遅れてごめんなさい……許して下さい……。
西住みほは、白旗を上げたまま牽引されてゆくピンクやゴールド、ふざけたカラーの戦車隊を眺めていた。
大洗女子専用の待合テントは空席が目立っている。人数分の座席があるのにも関わらず、掛けているのはみほ独りだけだ。
他の隊員たちは、何処であるにしろ、みほの視界に入らない様な場所に居るのだった。
合わす顔が無いのだ。
とんでもない事をしでかしたという痛感があった。注意欠落、敵前逃亡、致命的照準ミス──その他思い当たる節が多過ぎて、とても近寄れない。
そういうチームの問題はさておいても、本当に彼女たちを苦しませたのは、
みほが勝ち取ってきた揺るぎない数々の名声『無敗の戦車隊長』『軍神の再来』──その全てが今日台無しになったのだ。他ならぬ、大洗女子学園のせいで!
少なくとも彼女たちには、罪に向き合う時間と、腹を括る時間が必要だった──と、そこで腹を括り慣れた人物が現れた。
生徒会長、角谷杏である。
腹を括りすぎて、胃を絞り上げられた彼女は、試合直後にトイレに駆け込んで、その内容物を全てぶちまけていた。「我慢してたんですか?」と失笑する友人に「まーねー」と平気な顔で、努めて強がった、その後での対面である。
正直みほの横顔を見るだけで嗚咽が込み上げたが、既に込み上げてくる物理的なモノは存在しなかったので、酸っぱい空気を戻すだけで済んだ。
頑張ってそれを呑み込むと、杏はみほの隣に、一つ間を開けて、腰掛けた。
「ああ、会長」
戦犯の一人に気が付くと、整った童顔に憂いを帯びさせて、そちらを向いた。
普段より弱って見えるのに、逆に何倍もの
「その……ごめん……」
姿を見せない皆を代表して、つい真っ先に謝った。言った後で、これは悪手だったと後悔した。
杏は、奥歯で舌を噛んだ。
「何がですか?」
「私たちのせいで、負けちゃったから」
「初心者軍団ですよ。残り一輛まで追い詰めた、むしろ敢闘だったと思いますけれど」
「西住ちゃんは勝つつもりだったんだろう」
「無論。悔しいですよ」
「だから、ごめん。邪魔ばかりして、応えられなかった」
「何だ、自覚はあったんですね」
直球だった。吐くものが無いので、内蔵が裏返って出てきそうになった。
みほは、くつくつ陰湿に笑っていたが、直ぐにさっぱりとした表情に変わった。
「私は『軍神』なんて立派なものではありません。負ける時は負けるし、それが自然だとも思っています。そして敗北の責任は、指揮官が有します。最も重い、ね。それを差し置いて、会長
「それは……」
「謝る必要が無いのに、どうして謝るのですか?」
「う……」
理詰めで意図的にぼやかされている、と杏は感じ取った。
さては、非は自分にもあると認める事で、逆に罪悪感に訴えてくる戦法だな。畜生、効果抜群じゃないか。
いっそ、怒り任せに詰問してくくれば良いのだ。怒る指揮官に、皆を代表して生徒会長が真心込めて頭を下げる。これで一応筋は通るだろう。
よしんば自棄を起こし、暴走したとしても、秘められた邪悪が白日の下に晒される事となる。全く無傷とはいかなくとも、杏一人を犠牲にすれば、十分駆け引きは可能だろう。
だがそんな短絡的な対応を、この女は取らない。この上は貸しを作るだけ作るつもりなのだろうか。あくまで理性的、合理的で、故に容赦が無い。
分かっていた。分かっていたのに──
近く、歓声が聞こえた。
この場に集結した学園艦や、大洗町の住人のざわめきだった。その数、数千を下らない。前日の、惜しみなく予算を注ぎ込んだ宣伝の結果であった。
聖グロリアーナ女学院の代表──ダージリンが、壇上に立ったらしい。麗しい、少し緊張気味な彼女の挨拶が聞こえてくる。
杏たちが今居る天幕は、敢えて舞台の裏側に設置しているため、姿は見えない。
「……せっかく集まってくれた大洗の人たちに、西住ちゃんの勝つ姿を見せられなかったから」
杏は、愛して止まぬ大洗の人々に助け舟を求めた。
あながち、的外れな事でもない。つまり問題は『西住みほの醜態を世の中に晒した』という点に尽きるのだから。
「あの人たちは別に『戦車道の西住みほ』の事なんて良く知らないでしょう。戦車道なんてマイナー競技ですから。宣伝を聞いて、興味本位でやって来ただけ……絶対的な勝利だなんて、そんなの、最初から期待していませんよ」
「けれど、不敗の名声はこれで終わった」
「言われてみれば」
「惜しくはないの? 言いにくいんだけど、西住ちゃんの築き上げてきたもの、全部台無しだよ。それも他人のせいでさ。怒られても仕方ないと皆思ってる。だから誰も姿を見せないんだよ」
「私ってそんなに怖いのかな」
「……どうだろうね」
「確かに、ほんのちょっと……いえ、嘘、嘘でした。本当は結構がっかりしてます。これで
「だったらっ」
「けれど名誉欲で戦車に乗ってる訳ではありせんからね。気付かないうちに、心に不純物が積もっていたみたいです。こういうのが一番厄介なんですよ。一掃できて、むしろ清々しました」
「でも西住流の教えでは『勝利が全て』なんでしょ?」
「あっ、良く知ってますね。嬉しいです!」
杏の心臓が、本能的にどきりとした。感心して目をぱちくりさせるみほは、本当に可愛らしい。
孤高の花の冷たさと、群生する野花の温かさ。その二つの美しさが、彼女の内部で不思議と摩擦すること無く混在していた。
言わば、天性の魔性だ。誰も彼女を捨ててはおけない。理由は無くとも正義だと信じたくなり、無条件で味方をしたくなる。彼女の微笑みや、喜びといった些細な見返りのために、身を投げ出した努力が簡単に出来てしまう。
皆、西住みほという人間が好きになる。
実際、ひたすら無知に追従出来たなら、どれだけ楽で幸福だろうか。ただ言う通りに働いて、頭を撫でて褒められたらなら、理性など吹き飛ぶ自信がある。
みほにとって権力基盤を固めるためには、
杏は奥歯で舌をきつく噛んだ。頬が熱い、胸が高鳴っている。
危ない、呑まれるところだった──気を抜けば籠絡されてしまいそうだ。本人すら気付かぬ間に
何より、それが恐ろしい。現代社会において『正義』とは味方の数で決まるからだ。その民主主義の大原則を知らぬ西住みほでもあるまい。
杏はぶるりと身を震わした。
みほは、目の前の震える小さな女の子を眺め、情に浸っていた。
己の魔性は自覚している。だから効果的に行使出来る。みほは「お前が好きだ」という告白には慣れており、面白くも何ともなかった。反対に「お前が嫌いだ」という敵対が、どうしようもなく愛おしかった。他人を魅了しながらも、本心では敵の出現を望んでいるのだ。
完全に我が儘だ。
それは自覚している。けれど知った上で「個人的な好みは別問題」として開き直っていた。
自我の怪物の様な友人を故郷に残してきた。彼女は有り余る反骨精神で歯向かってきた。それ以外の道を知らない不器用な奴で、だから大好きだった。
しかし、この会長はタイプが違う。
最初から有るか無いかも分からない様な、なけなしの勇気を振り絞って歯向かってくる。流されてしまえば楽なのを知っていて、それでも踏みとどまっている。
いじらしい。
魅力するつもりが、逆にすっかり魅了されてしまっていた。好みがはっきりしている分、案外惚れっぽい性分なのだ(先のダージリン戦でも、うっかり
歯向かえば歯向かうほど好まれる──全て、杏の知る由もない事だった。
「そもそも、今日の『勝利』の定義とは何でしょう? 試合でダージリンさんを叩きのめす事ですか。相手に屈辱を与え、こちらの優越を誇る事ですか。そんな浅はかな
静かだったが、明らかな反論だった。会長は怯む。この隊長は、今挙げたそれらを狙っているとばかり思っていたのだ。
「覚えていませんか。戦車道の素晴らしさを世の中に広めるのも、私の夢の一つなんですよ。楽しい競技ですから。心からそう思っているんです」
ダージリンが壇上で何か言う度に黄色い歓声が上がるのを聞きながら、みほは言った。真意か方便か、杏は測りかねた。もしかすると、両者混在しているのかもしれない。
何を言っても、この黒い女には響く気がしなかった。分け入っても分け入っても真っ暗闇で、決して彼女の心中には辿り着けない。
実は別の意味で、みほの心に滑り込んでいたのだが──悲しい事に、杏としては暗中を手探りで進むしか選択肢が無かった。
「で、でも
半ば意地になった杏は言の途中ではっとして、青ざめた。入ってはならない場所に辿り着いてしまった気がした。内在的恐怖のみならず、外在的恐怖の存在に気が付いてしまったのだ。
みほの双眼に宿る漆黒が、さざ波を立てた。
『西住みほ親衛隊』。みほの黒森峰時代に創設された、額面通りの組織。噂では、血を飲み交わした姉妹として鋼の結束を誇り、何とみほが転校した後も存続し続けているという。
彼女たちが、崇敬する
もはや彼女らの絶対存在が収めるしかないのだが、目の前の元副隊長は、熊本を遠く離れて茨城だ。
暴走した親衛隊が、然るべき者に
「大丈夫ですよ」
杏が何も言わないのに全てを承知した様子で、件の絶対存在は唇を歪めた。
「彼女たちは忠実です、けれど馬鹿ではない。隊長も優秀な娘ですから、何とか抑えてくれるでしょう。でも大洗の外に出たら……警察がちゃんと仕事をしてくれれば安心だと思います」
「本当に?」
「会長。本当でないとして、私の責任ですか」
そうだろ、とは断言しづらかった。教唆したならともかく、他人の自己判断について、みほがとやかく言われる筋合いは無きに等しい。熱狂的ファンの凶行と言われればそれまでだ。
最悪なのは、犯行を教唆しておきながら「こんなの望んでいないのに」と被害者面で涙を浮かべる事だ。悲劇のヒロインは直接手を汚さず、戦犯を排除し、同情まで買えるという訳である。
杏の頭脳は、真っ先に最悪の事態が頭に浮かぶような仕組みになっていた。自分の有能は、すべからくここに起因しているのを知っていたので、嫌な気分になった。
「じゃあ西住ちゃんから、直接注意するっていうのは」
「嫌ですよ」
「何で!?」
「出奔同然で辞めてきたのに連絡を取るとか、気まずいじゃないですか」
「……っ!」
都合良く普通の女の子ぶりやがって!!
謝るつもりが、逆に罵倒したくなった杏は椅子から腰を上げかけたが、それこそ報復を囁かれたら堪ったものではない。仕方なく、腰を下ろした。
この女と議論を試みると、ろくな事にならない──杏の追求はそれきり止んだ。積極的に目上の人物を脅かす程、みほは意地悪でなかったので、二人から会話は無くなった。
「にっにっ、にしじゅみっ」
異常に上擦った声がして、二人がそちらを向くと、黒目の位置がまるで定まらない河嶋桃が何時の間にか立っていた。震える膝が極端に内股になって、血の気の引き様は今にも貧血で気絶しそうに見えた。モノクルがずり落ちて、右目に半分しか掛かっていない。
それもこれも、聖グロとの雌雄を分けた
杏は「西住に殺される!」と泣き喚く桃を、柚と二人がかりで戦車から引きずり下ろす苦労を思い出しつつ、心から友人を哀れんだ。
「こここの後スピーチがあってだな、忘れてて、だから」
「ああ、これですね」
みほは、テーブルの傍らに置いてあった原稿用紙の束を丁寧に差し出した。桃はへっぴり腰でそれを取った。
「最後のはしゅまなかったな。違うんだ。あれは、敢えてというか。いやっ、わざとじゃないんだが、真の実力じゃないというか」
「そうですか」
「たまたま、偶然、砲弾が逸れたのであって──」
論法の破綻した言い訳は暫く続いた。みほは適当に相槌するだけで、関心を示さなかった。そのうちに少し落ち着きを取り戻した桃は、恐る恐る訊ねた。
「……怒らないのか?」
「ええ、特に」
以外にも穏やかな隊長に、一時、胸を撫で下ろした。少なくとも「殺される」なんて事態にはならなさそうだ。だったら気が変わる前にそそくさ退散しようと、桃は後輩に背を向けようとした──続く言葉を聞くまでは。
「だって、八つ当たりになってしまうじゃないですか。怒るのも可哀想です」
ねえ、会長──とみほは隣を顧みた。唐突に話を振られた杏は、咄嗟に首を縦に振ってしまった。
「会長にも少し言いましたが──今回の敗北は、
優しい口調だった。しかし、その優しさは、どんな激しい怒りよりも辛辣に、桃の自尊心を深く抉った。それだけならば、発作的なヒステリーを起こして、心の安定を図ったかもしれない。
「杏ちゃ……会長。本当ですか、皆を代表して、
見た事もない悲痛な表情に、会長は狼狽えた。「いいえ」と言ってください──と目が訴えかけている。しかし、みほの手前だ。嘘をつくわけにもゆかず、最終的には首肯するしかなかった。何から何まで、自らの軽率さを呪った。
「ひ、や、あああぁ……っ」
桃はその場で喘ぎ、膝から崩れ落ちた。朱色になった顔に原稿用紙を強く覆い被せ、力無く横に首を振った。
経験すらない、激しい『恥』が全身を焼いていた。
無能と蔑まれ、侮辱されるのは慣れたものだ。傷付くに値しない。
それより、なにより。敬愛する生徒会長に、昔馴染みの親友に、全部の責任を押し付けて
更には「私のせいで」と泣き喚き、懺悔する事すら封じられている。気にかける価値も無い、と断言された様なものだからだ。
これまで何が何でも保持してきた虚栄心や自己陶酔が、羞恥に焼き尽くされて灰になった。後に残ったのは、虚しさだけだった。
「確かに、私は、
失意に打ちひしがれた桃は、ふらふらと立ち上がった。
細かく震える細い指と、顔に押し付けられ、ぐしゃぐしゃになった原稿用紙の隙間から、濡れた瞳が覗いた。
その奥では、それまで無かった炎が揺れている。
「だからせめて、私に出来る仕事を全うしよう」
壇上から、司会が河嶋桃の名を呼ぶ声が聞こえた。呼ばれた広報担当は、足取りも強く、二人の前を去っていった。
二人のうち一人は呆然とし、もう一人は満足そうに笑った。
◆
壇上に登った河嶋桃は、数千の群衆の面前に姿を現した。ざわめく彼らの中には、先のダーリンの言葉による熱が、まだ残っている様子だった。
一瞥した後、桃は徐に演説台へ原稿を広げた。
そして、皆の熱が未だ冷めきらないうちに、マイクに向け口を開いた。
『──今日この場に集まった幸運な人々は、大洗女子学園にとっての重大な転換点を目撃している。それは何か……数十年前に命脈の閉ざされた戦車道復活という歴史的快挙である! これは決して生徒会だけではならなかった。試合を快諾された聖グロリアーナ女学院にも、応援して下さった大洗の皆にも、感謝の念に絶えない──』
堂々と落ち着き払った、荘厳とまで思える発音だった。広報主任の
一度聞き始めたら、注意を逸らすことは許されない。そんな人柄の真面目で厳しい印象を、人々は第一に抱いた。
『──そもそも我々が戦車道を復活させようと考えたのは、すべからく母校のためを想ってであった。全ての始まりに、生徒会長のお言葉が有った。その時はまだ、私をはじめとする、極小数の生徒が同調するに過ぎなかった。しかし、今では、数千人の人々が同意するに至った──』
演説は続く。待合テントから移動したみほは、舞台袖で桃の姿を観察していた。
周囲には、壇上で別人と化した広報主任を眺めている少女たちが居る。機材を弄るのも忘れ、ただ唖然としているのは広報委員たち──つまり、桃の部下である。
彼女たちは、桃の実態を一番良く知っている。広報の能力はあっても、人格的に極めて頼りない上司を常々情けなく思っていた。しかし何故か憎めない人柄を、からかいの種にしていた。
それが、今やどうか。
音響係らしい小柄な少女が、疑心と好奇心を混ぜた顔をして、みほの横顔をまじまじ見た。
一体、この人はどんな奇術を使ったんだろう──その視線と、意図に気が付いたみほは、口で応えず、悪戯っぽく肩を竦めてみせた。音響係の少女は赤面して、機器のダイヤルを意味も無く弄ったりした。
可愛い、一年生なのかな──などと思いながら、無差別に魅了を振り撒く女は、自分の思案に戻った。
私が何をしたか?
簡単だ。
会長や広報主任が会いに来る前、みほは桃の忘れていった原稿に目を通していた。
内容を修正してやるつもりで、批判的に読んだのだが、
今の演説は、全て自分の才覚によって行っているものなのだ。
壇上では、演説も中盤に入っている。語気はいよいよ荒く、身振り手振りを激しくして、聴衆の感情を扇動している。
どうも、河嶋桃というのには、芝居の才能があるらしい。ぺらぺらの人格を覆い隠すため、生きてるうちに自ずと身についた仕草なのだろう。
みほと同じく後天的な才だとしても、由来がまるで異なる。
全く、人格を恥と思うのなら、治す努力をすべきであるのに、それを隠す方に能力を裂く辺りがどうしようもなく小さい。
『──世界の変化を拒む様に、多くの困難が我々に襲いかかった! 古い慣例、資金不足、生徒の不理解、挙げれば限りがないほどだ。しかし、一番の問題は人材の欠乏だった。だがそんな時、我々は素晴らしい友を得た。既に皆も良く知っているだろう。彼女は、西住みほという転校生だった──』
みほの名前が出ると、群衆の熱が一挙に上がった。人々は、まるで本人に向けるような好意の視線で、桃を見た。
その本人は、舞台袖で薄く笑った。賞賛というより、滑稽さが勝っての笑みだった。
『──我々は共に誓った! 停滞した社会へ風穴を穿ってみせると。輝けるあの日を取り戻すべく、あらゆる努力を惜しまないと。そして、今日という日、その不断の努力が形となったのだ。この代え難い歓喜は、この場に居る全員と共有できるものと信ずる──』
桃の演説は、大袈裟で、聞こえが良く、そして
姿形など幻影の様なものだ。刹那的に移ろい、何ら意味は存在しない。しかし、民衆というものは幻影に価値を見出してしまう。
何故か?
彼らは真に価値あるものを、追い求めた経験が無いからだ。知らず知らずのうちに、知らない振りをしているからだ。
だから上辺を飾った虚像に簡単に騙される。好きにも嫌いにもなれないし、興味も湧かない。つまらない人々だ。しかし世の仕組みというのは、こんな愚かな連中に主権を渡している。
そんなだから、私なんかにつけ込まれるんだ──みほは皮肉に口元を歪めた。
『──では諸君らに紹介しよう。権威ある西住流後継者にして、名誉の大洗女子学園戦車隊隊長……西住みほ!!』
遂に、桃は勢い良くみほの佇む舞台袖を指した。拍手をしながら、ゆっくり逆側に下がると、聴衆も促されて拍手をした。
お膳立ては完璧と言って良いだろう。彼女は宣言通り、自分に出来る仕事を全うしたのだ。
無能者は仲間に要らない。
後背の敵こそ真っ先に処理すべきだ。
その対象に、河嶋桃は入らない。
黒い少女は舞台袖から出て、聴衆に姿を晒した。歓声と、手を叩く音が一段と激しくなった。
その音源へは一瞥もくれずに、敢えてゆっくりと歩く。やがて演説台へと辿り着いたとき、それらの音は最大となった。
みほはマイクの電源を入れる。
原稿は持っていなかった。
◆
おまけ『魔王島田』
愛里寿ちゃんも誕生日おめでとう。
◆
西住を倒せ。
物心付いた時には、そう言われてきた。
脳に直接刻まれているみたいに、一族の者は事あるごとにそう言った。
島田流戦車道は、俗に『忍者戦法』などと呼ばれる。多彩な謀略を駆使し、西住流を追い詰めるものの、最期の最期では何時も負けた。
期待されていたお母様も、現役時代にあと一歩のところまで西住を追い詰めたのだが、遂に決着は付けられなかったらしい。
お母様が家元の座にあるのは、その善戦が評価されたからだという。
積もり積もった期待は、さらに上乗せして私に渡される事となった。
私は才能に恵まれていた。
これならば積年の恨みを晴らす事が出来ると、一族の長老たちは咽び泣いて喜んだ。
しかし、喜びは束の間だった。
西住姉妹。
よりにもよって同じ世代に産まれたのが、西住流の中でも、更に怪物みたいな乗り手──それも二人だった。
中学生にしてジュニア戦車道国際試合決勝戦において、ドイツ代表を殲滅、完封するという覇業を成し遂げた。西住流の名は世界に轟き、彼女らの勢いは留まる所を知らなかった。
でも私は独りだった。
ただ一族の見栄のために飛び級を重ねた私に、信頼を育んだ仲間など居なかった。
果たして、あんな怪物たちに単身で渡り合えるのか。口に出来ない恐れが、心の片隅に巣食った。
目一杯努力して、成果を出しても、常に西住と比較された。一族は言った、西住を倒せ。何の解決策も示さないのに、無責任で、過度な期待だけを投げかけた。
誰も私を見てくれなかった。
優しいお母様でさえ、私の背後に、倒せなかった『あの女』を透かして見ている様に感じた。
耐え難い孤独は、口にする事すら許されず、心の底に積もっていった。巣食った恐れと、積もった孤独は、急速に私の心を蝕んだ。
──愛しているわ愛里寿
──西住を倒せ
──あなたには才能がある
──西住を倒せ
──皆、期待しているのよ
──西住を倒せ
──だからもっと頑張って
──西住を倒せ
──西住を倒せ
──西住を倒せ
──西住を倒せ
ある晩、私は独り絶叫した。
試合で勝ち取ったトロフィーも、一族の写真も、お気に入りのボコ人形も、全てめちゃめちゃに壊した。
破壊活動が終わると、私は笑い出した。
息が続かなくなっても狂った様に笑い続けた。
終わらせてやる。『倒す』だけじゃ足りない。島田も、西住も、何もかもぶっ壊してやる。
過去も未来も、一切の因縁を粉砕すれば、煩い事は何も言われなくなる。私は自由になれるんだ。
そうすれば、そうすれば──誰か私を見てくれるだろうか?
「何もかも壊す」などどいうのは、少年の日の思い上がりに過ぎない。