鬼神西住   作:友爪

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鬼神再臨。


鬼神西住18

 初めて戦車に乗った時のことを良く覚えている。

 

 熊本の夏の虫が耳を破る程の声で鳴いていて、それに負けないくらい私の心臓も高鳴っていた。

 まだ身長が届かなかったから、お母さんに抱き上げてもらって、やっと中に入り込んだ。

 中は暗くて、狭くて、少し怖かった。

 目を細めてきょろきょろすると、一番高い位置にある座席を見つけた。

 私は、恐る恐る座ってみた。

 

 不思議な事が起こった。

 そこに座った途端、起こった出来事だった。

 

 虫の声が聞こえなくなった。

 心臓は止まってしまった様に静かになった。

 喜びも怖さも、遥か遠くに往ってしまった。

 私の中に有ったものの全てが消え失せてしまったのだ。

 

 代わりに、別のものが湧き上がってきた。

 それは先ず心臓を支配した。支配された心臓は、それを()に乗せて、身体中に送り出した。胴を、腕を、足を、内蔵を……一つの鼓動と共に、身体の隅々にまで、それが満ちてゆくのを感じた。

 そして、()が頭にまで達した時、私は自然と顔を(ほころ)ばせた。

 私は戦車について未だ何も知らなかったけれど、一つだけ確信した。

 

『私は世界で一番楽しいことを始めようとしている』

 

 その確信は、とても愉快に思えた。

 私は戦車から這い出ると、上からお母さんに飛びついて、素直に今感じたことを話した。するとお母さんは「きっと、あなたは特別な才能を持っているのね」と言って、頭を撫でてくれた。

 

 私はお母さんが褒めてくれた事が、何より嬉しかった。これから戦車に乗ってゆける事がどうでもいいくらい──本当に嬉しかったんだ。

 

 ◆

 

 蝶野教官の指示通り戦車に入ろうとした女生徒一同に、誰がどの役割(ポジション)で乗り込むのかという小さな悶着があった。だがそれも、生徒会が一人一人の割り当てを発表したことで落ち着いた。

 ある意味一方的とも言えるこの段取りは「一体何を基準に決められたのか?」という素朴な疑問を生んだが「西住隊長の意見を参考に、各々の資質を慎重に見極めて決定した」「今後不満が出るようならば、これを吟味する」という説明で納得を得た。

 そもそも、戦車道について右も左も分からないような人間ばかりだったから、特に異議も出ず、むしろ「西住隊長の決めた事なら」という安心感があった。

 

 みほたちのチーム(仮にAチームとなった)の割り当ては、車長がみほ、砲撃手が優花里、装填手兼通信手が沙織、操縦手が華となった。

 車長がみほであるのは暗に認められている様なものだったが、他の割り当ての理由については何も伝えられなかった。

 

「どうしてこういう風に決めたの?」

 

 沙織が興味津々にみほに聞くと、華と優花里もそれに(なら)ったが、聞かれた方はにこにこするばかりで何も答えなかった。

 

 皆が戦車に乗り込む中、みほたちもIV号戦車に入ると、各々の席に座った。

 

「鉄臭いです」

「狭い上に、暑苦しい……」

「へへへ……いよいよ戦車を動かす時が……!」

 

 三者三様の反応を見せる中、みほは静かに深呼吸をしていた。

 みほに教えられた華がエンジンをかけると、音と共に大きな振動が身体に伝えられる。

 

「ヒヤッホォォォウ! 最高だぜぇぇぇぇ!!」

 

 エンジン音を聞いた優花里が、唐突に腕を掲げて叫んだので、沙織が身じろいで目を丸くした。

 

「人が変わった……」

 

 それに気が付いた優花里は「すみません……」と一転して縮こまる。

 

「こういうのをパンツァーハイだなんて言うのかな……みほ?」

 

 沙織が可笑しそうに振ると、みほは無表情にじっと目を閉じて何も答えない。ただ静かに深呼吸だけをしている。何度か呼びかけたが、まるで反応が無かった。

 何も聞こえていないかのようだ。

 どうしてしまったのか……皆が段々と心配になってきた時、みほは一際大きく空気を吸い込むと、目を開いた。

 

「ああ、良いな」

 

 息を吐いて、安らいだ声で呟く。

 

「本当に久しぶりだよ。一体どのくらい離れていたんだろう? とにかく長かったよ。思えば、随分息苦しかった気がする……やっぱり、この場所は良い。私は、此処にいるべきだな」

 

 みほの来歴を知っている三人は、はっとしてみほを見つめ直した。今や安らぎは去り、みほの顔は、今まで見た彼女のどの表情とも異なっていた。

 壮絶(・・)

 言葉にするならば、それが最も当てはまる様に思えた。吐き出した()は車内に満ちて、全員の意識を鋭く刺した。

 沙織は優花里のことを「人が変わった」と称したが、その比ではなかった。戦車乗ったこの少女は、これまでとは全くの別人であった。

 三人は思い知る。

 

 これが西住みほ!!

 

 西住流戦車道継承者にして、一族直系の末裔。

 数々の試合にて無数の敵を粉砕し、無敗。

 海外交流戦にて完全試合をやってのけ、日本戦車道ここにありと知らしめた強化選手。

 名声の末に讃えられた名は『軍神の再来』。

 そして──居場所を追われた悲運の少女。

 

 三人の脳裏にこれらの知識が駆け巡り、そして悟った。

 たった今、現界した彼女こそがその人なのだと。

 そして、本来ならば、この場所に居るはずもない逸人とチームを結成している者こそ、自分たちなのだと。

 

 それに気が付いた時、三人の身が震えた。今現在すらも、凄まじい幸運に見舞われている事に気が付いたからだった。

 皆にとって別人と化した黒装束の少女は、その様子を見て、仲間たちの心境の変化を全て見抜いた様に言った。

 

「こんにちは、諸君」

 

 西住みほは、やはり、笑っていた。

 

 ◆

 

 総員が乗り込みを完了させると、練習試合の開始地点にまで移動せよという指示が出た。

 操縦手の生徒たちは、地図やマニュアルとにらめっこして、悪戦苦闘しながら運転をしたが、Aチームは比較的速やかに移動した。

 これは車長(みほ)が外に半身を乗り出して常に周囲を確認し、移動の指示を出しているためだった。

 その指示を出す時に、操縦手(はな)の肩を足でとんとん(・・・・)と優しく蹴るのだったが……指示を出される毎に、華は何だか身体中が痺れる様な感覚に陥って、度々操縦の手が止まってしまった。

 

 兎も角、時間が掛かったものの全チームの配置が完了すると、教官からの通信が入った。

 

「今回の試合は最後まで生き残ったチームの勝利です。つまりバーッと動いて、敵を見つけたらドーンと撃てば良いのよ!」

 

 相変わらず随分ざっくりとした説明だったが、次には真面目な口調になって言った。

 

「戦車道は礼に始まり礼に終わります。全員、礼!」

『よろしくお願いします!』

 

 生徒たちは、直接見える筈もない相手に向かって一斉に頭を下げた。中でもみほは、一番長い時間、神妙に頭を下げていた。

 

「試合開始!」

 

 みほが頭を上げると同時、状況は開始された。

 

 ◆

 

「さて、どうしましょうか」

 

 試合開始の号令が下されると、華が後方を振り向いて尋ねた。他の二人も同じく、そちらを見た。皆、引き締まった顔をしている。

 

「お互いの位置は割れています」みほは地図を広げ、ある一点を指で指した。「私たちはここです。ちょうど、他のチームに囲まれている様な場所にいます。あの教官も()な事をする」面白そうにする車長に、優花里が危惧を表した。

 

「包囲されますか」

「十中八九そうなるでしょう」

「しかし、今回は各々が敵同士です。そんな連携を取ってくるものでしょうか」

「敵の立場で考えると、ね」

 

 この言葉の意味について少し考えただけで、非常に納得ができた。相手にとっては、西住みほが敵(・・・・・・)なのだ。少しでも勝利の確率を上げるのであれば、連携攻撃の選択しか有り得なかった。

 

「包囲が完成する前に抜けます。28(ニーハチ)地点の草原へ……少し用事(・・)もあるから」

「用事?」

 

 不思議な事を言うみほに沙織が反応した直後、間近で爆発音が響いた。沙織が悲鳴を上げる。吹き飛ばされた無数の石礫が車体を打ち、無機質な金属音となって内部に反響する。

 戦車の砲撃だ!

 仰天する三人を余所に、みほは直ぐさま外に顔を出して、それが最も近くに配置されていたCチーム(歴女チーム)であることを視認すると、手を叩いて喜んだ。

 

「来たぞ来たぞ、思った通り! ほら、何してるの? 前進、前進、戦車前進!」

 

 IV号戦車はアクセル全開で走り出した。

 

 ◆

 

 お日様ぽかぽか野原の真ん中で、切り株を枕に気持ちよく昼寝をしていた冷泉麻子は、唐突に始まった爆音の連鎖に無理やり叩き起された。

 

「……何の騒ぎだ」

 

 せっかく授業をサボって快眠を貪っていたというのに、それを中断されたせいで気分を害された。どうせ眠るのなら、気持ちの良い睡眠を選ぶ。それが冷泉麻子の素晴らしき人生哲学だ。

 

 寝ぼけ眼を擦って周囲を見渡してみると、森の方から一直線に戦車が突撃してくるのが見えた。

 

「ん!?」

 

 これには麻子も一瞬たまげたが、直ぐに事情に思い当たる。確か今日は新しい選択科目──戦車道が開始される日であった。きっと私はその実習地に居合わせてしまったに違いない。

 落ち着きを取り戻した麻子は、向かってくる戦車をよく観察した。

 複数の砲撃と地面の爆発を巻き込みながら前進する戦車の速度は、今すぐに轢き殺されるというような速度ではない。また、後方からの砲撃も、その角度から考えて向かってくる戦車が盾となるので、まず当たる事は無いだろう。むしろ下手に逃げた方が危険だ。

 麻子は瞬時に考えを整理すると、もしも戦車が停止してくれなかった時の為に、飛び乗る覚悟と身構えをした。

 

 それと同時、戦車の上に身を乗り出す黒い女に気が付いた。その途端、麻子は思い切り苦い顔をする。

 あれは西住みほだ。

 突撃してくる戦車の問題よりも何よりも、今朝出会ったこの女に再会するのが嫌だった。

 

 戦車は麻子が足を踏み切る直前の距離で停止した。

 みほはキューポラから全身を出すと、何度か戦車を踏み台にして、身軽に麻子の元にまで着地した。

 

「また会いましたね──」

 

 その嬉しげな声を耳にした途端、麻子の胸に強烈な悪寒が荒れ狂った。

 この女、今朝よりも遥かに、理性では説明不可能な不気味さ(・・・・)が増している。あの時には(まと)っていなかった、突き刺さるような雰囲気もだ。これは、全身黒装束の効果であろうか。

 違う、違う!

 服装だなんて、そんな些細なもので引き起こされる変化ではない。あの目を見てみろ、人格そのものを異にしているではないか。この短時間で、人はここまで変われるものなのか。

 いや、それも違う。

 あの時、僅かにも見抜けなかったこの女の本性(・・)──それがこれなのか。

 

「西住さん……で合っているよな」

 

 麻子は確信が持てずに、思わず聞いた。

 

「如何にも、私は西住です。今朝、会ったじゃないですか」

「覚えてる、記憶力は良い方だ。私が聞きたいのはそういう事じゃない」

「ここで何をしているんですか?」

 

 みほは麻子の疑問を全く無視した。麻子は唇を噛んだが、確かに今尋ねるべき事ではないことが分かったから、素直にみほの質問に答えた。

 

「……休んでいた。この辺りは、普段人気が無いからな。戦車道の実習地になっていたとは知らなかったんだ」

「そういう事でしたか」

「直ぐに立ち退く。邪魔をしてすまなかった」

 

 一時でも早くこの場を離れたくて、麻子が身を翻すと、みほに手首を掴まれた。

 鳥肌が立った。

 

「危ないですよ」

「はなせ」

「そうはいきません」

「はなせっ!」

 

 麻子は手を振り解こうとしたが、みほの握力はそれを許さなかった。益々気分が悪くなって、本気で腕を振り回すと、みほがいきなり手を離したので、麻子はバランスを崩して尻餅をついた。

「──大丈夫ですか」

 

 地面に手を付いた麻子を見下ろす黒い女は、太陽を背にしていて、その人影の中に麻子は収まっていた。

 

 とてつもない寒気がした。

 

 逆光でみほの顔は暗くなり、よく見えなかったけれど──それでも麻子は見たくなくて、顔を伏した。

 恐ろしいものがそこに有ると直感したのだ。

 幼い頃、両親が事故で死んだ時、世界に対して感じた得体の知れない恐怖。麻子はそれを想起していた。

 

 みほのそれは、子供のわがままの世話を焼く母親の如く、ほんの僅かな勘気だった。ほんの一瞬。みほの内側から噴き出したなにか(・・・)は、それだけで麻子を屈してしまった。

 

「みほ、危ないよ……って、あれ? 麻子じゃん」

 

 突然外に飛び出して戻ってこない車長を心配した沙織が、戦車の横扉から顔を出した。

 (うずくま)った麻子に集中されていたみほの視線がそちらに外れた。

 

「沙織っ」

 

 麻子は立ち上がって、そちらに駆け寄った。

 正しく、幼馴染みが救世主に思えたのだ。彼女には、本当に救われっぱなしだった。

 

「どうしたの麻子、こんな所で……あーっ、また授業サボってたんでしょ! ダメなんだよそんなんじゃ!」

「分かった。もうしない」

「……やけに素直じゃない。そんなに怖かったの?」

 

 沙織は麻子が涙目になっている事に気が付いた。

 

「そんな事はない」

「でも涙が……まあいいや。ほら乗って、危ないから」

「いや、しかし」

「意地張ってないで──きゃっ!?」

 

 至近弾が着弾した。小石や土が頭から勢い良く降り注ぐ。

 まだまだ相手との距離は遠く、此方の状況がよく見えていないのだろう。

 

「もーやだ! 麻子、早くしてよぉ!!」

 

 沙織が麻子の手を引きながら絶叫する。

 それでも麻子は迷っていた。取り乱す沙織と、至近弾にも平然としているみほを見比べて困惑する。

 みほは、戦車に登りながら麻子にだけ聞こえる声で囁いた。

 

「冷泉麻子さん、選ぶのはあなたです」

 

 最早、麻子の言う不気味さを隠そうともしていない。

 

「今朝、言いましたね。『自分で歩ける』と。ならば、選んで下さい。乗るも乗らないも、あなたの自由」

「う……」

 

 麻子は呻く。

 身体が冷えきっている。沙織の手の暖かさだけが伝わってくる様だ。

 

「迷い無く、躊躇い無く、他ならぬ自分の足で前進(・・)して下さい」

 

 目の前の恐怖から逃れる事と、手を繋いだ安らぎの中に飛び込む事──麻子は選択を迫られた。

 気持ちが悪い。足がおぼつかず、視界が歪む。

 

 思い出すのは、辛かった事と楽しかった事。この板挟みになった時、私は一体どうしてきただろう。

 辛かった時、苦しかった時、何時も自分だけではどうにもできなかった。助けてくれたのは、一人の幼馴染み。

 今もこうして手を繋いでくれている、大切な人。

 

「沙織……」

 

 そうだ、今までもこうして助けられてきたんじゃないか。それで間違い無かったんだ。

 今回も、それで正しいに違いない(・・・・)……!

 

「乗る」

 

 麻子は応えた。

 問題を天秤に掛けて、重きであったのは大切な幼馴染みであることに確信を持ったからだった。

 

「それで良いんですね」

「ああ、良い」

 

 確認を行うみほに、直ぐに返す。

 その目に迷いが無いことを見ると、みほは「乗って下さい」と愉快そうに言った。

 

「乗るなら最初から早くしてよぅ……っ」

 

 嘆く沙織に抱き抱えられるようにして搭乗する麻子の顔は安堵に満ちていた。経験上、最も正しい判断を下した事に自信があったからだった。

 

 しかし、理性が伴わない確信(・・・・・・・・・)を抱いたことが、生まれて初めてであることには気付いていなかった。

 




重大な岐路に立たされた時、感情に任せて選択を行った者の先には、何が待つ?

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