鬼神西住   作:友爪

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親衛隊の絆。


鬼神西住と親衛隊長2

 黒森峰女学園戦車道部においては、学年ごとに与えられる仕事が異なる。

 特に一年生は物資の運搬、装備の手入れ、戦車のメンテナンスなど、雑務が多い。また、訓練の内容についても、戦車に乗れる機会は比較的少なく、基礎練習がほとんどだ。

 なにせ大所帯である。戦車の数にも限りがあるし、訓練を積んだ上級生が優先的に搭乗訓練を行うのも道理である。

 毎日毎日大量の砲弾を磨いて運び、その後で倒れるまで走らされる過酷な訓練は、根性と忍耐を鍛え、また、それに耐えられない人間をふるい落とす狙いもあった。

 

 このように、一年生はある意味の洗礼(・・)を受ける訳だが、決して上級生からぞんざいに扱われたり軽んじられたりすることは無かった。

 上級生の誰もが、この洗礼を乗り越えてきていたし、裏方の地味な仕事が全てを支えているという事実が身に染みているからである。

 厳しくも誠実な上級生の元であるから、一年生はそれに憧れ、不満も無く粛々と任務に励むことができる。

 厳しい戒律、そして互いの尊重と尊敬があるからこそ、黒森峰の固い上下関係は成り立っているのだ。

 

 未だ一年生であった西住みほも、その組織構造に文句など無かった。

 むしろ、彼女の望むべくものであった。

 

 入学後直ぐにレギュラー入りし、なおかつ副隊長に叙任されたみほは、確かに妬みの対象であったが、実力はずば抜けており、一年生が受け持つ仕事も謙虚にこなしていた。

 故に、その妬みは悪い方向にはゆかず、良い意味で競争意識の引き金となった。

 

『西住みほ親衛隊』が創設された後にも、この流れが大きく変えられることは無かった。親衛隊の目的の一つには、みほが指示を出すことで、件の雑務をより確実で円滑にすることも含まれていたのだった。

 この時点で親衛隊は組織から完全に独立していた訳ではなく、むしろ綿密に関わり合って、相互に益を生み出す存在であった。これは喜ぶべきことであり、組織全体から承認を取り付けられるのは、実に自然な事であった。

 

 これにより、みほは指揮系統の上位に入る事に成功したが、配下に雑務を押し付ける様な真似はせず、自ら率先して仕事を請け負った。それが、非難の封殺と、評判の向上に繋がることを知っていたからだった。

 

 とある日、一年生は戦車の部品の運搬を任されていた。

 戦車の部品というのは一つ一つが大きく重いため、女子がそれを運ぶのには苦労する。勿論みほも参加しており、重い部品を軽々と持ち上げては次々に運んでいた。

 

 みほが何個目かの部品を運び終えた、その時だった。

 

 大きな部品を置こうと腰を下ろした、小柄な親衛隊員がバランスを崩し、傍らに居たみほに激突。そのまま、転倒に巻き込んだ。

 コンクリートの床に落ちた鉄の塊は、派手な音を立てて周囲の部員たちに異常事態を知らせた。「何事か」と一番最初に飛んできたのは親衛隊長、逸見エリカだった。

 

「あっ……ああっ!」

 

 転倒した小柄な隊員が、痛がるのも忘れて叫んだ。続いて周囲の部員たちも同じくどよめいた。

 視線の先には、転倒に巻き込まれたみほ──その指先から滴る、鮮血があった。

 転倒の際、部品の鋭利な一部がみほの人差し指と中指を薙いだのだ。裂傷は深く、今この時にも血が溢れ出し、コンクリートの床を染めていた。

 

「あなたッ!!」

 

 凄まじい形相でエリカがいきり立ち、親愛なる副隊長を傷付けた犯人を()とうと、平手を振り上げた。傷付けてしまった当人も、それを甘んじて受け入れようと、ぎゅっと目をつぶる。

 

「待って」

 

 エリカの手が振り下ろされる直前、懲罰はみほに静止された。

 

「止めないで下さい。コイツはあなたを傷付けました!」

「だからこそ、罰則は私が決める」

「しかし」

「私は、 待て(・・)と言いました」

「……分かりました」

 

 親衛隊長は主に実に忠実であった。渋々手を下ろすと、みほの半歩後ろに立って、床に(うずくま)る犯人を、今にも噛み付きそうな敵意の眼差しで威嚇するに留まった。

 みほは、滴る流血を改めてまじまじと見た。その様子は、まるで痛みを感じていない風だった。

 口端を歪ませ、他人事の様に笑う。

 

「あはは。赤い」

 

 みほは、切り裂かれた二本の指をゆっくりと口に運んだ。自らの血の味を確かめる様に、徐に、じっくりと、それを舐め取った。

 静まり返った倉庫に、指を(ねぶ)る艶かしい音だけが響いている。唾液と血液が混じった体液が、みほの唇を染めてゆくのを、隊員たちはただ眺めていた。

 ごくり。その光景を目撃した誰かが無意識に唾を飲んだ時、みほの指は口から離れた。

 その指を、未だ蹲っていた加害者(・・・)に向けて差し出した。

 

「舐めて下さい」

 

 僅かに上気した表情で、みほは命令を下した。

 唾液に塗れた指の傷。その内側からは、激しく血が溢れ出し、滴り続けている。

 それを差し出された加害者は、羞恥心に赤面し、命令に従うのを躊躇った。しかし、冷たいコンクリートに落ち続ける副隊長の血を見て、激しい罪悪感と──それよりも強い「何て勿体ない」という気持ちが湧き上がってくる。

 それら全ての感情が混じり合い、最後に残ったのは、主に対する無限の敬愛であった。

 

 加害者は、固く掌を組んで、恐る恐る主の指に唇を付けた。流血が、口の中に注ぎ込まれる。

 鉄の味。

 けれどそれは、優しくて、濃厚な味。

 唇を離す。その時には、一抹の名残惜しさがあった。

 

「親衛隊、整列」

 

 みほが鋭い声で号令を掛けた。

 惚けていた親衛隊員たちは、はっとして、半ば反射的に隊列を組んだ。

 

「連帯責任です。一人づつ、この血を、私の血を舐めて傷を癒しなさい」

 

 逆らう者は誰も居なかった。

 行儀良く並んだ隊員たちは、何かに突き動かされるようにしてみほの元に跪き、血のように紅潮した頬で、それを舐め取った。

 口付けだけをする者、舌で舐める者、大胆に指をしゃぶる者──忠義の尽くし方は、一人一人違ったものであった。共通していたのは、その行為に誰も多大な時間を掛けた事、そして、終わらせる時には「惜しい」という表情をした事だった。

 

「エリカ」

 

 そして、最後に残った一人をみほは呼んだ。

「さあ」と、みほは急かす。

 

「ぁ……みほ……」

 

 導かれるまま、エリカは膝まづく。

 全ての光景を目撃していたエリカは、正に、焦らしに焦らされていた。

 心臓は信じられないほど早打ち、経験した事が無いほど気持ちの悪い汗をかいている。謎の陶酔感に頭はくらくらし、頬が燃えそうに熱い。

 差し出された親友の指から流れる血を見つめる。これを舐めたら、私はどうにかなってしまうのではないだろうか。

 自然と息が荒くなり、大きく口が開かれた。なかなか、決心がつかない。

 

 その様子を見て、みほは加虐的に頬を歪ませると、だらしなく開かれたエリカの口に指を滑り込ませた。

 

「ぅ……っ!?」

 

 唐突に口内に含まされた異物への嫌悪……じんわりと広がる鉄の味……信仰する親友の味……。

 

「あぅ……えうぅ……」

 

 思考をまとめきれなくなったエリカが苦しげに漏らすのが、嘔吐(えず)きであるのか、喘ぎであるのか、それはエリカ自身にも分からなかった。

 

 その訴えを気にもせず、みほの二本指は口内を蹂躙し尽くした。

 歯茎をなぞり、歯の裏を撫で、舌を弄ぶ──エリカが涙目になろうとも容赦は無い。

 みほは、面白味よりも快楽の方を強く感じ始めていた。もはや、この行為は責任の返済ではなく、単に欲求を満たすためだけの行為に他ならなかった。

 血塗れた指は、欲望に従って更に奥へ。

 

「げ、ぇ……っ!」

 

 指が喉の入り口まで達した時、エリカは大きく嘔吐いた。みほは、一層激しい快楽を感じて、その指をもっと奥へ──

 

 がりっ。

 

 瞬間、エリカの牙がみほを襲った。それは周囲にも聞こえるほど強い反撃。みほは、笑顔を引き攣らせ、反射的に指を引き抜いた。

 見れば、裂傷の以外の新たな傷──大きい歯型がくっきりと刻まれており、その傷からも、うっすらと血が滲み出していた。

 みほは呆然として、新たに付けられた傷を眺めた。何が起こったのか、咄嗟に理解ができない。

 エリカに目をやると、彼女は立ち上がり激しく咳き込みながら、しかし、真っ直ぐにこちらを睨んでいた。

 

『あまり調子に乗らないことね──』

 

 その目は、はっきりと言っていた。

 されるがまま蹂躙される事を、エリカは決して良しとはしなかったのだ。全くの忠誠心による反撃──みほに刻んだ歯型は、その意思の表れであった。

 

「あはっ」

 

 みほは、途端に愉快になった。

 

「あはははっ! はははははははっ!」

 

 エリカ、エリカ、エリカ!

 こんなに愉快な事はそうはない。そうだとも、君はそういう女だ。その魂は決して屈しない。断じて私に従わない。

 だから好きなのだ。だから私は君が好きだ!

 

 響き渡るその笑声は、エリカの反撃に対する明確な返答であった。

 みほは涙を浮かべて笑い続ける。堪らなく嬉しいのだ。噛み付いてくれた(・・・・・・・・)事が、みほにとって、何よりの幸福なのだ。

 そして、みほが信ずる所の、この世で最も愉快な出来事であったからだ。

 

「親衛隊よ!」

 

 笑いを治めたみほは、傷ついた手を振り上げて、皆に向けて言った。

 エリカを筆頭に、隊員たちは、傾注の姿勢を取った。

 

「あなたたちは私の血を飲んだ。私に流れる、絶対的な私の証明を取り込んだ。これより私は、あなたたちの血となり肉となる。片時も離れる事は有り得ない。我々は、名実共に、血を分けた姉妹(きょうだい)となったのです。血盟。我々は血で結ばれた!」

 

 振り上げた手を固く握り、それを自らの胸に押し当てた後、隊員へ向けて突き出した。

 拳からは血が滲み出している。

 隊員たちの注目は、血の滴る拳に集中した。今や、血の一滴は忠義の一滴であった。

 

「親衛隊よ! 血盟こそが汝の名誉!」

 

 遂にみほは宣言する。

 親衛隊の絶対訓義にして史上方針──それが今、樹立されたのだった。

 

 この場の誰もが信じていた。

 栄光ある『血盟』が揺らぐなど万に一つもないという事を。

 副隊長の元、必ず勝利を収める事を。

 闘争の歓喜が、無限に継続する事を。

 

 実際にみほも信じていたのだ。

 永遠(・・)など、有り得ないというのに。




血盟こそ我が名誉(Meine Ehre heißt Klan)』──親衛隊訓義

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