前田知子は蛭ノ塚の県道333号線を、一人、とぼとぼと歩いていた。両親とは、まだ再会できていない。水蛭子神社から脱出した後、教会がある刈割へと向かおうとしたのだが、村中どこも屍人が溢れており、見つからないように迂回したり、隠れたり、逃げたりしているうちに、結局また蛭ノ塚に戻って来てしまったのである。陽はかなり前に落ち、辺りは真っ暗だ。知子はライトで足元を照らしながら、県道を南へ向かって歩く。この先には眞魚川に架かる橋がある。昼間、求導師の牧野慶と一緒に、海へ身を沈める屍人たちを見た場所だ。あの時は橋が崩れ落ちていたためすぐにその場を離れたが、もしかしたら、どこか通れる場所があったのかもしれない。知子はライトで周囲を照らしながら、慎重に進んで行った。
と、ライトの明かりが、道の真ん中に置かれている何かを照らした。
最初はそれが何であるか判らなかったが、近づくにつれ、だんだんと見えてくる。人だった。男性のようである。白髪頭。老人のようだ。倒れている。ピクリとも動かない。酔っぱらって、道の真ん中で眠ってしまったのだろうか? そんなはずはない。老人の顔が、ハッキリと見えた。目は皿のように大きく開かれているが、その瞳は虚空を見つめている。頭の周りには黒に近い赤の液体が広がっている。血のようだ。頭を銃で撃たれ、死んだように見えた。
知子は倒れた男に背を向け、走った。しばらく走って、足がもつれ、赤い雨でぬかるんだ砂利道に転んだ。泥水に埋もれる。起き上がろうとしたが、できなかった。足が震えている。恐ろしい。道の真ん中に、頭を撃たれて死んだ人がいる。しかも、その人の顔には見覚えがあった。合石岳の麓で一人暮らしをしている猟師・志村晃さんだ。無口な老人で、あまり村の人と関わることがなく、道ですれ違ったらあいさつするくらいで、それすらも月に一回あるかどうかという程度だった。親しい間柄ではない。だが、それでも同じ村に暮らす人であることに変わりはない。昨日までは、あの人も平和な村でひっそりと生きていたはずだ。それなのに、銃で撃たれて命を落としてしまった。なぜ、村はこんな恐ろしい所になってしまったのだろう。お父さんとお母さんに会いたい。優しかった両親の笑顔を思い浮かべる。しかし、それが志村さんの死に顔と重なった。お父さんとお母さんも、銃で撃たれ、どこかに倒れているのだろうか? いずれは、あたしも……。
涙が溢れ出す。
怖い。
寂しい。
会いたい。
様々な感情が混じった涙だった。
ぬかるみを踏む音が聞こえた。
誰か来る。屍人か? 顔を上げる。
目に入ったのは、赤い修道服。
この村でその修道服を着ることが許されているのは、一人しかいない。求導女の八尾比沙子だ。
「――知子ちゃん。良かった。無事だったのね」
比沙子は優しく微笑んだ。慈愛に満ちた笑顔――求導女の比沙子は、村の人からよくそう呼ばれているが、今日ほどそれを強く感じたことはない。
「求導女様!!」
知子は比沙子の胸に顔をうずめ、泣いた。
ずっと一人で怖かった。寂しかった。不安だった。
いろいろな想いが込み上げ、泣いた。
比沙子は知子の想いを受け止めるかのように、優しく抱きしめてくれる。
「もう、大丈夫よ。よく頑張ったわね」温かい手が、知子の頭をなでた。「お父さんもお母さんも、無事よ」
知子は顔を上げた。「ほんとう?」
「ええ。二人とも、教会で待っているわ。さあ、行きましょう」
「――はい!」
知子は、大きく頷いた。
もう、あたしは一人じゃない。
もうすぐお父さんとお母さんに会える。
会って、昨日のことを謝ることができる。
これからは、ずっと、一緒にいられる。
知子は、この日初めて、心の底から笑顔を作ることができた。
「さあ、知子ちゃん。こっちよ――」
比沙子が、知子の手を取る。
――お父さん、お母さん。待ってて。すぐに行くからね。
知子は比沙子に連れられ、闇へ消えた。