鬼神西住   作:友爪

35 / 36
西住殿お誕生日おめでとうございます。
遅れてごめんなさい……許して下さい……。


鬼神西住30

 西住みほは、白旗を上げたまま牽引されてゆくピンクやゴールド、ふざけたカラーの戦車隊を眺めていた。

 大洗女子専用の待合テントは空席が目立っている。人数分の座席があるのにも関わらず、掛けているのはみほ独りだけだ。

 他の隊員たちは、何処であるにしろ、みほの視界に入らない様な場所に居るのだった。

 

 合わす顔が無いのだ。

 とんでもない事をしでかしたという痛感があった。注意欠落、敵前逃亡、致命的照準ミス──その他思い当たる節が多過ぎて、とても近寄れない。

 そういうチームの問題はさておいても、本当に彼女たちを苦しませたのは、社会的問題(・・・・・)だ。

 みほが勝ち取ってきた揺るぎない数々の名声『無敗の戦車隊長』『軍神の再来』──その全てが今日台無しになったのだ。他ならぬ、大洗女子学園のせいで!

 少なくとも彼女たちには、罪に向き合う時間と、腹を括る時間が必要だった──と、そこで腹を括り慣れた人物が現れた。

 

 生徒会長、角谷杏である。

 腹を括りすぎて、胃を絞り上げられた彼女は、試合直後にトイレに駆け込んで、その内容物を全てぶちまけていた。「我慢してたんですか?」と失笑する友人に「まーねー」と平気な顔で、努めて強がった、その後での対面である。

 正直みほの横顔を見るだけで嗚咽が込み上げたが、既に込み上げてくる物理的なモノは存在しなかったので、酸っぱい空気を戻すだけで済んだ。

 頑張ってそれを呑み込むと、杏はみほの隣に、一つ間を開けて、腰掛けた。

 

「ああ、会長」

 

 戦犯の一人に気が付くと、整った童顔に憂いを帯びさせて、そちらを向いた。

 普段より弱って見えるのに、逆に何倍もの圧力(プレッシャー)を感じるのは、臆病心が生み出す錯覚なのだろうか?

 

「その……ごめん……」

 

 姿を見せない皆を代表して、つい真っ先に謝った。言った後で、これは悪手だったと後悔した。

 杏は、奥歯で舌を噛んだ。

 

「何がですか?」

「私たちのせいで、負けちゃったから」

「初心者軍団ですよ。残り一輛まで追い詰めた、むしろ敢闘だったと思いますけれど」

「西住ちゃんは勝つつもりだったんだろう」

「無論。悔しいですよ」

「だから、ごめん。邪魔ばかりして、応えられなかった」

「何だ、自覚はあったんですね」

 

 直球だった。吐くものが無いので、内蔵が裏返って出てきそうになった。

 みほは、くつくつ陰湿に笑っていたが、直ぐにさっぱりとした表情に変わった。

「私は『軍神』なんて立派なものではありません。負ける時は負けるし、それが自然だとも思っています。そして敗北の責任は、指揮官が有します。最も重い、ね。それを差し置いて、会長たち(・・)が何を謝るんですか?」

「それは……」

「謝る必要が無いのに、どうして謝るのですか?」

「う……」

 

 理詰めで意図的にぼやかされている、と杏は感じ取った。

 さては、非は自分にもあると認める事で、逆に罪悪感に訴えてくる戦法だな。畜生、効果抜群じゃないか。

 いっそ、怒り任せに詰問してくくれば良いのだ。怒る指揮官に、皆を代表して生徒会長が真心込めて頭を下げる。これで一応筋は通るだろう。

 よしんば自棄を起こし、暴走したとしても、秘められた邪悪が白日の下に晒される事となる。全く無傷とはいかなくとも、杏一人を犠牲にすれば、十分駆け引きは可能だろう。

 

 だがそんな短絡的な対応を、この女は取らない。この上は貸しを作るだけ作るつもりなのだろうか。あくまで理性的、合理的で、故に容赦が無い。

 分かっていた。分かっていたのに──

 

 近く、歓声が聞こえた。

 この場に集結した学園艦や、大洗町の住人のざわめきだった。その数、数千を下らない。前日の、惜しみなく予算を注ぎ込んだ宣伝の結果であった。

 聖グロリアーナ女学院の代表──ダージリンが、壇上に立ったらしい。麗しい、少し緊張気味な彼女の挨拶が聞こえてくる。

 杏たちが今居る天幕は、敢えて舞台の裏側に設置しているため、姿は見えない。

 

「……せっかく集まってくれた大洗の人たちに、西住ちゃんの勝つ姿を見せられなかったから」

 

 杏は、愛して止まぬ大洗の人々に助け舟を求めた。

 あながち、的外れな事でもない。つまり問題は『西住みほの醜態を世の中に晒した』という点に尽きるのだから。

 

「あの人たちは別に『戦車道の西住みほ』の事なんて良く知らないでしょう。戦車道なんてマイナー競技ですから。宣伝を聞いて、興味本位でやって来ただけ……絶対的な勝利だなんて、そんなの、最初から期待していませんよ」

「けれど、不敗の名声はこれで終わった」

「言われてみれば」

「惜しくはないの? 言いにくいんだけど、西住ちゃんの築き上げてきたもの、全部台無しだよ。それも他人のせいでさ。怒られても仕方ないと皆思ってる。だから誰も姿を見せないんだよ」

「私ってそんなに怖いのかな」

「……どうだろうね」

「確かに、ほんのちょっと……いえ、嘘、嘘でした。本当は結構がっかりしてます。これで前からのもの(・・・・・・)は何にも無くなっちゃいました」

「だったらっ」

「けれど名誉欲で戦車に乗ってる訳ではありせんからね。気付かないうちに、心に不純物が積もっていたみたいです。こういうのが一番厄介なんですよ。一掃できて、むしろ清々しました」

「でも西住流の教えでは『勝利が全て』なんでしょ?」

「あっ、良く知ってますね。嬉しいです!」

 

 杏の心臓が、本能的にどきりとした。感心して目をぱちくりさせるみほは、本当に可愛らしい。

 孤高の花の冷たさと、群生する野花の温かさ。その二つの美しさが、彼女の内部で不思議と摩擦すること無く混在していた。

 言わば、天性の魔性だ。誰も彼女を捨ててはおけない。理由は無くとも正義だと信じたくなり、無条件で味方をしたくなる。彼女の微笑みや、喜びといった些細な見返りのために、身を投げ出した努力が簡単に出来てしまう。

 皆、西住みほという人間が好きになる。

 実際、ひたすら無知に追従出来たなら、どれだけ楽で幸福だろうか。ただ言う通りに働いて、頭を撫でて褒められたらなら、理性など吹き飛ぶ自信がある。

 みほにとって権力基盤を固めるためには、弾圧(・・)に頼らずとも、魅了(・・)で十分だった。

 

 杏は奥歯で舌をきつく噛んだ。頬が熱い、胸が高鳴っている。

 危ない、呑まれるところだった──気を抜けば籠絡されてしまいそうだ。本人すら気付かぬ間に味方(・・)にされてしまう。

 何より、それが恐ろしい。現代社会において『正義』とは味方の数で決まるからだ。その民主主義の大原則を知らぬ西住みほでもあるまい。

 杏はぶるりと身を震わした。

 

 みほは、目の前の震える小さな女の子を眺め、情に浸っていた。

 己の魔性は自覚している。だから効果的に行使出来る。みほは「お前が好きだ」という告白には慣れており、面白くも何ともなかった。反対に「お前が嫌いだ」という敵対が、どうしようもなく愛おしかった。他人を魅了しながらも、本心では敵の出現を望んでいるのだ。

 完全に我が儘だ。

 それは自覚している。けれど知った上で「個人的な好みは別問題」として開き直っていた。

 

 自我の怪物の様な友人を故郷に残してきた。彼女は有り余る反骨精神で歯向かってきた。それ以外の道を知らない不器用な奴で、だから大好きだった。

 しかし、この会長はタイプが違う。

 最初から有るか無いかも分からない様な、なけなしの勇気を振り絞って歯向かってくる。流されてしまえば楽なのを知っていて、それでも踏みとどまっている。

 

 いじらしい。

 

 魅力するつもりが、逆にすっかり魅了されてしまっていた。好みがはっきりしている分、案外惚れっぽい性分なのだ(先のダージリン戦でも、うっかり戦略(・・)を忘れそうになっている)。

 歯向かえば歯向かうほど好まれる──全て、杏の知る由もない事だった。

 

「そもそも、今日の『勝利』の定義とは何でしょう? 試合でダージリンさんを叩きのめす事ですか。相手に屈辱を与え、こちらの優越を誇る事ですか。そんな浅はかな自慢(・・)のために、今日の親善試合は組まれたのですか」

 

 静かだったが、明らかな反論だった。会長は怯む。この隊長は、今挙げたそれらを狙っているとばかり思っていたのだ。

 

「覚えていませんか。戦車道の素晴らしさを世の中に広めるのも、私の夢の一つなんですよ。楽しい競技ですから。心からそう思っているんです」

 

 ダージリンが壇上で何か言う度に黄色い歓声が上がるのを聞きながら、みほは言った。真意か方便か、杏は測りかねた。もしかすると、両者混在しているのかもしれない。

 何を言っても、この黒い女には響く気がしなかった。分け入っても分け入っても真っ暗闇で、決して彼女の心中には辿り着けない。

 実は別の意味で、みほの心に滑り込んでいたのだが──悲しい事に、杏としては暗中を手探りで進むしか選択肢が無かった。

 

「で、でも大洗(うち)はそうでも、外では。例えば黒森峰とか──」

 

 半ば意地になった杏は言の途中ではっとして、青ざめた。入ってはならない場所に辿り着いてしまった気がした。内在的恐怖のみならず、外在的恐怖の存在に気が付いてしまったのだ。

 みほの双眼に宿る漆黒が、さざ波を立てた。

 

『西住みほ親衛隊』。みほの黒森峰時代に創設された、額面通りの組織。噂では、血を飲み交わした姉妹として鋼の結束を誇り、何とみほが転校した後も存続し続けているという。

 彼女たちが、崇敬する副隊長(・・・)を貶められた憤怒は如何ばかりだろうか。時に人というのは、自分のためより、他者のための怒りに我を忘れる。しかも集団心理が絡んでくると、もう鎮火は不可能だ。

 もはや彼女らの絶対存在が収めるしかないのだが、目の前の元副隊長は、熊本を遠く離れて茨城だ。

 暴走した親衛隊が、然るべき者に責任を取らせる(・・・・・・・)べく、徒党を組んで報復に乗り込んでくるのではないか──

 

「大丈夫ですよ」

 

 杏が何も言わないのに全てを承知した様子で、件の絶対存在は唇を歪めた。

 

「彼女たちは忠実です、けれど馬鹿ではない。隊長も優秀な娘ですから、何とか抑えてくれるでしょう。でも大洗の外に出たら……警察がちゃんと仕事をしてくれれば安心だと思います」

「本当に?」

「会長。本当でないとして、私の責任ですか」

 

 そうだろ、とは断言しづらかった。教唆したならともかく、他人の自己判断について、みほがとやかく言われる筋合いは無きに等しい。熱狂的ファンの凶行と言われればそれまでだ。

 最悪なのは、犯行を教唆しておきながら「こんなの望んでいないのに」と被害者面で涙を浮かべる事だ。悲劇のヒロインは直接手を汚さず、戦犯を排除し、同情まで買えるという訳である。

 杏の頭脳は、真っ先に最悪の事態が頭に浮かぶような仕組みになっていた。自分の有能は、すべからくここに起因しているのを知っていたので、嫌な気分になった。

 

「じゃあ西住ちゃんから、直接注意するっていうのは」

「嫌ですよ」

「何で!?」

「出奔同然で辞めてきたのに連絡を取るとか、気まずいじゃないですか」

「……っ!」

 

 都合良く普通の女の子ぶりやがって!!

 謝るつもりが、逆に罵倒したくなった杏は椅子から腰を上げかけたが、それこそ報復を囁かれたら堪ったものではない。仕方なく、腰を下ろした。

 この女と議論を試みると、ろくな事にならない──杏の追求はそれきり止んだ。積極的に目上の人物を脅かす程、みほは意地悪でなかったので、二人から会話は無くなった。

 

「にっにっ、にしじゅみっ」

 

 異常に上擦った声がして、二人がそちらを向くと、黒目の位置がまるで定まらない河嶋桃が何時の間にか立っていた。震える膝が極端に内股になって、血の気の引き様は今にも貧血で気絶しそうに見えた。モノクルがずり落ちて、右目に半分しか掛かっていない。

 それもこれも、聖グロとの雌雄を分けた天才的(・・・)砲撃ミスのせいだった。その重責は、杏の比ではない。優に桃の心の器の容積を超過していた。

 杏は「西住に殺される!」と泣き喚く桃を、柚と二人がかりで戦車から引きずり下ろす苦労を思い出しつつ、心から友人を哀れんだ。

 

「こここの後スピーチがあってだな、忘れてて、だから」

「ああ、これですね」

 

 みほは、テーブルの傍らに置いてあった原稿用紙の束を丁寧に差し出した。桃はへっぴり腰でそれを取った。

 

「最後のはしゅまなかったな。違うんだ。あれは、敢えてというか。いやっ、わざとじゃないんだが、真の実力じゃないというか」

「そうですか」

「たまたま、偶然、砲弾が逸れたのであって──」

 

 論法の破綻した言い訳は暫く続いた。みほは適当に相槌するだけで、関心を示さなかった。そのうちに少し落ち着きを取り戻した桃は、恐る恐る訊ねた。

 

「……怒らないのか?」

「ええ、特に」

 

 以外にも穏やかな隊長に、一時、胸を撫で下ろした。少なくとも「殺される」なんて事態にはならなさそうだ。だったら気が変わる前にそそくさ退散しようと、桃は後輩に背を向けようとした──続く言葉を聞くまでは。

 

「だって、八つ当たりになってしまうじゃないですか。怒るのも可哀想です」

 

 ねえ、会長──とみほは隣を顧みた。唐突に話を振られた杏は、咄嗟に首を縦に振ってしまった。

 

「会長にも少し言いましたが──今回の敗北は、無能者(・・・)に詰めを任せた指揮官の、私の目が曇っていたというだけの話です。それだけなのに、会長は謝ってこようとするし、逆にこっちが申し訳ないぐらいですよ。ですから、河嶋さんが責任を感じる事はありません。これからも(・・・・・)、あなたを怒る事はありませんから、安心して下さい」

 

 優しい口調だった。しかし、その優しさは、どんな激しい怒りよりも辛辣に、桃の自尊心を深く抉った。それだけならば、発作的なヒステリーを起こして、心の安定を図ったかもしれない。

 

「杏ちゃ……会長。本当ですか、皆を代表して、後輩に(・・・)謝っただなんて……」

 

 見た事もない悲痛な表情に、会長は狼狽えた。「いいえ」と言ってください──と目が訴えかけている。しかし、みほの手前だ。嘘をつくわけにもゆかず、最終的には首肯するしかなかった。何から何まで、自らの軽率さを呪った。

 

「ひ、や、あああぁ……っ」

 

 桃はその場で喘ぎ、膝から崩れ落ちた。朱色になった顔に原稿用紙を強く覆い被せ、力無く横に首を振った。

 経験すらない、激しい『恥』が全身を焼いていた。

 無能と蔑まれ、侮辱されるのは慣れたものだ。傷付くに値しない。

 それより、なにより。敬愛する生徒会長に、昔馴染みの親友に、全部の責任を押し付けて恥をかかせる(・・・・・・)──桃の善良なる自尊心に拠れば、独立した個人として、断固許されない所業だった。

 更には「私のせいで」と泣き喚き、懺悔する事すら封じられている。気にかける価値も無い、と断言された様なものだからだ。

 これまで何が何でも保持してきた虚栄心や自己陶酔が、羞恥に焼き尽くされて灰になった。後に残ったのは、虚しさだけだった。

 

「確かに、私は、戦車道で(・・・・)無能かもしれない……」

 

 失意に打ちひしがれた桃は、ふらふらと立ち上がった。

 細かく震える細い指と、顔に押し付けられ、ぐしゃぐしゃになった原稿用紙の隙間から、濡れた瞳が覗いた。

 その奥では、それまで無かった炎が揺れている。

 

「だからせめて、私に出来る仕事を全うしよう」

 

 壇上から、司会が河嶋桃の名を呼ぶ声が聞こえた。呼ばれた広報担当は、足取りも強く、二人の前を去っていった。

 二人のうち一人は呆然とし、もう一人は満足そうに笑った。

 

 ◆

 

 壇上に登った河嶋桃は、数千の群衆の面前に姿を現した。ざわめく彼らの中には、先のダーリンの言葉による熱が、まだ残っている様子だった。

 一瞥した後、桃は徐に演説台へ原稿を広げた。

 そして、皆の熱が未だ冷めきらないうちに、マイクに向け口を開いた。

 

『──今日この場に集まった幸運な人々は、大洗女子学園にとっての重大な転換点を目撃している。それは何か……数十年前に命脈の閉ざされた戦車道復活という歴史的快挙である! これは決して生徒会だけではならなかった。試合を快諾された聖グロリアーナ女学院にも、応援して下さった大洗の皆にも、感謝の念に絶えない──』

 

 堂々と落ち着き払った、荘厳とまで思える発音だった。広報主任の外見通り(・・・・)の鋭い視線が、皆に投げかけられた。片眼鏡が陽光を反射させ、鈍い光を放つ。

 一度聞き始めたら、注意を逸らすことは許されない。そんな人柄の真面目で厳しい印象を、人々は第一に抱いた。

 

『──そもそも我々が戦車道を復活させようと考えたのは、すべからく母校のためを想ってであった。全ての始まりに、生徒会長のお言葉が有った。その時はまだ、私をはじめとする、極小数の生徒が同調するに過ぎなかった。しかし、今では、数千人の人々が同意するに至った──』

 

 演説は続く。待合テントから移動したみほは、舞台袖で桃の姿を観察していた。

 周囲には、壇上で別人と化した広報主任を眺めている少女たちが居る。機材を弄るのも忘れ、ただ唖然としているのは広報委員たち──つまり、桃の部下である。

 彼女たちは、桃の実態を一番良く知っている。広報の能力はあっても、人格的に極めて頼りない上司を常々情けなく思っていた。しかし何故か憎めない人柄を、からかいの種にしていた。

 

 それが、今やどうか。

 

 音響係らしい小柄な少女が、疑心と好奇心を混ぜた顔をして、みほの横顔をまじまじ見た。

 一体、この人はどんな奇術を使ったんだろう──その視線と、意図に気が付いたみほは、口で応えず、悪戯っぽく肩を竦めてみせた。音響係の少女は赤面して、機器のダイヤルを意味も無く弄ったりした。

 可愛い、一年生なのかな──などと思いながら、無差別に魅了を振り撒く女は、自分の思案に戻った。

 

 私が何をしたか?

 簡単だ。何もしていない(・・・・・・・)

 

 会長や広報主任が会いに来る前、みほは桃の忘れていった原稿に目を通していた。

 内容を修正してやるつもりで、批判的に読んだのだが、修正箇所は一つも見付からなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・)。やった事と言えば、少し尻を叩いてやったくらいだ。

 今の演説は、全て自分の才覚によって行っているものなのだ。

 

 壇上では、演説も中盤に入っている。語気はいよいよ荒く、身振り手振りを激しくして、聴衆の感情を扇動している。

 どうも、河嶋桃というのには、芝居の才能があるらしい。ぺらぺらの人格を覆い隠すため、生きてるうちに自ずと身についた仕草なのだろう。

 みほと同じく後天的な才だとしても、由来がまるで異なる。

 全く、人格を恥と思うのなら、治す努力をすべきであるのに、それを隠す方に能力を裂く辺りがどうしようもなく小さい。

 

『──世界の変化を拒む様に、多くの困難が我々に襲いかかった! 古い慣例、資金不足、生徒の不理解、挙げれば限りがないほどだ。しかし、一番の問題は人材の欠乏だった。だがそんな時、我々は素晴らしい友を得た。既に皆も良く知っているだろう。彼女は、西住みほという転校生だった──』

 

 みほの名前が出ると、群衆の熱が一挙に上がった。人々は、まるで本人に向けるような好意の視線で、桃を見た。

 その本人は、舞台袖で薄く笑った。賞賛というより、滑稽さが勝っての笑みだった。

 

『──我々は共に誓った! 停滞した社会へ風穴を穿ってみせると。輝けるあの日を取り戻すべく、あらゆる努力を惜しまないと。そして、今日という日、その不断の努力が形となったのだ。この代え難い歓喜は、この場に居る全員と共有できるものと信ずる──』

 

 桃の演説は、大袈裟で、聞こえが良く、そして中身が無い(・・・・・)。事実を脚色し、多少の嘘を織り交ぜながら紡がれる虚言。それに気付かず沸き立つ人々──全く滑稽としか表現出来ない。

 

 姿形など幻影の様なものだ。刹那的に移ろい、何ら意味は存在しない。しかし、民衆というものは幻影に価値を見出してしまう。

 何故か?

 彼らは真に価値あるものを、追い求めた経験が無いからだ。知らず知らずのうちに、知らない振りをしているからだ。

 だから上辺を飾った虚像に簡単に騙される。好きにも嫌いにもなれないし、興味も湧かない。つまらない人々だ。しかし世の仕組みというのは、こんな愚かな連中に主権を渡している。

 そんなだから、私なんかにつけ込まれるんだ──みほは皮肉に口元を歪めた。

 

『──では諸君らに紹介しよう。権威ある西住流後継者にして、名誉の大洗女子学園戦車隊隊長……西住みほ!!』

 

 遂に、桃は勢い良くみほの佇む舞台袖を指した。拍手をしながら、ゆっくり逆側に下がると、聴衆も促されて拍手をした。

 お膳立ては完璧と言って良いだろう。彼女は宣言通り、自分に出来る仕事を全うしたのだ。

 

 無能者は仲間に要らない。

 後背の敵こそ真っ先に処理すべきだ。

 その対象に、河嶋桃は入らない。

 

 黒い少女は舞台袖から出て、聴衆に姿を晒した。歓声と、手を叩く音が一段と激しくなった。

 その音源へは一瞥もくれずに、敢えてゆっくりと歩く。やがて演説台へと辿り着いたとき、それらの音は最大となった。

 みほはマイクの電源を入れる。

 原稿は持っていなかった。

 

 

 ◆

 

 

 おまけ『魔王島田』

 愛里寿ちゃんも誕生日おめでとう。

 

 ◆

 

 西住を倒せ。

 

 物心付いた時には、そう言われてきた。

 脳に直接刻まれているみたいに、一族の者は事あるごとにそう言った。

 島田流戦車道は、俗に『忍者戦法』などと呼ばれる。多彩な謀略を駆使し、西住流を追い詰めるものの、最期の最期では何時も負けた。

 

 期待されていたお母様も、現役時代にあと一歩のところまで西住を追い詰めたのだが、遂に決着は付けられなかったらしい。

 お母様が家元の座にあるのは、その善戦が評価されたからだという。

 積もり積もった期待は、さらに上乗せして私に渡される事となった。

 私は才能に恵まれていた。

 これならば積年の恨みを晴らす事が出来ると、一族の長老たちは咽び泣いて喜んだ。

 しかし、喜びは束の間だった。

 

 西住姉妹。

 

 よりにもよって同じ世代に産まれたのが、西住流の中でも、更に怪物みたいな乗り手──それも二人だった。

 中学生にしてジュニア戦車道国際試合決勝戦において、ドイツ代表を殲滅、完封するという覇業を成し遂げた。西住流の名は世界に轟き、彼女らの勢いは留まる所を知らなかった。

 

 でも私は独りだった。

 

 ただ一族の見栄のために飛び級を重ねた私に、信頼を育んだ仲間など居なかった。

 果たして、あんな怪物たちに単身で渡り合えるのか。口に出来ない恐れが、心の片隅に巣食った。­­

 目一杯努力して、成果を出しても、常に西住と比較された。一族は言った、西住を倒せ。何の解決策も示さないのに、無責任で、過度な期待だけを投げかけた。

 

 誰も私を見てくれなかった。

 

 優しいお母様でさえ、私の背後に、倒せなかった『あの女』を透かして見ている様に感じた。

 耐え難い孤独は、口にする事すら許されず、心の底に積もっていった。巣食った恐れと、積もった孤独は、急速に私の心を蝕んだ。

 

 ──愛しているわ愛里寿

 ──西住を倒せ

 ──あなたには才能がある

 ──西住を倒せ

 ──皆、期待しているのよ

 ──西住を倒せ

 ──だからもっと頑張って

 ──西住を倒せ

 ──西住を倒せ

 ──西住を倒せ

 ──西住を倒せ

 

 ある晩、私は独り絶叫した。

 試合で勝ち取ったトロフィーも、一族の写真も、お気に入りのボコ人形も、全てめちゃめちゃに壊した。

 破壊活動が終わると、私は笑い出した。

 息が続かなくなっても狂った様に笑い続けた。

 

 終わらせてやる。『倒す』だけじゃ足りない。島田も、西住も、何もかもぶっ壊してやる。

 過去も未来も、一切の因縁を粉砕すれば、煩い事は何も言われなくなる。私は自由になれるんだ。

 

 そうすれば、そうすれば──誰か私を見てくれるだろうか?




「何もかも壊す」などどいうのは、少年の日の思い上がりに過ぎない。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。