「あんただけ消えればよかったのに……なんでこんなことになるのよ!!」
田堀にある廃屋の離れの中で、神代亜矢子は、怒りと共に右手に持つ鎌を振り下ろした。壁際には妹の美耶子が立っている。鎌の刃先は美耶子の頬をかすめ、壁に深々と突き刺さった。斬り裂かれた頬から赤い血がだらりと流れ出すが、美耶子は表情を変えず、ただ亜矢子を見つめる。その目に、恐怖や怯えといった感情は微塵も宿っていない。決して何ものも映すはずの無い妹の目に宿っているのは、蔑み、あるいは憐れみだった。
――かわいそうな女。
そう言われた気がした。亜矢子の怒りは黒い炎となって燃え上がる。妹の顔に、今度こそ鎌の刃を刺そうとした。しかし、壁に深く刺さった鎌は、非力な亜矢子の力で抜くことはできなかった。
亜矢子は憎しみを込めた眼で妹を睨む。この女が許せなかった。昨夜の神迎えの儀式。美耶子は神にその身を捧げるはずだった。しかし、儀式は失敗し、美耶子は逃亡。村は、屍人がうろつき、過去と現在とが入り混じる異界と化した。全てこの女のせいだ。許せない。なぜ、みんなこの女のことを大事にするのだろう。この女が生まれた時からそうだった。父も、神代家に仕える者も、そして、自分の許婚である淳さえも。だれもが、あたしよりもこの女を大事にした。みんな、あたしよりもこの女を見ていた。それが許せなかった。神代家にとって、あたしは存在しないも同然だった。だがそれも、神迎えの儀式が終わるまでの我慢だと思っていた。儀式が終わればこの女は消え、淳は、あたしだけを見てくれるはずだったのに。許せなかった。鎌から手を離し、美耶子の首を掴んだ。
「このままあたしが力を込めれば、あんたはあの化物の仲間入りね」
勝ち誇ったように笑う亜矢子だが、妹は、相変わらず蔑んだ目を向けている。
「お前、何も判ってないな」静かに口を開く美耶子。
「な……何よ……?」
「あたしは、化物にはならない」
その言葉を、亜矢子は鼻で笑い飛ばした。「バカにしないで。あんたを殺すなんて、簡単なことなんだから」
「あたしは死なないよ――お前も、ね」当然のような口調で言う美耶子。
「……何言ってるの?」
「肉体は滅びても、精神は滅びない。そういう運命なんだよ。あたしも、お前も」
「訳の分からないことを……だったら、試してやるわよ!」
両手に力を込める亜矢子。それで、哀れな妹は泣き叫び、命乞いをするはずだ。
だが、美耶子の表情は変わらない。苦しそうな様子もなく、ただ、憐れむ目を亜矢子に向けている。それが亜矢子の胸の黒い炎をさらに終えあがらせる。首をへし折らんばかりに力を込めるが、それでも美耶子の目は変わらない。
村に、サイレンが鳴り響く――。
亜矢子は力を抜き、仕方なく美耶子の首から手を離した。ここでこの女を殺すわけにはいかない。村の怪異を鎮めるために、この女は必要なのだ。
亜矢子は、心を落ち着けるため、大きく息をついた。「……今日の所は許してあげるわ。だから、あんたはさっさと神の生贄になりなさい。そのために、あんたは今まで生かされてきたんだから」
その言葉に、美耶子の表情が初めて歪んだ。目から蔑みが消え、わずかな怒りが宿ったのを、亜矢子は見逃さなかった。気分が良かった。ようやく、この女の上に立てた気がした。
だが、美耶子は。
「――だったら、お前は早くあいつの子を産め」
目に、再び蔑みが宿る。
「な……なにを……」
「あたしは神に捧げられるため、お前は神代の子を産むため――それだけの存在だ」
「――――っ!」
亜矢子は、美耶子の頬を思いっきりひっぱたいた。
そして、それ以上は何も言わず、離れから出た。
「お前は、何も判っていない」
背中にかけられた美耶子の言葉は、無視した。