鬼神西住   作:友爪

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 昨年の全国大会で、黒森峰女学園を最も苦しめたのは準決勝戦で当たった聖グロリアーナ女学院であった。公式記録によると西住姉妹に最も近づいたとして評価されるが、現在聖グロがそれを語ることは無い。


鬼神西住24

 西住みほの破門と転校が正式に決定した時、戦車道を有するあらゆる学校は、あの手この手で彼女を引き込もうとした。特別奨学金、特待生待遇、最高の訓練環境──西住みほを引き込む事、即ち黒森峰一強のパワーバランスを突き崩すチャンスに他ならないからだ。

 ダージリン属する聖グロリアーナ女学院も、随分熱心に誘致活動をしたが、遂ぞ実現はしなかった。

 

 西住本家──彼女の母が決して首を縦に振ろうとはしなかったからである。あくまで、戦車に関わりのない普通(・・)の少女としての生活を娘に求めたのだ。

 そして条件に沿う学校に限定して、娘には選択権を与えた。結果本人に選ばれたのが、大洗女子学園だった。

 

 西住みほは何故大洗を選んだのだろう。

 転校先を選ぶにあたり、彼女に提示された条件は「戦車道が行われていない学校」だと、それだけだった筈だ。

 西住家の本拠は熊本だ。条件に沿う学校は、近場(きゅうしゅう)にもあった。

 

 それが何故、はるばる大洗くんだりまで……?

 

 これについては色々な議論があった。「傷心の余りなるべく本家から離れたかったのだ」とか「心を癒す親友が大洗にいるのだ」とか「実は裏で本家から命令されたのだ」とか、いずれにしても、余り前向きな理由ではないように思われた。

 世間の目は明らかに少女に同情的であり、対して西住本家には批判的だった。

 それでも結局、真相は藪の中。

 確かなのは、その選択に何かしらの意図が働いた事だけだった──

 

 到着間際の大洗の沿岸。学園艦のデッキに立つダージリンは目を凝らして、その景色を眺めている。

 

「この町に何か秘密があるのかしら」

 

 見極めてみせよう。心中に渦巻く、西住みほに対する様々な疑念──それらに決着をつけるためにこの町にきたのだ。

 ダージリンは静かに集中力を練った。不要な情報は切り捨て、大切な情報を何一つ見逃さぬように。

 

 故に、­­クマらしき残酷なキャラクターを掲げた、寂れた建物の事になど注意を払おうとは思わなかった。

 

 ◆

 

 艦を降りた途端待っていたのは、人々の歓声と、華やかな管弦の音色だった。

 

 戦車が行く道沿いには、所狭しと地元の住民が押し寄せ、各々手にした聖グロの校章旗を高く振っている。派手に花吹雪を撒き、今にも戦車に群がってきそうな住民を、風紀委員の腕章をした生徒が必死に押さえ込んでいる。

 英国風に威風堂々とした行進曲を奏でる吹奏楽部は、一人残らず正装だ。先頭の指揮者が、演出過剰気味に張り切って指揮棒を振っている。

 屋台の数も尋常ではない。こうして戦車で進んでいるだけで、何処からか香ばしい匂いが漂ってくる。人の集まりが、更に人を集めているようだ。

 

 気を張っていた聖グロ指揮官、ダージリンは大いに当惑した。隊長でさえそうなのだから、一般隊員たちは尚更だった。

 自分たちは、練習試合に来たはずが、何かの手違いで祭りの真っ只中に放り出されてしまったのではないか?

 しかし、住民たちは明らかにこちらに向けて聖グロの名を叫んでいる。戦車だ、戦車だ、と目を輝かせて手を振っている。

 

 当惑しつつも戦車から顔を出した車長たちが、ともあれ期待に応えようと小さく手を振り返せば、わあっと一斉に歓声が大きくなった。

 今度は笑顔で大きく手を振り返すと、それに比例するように歓声も大きくなった。

 

「あれが名高い聖グロリアーナ女学院」

「なんて高貴な振る舞いだろう」

「戦車は勇ましいぞ」

「素敵ねえ」

 

 こう言われれば、全く、悪い気はしない。

 訳も分からぬまま良い気分にされた聖グロ隊は、人波の誘導に従い、やがて試合待機所に辿り着いた。

 待機所には、外部からの視界は遮られる構造の天幕(テント)が張られていた。

 

「ようこそ、お嬢様方」

 

 入口を潜ると、思わぬ低い声を掛けられた。驚き振り向くと、天幕の内側で英国執事の格好をした若い男が数人、にこやかに佇んでいた。

 全員、反射的に心臓が高鳴ってしまう。

 

 聖グロはお嬢様学校だったが、女子校だ。()という生き物には、免疫が無い。

 

 赤面して何も言えなくなってしまった彼女らを、執事は座席へ案内すると、今度は一人一人へ丁寧に紅茶を注ぎ、茶菓子を出した。

 恐る恐る紅茶へ口を付けると、芳醇な香りと、上品な口触りが一杯に広がった。菓子は頬が蕩け落ちてしまいそうな味わいで、はしたないと知りながらも、ついつい腕が伸びてしまう。

 舌が肥えている聖グロ隊員たちが、感心する程の腕前──彼らが怪しい店舗の執事ではなく、訓練を受けた本物(プロ)であることは疑いなかった。

 

 皆が皆、ほっと息をついた。

 なんという、もてなし(・・・・)だ。

 何のために遠路遥々茨城にまで来たのか、一瞬忘れてしまいそうな怒涛の享楽。

 彼女たちが何とか体裁を保っていられたのは、この時パンツァージャケットを身に纏っていたからで、もし普段の制服であれば確実に呑まれていただろう。

 

 天幕の入口が翻った。聖グロ隊員たちは、会話に花を咲かせるのを中断して、そちらを見る。

 先んじて入り、垂れ幕を持ち上げる少女は、服装からして大洗の生徒だろう。

 後に入ってきたのは、黒い少女だった。

 

「……西住さんっ」

 

 その笑顔だけは、忘れる筈もない。

 気合が抜けていた訳では無いが、不意を打たれたダージリンが驚いて席を立とうとする。

 

「ああ、どうかそのまま」

 

 手の平を出して抑えたみほは、執事が引いた椅子に腰掛けた。その隣に、先んじて入ってきていた制服の少女も座る。そうすると、二人は直ぐに頭を下げた。

 

「大洗女子学園隊長、西住みほです。本日は、よろしくお願いします」

「同じく副隊長、澤梓です。よろしくお願いします」

 

 ダージリンは、みほの見るもの全てを安心させるような柔らかな笑顔を前にして、しかし、緊張の息を飲んだ。

 憧れ抜いたその人が、自分と同じ立場として対面しておられる。それを無邪気に喜べたなら、どんなに幸福だったか!

 どうしても、背後に透けて見てしまうのだ。心から慕っていた、先代の隊長の姿を。見えない何かを恐れ、自ずから破滅へ向かった、アールグレイの涙を。

 

「聖グロリアーナ女学院隊長を務めております。私が、ダージリンですわ。こちらこそ、よろしく」

 

 万感の思いで、ダージリンは名乗った。

 黒い少女は、変わらぬ柔らかさで迎えた。

 

「お久しぶりですね、ダージリンさん」

「……覚えていてくれたのね」

「それはもちろん。こうして話すのは、初めてでしょうか」

 

 会話の傍ら、みほはテーブルを指で二度突いた。控えていた執事が、慣れた手つきで紅茶を注ぎ、新たな客人二人の前に出す。

 みほは執事(おとこ)に見向きもせず(梓は終始どぎまぎしていたが)、ただ静かに紅茶に口を付けた。

 

 一連の所作が余りに滑らかで板についていたので、ダージリンはうっかり見逃しそうになったが、それは本物の執事に対しての、本物の対応だった。

 そうだった。彼女は紛れもなく、本物のお嬢様(・・・)なのだ。

 

 改めて、ダージリンは西住みほという人間を良く観察した。

 終始その表情は穏やかで優しい。出されたカップを控え目に両手で傾ける姿にも、年相応の可愛らしさが滲み出している。

 だが、その手は黒い。

 漆黒の革手袋が、素肌の色を晒すのを拒んでいる。

 手だけではない。シャツも、タイも、ジャケットも、ズボンも、ブーツに至るまで全て光を反射させない、黒い素材に身を包んでいる。それは白基調の制服を着ている隣の副隊長と対比されるようで、余計に際立っていた。

 唯一、襟元に付けられた、鉄十字(バルケンクロイツ)を型どるバッジの銀がやけに眩しく感じられた。

 

 人間模様と服装とが、まるで対極。けれど不思議な事に、違和感を感じないのだ。

 気高く気品があり、柔和に思えても一度戦車に乗れば凛々しく、そして何より実力がある──それを知っているから、自然と受け入れてしまうのだろうか。

 むしろ、似合っているとまで思った程だった。

 

 一挙一動にまで注視していると、それに本人が気が付いた。微笑んだまま、ぱちぱちと何度か瞬きをして見せる。

 冷静に目を合わせてはいられない。その意味での神経の太さをダージリンは持っていなかった。

 彼女は魅力的だ。

 

「良い匂い」

 

 みほは、カップを置いて大きく息を吸った。

 

「とても繊細で、落ち着く香りです。爽やかで上品な渋みがあって、それから色も……」

 

 みほは続けて何かを言おうとして、やはり止めた。聖グロリアーナの諸君の前で、あえて長い感想を言うのも野暮だと思ったからだった。

 だから、ただ微笑んで「美味しい」と言った。

 

「私はもっぱらコーヒばかりで、紅茶に詳しくないのですが、これは何という葉なんでしょうか」

「ええと……」

 

 ダージリンは少し口ごもった後、照れた様に自分を指差した。他の隊員たちも、一斉にダージリン(・・・・・)を指差す。

 みほはぽかんとして、やがておかしそうに笑った。

 

「なるほど、なるほど。道理で美味しい訳ですね。嗚呼、これは良い紅茶です」

 

 恐らく執事が分かっていて淹れたのだろう。そういう粋な悪戯心は、みほの好むところだった。

 可笑しみを抑えきれないように、くつくつと笑い続ける様子を見て、構えていた聖グロ隊員も心を解きほぐされていった。

 

 噂に聞く西住みほとは、その実可愛らしくて、ユーモアの分かる少女ではないか!

 

 この場にいるほぼ全ての隊員は、みほと直接顔を合わせるのが初めてであったが、その第一印象は良好なものとなった。

 

「西住さん、この様に厚いおもてなしをして頂いて一同感謝していおりますわ」

「いえ、私は何もしてませんよ。少し口を出した(・・・・・)だけですから……それに、実を言うと、おもてなしの為ばかりでもないんです」

「というと?」

 

 みほは英国風に二段になっている菓子の皿に手を伸ばし、とある一つを摘み取って、丸ごと口に放り込んだ。幸せそうに味わって、飲み込む。

 みほが急にはしたない事をし出したので、ダージリンは目を丸くした。

 

「マカロン、美味しいですよね。私、これには目がなくって。今日も密かに楽しみにしていたんですよ」

「まあっ」

「それに、ほら」

 

 みほは殊更に辺りを見渡した。壁際には、何人も執事が控えている。

 

「こういう風に男性に囲まれていると、何と言うか、ええと……」

「へえ?」

「悪い気はしない」

「みほさん、まあ、何て事を仰るの。はしたなくってよ」

「同意してくれませんか」

「ずるいわ。私だって嘘は吐きたくないのよ。何て答えればよろしいのかしら?」

「答えなくたって良いんです。ただ顔に出してくれれば」

「困るわね。うっかり頬を弛める訳にいかなくなってしまうじゃない。ずうっと仏頂面だなんて、疲れてしまいそう」

「それはそれで、淑女らしくて素敵だと思いますよ。特にダージリンさんなら」

「お上手だこと」

「なんの、本心ですよ」

「ああ危ない、そうやって誘っているのね。その手には引っかからないわよ。聖グロリアーナ女学院の生徒なれば常に淑女たれ。皆だってそう思っているはずよ……ねえ?」

 

 すまし顔のダージリンは隣に座っていたオレンジペコに向かって話を振った。

 

「はぴっ!?」

 

 余りにも唐突で、二人の会話に笑いを噛み殺す事で精一杯だったペコは素っ頓狂な声を出した。「あわあわあわ」と何やら手で空中を掻く様子に、ダージリンは大袈裟に眉間に手を当てる。

 

「ああもう、がっかりだわ」

「も……申し訳ありません……」

「ふぷっ!!」

 

 しょぼんとなったペコを見て、今度は梓が耐え切れずに噴き出した。

 みほは、じろりと梓を見て言う。

 

「何を笑いますか。私たちが真剣に話をしているのに」

「す……すみません……」

 

 副官二名が揃って小さくなってしまった姿を、隊長たちは厳しい視線で見つめ、その後お互いに頭を下げた。

 

「うちのオレンジペコが無作法を致しました」

「こちらこそ、副隊長が失礼をしました」

 

 深々と礼をした隊長二人の背中を、申し訳なさそうに見つめていた副官二人は、よく見るとその背中が小刻みに震えている事に気が付いた。

 会話を邪魔した事で、もしやそれ程の怒りを買ってしまったのか──と思ったのは、まさに束の間であった。

 

「ふ……ふふふ……うふふふふっ!」

「くっ……くく……あははははっ!」

 

 直後、ダージリンとみほは同時に顔を上げて、大笑いをした。抱腹絶倒である。

 ぽかんとしていた生真面目な副官たちは、やがて自分がからかわれていた事に気が付いた。怒りやら安堵やら羞恥やら、ごった返しの感情に顔を赤くする。

 目尻を擦りながらダージリンは言った。

 

「初めて知りましたわ。西住さんって意地悪で、面白い方ですのね!」

「ええ、全く困った事に良く誤解されるんです。メディアの弊害でしょうね。本当は大した人間ではないんですよ、私は」

「『軍神西住』だなんて尊称されていますものね。正直を言うと、今の今まで私もその口だったのよ」

「おこがましい! 私が『軍神』ですって? それは、ただ曾お祖母様のための名です。憧れではありますが、同一化しようなどとは思った事も有りません」

「家名に誇りを感じてらっしゃるのね」

「はい……時代錯誤と思われるかもしれませんが」

「そんなことはないわ。とても素敵な事だと思います」

 

 二人は同時に紅茶に口を付けた。

 みほは再びマカロンに手を伸ばして、幸せそうに味わった。あんまり美味しそうに食べるので、ダージリンも一つ取って食べた。そして目を丸くする。

 驚いた、これは、本当に美味しい。

 思わず弛みかかった頬を、咄嗟に引き締める。

 まだ(・・)駄目だ。今暫し、根底の所では気を張っていなくてはならない。本当に知りたい事が、まだ残っている──

 

「それにしても、お元気そうで安心しました。あんな事(・・・・)があった後ですから」

 

 遂に、ダージリンは切り出した。

 西住みほの本質、今こそ見極めん。

 

「……転校の事ですね」

「本当に、ご無念でしたでしょう……?」

「ええ、まあ……」

 

 みほは顔を曇らせて、それを誤魔化す様に、また紅茶を飲んだ。僅かに目が泳いでいるのを、ダージリンは見逃さなかった。

 効いている(・・・・・)と、ダージリンは思った。

 

「我が聖グロでも、当時はみほさんの話題で持ちきりでしたのよ」

「あはは……お騒がせしました」

「今でこそ、こうして戦車道を通じて交流していますけれど、つい最近までこの学園で戦車道は廃止されていたと聞きます。それをみほさんが再び盛り立てられたとか」

「私だけの力ではありませんよ」

「そうは言っても、この短期間……大したものです。骨が折れたでしょう? それほど戦車道が恋しかったのかしら」

「ええ、と……」

 

 みほは口ごもる。

 やはり、何かやましい事を隠しているのか。その隠し事は、果たしてアールグレイの悲劇に関わっているのか──

 

「……本当は、戦車道をやるつもりなんて無かったんです」

 

 みほは、観念した様にぽつりと言った。

 

「転校させられた事が悲しくて、ショックで……もう戦車道なんてやりたくないと思って、ここまで来ました。無責任ですけれど、遠くなら何処でも良かったんです。でもある日、生徒会長に声を掛けられたんです──」

 

 それからみほは、詳しい経緯を語った。失意の中、友達に昼食を誘われた事、孤独が救われた事、会長に無理矢理に勧誘された事、それで戦車道復活のために奔走している事──涙ぐましい健気な努力に、この場の全員の胸は急激に切なくなった。

 

「──それで私は、ここに居ます」

 

 シンとなった天幕の中、みほは語り終えた。

 聖グロ隊員は情緒溢れるみほの語りに、胸を抑えた。オレンジペコは感涙の滝を流している。

 

 ダージリンは、みほに最も近い位置の梓を確認した。オレンジペコ以上に、何もかもを垂れ流している。

 どうやら、虚言ではないらしい。

 

「酷い話。戦車から離れたくて、その一心で流れ着いたのでしょう。それが、生徒会長とやらの私情に巻き込まれて、さぞかしお辛かったでしょう……?」

「もちろん最初は不幸だと思いました。でも、今は違います」

「それは、どうして」

「昔は、さっき話していた通り、私は色眼鏡で見られる事が多くありました。どこへ行っても西住流の娘、家元の産まれとして、心から歩み寄ってくる人は誰もいなかった」

 

 ただ一人の大馬鹿(しんゆう)を除いて──みほは心の中で付け足す。

 

「誰も彼も本当は自分が一番だと思っているくせに、それをひた隠しにして卑屈な目で見上げてくる。憧れや敬意の他に、打算が透けて見えるようです。それは何より私を苦しめた。全く、好みでない」

 

 誰もが息を呑む。こと聖グロに至っては、みほの言葉は、より深く突き刺さる。名誉名声を重んじる聖グロにとって、それを否定しきる事は決してできない。

 ダージリンにも、強く思い当たる節があった。

 

「けれど、大洗女子学園は違いました。多くが私の事を知らなかった。真っ白(・・・)だったんです。西住の娘ではなく、未知の一人の人間として接してくれた。だから私は、真っ白の状態に色を付ける(・・・・・)事が出来る。本当に嬉しかった!」

「あなたには、仲間ができたのね」

「ええ、大切な人たちです」

「そう……」

 

 一つ頷いて、ダージリンは沈黙した。

 みほは仲間を作ったと言う。けれど、逆に大切な人を失った者もいるのだ。

 彼女に、問わねばなるまい。

 

「西住さん……アールグレイという人を覚えている?」

 

 その名を出した途端、オレンジペコを始め、隊員たちは凍結した。聖グロ最大級の禁忌(タブー)、まして他校の生徒の前で口に出して良い名前では無かった。

 

「先代の隊長さんですね。随分ご無沙汰していますけれど、お元気ですか?」

「そうね、きっと、お元気だと思うわ」

「あの人は強かった。昨年の全国大会、黒森峰が最も苦戦を強いられたのは、間違いなく聖グロでした。ですから、あの人に相互協力を持ちかけられた時には、とっても嬉しかったんですよ?」

あんな事(・・・・)になってしまって、残念だったわ」

「あ……」

 

 みほは気が付いたように畏まって、頭を下げた。

 

「その件は申し訳ありませんでした」

「どうして謝るの」

「私が途中で抜けてしまったせいで、せっかく持ちかけて下さった話を台無しにしてしまって……出来るのなら、アールグレイさん本人に直接謝りたかった」

「無理よ」

「やはり、怒らせてしまったのでしょうか」

「そうではないけれど……ねえ、みほさん、本当に何も知らないの?」

「ええと……何か……」

 

 困惑気味に首を傾げるみほの表情からは、外面以上のものは読み取れない。答えに困っておろおろしているのが、むしろ可哀想になった。

 これが演技であるならば、余程の役者だ。ダージリンには、その可能性は極小さいものであると感ぜられた。

 

「こちらの話よ。変な事を言ってごめんなさいね」

「いいえ、こちらこそ……」

 

 過ぎる程に恐縮するみほを見て、ダージリンは小さな恥を感じていた。

 こんな無垢な少女を疑うなど、どうかしている。雲の上に感じていた少女は、気高い魂の持ち主で、それでいてずっと親しみのある性格だった。

 

 渦巻いていた疑念は、杞憂だったのだ。きっとアールグレイの悲劇は、西住みほとは全く関係のない事が原因だったのだろう。

 勝手に疑い、あまつさえ問い詰めようと企んでいた自分が恥ずかしい。

 

「西住さん。改めて、今日はよろしくお願いします」

 

 人格評価の結論をつける様に、ダージリンは決意して立ち上がり、手を差し出した。

 みほは革手袋を取り、照れた様子で控え目に応じた。晒された手の平は、なんてことは無い、普通の可愛らしい手だった。

 

 そして、遂にその手を取り合う。

 何も起こらない。

 ただ、オレンジペコが羨ましそうに見ている。

 

「西住さん」

「みほ、で良いです」

「じゃあ、みほさん。良い試合をしましょう」

「はい、お互いに」

 

 微笑み、見つめ合った時、ダージリンは気が付いた。

 好敵手の纏う黒装束。その漆黒よりも、なお黒い──吸い込まれそうな色を、彼女は肉体に持っていた。

 

 西住みほは目の色が一番黒いのだ。

 

 ◆

 

 天幕から出た直後、みほは不意に梓の手を握った。手袋は取ったままだ。

 

「きゃ、隊長っ」

「感じる?」

「そんな、感じるだなんて、言えません……」

「手の感触、何を感じる?」

「あ、ごめんなさい……隊長の手は、ゴツゴツしています。でも嫌な感触ではなくって、これまでの努力を表している様で、むしろ心地がいいです。それから優しさが滲み出ているような温かさが──」

「うん、ありがとう」

 

 梓が何時までも喋り続けそうだったので、早々に手を離した。

 それから、手の平で何度か空気を咀嚼してみて、口を歪めた。

 

 そうだろうさ、当たり前だ。

 肉体まで鬼にはなっていない筈だ。

 ただの可愛らしい少女の筈だ。

 これで何かが伝わる訳もない。

 馬鹿馬鹿しい考え違いだ。

 

 ダージリンという女、がっかりだ。

 拍子抜けだな。

 人の悪意より善意を信じたがる、ただの善良で、愚かな人間だった。

 あのアールグレイの後継者だというから、全力ではぐらかしてやろうと思ったのに。

 あれなら、ここまでもてなしてやる(・・・・・・・)必要も無かったか。

 

 比べて、あの女は本物の天才だった。

 去年、結果的に勝てたのは、指揮者の資質如何ではなく、単に部隊の練度の差だ。

 その女が、探りを入れてきた。表向きは相互協力と銘打って。

 

 だから、あてて(・・・)やった。

 

 そうしたら、最終的に自滅したらしい。

 もう少し立ち向かって来るのかと期待していたのに、ダージリンの言う通り、本当に残念だ。

 きっと繊細に過ぎたのだろう。

 臆病で、小胆で、学校を愛している故の有能と繊細──おや?

 

 みほに気付きがあった。落胆から一気に愉快になる。

 

 そうか、そうか。

 彼女は似ていたのだな、うちの会長と。

 そうと知れていれば、もう少し優しくしてあげたのにな。

 全く化けの皮を被るのなら、何重にも被っておくべきだというのに。

 

 それにしても、無邪気な愛嬌を振り撒いてやるのは非常に疲れる。

 前の様に『縦』の繋がりを作る方が余程楽だ。

 でも、まあ、仕方がない。

 

 滅ぼしてやる価値も無い善良で愚かな人間は、笑顔で支配してやるのが一番良いのだ。




 人を疑う事は醜い行為であっても、賢い選択だ。

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