鬼神西住   作:友爪

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老人の心意気を察することが、若者の務めだ。


鬼神西住20

 広大な雑木林を見渡す事の出来る監視塔の屋上、蝶野亜美一等陸尉は双眼鏡で各車両の動向を観察していた。

 特に気になるAチームは、練習試合の開始当初から逃げ回ってばかりいる。例え西住師範の娘といえど、他全チームから総叩きを受ければ、選択肢は無いらしい。

 直撃を食らわないよう必死に蛇行しながら逃げる様子は、如何にも頼りなく見えた。

 

「やっぱり、意地悪だったかしら」

 

 ちくりと胸が痛み、亜美は双眼鏡から目を離した。西住みほ指揮のIV号戦車を囲うような初期配置を指定し、この展開を誘導したのは紛れもなく亜美自身である。公明正大を旨とする亜美にとって、実に不本意であり、また不相応な行いだった。

 

 自分が情けなく思えてきたところを、頭を振って否定する。これは、決して自分の意志からの行いではない。

 命令なのだ。

 戦車道連盟最高幹部役員、松尾スミ老女史の厳命。西住みほの指導に当たれば、特に厳しく指導せよ。これを全うせねば、身の振り方を考える事となろう──そう命じられた時の、苛烈な眼差しを思い出すだけで、冷たい汗が吹き出した。

 

 額の冷や汗を拭い、亜美は再び双眼鏡を覗き込んだ。

 逃げ惑うAチームはもちろん、他チームも必死で試合に臨んでいるのが動きで分かる。どんな思惑があれ、試合に全力で取り組む少女の健気な姿に、やはり罪悪感を覚える一方で、懐古の念が滲み出す。

 あの頃は、私もああだった。純粋で真っ直ぐな戦車乗りの少女──けれど、今や少女を虐める(・・・)側か。

 

「大人って……辛いわね……」

 

 切なげに、ぽつりと呟いた。

 亜美は命令の真意を何一つ理解してはいなかった。

 

 ◆

 

 道中で冷泉麻子を拾ったIV号戦車の状況は、依然として変わらず、敵から逃げ回るばかりである。

 Ⅲ号突撃砲の攻撃は断続的に続き、ほとんどが大きく外れるものの、時には至近に着弾する事もあった。腹の底を震わす様な轟音。特殊カーボン装甲により、危険は無いと分かっていても、Aチームの面々は着弾の度に首を竦めた。かなり際どい窮地に立たされている事が、初心者の目にもはっきり分かる。

 

 不安になって、頼るべき車長に目をやる。ほんの少しでも、安心材料が欲しかったのだ。

 だが、その期待は、そもそも的外れだった。

 彼女らの車長は、あろう事か上半身を戦車の上に露出させてはしゃいでいた。

 

「いいぞ。もっと撃て」

 

 これは一体、なんて有様だ?

 黒衣の少女が満面の笑みで、無邪気な子供の如くぱちぱちと両手を叩き、忙しなく足踏みをする様は、明らかに常識の範疇を飛び越していた。

 何度か「危ない」と注意したものの「それじゃあ面白くない」取り付く島もない返答だった。

 

 まるで娯楽だ。彼女にとって、敵の砲撃すらも楽しみの材料なのか。

 きっと異常な行為なのだろう。何となく頭は回るのだ。しかし、みほの余りに堂々とした喜び様は、戦闘という非日常、一種の思考停止状態において、理屈を飛ばして伝染した。

 萎縮していたチームの面々は、自然と頬を緩ませ、肩の力を抜いた。この状況に不釣り合いな車長の有様が、無性に面白味を帯びている様に思えたからだった。

 

 怖がる我々を余所に、一番えらい(・・・)人は狂喜している──これがジョークでなくてなんなのか!

 

 笑顔というのは、不安や恐怖を麻痺させるための本能だ。どんなに怖くとも、ともかく笑ってしまえば、実はその通りなのではないか、という気になってしまう。

 

 そして、実際にその通り(・・・・)になってしまった。彼女らは、現状について、一つ重大な誤解をしていた事に気が付いた。

 

 恐怖や不安を無くすのではない、そもそも楽しむべき場面なんだ!

 

 今やAチームの面々は、引き起される何もかもが面白く見え始めていた。そうなってしまえば、みほの言動も異常にはなり得ない。

 ならばきっと、それが普通(・・)だ。

 その認識こそ、西住みほの『仲間』足りうる第一歩なのだ。

 

「停止して下さい」

「はい……」

 

 逃げ回って辿り着いた、橋の前に差し掛かった時、みほは足で指示を出した。靴で背中を優しくなぞられた華は、身震いして、ブレーキペダルを踏んだ。華の頬は紅潮している。

 

「沙織さん、チャフスモーク展開。しばらくの間、敵の視界を塞ぎます」

「りょうかいっ」

 

 上半身を乗り出して、遠くの背後を気にしたまま、みほは続けて指示を出す。装填手として暇をしていた沙織は、嬉々として従った。

 車体後方に備え付けられた発煙機から、直ぐ様煙幕が展開されたことを確認してから、みほは一旦座席に戻った。

 

「橋を渡る前に、役割の再編成を行います。華さんは砲撃手、沙織さんは通信手、優花里さんは装填手へ」

 

 突然の命令に皆は驚いたが、文句は言わなかった。みほが言うのなら、きっと間違いはないのだろうと思ったからだ。

 

「あれ、では操縦手は誰に?」

 

 速やかに交代せんと、座席から腰を上げた優花里が疑問を呈すと、華と沙織もそれに頷いた。みほは、にこりとして言う。

 

「冷泉麻子さん。操縦手はあなたに」

「……なに?」

 

 拾われてからというもの、沙織の隣で、我関せずという風に無表情を貫いていた麻子が初めての反応を示した。流石に聞き流す事の出来ない内容だった。

 

「どうしてそうなる」

「それが良いと私が判断したからです」

「やらないぞ」

「やってもらいます」

「お前がやればいい」

「操縦は苦手です」

「そもそもやり方が分からない」

「はい、どうぞ」

 

 みほは、冊子を差し出した。『IV号戦車運転マニュアル』表紙にはそうあった。それなりの厚みがあって、読み解くには時間がかかりそうだということが、傍目にも分かる。

 

「今、ここで、覚えて下さい」

「無茶を言うな。普通の人間にそんな芸当が出来るかっ」

「でも、出来るでしょう。あなたなら」

 

 みほは、さも当然の様に言った。

 麻子は言葉に詰まる──コイツは、一体、私の事を何処まで知っているのだ?

 

「……出来る出来ないの話じゃない。やりたくない(・・・・・・)と言っている」

 

 麻子は、質問に対して明言をせず、意図的に論点をずらした。

 問題を複雑化し、曖昧に誤魔化すためには、感情を絡めてしまうのが一番であると麻子は知っていた。特に、女子にとっては。

 しかし、理性と感情とが完全に分離されている相手にとっては、至極無意味なあがきだった。

 

「私は『選べ』と言いました」

 

 マニュアルを差し出したまま、みほは目を少し細めた。眼力の鋭さが数段増した気がした。

 底冷えするような想いが胸に蘇える。麻子は視線を逸らそうとして、失敗した。みほの瞳には、何故だか人を釘付けにしてしまう力があった。

 

「確かに言ったはずです。私は提案をして、あなたが選択をした。誰に強制された訳でもない。戦車に入る事を、自分で選んだんです。それは、参加する(・・・・)という決断である事に他ならないし、私もそれ以外を認めません」

「それは」

 

 戦車の中に居て、最もできる(・・・)人材に仕事を割り当てる──みほは車長として、至極全うな事を求めていた。既に新たな位置に就いた皆もそれに同調する。その中の沙織の存在が、特に麻子には効いた(・・・)

 みほの追求に直面するに至り、麻子は慌てて過去の自分の言動を想起する。

 自分で選んでしまった。そうか、あの時。考え無しに、ただ感情任せに、何時もならば絶対にしないような選択をしてしまった。否、最も愚かな選択をさせられた(・・・・・)のか。私がここにいる時点で、目論見は終了していたのだ。

 

 今や、みほは車長としての立場から、正論を言うだけで良い。その言葉はどこまでも正しい(・・・)。撃ち崩す事など、できやしない。

 やられた──その事に、今気が付いた。

 

「私の最も嫌いな事の一つは、嘘を吐く事です。他人を陥れる嘘ではありません。自分に吐く嘘──紛れもない自分の決断を反故にして、己自身を裏切る事です。それは卑怯、卑劣な行為であると思っています」

「綺麗事だ」

「そうですね」

「だが、ああ、言う通りだ」

 

 麻子は潔く観念した。往生際が良くないのは、見苦しい。

 それはある意味の諦観。しかし、それは麻子の聡明な思考を再び循環させるための引き金となった。みほに拘束されていた心が緩み、狭まっていた視野が広がりを見せた。

 

 麻子は横目に、隣でおろおろしている沙織を認めた。どんな時でも他人の事を心配する馬鹿で、善良なる幼馴染だ。

 自分の落ち度はどうでもいい。全て己に跳ね返ってくるだけだ──しかし、この女は、たかが私を陥れるために、大切な幼馴染をだし(・・)に使ったのか。

 

 気が付いた途端、麻子はみほに対し、恐れ以外の感情が沸き上がってくるのを感じた。

 怒り。

 恐怖を吹き飛ばす程の怒りが、麻子の胸を満たした。何もかも呑み込んでしまいそうなみほの瞳を、真っ向から睨み返す。

 

 珍しい事だ。他人のために憤るなど、自分にもできるんだな──激情を抱いていても、麻子の頭の片隅には、冷静な部分があった。

 感情と理性の分離は、何もみほだけの特権ではなかった。

 

「よこせ」

 

 麻子は、みほの黒い手からマニュアルを引ったくると、空いた操縦席に飛び乗った。手にした冊子を凄まじい勢いでぱらぱらと捲ったと思えば、一瞬で裏表紙まで達してしまった。

 背を向けたまま、読み終えたものを肩越しに勢い良く投げ返す。顔に飛んできた冊子を、みほは特に驚いた様子もなくキャッチした。

 

「覚えた」

 

 操縦桿を握りながらの宣言に、沙織たちは度肝を抜かれた。

 

「今ぁ!?」

「流石学年主席!」

 

 麻子の頭脳は、何時にも増して冴えに冴え渡っていた。理由は簡単だ。やる気(・・・)の違いである。

 騒ぐ連中を意に介さず、麻子はまた、はっきりした声で言う。

 

「今回だけだ。西住さん、今回だけは協力してやる。私が、自分で決めた事だからな。責任は負うとも」

 

 麻子の心理に呼応する様に、エンジンが唸りを上げる。

 みほは、よほど嬉しそうに頷いた。

 

「任せます」

「腰を抜かすなよ」

「させてみては?」

「ぬかせ」

 

 アクセルペダルが一気に最奥まで踏み抜かれ、全員に激しい加速度が襲った。

 同時、展開されていたチャフスモークが霧散する。晴れた煙の後ろには、更に数台の戦車が追いすがって来ているのが確認できた。

 

 ◆

 

 Aチームの渡河先にまで、わざわざ回り込みに来た38tのEチーム(生徒会チーム)は、完全に調子に乗っていた。

 特に、Aチーム包囲作戦の発案者にして砲手を務める河嶋桃は、周囲が呆れるくらい興奮していた。

 

 あの(・・)西住みほに面食らわせてやるという意気込みがあったし、さしもの彼女でも全車両相手に勝つのは難しいだろうという楽観もあった。

 

「はっはっはー! ここがお前らの死に場所だっ!」

 

 興奮で赤くなった桃の威嚇(?)と共に、雑木林を抜けた38tは、ようやく橋の全体が見通せる場所まで辿り着いた──と同時、今度は桃の顔が真っ青になった。

 

「うわっ! うわわわわあっ!!」

 

 桃がスコープ越しに目にしたのは、猛烈な勢いで橋を突っ切り、真正面から突進してくるIV号戦車だった。不安定な吊り橋をものともせず、出力全開だ。

 

 慣れていない者、それと小心者にとって、巨大な鉄の塊が迫ってくるのは恐怖でしかない。

 桃は防衛本能から、反射的に引き金を引いた。しかし、心技体のいずれも揃わぬ砲撃だ。当たる道理がない。

 

 大きく外れた砲弾は、IV号を止められない。いや、もし当たったとしても止まらなかったかもしれない。

 そう思わせる程の突進の勢いそのままに、IV号は、ほぼ零距離から38tを砲撃した。鉄同士が衝突する高い音が鳴り響き、吹き飛んだ38tから白旗が上がる。

 IV号は速度を緩めず、敵車体の右横すれすれを走り抜ける。次なる目標は直ぐそこに居た。

 

「何だかヤバァいっ!」

「えっ、なになに?」

「何が起こってるの!?」

「わかんなぁい」

 

 この時、Eチームの直ぐ後ろには、Dチーム(一年生チーム)のM3リーが付いて来ていたのだ。

 取り敢えず先輩の後ろに付いていれば安全だろうとタカを括っていた一年生たちは、突如として撃ち破られた状況に対応できず、一斉に甲高い悲鳴を上げた。

 

 再装填と僅かな砲塔角度の調整を済ませたIV号は、容赦なくこれを砲撃。搭乗人数が多いM3の内部はめちゃめちゃにされ、戦車は素直に降参の白旗を掲げた。

 

 なおも速度を落とさないIV号は、煙を上げるM3の後方をドリフト気味に旋回、瞬時にして背後の吊り橋へと砲口を向けた。

 おっかなびっくり橋を渡りながら、一部始終を目撃していたⅢ突は、追い回していた筈の獲物がいきなり凶悪になった事に咄嗟の理解が追い付かない。それ程、IV号の変化は顕著であった。

 

「撃てーッ!」

「駄目だ、外したっ」

「次弾装て……ぁあ゛!」

 

 装填手のカエサル(本名、鈴木貴子)は慣れない装填作業に焦りが加わり、砲弾を取り落とした。不幸な事に、落とした砲弾は足の甲を直撃した。

 

 IV号はこの隙を見逃さない。

 砲塔を回転させるより早く、(キャタピラ)で横角度の微調整を終えてしまうと、間髪入れず砲撃。

 III号突撃砲は、哀れ吊り橋の中央で沈黙した。

 

 これに困ったのは、Ⅲ突の背後に付いて橋を渡っていた八九式中戦車である。

 前に進もうにもⅢ突が邪魔で進めない、後ろに進もうにも不安定な吊り橋の上でバックできる程の技術が無い──完全に立ち往生を食ってしまったのだ。

 

「前にも後ろにも進めませんキャプテン!」

「Ⅲ突が邪魔で狙いがつけられませんキャプテン!」

「根性で何とかするんだァー!」

 

 根性ではどうにもならない状況も世の中にはある。

 進退窮まった八九式は、その場でもがいた(・・・・)。まずい状況から必死に抜け出そうと、慣れないハンドル捌きで、落ち着きなく前後左右の運動を繰り返したのだ。

 その行動が仇となった。

 ただでさえ不安定な吊り橋に、戦車二両も乗っているのだ。その上で暴れたりすれば、どうなるか。

 

「おい、やめろっ。こっちは動けないんだぞ。無理に動くな……うおっ!」

「根じょ……うわわっ!」

 

 その時、もがいていた八九式はⅢ突に追突した。自走能力を持たないⅢ突は、最早ただの重り(・・)だ。与えられた外力に従い、停止位置がずれる。

 結果は必然的だった。道の片方に重心が寄り過ぎたのだ。

 吊り橋は、重量が掛けられた側へ、一挙に傾いた。二両の戦車は、傾いた方向へ滑り寄せられる。

 いくら側面に転落防止の鉄線が張られているとはいえ、崖下へ転落するのは時間の問題に思われた。

 

「危ない!」

 

 誰かが叫び、悲鳴を上げた。

 いや、誰もが同じ感想を持ったに違いない。

 少なくとも、彼女以外は。

 

「撃て」

 

 普段通りの声調で、みほは命じた。

 命令に従い、側面からの照準を完了させていたIV号は八九式を狙撃(・・)した。

 急所を確実に抜かれた八九式は、側面から弾かれた(・・・・)。Ⅲ突とは逆側へ弾け跳んだため、左右の釣り合いが保たれ、吊り橋は正常位置へ落ち着いた。

 崖下への転落は、防がれたのだ。

 煙と白旗を上げた八九式から、車長の磯辺典子がきょとんとした顔を出した。

 

「有効! Aチームの勝利!」

 

 教官によって、試合終了の号令が高らかに宣言された。

 全車両殲滅。

 それが、Aチーム初の戦果となった。




憤る事をしないのは美徳である。しかし、憤る事は間違いなく生きる上で必要だ。

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