まほは、みほが大人しい子だと思っていた。
初めて会う人の前では何時もモジモジしていて、しゃんとしなさいと窘めても直らなかった。物怖じしていると言うよりは、恥ずかしがっているのだった。
驚いたのはみほが中学校3年生の時だった。
黒森峰付属の中学校で、高校と同じく姉妹で隊長・副隊長をしていた。けれどまほが卒業したので、みほが隊長をすることになった。
あのみほが隊長を務められるのか心配だったから、こっそり訓練を見に行った。ちょうど訓練が始まる時だった。
頼もしい隊長が代替わりしたので、隊員が不安がっていた。するとみほは手近な戦車の上に登って、大声で話し始めた。
『姉が抜けたからといって不安がるのは分かる。斯く言う私もそうなのだ。だが、何時までもそうではならない。私たちは過去の栄光に縋るのではなく、未来の栄光について考えなければならない。私は諸君らが戦車のような不屈の精神を持つと信じている。それを西住流で束ねれば恐れるものなど何も無い』
そういった内容だった。隊員たちは沸き上がり、口々に新隊長万歳と叫んだ。
皆の前で話す度胸もそうだが、その口ぶりには聴衆を強く惹き付ける力があり、共感と頼もしさを呼びかけ、熱狂を呼ぶものだった。
姉のまほでさえ、その演説に飲まれかけていた。
その後、結束した黒森峰付属中学は大会で連覇を果たした。
西住みほは演説の天才だった。
◆
十連覇を達成した黒森峰女学院は、他聞に漏れず学校から表彰を受ける。巨大な体育館で行われる全校集会での表彰だった。
まほは、罪悪感からそれを受ける気分には到底なれなかったが、表彰を断るわけにもいかなかった。
隊長まほと副隊長みほは、壇上に登り、学長から「おめでとう」の言葉と共に優勝旗と賞状、そして勲章を受け取った。
勲章とは、特別に学校に貢献した生徒に送られるもので、全校生徒の憧れの的だった。それが贈られると、体育館は弾けんばかりの拍手と歓声に包まれた。
「ここでもう一人、勲章を送りたい生徒がいます」
そう学長が言った。生徒にどよめきが走る。
まほも困惑した。何も聞いていなかった。
「赤星隊員!」
みほが叫んだ。
「はぃいっ」という気の抜けた返事が、群集の中から聞こえた。自分の名前が呼ばれたことに驚いたようだった。
赤星小梅、みほが川に突き落とした戦車の乗組員だった。
壇上に登ってくる小梅の顔は青く、細かく震えている。足取りもおぼつかない。それらはみほに近づくほど酷くなっていく。
まほは胸が締め付けられる思いだった。小梅はあの試合が終わってからずっとこの有様だった。
「あなたに勲章を贈ります」
学長が小梅に勲章を渡した。拍手は少ない、皆困惑していた。
「聞いてください」
みほは校長に代わってもらい、マイクで話した。
体育館はしんとなる。
「生徒の皆さんは赤星隊員が何故勲章を贈呈されたのか疑問に思っているでしょう。それにお答えします」
みほが小梅をちらりと見た。
小梅はそれだけで竦み上がった。
「我が黒森峰女学院は十連覇を達成しました。非常に名誉なことであり、人ひとりの力では到底成し遂げられないことであります。私はここに戦車道の同志のみならず、ここに集まる全ての人に深い感謝を捧げます」
みほは頭を下げた。
「全ての事においてそうであるように、輝かしい勝利の裏には必ず犠牲がついて回ります。犠牲となった者は陽の目を見ず、讃えられることもない、それが世の常です。これは仕方が無いことなのかも知れません」
声の調子が落ち、みほは落胆したような表情を浮かべた。
「しかし、しかし、私ははっきりと言います。そんな事があってはならないと。私は犠牲が黙殺されることを断じて許しはしない!!」
怒りと正義に満ちた声で叫ぶ。
生徒たちは今や固唾を呑んで演説に聞き入っている。
「かの試合を観戦した人もいるでしょう。赤星隊員の戦車は試合中、川に落ちました。氾濫する川です、とても危険なことで、下手をすれば命に関わりました。ですが、その事が直接的に栄誉ある勝利へと繋がったのです」
まほは薄ら寒くなった。一体そんなことをどの口が言えるのか。今すぐ妹を黙らせたくなった。
みほは構わず続ける。
「英雄と呼べる人間がいるならばどの様な人間でしょうか。それは自分の身を顧みず、他人の為に動くことの出来る人間であると私は信じています。赤星隊員の行動は全くそれであります! 英雄的行動により隊を勝利に導いた。これは尊敬すべき戦車道精神であり、黒森峰女学院の模範となるべき生徒です!」
この頃には生徒は熱狂に飲まれていた。そうだ、そうだ、と演説に同調していた。
「よって、その素晴らしい功績を讃え、私は学長閣下に赤星隊員へ勲章を授与することを提案いたしました。そして閣下は快諾して下さったのです」
そんなことをしていたのか、まほは初めてこの茶番の所以を知った。
「そして今ここに、赤星隊員への勲章を贈呈するものであります!」
拍手と歓声が頂点に達した。体育館が震えているのが分かるほどだった。
みほはマイクから退き、小梅の手を取った。
感激か、驚きか、恐怖か、それの全てか……小梅の両目からは止めどなく涙が溢れていた。
その感動的光景に、生徒からは自然と『黒森峰万歳!』の唱和が始まった。
この光景を身に受けるまほは、身体がぐらぐら揺れる錯覚を味わっていた。冷や汗が止めどなく流れている。
今やあの恐ろしい体験を間近にした隊員たちでさえ熱狂的に万歳をしている。
みほは演説のみで、この場の全ての人間を自分の行いを正当化するための証人にしたのだ。
今や
しばらく唱和が続き、それがやっと落ち着いた頃、学長が再びマイクに戻った。
学長すら感激を湛えた声で言った。
「では、これら全ての功績を讃えて、隊長の西住まほさんからも生徒諸君へ向けて一言お願いします」
まほは、この時自分が何を言ったか覚えていない。