《西住一族》
通称、熊本の蛮族。
元は肥後隈本に土着した国衆・豪族。古くは独自に開墾や傭兵稼業を営んでいたが、戦国期に『闘鬼西住』と恐れられた女頭首が、隈本どころか九州各地で悪鬼羅刹めいた武勲を立てたことで、一廉の領地を得た。
『西住流』の始まりはこれである。
当時としては珍しい女頭首が生まれたのは、親戚の男が皆討死したためである。以降、九州で女傑台頭の風潮もあり、西住家頭首は代々女性が務めることとなった。
日本では珍しい
何処の勢力にも肩入れせず、利益多しと判断した側に付くという一族の方針であったが、その領地が隈本の要所にあったため、度々進攻を受ける。
が、どれ程の戦力差があり犠牲を出そうが、敵を殲滅し、逃げる者は地の果てまで馬で追いかけて確実に殺したため(比喩表現ではない。実際に九州の端まで追いかけた実例がある)、周囲の有力者の間では「西住領は不干渉地帯」という暗黙の了解があったらしい。
従来、地方の小勢力として無名の西住家だったが、豊臣政権による九州征伐の折、土地勘のない上方の軍が西住領に迷い込んだ。それを一族総出で
屈強な精鋭を全滅させた咎の問責のため、西住家頭首『闘鬼』が大坂に呼び出されたものの、放免される。
この問責の場での逸話により『秀吉の命に最も近づいた女武者』として語り継がれることとなった。
加藤清正が熊本に入ると、家臣として勧誘されたものの、それを拒否。後に、熱心な誘いに折れる形で登用された。
清正自身、武勇の人であったためか、西住の蛮勇はむしろ気に入られ、重用された。西住としても、清正に対し信頼を寄せていたらしい(その名残に、現在でも西住家は軍神・清正公を熱心に信仰している)。
それからは清正の元、各地で暴れまわった。
以降も武家・士族として存続。時代の荒波に揉まれ、何度か一家滅亡の危機に瀕するが、持ち前の不退転でそれを回避する。
西南戦争においては、西住隊は熊本城に立て篭る味方をよそに、城から打って出て西郷隆盛率いる薩摩軍に切り込み、暴虐の限りを尽くし、明治政府方の勝利に貢献した。
この
元々騎馬武芸の家系であったのが近世に至ると、戦車に乗り換えた(この一族、どうあっても闘争から降りるつもりは無いらしい)。
また、遭難したドイツの船舶を救助したことをきっかけに、ドイツとの親交を深め、後に黒森峰女学院の設立に貢献するなど、文化の面でも評価できる。
第一時世界大戦にて『西住流戦車道』を確立。第二次世界大戦では『軍神』と称される大人物を輩出した。彼女は他国にて暴れに暴れまわり、一躍その名を轟かせる。
戦後、『軍神』は『偉大なる戦犯』の風評を被せられ、お家取り潰し寸前になるが、残された娘(現西住流家元)が一家存続のために奔走したことでそれを回避。
また、その娘は母親の元部下である松尾スミと共に現代戦車道の成立へ多大に貢献。
西住家は、その隆盛と共に多くの庶流が生まれたが、現存しているのは西住流戦車道(本家)と西住流
現在、西住本家で末の子孫である二人の姉妹は、戦車道で活躍しており、将来が期待されている。
また、分家の男子も古武道で活躍している。
◆
夏の日のうだる様な陽気の中、本来長閑であっただろう平原には、怒号と悲鳴が交錯し、人間たちは大地に混沌と鮮血を振り撒いていた。
味方の武者は泥と汗に塗れながら、なお敵に挑みかかり、修羅の形相のまま、一方的に打倒されてゆく。
「二番備え、敗走にて御座います!」
「四番備え指揮者殿、お討死!」
「更なる敵の援軍が到着の模様!」
開けた平野を見下ろせる、小高い丘の上に構えられた本陣には、矢継ぎに苦しい伝令がもたらされた。
戦場を眺める大将は、歯を食いしばり、唸った。
これまで、圧倒的な数の敵軍に、じりじりと撤退を重ね、付かず離れずの戦法を取ってきた。しかし、今や城を背にして、撤退の余地は無くなった。
「御大将殿、一旦退いて篭城するべきでござる!」
側近の配下が進言するが、大将は即座に否定した。
「ならん。ここで退かば、反撃の目は失わたものと同じよ!」
「しかし……っ!」
こうならば、最早死中に活を求めるよりあるまい。
大将は、すっくと立ち上がり、大声で命じた。
「馬を引けぃ! これより敵中に踊り込む! 隈本武士たるものの本懐を示して見せよ!!」
周りの配下は、大将が死兵となったことを悟った。「応!」と喝し、いきり立つ
その時である。
ごろごろごろごろごろ──
地鳴りの様に奇妙な音が、遠くから、大地を伝わり平野に響いた。
乱戦模様の戦場では、その音を気にする者も居なかったが、やがて、その者らでさえも無視出来ぬ大きさとなった。
ごろごろごろごろごろ。
地鳴りの音に加え、次には、そちらの方から無数の勇んだ喚声、騎馬が地を駆ける蹄の音が聞こえてきた。
数瞬毎に勢いを増すその音に、敵も見方も手を止めた。
「何事じゃ!?」
側面を固める敵兵が、驚きそちらを振り向くと、恐ろしいものを見た様に飛び上がり、大口を開けた。
「西住の『
その叫びは、しかし、仲間に届くことはなかった。
単騎、突出して先頭を駆ける騎馬武者が、大槍で以てその男の首を跳ね飛ばし、永遠に沈黙させた。
だが、敵にとって、その叫びを聞くまでもなかった。
最早誰もがそちらを向いて、あるものは歓喜の雄叫びを、また、あるものは恐怖の悲鳴をあげた。
西住の『
大鎧を着せた二頭の馬に、二兵ばかり乗る
さらに車に乗った武者は、
「撃てえぇい!!」
先行して突撃した、車を引かぬ単騎の武者が叫ぶと同時、空を切り裂く雷鳴が響いた。
雷鳴と共に放たれた巨大な弾丸は、敵前列を固めていた兵たちの盾を貫き、鎧を貫き、遂には胴体をも貫いて、その身体を数軒先まで
その轟音に驚いたか。戦車を引く馬が半ば狂走状態となったのを問題にもせず、神技が如き馬捌きで、そのまま敵に突っ込んだ。
戦車は吹き飛ばした兵の身体を轢き抜けて、今度は槍や刀に持ち替えた車上の武者が、走る勢いのままにばっさばっさと周囲の敵を斬りつけた。
そして敵陣の逆側面へ突き抜けると、戦車は反転し、同じことを繰り返す。
大筒鉄砲による射撃と、車上からの攻撃という強烈な奇襲を受けた敵方は、にわかに大混乱に陥った。
苦し紛れの鉄砲や弓矢の反撃は、人は勿論、馬にまで着せた大鎧と、鉄製の車に尽く跳ね返された。
止める術なくして、何度目かの突撃を受けたとき、常に先頭を単騎で駆けていた騎馬武者が、敵陣中に留まって高らかに宣言した。
天を突く巨大な槍は西住武者の馬印!
「退けえ、退けえぃ! 音に聞こえし一番槍! 『闘鬼西住』とは私のことよ! 轢き殺されたくなくば、我が道を開けよ!!」
紛うこと無き女の声であった。
戦の鬼と悪名高き闘鬼とは、大鎧に身を包んだ女のことであった。
女子にここまで言われては、男の矜持に賭けて引き下がる訳にはいかぬ。加えて、ここで闘鬼を仕留めること叶わば、功名一番であることは間違いない。
歩みを止めた騎馬へ向け、敵の歩兵が前後左右から殺到した。
だが、数で押せば何とかなるというような、可愛げのある女ではなかった。
群がる男たちを闘鬼はにやりと笑うと、手に持った巨槍を
長さ十尺(約3m)以上もあり、太さときたら男の腕程もあるその槍を、自分の手足かのように振り回すのだ。
その剛槍たるや!
薙げば一度に三人の敵を吹き飛ばし、突けば背中まで貫通させた。
地獄の鬼のような有様に、敵は恐れをなして次第に怯んだ。そして、何人目かも分からぬ武者が、剛槍に貫かれた時、誰かが「ぎゃあ!」と恐怖の悲鳴を上げた。
情けない悲鳴を皮切りにして、遂に敵は各々が散り散りに逃げ始めた。
「情けなや! 敢えて挑みかかる猛者は在らん」
不敵な女の挑発も耳にせず、武士の矜持も命あっての物種よとばかりに男たちは逃げ出した。
女は、はっはっはっと豪快に笑うと、再び馬で駆け出した。戦車部隊も後に続き、再び突撃のための陣形を取った。
目指すは敵の本陣、唯一つ。
混乱を極めた敵方の本陣は、撤退の準備さえ出来ておらず、目の前の光景が信じられずに、ただただ呆然としていた。
しかし、轟音をたてて迫り来る戦車の形を目の当りにして、敵の指揮官はようやく撤退の命令を、半ば悲鳴のように下した。
「逃がさぬ」
闘鬼は巨槍を地面と水平になるような構えを取った。そのまま腰の捻りを目いっぱいに利用して、大きく振りかぶる。
そして、騎馬の疾走もそのままに、巨大な剛槍を投擲した。
投擲された槍は、もはや砲弾と化して、敵の指揮者に一直線に飛んでいった。目を剥いた複数の配下が、咄嗟に指揮者の前に身を乗り出す。
その直後、槍は唸りをあげて飛来した。
槍は一人を貫いて、まだ止まらぬ!
続く二人を貫いて、まだ止まらぬ!
そして、遂に槍は敵指揮官の胸に突き立った!
今こそ、敵は総崩れとなった。
指揮官を失った兵たちは、武器も鎧も捨て、行き先も分からぬまま散り散りに逃げてゆく。
西住の戦車は、敵の本陣を踏み潰し、速やかに追撃戦へと移行した。
この有様を今まで眺めていた味方の大将は、馬に乗ったまま闘鬼の勇に見惚れていた。
何と、あの女は戦車隊と己の武勇のみで以て、あれだけの敵軍を壊滅させてみせたのだ!
惚れ惚れする様な働きぶりを、何処かこの世のものでないように見ていた大将は、感嘆の声をあげた。
「撃てば必中、守りは硬く、進む姿は比類無し! 天晴れ西住戦車隊!」
大将の西住戦車隊の勇猛を称したこの言葉は、後々の世まで語り継がれる事となった。
◆
西住家所蔵家宝・文化財『西住
同上『
歴史学者「この人たち頭おかしい(小声)」