鬼神西住   作:友爪

18 / 36
鬼と交われば鬼となる。


鬼神西住17

 蝶野亜美一等陸尉は戦車道協会本部面会室の扉の前で、ごくりと唾を飲んだ。先程から、なかなか扉を叩く覚悟ができないでいる。

 この場所へ亜美を呼び出したのは、戦車道協会最高幹部役員──松尾スミだ。そして、この部屋の中で待ち受けているのも同人である。

 

 一体、若輩者の自分に如何なる用であろう? 何か無意識に不手際をしてしまったのだろうか?

 

 いくら考えても答えは出ない。

 こういう時は直進あるのみ──昔、恩師からそう教わった。

 意を決して扉を二度叩く。強く叩きすぎた。

 亜美はひやりとする。まだ身体が強ばっているらしい。

 

「入りなさい」

 

 内側から返ってきた返答は明朗であったが、怒りは無い。大いにほっとして「失礼します」と扉を開いた。

 洋風の部屋には机を挟みソファが二つあって、奥の方に老女が杖を両手で突いて座っていた。

 

「蝶野亜美一等陸尉、ただ今参りましたっ!!」

 敬礼をして、声の限りに名を張り上げると、老女は可笑しそうに笑った。

 

「ここは軍隊じゃない」

 

 老女は向かいのソファを指して「掛けなさい」と勧めた。亜美は言われるままに恐縮しつつ腰を下ろす。

 亜美は、この老女……松尾スミ元陸軍大尉と向き合うと、その威圧感に改めて圧倒された。これが本当に齢九十を越す老女の風格であろうか。

 穏やかな雰囲気ではあるが、しかし目は爛々としていて、背筋をぴんと伸ばしたとしても自分より小さい筈なのに、圧倒的に大きく見えるのだ。最終階級で語るならば、自分と同程度であるのに、全く別次元の気迫である。

 更に、今は退いたとはいえ、長らくスミは戦車道協会の会長であって、今でも彼女が一声出せば協会全体が()()ではなく()()で動くだろう。事実上の最高権力者ではないか。

 そんな人間に対面していると思うと、小一尉の掌には否応なしに汗が吹き出た。

 

「一体自分に、その、何の用事でしょうか」

「そう怯えなくてよろしい……まずは茶でも飲みなさい」

「は、はあ」

 

 亜美は予め机に置かれていた茶を一気に喉に流し込んだ。味なんぞ分かるものではなかった。

 それを見て、スミはまた少し笑って、話を切り出した。

 

「君は昔、西住流に指南を授かったと聞くが」

「はい、西住しほさんには随分お世話になりました。今の自分があるのは、西住師範のお陰だと常々思っております」

「結構。では、君はしほさんの娘姉妹については知っているかな」

「まほさんと、みほさんですね。存じ上げております。残念ながら、直接会った事はありませんが……師範は、子供たちのことを随分と愛おしく思っているようでして、話だけは頻繁に聞かされました。それを本人たちに直接言って差し上げれば良いのに」

()()()らしい。昔から引っ込み思案の照れ屋だ」

 

 クククと肩を揺らしてスミは笑う。

 亜美は、尊敬する師範が『あの娘』呼ばわりされる強烈な違和感に苦笑した。師範が『あの娘』なら、更に若輩の自分は一体何者になってしまうのだろうか?

 

「その娘さんたちの妹方……みほさんが例の事件で、黒森峰女学園から大洗女子学園に転校となったことも知っているのだろうか」

「……はい。随分と()()になりましたので」

「数日前、大洗の生徒会から正式な書類を提出されてね。大洗女子学園の戦車道は復活する事が決定した」

「えっ!?」

 

 蝶野は大いに驚いた。大洗女子学園といえば、数十年前に戦車道が廃止となった学校である。だからあれほどの騒ぎとなったのだ。

 

「それはまた……随分と急な話ですね」

「何でも、全国大会出場を考えているらしい」

「まさか!」

 

 冗談だと思って亜美は笑ったが、スミの表情は真剣であったので「……まさか本当に?」と思わず聞き返してしまった。スミはにやりとして頷く。

 

「しかし、大会の通例から言って……いえ、そうでなくとも無謀過ぎるのでは」

「確かに厳しいだろう」

「今年でなくとも、実力を付けてから出場する選択もあるのに」

「その通り」

「いくらみほさんが居るといっても、他の隊員が付いてこれないでしょう」

「それでも()()のだ、()()()()()()のだ──何故なら彼女は『西住一族』だから」

 

 『西住一族』。

 その言葉で、亜美は過去に学んだ西住家の歴史を思い出した。戦国の乱世から脈々と続いてきた『闘争』の歴史である。

 

「私は七十年、彼女たちを側で見てきた。その間、彼女たちが()()と言ってやらなかったことは唯の一度だって無い。事の大小区別無しに。それを受け継いできたのだよ、あの『一族』は。数百年間、それのみ是として生きて、死んで、そして紡いできた」

 

 スミは杖で強く床を突いて言った。

 

「真に、みほさんは()を濃く受け継いでいらっしゃる。嬉しや、()()()の遺志が潰える事、未だ無し」

 

 杖を震わし、何処か遠くを見つめるスミの目は、激しく燃え盛っていた。それは、現代では目に掛かる事の無い『軍人』の苛烈さだった。

 そして──その目の底に、激しさとは対極のものが現れていた。()()に気が付いた途端、亜美の身体は一挙に冷えきった。

 

「大洗女子学園の戦車道復活の書類が届くと同時、手際の良い事だ、特別講師の派遣依頼が届いた……みほさんの請願書付きでね。私はこれを良く吟味したが、君が適任であるとの結論に至った。それが、君を呼び出した理由である」

「あ、あなたが、直々に……」

「そうだとも」

 

 スミはすっと目を細め、亜美の目をじっと見つめて聞いた。

 

「受けてくれるだろうか」

 

 激しさではない。この軍人の目の底で揺らめいているのは──完全に冷徹な『狂気』だった。

 選択の余地は、あるわけがなかった。

 

 ◆

 

 空から戦車が降ってきた。

 

 落下傘(パラシュート)を開き、轟音を立てて着地した10式戦車は、吹き飛ばした学園長の高級車をわざわざ踏み潰し直してから、こちらに向かってきた。

 赤レンガ倉庫前に集まっていた戦車道履修者の面々は、目の前のあんまりな光景に理解が追いつかず、ぽかんと口を開けるばかりである。

 だから、迫ってきた戦車のキューポラから凛々しい女性が顔を出し、大きな声で挨拶したのにも、苦しく返礼するのがやっとだった。

 

「紹介する。特別講師の蝶野亜美一尉だ。今日は我々を指導するためにわざわざお越しいただいた」

 

 戦車から降りてきた蝶野教官を、涼しい顔をした桃が説明した所で、ようやく事態が飲み込めた女子たちは「よろしくお願いします」と口々に言った。『何故わざわざ戦車で来たのか?』とか『車を踏み潰したのは故意なのか?』とか色々疑問はあったが、そこをつついてはならない気がしたので、心内に封印することにした。

 

 実は全員、本日指導教官が訪れるということは知らされていたのだが、あまりの衝撃に記憶がすっ飛んでいた。皆は徐々にそれを思い出し余裕が生まれたので、この凛々しい(変な)教官について、あれこれ女子らしく質問した。

 亜美はやはり堂々と(変な)回答をして場を和まし、質問に区切りがつくと、意気揚々に手を叩いて言った。

 

「さあ! では皆さん、早速戦車に乗り込んで頂戴!」

 

 しかし、生徒たちは顔を見合わせるばかりで動かない。亜美が妙な顔をすると、柚子が言った。

 

「失礼ですが、まだ一人……西住さんが来ていないので、そういう訳にはいきません」

「西住?」

 

 その名を耳にした途端、蝶野の目が鋭く光る。

 

「それは、遅刻ということかしら?」

 

 全くけしからん……といった風に言うと、生徒たちは一斉に首を振った。

 

「西住は遅刻をしません。それに、まだ刻限には間があるでしょう。西住は必ず来ます」

 

 みほに対する全面の信頼を代表して桃が言った。これには生徒たちも頷いた。これまでの経験から、桃の発言が全く正しいということに確信があったのだ。

 この事情が飲み込めない蝶野は、一層怪訝な顔をして生徒会長の方を見たが、当人は視線を伏して合わそうとはしなかった。

 

「……西住殿っ!!」

 

 突然大きな声が響いた。それはやはり、常に彼女の影に注意を払っている秋山優花里が発した声だった。

 生徒たちは一斉に()()と手を挙げる。

 先程までの和やかな雰囲気からは想像もつかないような『規律』だ。驚いた亜美は皆の視線の先を追って……その人物を見て、固まった。

 

 黒い少女だった。

 

 ジャケットも、シャツも、ネクタイも、ズボンも、靴も、手袋さえも……全てが漆黒だった。光の反射を徹底的に拒んだ生地素材は、黒をより黒く見せているようだ。

 亜美だけではなく、この場の全ての人間が、この『黒』に視線を吸い取られた。

 唯一、ジャケットの襟に付けられた、鉄十字(バルケンクロイツ)を型どる銀バッジが、やけに眩しく感ぜられた。

 

 黒衣装の少女は自らも手を軽く持ち上げて、皆が空けた道を歩きながら、ごく自然に上座──指導教員の元へと向かった。

 そして、言葉に詰まる亜美の目の前に立つと、徐ろに黒い手を差し出した。

 

「西住です」

 

 何でもないように、西住みほは微笑んで言った。

 亜美は、差し出された黒色の手を取るべきか一瞬躊躇した後、それを握った。熱いのか、冷たいのか──手袋越しでは判断がつかなかった。

 

「蝶野よ。蝶野亜美、一等陸尉」

 

 警戒心をなるべく出さないようにして、亜美は名乗った。みほは、全ての事情を知っていたように落ち着いて「よろしくお願いします」と応えた。

 

「西住殿、その格好はっ!?」

 

 優花里が、耐えきれないという風に尋ねると、みほは生徒たちの方に向き直って応えた。

 

戦車戦闘服(パンツァージャケット)。今日は戦車に乗るものだと考えていたから」

「前の学校のものですか!?」

「私物だよ。前に親衛隊(おともだち)から貰ったの。貰ったのはいいんだけれど、これまで使う場面が無かったから……この機会に、ね」

 

 そこまで言うと、皆が揃って「格好いい」とか「似合っている」とか(はや)し立てた。その中で、桃は無言でみほをじっくり観察して、何かを閃いたように何度も一人頷いていた。

 

「西住さん!!」

 

 急な亜美の怒気のこもった大声に、生徒たちは水を打ったように静まった。教官の眉間が寄せられている事に、直ぐに気が付く。

 

「西住さん、あなた、先に皆が集まっているのを知っていて、それを気にもしないで何時も一番遅くに来るのかしら?」

「ええ、仰る通りです」

「あなたは()()なのでしょう? だったら誰よりも早く来て、事前の準備なり、隊員の管理をするなりを率先してすべきよ。そこまでせずとも、最低限皆と一緒に来て、何事も協力するべきではないのかしら?」

「全く賛成できません」

 

 教え子を叱るような口調は、皆の肩を縮こまらせたが、みほは瞬き一つせずに即答した。

 この態度に鼻白んだ亜美は、次には更なる怒気を漲らせて、何かを言おうとしたが、みほに遮られた。

 

()()()!!」

「……ひゃいっ!?」

 

 自分が呼ばれた事に気が付いた桃は、慌てて返事をした。

 

「首尾はどうなっているのです。説明を」

「ああ……完了している。雑務は全て処理しておいた。戦車の点検修理、物資の運搬、日程の調整、隊員の点呼まで全て、全てだ。そして()()()()()。これで終始万全だ」

「よろしい」

 

 みほは満足げに頷いた。

 

()()()()()()()。これは、とても素晴らしい!」

 

 ()()と手を一つ叩き、みほは腕を大きく開いて見せた。そして、教官へと振り向くと真っ直ぐ目を見て、朗々として言った。

 

「蝶野教官。私は、共に仕事に当たる仲間について全面の信頼を置いていますし、その逆も然りであると思っています。私が何時も最後に顔を出すのは、この信頼関係を信じているからです。信頼しているからこそ、仕事を任せられるのです。隊員を()()するなど……それこそ不信の象徴であると断じます。私に、そんな真似はできません」

 

 みほは、話に聞き入る隊員たちをゆっくり見渡した。

 

「私は隊員一人一人に、最も適した()()を与えます。それに対して、最善を尽くす事のできる環境を作るのが隊長の()()であるのです。また、そういう環境こそ、隊長として私が望むものであるのです。何でもかんでも首を出して、それを妨げることは忌むべき悪習であります」

 

 黒装束の少女は後ろ腕を組み、半ば敬礼の様な姿勢で亜美に向き合っていた。これは、目上の者に対し、決して礼を失するべきではないという態度の表れだった。

 

「協力と馴れ合いとは、似ているようで性質を異にします。集団で物事を実行する場合、それを混同してはならないのです。それを不自然に混ぜてしまっては、一人の人間が本来果たすべき目的を見失い、そして、責任の所在も曖昧になってしまいます。誰が何をするべきで、その責任は誰が負うべきか? これを明確にしなければ、いずれその集団の脆弱性が露呈し、敵につけ込まれる決定的な隙になりうるのです。これは全く()()でない」

 

 みほの口調は淡々としているようで、その実、熱が込められていた。教官に(たしな)められた事に対し、理性的に反論しつつも、そこには信念に基づく熱意があった。

 その話術は、どうしようもなく他者の意識を引き込んだ。

「ですから、私自身の流儀に基づけば、あなたの仰ることは『悪』であり、全く賛同しかねるのです」

 

 最後にそう締めくくると、一同を沈黙が支配した。

 相変わらずみほは亜美の目をじっと見つめていて、そして、生徒も皆そうしていた。皆、教官の次の言葉を待っているのだ。

 それに気が付いた亜美は、困惑こそしていたが、先ほどの怒りは欠片も残っていなかった。ここまで完全に反論されては、それ以上言うことも無かった。

 むしろ、自分の浅はかな発言を恥じる気持ちすらあって、それを素直に言葉にした。それが出来るほどの度量を蝶野亜美は持ち合わせていた。

 

「西住さん、あなたの言う通りよ。私が軽率だったわ、謝ります」

 

 素直に頭を下げる亜美に、みほも「こちらこそ、生意気を言いました」と礼を返した。

 この『大人が言い負かされた』とも解釈可能な光景を目撃して、しかし、教官を軽んじる気持ちを抱いた生徒は一人も居なかった。

 むしろ『自分の過ちを素直に謝ることの出来る尊敬すべき大人』であると解釈した。ここに至るまでの全ての()()が、そう理解させる為の助けをしていた。

 

「……松尾さんに、何か言われましたか?」

 

 みほは上目遣いに、悪戯っぽく聞いた。

 内心の事情を読まれ亜美は驚いたが、隠し立てする事でもない。また、正直に話した。

 

「言われたわ。それはもう、()()に」

「あの人は何と?」

「『毅然として厳しく指導するべし。名家の出身だからといって甘い扱いをするのは、私が許さないし、何よりきっと本人が許さない』と。そりゃもう、恐ろしいお顔で……」

「あはっ」

 

 みほは大きく笑った。

 

「あの人は良く分かっている! 流石、西住一族(われわれ)と最も長い付き合いなだけはあります!」

 

 嬉しそうに黒い手を合わせてはしゃぐ素振りは、一転して、年頃の女子が見せる可愛らしさがあった。

 まるで親戚のお土産を喜ぶ様相であり、亜美も連られて微笑した。それは、強ばっていた雰囲気を一気に(ほぐ)す役割をした。

 

「ああ、楽しい。こんなに愉快なのは(たま)ですよ」

 

 気が済むまで笑った後、涙を擦りながら言った。

 その後、みほは深呼吸をして皆を見回し、笑顔が戻ったことを確認すると「さて」と言って姿勢を正した。

 

「今日はどんな訓練を付けて頂けるのでしょうか?」

 

 尋ねられた亜美も、気持ち良さげに、大きな声で応えた。

 

「実戦訓練よ! 戦車に慣れるにはバーッと動かしてダーッと操作してドーンと撃つのが一番なんだからっ!!」

 

 勢い良く拳を握る亜美に、隊員たちは再びぽかんとさせられる事となったが、黒い少女は何時も通り、屈託なく微笑んだ。

 

「それには全く賛成です」

 




西住みほは二十代目の『一族』である。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。