば正面から当たるのが風紀委員の心意気である。

 それでも恥じらいがある。みどり子は真っ赤になっていた。

 意外な返答に、みほは目をぱちくりさせると、何時もの様ににっこりとした。

 

「私で良いなら、喜んで」

 

 はっとする様な笑顔に、向かう三人も一瞬見とれてしまった。

 それから、堰を切ったような勢いで()()()が始まった。それは、風紀委員側が質問をして、それにみほが答える……というのが殆どだった。

 

 それらの会話から、みどり子たちは、みほの生い立ちや、転校の理由などを知った。

 同情しつつも、みほの気高い精神に心奪われた。

 みどり子たちは語らうにつれて、心の中の理想形がどんどん明確に作られてゆくのを感じていた。

 

 会話に花を咲かせていると、時の経過というものは早い。あっという間に下校時刻になってしまった。

 しかし、校則は校則だ。もうお別れしなくてはならない。

 みどり子は、最後に、一番聞きたかったことを聞いた。

 

「西住さん、あなたは何故そんなに人に親切にするの?自分が傷ついてまで、その理由は何処にあるのかしら?」

 

 みほは迷うことなく答えた。

 

「優しさはこの世で最も尊ぶべきものだからです。誰かを思いやって行動するのに、理由なんて、私は求めません。それが正しいんです。とっても簡単なことじゃないですか?」

 

 その言葉は雷の様な衝撃となって、みどり子たちの心を打った。

 みほの言う『正しいこと』を身を賭して実行することの困難さを、風紀委員は知っている。

 

 『簡単なこと』……そうか、彼女にとってそれは当たり前の生き様なのだ。

 私達が風紀に貢献するのが苦でないように、西住みほにとってそれは苦になり得ないのだ。

 なんて、尊い魂を持っているのだろうか。

 

「でも」

 

 みほは三人を順番に見て、朗らかに言った。

 

「その志は、風紀委員の皆さんも一緒なんだって、思います」

 

 その言葉を聞いた時、みどり子たちは自然と同時に頭を深く下げていた。今こそ、最高の敬意をみほを抱くに至っていた。

 ()()()()()ということの意味を、三人は人生で初めて知ったのだった。

 

 

 そういうことがあって、今や風紀委員会の全体は、みほに対して最高度の敬意を払っていた。

 聞く所によると、朝この校門に立つ仕事をやりたいという委員のメンバーが激増したようだ。みどり子は固定として、その他二人は人選の回転が激しいことに、みほは気がついていた。

 

「今日は戦車道の初授業だそうね」

「ええ、そうですね」

「何でも、復活に西住さんが尽力したとか聞いているわ」

 

 みどり子は、校門脇に貼られているポスターを指して言った。

 みほは、見慣れたそれをちらりと振り向いた。

 

「ほんの少し、ですよ」

「謙遜ね」

「本当です」

「でも学園をあげての宣伝はあなたの働きが大きいと、広報担当が褒めていたわよ?」

「あの人は大袈裟なんですよ」

「アハハ、それは確かにそうね!」

 

 冷静なみほの分析に、思わず笑ってしまった。

 みほが生徒会と()()することになってから、河嶋桃は張り切りに張り切っていた。これまでは、いつも裏方な役回りであったのが、みほの熱な協力のもと派手な仕事を受け持ったのだから、それにも頷ける。

 それにしても、その事を自慢げに吹聴して回って、自分自身が広告塔の様になっているというのは滑稽だった。当然自慢の内容には誇張も含まれているので、それを真に受けた世間では生徒会や西住みほの評価はうなぎのぼりだ。

 

「何にしても、大洗女子学園の伝統が復活するのは良いことだわ。転校生のあなたに成し遂げられるとはね」

「もう私も大洗女子学園の一員ですから、そのために行動することは当然です」

「本当に……生徒の鑑ね」

 

 本心からの賛辞に、みほが応えないで、照れたようにはにかむのを、みどり子たちは全く好意的にとらえた。

 その様子を見て、みどり子は不意に意を決したように真剣な表情になった。

 

「西住さん」

「はい」

「あなたがこの学校に協力してくれる様に、私達もあなたに協力がしたい」

 

 少し恥ずかしかったが、それでもみどり子は風紀委員らしく、真っ直ぐに伝えた。

 

「西住さんの力になりたいの。あなたの為なら、何でもしましょう。これは風紀委員長としての言葉よ」

 

 風紀委員会代表としての言葉だった。つまり、それが委員会の総意であるという宣言だった。

 

 みほは驚かなかった。ただ、目を瞬いただけだった。

 決意の言葉を受けて、そして、胸に手を当てた。

 

「何よりありがたい言葉です。そう言って頂けたなら、遠慮をするのも失礼でしょう。これからは、何事も風紀委員会を頼みにすることを約束します」

 

 みどり子たちの顔がぱっと明るくなった。

 『ありがとうございます!』と三人揃って立礼をした。

 

「こちらこそ、ありがとうございます……私は、そろそろ行きますね。お仕事の邪魔になるでしょうから」

「お気遣い、感謝します」

「では」

 

 みほは何時もの様に別れの手を挙げた。三人もそれに倣う。

 

「そうだ」

 

 まさに校門をくぐろうとした時、みほは言った。

 

「今日は、何か変わりありませんか」

 

 みどり子は嬉々として応えた。

 

「ええっ、変わりないわ!今日も()()()()()()()()()よっ!」

 

 みほは満足そうに頷くと、今度こそ校門をくぐった。

 その後ろ姿が校舎に消えるまで見送ってから、風紀委員は()()()()()()仕事に戻った。

 

 ◆

 

 教室に着くまで、みほは想いを巡らす。

 足取りは軽い。

 

 ()()()()()()()()()か。

 

 そうか、そう見えるのか。

 毎日監視をする風紀委員をしてそう思えるのか。

 いや、だからこそ、なのかもしれない……毎日見ているからこそ。

 

 教室に着いて、自分の机に座るととみほは目を閉じた。

 こうすることで、何時でも、西住屋敷の書庫に戻れるのだ。

 そして、心の書庫の本を開いて、その一節を口に呟いた。

 

『心せよ。この目紛しき現世(うつしよ)、移らぬものの在るべきか。(はし)れよ、戦車乙女』

 

 目を開く。

 変わらない、変わらないか。

 そんなものはないのだ。

 そう信じるのは、愚かだな。

 

 みほは笑った。

 そうしてここで待って、友人達が話しかけて来るのも何時もの日常となっていた。

 




人間は自らに合わせて環境を変えることのできる生き物である。

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