SIREN(サイレン)/小説   作:ドラ麦茶

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第二十話 恩田理沙 宮田医院/第一病棟診察室 初日/十時三十八分五十八秒※

「――くそ! どうなっている!」

 

 宮田医院の第一病棟診察室で、院長の宮田司郎が苛立ちながら机を叩く。恩田理沙は、窓際でその背中を見ていた。机の上にはカルテが置かれてあり、理沙の立っている場所からも内容が確認できそうだ。関係者でない自分が見てはいけないものだろうと思いすぐに目を逸らしたが、視界の隅に、『昭和51年』という年と、『志村貴文』という名前が見えた。理沙は診察室を見回した。机の他に、診察用のベッドや薬品を入れる棚などがあるが、どれもボロボロだ。机は錆びつき、ベッドのシーツは黒ずみ、薬品棚は両開きの扉のガラスが全て割れており、薬品の瓶も割れて部屋中に散乱している。まるで廃墟のようだ。

 

 恩田理沙と宮田司郎が比良境の宮田医院にたどり着いたのは、大字粗戸を脱出して約三時間後のことだった。だがそこに、あるべきはずの宮田医院は無かった。いや、『宮田医院』と看板を掲げた建物はあった。だが、廃墟同然の古い二階建てのビルだった。本来の宮田医院の病棟は一九七五年に建てられたものであり、古いビルであることは確かだが、ここまでボロボロでは無い。そもそも宮田医院は四階建てだ。ここは、理沙の知る宮田医院ではない。宮田先生もどういうことなのか判らないようで、さっきから診察室内のカルテや資料を調べている。

 

 しかし、理沙にとってはここがどこであろうとあまり興味が無いことだった。理沙がいま気にしているのは、姉の美奈の安否だった。

 

 宮田医院は緊急時の避難場所に指定されており、周辺の村人が避難してきていることが考えられた。もしかしたらその中に美奈もいるかもしれない。そう思い、ここまで来たのだが、病院には誰の姿も無かった。幸い屍人の姿も無かったので、避難所にはなりそうだ。しかし、今のところ誰かが避難してくるような様子はない。ここで待っていれば、美奈は避難してくるだろうか? それとも、どこか別の場所を探した方がいいのか? ここが安全な場所であるならむやみに動き回らない方が良いのは判っているが、美奈の安否が判らない以上、じっとしてもいられない。

 

 

 

《理沙――》

 

 

 

 突然、名を呼ばれた。

 

 診察室を見回す。宮田先生と自分しかいない。先生はずっと資料を調べていて、こちらには見向きもしていない。先生が呼んだのではない。そもそも今の声は、耳で聞こえたという感じではなかった。頭の中に直接語りかけてきた。例えるならば、そんな感じの声だった。

 

 

 

《理沙――》

 

 

 

 また聞こえる。今度は、もっとはっきりとした声だった。女性の声、それも、すごくなじみのある声だった。これは……お姉ちゃん?

 

 窓の外を見る。赤い雨は降り続いている。診察室からは、病院の中庭が見える。

 

 その中央に、看護師姿の女性が立っていた。すぐに判った。美奈だ。

 

「お姉ちゃん?」

 

 窓越しに呼びかける。

 

 宮田先生が顔を上げた。「どうした?」

 

「先生、あそこに、お姉ちゃんが――」

 

 一瞬宮田先生を見て、窓の外を指さした。

 

 だが、指さした先には、もう美奈の姿は無かった。

 

 宮田先生は窓から見える範囲で美奈の姿を探すが、どこにもいないようである。

 

「本当に美奈さんがいた?」視線は窓の外に向けたまま訊く宮田先生。

 

「はい。看護師の格好をしてて、あたしの名前を呼んで、そして――」

 

 続く言葉を、理沙は飲み込んだ。

 

「そして?」宮田先生が怪訝そうな視線を向ける。

 

「――いえ、なんでも無いです。お姉ちゃんかと思ったんですけど、見間違いかもしれません」

 

「ふうむ」

 

 宮田先生は唸り声をあげ、窓の外を探す。

 

 窓の外に姉がいた。それは間違いないだろう。

 

 ただ、美奈は、目から血のような涙を流していたように見えた。さっき宮田先生に言いかけたのは、そのことだ。

 

 血の涙を流す。それは、屍人の特徴だ。姉はもう、屍人になってしまったのだろうか?

 

 いや、判らない。一瞬見えただけなので気のせいかもしれないし、ただ雨の雫が流れていただけなのかもしれない。

 

 窓の外は、赤い雨が降り続いている。

 

 ふと、腕時計を見た。十一時を過ぎている。もうすぐ十二時になる。

 

 美奈は、どこへ行ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

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