鬼神西住   作:友爪

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 西住みほは人助けをしつつ、のんびり向かう。


鬼神西住9

『普通Ⅰ科2年A組西住みほさん、大至急生徒会室に来てください。繰り返します。普通Ⅰ科2年A組の西住みほさん、大至急! 生徒会に来てください!』

 

 授業終りの放課後、そういう放送が学校中に流されてから、早数十分経とうとしていた。

 西住みほはまだ訪れない。『大至急』の意味を分かっていないのだろうか。いや、もしや既に帰ってしまったのかもしれない。

 

 生徒会室には焦燥感が蔓延している。

 河嶋桃は部屋を早足でうろつきながらぶつぶつ何か言っており、小山柚子は書類を読む目線が同じ場所を行ったり来たりしている。

 角谷杏でさえ、その小躯に合わない椅子を頻繁に漕いでいた。

 

「何故だ! 何故西住は希望書を提出しない!?」

 

 桃は幾度目になるか分からない問を空中に投げた。もはや返答を求めている訳ではない、苛立ち故の嘆きだった。

 その嘆きに二人は沈黙で返した。実際、この二人も答えるべき理由を持たなかった。

 

 西住みほは、この一週間()()()()()()()。『A組の良心』という噂の拡散はあくまで自然発生的であり、みほが自発的に何かをした訳ではない。

 

 そう……選択科目の希望書の提出すら行わなかったのだ。

 期限は、今日までだというのに。

 

 二人の友人……武部沙織と五十鈴華は『戦車道』の項目に〇印を付けて既にこれを提出していることは調べがついている。

 それだというのに、肝心のみほは友人の熱心な誘いを今の今までのらりくらりと避け続けていた。

 当然のことながら、その度に生徒会一同は焦りを募らせていった。

 そして締切日の今日、その焦りはピークに達していた。

 

「小山、念のためにもう一度放送を……」

 

 内心の焦燥感に耐え切れなくなって、杏がそう言いかけた時、部屋にノックの音が響いた。

 三人は顔をはっと見合わせた。

 間を置かずに声がした。

 

「私です、西住です。入ってよろしいでしょうか?」

 

 無邪気極まりない声だった。

 杏が一つ息を飲み込み「いいよ」と応じると「失礼します」とドアが開いた。

 

「お呼びだったので、参りました。何か御用ですか?」

 

 帰りの準備だろうか、みほは学生鞄を片手に持って現れた。やはり、危ないところであった。

 

「遅いっ!! 何をちんたらしていた!?」

 

 とぼけた様子(三人にはそう思われた)のみほに、桃が叫んだ。

 

「ごめんなさい……私にも事情があって」

「まぁまぁ、桃ちゃん。西住さんはこうして来てくれたわけだから……」

「桃ちゃんと呼ぶな!」

 

 柚子に宥められて、桃は一先ず落ち着きを取り戻したが、荒い呼吸はそのままだった。

 

「やっ、西住ちゃん。ごめんね、何度も呼びつけて」

 

 ここまで無言で様子を見ていた杏が、ゆっくり話し出した。焦りを表に出さないためにだった。

 何故だか、みほにそれを悟られるのがまずい気がした。

 

「この前の話、覚えてる?」

「戦車道を履修して欲しい、という話ですか」

「それそれ。でもさ西住ちゃん、まだ希望書、出してないよね?」

「ああ、これですか」

 

 みほは鞄から紙を一枚取り出した。

 掲げて見せるそれは、未だ白紙のままであった。

 

「何だか迷ってしまって、まだ決めていないんです」

 

 のんきに紙をひらひらさせる様子に、三人は目を剥いた。みほは尚も続ける。

 

「この機に他の道を経験して、視野を広げてみるのも良いかなと思って……今まで戦車道一徹でしたから」

 

 えへへ、と破顔したみほは少し寂しそうであったが、楽しそうでもあった。目の前に新しい道が開けた希望と、喜びに溢れている。

 生徒会の面子は、目の前の光景に耐え難い違和感を感じた。こちらの今にもバラバラになりそうな内心と、みほの穏やかな様子が、余りにかけ離れている。

 

「この香道っていうの、楽しそうですよね。どんな事をするんでしょうか。あっ、でも華さんがやっているっていう華道にも興味があるかも──」

「ちょっと、ちょっと待って西住ちゃん」

 

 語り続けるみほを、杏は堪らず静止した。これ以上聞くのが苦痛だった。

 

「西住ちゃんにはどうしても戦車道をやって欲しいって、言ったよね?」

「そ、そうだ! お前には戦車道を取ってもらわなければならない!!」

「そうです、私たち困っちゃいますよ!」

 

 杏に続き、二人は捲し立てた。落ち着いた調子の杏の発言に対し、これは実に焦りが滲み出している。杏は得体の知れない不安にひやりとした。

 これを眺めていたみほは「はあ」と首を傾げた。

 

「でもそれは、あなた方が決めることではありませんよね?」

 

 みほは、そう言い放った。

 生徒会は絶句した。耐え難い違和感の正体がやっと分かった。

 この生徒には……西住みほには、()()()()()()()()()()()()()()()のだ。生徒会トップの三人がどれだけ必死なのか、まるで考慮していない。

 

 何たる鈍感さか! 桃と柚子は閉口した。

 杏も表面は同様であった。しかし、それは本当に鈍感ゆえの言葉なのか、注意深く観察しても、真のところは判断できなかった。

 焦りが、判断力を鈍らせていた。

 

「それに……私は戦車道をするべき人間ではないと、家族から……西住流から言い含められています。その為に、大洗女子学園まで転校して来たんです。ここで戦車道を選択してしまったら、顔が立ちません」

 

 声も細く、顔を伏して事情を話すみほの言葉は、全く筋が通っていた。

 加えて、生徒会もあくまで学生である以上、個人の家庭事情を持ち出されては容易に口出しができない。

 

 生徒会は次に言うべき言葉を失った。あらゆる発言を事前に封じられてしまったのだ。()()の可能性は、もはや破綻した。

 

「わざわざ声をかけてくれて、申し訳ないんですけれども、やはり私は別の選択をさせて頂きます……あっ、この希望書は帰りに職員室に提出してきますね。大丈夫です、今日中には科目を選びますから」

 

 みほは用紙を白紙のまま鞄にしまった。もうすっかり帰るつもりでいるらしい。

 完全に進退窮まった状況である。このままみほを帰してしまったら、選択に関与することが不可能になってしまう。流石の生徒会でも、既に提出されてしまった書類の内容を改ざんすることは出来ない。

 

 みほは、今にも「さようなら」と手を挙げんばかりの様子である。早く……早く何かの手を打たなければならない。

 それは一体、どんな?

 そうだ……最後の手段が残されていた!

 

「そんなことを言っていると、この学校に居られなくするぞ……っ!」

「そ、そうだよ、悪い事は言わないから素直に従った方がいいよ?」

 

 心をぐちゃぐちゃに掻き乱された桃は、半ば恐慌状態で声を張り上げた。柚子もそれに便乗する。

 こののんきな転校生には脅しはいかにも有効と思われたからだった。

 

 杏はぎょっとした。

 三人で話し合った最後の手段……『脅迫』は、もし使うことになってしまっても、それは杏から持ちかける約束だった。泥を被るのは生徒会長だけで十分だと、杏が主張したからだ。桃と柚子も、不本意ながらそれには賛同していたはずだった。

 

 しかし、桃と柚子はそれを破って脅迫を行った……否、脅迫()()()()()のだ。平素ならば、この二人は杏の言いつけを破るような人材ではない。

 意図してかおらずか、学園艦のトップたる生徒会が、転校生にそこまで追い込まれていた。

 

 こうなってしまっては、杏もこの流れに乗るしかない。到底乗り気にはなれない。大切な生徒(なかま)を無理やり引きずり込むなどと、誰が進んでしようか。

 それに先日から、この西住みほについての印象に、得体のしれない何かが付きまとっていた。

 今もまさにそうだ。どうにもそれが、杏の不安を煽っている。

 

 心の葛藤で黙っていると、桃と柚子は縋るような視線を杏に向けてきた。

 引き伸ばすのも限界だと、口を開きかけた、その時。

 

「いいんですか……?」

 

 幽かな声だった。

 しかし、その時、みほは確かにそう言った。

 

「それで、本当にいいんですか……?」

 

 みほは笑顔のままだ。むしろ、前より楽しそうな微笑み。

 だが、杏は気が付いた。みほの瞳の奥底にあるものの片鱗が、こちらを覗いていることに。

 それはどす黒い()()()だった。

 

 杏は()()と目が合ってしまった。

 

 杏は総毛立った。

 耐え難い悪寒に、呼吸が乱れ、汗が吹き出る。開きかけた口は、力なく開閉させるのが精一杯だ。

 目線を外すこともできない。もし目線を外したら、その瞬間にそれが襲いかかってくるに違いないと断言できる。

 

 何だ……何だ、それは。そんなものを、人が宿していて良いのか。

 

 生徒会長となってから、長らく忘れていた感情が呼び起こされた。

 恐怖。どうしようもない恐怖が、全身を満たした。

 西住みほが瞳に宿しているどす黒いもの……杏にとって、それは恐怖の()()()()だった。

 

「生徒会長、角谷杏さん……いいんですか、それで」

 

 何も言うことができない杏を、みほはじっと見つめて問うた。

 桃と柚子は質問の意味を図りかねていた。こちらの正義感に訴えているのだろうか。だとすれば、的外れな質問だ。既に腹は括られている。

 むしろ、みほが毛ほども動揺しないのに焦っていた。

 

 だが彼女達の長は意味を理解してしまった。

 脅迫をするという事……それは()()()()という宣言に他ならない。例えこの場で転校生が屈したとしても、それは潜在的な敵で在り続ける。

 それで良いのか、と転校生は聞いているのだ。

 

 私を敵にして良いのか、と。

 

 駄目だ、絶対に駄目だ。この化物を敵に回す事だけは断じてしてはならない。だったらここで手放してしまった方がマシだ。

 もしこの転校生に敵と認識されたならば……()()()()()()になる。

 具体的にどうなるのかは分からない、分かりたくもない。

 

 杏は今すぐにでも逃げだしたい気持ちになった。

 こんな化物と対峙する事になるなんて、生徒会長になった時は予想もしなかった。

 怖くて、怖くて、堪らない。

 やはり、自分にはこの様な大役は無理だった。

 この化物と対峙する勇気と、あの時生徒会長の指名を断るのに必要な勇気は明らかに釣り合っていない。

 この小心の全てが恨めしくなった。

 

 西住みほの瞳がこちらを見ている。その目が、すっと細くなった。

 早く答えろ……瞳の奥の化物は、そう言っているようだった。

 杏は、萎縮して動けなくなってしまった。今、杏は完全に過去の自分に立ち戻っていた。他人の悪意にことさら敏感な、臆病者の自分に。

 

 どうしてよいのか、次に何をすればよいのか、全然分からない。昔は、こんな時、何もせず硬くなってやり過ごすことしかできなかった。

 しかし、それも許してくれそうにない。

 遂には吐き気を感じ始めた。

 

「会長……っ!」

「会長……」

 

 杏は、はっとした。

 親友二人が心配そうな上目遣いをしていることに気が付いた。ただでさえこの非常時に、酷く青ざめている杏の様子に狼狽えていた。

 恐怖しているのは、自分だけではないのだ。

 

 頼られている。

 私は、今や生徒会長だ。如何なる困難にも立ち向かい、この学園艦(ふね)を守らなければならない。あの日に決心したのだ。

 それが、私の誇りではなかったか。

 

 ならば何が必要だろうか、この化物に立ち向かう為に。

 決まっている。自分に最も欠けているもの、それは『勇気』だ。

 ならば何を元に勇気を引き出すのか。その為の理由を、私は持っているのか。

 持っている。何も問題はない。

 

 私は大洗女子学園を愛している。

 

「頼むよ、西住ちゃん」

 

 杏は頭を下げた。

 その小躯は小刻みに震えていた。

 

「頼む」

 

 交渉でも脅迫でもない。それは()()()だった。

 杏の姿は紛れもなく、弱い自分を晒していた。本来、彼女が最も恐れる筈の行為である。

 立ち向かったのだ、恐ろしい化物に……自分の弱さに。恐怖など、この愛校心に比べれば些細なものだ。

 所詮、この転校生にはこちらの企みなど通用しない。ならば、最初から誠心誠意お願いする他ないのだ。

 

 瞬間、みほの顔から全ての表情が抜け落ちた。

 そして頭を下げた杏の姿を驚いたように、じっと見つめて、またすぐに笑顔になった。

 

「私には、夢があります」

 

 三人を順に見つめて言う。

 

「それに協力してくれるなら、やりましょう」

「する! 協力するとも!」

 

 桃が先走って食いついた。みほは桃を見て微笑んだ。

 

「入学についてのパンフレット……転校してくる時に、読みました。広報担当の河嶋桃さん、あなたが編集したそうですね」

「え……まぁ、そうだが」

「あれは実に素晴らしいです。大洗女子学園の良いところが、現実味を帯びて読み手に伝わってくるようでした。編集者はさぞかし有能な方だと、そう思ったものです」

「な、なんだいきなり……悪い気はしないがなっ」

「もしかして、あの集会の時の映像もあなたが?」

「そうだっ」

「わぁ、やっぱり! 私、あれにも感動したんですよ」

 

 桃は、突然褒められて困惑しつつも、得意気になった。

 

「私は、戦車道の素晴らしさをもっと世界に広めたい。もっと戦車道を知ってくれたら、好きになってくれたら……その為には、どうしても広報と生徒会の協力が不可欠なんです」

「それだけで、いいの?」

 

 柚子は心配そうに尋ねた。

 

「ええ、それだけです! 安心して下さい、戦車道の知識に関しては私も熱に助力します。私は()()夢を叶えたいんです」

 

 満面の笑みで答えるみほに、桃と柚子の顔も明るくなった。西住みほの協力を取り付けられた! その達成感と安心感で一杯になった。まるで、目の前の転校生が光り輝く救世主の様にも思えた。

 

「それと」

「……なに?」

 

 顔を上げた杏が、懐疑的に尋ねた。

 

「戦車道の履修者が確定したら、リストを見せてください。一緒に戦車道をする仲間が、とても気になるんです」

 

 杏が首肯すると、みほは嬉しそうに笑った。

 配下の二人は全く純真な笑みと捉えたが、杏にしてみれば、みほの笑顔はまるで、共犯者を得た極悪人に見えた。

 

 そして、みほも気がついている。

 杏が、前の自分の問にまだ答えていないことに。

 




 大洗女子学園では早速、戦車道の宣伝が強力に行われ始めた。

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