みほは大洗女子学園へ転入する前に色々なことを調べた。学園艦の規模、風潮、施設、地形。学校関連のことはさらに詳細に。
今日び、独力でものを調べようと思って調べられないことなどあまりない。
ただ、みほが最も重視するといってもよいもの、人間については一通りの情報に目を通したが、実際に会ってみるまで評価は保留していた。
よくそうであるように、他人に対して根拠の無い期待を抱くことがなくなった。悪徳と美徳は等価値となり、片方に目を瞑るということをしなくなった。
家族とその辺を歩いている人とを並べて、客観的に人格を批判することに何の抵抗も無くなった。
それがクラスメイトであれば尚更だった。
その日、みほに声を掛けてきた武部沙織と五十鈴華。どちらも「友達になりたい」と言って話しかけてくれた。
他意はないだろう。この二人がいい娘であるというのはよく知っていた。
西住流に産まれたみほにとって、こういう打算や先入観の含まれない友好というのは新鮮で、素直に嬉しいと思った。
けれど一方で、冷徹なまでの人物評価と計算がそこにあった。この友好が何をもたらすのか、調べ、観察した全ての要素を加味して考えていた。
みほの感情と理性とは完全に分離されていた。
みほはこれらを意図してやっているわけではなかった。
言わば、ただの習慣だった。
◆
「ひどーい! そんなのあんまりだよ!」
「様々な事情はあるにしても、それは余りにも……」
沙織と華は同情を顕にして言った。
昼休み、食堂での出来事である。
二人は、謎多きクラスメイト、みほを昼食に誘っていた。
自己紹介もそこそこに(もっとも、みほは既に色々知ってたが)、転校生の身の上話に花を咲かせていた。今までの分、みほへの興味は尽きることがなかった。
物静かで内気な印象のあった転校生は、意外にも物怖じせずにはきはき喋った。それでも表情は少し照れるようにはにかんでいるのが愛らしい。
これまでの学園生活で『A組の良心』という評判が立っていたから、悪い子ではなかろうと思っていたが、実際に話してみると想像以上に良い娘であることが分かった。
何しろ「どうしてそんなに親切をするの?」と聞けば、「習慣です」と格好良くも天使のような答えが返ってくるのだから。
これからの素敵な生活を予感し、やはり友達になって良かったと二人は思った。
そうして最大の謎……どうして大洗女子学園へ、どこから転校してきたのかについて、みほに聞いてみた。
するとみほは急に悲しそうな顔になって俯いてしまった。
何かまずいことを聞いてしまったのか、にわかに二人が慌てると、みほはぽつりぽつりとその理由を語り始めた。
戦車道の試合中の行為を取り沙汰され、実家から勘当されてしまったこと。
その行為に、みほは全く悪気が無かったこと。
友達は許してくれたのに家族は許してくれなかった事。
そして熊本から大洗という遠い地にまで追いやられてしまったこと。
それらの
余りの仕打ちに、思わず二人は冒頭の言葉を漏らしてしまったのだった。
「うん……でも仕方の無いことなのかも。私の家は、西住流は頑固で保守的な面があるから……私のことが許せなかったんだね」
「でも、そんなのひどいよ! だってみほは自分の信じることをしただけなんでしょ?」
「娘の信じることを尊重すること、それは流派以前に、家族として当然のことだと思います」
「ありがとう二人とも。そう言ってくれて、とっても嬉しいよ」
そう言うみほの笑顔はとても儚げで、哀愁があった。
信じたものを裏切られ、家族に嫌われ、独りぼっちで見知らぬ遠くの土地まで来ることがどれほど寂しいことであろうか。共感しようと思う心があれば、実に胸が痛くなる話だった。
何があろうとこの娘の味方でいたい、と善良なる両人が心に決めるに十分な理由であった。
「私ね……」
哀れな友人に慰めの言葉を掛けようとした時、その友人は顔を上げて言った。
「家族はいつか分かってくれると思ってた。そのための努力は、していたと思う。でも伝わらなかった。私は
みほの様子に、もはや悲しみは無かった。堂々と胸を張って二人に向き合っていた。
「それで分かったの。今の西住流はすっかり
悔しそうに、みほは言った。
いつの間にか二人は慰めることも忘れ、話に聞き入っていた。
「だからこれからは、やり方を変えることにしたの。だめになってしまったものを守るんじゃない、立ち向かうんだ。一度、完全に壊してしまわなければ永遠に良くなることなんてないって、そう思うから」
みほは辛そうな声色で、それでも胸を張って言った。
「だから私、大洗へ来たことも全然後悔してないよ! 離れてみなければ分からないこともあるって、きっと神様が……ううん、私の御先祖様がチャンスを与えてくれたんだと思う。そう……思っていたんだけれど、やっぱり、独りでは心細かったんだ……」
声と同じように、身体も縮こまって言った。
「だから私、今日二人が声を掛けてくれて本当に嬉しかった。もう寂しくない、もう怖くない! だってこんなに素敵な友達が出来たんだもの!」
花が開いたように眩しく美しい笑顔で、そう締めくくった。
その笑顔に、聞き入っていた二人はしばらく言葉を失ってしまった。
なんて……なんて健気で、力強くて、そして……
「カッコいい……」
そう漏らしたのは沙織であった。何か尊いものを見つめるように頬を紅潮させ、ぼうっとみほを見つめている。まるで恋する乙女の様だった。
華は未だ言葉も無かった。この新しい友人に、酷く感銘を受けていた。
華は五十鈴流華道家元の跡取りである。みほとは元々境遇も近い。
そして、華は自分の華道に行き詰まりを感じていた。何か決定的なものが、足りてない気がしてならなかった。
「一度……完全に壊す……」
華はようやく呟いた。この言葉を忘れないように心の中で繰り返す。この言葉に、先へ進むためのヒントが隠されている予感があった。
この後もしばし沈黙が続いたが、みほの発言で破られた。
「……あ、昼休みが終わっちゃう。急いで食べないと」
みほは照れ隠しのように目線を外し、昼ご飯をかき込むことに力を使い始めた。
その様子に二人もやっと正気に立ち返り、同じくご飯を食べ始めた。
その口元は終始にこやかだった。
この西住みほという転校生と友達になること自体が、どうしよもなく素晴らしいことに思えた。みほに初めて声を掛ける人間になれたことがなんて幸運だろう!
素敵な日々の予感、将来への希望で一杯に満たされた気分で二人は食事を楽しんだ。
◆
この後、友達となった三人は午後の授業に遅刻しそうになった。
「もー、二人があんなにご飯を盛るから!」
沙織が嘆く。
みほはさらりと応えた。
「ご飯は力の源だから、食べられる時に食べないと」
「みほ……太るよ……」
「みほさんの言う通りですよ沙織さん」
「華は食べすぎ! それで何で太らないのよ、もー!」
何とか授業には間に合った三人だったが、昼休み中教室で待ちぼうけをして、失意のうちに撤退した生徒会の面々には気がつくはずもなかった。
西住みほにとっては『手慣れた』やり口である。